第3話 からくりの裏側(2)



 あたしは馬乗りしてそいつを見下ろす。


 幻覚なんじゃないかと疑って、おそるおそる触れてみれば、確認できる。

 確かにいる。

 その存在は、確かにこの世界で生きている。


 顔に触れたら、くすくす笑った。

 くすぐったい笑い声に、また触れた。


 青い目が向けられる。手を伸ばしてきた。


 優しく、頬に触れてきた。だから、もっと感じたくて、その存在が生きていることを認識したくて、あたしはもっと触れてみた。


「テリー」


 あたしは溶けていく。気持ちよくて、とろとろにとろけていく。


「まだ、だめ」


 だめと言われても、あたしは気持ちよくなってしまう。あたたかくて、頭がぼうっとして、意識を手放してしまいそうになる。それでも、その手がだめだと、あたしの肌に触れる。


「あっ」


 ぴくりと体を揺らせば、唇を塞がれる。


(あっ)


 舌が絡められる。


 ――はあ。


 呼吸の音が耳に残る。


 ――はあ。


 ひどく優しい手が触れてくる。


 ――はあ。


 荒々しい呼吸が耳に入る。


 ――はあ。


 胸を揉んでくる。


 ――はあ。


 優しい手。


 ――はあ。


 あたたかい。


「キッド」

「もっと呼んで」

「キッド」

「もっと」

「キッド」

「くくっ。テリー」

「キッド」

「ほら、こっち見て」


 顔を向ければ、唇を塞がれる。また、くっついて、離れて、くっついて、舌が絡みついて、


「はぁっ……」

「テリー、集中して」


 唇が重なる。


「キッド」

「悪夢なんて忘れて」


 気持ちいい。


「キッド……」

「俺がいるから大丈夫」


 とろける。


「俺だけを見て」


 独占したがりな青い目があたしを腕の中に閉じ込める。


「テリー」

「リオンなんて見るな」

「メニーなんて見なくていい」

「リトルルビィも」

「ソフィアも」

「お前は」

「俺だけを」


 青い目があたしを捕まえる。


「俺だけを……」


 唇が触れ合う。

 なんて傲慢な青い目なのかしら。

 なんて俺様な手付きなのかしら。

 でも、その手は決してあたしを傷つけない。


「テリー」


 優しく引っ張られて、強く抱きしめられて、このままじゃ潰れてしまう。


「……いた、い……」

「……痛い?」


 言えば、すぐに力を弱めた。


「痛いのは、ここ?」

「あっ」

「テリー、きもちいい?」

「わかんな……」

「テリー、これは俺の手だよ。お前のここに触れてる」

「まっ、あっ……」

「俺の指がわかる?」

「あっ、……あっ……」


 呼吸が乱れる。体が熱くなる。キッドがあたしに触れてくる。生きてる。だからあたしは彼に触れる。生きてる。確かに生きてる。


「テリー、怖くないよ」


 キッドの指が触れてくる。あたしの肩がびくりとこわばる。


「力抜いて」


 キッドを感じる。

 キッドは生きてる。

 キッドは死んでない。

 あたしを守って死んでない。

 あたしは彼に囚われることはない。

 だって彼は生きているのだもの。

 ここは彼がいなかった世界じゃない。

 あたしは彼を助けた。

 だから何も悪くない。


「あたしが殺したのよ」


 鏡の向こうで、あたしがあたしを睨んでいる。


「あたしが殺したくせに」


 あたしは彼を抱きしめる。生きてる。


「殺したくせに、なかったことにするのね」


 抱きしめてた体が冷たくなった。ハッとして見上げる。


「俺」


 血だらけの青い目が、あたしを見た。


「死んじゃうのか」


 笑みを浮かべて、


「王様になってないのに」


 青い目が充血していく。


「まだ、死ねないよ」


 腹部が血で染まっていく。


 キッドは走った。


 あたしをかばった。


 そして、死んだ。


 なかったことにはできない。


 死んだらそれまで。


 そこでその人の人生は終わる。


 別の世界には行かない。


 本の中に転生なんてしない。


 死んだらそれまで。


 なかったことにはできない。


 キッドは死んだ。


 最後の時まで、あたしの目を見て、死んでいった。


 なかったことには、できない。



(*'ω'*)



 ――ぎゅ、と、掴んだ。


 ……この感触は、ドレスだ。


(……あまい、においが、する……)


 あたしの頭が起きている。けれど、瞼が上げられない。目を開けたくないの。あたしは、わがままな小さな女の子に戻った気がした。


 だって、こんなにもあたたかい手で包まれてるから。


(……この手は、ばあばだわ……)


 膝の上に抱っこされて、背中をとんとんされて、優しく、優しく、椅子が揺れる。ゆりかごみたいに、ゆらゆら、ふらふら。


(ばあば)


 あたしはとても安心した。ばあばはあたしを守ってくれる。シワシワの手であたしを優しくなでてくれるの。


(ばあば)


 頭を撫でられた。あ、気持ちいい。

 背中をまた撫でられた。えへへ。気持ちいい。


「……ばあば……」


 呟くと、手が止まった。そして、またあたしの背中を撫で始める。


(ばあばの手、あったかい……)


 もっと、もっとと思って、すり寄る。


(ばあば、あたし、怖い夢を見たの。だから、慰めて?)


 あ、ばあばったら、わかった。この甘い匂い、シャンプーの匂いでしょ。あたし、わかってるんだから。いいな。あたしも真似したい。ばあば、今日は一緒にお風呂に入ろう? いいでしょう? あたしはばあばのドレスを掴んで、ぎゅっと抱きついた。ばあばの手が、とても優しくなる。


(気持ちいい……)


 撫でてくる手に頬が緩む。


(ばあば)


 ゆっくりと目を開けた。



 ――目の前にクレアがいた。



 透き通る青い目と目が合う。

 あたしの眉間にしわができた。

 クレアが眉を下げた。


「あたくしはまだ18だ」

「……何してるの」


 クレアがにんまりと笑った。椅子に座るお姫様の上に乗るあたし。椅子はゆらゆら揺れている。


「……何よ。これ」

「なんだ。ロザリーちゃん、何が起きたか覚えてないの?」

「……」


 あたしははっとして、クレアの顔を見た。


「壁から落ちて下水道に亀がいた!」

「冷静にちゃんと説明しろ。とんちんかんなことを言ったら撃つ。何があった?」

「ここは? リトルルビィは? コネッドは?」

「あたくしの質問が先だ」

「無事なの?」

「ああ」

「……そう」

「おい、あたくしの質問に答えろ。何度も言わすな」

「……コネッドと掃除してたら、いきなり、壁が動いたのよ。危ないと思ってコネッドを引っ張ろうとしたら、あたしも巻き込まれたの。それで、二人でそのまま落ちて、下水道」

「それで?」

「とりあえず外に出ようって言って、上を目指した。鍵付きのエレベーターは使えなかったから階段を上ったわ。で、部屋に入ろうとして、コネッドが先に入ったのよ。あたしが入ろうとしたら、急に扉が閉まって、……それで、どうしても開かなくて、……たまたま部屋の奥に階段があって、……コネッドが、人がいたら呼んでくるから待っててって言って、先に行った。だから、……戻ってくるまで待ってたのよ。一人で。本当、心細かったわ。あたし可哀想。よく耐えたわよ。……でもね、そしたら、コネッドのいたはずの部屋に、亀みたいな奴が現れて、急に襲ってきたのよ」

「どんなふうに?」

「爪で、こう、ばーんって!」

「その時、お前は?」

「逃げるに決まってるでしょ」

「そうか。で、どうなった」

「逃げたわよ。それはそれは必死に逃げたけど、でも、そいつ追いかけてきたの」

「それでも諦めずに逃げたと?」

「クレア」


 あたしはじっとクレアを見る。


「あんた、あたしに何かしたでしょう?」

「んー?」

「とぼけないで」

「そう睨むな。そろそろ効果が切れると思うぞ。よかったな。切れる前で」

「……あたしの足が速くなった」

「その通り。足に魔力を注いでおいた。お前は亀みたいに遅いから。少しでも早く行動できるように」


 クレアがあたしの足を叩いた。


「運が良かったな。あたくしの魔力を注いでなければ、野うさぎのお前は今頃、亀の胃の中だ」

「ええ。本当に運が良かったわ。もしもあの時、人がいなければ、リトルルビィは来てくれなかったし、階段が無ければ、あたしよりも先にコネッドが襲われてた可能性だってある」

「今、下水道を詳しく調査してもらっている」

「ニクスの書類を見せてもらった時に、下水道は調査済みって書いてあったのよ。ちゃんと調べてから書くようあなたから言っておいて」

「あたくしに怒ってもしょうがないだろ」

「怒って当然でしょ。あの宮殿どうなってるのよ。そもそもなんであんな仕掛けがあるのよ。うちの屋敷にも非常口の仕掛けや裏口経路はあるけど、まさか、廊下の壁だなんて。誰も気づかないわよ。しかも、あそこ、ニクスとマーガレット様がいなくなったところじゃない」

「ああ。おそらく、あの壁の裏に滑ったんだろうな」

「カメラの位置を変えておきなさい! 監視カメラで見落とすなんて、チェックが甘いのよ! おかげで死ぬところだったわ! 恐怖という記憶が埋め込まれたわ! 人はそれをなんと呼ぶか知ってる? ……トラウマよ!!」

「だから、こうしてるんじゃないか」

「……」


 クレアがあたしを抱っこしながら椅子を揺らす。ゆらゆら。


「……何よ」

「お前が、すごく怖がってたから」


 ゆらゆら。


「周りが見えないほど怯えて、その隙をつかれて、吸血鬼に血を飲まれていたから、あたくしが直々にケアをしてあげている。お友達だからな」


 ゆらゆら。


「……リトルルビィに? なんで?」

「毒味とか言ってたな」

「……毒味?」

「中毒者に毒でも植え付けられてないか、飲んで確認してた」

「まあ。そんなことを? ……ああ、リトルルビィ、あの子はなんていい子なのかしら」

「は?」


 ゆらゆら。


「お前、血を飲まれて嬉しかったのか?」

「スノウ様のことがあったから、あたしに毒がないか診てくれたんでしょう? いい子じゃない」

「おい、血を飲まれてたお前の真似をしてやろうか? あん。るびぃ、きもちー! いやーん!」

「は?」


 ゆらゆら。


「何よ。それ」

「お前の真似だ」

「は?」

「エッチな声を出してたぞ。相手は女の子なのに。やらしい。破廉恥な奴」

「あたし、そんなふうに喘がない」

「いいや、喘いでた」


 ゆらゆら。


「ねえ、その言い方何とかできないの?」

「なんだ? 痛いところを突かれて恥ずかしくなったか?」

「痛いところも何も、そんなことしてない」

「いや、してた」

「してない」

「してた」

「してないってば」


 ゆらゆらゆらゆら。


「自分のしてたことを認めないとは、どういうことだ? 喘いでたのをあたくしが聞いたと言ってるんだぞ」

「ねえ、どうして意地悪なこと言うのよ」

「意地悪じゃない。お前が吸血鬼に血を飲ませて、気持ちよさそうに恥ずかしいエッチな声で喘いだ事実を述べたまでだ」

「リトルルビィは毒がないか診てくれただけでしょう? あたしも喘いでない」

「喘いでた」

「ねえ、人の話聞いて」

「いやーん。るびぃー。おやめになってー。あーれー!」

「クレア、怒るわよ」


 ゆらゆらゆらゆら。


「怒るのか? あたくしに? いいとも。許可しよう。そら、怒ってみろ」

「リトルルビィをネタにしないで」

「ネタにしてるのはお前だ。お前が喘いでたからその真似をしてるんだ」

「喘いだ記憶なんてない」

「スケベな顔をしてた」

「してない」

「してた」

「クレア」

「女好き」

「ねえ、あたしが何したのよ。なんで目が覚めて早々にあなたに喧嘩売られないといけないわけ?」

「喧嘩なんか売ってない」

「売ってるじゃない。ムカつくのよ。そういうところ」

「ムカつくのはお前だ」

「なんでよ」

「お前はあたくしのメイドだろ。なのに、キッドの右腕に血を飲まれるなんて、何を考えているんだ」

「だから、ねえ、会話ができないのかしら? お姫様。言ってるでしょう? リトルルビィは、毒がないか診てくれ……」

「お前が拒めばよかったんだ。大丈夫って一言言えばよかったのに言わなかった。血を飲ませたかったんだ。すけべ。えっち。喘ぎ女」

「だからっ!」

「うるさい! 怒鳴るな!」

「なんでそんなに機嫌悪いのよ! むかつくのよ!」


 椅子が大きく揺れた。


「はへっ」


 あたしの体が背中から倒れていく。


「ひゃっ!」

「っ」


 クレアがあたしの体を強く抱きしめて、背もたれに体重を乗せた。また椅子がゆらゆら揺れる。あたしはクレアにしがみつき、クレアがあたしに腕を巻きつけ、息を吐いた。


「「……」」


 お互いが黙り、抱きしめ合う。椅子はゆらゆら揺れている。


「……クレア」

「……」

「あたし、喘いでないわよね?」

「……少し、聞こえた」

「いやーん、なんて言った?」

「……聞こえた気がする……」

「言ってないことを言ったって言わないの。あんたいくつよ」

「……18」

「あたしは15よ。ね、年下を虐めない。意地悪しない。わかった?」

「……血を飲ませてた」

「あのね」

「飲ませてた」


 クレアがむすっと頬を膨らませた。


「……なんで拗ねてるのよ」

「……知らない」

「ねえ」

「ロザリーなんて知らない」

「なんで怒ってるのよ」

「知らないから」

「クレア」

「毒が入ってるかどうかなんて、魔力でわかる。入ってなかったのに、お前はリトルルビィに血を飲ませたんだ。お前は誰のものだ。今一度確認しろ! 愚か者!」

「……」

「言ってみろ!」


 クレアがあたしを睨んだ。


「お前は誰のものだ!」

「あたしのものよ」

「このど阿呆!」


 クレアがあたしを抱きしめた。むぎゅっ。


「わざわざあたくしがお前をあたくしのメイドにしてやったのに、なんて言い草だ! 恥を知れ!!」

「……あたしはあたしのものよ」

「違う! お前はあたくしのものだ! だからあたくしの許可なしに、血を吸わせてはいけなかったんだ!」


(あー、出た出た。また、これよ)


 あたしは舌打ちをしてクレアの背中を叩いた。


「あのね、人の行動を制限しないでくれる? あたしにも人権ってものがあるのよ」

「知るか! そんなものは、あたくしのものだ!」

「いや、人権は人それぞれのものよ」

「嫌い! お前なんか大嫌い!」

「ああ、そう! じゃあ、離れるわよ! これでいいんでしょう!?」

「いや!!」

「放しなさいよ! 嫌いなんでしょう!?」

「いや!!!」

「クレア!!!」


 クレアがあたしを抱っこする力を強めた。


「嫌い!!!!」

「あ、そう!!」


 静寂が部屋に入ってきた。あたし達に、沈黙が訪ねてくる。あたしは黙る。クレアも黙る。


「……」


 静寂が言った。そろそろ声を出せば? 静寂が出て行った。沈黙は少しだけ残った。


「……」


 沈黙があたしの肩を叩いた。あたしはため息を吐き、ようやく声を出して呼んだ。


「クレア」


 頬を膨らませて、ぷーーーーっと怒ってるクレアの背中を撫でる。


「仲良くなったお友達が誰かと仲良くしてると、ヤキモチ妬くわよね」

「……ヤキモチなんて妬いてない」

「……あたしの悩み、聞いてくれる?」

「……悩み? お前、悩みだらけだな」

「ニクスがね、誰かと仲良くしてるのが嫌なの。あの子に彼氏ができると思うと、もう、イライラが止まらなくて」

「おい、束縛は良くないぞ」

「どの口が言ってるのよ。……あんたの言うとおりよ。このままじゃニクスを束縛してしまいそう。それって、お互い良くないと思う。頭ではわかってる。でも、イライラするの」


 クレアの顔を覗き込む。もう、頬は膨れてない。


「どうしたら、ヤキモチはなくなると思う?」

「まずはお互いの理解を深めること」

「どうやって?」

「言葉で話して。手紙でもいいし、交換日記でもいい。言葉に残すんだ。誰が誰に何をしてそうした結果、自分はこれがこう思ったと、相手にどう思ったか話すんだ。そして、相手からの理解を得る。理解を得た相手は、その対応策を一緒に考える。もしもニクスが、ヤキモチなんて妬く必要ないよ。なんて、鈍感にも甚だしいことを言ったら縁を切れ。真剣にそのことについて考えて悩むのが友達だ。軽い言葉で解決したら悩みにはなってない。お前は悩んでる。そうだな?」

「……ええ」

「イライラしたらニクスを抱きしめろ。手を握るのでもいい。そして、本人に言え。イライラしてるの。だから構ってって」

「それ、うざいと思われない?」

「毎回やってたらうっとおしいだろうな」

「でしょうね。わかってる。……そんなことしたら、嫌われる」

「理解を得てもイライラしたら、誰かに吐け。お前には他にも友達がいるだろ」

「……」

「なぜカウンセリングというものが存在すると思う? 話してる間に、頭の中の気持ちを整理することができるからだ」

「……わざわざカウンセリングに行くの?」

「嫌なら」


 クレアが微笑んだ。


「あたくしが聞いてやる」


 何も解決しないけど。


「お前の感じた気持ちの話を、聞くだけならできる」


 お姫様は、国民の話を聞いてくれるものだ。


「あたくしがゴミ箱になってやる」

「……ここから出たら、あなたを忘れないといけないんじゃない?」

「キッドの住んでる家に行って、じっとキッドを観察してみろ。帽子で髪の毛を隠してるあたくしがいるかもしれないぞ?」

「わざわざ来てくれるの?」

「お前が必要とするならば」

「……ね、教えて。あなたはどうやってヤキモチをなくすの?」

「あたくしはヤキモチなんか妬かない」

「今怒ってたじゃない。あたしがリトルルビィと仲がいいから、イライラしたんじゃないの?」

「ばかな。あたくしはそんな愚かなことをしない」


 クレアの機嫌はどこかで治ったようだ。


「あたくしは、ヤキモチなんか妬かない。心が広くて美しいからな」

「……」

「お前もあたくしのように寛大になることだな。わかったかい? ロザリーちゃん」

「……」

「……言ったことをやってみろ」

「……ニクスに話すの?」

「友達なら話せるだろう?」

「あのね、大切な友達に醜いところをさらけ出すのって、とても勇気がいるのよ。嫌われたらどうしようって恐怖と隣り合わせなんだから」

「ならば、お前とニクスの友情はその程度ってことだ。分かり合うのは早々に諦めろ」

「……」

「……聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と言うだろう? 聞かないで後悔するくらいなら、声に出して後悔しろ」

「……でも、クレア」

「ん」

「あたしは、ニクスに嫌われたくない」

「それで揺らぐ友情ではないだろ?」


 クレアがあたしの背中を撫でた。


「ヤキモチを妬くくらい仲良しな友達がいるなんて、幸せなことじゃないか」

「……」

「振られたらあたくしが慰めてやる。またこうして抱っこしてやっていいぞ」

「……これは遠慮しておく。でも、……そうね」


 あたしは大人しくクレアに身をゆだねた。


「ニクスが戻ってきたら、話してみる」

「……ああ。話してみろ。友達の意見を受け入れるのも、友達としての使命だぞ」

「……ん」

「……それと、お前」

「ん?」

「今日はもうこの部屋から出るな」

「なんで?」

「中毒者を見たくせに、無事に逃げ切った。とても厄介な相手だ。中毒者からすれば、すぐにでも消したいだろうさ。今夜にでもな」

「……なるほど」

「明日になるまで部屋から出るな。いいな?」

「……ここに、中毒者が来るかもしれないわよ」

「上等だ。あたくしの魔力で押しつぶしてくれるわ」


 あたしはまたため息を吐き、クレアの肩に顎を乗せた。


「いっそ、あたしを宮殿に残して、餌にしたらいいのに」

「そばかすのメイドがいる」

「……コネッドを餌にしてるわけ?」

「キッドの部下達がうろついてるはずだぞ」

「……なるほど。餌を二つも撒く必要がないってことね」

「そういうことだ」

「ねえ、コネッドは守られるんでしょうね? あの子、話を聞いてる限り、あの宮殿でのことをずっと見てきてるの。いずれ自分も消えるって思ってる」


 クレアを強く抱きしめる。


「守ってくれるのよね?」

「あいつら、キッドの部下なんてやってるんだぞ。中毒者のことは把握済みだ。……信用していい」

「……ん」

「他に、心配なことはあるか?」

「……メニー」


 クレアがあたしの頭をなでた。


「メニーのことも見ておいて」

「……お前の部屋も見るよう伝えてある。大丈夫だ」


 メニーこそ消えればいい。でも、ドロシーがいる。大丈夫なのはわかってる。でも、一応、あたしは、『いいお姉さん』だから。


「……」


 ――メニーなんか大嫌い。


 これは、この言葉は、誰にも言ってはいけない。相手がクレアでも、クレアだからこそ、吐いてはいけない。言葉を飲み込んで、唇を噛んで、ただ、あたしはクレアにしがみつく。


「……」

「……そういえば、お前、亀にうなじを舐められたんだって?」

「……ん」


 クレアの指があたしのうなじを撫でた。


「気持ち悪かったわ。ベロが一瞬ついて、すぐにリトルルビィに助けられたの。あの亀、舌が長いのよ。びょーんって伸びるの。本当に気持ち悪かった。ゴキブリも取って食べてたわ」

「あたくしの考えを教えてやろう。それはゴキブリのように逃げ回るお前のうなじを舐めたかったわけじゃない。お前を捕まえようとしたんだ」

「……捕まえようと、した?」

「長い舌でお前の体を拘束して、どこかに連れて行こうとした。まさに、その連れて行こうとした先に」

「行方不明者がいる?」

「あたくしの推理が当たっていれば、お前はその一人になるところだった」

「でも、その前に、リトルルビィが来た」

「あいつの仕事を知ってるか? 王宮でのトラブル処理だ。下水道職員からメイドが侵入してると聞いて、どうしてメイドがそんなところに侵入したのか気になって飛んで行ったらしい。そして、中を覗いてみたら、そばかすのメイドが、扉が開かなくなって一緒に入ってしまったメイドが待ってるから開けてくれと喚いていたらしい。あの娘、馬鹿力だろ。だから、いつも通り処理をしようとして……」

「あたしが逃げてきた」

「流れはそんなところだ。ただ、中毒者はリトルルビィを知っていたらしい。あの娘の顔を見て、血相変えて逃げたと言っていた」

「……それ、知ってる顔ってこと?」

「あの娘はキッドの右腕。ここで知らない奴はいない。いいか? ……見つかったらとても厄介なんだ」

「……だから逃げた?」

「ということは?」


 あたしは再びクレアの顔を見た。


「ニクスは、生きてる」

「その可能性があるというだけだ」

「でも、生きてる可能性がある」

「ああ」

「まだ、間に合うのね」


 クレアが頷いた。


「……下水道、ちゃんと調べておいて」

「今、捜索中だ。その間、お前はあたくしの遊び相手になれ」

「仕事は?」

「明日やるからいい」

「終わるの?」

「ああ。余裕だ」

「……そう。……なら……」


 あたしはクレアに抱きしめられる。


「ここにいる」

「今夜だけでいい」

「毎日は無理よ。明日も仕事だもん」

「お前は真面目だな」

「あなたが不真面目なのよ」

「……トイレに行きたくなってきた」

「行ってきなさい」


 あたしはクレアから退いた。クレアが立ち上がる。


「戻ったらあたくしと遊べ。ボードゲームをするぞ」

「わかったから早く行ってきなさい」

「ん」


 クレアがトイレに入っていった。あたしは部屋に振り向く。


(……さて、わがままなお姫様が戻る前に、ボードゲームの準備でもしましょうかね)


 おもちゃ箱はどこだろう。きょろりと見回す。


「……」


(……部屋の片付けが優先かも)


 あたしは地面に散らばった本を片付け始める。この本、あのお姫様が読んでるのかしら。なんか、難しそうな本ばかり。


 本棚にしまっていると、こつんと、足に当たる。


(ん)


 気がついたあたしは手を伸ばして、白紙の本を拾う。


(勉強ノート?)


 あたしはページをめくった。



(*'ω'*)



 やあ! プリンセス! 

 ごきげんいかがかな?


 最近、元気がないようだね。どうかしたのかい? いたずらは多いし、メイド達は苦労してるみたいだよ。


 そうだ。お姫様、議員の娘を塔に連れ去ろうとしたんだって? まったく! いけないよ。プリンセス。


 え? なぜ、僕が知ってるかって? それはね、窓から見ていたからさ!


 赤ん坊なら、リオン様の時に見ただろう? どうしてあんなことをしたんだい? 僕に教えてくれる?


 返事を待ってるよ!



(*'ω'*)



 ミスター・ゲイ。


 いやなゆめをみたの。


 みんながいなくなるの。


 あたくしはね、ひとりぼっちなの。


 めがさめて、よかったって思った。でも、そのゆめをおもいだすたびに、むねが、きゅってなるの。


 またあたくしは、きょうも、このとうでひとりぼっち。だれかにあいたくても、みんなリオンにばかりかまうから、あたくし、とうからとびだしたの。

 そしたらね、あの子がいたのよ。

 あの子、かみのけがまるで血みたいだった。だから、死んでるのかしらっておもって、いってみたの。あの子ね、あたくしが顔をのぞいたら、わらったのよ。ニコってしててかわいかった!


 だから、あたくしね、あのこをいもうとにしようとかんがえたの。名前はロザリーよ。かわいいでしょう? ロザリーを塔につれてかえったら、どうしてかすごくおこられたの。あたくし、いたずらなんかしてないのに。


 それでね、なんてことかしら。変なぎいんがつれてかえっちゃったのよ!


 じいさまも、ロザリーに会いたかったって言ってた。あたくしのロザリーが、さわらわれちゃった。たすけにいかないと。ね、ミスター・ゲイ、おまえもきょうりょくして。



(*'ω'*)



 やあ! プリンセス! 

 ごきげんいかがかな?


 君のメッセージを見たよ。プリンセス。君はなにをしたかわかっていないようだから、伝えておこう。


 あの子はね、私の大切な友人の娘なんだ。そしてその友人は、僕が一度、恋をした相手さ! まあ、今は良き友人だけど、つまり、僕の大切な友人の、大切な娘なんだ。花の名前だと言っていたな。

 ロザリーは花の名前じゃない。

 きっと、あの赤ん坊は、ロザリーよりも、花の名前で生きていったほうがいいんだと思う。


 そうだ。この機会だ。プリンセス、今度、パーティーに参加してみたらどうかな? たくさんの友達ができるよ! スノウ様が誘ってるのに、あなたは断っているんだろう? 塔から出ておいで。きっと楽しいよ!


 返事を待ってるよ!



(*'ω'*)



 ミスター・ゲイ。


 あたくしは、塔から出られないわ。


 魔力を持ってるから、みんながこわがってる。

 あたくしが塔から出てきたら、空気がね、こおりみたくなるの。


 ミスター・ゲイは感じたことある?


 あたくしはね、あの空気が、だいきらい。


 だから、いかない。

 だから、ロザリーがほしい。

 あたくしにロザリーをかえして。



(*'ω'*)



 やあ! プリンセス! 

 ごきげんいかがかな?


 魔力を持ってるっていううわさは、本当だったようだね。君の気持ちをわかってあげられなくて、ごめんよ。


 代わりに、君へプレゼントを渡したい。

 君の友人、ミスター・ゲイより心を込めて。



(*'ω'*)



 ミスター・ゲイ


 ロザリーをくれてありがとう。

 あたくし、もうさみしくない。

 今日はこの子といるね。

 ごはんも、おふろも、寝るときも、この子といる。

 ありがとう。

 大好き。ミスター・ゲイ。



(*'ω'*)



 あたしは眉をひそめた。


「……」


 あたしは辺りを見回す。

 ピンクのエリアがある。


「……」


 遠目で見ると、おもちゃ箱があった。


「……」


 あたしはゆっくりと足を動かして、おもちゃ箱に近付いた。


「……」


 屈んで、箱の蓋を開ける。宝箱みたい。

 中にはたくさんのおもちゃが詰められている。あたしは一つ一つ退けていく。トランプ、カード、本、積み木。おもちゃ。


「……」


(ん)


 おもちゃ箱の裏に、四角いケースがある。


「……」


 あたしはケースを引いてみた。木製の木箱だ。裏返してみた。


「っ!」


 あたしは思わず下がった。


「……」


 悲鳴が出そうな口を押さえて、そのケースを見つめる。








 金髪の、かわいいドレスを着たロザリー人形が、ガラスの窓から微笑んでいた。




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