第13話 ガラスの靴を辿って(3)


 風がふわりと吹いた。


「婚約は破棄よ」

「誰?」

「結婚も無し」

「それ、誰?」

「教えたら殺すでしょう?」

「当たり前だろ」


 キッドが口角を下げた。


「テリーの心は俺のものだ。俺以外に向けるなんて、どうして俺が許せると思うの?」

「でも、結果はそうなった。あたしはキッドを好きじゃない」

「テリー」

「愛してな」

「テリー!」

「……好きな人ができたら諦めるって、あんたが言ったことじゃない」

「……」

「キッド」

「やだ」


 手を握り締められる。


「ねえ、痛い」

「やだ」

「キッド」

「やだ」

「婚約」

「やだ」

「けっこ」

「やだ!」

「は」

「やだ!!」

「あんたね、リトルルビィって呼ぶわよ」

「そんなの認めない」

「認めなくたって、そうなのよ。好きな人いるの」

「嘘だ」

「一目で」

「嘘だ!」

「ねえ、人の話聞いて」

「やだ!!」

「キッド」

「やだ! やだ! 絶対やだ!!」

「ねえ、聞いてって……」


 キッドがあたしを押し倒した。


「っ!」


 顔を寄せてくる。あたしは両手でキッドの唇を塞いだ。


「っ」


 キッドが目を見開き、あたしは拒む。


「……」


 キッドがあたしを見つめる。


「……」


 目が潤んでいく。


「……。……」


 ぼろぼろと、涙が落ちてくる。


「……。……。……。……」


 あたしの顔に落ちてくるが、あたしは手をどけない。キスはもうされたくない。


「……。……。……。……俺が女だから?」


 キッドが眉を下げた。


「俺が女だから、そうやって拒むの?」

「そうじゃなくて」

「じゃあなんだよ」

「あんたが『キッド』だからよ」


 キッドが目を見開いた。


「あたしはキッドが嫌いなの。ずっと言ってるでしょう?」


 キッドの目から、涙が落ちる。

 クレアは好かれるためにキッドを演じる。

 キッドはみんなに愛された。ただ、あたしに愛されないだけ。だから、そんなに泣かなくたっていい。いいじゃない。お前は好かれるんだから。


 あたし以外に愛されるのだから。


「だから結婚はしない。恋愛も、恋も、お前にだけはしない。絶対に」

「誰?」


 キッドが呟いた。


「誰? お前の好きな人」


 キッドの涙が止まった。


「殺す」


 キッドの目に、恨みが宿る。


「幸せになんかさせない。お前の恋が実らないようにしてやる」

「……」

「嫌なら、俺と結婚して? 恋愛して? 恋して? 愛して?」

「……」

「悪いようにしない。本当だよ? 俺はテリーを愛してる。誰よりもずっと愛してる。誰よりもお前を先に見つけて、ずっとお前を守ってきた。お前を守ってきたのはリオンじゃない。ルビィでもない。ソフィアでもない。俺だ。願いを叶えて、お前のわがままも全部聞いてきた。俺が最高の相手だ」

「……」

「ね? だから俺を選んで? ね、キスしよう? キスしたらわかるから」


 あたしはキッドを押した。上半身も一緒に起き上がる。


「しない」


 断言する。


「嫌い」


 はっきり断る。


「好きな人いるの。別れて」

「仕方ないな。じゃあ」


 キッドがあたしの手を大切に握った。


「お前の部屋にお前を閉じ込める」

「あんな部屋に閉じ込めるなんて、なんてこと考えるのよ。お前。それでも人の心があるの?」

「ないよ。テリーを諦めることが親切っていうなら、その親切をすることで、俺の幸せが飛んでいくんだろ? 誰がそんなの許可すると思ってるの?」

「はあ……」

「だったら、閉じ込めて、大切にする。半年も時間をかければ、好きな人の顔だって忘れるさ。俺のことだけしか考えられないようになる」

「キッド」

「逃げられないように手錠もかける」

「ねえ」

「嫌なら結婚して? 俺に恋愛して? 恋して? 愛して?」

「しないっつってんでしょ」

「好きな人って誰? 秘密にするから、俺にだけ教えて?」

「あのね」

「テリー、俺と生きていこう?」

「生きない」

「テリー、そんなの許さない」

「あたしの人生に入ってこないで」

「入る」

「だめ」

「お願い」

「だめ」

「テリー」

「キッド」

「連れてきて。好きな人。俺の前に連れてきて、本当に上手くいくなら諦めるから」

「上手くいくかなんて知らないわ。先の未来のことまではわからないもの」

「じゃあ俺を選ぶべきだ」

「まだ告白もしてないし」

「だったら俺を選ぶべきだ」

「また会えるかもわからないし」

「会えるかわからない? 何それ。そいつがいる場所も知らないの?」

「そうよ。住んでるところも知らないの」

「連れてこい」

「無理」

「連れて来ないと、婚約は解消しない。結婚もだ」

「知ってたら、あたしは飛んで行ってるわ」

「テリー、嘘ついてるんだろ? 俺との結婚が嫌だから」

「嘘じゃない」

「好きな人なんていないんだろ?」

「いる」

「じゃあ連れてきなよ。俺の目の前に」

「……」

「……」

「それで諦める?」

「うん」

「殺さない?」

「約束はできない」

「わかった」


 あたしは深呼吸して――目の前にいる姫を見た。


「クレア」


 スイッチが切り替わった。


「キッドとの結婚どう思う?」

「うん。お前は間違えていないと思う。全力で拒め。でないと、キッドは諦めないからな」

「そうよね」

「よくやった。ついでに大嫌いとでも言ってやれ。キッドめ、泣きべそかいて情けない顔をするがいい」

「あなたはあたしの好きな人を殺さない?」

「あたくしが知ればキッドが知る。教えない方がいいぞ」

「ね、本当に二重人格じゃないの?」

「残念ながら、切り替えてるだけだ。役者はみんなそうだ。舞台の上と、現実ではまるで性格が変わる。あたくしはクレアで、ただキッドを演じているだけ。演じている間は性格も変わる。好みも気持ちもな」

「だったら、その上で、クレア、訊いてもいい?」

「ああ」

「あなたは、あたしがキッドと結婚できなくてもいいの?」

「お前を愛しているのはキッドの気持ちだ。あたくしの気持ちではないから、どうでもいい」

「そう」

「それで? 好きな人は連れてくるのか?」

「クレア」

「うん」

「どうしたらいいと思う?」

「嫌なら断ればいい」


 クレアが本気で言い切った。


「好きな者の住んでる場所も知らないなら、連れてこれるはずもない。ならば、また変な交渉をしてくる前に、はっきり断ってしまえ」

「あなたはいいの?」

「これはキッドとお前の問題だろう? あたくしを巻き込むな。まあ、キッドとお前の結婚が破談になれば、キッドはしばらく塞ぎこむことだろう。しかし、そうなればあたくしはすがすがしい気分だ。キッドが落ち込む姿も、また舞台じんせいの一興」

「変なの」

「これがあたくしだ」

「そうよね。あんたは会った時から変だった」

「一流の役者と言ってほしいな」


 強い風が吹いた。正面にいるクレアは、あたしの手よりも、ロザリー人形を選ぶ。キッドが置いたロザリー人形を抱き上げ、優しく頭をなでて抱きしめる。その姿は、紛れもない一人のお姫様の姿。クリスタルのように輝く髪の毛が風で揺れる。


 クレアがロザリー人形に微笑む。

 クレアの目が髪の毛で隠れた。

 あたしはそれを見て、――あれ、と思った。

 クレアが髪の毛を耳にかけた。


「ああ、風が強いな。そろそろ寒くなってくるぞ。秋が近づいてる」

「……クレア」

「なんだ?」

「ずっと解けなかった謎があるのよ」

「あたくしが出した唄か? 答えがわからずとも、ヒントなんて出してやらん。それはお前が考えることだ」

「そうじゃない」

「ではなんだ?」

「二年前の仮面舞踏会での話」

「ああ、楽しそうだったな。キッドがめかしこんでた」

「タナトスの舞踏会で、あたしの髪飾りを直してくれた方がいるの」


 それは、まるでクリスタルのように美しい少女だった。顔が隠れて、一部しか見えなかったけど、だけど、とても美しかった。


 確認したいの。


「あれは、あなた?」

「よく覚えていたな。答えよう。その通り。あれはあたくしだ。お前の髪飾りを直してやった。あたくしは最強の囮として、パストリルと出くわすはずだった」

「だけどあたしがいた」

「急遽、クレアからキッドにスイッチが切り替わってな。作戦が変更された」

「なるほど。それで、……結果、あたしがパストリルと踊ってしまったのね」

「そういうこと。キッドが怒ってたぞ? たまにはダンスの相手くらいしてやったらどうだ?」

「クレア」

「ん?」

「見つけた」

「何を?」

「会えると思ってなかった」

「誰に?」

「あなたに」



 初めて見た瞬間に、心が揺れた。


 困惑こんわく当惑とうわく動揺どうよう混乱こんらん狼狽ろうばい精神せいしん乱雑らんざつ混沌こんとん警戒けいかい敬愛けいあい尊敬そんけい


 あたしは考える。


 考えると、答えが出てくる。


 あたしの頭から、ずっと離れなかったその少女を。




 目の前に、彼女がいる。




「会いたかった」



「ずっと、会いたかった」



 彼女の頬に手を添える。




「やっと会えた」





「クレア」









「あなたがすき」












 クレアが固まった。キッドも固まった。


「一目惚れなの」


 仮面舞踏会で、出会ってしまった。その青い瞳と。

 見た瞬間、目を奪われた。

 鼓動が速くなった。

 あの廊下で別れてしまって後悔したの。

 一緒にホールに行けばよかったって思ったの。

 でも、それどころじゃなかったし。

 でも、忘れられなかった。


 ずっと、残って消えなかった。




 光り輝くあなたに、会いたかった。




「すき」


 真っ直ぐ見つめる。


「すき」


 クレアを、見つめる。


「あなたを愛する人がいないのなら、あたしが愛するわ」


 姫君の手を握り締める。


「こんな気持ち、初めてなの」


 鼓動が速い。だって、やっと会えたのだから。


「あなたを知りたい。あなたと関わりたい。あなたと仲良くなりたい」


 やっと握れたこの手を離したくない。


「見つけたわ。クレア」


 あたしの想い人。


「すきなの。だから」


 あたしの目が据わった。


「あたしに愛を捧げなさい。恋人になりなさい」


 クレアが瞬きする。キッドも瞬きする。


「あなた、同性愛に偏見はないって言ってたわよね?」

「あたしは女よ。あなたも女」

「でも忘れられなかった」

「あなたを見るとね、あたしの心が激しく揺れ動くの」

「こんなに近くにいたのに、気付かなかったあたしが恥ずかしいわ。それについてはごめんなさい。謝ってあげる」

「謝ったから許してくれたわね?」

「じゃ、改めて言うわ」

「クレア、すき。あなたしか見えない」

「愛に飢えてるなら、あたしが埋め尽くすわ」

「それくらい好きなの」

「だからなれ」

「恋人になれ」

「悪いようにはしないから」



 クレア。



「なんで何も言わないの?」


 クレアが真っ赤な顔で固まる。キッドが真っ青な顔で固まる。一つの体の頭の中で、キッドとクレアが向かい合った。


「クレア、断れ」

「待て」

「断れ」

「待てってば」

「ことわ……」

「待てと言ってるだろう!?」

「お前にとってテリーはお友達なんだろ!? 断れ!!」

「だ! だから! 冷静になろうとしているのではないか! あ、あの、あのぶきっちょ無愛想ロザリーが、あ、あ、あたくしに、愛の、大告白を!!」

「断れ! さっさと断れ!」

「ろ、ロザリーが、あ、あたくしに、こんな、熱い告白をしてくるなんて……!」

「いいか! お前は女だ! そして、テリーも女だ!」

「それはお前もそうではないか! キッド!」

「俺は王子様だ! そしてお前は、姫だ!!」

「あたくしは、確かにそういうのに偏見はない……。ミスター・ゲイが男を好きというように、女を好きという女がいたところで何とも思わん。……だけど、自分に関係してくるとなると、あの、あの……」

「よし、クレア、ここは一丁断ろう! そしてテリーは、俺と結婚する! 俺と恋をして、俺を愛して、クレアではなく、俺を見つめることになる! だからお前は無理に相手を決めて結婚なんかしなくて済むんだ。大丈夫。あとは俺が全部上手く演じて……」

「クレア」


 あたしがクレアを呼ぶと、『クレア』がはっとした。


「返事は?」

「え?」

「返事は?」

「えっ」

「あたしのこと、どう思ってる?」

「……いや、あの……」

「返事は?」

「……ロザリー、しばし待て」


 クレアがキッドと向かい合った。しかし、あたしが止めた。


「クレア」

「えっ」


 キッドではなく、あたしに向き合わせた。


「あなたに聞いてるの。キッドじゃなく、クレアによ」

「えっ」

「あなたの気持ちはどうなの?」

「あの」

「嫌い?」

「嫌いじゃ……」

「キッドを演じているあなたは、あたしを愛してると言った」

「それは、そういう役だから……」

「あたしはキッドじゃなくて、あなたが好きよ」

「あの」

「クレアを愛してるの」

「えっと」

「愛してるのよ。クレア」

「えっと」

「キッドじゃなくて、クレアといたいの」

「あの」

「クレアの側にいたい」

「えっと」

「クレアを見つめてたい」

「……えっと」

「あなたは、まるでクリスタルのように美しい」


 クレアの瞳があたしを見た。あたしは、――見つめられて、胸が、きゅんと鳴ってしまった。ほら、これが証拠よ。あたしの心を揺れ動かすのは、たった一人。


目の前のお姫様だけ。


「……だめ?」


 眉を下げる。


「あなたを、好きになっちゃ、だめ……?」


 その瞬間、クレアが覚醒し、銃でキッドを撃った。キッドが剣を抜いた。お前、とうとう俺を裏切ったか! キッドが剣で銃弾を跳ね返した隙に、クレアがキッドの足を踏んだ。いてっ! おまけに蹴った。痛い! クレアがマシンガンで撃ちまくった。クレア! お前ぇええええ!! あたくしの攻撃から逃げられぬお前など、ロザリーを嫁にする資格はない。黙って見ていろ。ついでにお前の気持ちのこのテリーの部分、あたくしが貰い受ける! あ、お前! この、ばか!!


 クレアがようやくあたしを見つめた。


「あ、あの……」


 顔を真っ赤にさせたクレアが目をそらした。


「あたくしは、女だ。わかって、いるな?」

「ええ」

「あたくしは、魔力を、もって、いる」

「ええ」

「あたくしは、いじわるだ」

「ええ」

「あたくしはお姫様だ」

「ええ」

「あたくしは、一日の九割くらいは、王子様を演じる」

「知ってる」

「……」


 クレアがあたしの顔を覗きこんだ。


「それでもいい?」

「いいなら、側においてくれる?」

「……そうだな……」


 クレアが目をそらす。


「お前が、まあ、それで、いいなら……その……」


 クレアが突然、堂々と胸を張った。


「あたくしの側に、いることを、許可してやってもいいぞ!!!!!!!」


 クレアの耳が赤く染まっている。


「そ、そもそも、キッドが愛しているということは、心のどこかでは、あたくしもお前を愛しているということだ!! 願ったり叶ったりだ!!! よかったな!!! ロザリー!!! あはははははははははははははははは!!!」


 堂々としていた姫が、まるで恋に目覚めた少女のように、また小さくなって、俯いた。


「……本当に、あたくしでいいのか? キッドじゃなくて……」

「あたし、あいつ嫌いなのよ」


 道理で嘘っぽいと思った。道理で好きになっちゃいけないと思った。道理で好きになっちゃいけないはずなのに、ときめくと思った。


 キッドの中にいたクレアにときめいていたんだわ。


「クレア」


 手をそっと握り締めると、クレアが固くなった。


「愛してるわ。あたしのクリスタル」

「……クリスタル、か」


 クレアが微妙に頬を緩ませた。


「悪くない、ひびきだ」


 クレアがまた俯く。


「あたくしを、口説くなんて、お前が、初めてだ」


 クレアが頬を赤くさせる。


「ちゃんと責任を取るんだぞ。途中で飽きたとか言ったら、迷わず殺してやるからな」

「未来のことまではわからないわ。ただ……」


 会いたかった人に会えて、今しかチャンスがないと思ったから。


「後悔するなら、言葉にしてから後悔しろって言ったのは、クレアでしょ」

「だ、だって、だって……」


 クレアがロザリー人形を抱えたまま、あたしの胸に顔を埋めた。


「……なんだか、おかしな気分だ……」


 クレアの中のキッドは歓喜して狂喜して暴れまわっている。


「だって、ずっと、あたくしはキッドだったから……」


 王子様はお姫様を口説くもの。それを演じていた。自分を隠して。ならば、それを脱いで、姫に戻った時、どの顔で口説きの言葉を吐けば良いのだろうか。


「わからない」


 クレアが耳まで赤く染まり、俯いた。


「いい。考えるのはやめる。頭がおかしくなってしまう」


 クレアの頭は噴火寸前だ。


「すごく、変な気分だ……」


 胸がどきどき鳴って、この匂いに安心している『キッド』がいる。


「ふつつか、者ですが……」


 クレアが小さく呟いた。


「よろしくお願いします……」

「ん。良かった」


 クレアの背中をなでる。……あったかい。


「クレア、……なんか、……純粋に嬉しい」

「……」

「……キッド」


 スイッチが切り替わる。


「そういうわけよ。悪いわね」

「……もういい」


 キッドがあたしを抱きしめる。


「もう、何でもいい……」


 クレアのスイッチが故障してきた。


「テリーがいれば、もう、もう、……なんか、……どうでもいい……」


 キッドを演じていたクレアが、あたしを抱きしめる。あたしも、彼女を抱きしめ返す。まさかここにきて、会えるとは思ってなかった。あの美しい少女がクレアだったとは思ってなかった。今まで、キッドの中にいたクレアにときめいていたなんて、気付かなかった。


(……あたし、……女、いけたのね……)


 あ、そうだ。


「クレア」

「ん……」

「これ、あんたの?」


 ガラスの靴を見せると、クレアが、これ知ってる! という顔をした。


「……どこにあった?」

「あたしの部屋」

「……ああ、お前の部屋だったか。そうだ。見舞いに行ったリオンを迎えに行ったついでにイタズラを仕掛けて、脱いだんだった。どこに行ったのかと思った」

「……履ける?」


 ガラスの靴を差し出せば、クレアの足にぴったりとはまった。


「当然だ。あたくしのなんだから」

「……ええ」


 その足を見つめる。


「だと思った」

「……ロザリー、ご飯食べたか?」

「これを届けたらニクスと食べるつもりだった」

「おい、……もう、戻るのか?」

「……ご飯はニクスと食べるわ。セーラのことも、部屋に送らないと」

「……あたくし達は、恋人になったばかりなんだぞ……?」

「ん?」

「……ニクスの話を、するな……」

「……お姫様は器が大きいから、ヤキモチなんて妬かないんでしょ?」


 クレアに鋭く睨まれ、あたしは静かに頷いた。


「……なるべく、しないようにする……」

「……よろしい」

「……セーラは、どうしてる?」

「……昼寝してる。……わざわざヴァイオリンを聴かせてにきてくれてな」

「……いい音色だったでしょう?」

「ああ。すごくいい音色だった」


 クレアがあたしの肩に頭を乗せた。


「テリー」

「ん?」

「お前のヴァイオリンも聴きたい。また、時間のある時に」


 優しい風があたし達を包む。


「今度、弾いてくれるか?」

「……考えておくわ」

「今年のハロウィン祭でも構わないぞ」

「どうせキッドになるんでしょ。いや」

「……去年みたいに、回ろう? 二人で」

「……考えておくわ」


 クレアの手の上に、自分の手を重ねると、クレアの指がぴくりと動いて、指を絡めてきた。あたしとクレアの指が絡まる。


(……なんか)


 なんというか、


(あまり、感じたことのない気持ち)


 胸が、温かくなる感じ。……たぶん、たぶんだけど、


(これが、幸せな気持ちっていうんじゃないかしら)


 わからないけど、何となく、あたしはそう感じた。クレアが側にいる。それが、すごく、なんだか、――嬉しくて、……安心した。



















































 花の園。そこに、リオンが立った。


「ありがとう。僕を城に帰してくれて。中毒者の罠にはまって、みんなはぐれて、僕はラプンツェルの毒に犯されていて、あのままだったら道中で倒れて、母上は死んでた。君が僕を塔の前まで呼び寄せてくれたから、なんとか間に合ったよ。ルートの怪我も、小さいもので済んだ」


 花が根っこから抜かれていく。


「せめてその恩を返そうと思って、君のやったことを黙っておいたけど……」


 どんどん花が抜かれていく。


「ねえ、君は祈ってたはずだ。テリーが幸せになれるようにと」


 花が抜かれていく。


「いいじゃないか。これでよかったんだ。なんだか、テリーの顔がすっきりしてた。自分なりに自分の気持ちを整理できたんじゃないか?」


 花を投げられた。服が汚れた。


「……花に八つ当たりするなよ」


 花がまた引っこ抜かれた。


「どうするんだよ。そんなに抜いて。庭師が見たら驚くぞ」


 花が踏まれた。


「なあ」


 花が千切れた。


「おい」


 花が抜かれた。


「メニー」

「話が違う」


 鋭い目がリオンを睨んだ。


「テリーは私を愛してた。あなたの姉じゃなくて、私だけを愛してた」

「でも、これは彼女の選択だ。テリーがクレアを選んだ」

「違う」

「メニー」

「違う」

「メニー!」

「テリーは気付いてくれる」


 少女が引っこ抜いた花達を見た。


「私に気付いたら、すぐに私の元に来てくれる」


 それまでいいよ。


「『小さな浮気』くらい、目を瞑ってあげる」


 花の園はなくなった。彼女によって、破壊された。


「しばらく、時間をあげるね。テリー」


 リオンがため息を吐いて呟く。勘弁してくれ。

 引っこ抜かれた花。土だらけの手には、血も混じっていた。

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