第16話 誘惑の花(1)


 メニーが寝ていれば叩き起こしてやろうと思ったのだけど、なんてことかしら。あたしよりもきちっと準備をして、エプロンもずれることなく、スッキリした顔つきで廊下に立って待っていやがった。


「おはよう! お姉ちゃん!」


 メニーが腕に持つドロシーに敬礼をさせた。


「本日はよろしくお願いします!」

「……メニー、今、何時だと思ってるの」

「朝の四時!」

「ラジオ体操よりも早いわ。のんびり行きましょう」

「すごく汚いところ掃除するんでしょう? ドロシーはお外でお昼寝してたほうがいいかもね」


 ドロシーがメニーの腕の中でまぶたを閉じた。くそ。楽そうな顔しやがって。ああ、いいわね! 猫はのんびりできて! あたしも今だけ猫になりたい!


「行くわよ」

「うん」


 二人で早朝の外を歩き、塔へ向かう。メニーがきょろきょろあたりを見渡す。エメラルド城の影が見える。メニーがぼんやりとエメラルド城を見て、呟いた。


「お姉ちゃん、私達、前はあそこにいたんだよね」

「そうよ。キッドのせいで大混乱になったのよ」

「私のガラスの靴、どこ行っちゃったかな?」

「さあ? 今頃メイドにくすねられてるんじゃない?」

「まあ、靴はまた買えばいいから。ね、ドロシー」


 ドロシーは安らかに眠っている。草が揺れ、花が揺れ、庭の奥へと進んでいく。道を辿って、塔へたどり着くとメニーが目を大きく開け、塔を見上げた。


「わー! すごーい!」


 メニーがドロシーを軽く叩いた。


「ね、ドロシー、見て。すごく大きな塔!」


 ドロシーが目を覚まし、ゆっくりと塔を眺め――しばらく見つめて――あくびをして、メニーの胸に顔を埋めた。


「眠たいって」

「猫はいいわね。働かなくていいんだから」


 塔の扉を開けて、中に入る。奥から足音が聞こえ、隈だらけのクラブが本棚の裏から出てきた。メニーが驚いてあたしの背中に隠れる。


「ひゃっ!」

「クラブさん。クレア姫様に言われて掃除にきました」

「ああ。聞いてるよ。とかなんとかね。好きに掃除するといいさ。本とかほこりとかなんとかこんとか、たくさんあるから、掃除道具という道具を使ってやるといい。しかし、果たして一日で終わるかな?」

「終わらなければ、また今度やればいいわ」

「それは名案だ。朝ご飯を作ってる。食欲はあるかい?」

「メニー、食べる?」

「おなか空いた!」

「食べます」

「よし、なら地下へおいで。……と、その前に、クレア姫様がテリーお嬢様の妹様も来ると言っていたな! あなたがメニーお嬢様! いやいや! どうもはじめまして! 僕はクラブ! かの有名な偉大なる物知り博士の助手でございます! お見知りおきを」

「……お姉ちゃん、この人、なんでお姉ちゃんと私のこと知ってるの?」

「……大丈夫。悪い人ではないから。朝食にしましょう」

「……本当に大丈夫?」

「たぶん」


 あたしとメニーがクラブについていき、地下へ下りた。





 ――ドロシーが地面に立った。床には、草の絵と、テリーの花の絵。ドロシーが微笑んだ。壁を眺める。壁には、歴史が残っている。ドロシーが絵に触れた。


「やあ、泣き虫キング」


 絵に触れた。


「やあ、女たらしのアクア」


 絵に触れた。


「やあ、ナイスなガイのナイスミスター」


 絵に触れた。


「やあ、トト」


 絵に触れた。


「……」


 ドロシーが見上げた。西の方向。


「やあ」


 ドロシーが微笑んだ。


「ご機嫌麗しゅう」


 息を吸った。


「トゥエリー」


 その先には、バケツの水を被る緑の魔女の絵が描かれていた。





(*'ω'*)





 あたしははしごにのぼってハタキをぱたぱた叩く。

 メニーもはしごにのぼってハタキをぱたぱた叩く。

 叩けば叩くほど、塔にほこりが舞った。


「「げほげほっ!」」


 窓からほこりが飛んでいく。しかし、まあ、なんと酷いものだろう。何年掃除してなかったのかしら。ほら見て見なさいよ。地面に白いほこりがたくさん落ちてる。ただでさえ広いのに、掃除も怠っているだなんて、何考えてるの? ばかなの? 誰でもいいから派遣すればよかったのよ。紹介所に登録された掃除会社を紹介してもいいわ。このほこりの量はやばい。げほげほっ。息ができない。まだ半分も終わってないのに、足はぷるぷる。手もぷるぷる。


「メニー、一回下のほこりを捨てに行かない?」

「……賛成……」


 メニーが汗を拭いながら下に下りた。あたしも下りて、溜まりに溜まったほこりを箒で掃いていく。ほら見て見なさいよ。ゴミ袋がほこりでいっぱいになったわ! なんておぞましいの! こんな量のほこりが本棚の上にあったなんて、考えたくない! ほこりだらけの本。クモの巣だらけの本棚。ほこり。ほこり。ほこり。ああ、あたし、このままじゃ、ハウスダストアレルギーになっちゃう! あたし、すごく可哀想!! もう嫌だ! 家に帰りたい! サリアの紅茶が飲みたい! もう嫌だ!


「お姉ちゃん、ごみ袋、一回外に持っていく?」

「……そうね。ここに置いてても、仕方ないわ」

「わかった」


 メニーがごみ袋を外に持っていく。あたしははしごを箒で掃きながら、地下への扉をチラッと見る。


 掃除を始めてからスペードとクラブが一向に出てこない。研究をしてるんだと胸を張っていたけど、間違いなくこの状況に気付いているに違いない。だって、本当に出てこないんだもの!


(畜生が!)


 とりあえず、ここから見ても、掃除した所としてない所がわかるほど差が出来た。これは酷いわね。クレアはお姫様のくせに、よくもまあこんな所で生活してたものよ。


(……上は綺麗だったものね)


 メイドも誰もいない。バドルフとクレアで掃除をしていたのかしら。誰もよらないこの塔の部屋を。


「……」


 遅いわね。メニー。


「……」


 あたしは外に出てみた。メニーを探してみる。ゴミ袋は塔の前に置かれていた。


「……」


 逃げた?


(あいつ、まさか!)


 慌てて振り返ると、赤い花が集まって咲いてる箇所があった。


(ん)


 赤い花。ああ、そういえばと思い出した。昨日、クレアが言ってた。眠りを誘う花が咲いてるから、ドロシーを外に放すなって。


(……)


 花の中に、なんか影が見える。あたしはそろりと近づいてみる。


「……」


 メニーが赤い花の上に倒れ、安らかに眠っていた。


「ちょっ」


(てめええええええええええ!! なにを安らかに眠ってるのよおおおおおおおおおおおお!!)


「メニー!」


 あたしは膝をつき、メニーの体を揺らした。


「起きなさい!」

「すぴー。すぴー」

「くっ! こいつ! 可愛いヒロインならだれでもやる睡眠時の声、『すぴー』を使いやがって! 何よ! お前は睡眠する時の吐息まで完璧なの!? ああ、むかつく! おら! 起きろ! 起きなさい! メニー!」


 息を吸う。


「メニー!」


 匂いがする。


「……」


 あれ?


(なんか……急に眠気が……)



 そう思った途端、あたしの意識がなくなった。そのまま体の力を失い、メニーの隣に倒れた。





( ˘ω˘ )







 ふわふわした世界がある。


 全てがふわふわしている。


 偉大な魔法使いに会いに行こう。


 おさげの少女は猫を抱えている。


 おさげの少女は鼻歌を歌っている。


 おさげの少女は箒を持っている。


 おさげの少女は微笑んだ。






 魔女が悲鳴をあげた。






「ほこりがなくなってるうううううううう!!!」


 とても醜い誰かが城中を駆け回った。けれど、ほこりはどこにもないらしい。


「酷い! こんなの酷すぎる!!」


 とても醜い誰かが唯一掃除をしてないであろう床にふせて、手をぴくぴく震わせた。


「ぐすん! ぐすん!」

「ほら、ご飯の時間だよ! いつまでも泣いてないで早く起きておいでよ!」

「どうしてこんなことをしたんだい!? ほこりを全て掃除しちまうだなんて! こんなに城をピカピカにしちまうだなんて!」

「君が掃除しろって言ったんじゃないか」

「あたしゃ、あのじめじめした感じが好きだったのに!」


 とても醜い誰かが再び床にふせて、泣いた。


「ぐすん! ぐすん!」

「ウィンキー達がお肉を持ってきてくれたんだ! さあ、美味しいのを作ったから早く起きておいでよ!」

「嫌だ!」


 とても醜い誰かがうずくまった。


「こんな綺麗なところで食べたくない!!」

「君が掃除しろって言ったんじゃないか」

「だって、こんなに綺麗になるだなんて、思わなかったんだもん!! お前なんか、くたばっちまえ! ぐすん! ぐすん!」

「じゃあ、先にお風呂に入っておいでよ。それならいいだろ?」

「……チッ」


 とても醜い誰かがベッドから下りた。どうやら浴室へと向かったらしい。だけど、また悲鳴が響いた。


「お風呂の泥とカビが、抜かれてるううううう!!」


 とても醜い誰かが綺麗になった浴槽に絶望の悲鳴をあげ、頭に血が上り、とうとう少女を叱った。


「どうして掃除なんかしちまったのさ!!」

「君が掃除しろって言ったからだよ! ほこり一つ残さず掃除しろってさ!」

「なんて生意気な小娘だろうね! 畜生! いいかい!? 明日までに浴槽に泥水を溜めておくんだよ! あと、ほこりはもう捨てちゃいけないよ! それと、明日も城をくまなく掃除するんだよ! いいね!」

「君はなんて理不尽なんだ。くまなく掃除しろって言ったり、ほこりは溜めておけって言ったり。じゃあ掃除しない方がいいのかい?」

「掃除はするんだよ!」

「じゃあ、ほこりは捨てていいね?」

「やめてって言ったことを、どうしてやろうとするんだい! お前には、人の心が無いのかい!?」

「どうしたらいいのさ!」

「ふん! 自分で考えるんだね!」

「じゃあ、捨てるからね! いいね!」

「やめてって言ってるだろ!」

「掃除していい範囲を教えてよ! 君の言ってることは矛盾がありすぎて、まったくわからないよ! トトもそう思うだろ!?」

「にゃー!」

「ああ、なんてことだろうね! まったく! なんて小娘だ! なんて生意気なんだろうね! お前なんか、オズ様に消されてしまえばいいんだ! そうだとも! まあ、オズ様が来る前に、あたしがお前を死ぬまでこき使ってやるんだけどね! 言うこと聞かないとどうなるかわかってるのかい!? ええ!? あのわらと、ブリキのようにしてやるからね!」

「よーし、トト、他の部屋も綺麗に掃除しに行こう」

「にゃー」

「やめてって言ってるだろ!!」


 くだらないことで言い争う声が聞こえる。けれど、なぜかしら。


 ――その声が、酷く心地いい。


 あたしは触れたくなって、手を伸ばす。


 だけど、誰にも触れられない。


 あたしは手を伸ばす。


 だけど、誰にも届かない。


 何も届くことは無い。


 あたしはひたすら手を伸ばす。


 花が揺れる。

 花が揺れる。

 花が揺れる。

 ゆらゆら。

 揺れる。

 花が。

 赤い花。

 これは魔力の花。

 眠りを誘う。

 あたしは眠ってる。

 起きなきゃ。

 起きなきゃ。

 でも、起きたら、

 もうこの声を聞けなくなる。

 それが、すごく嫌だと思った。

 この声をいつまでも聴いていたい。

 だから、


 お願い。


 あたしを起こさないで。


 この子といさせて。


 ずっと。


 永遠に。


 主サマハ気ヅイテナイ。


 アタシガ、上手クヤッテイルト思ッテルンダ。


 主サマ。


 アタシニハ、主サマダケ。


 ダケド、


 ダケド、



 ダケド、





 主サマ、ダケ、ナノニ。






 アタシハ、




 知ラナクテイイ、気持チガ、生マレテシマッタ。



 呪ワレタ。


 呪ワレタ。


 呪ワレタ。


 解かないと。


 呪ワレタ。


 あの小娘にやられた。


 呪ワレタ。


 解かないと。


 解けない。


 どうして。


 解けない。


 呪いは溶けないのに。





 あたしは、溶けていく。







(*'ω'*)





 ――はっと目を覚ました。

 視界に、メニーの顔が広がった。


「お姉ちゃん」


 メニーがあたしの手を握って、なでた。


「よかった。大丈夫?」

「……」

「悪かったよ。不注意だった。まさかあの花に囲まれて寝るなんて。死ぬところだったよ。とかなんとかさ」


 クラブがあたしの顔を覗き込んだ。どうやら、あたしはベッドで眠っているようだ。


「……寝てたの……?」

「そろそろお腹が空いた頃だと思って呼びに行ったら、一階にあなた達がいなかった。これはまさかお散歩とかなんとかだろうかと思って、出て見れば、いやあ、びっくらこいた。あの花はね、すごく危険なんだよ。僕達は研究の材料で使っているけど、それ以外で使うのは非常に危険だ。匂いは絶対に嗅いじゃいけない」

「私も寝てたみたいで……」

「……今、何時?」

「日が暮れる頃」

「相当寝たわね」

「お掃除、全然終わってないのに……」

「落ち込むことはないさ。メニーお嬢様。見たところ、一部はとってもきれいになっていた。いやいや、僕も驚いたよ。とかなんとかね。博士も喜んでた。これでほこりにまみれて本を探さずに済むってさ」

「私はね、ほこりが嫌いなんだよ!」


 目に隈だらけのスペードが振り向いた。


「とっても綺麗になってて、私は驚いた! ありがとう! テリーお嬢様に、メニーお嬢様!」

「……あの……」


 あたしは起き上がり、クラブとスペードを見た。


「キッド殿下とリオン殿下は、帰ってきましたか?」

「残念ながら。とかなんとか」

「……」

「僕達はもう薬を作れる準備はしているんだ。あとはラプンツェルだけ」

「……」

「掃除をしてて疲れただろ。ゴミ出しとかなんとかは明日にして、今日はもうディナーとかなんとかにして、ゆっくりするといい。ソファーとかも綺麗になってて驚いたよ。あ、シャワー使う? 向こうにあるよ。大丈夫。僕はボインが好きなんだ。熟女とかなんとか好きさ。子供は全く興味がない。家族に妹がいるものでね。だから安心してシャワーとかなんとかに入ると良い。とかなんとかね」

「ちなみに、私も熟女好き」

「博士、知ってますか! 最新号のお色気むんむんの熟女特集はとってもすごいですよ! とかなんとか!」

「私が見てないと思ってるのかい!?」

「ははっ! こいつはやられた! 博士め! ベッドの下に隠してるな!? 流石です! とかなんとかってね!」

「あひゃひゃひゃひゃ!!」


 あたしとメニーが顔を見合わせ、背中を叩いた。


「……先に入ってきなさい」

「……はい……」

「着替えは明日まで我慢して」

「……はい……」


 メニーが先にシャワー室へと入った。あたしはベッドから抜け、研究所をきょろりと見回した。


「……姫様から聞きました。ここでは、中毒者の研究をしてるって」

「その通り。ここではあなた方が今まで解決してきた謎の事件。中毒者事件について調べている研究所である。……とかなんとかね!」

「薬もここで作っているって」

「さようでございます」

「クレアの魔力は、いつ消えるの?」


 訊くと、クラブが肩をすくませた。


「彼女が成人するまではと思っていたのだけど」

「……まだみたいね」

「科学は魔法には勝てない。物知り博士でさえも、魔法には勝てない」

「私達に出来ることは、中毒化して暴走した力を一時的に抑え、時間をかけて解毒していくこと」

「リトルルビィが吸血鬼から人間に戻れる日はいつだろうね? ソフィアの目から催眠術が消えるのはいつだろうね? リオン様の影からジャックが消えるのはいつだろうね? お嬢様、僕らも出来るだけの研究はしているんだ。全ては、キッド様とクレア様の仰せのままに」

「スノウ様の毒は、呪いではないんでしょう?」

「まさか」

「あれは、誰かが王妃様に毒を盛っただけ」

「僕らは犯人探しに興味はない」

「あるのは研究のみ」

「その通りです。博士」

「キッド様とクレア様がいなければ、研究は続けられなかった」

「アーサー様の跡を二人が継いでくれていなければ、僕と博士は追い出されていた。感謝感激雨嵐。僕と博士は王女様と王子様に忠誠を誓った」

「7年前だ」

「博士、8年前では?」

「どうだったかな。……昔のことは忘れてしまったわ」


 あたしは眉をひそめた。

 そういえば、リオンが言ってた。元々中毒者の研究をしていたのは、お爺様だって。――アーサー様だって。


「……」


 ここは、なんだか薬くさい。あたしは歩き出す。


「風を吸ってきます」

「どうぞ。もう赤い花には近づいては行けないよ。危ないから。とかなんとかってね」

「……はい」


 あたしは研究室から出て、一階に戻る。窓を覗けば、残念ながらとうに日が暮れてしまったようだ。


(……あと6時間くらいってとこかしらね……)


 15日が始まる時、スノウ様の命は燃え尽きる。


「……」


 あたしは綺麗になった箇所を歩きながら眺める。ふと、一つの机だけ、上から上手く照らされているのが見えた。その机に近づくと、一冊の本が置かれていた。


「……あ」


 あたしが読んでた本。


(……クレアがわざわざ持ってきたのかしら)


 ここはすでに綺麗になっている。読書をしててもほこりを吸うことはないだろう。


(メニーを待ってる間、読書でもしてようかしらね)


 ぱらりと、ページをめくった。



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