第1話 おかっぱ令嬢(2)


「えへへ。どうかな。ちょっとお手入れしてもらったの」


 天然パーマを利用して美しく整えられたメニーの髪型は、見惚れるほど美しい。手入れを施したことによって金髪の髪がさらに際立ち、端から見れば、まるで天使のようだ。


 あたしはいつもの優しいお姉ちゃんの笑顔を浮かべて、メニーの髪の毛を触る。


「あら、メニー。さっきよりも艶が出て可愛くなったわね」

「そうかな? えへへ。…ありがとう」


 ふにゃりと笑う姿も可愛らしい。


「お姉ちゃんにそう言ってもらえたら、すごく嬉しい」


 微笑むその笑顔も美しい。


(全てが憎たらしくて仕方ない)


「で、何? 仮面が届いたって?」

「うん!」


 メニーが包みを差し出す。


「これ、お姉ちゃんのね」

「ん」


 包みから取り出す。注文通りの仮面が出てきて、あたしの表情が、少しだけ緩む。


(鼠ちゃん!!!!!!)


 鼠をモチーフにした仮面。


(素晴らしい! 上出来! 最高!)


「私は鳩なの」


 何故か平和の象徴と言われている動物の仮面を、メニーが包みから取って、あたしに見せた。


「可愛いでしょ」

「そうね。可愛い」


(ふん!! 鳩なんか外でポッポ鳴いてるだけじゃない! 汚らわしい鳥が! 鼠ちゃんを見習いなさい! こんなにも愛くるしい! ああ、可愛い! 鼠ちゃん! あたしのエンジェルちゃん!)


「でね、お姉ちゃん、見て」

「ん?」


 メニーが仮面を被った。メニーの鼻から上が隠れる。


「意外と、誰だか分からないでしょ?」


 メニーが仮面を外した。


「だから、お姉ちゃんが、その、泣くほど気にする必要も無いんじゃないかと思って」

「………」

「髪なら、ほら、髪飾りで隠すことも出来るでしょ? 大きめの飾りいっぱいつけてさ。ヘッドドレスなんてどう? 他の舞踏会でも見かけたことあるの。ああいうのつけてたら、髪型なんて分からないよ」


 メニーがそっと、あたしの髪の毛に触れた。


「可愛いのに勿体ないよ。お姉ちゃん、もう泣かないで」

「…………もー。あんたは優しい子ね」


 あたしは笑顔でメニーの頭を撫でた。


「実はあたしも同じこと考えてたの。髪飾りでどうにでも出来るじゃないって思って、くつろいでたところよ」

「そうだったんだ。ふふっ。良かった」

「仮面、届けてくれてありがとう」


 さ、用事が済んだのなら、とっとと帰れ。


「じゃ」

「あ、ドロシー」


 メニーがドロシーを見つけた。振り向くと、ドロシーが絨毯でころころ転がっている。メニーが笑いながら部屋の中に入り、ドロシーのそばに寄って行った。


「ドロシー、お姉ちゃんの部屋にいたの?」

「にゃあ」

「ふふっ。可愛い」

「……………」


 あたしは扉を開けたまま微笑む。


「メニー」

「ごろごろごろ!」

「にゃー!」


 びきっ。


(てめえら、人の部屋で戯れてるんじゃねえ!!)


 あたしはうんざりしながら扉を閉めた。


(もういい…。あたしはベッドにでも座ってくつろぐ事に…)


 …………。

 あたしはベッドを見て、硬直する。


(……まずい)


 ノート、開いたままだ。

 ちらっとメニーを見る。メニーはドロシーと戯れている。


(いいわ。ドロシー。その調子よ。メニーを引き付けておくのよ)


 あたしはベッドにそそくさと向かい、開かれたままのノートに手を伸ばす。


「ねえ、お姉ちゃん」

「っっ!」


 あたしは慌てて振り向く。メニーの視線はドロシーを見ている。


「……なーに? メニー」

「お姉ちゃん、結局、舞踏会に行くの?」

「……行かなきゃいけないでしょうね」


 あたしは静かにノートを閉じ、枕の下に隠す。


「あーあ。これから大変よ。メニー、最近の新聞は読んだ?」

「ん? なんで?」

「歴史の教科書も見直して、細かな脳に話題を入れておきなさい。誰が相手でも話せるように」

「面倒くさい。ね、ドロシー」

「にゃー」

「馬鹿」


 あたしは腕を組み、じゃれるメニーとドロシーを見下ろす。


「舞踏会で国の歴史について話題を出されたらどうする気? 時事の話題とか流行りとか。最低限でも流行の情報は持ってないと。あたし達は国が認めた貴族の家。知ってて当たり前なの。国について何も知らないお金持ちなんてのは誇り高き貴族の名が廃る。いい? メニー。これはね、今までの舞踏会とはわけが違うのよ。城で交流会を行うっていうことは、それ相応の姿を見せないといけないの」

「んん…」

「それだけじゃない。仮面をつけているからこそ、表情は読めないし、読んでくれないし、伝わらない。情報は会話をするのに大事になってくるわよ」

「お姉ちゃん、だったら私達がベックス家だってことも、ばれないんじゃない?」

「顔を覚えてる人がいたらどうするの? あのね、子供だからって、相手は容赦しないんだから。貴族って怖いのよ。大人って怖いのよ。顔を覚えてる人はずっと覚えてるの。そこであたし達が貴族相応の答えをしてごらんなさい。たちまちベックス家の評判は上がるわ」

「評判が上がったらどうなるの?」


(死刑になる可能性が減る)


「ママとお父様の会社が安泰して、従業員も助かる」

「私達の行動で?」

「そうよ。責任重大なんだから」

「私、そんな固い話より、テレビの話がしたい」


 メニーがごろんと絨毯に転がり、ドロシーと戯れる。


「お姉ちゃん、お人形劇が楽しいんだよ」

「あんたね、二月で11歳になるのよ」

「まだ10歳だもん。固いお話なんてもう少し大人になってからでいいよ」

「クロシェ先生も言ってたでしょ。知識があるだけ周りの見る目が違うわ」

「そうかもしれないけど、子供にそういうこと要求する? それってすごく意地悪」

「そうよ。貴族ってすごく意地悪なの」

「でも、お姉ちゃんやお姉様は優しいよ」

「家族だからよ」

「今まで参加した舞踏会では、テレビの話も出来たよ? 仮面舞踏会では出来ないの? 皆、そんなに意地悪なの?」

「色んな人がいるから仕方ないのよ。メニー」


 質問攻めする前に、やることやってからにして。これだから平民は。


「こうなったからには仕方ないわ。せっかくの舞踏会なんだし、楽しみましょう」

「テレビの話が出来ないのに、楽しめるの?」

「難しいことを言ったけど、分かっていれば自由に歩いて良いんだから」

「仮面付けて、知らない人と話すの?」

「リトルルビィがいるかもしれないわよ」

「いなかったらどうするの?」

「せっかくだもの。誰かと踊れば?」

「……踊れないから行かない」


 メニーがドロシーに目を向けた。


「ね、ドロシー」

「にゃ」


(…………)


 踊れない?


「前にレッスンしたわよね?」


 メニーが黙った。


「……メニー?」

「………………」

「メニー?」

「…………………」

「………よし、メニー、いいわ。あたしが男役やるから踊ってみましょう」

「………………………」


 メニーがふいっと視線を逸らした。


「…………もうリズム忘れた」

「なんで早く言わないの!」


 ああ、そうだった! お前、男の子からパーティーで踊ろうって言われても、断ってたわね!


(そういうことか!)


「あんた、なんでもっと早く言わないのよ! これで舞踏会に行ってたら笑い者だったわよ!」

「…何とかなると思って…」


(ふざけんな! てめえのせいで違う形で破産したらどうしてくれるのよ!!)


「もう、しょうがない子ねー」


 あたしはメニーに笑顔を浮かべ、そっとメニーの手を取る。


「あたしが練習に付き合ってあげるから。いいこと。誰とでも踊れるようになるのよ」

「私、舞踏会ではお姉ちゃんといる」

「馬鹿なこと言わないの」


 ぶん殴られてえのか。てめえは。


「あんた、ひょっとしたら、とあるロマンスがあって、お城に住むことになるかもしれないのよ。ダンスも出来るようになって、胸を張って堂々と舞踏会に挑みなさい」

「とあるロマンスって何?」


 メニーが眉をひそめて、むすっとした表情であたしを見上げた。


「私、お城になんか住まないよ。お姉ちゃんと田舎で暮らすんだもん」

「もー。またそんなこと言って」


 どうして一々憎たらしいことを言うの。お前は。


「メニーくらい可愛かったら、王子様と恋に落ちるのだって納得いくわ。どう? メニー。プリンセスになれるのよ」

「ならなくていい」

「昔話好きでしょう? 昔々あるところにお姫様がおりましたってやつ。プリンセスには王子様が付き物だわ。メニー、今回の舞踏会は宮殿でやるから、運が良かったら会えるかもよ」

「…王子様って」


 メニーが眉間に皺を寄せた。


「リオン殿下のこと?」

「なんて顔してるのよ」


 そうよ。お前が結婚するリオン様よ。


「ほら、そんな顔しない」


 メニーの前に座り、メニーの眉間の皺をほぐす。


「リオン様、かっこいいじゃない」

「……そう思う?」

「ハンサムだし、高身長、王子様のテンプレートに沿ってるようなお人だわ」

「ふーん」

「あんたも好きでしょ。王子様」

「物語は好き。でもリオン様は好きじゃない」

「あら、どうして? あんなにかっこいいのに」

「………なんか」


 メニーがドロシーの肉球を押した。


「ひ弱そう」

「にゃー」

「残念。リオン様ってね、狩りがお好きなんですって。ひ弱い殿方ならそんなこと出来ないわ」

「お姉ちゃん、詳しいんだね」

「貴族なら、王子様のことくらい分かってなきゃ」


 年齢も近いのよ。


「リオン殿下、15歳なの。5歳くらいどうってことないでしょ。メニー」

「私、ドロシーと結婚するからいい。ね、ドロシー」

「にゃあ」

「メニー、猫と人間は結婚出来ないのよ」

「じゃあ、お姉ちゃんと結婚する」

「メニー、馬鹿なこと言わないの」

「じゃあ、お姉様と結婚する」

「メニー、もっと馬鹿なこと言わないの」

「お母様も結婚相手がどうのこうのって言ってたけど、それ、お姉様やお姉ちゃんに向けてでしょ」


 私、まだまだ子供だもん。


「あ、お人形劇の時間だ!」


 メニーがはっとして、ドロシーを持ち上げた。


「今日は見逃せない! お姉ちゃん、また後でね!」


 メニーがにっこり笑って、自らドロシーを連れて部屋から出て行った。彼女の大好きな、『お人形劇』を見に。


「……………」


 閉まった扉をあたしは見る。


「……………」


 閉まった扉をあたしは睨む。

 口角が下がる。

 静かになる。

 静寂が訪れる。

 沈黙。

 黙り込む。


 あたしは、



 ベッドに走り、

 ベッドに乗り、

 枕を持ち上げ、


 思いきり、ベッドに叩きつけた。


(くそ!!!!)


 くそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそ!!!!!!


 ―――あんたも好きでしょ。王子様。

 ―――物語は好き。でも、


(メニー)


 ―――リオン様は好きじゃない。


(結婚するくせに!!)


 メニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニーメニー!!!!!!!!


 ―――私、お城になんか住まないよ。

 ―――お姉ちゃんと田舎で暮らすんだもん。


(冗談じゃないわよ!! 誰がてめえなんかと暮らすか!!)


 ―――プリンセスになれるのよ。

 ―――ならなくていい。


(なるじゃない!)

(リオン様の隣には、お前がいることになるのよ!)


 リオン様。


 ―――ひ弱そう。


(お前にリオン様の何が分かるのよ!!)


 リオン様。


(あああああああああああああ!!!!!)


 枕をメニーの頭だと思ってベッドに叩き込む。ベッドに叩けば、遊んでいたと言い訳出来るから。


(なんであたしがこんな思いしなくちゃいけないの!!!)


 メニーの頭を壊すつもりで、枕を叩きこむ。


(お前は良いわよね。美人だから、嫌でも人が寄ってきて!)


 枕を叩きこむ。


(お前は良いわよね。お姫様になれて!)


 枕が破ける。


(あたしよりも恵まれた顔立ちで)

(あたしよりも恵まれた環境で)

(あたりよりも恵まれた性格で)

(あたしよりも愛が溢れていて)


 穢れの無いその心を、その魂を、その身を、求めて、皆が笑顔で手を伸ばす。

 穢れた醜いあたしには、誰も近づかないのに。


(なんで)


 リオン様。


(こんなの不公平よ)


 メニーばかり。


(お前ばかり愛される)


 メニーばかり。


(お前があたしだったら良かったのよ!)


 メニーばかり。


(あたしがメニーだったら、もっと優しくなれたわよ!)


 メニーばかり。


(お前はあたしの気持ちを知らないから)

(醜く生まれた者の気持ちを知らないから)

(昔からちやほやされて育ったから)


「リオン様は好きじゃない」


 そんなことが言えるのよ!!!!


(ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!)


 メニーばかりが愛される。


 どうして?

 なんでよ?

 おかしいじゃない。

 あいつが、


 あいつが、あたしを死刑にするのに!!!!!!!


(ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!)









「リオン様」



「お慕いしてます。リオン様」










「…………………」


 声に出さず、静かに、ベッドに口を押し当てて、空気だけ、吐き出す。拳を握って、枕を握って、決して、叫んではいけない。悲鳴を、叫びを、その醜い、汚い感情を、無言の空気で、枕に吐き出す。


「…………………」


 散々虐めた。散々美しいメニーを虐めていた。だからあたしはドロシーの言う、天罰を受けているのだ。


「…………………」



 リオン様。




 あたしの、初恋の人。





「…………………」


 深く、深く呼吸をして、吐いて、吸って、吐いて、起き上がる。


「…………………」


 部屋には、羽根が散らばっている。


「…………………」


 遊びすぎてしまったようだ。


(……怒られる前に、出かけようかしら)


 いいお天気だもの。お散歩しなくちゃ。


(そうだ。街に出かけよう)


 あたしは羽根だらけのベッドから下りる。


(髪飾りも新しいのを買おうかしら。せっかくだし、うんと可愛いのを)


 髪を梳かさなくちゃ。


「………あ」


 ブラシを取ろうと手を伸ばすと、鏡に映ったのは、酷い顔をしたおかっぱのあたし。


「……………」


 髪の毛を弄る。


「まだ慣れないわね」


 ふふっ、と笑って、


「これじゃあ、リオン様に見向きもされない」


 それでいいのだ。


「……いいわ。出かけよう」


 こんな想い、忘れてしまえ。

 こんな想い、消えてしまえ。

 こんな記憶、忘れてしまえ。

 こんな記憶、消えてしまえ。


 なくなれば、争いは起きない。

 なくなれば、苦しまなくていい。

 なくなれば、あたしは、


 望みさえしなければ、




 きっと幸せになれる。


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