第3話 悪魔の儀式をする前に
屋敷の使用人達が噂する。
「て、ててて、テリーお嬢様が、キッド殿下と、ごごご、ご結婚ですって!」
「なにーーー!?」
使用人達は泡を吹き、メイド達は腰を抜かす。一体いつからそんなことになっていたっての!? あのテリーお嬢様が!? でも、確かに最近様子がおかしかったもんな。それもそうだ。忘れもしない。テリーお嬢様の発狂が始まったのは、旦那様が亡くなってからだ。テリーお嬢様がこのベックス家をお継ぎになられたいと言われたのも、それからしばらくしてのことだ。テリーお嬢様はあの頃からよくお外に出られていた。おい、知ってるか。キッド殿下は、実は仮面舞踏会の時まで、正体を隠して城下町の住人として過ごしていたらしいぞ。まさか、その時に? テリー様と、キッド様が? ああ、なんてことだ。一番の問題児だったテリーお嬢様を、国の王子様が嫁にもらう? これは何かの間違いじゃないか? これはきっと、俺の夢だ。メニーお嬢様ならまだしも、長女であるアメリアヌお嬢様もまだわかる。まさかまさかのテリーお嬢様。ごらんくださいな。テリーお嬢様、あなたのご結婚をお祝いして、カカシも嬉しそうですわ。……テリーお嬢様が、結婚……ぐすっ……。おい、泣くなよ。いずれみんな巣立ちしていくんだ。おい……泣くなよ……ぐすっ……。
テリーお嬢様が、第一王子のキッド様と結婚される。
「ギルエド! 記者の方々がいらっしゃるわ! 準備を!」
ギルエドが大慌てで記者会見の手配をする。ママはうれうれと笑って、歓喜した。
「これでベックス家も、王族の仲間入りよーーー!!」
サリアがこそりとその様子を見ていた。慌ただしい廊下をおしとやかに歩き、屋根裏部屋に繋がる扉を開けた。そこはとても静かで、暗くてじめじめした風がもれている。ろうそくに火をつけて、サリアが一歩一歩階段をのぼった。ぼろぼろに朽ちた木の扉から、漏れた声がかすかに聞こえる。サリアが眉をひそめて、ゆっくりと扉を開ければ――そこには、魔法陣と、その上で太鼓を叩くあたしと、縦笛を吹くメニーが儀式を行っていた。
「じゅげーむ! じゅげーむ! ごこーのすりきれ! かいじゃりすいぎょのすいぎょーまーつ! うんらいまーつ! ふーらいまーつ! くーねるところにすむところー!」
メニーが笛を吹いた。
「やーぶらこーじのやぶこうじー! ぱいぽーぱいぽーぱいぽーのーしゅーりんがん! しゅーりんがんのーぐーりんだい!」
メニーが笛を吹き、あたしは重なるように太鼓を叩いた。
「ぐーりんだいのー! ぽんぽこぴーの! ぽんぽこなーの! ちょうきゅうめいのちょーーすけーー!」
腕を上げる。
「きえーーーーー!!」
思いきり太鼓を叩く。フルコンボだドン。
「今こそ目覚めよ! 悪魔のちょーすけ! あたしの血を代償に、ここに召喚せよ!」
血の代わりにケチャップをつける。
「きえーーーーー!!」
太鼓を叩き、笛の演奏が終わる。部屋に静寂がおとずれる。これから悪魔が召喚される。きっと不気味な見た目で、腰を抜かしてしまうほどの迫力があるに違いない。あたしはごくりとつばを飲んで、覚悟を決めて時を待つ。しかし、どれだけ時間が経っても悪魔はどこにも現れない。あたしは本をチラッと覗いてみて、そして、はっとした。
「な、なんてこと……」
そのまま膝から崩れ落ちてしまう。
「メニー! 失敗よ!!」
「悪魔さん、現れないね」
「畜生! 何が悪魔の召喚の方法よ! 役に立たない本ね!」
本を壁に投げると、サリアが呆れた目で扉の前に立っていたことに気付き、あたしは思わずぎょっと飛び上がった。
「ひっ!」
「何をして遊んでいるのかと思えば。テリーお嬢様、床を汚さないでください。ケチャップなんか持ち出して」
「サリア! 止めないで! あたしは悪魔に心臓を捧げると決めたの! 全てはキッドへの復讐のために!」
サリアが太鼓を持ち上げた。片付け始める。
「あ! 何するのよ!」
サリアがメニーから笛を受け取り、優しく布で拭いてからそっとケースにしまった。
「ちょっと! サリア!」
サリアが窓を開けた。太陽の光が屋根裏部屋を明るく照らす。
「ぎゃーーーーーー!!」
あたしは悲鳴をあげて、うずくまる。
「溶けるぅうううう! あたし! 溶けちゃぅうううう!!」
「ここを掃除しますのでお部屋にお戻りください」
「サリア! 悪魔に光は駄目なのよ! すぐに窓を閉めなきゃ、儀式が出来なくなっちゃう!」
サリアがバケツの水を床にぶちまけた。チョークで描いた魔法陣が消えていく。
「ぎゃーーーー!!」
サリアがデッキブラシでごしごし擦ると、全部が溶けて消えていく。
「ああ、あた、あたしの、あたしの魔法陣が……!」
じわりと目が潤んで、手で顔を隠す。
「ぐすんっ! ぐすんっ!」
「お姉ちゃん、また描こうよ。ね? 私も手伝うから」
「もうあんな複雑な絵なんか描きたくないわよ! あたし、徹夜までして、一生懸命、頑張って描いたのに! ぐすんっ! サリアが消しちゃった! ぐすっ! 頑張って描いたのに! ぐすんっ!!」
「よしよし」
「15歳にもなって床に落書きなんてやめてください。私達の仕事が増えるではありませんか」
「サリア、どうしてあたしが魔法陣を描いたと思ってるの!?」
「そうですね。私の推測が正しければ、悪魔様をお呼びするためでしょうか?」
「そうよ! 悪魔にキッドを殺してもらうのよ! もはや、あいつは天使の顔をした魔王よ! 魔王にはね、悪魔でしか対抗出来ないの! 邪魔しないで!」
「記者会見が始まるそうですよ。行かなくていいのですか?」
「誰が会見なんかするもんですか! サリア、これは仕組まれてたことよ。あたしは、色んな大人に、おもちゃにされてるのよ! こんな屈辱、初めてよ! この件に関して、泣き寝入りなんて絶対に出来ないわ!」
あたしは本を掴み、ぺらぺらとページをめくった。
「こうなったら、もっと簡単なやつを試してみるわ」
「そんなことより、直接たずねた方が早いのでは?」
「城に行けっての? 冗談じゃないわよ」
「テリー」
サリアが手を止めて、デッキブラシを持ったまま背筋を伸ばして、凛と立った。
「あなたが去年、お世話になったお家はどこですか?」
あたしは顔をしかめた。
「あいつ、いないと思うわよ」
「でも、このままここで落書きしてるよりは、ずっと価値のある時間の使い方だと思います」
「……スノウ様が倒れたじゃない。だから家にはいないわ」
「では、その家には今、どなたがいるんですか?」
「キッドの世話係よ」
――どうしてそれを思いつかなかったのかしら。
(ビリーなら、何とかできるかもしれない)
彼は、唯一キッドを叱れるおこりん坊なのだ。
「……サリア、その人なら、この状況をどうにか出来るかもしれない」
「でしたら、行くべきかと」
「ええ。そうよ。キッドに何言ったって無駄なら、その世話係に相談するべきだわ」
あたしは本を閉じて、サリアを見上げる。
「出かけるわ。支度を」
「かしこまりました」
メニーがチラッとサリアを見た。
「……私も行きたい」
「大勢だとバレるでしょ。メニー、あんたはお留守番」
「バレたら私をおとりにして、お姉ちゃんは隠れたらいいでしょ」
「……えー?」
ドロシー、今の聞いた? あたしがメニーに頼んだわけじゃないわよ。そういうことなら、利用しない手はないって話よ。にたりとして、メニーの肩をなでる。
「メニー、あんたはとっても大切なあたしの妹なのよ。あたしはね、あんたにそんな危険を犯してほしくないのよ」
「私なら大丈夫だよ。私、お姉ちゃんが心配なの」
メニーがサリアに振り向いた。
「ね、サリア、お願い」
「テリーお嬢様、いかがなさいますか?」
ドロシー、どうなってもあたしのせいじゃないわよ。
「そーいうーことなら、仕方ないわねー」
メニーの肩をなでなでと優しく撫でる。
「ほんとに、あんたは出来た妹ね。メニー、大好きよ。あたし幸せ者だわ。あんたみたいな優しい子にこうやって想ってもらえて」
くひひっ。
「愛してるわ。メニー」
メニーを優しく抱き締めて、優しく頭を撫でる。そして胸の中で思う。お前なんか大嫌い。そのままどこかへ消えてしまえばいいのに。そして、不幸のどん底に落ちてしまえばいいのに、と。
(でも顔には出さない。あたしは、この世界では、メニーの優しいお姉ちゃんだもの)
メニーがあたしを抱きしめ返し、あたしの背中を撫でた。
「大丈夫だよ。お姉ちゃん。お姉ちゃんのことは、私が守るから」
けっ。くっさいお言葉をどうもありがとう。メニーを離し、サリアを見る。
「サリア、三人で抜けるわよ」
「かしこまりました」
「メニー、準備して」
「うん!」
頷きあって、あたし達は出掛ける準備を始めた。
(*'ω'*)
町外れにある、大量の木に囲まれた二階建ての家。仮面舞踏会の日以降、正体が知られてしまったキッドはこの家へと引っ越し、お目付け役のビリーと共に平和に暮らしている。しかし、その平和も今日までだ。恨みと憎しみを背負ったあたしが大股で歩き、扉をノックした。扉は開かない。あたしは鍵を使って扉を開けて、一気にリビングまで走った。銃を構える。
「動くな!」
「うわっ!」
アイスを食べていたニクスが飛び上がる。ビリーがゆっくりと振り向き、あたしを静かな目で見た。
「テリー、人の家に来たら、まずは挨拶。お邪魔しますが礼儀じゃ」
「動かないで! 我々は、この家は完全に包囲した! あたしの言うことを聞かないと……」
にたりと笑って、銃を観葉植物に向ける。
「こうなるわよ!」
撃てば、中に入ってた水が飛び出し、荒々しく観葉植物の土を湿らせた。なんて恐怖なのかしら。
「わかったら動かず、あたしの命令に従いなさい!」
「おや、これはこれは」
ビリーが立ち上がり、玄関に立っていたメニーとサリアを覗いた。ビリーが腰を支えながら軽く会釈する。
「こんにちは」
「ご無沙汰してます。ビリーさん」
「お初お目にかかります。ベックス家に仕えております。サリアと申します」
「ビリーです」
「去年は、うちのお嬢様が大変お世話になりましたそうで。お礼のご挨拶が遅れてしまい、誠に申し訳ございません」
「いいえ。こちらこそ、ご挨拶もせず、勝手にこの子を招くような形を取り、すみませんでした」
「あの一ヶ月のおかげで、お嬢様がだいぶ丸くなられ、アーメンガード様もお喜びでございました。仕える身分の私からで申し訳ないのですが、改めまして、ありがとうございました」
「ベックス家はとても素晴らしいメイドを持っているらしい。ここまで挨拶のできる方はそうはいない」
ビリーがチラッとあたしを見る。
「水鉄砲なんか構えてないで座りなさい。何か飲むかい?」
「じいじ! あたしは怒ってるの! 動かないでって言ってるでしょ!」
「サリア殿、中にお入りください。メニーもおいで。アイスでも食べるかい?」
「食べます!」
「素直で良い子だ。おいで」
ビリーが歩き出すと、あたしはその背中に銃口をつける。
「わかった。サリア達のお茶を出すために動くのは認めるわ。でも、それ以外で変な真似してみなさい!」
あたしは洗い物が置かれた洗面台を撃った。水が飛ばされ、皿の汚れが綺麗に取れた。ああ、なんておそろしいこと!
「こうなるわよ!」
「お前は何を飲む?」
「ふん! おそろしすぎて、お茶で機嫌を取ろうってこんたんね! その心意気は買ってあげるわ! アイスがいい!」
「チョコレートのアイスでいいか?」
「うんっ!!!!」
「はい」
ビリーにカップを渡され、あたしは銃口を向けたままアイスを奪う。アイスはとてもひんやりしてる。ビリーがメニーにアイスを渡している間、あたしは引き出しからスプーンを取り出し、メニーに差し出した。
「はい、メニー」
「ありがとう」
二人でソファーに並んで座り、アイスを頬張る。ほっぺが落ちそうなほどおいしいそのアイスを睨んだ。これは罠に違いない!
その隣のソファーにサリアが腰を掛け、ビリーがサリアの前にアイスティーを置いた。
「さて、今日は何の用かと訊くのは尺かな」
「ふん。どうせキッドを出せと言ってもいないのはわかってるわよ」
「ああ。しばらく戻らん」
「……戻らないって何よ」
「スノウが倒れただろう?」
ゆっくりと頷く。
「あれから優秀な医者達が見たところ、スノウの体内に毒が盛られていたことが判明した」
「……毒?」
「特殊な毒でな、薬を作るためには、ラプンツェルという花が必要じゃ。決められた地域にしか咲かない変わった花だ。それを取りに行った」
「……じゃあ、スノウ様は大丈夫なの?」
「間に合えばな」
ビリーがひげを撫でる。
「そんなこともあって、キッドとリオンは現在留守だ」
「リオンも行ったの?」
「ああ」
「大丈夫なの?」
「あいつが行きたいと行ったんだ」
(……なるほど)
キッドに、万が一のことがないように、ついていったんだ。
(あんな奴のために頑張るわねぇ。王子様)
あたしは優雅にアイスを食べる。
「そう。しばらく戻らないならそれに越したことはないわ。結婚なんてそのまま流れて、自然消滅する未来が見えてきた。ああ、愉快、愉快!」
「……」
ビリーとニクスがきょとんとして、あたしを見た。
「テリー」
「じいじ、おかわり」
「お前、逃げてきたんじゃないのか?」
「は?」
ぽかんと瞬きすると、ニクスが腕を伸ばし、ラジオの電源をつけた。チャンネルの電波が届く。
『これより、未来のプリンセス、テリー姫様の母君であります、アーメンガード様による記者会見が始まろうとしております。テリー姫様は、この記者会見が終わった後、城に向かわれるとのことです』
ニクスがチャンネルを変えた。
『キッド殿下の妻として、一ヶ月城に滞在することになったテリー様ですが、これから彼女に、どんな王宮生活が待っているのでしょうか。わくわくしてしまいますね!』
ニクスがチャンネルを変えた。
『王室は、本日の午後、テリー姫様を城に招き入れ、城で生活していただくことを発表致しました。スノウ王妃様の教育をされていたバドルフ様は、少しでも早く生活に慣れていただきたく思っております。できる限り、我々がテリー様を支え、新婚生活に支障がないようにしていく方針でございます。とのお言葉を残しております。そして、リオン様の誕生日パーティーでご体調を悪くなられましたスノウ王妃様ですが、持病の貧血が強まってしまったものであり、ご心配はないとのことです』
――ぴろりろりろりん。
あたしのポケットから、間抜けな音が響き、あたしの肩がびくりと跳ねた。おそるおそる手をポケットに突っ込み、底に入っていたGPSを取り出し――画面を見て――あたしは背中がぞわっとして、GPSを落とした。
「ひっ!?」
ありえない数の大量のメッセージ通知。メニーがGPSを拾い、ボタンをぽちぽち動かし、ニクスがその画面を覗いた。血の気が下がったあたしも横からメッセージを確認する。
送信:キッド
受信:美しいあたし
テリー。
君を想うと、とても心が締めつけられてしまう。
送信:キッド
受信:美しいあたし
会いたい。
送信:キッド
受信:美しいあたし
会いたくて仕方ない。
送信:キッド
受信:美しいあたし
でも、この気持ちも最後。
送信:キッド
受信:美しいあたし
君と結婚したら、毎日、ベッドにいる君の顔を見て、朝を迎えることが出来る。
送信:キッド
受信:美しいあたし
テリー、愛してる。
送信:キッド
受信:美しいあたし
抱きしめたら、もう絶対に離さない。
送信:キッド
受信:美しいあたし
私は、しばらくの間、少し遠くへ行ってしまう。
送信:キッド
受信:美しいあたし
けれど、心配ないよ。
送信:キッド
受信:美しいあたし
君を迎えに行く。
送信:キッド
受信:美しいあたし
もう少しで、君は私の妻として宮殿に来ることになるだろう。
送信:キッド
受信:美しいあたし
これは決定事項だ。
送信:キッド
受信:美しいあたし
私が帰ってきたら、結婚しよう。
送信:キッド
受信:美しいあたし
逃げても無駄だ。
送信:キッド
受信:美しいあたし
隠れるのもナンセンス。
送信:キッド
受信:美しいあたし
愛してる。テリー。君だけを想う。
送信:キッド
受信:美しいあたし
テリー。
子供は、何人作ろうか?
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
あたしはサリアの胸に飛びついた。
「サリアアアアアアアアアアア!!!!」
「なるほど。王子様が一途という伝説は、本当だったのですね」
「もういやああああああああああああああああ!!!」
あたしはサリアの胸にしがみついて、泣き叫ぶ。
「あいつ、きらぁぁあああああい!!」
「よしよし」
サリアが泣き崩れるあたしの背中を撫で、ビリーに顔を向けた。
「ビリー様、この通り、テリーは15歳。まだまだ泣き虫な子供です」
「貴族の中では、そうじゃない。12歳からは大人として扱われるのが貴族たるもの」
「私はただのメイドです。しかし、私はこの子が生まれた時から、遠くからではございますが、この子の面倒を見ておりました。とても大切なお嬢様です。そうやすやすと、簡単にお渡しすることは出来ません」
「サリア殿、これは命令でしてな、私にもどうしようも出来ません。ここにテリーを隠せば、私が罪にとわれてしまいます。しかし、テリーがどこか、見つからない所に隠れるのであれば、話は別。私は知らなかったと言えばいいだけですから」
「なるほど」
サリアがあたしの顔を覗いた。
「ですって」
「サリア、船を用意して」
「島に行かれるのであれば、間に合わないかと。船は一時間そこらで用意出来るものではございません」
「でも、ここにいたら、いずれ見つかるんでしょう? 家に帰っても迎えが待ってるんでしょう? だったら、あたしは第二の実家に帰るわ……」
外を歩けば、モニターにはあたしの撮られた顔が出回っている。みんなに顔を知られてしまった。レディ達はキッドをそそのかしている悪女のように見えるに違いない。嫌な奴の顔って、すぐに覚えるものでしょう? つまり、宿にも泊まれなければ、ホテルにも行けない。この城下町に、逃げ場はない。では、汽車で遠くに行くのはどうだ? 駄目だ。顔が知られているし、下りる先で待ち伏せされている可能性もある。キッドならそれくらいするだろう。あいつ、ほんと、嫌い。昔から色々と急すぎるのよ。そういうところ、ほんとに嫌い。
(なら、どうする?)
あたしは諦めたくない。あいつと結婚なんかしたくない。
(でも、逃げ場もない)
キッドがあたしを縛りつけようとしてくる。諦めてはいけない。どこかに逃げ道があるはずだ。そうだわ。弁護士の先生を呼んで、法で守ってもらうのはどうかしら。いや、駄目だ。買収されていたらそれまでだ。人を信用してはいけない。誰も信用出来ない。
(……くそ……)
あたしは親指の爪を噛む。
(どうしたもんかしら……)
ここまで、キッドに追い詰められる日がくるなんて。
(……誰か)
誰か、助けて。
「テリー」
あたしは顔を上げる。目を向ける先には、凛と立つ笑顔のニクスがいた。
「綺麗なお嬢様」
ニクスが首を傾げた。
「ね、よかったら、どうかな? この後、『ぼく』とちょっと駆け落ちごっこしない?」
ニクスの言葉に、あたしとメニーがきょとんと瞬きして、ビリーがほう、と声をあげ、サリアがニクスの足元に置かれた荷物を見て、考えた。さん、に、いち。
「それでいきましょう」
サリアが頷いた。
「テリー、何とかなるかもしれませんよ」
「なんですって?」
「お姉ちゃん、どこに隠れるの?」
「メニー、こんな言葉知ってる?」
ニクスが微笑んだ。
「木を隠すなら森の中」
「……はあ」
「灯台下暗し」
「……えっと……」
メニーが首を傾げる。
「どういうこと?」
「テリー、どうする? ぼくと行く?」
「迷ってる時間は無いわ」
あたしは階段に走る。
「じいじ、去年あたしが使ってなかったリュック、あったわよね?」
「ああ。保管してある」
「下着や、服も」
「クローゼットだ」
「十分で支度するわ!」
あたしが速やかに階段をのぼる姿を見て、メニーが不安そうにニクスを見た。
「ニクスちゃん……」
「メニー、心配ないよ」
ニクスがメニーの肩をなでた。
「この作戦、テリー次第で上手くいきそうな気がする」
ニクスがニカッと笑った。
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