無慣性航法の街
執行明
第1話
あれは1977年の秋のことだった。私は小学校5年生だった。
もう40年以上も前になる。私は高校生の頃まで、1~2年ごとに父親の転勤について、あちこちと引っ越しを繰り返していたのだが、その年には愛知県にある町に住んでいた。
星崎という、名古屋の南がわにある町だ。
両親ともに東京出身だったので、私も自然と標準語が母語になっていた。
標準語は冷たい、というイメージは関東以外のどこの地方にもあるらしい。私の一家は転勤の多い父について、その後も日本各地を転々と引越し続けたが、地方人たちのそういう意識はどこでも見て取ることができた。
元々ひとりでいるのが好きな性格だった私は、そのことを別に苦にしていたわけではなかった。が、周囲はそうは見なかったらしい。
だから私が、「何かの光が見晴台の小高い丘の向こうに降りていくのを見た」と言ったとき、彼らはそれぞれの世界観に応じた仕打ちを私にしたのだった。クラスメート連中にとって、私は標準語という冷たい印象のある言葉を操る、従って性格の劣悪な人間であるべきだった。だから私は彼らの中で、嘘つきということになった。
一方、教師達にとって、私が単に見たものを見たままに述べたことは、助けを求める声であった。私は孤独に耐えられず、みんなに注目されようとして嘘をついた、それが教師たちの考えた私の「設定」だった。
だが私は嘘は言っていなかったのだ。
私が言ったのは「何かの光が」自宅の北側にある見晴(みはらし)台(だい)の小高い丘の陰にゆっくり降りてゆくのを見たという、ただそれだけだった。
そしてそれは本当のことだ。宇宙船を見たとも、UFOを見たとも言ったわけではなかった。UFOとは未確認の飛行物体ということに過ぎないから、そう言ったのなら定義上(本当に未確認だったのだから)正しいはずだが、どのみち私はそうは言わなかった。
だが私は「UFOを見たと嘘を吐いた」ことになった。悪ガキたちの伝言ゲームの結果そうなったものは、論理では覆らない。そしてそのことは「東京モン」の私を目の仇にしていた近所の悪ガキどもが私に暴力を振るう格好の大義にされた。
その日も私は、「東京から来た嘘つきをぶちのめす」ことを目的とした悪ガキの集団から逃がれて、遠回りして帰宅しようとしていた。だが、数と地の利は連中の側にあった。そして、その日は運も悪かったのだろう、連中に追い回され、取り囲まれてランドセルを掴まれる。
十本を超える腕が、私を地面へと引きずり倒す。
そのとき。
「サカモト・コウタ君だね?」
私は見知らぬ声で名を呼ばれた。
私と悪ガキどもは一斉にそちらの方を見た。白いシャツを着た見知らぬ青年が近づいてきた。
平均身長の低かった当時としては、異様な長身の若者だった。そして奇妙に垢抜けた、いや浮いた雰囲気の青年だった。テレビのアイドル歌手が、テレビの中の雰囲気を纏ったまま画面の外に出てきたような。いや、私は50代になった今でも、そういう職業の青年と直に出会ったことは未だにないのだが、そのような雰囲気があった。つまり間違いなく実在しているのに、どこか現実離れした美青年だったのだ。
悪ガキどもは一斉に青年を警戒した。彼が私の兄かなにかで、私に加勢しにきたとでも思ったらしい。
だが私の顔を見て、表情から彼と私が知り合いでないのを察すると、彼らは一斉に「邪魔しないでくれや」「こいつ嘘つきだ」「こらしめてやらにゃ」と口々に言い立てた。
「サカモト君に用があってね」
そう言いながら青年は私に近づいてくる。
「兄ちゃん、関係ないんじゃろ」
不服そうに悪ガキの大将格が文句を付ける。青年は大将と私の顔を見比べると、すっと私の顔に手を伸ばして、手のひらで目を覆い隠すような仕草をした。
その途端、手で覆われた視界に、物凄い光の明滅――それは彼の着ているシャツから発せられたように思えた――が漏れ込んできた。悪ガキ達の戸惑いの声も。
彼が手を放した時、悪ガキの半数ほどはその場に倒れ、ガクガクと痙攣していた。頭を押さえて呻いたり、嘔吐している者もいた。そうなっていない者は恐怖に満ちた目でその光景を凝視し……悲鳴を上げて逃げだした。友達であるはずの犠牲者を見捨てて。
それを見送るように眺めると青年は私の方を向いて、もう一度聞いた。
「君がサカモトくんだね?」
私はただ黙って何度も頷くしかなかった。
「大丈夫だよ、君には何も危害は加えない。ただ、君が見たと噂の宇宙船の話を聞きたいだけなんだ」
私は彼に言われるがまま、人気のない公園へと付いていった。
あんなものを見せられては、逆らう気は起きなかった。というより逆らいたいとも思っていなかったのだろう。状況的には逆らったらあの光を自分に向けられるかもしれなかったのだが、それより広く私の心を占めていたのは好奇心だった。
そして、彼が自分をどんな存在だと言っても、疑う気は持てなかった。たとえ彼が400年以上先の時代から来た、未来人だと名乗ったとしても。
「あの子供達のことについては心配ない。ただの光過敏発作を起こさせただけさ。命に別状はない」
私がそのなんとか発作という言葉が理解できないで黙っていた。
彼は説明を楽しむように勝手にしゃべり始めた。自分の服が画面のようなものになっていて、彼の意思で自由に物を映し出したり、その他色々なことに使えるのだということも。
「たとえば自衛だね。あんな風に光過敏発作ぐらいで済ますこともできるし、コヒーレント光を選べばもっと物理的な傷害を与えることもできる」
確かに近くでよく見ると、彼の服は少し変だった。形こそただの長袖のTシャツとだったが、妙にてかてかしていて、何でできているのかがよく分からない。胸のところに私の顔が、消したテレビのブラウン管みたいに反射していた。実際にはもちろん、映画の中でさえみたことのないような材質の服だった。
さっき悪ガキに当てたものは人間の脳に有害な光のパターンで、てんかんに似た発作を引き起こしたり、気分を悪くさせたりすることができるのだという。その症状のことを光過敏発作というのだそうだ。未来では護身用によく使われるという。
「まあこの服は、タブレット――は、まだないのか。パーソナルコンピュータも? うーん、じゃあ、テレビジョンを服に組み込んでいると思ってもらえば近いかな」
そう言って青年は笑う。
「僕がここに来たのは論文を書くためなんだ」と青年は言った。
「『無慣性状態における航宙戦術の変遷について』という題なんだけどね」
「……なにカンセイ?」
青年は笑った。
「慣性っていうのは、物体が等速直線運動を続けようとする性質のことだよ」
トーソクチョクセンウンドウという、子供向けの物語や漫画にはまず出てこない地味な科学用語を私が聞いたのは、間違いなくこのときが最初だった。だから私は、のちに中学生になってから理科の教科書にその言葉を見つけた瞬間、このときの出会いが夢でも妄想でもなかったことを再確信したのだった。
「たとえばだ。地面に置いてあるボールを手で押すと、ボールは動く」
青年のシャツに、灰色の地面に静止した緑色の球体の映像が浮かび上がった。それを何者かの指先がゆっくりと押していった。ボールはシャツの中を転がっていく。なるほど、本当にこのシャツは『テレビ』のようなものらしい。
「そしてボールから手を離しても、ボールは動き続ける」
シャツの中の手は、ボールをぴんと指で弾いた。ボールはスピードを上げてシャツの中を転がっていき、背中へと廻って、肩を通ってまた胸に……と延々と転がり続ける。
「当たり前だよそんなの。勢いがついてるんだもん」
「うん」青年はうなずいた。
「その勢いのことを、科学的な用語では慣性というんだ」
「ふうん」
「実は、その慣性というものが邪魔をして、普通の状態ではどんな宇宙船も光速を超えることはできない。光の速さに近づくにつれ、どれだけ宇宙船の燃料を燃やしても、慣性がある限り、そのエネルギーは宇宙船を速くするためじゃなくて、重くするために使われてしまうんだ」
「なんで?」
ははっ、と青年は笑った。嫌味な笑いではなかった。
「相対性理論といって、この時代でもすでに発見されてる法則なんだけどね。さすがに君ぐらいの年齢の子どもに説明するのは難しいよ」
だが、おしゃべり好きらしい青年は続けた。
「ともあれそういう訳で、特殊な技術で宇宙船の慣性を打ち消すことが必要になる。それを無慣性化といい、それを利用した宇宙船の推進法を無慣性航法というんだ」
私はそこで、その言葉を読んだことがあったのを思い出した。
学校の図書館で読んだシリーズもののSFジュブナイル小説――今ではライトノベルと呼ばれるらしいが――に、その言葉が出てきたことがよくあった。宇宙を股にかけて冒険するその小説の主人公が、光の速度を超えてロケットを飛ばす際にしばしば使う魔法のような技術の名が、たしか「無慣性航法」だった。
私はがぜんその話を聞く気になった。
「無慣性航法の利点は、ただ遠くの星に速く行けるというだけじゃない。方向転換が完全に自由なんだ。何しろ慣性――つまり勢いをまったく考慮しなくて良いんだからね。光速の数千倍という速度でも、減速することなく直角に方向転換することも、全速前進していた次の瞬間、全く同じスピードで後方に進むこともできる。このことが真空中戦闘において革命を生み出した。なにしろ追尾機能を組み込まれた無慣性のミサイルは、この時代の銃弾のように外れれば終わりじゃない。いくら避けても、その瞬間に直角に曲がって追いかけて来る。ミサイルが旋回している時間の余裕すらないんだ。」
幼い私にも、戦争映画で、戦闘機がぐぐっと大きなカーブを描いて旋回する様子を思い浮かべることができた。飛行機は速いから、車以上に急に止まれないし、曲がれない。宇宙ロケットならなおのことだろうと思っていた。
げんに私が当時見ていたSFアニメでも、主人公たちが操るロボットやロケットは、例外なく飛行機のようにカーブを描いて曲がっていたし、そうでない曲がり方ができる乗り物があるなど想像したこともなかった。
それが遥かな未来では、ロケットは飛びながら直角に曲がれるというのだ。
「でも、この無慣性なミサイルにも、安全地帯があった」
「え?」
「敵に近すぎる距離だ。自分が爆発した時に、相手にも被害が及ぶような場所にいれば、無慣性ミサイルは追いかけてはこない。通常、そうプログラムされているからね」
ああ、なるほど。
私は頷いた。自分の目の前にある爆弾を起爆する兵隊はいない。思いきり相手に近づけばいいわけだ。
「それでだ」と青年は私に顔を近づける。
「その戦術が、どうやら今くらいの時代の、この街で生まれたらしい――ということが資料から推測されたんだ」
「そんなのおかしいよ!」
私は思わず大声を出していた。
「だって、宇宙ロケットの戦い方なんでしょ? 今のロケットなんて、本物は月に行くのがやっとなんだよ? 宇宙戦争なんて一回もしたことないのに」
「うん。だけど、地球外文明が小規模な接触をして、何かを残し、それが関わっている可能性はある」
「それって、宇宙人が知らないうちに地球に来てるってこと?」
青年は真剣な面持ちで頷いた。
「じゃあ、僕が見たあれはやっぱり……!」
「そうかもしれないと思って来たんだ」
青年はやはり真剣な表情で、もう一度頷く。もしそうなら、僕の戦史論文の本来のテーマなんかよりずっと大きな歴史的解明になる。それでなかなか許可の下りない時間移動が許されたのだそうだ。
「残念ながら、僕の時代には、この時代の資料がものすごく断片的にしか残っていない。何しろ地球さえ壊してしまったからね」
驚いた私を見て、彼は安心させるように、ぽんと私を頭に手を置いた。
「心配するなって、物凄く未来の話さ。君が老人になって死んでしまってから、さらにずっと後だよ」
50年後の今にして思っても、彼の言葉はおそらく真実だったのだろう。今の地球には地球を何回滅ぼせるだけの核兵器がある、という話は聞くが、それはあくまでも地球の生き物を滅ぼせるという話で、星を壊せるという意味ではない。そんなことができる爆弾が発明されるとしても、それは彼の言う通り、私が死んださらに後の世に違いない。
「それで最初は、その事件がここの地名の由来にもなっている事件なのかとも思っていたんだ。そっちはハズレだったけどね」
「地名?」
「うん。ここはホシザキという地域なんだろう?」
私はこっくりと頷いた。
「このホシザキという地域名は、宇宙から何かが飛来したことに由来するらしい。それは史実ではあったんだけど、単なる隕石だった。しかも、この時代から更に何百年も昔の話だったんだ。さっき、その隕石を保管してある神社という施設に行ってきてね。」
彼はぼやいた。自慢話を聞かされたよ、東京の偉い博士に鑑定してもらって本物の隕石だとお墨付きを頂いたばかりだってね、と。
私もその話は、学校で「地域のことをしらべよう」という授業の時に教師から聞いたことがあった。お祭りで神社に行ったときにも耳にした。星崎の名前の由来は、奈良時代と江戸時代に2度もこの地に落ちた星が由来なのだという。今でも星の宮という神社にはその隕石が祀られているとか。それはそれでロマンチックな話ではあったが、彼が調べていた問題とは関係がなかったのだ。
「だから、残りの手掛かりは君だけだ。たのむよ、教えてくれ。君が何を見たのか、できるだけ詳しく」
私は大きく頷いて、熱っぽく語った。
秋口とはいえその夜の気温は高かったこと。暑さで寝付けず(部屋にエアコンがないのは当たり前の時代だった)、起き上がって深夜の窓の外を眺めていたこと。そこから、やけにゆっくりした流れ星が、少しずつ光を小さくしながら、見晴台の丘の向こうに降りて行ったこと。彼のためにできるだけ言い逃しのないように、細大漏らさず語ったつもりだった。
だが、私が熱弁すればするほど、彼の表情は冷めたものになっていった。そして、がっくりと肩を落とすと、また微笑んだ。まるで私を慰めるように。
「ねえ、どうしたの」
私は不安のため、ついに聞いた。
声を落として「ああ」と彼は返事をした。
「残念ながら君が見たのは、地球外から来た宇宙船なんかじゃない。僕だ」
「え?」
「時間移動には大きなエネルギーを発するからね。周囲に被害を与えないように、時間移動そのものは大気圏外でおこない、地上に降りて来るのさ。君が観たのはそれだったんだよ」
青年はまた「怒ってないよ」という表情で愛想笑いをした。
「振り出しに戻っちゃったよ。君の体験談が、断片的な情報として未来に伝わり、それを手がかりに宇宙からの来訪者だと思い込んで僕が来た。それを君が見たって堂々巡りさ」
「変な話」
「直感的にはね」
青年の服がまた光った。いや、点滅した。
気付くと、点滅していたのは服だけではなかった。私は何度目かの驚きをもって青年を見つめた。見間違いではない。青年そのものが、まるで映像のように現れたり消えたりしているのだ。
「ああ、循環型のタイムパラドックスに入り込むとこうなるんだよ。こうなると、時間移動をした物質は消滅することになるんだ」
「消滅って……死んじゃうの!?」
自分の顔から血の気が引くのが分かった。
「心配しなくていいんだよ。消えるのは、時間を遡って以後の僕だけだ。もちろん死ぬわけでもない。時間を遡る少し前の時点から、それを選ばなかったら送っていたはずの人生を僕は続けるのさ」
青年の「消えている」瞬間がだんだん長く、頻繁になっていく。
「しかし、どうせ記憶は消させてもらうつもりで色々おしゃべりしちゃったけど、残念ながらそうもいかなくなったな。君の記憶が消えたら、未来に残る資料にも影響を与える。ま、しょうがない。物的証拠がなければ、今の時代の人には単なる空想にしか聞こえないだろう。なるべくなら喋らないでほしいけど」
そういうわりに本人は相変わらず良く喋るな、と私は思った。
「それにしても――」
幻のように消えゆく青年の、最後の独り言が聞こえてきた。
「どうしてナゴヤ撃ちなんて言うんだろうな」
日本全国のゲームセンターに『スペースインベーダー』が設置され、瞬く間に大流行を遂げたのは、その翌年のことだった。
無慣性航法の街 執行明 @shigyouakira
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