第15話 侵入者は猫と来る(3)
バドルフに呼ばれ、クレアの執務室に行く。中に入ると、クレアが書類を全て片付け終わり、日が暮れ始めた頃だった。
「先生、二人きりにさせて」
「ああ。わかったよ」
バドルフが執務室から出て行き、あたしだけが残される。窓から差し込む逆光のせいで、クレアの顔が見えにくいが、にやりと笑ったことだけはわかった。
「こんばんは。ロザリー」
「こんばんは。クレア」
影が伸びていく。
「調子はどうだ?」
「元気よ」
「また生理痛に悩まされたら言え。博士に頼んで薬を打ってもらおう」
「……変な薬じゃないでしょうね」
「今日の体調で感じるはずだ。物知り博士の作る薬はいつだって正確。あとは解毒薬を作るだけ」
夕日が落ちていく。
「今日も弟達は帰ってこなかった。あたくしも、お前も、それぞれの仕事をこなして、一日が終わってしまった」
「ええ」
「そこで、明日、お前に大仕事を頼もうと思ってな」
「……大仕事?」
「塔の中を掃除しろ。明日一日。早朝から塔に入って、あのほこりまみれの図書館を掃除するんだ。泊まりがけで」
「……二十四時間、ずっと掃除してろっての?」
「ずっとだなんて。ロザリーちゃん。あたくし、お前には優しくしてやると約束したじゃない。うふっ。ご飯の時間になれば博士とクラブの三人で食べても良いし、シャワーも好きに入って良い。ただ、寝る時は一階のソファーを使ってくれ」
「何のために?」
「15日になる前に、キッドとリオンが帰ってくるようだったら言ってくれ。薬を持って早く母上の部屋に来いと」
クレアが立ち上がった。
「あたくしは、今夜から母上の部屋から出られない。予想した通り、峠なんだ」
「……」
「父上も非常に不安定な状態でな。娘として、二人の側にいなきゃいけない」
「……」
「お前はキッドもリオンも知ってる顔なんだろ。バドルフも仕事がある。ルビィ・ピープルとソフィア・コートニーも、キッドの部下として、エメラルド城へ向かう。わかるか。……動けるのがお前しかいないんだ」
「……」
「心配ならメニーを連れて行くと良い。メニーであれば、塔に入ることを許可しよう。あたくしはあの子が気に入った。なにより天使みたいに美しい。きらきらしていて、綺麗だ。あたくしのお人形にしたい」
「……まだそんなこと言ってるの?」
「お前が許可するまで言い続けよう。メニーをあたくしにくれないか?」
「だめよ」
「そうか。……ふむ。非常に残念だ」
「明日、早朝ね」
「朝食は塔で取れ。二人には伝えてある」
「わかった。……それと」
「ん?」
「猫もいいかしら」
「猫。ああ。ドロシーか。……あの子は可愛い猫だな。人懐っこくて。頭をなでたい。ロザリー、メニーは諦める。ドロシーをあたくしにくれないか?」
「だめよ」
「そうか。……お前はケチだな」
「ドロシーも連れて行っていいかしら」
「ああ。ドロシーなら許可しよう」
「ありがとう」
「ただ、塔の周りにある花には気をつけろ。睡眠を誘う綺麗な花がある」
「なにその花」
「だから、ドロシーを外に放す際は気を付けておけ。お前も花の匂いを吸わないように」
「覚えておくわ」
「あたくしはもう行く。今夜は久しぶりにエメラルド城で食事を取るんだ。全く懐かしい。こういう時でないと城に入れてもらえないなんて、ああ、なんと悲しいことだ。やれやれ」
クレアが机から離れる。横切って、あたしの前に歩いてきて――立ち止まった。上からあたしを見下ろしてくる。
「ああ、そうだ。ロザリーちゃん」
クレアがあたしの肩に手を置き、ぽんぽんと叩いた。
「愛しのキッドくんが帰ってきたら、二日は話せないと思え。あたくしからの説教が待ってるからな。それと、二人が帰ってこなくて、母上が……」
クレアが目を逸らした。
「死んだら」
また、あたしに目を向ける。
「お前が望むなら、会わせてやる」
「言ってるでしょ」
あたしはクレアを見上げる。
「絶対来る。絶対間に合うわ」
青い目が揺れる。
「クレアだって、信じてるでしょ」
青い目が笑った。
「もちろん。まだ母上は死んだわけじゃないからな。もしもの話だよ」
「死体のスノウ様に会うのは、まだ当分先の話よ」
「ああ、そうだな」
クレアが腕を組んだ。
「お前は塔で待て」
「あなたは城で待つ」
「ああ」
「あとは、キッドとリオン次第ってことね」
「そういうことだ」
「わかった。来たら、必ずすぐに向かわせるわ」
「よろしく頼む」
クレアが屈み、あたしの耳元で囁いた。
「……女神様が、微笑みますように」
ちゅ。
――頬にキスをされた。なんて柔らかい唇だろうか。不覚にも――一瞬、胸が鳴ってしまった。女相手に。これも彼女の魔力のせいだろうか。
クレアがにこにこ笑ってあたしを通り過ぎ、黙って部屋から出て行く。あたしは頬に触れ――ごしごしと、手で拭った。
「早朝ね」
メニーったら運が無いわね。働き始めて二日目で、大仕事だなんて。
「ニクスとコネッドに言っておかないと」
あたしも執務室から出て行った。
(*'ω'*)
寝る前に、ニクスに明日のことを話すと、こくりと頷いた。
「そっか。クレア姫様から言われたんだ。頑張ってね」
「朝早く出るから、ちょっとうるさくなるかもしれないけど……」
「あたしなら大丈夫。気にしないで」
「……昨日も、その塔に泊まったの」
「クレア姫様の隠れ家?」
「……ふふっ。そうね。その呼び方の方が近いかも。あそこ、本がたくさんあるの。ニクスが好きそう」
「へー。いいな。ここから出る前に一回でいいから行ってみたい」
「……色々片付いたら、クレアに訊いてみる」
「……スノウ様、大変なの?」
「……峠だって」
「……そっか」
ニクスが窓を眺める。窓からは星空が見える。
「どうして帰ってこないんだろうね。もう少しで一ヶ月が経つのに」
「キッドがぐずぐずしてるのよ。国に帰ったら、どうやって英雄振ろうか、くだらない計画を練ってるんだわ」
「うふふ」
「あたしもメイド生活に終止符を打てそう」
「あたしの夏休みはまだ続くよ」
「……ニクスがいる間はいるわ。まだほとぼりも冷めてないだろうし」
「……テリーは、帰ってもいいんだよ?」
「ニクスがいるまではいる」
「頑固なところは昔からだね」
「あんたもでしょ」
「……そうだね。……」
ニクスが引き出しを開けた。
「ね、テリー」
「ん?」
「あたしね、夏休みの間、日記をつけてるんだ」
「日記? すごいわね。ニクス。あたしは日記をつけたら二日で終わるわ」
「全部、貴重な体験だからさ」
「どんなこと書いてるの?」
「青い薔薇が綺麗とか」
「青い薔薇ね」
「ほら、見て」
ニクスが引き出しから可愛い雪模様のノートを見せてきた。
「ニクス、今は夏よ」
「冬も好きなの。テリーに出会えた季節だから」
「……ん……」
あたしも冬は嫌いじゃないわ。ニクスに出会えた季節だから。しかし、その返事は返せず、言葉を詰まらせて、あたしは足を組み、ふっと笑い、別の返事をした。
「あたしは冬なんて大嫌い。寒くて冷たくてかなわないわ」
「あたしと作った雪だるま、覚えてる?」
「さあ? どうだったかしら。もうずっと前のことだし。親子の雪だるまを作ったことなんて、あたし、覚えてないわ」
「あー、作ったね。……あたしが覚えてなかったや。テリー、すごいね」
「別に、すごくなんかなくってよ! あたし、何も覚えてないもの! きつねの雪だるまだって、うさぎの雪だるまだって、あたし、覚えてないんだから!」
「ねえ、テリー、寝る前に提案があるんだけど」
「あら、なーに? あたしと悪い計画でも立てる気!? 上等よ!」
「今夜、一緒に寝ない?」
――ニクスの言葉に、あたしは固まった。
「え?」
「なんか、思い出すなって思って。……ほら、あたしが呪われちゃって、目を覚ました時、テリーがココアを持ってきてくれて、色々話したでしょう? 中毒者のこととか、お父さんのこととか」
「……あったわね」
「懐かしくなったら、ちょっと人肌が恋しくなっちゃった」
ニクスが日記を引き出しにしまい、ベッドに座った。
「ね、今夜だけ、一緒に寝ない?」
「……」
「うん。……何も言わずにベッドに来てくれてありがとう」
「……」
「先に寝て。電気消すから」
あたしは先にベッドに寝そべった。ニクスが明かりを消せば、部屋が暗くなる。ベッドに戻ってくる。ニクスがごろんと寝転がった。狭いベッドにぎゅうぎゅうに詰め込んで、ニクスとあたしが向かい合う。ニクスの吐息を感じる。ニクスの体温を感じる。あたたかい。夏の夜は、窓を開ければ涼しいから、あたしはニクスにぴったりくっつく。
「テリー、暑くない?」
「……ニクスは?」
「平気」
「あたしも平気」
「よかった」
ニクス、……胸大きくなったわね。なんか、ここからだと、膨らみがすごく見える。
「……ニクス」
「ん?」
「今、何カップ?」
「……テリーは?」
「ニクスから」
「Dの75」
「……。あ、そう」
「待って。テリーは?」
「あたしのはいいでしょ」
「テリーから聞いて来たくせに」
「あたし、もう眠いの」
「嘘だ。ねえ、いくつ?」
「……誰にも言わない?」
「うん。ないしょ」
「絶対よ?」
「うん。二人だけの秘密」
「約束して」
「はい。約束」
「……あのね」
「うん」
「……笑わない?」
「笑わないよ」
「……」
「……」
「……Bの、70……」
「あ、いいな。可愛い」
「ニクス、Bカップは、谷間がないのよ? 貧乳なのよ。もう最悪。ドレスを注文する時、どれだけ恥ずかしいかわかる?」
「胸があっても邪魔なだけだよ。肩も凝るし。Bくらいがちょうどいいよ」
「あたしは諦めない。もっと大きくなるの。Eくらいにはなるわ」
「胸ってまだ大きくなるのかな?」
「なるわ。牛乳飲んだら大きくなるのよ。サリアも星に願ってくれたわ。あたしはまだ諦めない。信じてる」
「あ、胸と言えば、テリー、知ってる?」
「ん?」
「胸って、揉むと大きくなるんだって」
「何それ。本当?」
「クラスの人が言ってた」
「……」
あたしは胸を揉んでみる。ニクスに見せる。
「どう?」
「……え、わかんない」
「毎日やってたら、大きくなるかしら」
「胸に触ると、女性フェロモンが出て、成長するんだって」
「それ、自分で触っても効果ある?」
「……試しに、あたしが揉んでみようか?」
「やってくれるの?」
「うん。いいけど、テリーは大丈夫?」
「ニクスなら平気」
これで胸が大きくなるなら、何も痛くない。
「じゃあ、ちょっと体制変えようよ」
「起きる?」
「そうだね。……明日、早いんでしょ? 大丈夫?」
「平気」
二人で起き上がり、ニクスが奥に座った。足を広げて、前を叩く。
「テリー、ここ来て」
「……ん」
頷いて、少し、緊張しながらニクスの前に座る。後ろからニクスに抱きしめられる。暗い部屋の中。あたたかい。
「……ニクス、シーツ被っていい?」
「……恥ずかしいよね。うん。いいよ」
「……ありがとう」
シーツで胸元まで隠し、その中からニクスの手が伸びてくる。あたしの胸にニクスの手が触れた。あたしの肩がピクリと揺れる。
「触るよ? テリー」
「……うん」
耳元で聞こえるニクスの吐息混じりな声が、とてもくすぐったい。あたしはシーツで前を隠すけど、中ではニクスの手がゆっくりと動き出す。
「……んっ」
あたしの膨らむ胸に、ニクスの手が覆いかぶさって、優しく揉んでくる。
(……なんか、変な感じが、する……)
ネグリジェ越しなのに。
(きっと、フェロモンが出てるんだわ。あたし、明日になったら巨乳になってるかもしれない)
ニクスの指がゆっくりと動く。
(……あっ)
ちょっと待って。
(あ、なんか……)
ニクス、そこ、なんか、変。
「……ニクス」
「テリー、大丈夫?」
「……ん、んん……」
こくこくと頷き、俯く。
「わ、笑わない?」
「うん。笑わないよ」
「……あの」
「うん」
「……ち、ちくびが」
「ん?」
「た、たっ、……たっ、ちゃった、みたい、で……」
「……フェロモンが出てるのかな?」
「……かしら?」
「お風呂とかで、寒かったりすると、たっちゃうでしょ。あれと同じじゃない?」
「はっ! なるほど!」
「……ってことは、乳首がたつと胸が大きくなるのかな?」
「ニクス、その可能性、すごく高い気がする!」
「どうする? やってみる?」
「……もう少し試してみたいかも……」
「いいよ。じゃあ、触るね?」
「……ん」
シーツの中がもぞもぞ動き出す。あたしの胸がどきどきしていくのがわかる。乳首をたたせたらいいのかもしれない、ということからだと思うけれど、ニクスの手があたしの胸を揉み、指で乳首をいじる。
(あぅっ……)
くすぐったい。
(変な感じ、する……)
ぐりぐり、してくる。
(に、ニクスの、指が、擦ってくる……)
フェロモンが出てるのかしら。胸がじんじんしてくる。
(あっ……)
揉んでくる。
(ん、んん、んん……っ……)
荒くなっていく呼吸のことをばれたくなくて、ゆっくり深呼吸する。ニクスの手が揉んでくる。指が乳首をいじってくる。びくっと、体が跳ねる。違う。フェロモンが出てるだけ。ニクスの指が触ってくるだけ。くすぐったい。何これ。生理だからか、いつも以上に触られる感触が敏感になっているのかもしれない。あっ。ニクスの指、また、ぐりぐりしてきた。あっ、まって。まって、まって。恥ずかしい。揉まれる。あっ、なんか、腰がぴくって、揺れちゃった。恥ずかしい。やだ。ニクス、見ないで。あ、手が、動く。ニクス、ニクス、ニクス――……っ――。
「……テリー?」
――ニクスの手が止まる。あたしはくたりと、脱力した。
「わっ! テリー!? 大丈夫!?」
「ら、らいひょうふ……」
「大丈夫じゃないよ! わあ、大変! もう寝よう! 女性フェロモンだっけ? ホルモンだっけ? なんか、出過ぎても危ないらしいから!」
「大丈夫。あたし、これで、なんか、胸が大きくなる気がするの。…… ニクス、……また今度、やって?」
「……テリーがいいなら、あたしは別にいいけど……」
コツンと、額同士が重なる。
「無理はしないこと」
「んっ」
「わかった?」
「……うん」
「お疲れ様」
むちゅ。
ニクスに、瞼にキスをされた。
(……されちゃった……)
ニクスに、キス。
(なんか、あたし達、親友よりも親友みたい……!)
寝転んだニクスにぴったりくっつく。
「ニクス、ニクスは胸揉まなくていいの?」
「あたしはこれ以上大きくしたくないもん」
「……そう」
「ね、また元気な時にやろうよ。付き合うから」
「……うん」
「……眠れそう?」
「体、あったかくなったの。……だから、眠くなってきた」
「よかった。マッサージ効果もあったのかな?」
「……ん……」
「テリー、……おやすみ」
ニクスが囁く。
「大好きだよ」
「……ニクス……」
これだけは言いたい。
「あたしも、だいすき……」
「……ありがとう。テリー」
ニクスと抱きしめあって、二人で狭いベッドで眠る。
ニクスが優しく微笑んだ。
ニクスが優しくあたしを撫でた。
ニクスが廊下から聞こえる音に気付いた。
ニクスが扉を睨んだ。
「来るなよ」
呟く。
「テリーに何かしたら、絶対に許さない」
雪のような鋭い目が光った。
「キャロライン? どこに行くの? ……待って。……キャロラインったら悪い子ね。待ってよ」
おいで。おいで。お姫様。こっちだよ。
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