第15話 侵入者は猫と来る(1)


 突然、すさまじいサイレンが鳴る。


 あたしは悲鳴をあげて飛び起きた。そして、周りを見回す。ここはどこ!? 横を見て、また悲鳴をあげた。キッドが危ないラインぎりぎりの肌をさらけだし、あたしの隣で眠っていた。ここはどこ!? サイレンが鳴り続く。あたしは耳をふさいでパニックになる。ここはどこ!? あたし、死んじゃう! 次の瞬間、舌打ちが聞こえて、キッドがあたしの手を掴んで引っ張った。あたしは悲鳴をあげてベッドに倒れた。


「うるさい。黙れ」


 キッドが低い声で言い放ち、無線機を出した。


「どうした」

『おっはようございます! クレア姫様! とかなんとかね! 城下町から侵入者が入り込んできたとか!』

「……門番が居眠りしていたか。そんなことでサイレンを鳴らすな。猫が怖がってる」

『猫? あれー!? 猫なんて、おりましたっけ!?』

「ああ、あたくしが今、押しつぶしている」


 むぎゅう。


「侵入者などとっとと捕まえろ。使えん兵士達め」


 キッドが無線機を切り、ふー、と息を吐いて、……チラッと胸で押しつぶすあたしを見下ろした。あたしは枕とキッドの胸に挟まれて、つぶれている。手をぱたぱたさせると、手を上から押さえられた。ああ、手が使えないわ! あたし、押しつぶされて死んじゃう! もうおしまいよ! 絶望よ! 重たい!


「やい、猫ちゃんや、落ち着いたか?」

「……むぎゅ……」

「落ち着いたらもう一眠りだ。まだ起きるのには早い。あたくしは眠たい。お前も付き合え」


 キッドが退けて、あたしの背中に手を置き、優しくとんとん、と叩いて撫でた。あたしは青い顔でキッドを見る。


「大丈夫?」

「大丈夫だ」

「耳がきーんってするの。ねえ、あたし何してたっけ? ああ、記憶が飛んでるわ。ジャックがきたんだわ! キッド、どうしよう。あたし、記憶がないの! あたし、死んじゃう!」

「……誰がキッドだって?」

「朝だわ! 起きて朝ごはんを食べないと!」

「お前、寝ぼけてるだろ」

「早く起きなきゃ。じいじがフライパンを叩きに来るわ。ほら、早くしてよ! お前のせいで怒られるじゃない! 早く起きるのよ!」

「大丈夫だから寝ろ」

「大丈夫?」

「ん」

「大丈夫なの!?」

「大丈夫」

「……え!? 今、何時!?」

「五時」

「なんだ。まだ眠れるじゃない。あんた今日も美人ね。くたばれ。おやすみなさい」


 あたしがそのままくたりと脱力して数時間後、時計を見て、あくびをするクレアを見た。


「……完全にアウトだわ……」

「あたくしはまだ眠い……」

「今何時だと思ってるの。もう出勤時刻はとうに過ぎてるわ」


 あたしはクローゼットを開ける。ドレスを選んで運ぶ。


「お姫様、着替えて。宮殿に行かないと」

「ふわあ」


 あたしは昨日クレアが着ていたメイド服に着替える。ぶかぶかだけど仕方ない。


「ほら、起きた!」

「お腹空いた……」

「マールス宮殿に行ってからランチにしましょう! ほら、起きた! 動け!」


 着替えさせて、髪の毛を結んで、今日もお綺麗なクレアを部屋から出して、塔の下に下りる。一階ではスペードとクラブが研究室から出ていて、受話器を握りしめていた。


「なに? 侵入者がまだ見つからないとな?」

「とかなんとかですって?」

「わかりましたわ。クレア姫様にお伝えしておきますわ」

「とかなんとか合点承知ってな」

「それでは」


 スペードが受話器を戻した。そして、あたし達に気がつく。


「おはようございます。クレア姫様、テリーお嬢様」

「おはようございます。とかなんとか」

「今朝の侵入者ですが、まだ見つかっていないそうです。どこかで居眠りでもしているのかもしれませんな」

「細胞を提供してくれたらいいのに、とかってね」

「おお! 助手君! そいつはナイスアイディア! こうなったら、我々が誰よりも先に侵入者を見つけようじゃないか! 外の細胞をゲットできるぞ!」

「わお! 流石、スペード博士! なんて機転の利く方なんだろう! 準備とかなんとかいたしましょう!」


 二人が笑顔で地下の研究室に走っていった。あたしとクレアは顔を見合わせる。


「侵入者って何?」

「お前覚えてないのか? 朝にサイレンが鳴ったじゃないか」

「……鳴ったっけ?」

「ふむ。侵入者捜査か。まだ続いていたとは、相当な隠れ上手に違いない。おい、ロザリー、網を用意しろ。あたくし達も探すぞ」

「あなたは仕事……」

「侵入者が怖くて、あたくし、お仕事に集中できなーーーい!!」


 というわけで、虫取り網を持ったあたしとクレアが外に出た。塔の外に出ると、見覚えのある景色が広がる。前に来た時は夜だった。クレアと長いゲージを通り、庭を通り、少し歩けばマールス宮殿に戻ってくる。これだけ広ければ、侵入者はどこでも好きに隠れられるだろう。


「ふむ、案外ここまでの道のりで見つかると思っていたが、そうでもないようだ。ロザリー、慎重に行け」


(なんでこんなに広いのよ。怪盗パストリルならすでに何か盗んだ後じゃない。……あ、そうだ)


「クレア、リトルルビィは?」

「ん?」

「あの子の事情、中毒者を知ってるなら知ってると思うけど、呪いの副作用で鼻が利くのよ。あの子に聞いてみてもいいかも」

「ふむ。一理ある。だが、ルビィはどこにいるかな。あたくしは知らんぞ」

「確かに……」

「あ、ロザリー!」


 声にはっとして振り向くと、あたし達の上にある石でできた橋に、ニクスとコネッドが立っていた。


「ごきげんよう、クレア姫様!」

「ごきげんようでごぜえます!」

「ふむ。ご苦労」

「ねえ、ロザリー、ぺスカを見なかった!?」

「ぺスカ?」

「今朝からいないの! 知らない!?」


 あたしが首を振ると、ニクスが眉をひそめた。


「……やっぱりか」

「クレア姫様! 今、侵入者がいらっしゃるそうで! どうぞお気を付けくださいませ!」

「そばかすのメイドよ。キッドの右腕を見なかったか?」

「ルビィ様でしたら、あちらに向かわれました!」


 コネッドが手を差す方向にクレアとあたしが振り向いた。またコネッド達に振り向いて、あたしは手を振る。


「また後で!」

「ロザリー! おめえさん、パストリル様に誘拐されたんだべ!? あとで話し聞かせてくれー!」


 コネッドがあたしに手を振り返して、ニクスと橋の向こうへ渡っていく。虫取り網を持っていることから、侵入者探しだろう。あたしはクレアに振り向いた。


「あっちですって。一応行ってみない?」


 クレアが頷き、一緒にその方向に向かう。しばらく歩いていると、大きな木が見えてきた。


(あ)


 その木の下で、リトルルビィとソフィアが虫取り網を持って何か話していた。ふと、足音に気付き、二人とも振り返り、リトルルビィがにぱっと笑みを見せた。


「テリー!」

「誰それ」

「ロザリー!」


 あたしを上から抱きしめて、すりすりしてきた。


「おはよう。ロザリー。今日はいいお天気ね」

「リトルルビィ、侵入者を探してるんだけど、何か知らない?」

「……そのことなんだけどね……」


 リトルルビィが顔をしかめて、あたしから離れた。


「ロザリー、怒らない?」

「ん。あたしは怒らないわよ」

「……クレア」

「見つけたのか?」

「うーーーーん……」

「そこにいるのか?」


 クレアがずかずかと木に歩いていく。ソフィアがくすすと笑った。


「おはようございます。殿下」

「侵入者は?」

「上です」


 クレアが上を覗いた。


「どこだ?」

「ええ。ここからでは見えないでしょうね。くすす。いつ練習してたのか、彼女は木登りが上手いようです」

「女か?」

「少女と」


 ソフィアが銃を構えた。


「一匹の猫ちゃんです」


 ソフィアが銃を上に撃った。すると、上から猫の悲鳴が聞こえた。木が揺れ、猫が慌てたようにすさまじい勢いで下りてきた。緑の目が一瞬光り、クレアを見つけた瞬間、猫が飛びつき、クレアの腕の中にすっぽり入った。


「おっと、こいつは」

「っ」


 あたしは目を見開いた。


「ドロシー!?」

「にゃー」

「ん」


 ドロシーがクレアの胸元にちょこんと頭を押し付けていた。


「知ってる猫か?」

「……」

「お前、可愛いな。目が緑色だなんて、珍しい」

「にゃあ」

「……ということは、まさか、侵入者って……」


 リトルルビィが苦笑いを浮かべた。


「そのまさかです……」

「起きてるの?」

「……もう、それはそれは本当に気持ち良さそうな顔で、お嬢様はとても安らかな睡眠中でございまして……。それで、起こすのも可哀想だからどうしようって、今、ソフィアと話してたの」

「あら、木から女の子が降ってくるわ。リトルルビィ、抱える準備をしておいて」

「はい!」


 あたしは構わず木の下に歩き、構えるリトルルビィを横目で見てから、息を大きく吸って――叫んだ。


「あんた、ここで、何してるのーーーーーーーーーー!!!!!!!」

「うわああああああああああ!!!」


 甲高い悲鳴が聞こえて、木が揺れて、重たいものが落ちてくる音が聞こえた。リトルルビィが即座に動き、木に足をつけて、走り、降ってきた影を抱き止め、地面に華麗に着地した。


 寝ぼけた目のメニーが、リトルルビィに掴まり、目をくるくる回していた。


「はええ……。耳がきーんってするの。ねえ、私何してたっけ? あれ、記憶が飛んでる。ジャックがきたのかもしれない! ドロシー、どうしよう。私、とうとう記憶が取られちゃった! あれ、リトルルビィだ」

「メニーが寝ぼけてる……」

「わあ、明るい! 朝だ! お城に行かないと!」

「メニー、起きて」

「……え!? 今、何時!?」

「十一時くらい」

「なんだ。お昼か。ランチの前に起きればいいや。すやあ」


 あたしは額に青筋を立て、メニーの耳に怒鳴った。


「起きんかい!!!!!!!」

「ぴゃっ!?」

「にゃー!」

「……あれ、お姉ちゃん……?」


 メニーが目を擦らせ、あくびをした。


「ふわあ……」

「あんた、ここで何やってるの」

「ああ、合流出来てよかった。ふわあ……。お姉ちゃんが行ってから、もう一ヶ月くらいでしょ? だから……ふわあ……様子だけ見たくて……」

「あのね、おかげでお城の中が大騒ぎよ」

「私も、ここまで大きくなるとは思ってなくて……ふわあ……」

「メニー、眠たそうだね」

「朝早く出たからね……」

「にゃあ」


 ドロシーがクレアの腕から鳴き、クレアの胸にすりすりし始めた。そんなドロシーを睨む。


「……元気そうね。ドロシー」

「にゃあ」

「……メニー。このままリトルルビィに運んでもらって帰りなさい。あたしなら大丈夫だから」

「あ、そう。それでね、思いついたの。お姉ちゃん!」


 メニーがリトルルビィの腕から下りて、ドレスのポケットからチラシを取り出し、広げた。


「これ、なーんだ!」


 見ると、そのチラシは紹介所によるチラシで、城がメイドの人員募集をしているという内容のものだった。メニーが目を輝かせる。


「リトルルビィは9歳の頃から働いてるし、お姉ちゃんは14歳で働き始めた。学年で言えば、私はリトルルビィと同じ学年で、二月で13歳。何が言いたいか。つまり、私は、もうすでに働くことができる年齢だということです!」

「……」

「どうせ、まだいるんでしょ?」

「……」

「ねえ、睨まないで。どうしてかわからないけど、チラシに書かれた電話番号に繋がらなかったの。だからこうして来るしかなかったの」

「……話を整理するわ。つまり?」

「つまり」

「あんたもここで働く?」

「履歴書持ってきました!」

「だめに決まってるでしょ!」


 あたしは履歴書を真っ二つに破った。


「あ! 私の履歴書! お姉ちゃん、ひどい!」

「なにがひどいものですか! あんた、ママ達にどうやって言って出てきたの!」

「……手紙、残したもん」

「年頃の娘が家出だなんて、なに考えてるの!!」

「お姉ちゃんなんか、駆け落ちでしょ!」

「あたしのことはいいの!」

「理不尽だ!」

「お黙り!!」

「働きたいのか?」


 あたしとメニーがクレアに振り向いた。メニーがきょとんとする。


「いいぞ。一人くらい。あたくしが許可する。リリアヌに言っておこう」

「えっ……」

「なんだ? 知り合いなのだろう? お前の友人か?」

「……」


 あたしとメニーが顔を見合わせ、またクレアに視線を戻した。


「……あたしの妹よ」

「妹?」


 クレアが思わず聞き返した。


「お前はあたくしをばかにしているのか?」

「義妹よ。貴族ならよくある話でしょ」

「……なるほど。義妹か。道理で似てないと思った」


 クレアがメニーに微笑んだ。


「こんにちは、美しいお嬢さん」

「……キッドさん、何してるんですか?」

「あら、キッドを知っているの? くくっ。姉妹揃って口説かれたか?」

「クレア、この子、口が固いの。言えば、誰にも言わないわ」

「ああ。そうしてくれないと、その娘を殺すしかないからな。口を閉じるようよく言い聞かせておけ」

「メニー」


 メニーがあたしを見た。


「キッドの双子の姉の、クレア姫様よ」

「……双子?」


 メニーが顔をしかめた。


「キッドさん、双子だったの?」

「……絶対に秘密よ」

「……うん。わかった」

「お前、メニーというの? 美人だな。大人になったらもっと綺麗になるぞ。ロザリーよりもお人形みたいだ」

「クレア」


 メニーとクレアの間に入る。


「一つだけ。この子にあまり関わらないで」

「うん? あたくしが関わってはいけないの? どうして?」

「あんたがすごく意地悪だからよ」

「あたくしは歯向かう者に対して処罰を下すだけだ。意地悪じゃない。これは優しさだ。正当な躾なんだ」

「どこがよ」

「ロザリー、あたくしはその女の子がひどく気に入った。だって可愛くて美しいのだもの。あたくしのお部屋に連れて行って着せ替え人形にして遊びたい。よし、そうしよう。あたくし専属のメイドにしてやる」

「何言ってるの。だめに決まってるでしょ」

「嫌ならキッドのネタを持ってくるんだな。それなら考えてやらないこともない」

「クレア、キッドと喧嘩する時、どのタイミングがいいか知ってる?」

「……なんだ、それ」

「この子はあたし達と働く」

「……よかろう」

「寝起きよ。あいつ、寝起きは唯一頭が回ってないの。すぐに目を覚ますけど、時間との勝負で勝つことも出来る」

「有力な情報だな。どうもありがとう。ロザリーちゃん」


 クレアが一歩メニーから距離を引いた。


「ついでだ。この騒ぎを治めてやる。二人とも、しばらくしてからリリアヌの所へ行け。履歴書なんざ、あってないようなものだ。それまで久しぶりの姉妹水入らずの時間を過ごすと良い。ああ、それにしても、侵入者がロザリーの妹だったなんて、ゾンビになったリオンだと思っていたのに。虫取り網の意味がなかったな。こいつでぱかりとやりたかった。つまんない」


 クレアが肩をすくませ、腕の中にいるドロシーを見た。


「お前はあたくしについてくるか?」

「にゃあ」

「可愛いな。よし、おいで」


 クレアがドロシーを撫で、一緒に連れて行ってしまう。あたしはメニーを見て、リトルルビィを見て、ソフィアを見て――やっぱりメニーを見る。


「あんた、本当に何のつもり?」

「心配だったの」

「来ちゃ駄目でしょ」

「……本当は、嫌だったんだもん」


 メニーがむっと頬を膨らませた。


「お姉ちゃん、何も悪くないのにお城へ働きに出るなんて。結局リトルルビィとソフィアさんには見つかってるみたいだし」

「……」

「キッドさん、戻ってきたの?」

「……もう少しで戻ってくるはずよ。だから、この生活ももう少しで終わるの。メニーが来なくてもね」

「いいもん。短期で募集してるし、事情を言えば、お姉ちゃんと合わせてくれるかも」

「そんな都合よくいくわけないでしょ」

「メニー、テリーは身を隠してるの。だから、姉妹ってことは言わない方がいいかも。私と友達って言えば、多少は利くかもしれないけど」

「……リトルルビィ、使ってもいい?」

「うん。政治家もコネがすごく多いの。だから使って」

「……ごめんね。ありがとう」

「とんでもない」


 リトルルビィがメニーの頭を撫でて、あたしを見た。


「テリー、あまり怒らないであげて。私もメニーの気持ち、すごくわかるから……」

「……」

「とりあえず、騒ぎも治まるだろうし、しばらくの間、私が使ってるお部屋に行こうよ。メニー、迷子にならないように私が案内してあげるね!」

「……。うん。ありがとう」

「どういたしまして!」


 リトルルビィとメニーが歩いていく。二人の背中を見て、ため息をつく頃、ソフィアがあたしの後ろから身を屈ませ、耳元で訊いてきた。


「いいの?」

「……いいわけないでしょう。あの子、なにも出来ないのよ。本ばかり読んで、ろくに体力だってないのに」

「へえ」

「クレアもクレアよ。なんで許可しちゃうわけ? 追い出せばよかったのに」

「君は本当にメニーが好きだね。ヤキモチ妬きそう」

「……大切な妹だもの」


 にっこり微笑む。


「お前も近づかないでね」

「くすす。気をつけるよ」


 あたしはリトルルビィ達の後を追う。ソフィアが背筋を伸ばし、メニーの背中を見た。


「やれやれ。厄介だな。本当に」


 ソフィアもようやく歩き始めた。



(*'ω'*)



 リリアヌが逆行でカッ! と光った。あたしとメニーが目を細める。


「採用いたしましょう。ルビィ様のご友人、ということならば、信頼出来ます。歓迎いたしましょう」

「ありがとうございます」

「こちらにサインを」


 雇用契約書にメニーがサインをした。名字のところには、以前の名字が使われていた。


「ロザリー、お部屋に案内しておあげなさい」

「あの空いてるところですか?」

「さようです」

「かしこまりました」


 お辞儀をすると、突然扉が開いた。振り向くと、ミカエロがドアノブを握っていた。


「失礼。リリアヌ」

「まあ! ミカエロ! お勝手にお扉をお開けるだなんて、あなたがファースト・フットマンだとしても許されません。失礼極まりない!」

「緊急なんだ。私の下で働くお馬鹿どもを知らないか? 気がついたら今日で三十人目」

「……見ておりません」

「そうか。……メイド達はどうだ」

「ロザリー」


 リリアヌが眼鏡を上に上げ、メニーを立たせた。


「ご案内を」

「はい」

「失礼いたします」


 メニーが頭を下げて、扉を閉めた瞬間、部屋の中から濃厚な空気を感じた。


「ああ、愛しのミカエロ! 大変そう! 大丈夫!?」

「愛しのハニー! 一体、どうなっているんだ! 仕事が増えすぎて頭がおかしくなりそうだ! でも、君のことはいつだって考えているよ。わたしの、翼の生えた小鳥ちゃん!」

「ミカエロ!」

「リリアヌ!」

「行きましょう」


 あたしはメニーの背中を押して橋を渡っていく。宮殿の中に入り、しばらく歩いていくと、ラメールが廊下の掃除をしていた。


「やあ、ロザリー」

「ラメール」

「新人か? やあ。こいつはどうも」

「こんにちは」


 にこりと笑ったメニーにラメールの心臓が射抜かれた。こ、これは何なんだ。いいや、僕にはニクスがいるじゃないか! こ、これは、女神のいたずらか!? なんて美しい娘なんだ!


「ニクスに聞いたわ。ペスカがいないって」

「……君も見てないのか」


 ラメールが複雑そうに顔を沈ませた。


「まったく、あいつどこ行ったんだろうな?」

「サボりじゃない?」

「僕もそう思う」

「朝は?」

「侵入者が現れてサイレンが鳴ったっていうのに、部屋から出てこなかったんだ。行ってみたら誰もいなかった。だから、先に出たのかと思ったんだが……。……あいつのことだ。どこかで居眠りでもしてるんじゃないかって、ゴールドさんが探し回ってる。僕はその間に……」

「ここの掃除」

「君とニクスに出会ったのもここだったな」

「ええ」

「ペスカを見つけたら、至急、廊下の掃除に来るよう伝えてくれ。ゴールドさんがお怒りだってね」

「わかった」

「それと、僕もお怒りだってな」

「伝えておくわ」

「ところで、メニーと言ったね。君、亀は好きか!?」

「行くわよ」

「失礼します」


 メニーを連れて廊下を歩いていく。


「お姉ちゃん、ペスカって、誰?」

「あんたは苦手なタイプかも。無邪気な男の子よ。年齢はあたしのちょっと上」

「……じゃあ、話す機会ないかも。私、お姉ちゃんといる」

「あのね、仕事って働きたい人と働けることのほうが少ないんだからね」


 使用人の部屋が集まった廊下に歩いていき、あたし達の隣の空いた部屋に案内する。誰もいないから二人部屋なのに一人部屋。羨ましいわ。メニーの持ってたリュックを部屋に置いてもらい、洗濯室から着替えを取りに行き、メニーをメイド服に着替えさせる。見れば、遠い記憶が蘇りそうになり、あたしは目をそらした。


 休憩室に向かって歩いていると、角からバケツを持ったコネッドとニクスが歩いてきて、あたしを見て、きょとんとする。


「あれ、ロザリー、その子誰?」

「……メニー?」


 ニクスがメニーに近付いた。


「ちょっと、どうしてメニーがここにいるの?」

「ごめんなさい、ニクスちゃん。私、どうしてもお姉ちゃんが心配で……」

「お姉ちゃん? ニクス、知り合いか?」

「ロザリーの妹だよ」

「ロザリーの妹!?」


 コネッドが目を見開いた。


「んな、ばかな! 全然似てねえじゃねえか!」

「血の繋がりはないわ」

「ああ! わけあり! そっか! なるほどな! ロザリー、お前さんも苦労してんだな。こんにちは、お嬢さん。おいくつなの?」

「二月で13歳です」

「ロザリーと二歳離れてるんだな。ふふっ。オラはコネッド。よろしくな」

「メニーです」

「困ったことがあったら何でも聞いてね。オラはお姉ちゃん達の先輩だから」

「はい」

「まあまあ、礼儀正しい子だこと。……それで、ロザリー」


 コネッドがあたしの肩を抱いて、声をひそめた。


「なあなあ、教えてくれや。パストリル様、ええ? 会ったんだべ? イケメンと、いけないことしてたんだべ? うん? どーおだったんだ? イケメンの味。ねえねえ、キスされたの? 心、盗まれちゃったの? 金色のパストリル様、はあ、かっこいいのなんの。ねえ、いたの? ねえ、どうだったの? ねえ、もったいぶらずにオラに教えてよ。オラ、イケメンは大好きだべさ!」

「コネッド」


 コネッドの背中を叩く。


「あのね、あれはパストリル様じゃない。あの手紙はクレア姫様よ」

「えっ! クレア姫様!?」

「そうよ」

「なんだべさ! またいたずらか! かー! オラ、パストリル様が本当に現れたと思って、なまら楽しみにしてたのに! こんなの酷すぎる!!」

「ねえ、わかったらランチを食べましょう。泣かないでよ」

「オラ、すごく楽しみにしてたのに……! イケメンとメイドの夜……! ぐすん! ぐすんっ!!」


 あたしがコネッドを慰める間、ニクスとメニーが後ろで会話をしていた。


「ねえ、メニー、部屋は?」

「一人の部屋なの。でも、ドロシーがいるから」

「そっか。……夜怖くなったらあたし達の部屋においで。一緒に寝ようよ」

「うん。ありがとう」

「……メニー」


 ニクスが微笑んだ。


「お姉ちゃんから離れちゃいけないよ」

「うん」

「……良い子だね」


 ニクスがメニーの頭を優しく撫で――目をそらした。


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