第14話 優雅な休日(2)


 ――息遣いを感じて、意識が戻ってくる。


(……ん……?)


 ぼんやりと視界が曇っている。


(……ニクス……?)


 側にいる影に手を伸ばす。


(……)


 なんか、臭い。


「はーーーーーあ」


 あたしははっと目を覚ます。


「はーーーーーあ」


 目の前に前歯が一本欠けた汚い口が広がっていた。


「さあ、始めるぞ! 助手君!」

「了解! とかなんとかです!」


 一人は老人。片目の眼帯がきらりと光った。

 一人は男。かけられた眼鏡がきらりと光った。


「「採取開始!」」

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 あたしは躊躇なく拳を突きだした。


「はぶっ!」


 老人が吹っ飛ばされた。変な機械に頭をぶつける。


「ああーーーー! 博士ーーーー!!」


 白衣を着た男が白衣を着た老人に駆け寄った。


「大丈夫ですか!? 物知り博士!」

「んーふふふふ! 実に元気なお嬢様ですわ! いやあ、愉快愉快!」

「流石博士! ポジティブシンキングな思考回路をここで発揮させるなんて、素晴らしい! とかなんとかですってね!」

「ひいいいいいいい!!」


 後ろに下がると、ふらりと体が下に落ちていく。


「はっ!」


 頭を地面にぶつける。


「いだっ!」

「そりゃそうですわ。頭をぶつければ脳に痛みの信号が伝わって痛みというものを感じてしまうのだから痛いのは当然のことですわ」

「その通り!」

「んぐぐぐ……!」


 顔を上げると、白衣を着た老人と男が並んで立っていた。頭を押さえて必死に睨む。


「何よ! てめぇら! 何なのよ!」

「何を言われますか! テリー・ベックスお嬢様!」

「とかなんとかってね!」

「身元特定は犯罪なのよ! クレアに言ってやるからね!」

「んーまあ! 私をお忘れですかな? あなたと妹のメニーお嬢様のお体を隅々まで診察してあげましたってのに!」

「とかなんとかってね!」

「診察ですって!?」

「いかにも!」


 老人と男が手を握り、左右に体重を乗せて、ポーズを決めた。


「ご無沙汰しておりますわ! お嬢様!」

「この方はかの有名な物知り博士!」

「スペードですわ!」

「スペード博士でございます! とかね!」

「そして彼はわたしの優秀な助手君!」

「クラブでございます! なんとかね!」

「自己紹介は以上!」

「さあ! あなたは気になってるはずだ! ここはどこなのかと!」

「いかにも! ここは研究室! 我々の職場なの!」

「ここでは様々な研究を行っている! 男の体。女の体。人間の細胞。ああ! そうだ! 博士、こいつを見せてあげましょうよ! あまりのすごさに、お嬢様が感動して涙を流して、その涙を提供してもらいましょう!」

「んーま! 助手君! なんて素晴らしい案だろう!」

「テリーお嬢様! こいつをごらんあれーー!」


 クラブがあたしに大きな水槽を見せた。中に何か入ってる。


「……何それ。気持ち悪い……」

「とある女性から取った細胞さ!」

「そのとおり! なんて神々しいのかしら!」


 クラブとスペード博士がうっとりと水槽を眺めた。


「これをなんと、我々が精子細胞に変化させるだなんて!」

「これは画期的なのよ! なんて言ったって、変化させることが出来れば、女の同性愛者でも子供を産むことが出来るのだから!」

「あともう少しなんだ」

「あとちょっと何かを加えたら成功する」

「成功したらこれを世に届けるんだ!」

「ふぁっふぁっふぁっふぁっ! かー! ごっくん! 夢が大きくていいわねー! 助手君!」

「そうですね! 博士!」


 二人が肩を抱いた。


「というわけで、あなたの細胞もちょこっといただきたい」

「とかなんとかね」

「おや、助手君。なんてことだろう。テリーお嬢様が涙を流していないぞ」

「はっはーん? 感動しすぎて、涙腺反応が麻痺してしまっているんだな? とかなんとか。はーあ。流石です。博士。女の子一人の脳を、麻痺させてしまうだなんて」

「そういうことならしょうがない。ならこれを使おう。大丈夫よ。怖くない怖くない。ちょこっとこいつを舐めてくれるだけでいいの」


 変な紙を向けられる。


「さあ! お嬢様!」

「さあ! お嬢様!」

「「レッツ! 細胞採取!」」

「ふんぬ!」

「ふぁっ!」


 ベッドの足を押すと、博士に倒れた。


「ふぁーーーーー!!」

「あーーーーー! 博士ぇーーー!!」


(今のうちに!)


 あたしはふらふらと立ち上がり、急いで走り出す。


「博士! ノンストップ! ノンストップ!」

「あいたたたた!」

「ドントストップ! ドントストップ!」

「助手君! 歌とダンスはいいから、ベッドを起こしてちょーだいな!!」


 あたしは二人を無視して扉を開ける。その先に階段が続いている。


(な、何なのよ! ここ!)


 あたしは裸足の足を動かし、階段を駆け上がる。


(ニクス! ニクス! 助けて! ニクス!)


 必死に辿り着いた扉を開ける。すると――本棚の景色が広がった。


「っ」


 ――図書館?


(なに……ここ……?)


 高さのある本棚がひたすら並び、舞踏会ホールのように広い部屋。上を見上げれば、建物を囲うように丈夫そうな階段が上まで続いていた。


(……ん?)


 横の壁を見ると、バケツの水を被った魔女の絵が描いてあった。


「……」


 見上げると、緑の国に降り注ぐ紫の天使の絵。そこに向かって歩いていく、カカシ、ブリキのきこり、ライオン、女の子、猫の絵。


「……」


 遠くには海がある。海には人魚の絵。


「……」


 空にはコウノトリと羽が生えた猿の絵。


「……」


 追いかけてくる巨人の絵。

 嘘つきほらつき看板の絵。

 闇から這い出る蜂とコウモリと吸血鬼の絵。

 森を走るねずみの大群の絵。

 北から見守る白き魔法使いの絵。

 南から見守る赤き魔法使いの絵。

 東には、家の下敷きになった魔法使いの絵。


(……)


 地面には、草の絵。あたしの足元には、テリーの花の絵が描かれていた。


(……)


 不思議な世界が、壁中に描かれていた。


「初代国王が、職人に描かせたものだ」


 はっとして振り向くと、クレアが本棚に寄り掛かっていた。


「おはよう。ロザリーちゃん」

「……どこよ。ここ」

「ゆっくりしていくがいい。ようこそ。我が城へ」


 クレアがにやりとして、お辞儀をした。


「我が塔へ」


 クレアが頭を上げた。


「ここではとある研究を行っている。本来、あたくし以外は立ち入り禁止だが、お前は特別だ。今日一日お前がいないせいで、あたくしはとても暇で窮屈だった。生理を理由に休暇を取るなど、何を考えている。恥を知れ」

「……あんたも人のこと言えないでしょう」

「あたくしはいいんだ」

「……最低」

「薬を打ってもらった。体調はどうだ?」

「……そうね。元気よ。すごく」

「そうだろう。あたくしに感謝するんだな」

「帰る」

「それは推奨しない」

「どうして」

「お前が寝ている間に日が暮れた。今日は泊まっていけ。暗闇の帰り道は怖いぞ。ロザリー人形が動き出すかもしれない」

「……」

「素敵な所だろう?」

「……」


 あたしは見上げる。ここからでは塔の天井が見えない。それほど広大で大きい。またクレアに視線を戻す。


「どこで寝るのよ。本棚だらけで、まるで中央図書館だわ」

「あんな形だけの図書館と比べ物にしないでもらいたい。ここは歴史ある場所だぞ」

「ああ、そう。悪いけど、そういうことでも考えて気を紛らわせないと、ここにはいい思い出がないのよ」

「いい思い出がない? まるで来たことがあるような口ぶりだな」

「……」

「……なんだ。その目は」

「……去年」


 クレアを睨む。


「塔の前であたしにマントをかぶせたでしょう」

「……」


 クレアがにやりとした。


「いつの話だ?」

「ハロウィンが終わった後の、パーティーでよ」

「知らないよ。あたくしがマントを使って遊んでいただなんて、誰も知らないことだ。それに、あのチビには逃げられてしまった。ああ、実に残念だ。ロザリー人形みたく、あたくしのお人形ちゃんにしてやろうと思ったのに。ところでどうだい? ロザリーちゃん。ええ? あたくしはな、人を撃つ時、弾を変えるんだ。そうだな。パーティーでひと暴れしてやろうと、あたくしはゴム製の弾を入れていた。当たったら痛いだろうさ。ええ、痛いとも。そうだとも。それで、くひひっ。もしも、これが足に命中していたら、赤くなっていただろうな。どうだった? 痛かったか?」

「……」

「このあたくしが気付いてないとでも思ったか? くひひひ!」

「……わかってたの?」

「あたくし、人には全然会わないんだ。だから、会ったらすぐに覚える。人の顔を覚える脳みその容量が残っているからな。だがしかし、だからなんだ? 会っていたとしてもしなくても関係ない。あたくしがお前を側に置いたのは、お前がロザリーで、ロザリー人形が動くかもしれないからだ。他に理由があるか?」

「……」

「くひひひ! そう睨むな。こうしてお友達になれたんだ。過去の戯れは忘れて、今夜はここで平和に過ごすと良い。あたくしも何もしない。本当だよ。お前には何もしない。今だけは仲良しのお友達だからね。くひひひっ!」

「……」

「お前がいない朝は実につまらなかった。からかう相手はいないし、喋り相手もいない。使用人はみんな怯えてる。先生は呆れてる。あたくしは何もしてないのに。……こんなつまらないことはない」

「だから抜け出したの?」

「スリルが満点だった」

「メイド服どうしたのよ」

「盗んだ」

「最低」

「敵のアジトに忍び込む時、変装って大事なんだぞ。お前、まさか知らないのか? だっさ」

「あのね、あそこは敵のアジトじゃない。あたし達使用人の暮らす部屋が集められた場所よ。メイド服新品にして返しなさいよ」

「すでに新品を置いてある。お前と交換だ」

「はあ……」

「今夜は、昼間の分を取り戻すつもりで、あたくしの話し相手になるがいい。ほら、来い」

「あたし、明日も仕事なんだけど」

「そうか。偶然だな。あたくしも仕事だ」

「部屋で友達が待ってる」

「あたくしは優しいから伝えてあるぞ。置き手紙を残した。ロザリーはいただいた。怪盗パストリルとな」

「遊んでるでしょ」

「スリル満点だ」


 歩き出したクレアの背中について行くと、あたしが手を置いた本棚がかたんと音を鳴らした。


(ん?)


 上からほこりだらけの本が降ってきた。


「ふぎゃ!」


 あたしの悲鳴にクレアが振り向いた。


「ああ、気をつけろ。ここは本が積み重なってる。よく降ってくるんだ」

「……誰も片付けないの?」

「ここに近付く者はいない。バドルフ以外はな」


 あたしは本を頭から退けた。


「お前の頭に降ってきたのも何かの縁。その本はお前にやろう」

「このほこり臭い本?」

「あの狭い部屋に戻ったら読めばいい。どうせ夜は暇だろう?」

「うるさいわね……」


 あたしはほこりを払いながらクレアについて行く。しばらく迷路のような道を歩いていると、クレアが階段ではなく、エレベーターの前で止まった。ボタンを押すと、レトロな作りのエレベーターが下りてくる。


「入れ」

「……」


 黙って入ると、扉が閉まる。クレアと共に上に上がっていく。それにつれて、エレベーターから見える壁の絵が変わっていった。


 家が上から降ってくる。

 女の子と猫が家から出てくる。

 女の子と猫がカカシと出会う。

 女の子と猫がきこりと出会う。

 女の子と猫がライオンと出会う。

 文字が書かれている。「ずっと俺様の大事な友達!」

 最上階に、緑の国が待っている。


 扉が開く。


 エレベーターを下りると、両開きの扉がぽつんと設置されていた。クレアがずかずかと進み、慣れた手つきで扉を開ける。その部屋の中を見て、あたしは目を見開いた。


(なっ)


 何でもそろってる。

 大きなテレビがあって、ラジカセがあって、本棚があって、ぬいぐるみがあって、お人形があって、コスメのセットが揃ってて、冷蔵庫があって、キッチンがあって、お風呂があって、トイレがあって、まるで、一つの家のように、なんでも揃ってる部屋。壁はピンク。地面もピンク。女の子らしい部屋だったり、そこを抜けたらシンプルな白い壁と赤い絨毯の部屋になったりそこを抜けたら高級感のあるシックな壁と絨毯で包まれていたり、位置によって、ころころ変わる変な部屋。


「ロザリー、何が食べたい?」

「……あんたが作るの?」

「そうだよ。あたくし以外、キッチンには立たせない」

「……水は出るの?」

「出るよ」

「食料はあるの?」

「ああ。足りなくなったら補充に来るからな」

「誰が?」

「バドルフが」

「……どうして?」

「あたくしを外に出さないため」


 クレアがにこりと微笑んだ。


「エメラルド城には、父上と、母上と、弟達の部屋がきちんとある。あたくしのお部屋もあるんだよ? でも、あたくしが満足に使えたのは、生まれた時からこの部屋だけだった」


 何でもある部屋。ないのは、人だけ。


「誰も近づかんさ」


 クレアが笑った。


「あたくしに、何をされるかわからないからな」


 照明のろうそくが一気についた。あたしは振り向く。流れるように火が立ち、シャンデリアが全て灯った。


「父上と母上は、あたくしをここに閉じ込めた」


 大きな丸い窓。まるで満月のような形。


「キッドとリオンは城に置いた」


 けれど、


「あたくしは、塔の中」


 クレアが手をくるんと回した。


「外に出ることは許されなかった」


 どこからか風が吹いた。


「あたくしを知った者達が、全員おそれたから」


クレアが微笑んだ。


「お前も怖いか?」


 水が出た。皿が動いた。扉が開いた。窓が開いた。けれど、あたしもクレアも動いてない。勝手に風が吹いて、周りが勝手に動いたのだ。これがクレアに取り憑いた悪霊の仕業か。


 ――いいや、違う。


 あたしはこの現象を勉強したことがある。キッドと話したこともある。


 昔、人間の間では、時々、なんの予兆もなく、『魔力』をもつ人間が産まれていた。その人間を、あたし達はこう呼んだ。





 魔法使い、と。





「悪霊じゃない」


クレアの髪が静かに下りた。


「魔力があるのね?」

「その通り。あたくしは、偉大なる魔法使い!」


 クレアが鼻で笑った。


「魔力と呼ばれるものが体にあるだけで、魔法使いか。ならば、霊能者は魔法使いか? 占い師は魔法使いか? だったら、おかしいな。彼らはなぜ外にいて、あたくしはここにいる」


 クレアがブランコに乗った。


「お前は何もしてないのに、気味が悪いと言われたことはあるか?」

「……」

「あたくしは言われた。だからここにいた。そうすれば、誰もあたくしに何も言わない」

「……」

「おかしな話だ。キッドは良くて、リオンは良くて、あたくしはだめ。あたくしは長女なのに、仲間外れ。魔力があるというだけで。ははっ。本当、おかしいよ。この国は。父上も、母上もいかれてる」

「……」

「怖いか?」


 クレアがあたしに顔を向けて、にこりと笑った。


「おそろしいか?」

「なめないで」


 あたしは隣のブランコに乗った。


「お前みたいに魔力を持ってる連中を知ってるわ」

「ルビィとソフィアか? ああ、去年からリオンもか」

「……」


 あたしはクレアを見た。クレアがあたしを見た。


「なんだ。その顔は? 知ってるんだろう?」

「……あんたも、知ってるの?」

「ここでは何の研究が行われていると思う? なぜ人の細胞を取っていると思う? 全ては魔法による呪い。中毒者の研究のためだ」


 リトルルビィが言ってた。研究開発班の人達に、血と同じ成分の飲み物をもらって、身体測定をしてもらっていると。


「いつかキッドが言っていたな。中毒者を引き寄せやすい婚約者がいると。あれ、お前のことだろう?」

「……」

「中毒者の研究を続ければ、呪いの副作用が消える方法が見つかるかもしれない。つまり、その方法を試せば、あたくしの体から魔力が消える。あたくしは完全な人間になれる。キッドは、王になりたい一心で、いや、よくぞ見つけてくれた。あたくしはその点では、奴に期待している」

「……悪霊に呪われてるわけではないのね?」

「呪いか。だとしたら、生まれる前に受けたのだろうな。あたくしだって、好きでこんな力を持ったわけじゃない」


 風が吹いて、クレアの髪が揺れた。


「この力がなければ、あたくしは、今頃、この国のプリンセスとして、笑って暮らしていたんだ」


 呪われたお姫様が拳を握った。


「いいか。テリー」


 クレアが鋭い目をあたしに向けた。


「ここから出た時、お前はあたくしの存在を忘れなければいけない。あたくしは知られてはいけない存在だ。外に、あたくしの情報を言ってごらん。あたくしの魔力が、お前の首を絞めに行くからな」

「……言ったところで、あたしの得にならないでしょ」

「どうだろうな。記者に情報を売れば、お前の騒ぎが治まり、注目はあたくしに向けられるかもしれない」

「だったら、なんであたしに言ったの。言わなければ、そもそも、ここにあたしを連れてこなければ、そんな危険もなかったはずよ」

「……確かにそうだ。お前に言わなければ、ここに連れてこなければ、そもそもそんなリスクを背負うことも無かった。でもね、ほら、女の子って、スリルを味わうのが好きだろ? それに……」


 クレアがまたにやりとした。


「ロザリーたんは、あたくしのお友達だから。特別なの」

「ああ、そう」

「お友達はお部屋に招待するものだ。そして秘密の話をするんだ。リスクを背負うことでわくわくするじゃないか」

「あなたにとっては、脅しも、リスクを背負うことも、単なる暇つぶしってこと?」

「暇はあってはいけない。男が冒険者なら女は探検者だ。さあ、今夜は面白おかしいパジャマパーティーだ。風呂に入って着替えろ。その間に、あたくしは食事の用意をしなければ」

「……あたし、生理でそんなに食べれないわよ」

「何のために薬を打ったと思ってる。大丈夫。お前はまだまだ若い。胃もたれなんてそうそうしないさ」

「……」

「話は以上だ。早く入ってこい。美味しいのを、あたくしが用意しておいてやる」

「……虫とか出さないでしょうね」

「あたくしはゲテモノが大嫌いだ。早く行け。着替えは……」


 クレアが瞼を閉じて、すぐに目を開けた。


「置いた。さあ、行け」

「……」


 あたしは深く吸った息を吐きながら立ち、大人しく浴室に向かった。脱衣所には、可愛いフリルのついたネグリジェが綺麗に置かれていた。



(*'ω'*)



 あたしはテーブルを睨む。美味しそうなふわふんの白パンに、温かそうなシチュー。冷たいサラダが置かれている。クレアに視線を向ける。クレアがドヤ顔で見てくる。お姫様なのに料理が出来るぞ。魔力を使ったわけじゃない。さあ、どうだ。すごいだろ。褒めていいぞ。どやぁ。と言いたげな顔だ。あたしは椅子に座る。両手を握りしめる。


「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」

「いただけ」

「……いただきます」


 あたしはシチューを食べた。その瞬間、クレアを睨む。


「……あんたもビリーから料理を習ったのね」

「残念ながら、あたくしはあの怒りじじいではなく、先生に教えてもらった。ここにはバドルフしか近づかないものでな」

「……」


 じいじの味に似てる。


(……認めたくないけど)


 美味。

 あたしは何も言わずシチューを飲む。


「どうだ。ロザリーちゃん。感想は?」


 あたしは黙ってパンを食べる。……舌の上でとろけた。何このパン。一体、どうやって焼いたというの!? ふわっふわじゃない!


「お前は言葉に出なくても、顔に出るな」


 あたしはむちゃむちゃ食べながらクレアを睨んだ。別に、美味しいわけじゃないけど、何か? という目を向ける。


「……おかわりは?」


 あたしは黙って皿を差し出す。クレアが鍋からシチューを入れ、あたしに返す。


「ほれ」


 あたしは皿を奪い、またシチューとパンを頬張る。


「ロザリー、サラダも食べろ」

「……」


 あたしは皿に盛り付けたサラダを食べてみる。……くそ。美味だわ。新鮮な野菜の味を上手く出してやがる。こんなの許されない味だわ。畜生。料理のできる女なんか、くたばればいいんだわ。何よ。料理ができるからって偉いの? あたしだってね、これくらい作れるわよ。いちいちドヤ顔しないでくれる? むかつくのよ!


「……お前、思ったより食べるな……」

「……」

「……大食いって言われないか?」

「ん」

「お前、三回目だぞ」

「お黙り」


 お皿が小さいのよ。だから最終的に、八回もおかわりする羽目になったんだわ。もう少し大きい皿を用意しておきなさい。


「……鍋いっぱいに作ったのに……一夜でなくなった……」


 クレアがごくりと唾を飲んだ。


「なんておそろしい奴なんだ……。体は小さいくせに、胃は宇宙なのか……?」

「……食器洗うわ」

「あ?」

「何よ。あたしメイドなのよ。お姫様に洗わせるわけにはいかないでしょ」

「……そうか。では頼む」

「ん」


 あたしが食器を流し場に運び、スポンジで洗っていく。クレアが後ろからじっと見てくる。


「……クレア、お風呂行ってきなさい」

「……それが終わったら行く」

「あたしが皿を割るなんてミスをすると思ってるの? いいから行きなさい」

「……バドルフ以外の者が、そこで皿を洗う姿を見るのは、久しぶりなんだ」

「……スノウ様は来ないの?」

「来る。しつこいぐらいな」

「お皿は洗わないの?」

「あたくしが中に入れない」

「……どうして?」

「部屋に入れたくないからだ」

「……」

「それが終わったら、行く」

「……あ、そう」


 皿を洗って、棚に置いて、水を垂らして乾かす。鍋も同様。最後にふきんで台の上を拭けばおしまい。振り向くと、クレアが後ろからあたしを観察していた。


「ほら、お風呂行くんでしょ」

「……ん」

「くつろいでていい?」

「……好きにしろ」


 クレアが指を差した。


「ソファーもあるし、ベッドもあるし、好きに使え」

「わかった」

「……行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 クレアが脱衣所に入っていった。あたしはソファーに座り、部屋を改めて見回した。


(文句のつけどころがないくらい、何もかもそろってる)


 食料も補充される。娯楽もある。生きていく分には十分だ。


(ただ)


 なんだろう。


(なんというか、贅沢な牢屋みたい)


 リオンの病室にはベッド以外何もないけど、安全性が確立されていた。リオンも部屋にいる間は、安心しきった顔をしていた。一方、ここには何でもあるけれど、なんというか、一人ではとても広すぎて、セーラくらいの子供がここにいたら、寂しすぎて気が狂ってしまうのではないかと思う。そんな、冷たい部屋のようにも感じる。


(……ま、あたしには関係ないけど)


 ほこりっぽい本を広げる。


(いいわ。暇つぶしに読んでやるわよ。かび臭い本ね。触ってるだけで手が痒くなりそう)


 ページを開く。


(……あら、中は思ったより綺麗)


 いつの本なのだろうか。紙の素材は明らかに古いのに、新しいインクで書いたみたいに染み込んでる。あたしは本に目を通した。



 〇月×日


 好きなスープの作り方


 材料

 ・そこら辺の草

 ・うじ虫

 ・ほこり

 ・ねずみの爪


 鍋にお湯を張る。加熱する。湯気が出てきたら材料をまとめて入れて、呪文を唱える。おいしくなーれ。おいしくなーれ。出来上がり!



「……」


 あたしはページをめくった。



 〇月×日


 かぼちゃスープの作り方


 材料

 ・かぼちゃ

 ・へびの血

 ・窓に出来た霜

 ・髪の毛一本

 ・そこら辺の石


 鍋にお湯を張る。加熱する。湯気が出てきたら材料をまとめて入れて、呪文を唱える。おいしくなーれ。おいしくなーれ。出来上がり!



「……」


 あたしはページを開いた。



 〇月×日


 トカゲのスープの作り方。


 材料

 ・トカゲ


 鍋にお湯を張る。加熱する。湯気が出てきたら材料をまとめて入れて、呪文を唱える。おいしくなーれ。おいしくなーれ。出来上がり!



(……これ、何の本?)


 あたしはページをめくった。



 〇月×日


 ほこりのスープの作り方。


 材料

 ・ほこり

 ・ちり

 ・霜

 ・生ごみ


 鍋にお湯を張る。加熱する。湯気が出てきたら材料をまとめて入れて、呪文を唱える。おいしくなーれ。おいしくなーれ。出来上がり!


(……冗談よね?)


 あたしはページを開いた。



 〇月×日


 コウモリのスープの作り方


 材料

 コウモリの血

 コウモリの羽

 コウモリの胴体

 コウモリ二頭


 鍋にお湯を張る。加熱する。湯気が出てきたら材料をまとめて入れて、呪文を唱える。おいしくなーれ。おいしくなーれ。出来上がり!



 ああ、なんてことだろうね! あのコウモリの小娘! せっかく捕まえたコウモリを全部逃がしてくれたよ! 絶対に許さないよ! こうなったらタダじゃおかないからね! 畜生!



(……これを書いた人、スープが好きなのね)


 ページをめくる。



 〇月×日


 ご馳走の作り方


 材料

 ・雷

 ・雨を三滴

 ・牛一頭

 ・砂糖

 ・塩

 ・酢

 ・醤油

 ・味噌

 ・ハエ


 鍋にお湯を張る。加熱する。湯気が出てきたら材料をまとめて入れて、呪文を唱える。おいしくなーれ。おいしくなーれ。出来上がり!



 なんてことだろうね。料理を出した途端、主様が帰ってしまわれた。せっかくのご馳走が台無しじゃないか。仕方ない。あたしが食べてしまおうと思って食べたら、これが美味い。だがね、しかしね、何かちょっと足りない。そうだ。ほこりが足りない。あのぴりっとする感じがまるでない。これではただのご馳走じゃないか。あたしだってね、コウモリ娘がコウモリを逃がさなければ、主様にコウモリのスープを出せたんだ。あのコウモリ娘、許さないよ。ああ、腹が立つ! よし、憂さ晴らしに、この後誰か虐めてやろう。なんて言ったって、あたしは意地悪だからね。そうさね。あたしは意地悪しないと気が済まないんだ。だから虐めてやる。よし、コウモリにしよう。



(……コウモリを虐める本?)


 ページをめくる。



 〇月×日


 なんてことだろうね! 東の魔女がやられちまった! やったのは女の子だ! アメリアヌが呼んだ小さな女の子が、東の魔女を殺したよ! しかも、エメラルドの国へ向かうだなんて! 主様はお怒りだよ! 許しを乞う旅だって? そんなのね、神さまやお天道さまが許したって、あたしは、許さないよ。なんて言ったってね、あたしは悪い魔女だからね! こうなったら邪魔してやろうと思ったが、そう簡単にはいかないよ。どうしてって言ったらさ、アメリアヌがあの女の子に守りの魔法をかけちまったもんだから、あたしには手も足も出せないってわけさ。ふん。でもあたしは負けないよ。なんて言ったって、あたしは意地悪な魔女だからね! あの女の子を嫌というほど虐めてやる! 覚悟しておくんだね!



(……誰かの日記形式の本かしら。ああ、こういう本って長いし疲れるのよね)


 後ろのページをめくる。


(最後はなんて書かれて……)


「待たせたな。ロザリー」


 顔を上げると、あたしとおそろいのネグリジェを着たクレアがトランプを持っていた。あたしは顔をしかめた。


「パジャマパーティーと言ったら、トランプだ。キッドがそう言ってた」


 クレアがトランプを広げた。


「ババ抜きだ」


 クレアがトランプを構えた。


「ロザリー。やれ。あたくしの対戦相手になるんだ。早く」

「……あたし今、本読んで……」

「早く!」


 クレアが瞳を輝かせる。


「位置につけ!」

「……はあ……」


 あたしは本を閉じ、クレアに向き合った。


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