第14話 初恋の君


 塔の中に、セーラがいた。

 白い紙に絵を描いて、すやすや眠っている。ピンクの女の子。これはセーラね。

 隣にいる黒い服の女の子。これは、……誰だろう。


 目の前には様々な種類の色えんぴつが転がっている。クレアのものかしら。何色も揃われた完璧な色えんぴつ。満たしすぎて、足りないものがない。


「セーラ」


 肩を叩く。


「起きて。部屋に戻るわよ」

「……」


 セーラが眠たそうに瞼を動かし、目を開けて、また閉じて、ゆっくりと目を開けて、ぱちぱちまばたきさせた。


「……ロザリー……?」

「ん」

「……体調悪くて、寝込んでたんじゃ、ないの……?」

「そうよ。だから元気になったの」

「……もう、いいの?」

「ええ。もう平気」

「……」

「ほら、行くわよ」


 セーラがあくびをしながら首を振った。 


「まだここにいる」

「あら、呪われた塔に居座るなんて、どういう風の吹きまわし?」

「お前がいない間、二人でよく遊んでたんだ」


 クレアが机の上に腰を下ろした。


「セーラが寝るまで、一緒に絵も描いてた」

「……寝ちゃった……」

「季節の分かれ目だから仕方ない。思い切り寝れたか?」

「うん」

「それはよかった」

「セーラ、こっち向きなさい。前髪が乱れてる」

「ん」


 セーラに屈み、前髪を直す。こうしてみると、少しクレアの面影もあるように見える。

 彼女は明日の朝、自分の町へと帰る。


 この子は本来、ゴーテル様の命令の元、グレゴリー様とロゼッタ様が死刑の後、一緒にギロチン刑で死ぬはずだった。

 ゴーテル様はスノウ様を失ったショックで心を壊し、政策をめちゃくちゃにし、意義のある者は死刑へ追いやるはずだった。


 けれど、あたしが覚えているのは、スノウ様の看病中、スノウ様の手を握り締めながら、クレアの手を握り締め、家族に寄り添いあうゴーテル様の姿。

 今後、スノウ様とクレア、そして、リオンに何かがない限り、彼が心を壊すことはないのではないだろうか。


(でも、それだけで、セーラの死を回避できた、と言えるのかしら)


 どんなに回避したって死はやってくる。ただ、セーラの行動次第で、その日数を延ばすことが出来る可能性は、ゼロではない。


「……」


 あたしはセーラから一歩離れた。


「セーラ」

「ん?」

「明日ね、あたしとニクスも家に帰るの。だから、会えるのは今日で最後だと思う」

「……」


 セーラが黙って眉を下げた。


「公爵家にお別れをしないのは、とても失礼なことよ。だから、代わりにおまじないをかけてあげるわ」

「おまじない?」

「ええ。それで許してくれない?」

「どんなおまじない?」

「目を閉じて」


 セーラは子供だ。言えば素直に聞いてくれる。この子の未来はまだ先だ。だったら、祈ればいい。


 あたしは左足だけで立った。


「エッペ、ペッペ、カッケ」

「ん?」


 セーラが眉をひそめた。あたしは右足だけで立った。


「ハイロー、ホウロー、ハッロー」

「はろー?」


 両足で立った。


「ジッジー、ズッジー、ジク」


 あたしは息を吸って、唱えた。


「セーラがこの先の未来を切り開けますように」



 ――かしこまりました。

 ――願いはこれで三回目。

 ――もう二度とあなたと会うことはないでしょう。



 羽根が頬をかすった気がした。



「もういいわよ」


 セーラが瞼を上げて、あたしを見た。しゃがんで、セーラと目線を合わせ、その小さな手を握りしめる。


「セーラ、長女って大変よね。何もかもが初めてで、それでもって妹を引っ張らないといけなくて、この先、妹が良かったって嘆くこともたくさんあるだろうけど」


 いいこと。


「正しいことをするの」

「真面目で誠実に。努力は必要だけど、たまには怠けてもいい」

「世の中はね、悪い奴が得をするけど、いざって時は、正しい奴が勝つのよ」

「だから、正と悪をきちんと見分けて、堂々となさい」

「そうすれば、お父様とお母様はあなた達を守ってくださるわ」

「いい? マーガレットのことはあんたが守るのよ」

「正しいことをしても、報われなくて、辛くて、本当に困ってしまった時は」


 あたしはアンクレットを足から外した。


「これがセーラを守ってくれるわ」


 セーラの足につける。


「三回までなら願いを叶えてくれる。いい? 困った時に使うのよ。三回使ってしまったら、もう二度と使えなくなってしまうから」


 金の帽子が輝く。

 セーラは自分の足を見た。きらきらしている。


「……これ、願いが叶うの?」

「呪文を言わないとだめよ」

「なんていうの?」

「クレアに聞けばいいわ。クレアなら知ってるから」

「……ロザリーはもういいの?」

「あたしはもう必要ないの。だから、セーラにあげるわ。大切にしてね。これ、ニクスから誕生日プレゼントで貰ったものだから」

「ふーん」


 セーラがよくわからないという顔をして、でも、きらきらする足を見て、にこりと笑って頷いた。


「わかった。もらってあげるわ」


 セーラが微笑んだ。


「ありがとう。ロザリー」


 そして、生意気な目がまたあたしを見る。


「クリスマスカード、忘れないでね」

「ええ。ちゃんと送る」

「返事かく」

「ええ。楽しみにしてるわ」

「ロザリー」


 セーラがあたしに抱きついた。だから、あたしも抱きしめ返す。


「また会える?」

「ええ。いつだって」

「ロザリー、仕事に困ったらうちにきていいわ。わたしのせんぞくメイドにしてあげる」

「……ええ」


 あたしの未来はまだわからない。


「そうね」


 不安定な未来。


「困ったらお願いしようかしら」

「その必要はない」


 クレアがにんまりとして言った。


「お前が金銭で困ったらこの塔の掃除係として雇用してやる。だからわざわざ城下町から離れる必要はない」

「クレアお姉さま、だめ」

「ん?」

「ロザリーは、わたしのメイドになるの」


 セーラがむすっとして、あたしを抱きしめ続ける。


「だからだめ」

「ああ、親戚だからな。好みまで似てくるとは」


 クレアがため息混じりに机から尻を退かせた。


「ランチにしよう。セーラ、おいで」

「うん」

「ロザリー、セーラの心配ならしなくていい。あたくしが送っていく」

「そう。……なら……」


 あたしはセーラの背中をなでた。


「またね。セーラ」

「うん」


 手を離す。お互いの顔が見れる。


「元気でね。ロザリー」

「そっちもね」


 口角をあげれば、セーラが目を潤ませた。あらあら。また抱きしめる。


「セーラ」

「ロザリー……」


 まだ子供だものね。背中をなでる。よっこいせ。持ち上げてあやす。あたしの肩が濡れていく。セーラがすすり泣く。クレアが首を傾げる。


「……どうする? ランチ」

「……三人分お願い。受話器借りるわよ」

「好きにしろ」


 クレアが先にエレベーターに乗った。あたしは椅子に座り、セーラの背中をなでて、あやし続ける。


「セーラ、大丈夫。また会えるから」


 多分、どこかの舞踏会で。


「困ったことがあれば、天使様が導いてくれるわ」


 アンクレットはきらきら光っている。


「大丈夫よ。何もさみしくなんてないんだから」


 しがみつくセーラの体をゆらゆらと揺らして、優しく抱きしめ続ける。



(*'ω'*)




 ――部屋に戻ると、ニクスが宿題をしていた。

 あたしが帰ってきたのを見て、時計を見る。


「ああ、もうこんな時間か」


 ぐっと片腕で伸びをする。しかし、それ以上は伸ばせないらしい。固定された腕が痛むみたいだ。楽な姿勢であたしに振り向く。


「塔でのランチはどうだった?」

「びっくりした。見ないうちにクレア姫とセーラ様の仲が良くなってて」

「ふふっ。そっか。最初はあんなに怖がってたのにね」

「本当よ」


 椅子をニクスの隣に置いて座る。ニクスがあたしを見てくる。あたしはきょとんと瞬きをした。


「ん、何?」

「何か言いたそう」

「ええ。喋りたいことがたくさんある」

「休憩がてら、面白い話をしてくれない?」

「面白い話?」

「うん。テリーの話」

「……」


 あたしはニクスに身を寄せる。


「ニクス」

「うん」

「あのね」

「うん」

「ここだけの話にしてくれる?」

「うん。いいよ」

「あのね?」

「うん」

「……恋人ができたの」

「……テリーに?」


 こくりと頷く。


「わお。驚いた。ペスカ? それともラメール?」

「ニクス、ここだけの話」

「うん」

「……驚くと思う」

「うふふ。うん」

「……クレア」

「え?」


 ニクスがきょとんとした。あたしはこくりと頷いた。ニクスがぽかんとした。そして、こくりと頷いた。


「そっか。クレア姫様」

「うん」

「……テリー、なかなか個性的な人を手玉に取ったね」

「ニクス」

「うん」

「ニクスは覚えてる?」

「……コネッドのこと?」

「……」

「……お父さんが残したのかな」


 ニクスが微笑む。


「紫の魔法使いのことを、忘れてはいけないよって」


 ニクスが手に顎をのせた。


「ね、聞いてもいい?」

「ん?」

「キッドさんって、本当に実在する人なの? 誰かが、キッドさんのふりをしているとかじゃなくてさ」

「……それも、ここだけの話」

「うん」

「クレアはね、双子じゃないのよ。ずっと、王子様のふりをしてたの」

「……」

「……」

「……なるほど」

「うん」

「そういうことか」

「うん」

「だろうね。キッドさん、やけに女の子の世話が上手だと思ったよ。女だったのなら納得」

「……しばらく、一緒に生活してたんだものね」

「うん。一緒に遊んだり、テリーの話したりね」

「……」

「そうだ。用がある時は部屋をノックするようにやけに言われたな。そういうことだったのかな」

「……」

「……これから大変だね」

「うん」

「リトルルビィは何も言ってなかった?」

「……話は、したつもり」

「そっか」

「……ニクス」

「うん」

「あたしのこと、気持ち悪いと思う?」

「ん? どうして?」

「女が女を好きになるなんて、おかしな話じゃない」

「人間が人間を好きになる。何もおかしくないよ」


 ニクスがそっとあたしの手の上に、手を重ねた。


「もし、おかしいなって思ったら、その時はちゃんと言うよ。冷静になって周りを見てみなよってさ。でも、あたしが見てる限り、テリーにそういうのはないよ。だから何も言わないし。……あ」


 ニクスが思い出した。


「でも、ちょっとどうかと思うところはあるかな」

「何が?」

「テリー、なんだか寂しくなってきた。キスしない?」

「……」


 あたしは迷わず瞼を閉じて、唇を前に突き出した。ニクスにでこぴんをされる。


「そういうところ」

「……ニクスがしたいって言ったから……」

「クレア姫様に怒られちゃうよ」

「いいの。ニクスなら許されるわ」

「だめだよ。女の子は感情に流されやすいんだ。だから、クレア姫様を選んだのであれば、それ以外の人には心を揺れ動かないようにね」

「……覚えておく」

「……テリーには言っておこうかな」

「ん?」

「あのね」


 ニクスがあたしに顔を近づけた。


「あたしはね、テリーの幸せを願ってるよ。それは、テリーがあたしの親友であるから」



 そして、



「初恋の相手であるから」



 ニクスがあたしの頬にキスをした。


 あたしは固まる。

 ニクスが離れた。

 あたしは固まる。

 ニクスがあたしを指で押した。

 あたしはだるまのように動いて戻ってくる。

 ニクスが笑った。


「鈍感なんだから」


 あたしは顔を熱くして俯いた。


「気にしないで。もう終わった話。小さい頃の話だから」


 あたしは顔を上げた。


「私も経験したことあるから、テリーが誰を好きになったって、気にしないよって話」


 ニクスがあたしに顔を向けた。


「だから……」


 あたしはニクスの頬にキスをする。


「テリ」


 あたしはまたキスをする。


「ちょ」


 あたしはまたキスをする。


「あのねー」


 あたしは唇を寄せる。


「テリー」


 唇を寄せたところを止められた。


「ふぐっ!」

「あたしが怒られるから」

「……」

「手のひらにキスしない」


 ニクスをじっと見る。見つめる。きらきら見つめる。でも、これはね、ニクス、また違うと思うの。浮気じゃないと思うの。これは友情なの。


「ニクス、あのね、あたしね、口と口を重ねなければ、キスはしていいと思うの。挨拶なんだし」

「しばらくはやめておいたら? リトルルビィが黙ってないんじゃない?」

「ニクス、もう一回して?」

「こら」

「ね、ほっぺに」

「テリー」

「ニクス……」


 あたし達、今日で最後の一日なのよ。


「だめ……?」

「……これ、友達のキスだからね?」

「……うん」

「クレア姫様には秘密ね」

「うん!」

「目、閉じて」


 あたしは迷わず目を閉じる。見えなくなった視界の外で、ニクスがくすっと笑ったのが聞こえた。


 しばらくまっていれば、あたしの頬に、柔らかな唇が触れてきたのだった。



(*'ω'*)



 静かな夜が過ぎ去り日は明ける。

 朝日が昇れば、使用人達の仕事が始まる。

 メイドは身支度を済ませ、宮殿の仕事に勤しむ。

 今朝は特に大変だ。公爵一家が大きな馬車に乗り込んだ。それを、屋根から花を降らせて見送る。その中にはペスカとラメール、トロとロップイの姿もあった。

 並ぶ兵士の中にはきりっとした顔つきの兵士と、その後輩の、ぞっとすることを知らなかった兵士が立っており、見送るミカエロとリリアヌが頭を下げる。メイド達が頭を下げる。アナトラも白鳥のような姿勢で頭を下げた。


 ゴーテル様とグレゴリー様が抱きしめあい、兄弟の絆を確かめ合って、別れを告げる。スノウ様とロゼッタ様がお辞儀をしあい、キッドとリオンも笑顔で見送る。


 セーラとマーガレットが同じ馬車に乗りこんだ。キャロラインを大切に抱いたマーガレットがセーラの足に気付いた。


「セーラ、それ何つけてるの?」

「おまもり」

「きれい」

「ロザリーにもらったの」

「ふーん」

「さわっちゃだめよ。たいせつなものだから」

「見るのはいい?」

「見るのはいいわ」


 金の帽子は輝いている。


「きれい」

「必要がなくなったらマーガレットにあげるわ」

「ほんとー?」

「うん。これね、三回だけ願いが叶うんだって」

「ふーん」

「だから、必要なくなったら、あげる」


 ロザリーがそう言ってたの。


「それまではさわらないで」

「わかった」

「いい子ね」


 セーラがマーガレットの頭を撫でると、馬車が動き出した。立派な馬が進んでいく。花が降る。ここからでは塔が見えない。振り向いても、お探しのメイドがいないことはわかっている。


 でも、この美しい景色だけは眺めておこうと、セーラが窓を見つめた。


 花は満開に降り続く。




 ――ビリーがニクスを待っていた。


『紫の魔法使い』のことがあるので、ニクスの住む町まで送るよう、『上』から命令が出されたようだ。


「ここでお別れだね」


 駅で手を握り合う。


「また手紙書くよ」

「……GPS、返さなきゃよかったのに」

「電気代までお世話になるわけにはいかないからね」


 ふふっと笑って、ニクスがあたしの隣にいるメニーを見た。


「メニー、元気でね」

「ニクスちゃんも」

「ドロシー、風邪引かないようにね」

「にゃあ」


 改めて、あたしを見る。


「テリー」


 手の力が強くなる。


「いつだって君のことを想ってるよ」

「……落ち着いたら連絡して」

「……うん」

「……」

「短かったし、怪我もしちゃったけど、……またテリーといられてよかった」


 ニクスが微笑む。


「また、遊びに来るよ」

「……時間が出来たら、あたしが行く」

「本当? おじさんとおばさん、喜ぶよ。テリーに会いたいって言ってたから。それと、テリーに会わせたい友達がいて……」


 汽笛が鳴った。ビリーが首を動かした。


「ニクス、行こう」

「はい。……じゃあ」


 ニクスが笑顔を見せる。


「元気でね。テリー、メニー」


 ビリーと一緒に汽車に乗り込む。あたしとメニーが窓まで追いかける。ニクスが座席に座って、窓を開けた。ふふっと笑う。汽笛が鳴った。ゆっくりと動き出す。あたしは追いかける。ニクスがまた笑った。汽車が走り出す。あたしも走り出す。ニクスが顔を覗かせた。


 そして、大きく手を振った。


「テリーーーーーーーー!!」


 三年前を再現する。


 あたしは手を振る。汽車が小さくなっていく。どんどん遠くなっていく。ニクスは見えなくなる。遠く、遠く、やがて、消えていく。


 メニーが鞄を持った。秋の風が吹いている。


「お姉ちゃん」


 髪が揺れる。


「帰ろう」


 もうここには用はない。あたしはメニーに振り返った。


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