第1話 おかっぱ令嬢(1)


 きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!



 ママが発狂した悲鳴をあげた。

 アメリが口を押さえて呆然とその光景を見た。

 メニーが猫を抱えて愕然とした。

 ギルエドが部屋へ走ってきた。

 使用人達が部屋へ走ってきた。

 クロシェ先生が後から走ってきて、はっと息を呑んだ。

 あたしの手には、ハサミ。

 もう片方の手には、さっきまであたしについていた長い髪の毛。


 はんっ! と笑って、その髪の毛を地面に放り投げた。


「こんなに髪が短くなって、ぼさぼさで、結んで整える長さは無くなった。これでは貴族らしい盛り盛りの髪型は出来ない! 三つ編みも不可能! 行ったところでベックス家の恥さらし! つまり! これで! あたしは舞踏会には行けないわ! おーーーほっほっほっほっほっ!! ざまあみろーーーーー!!」

「テリーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」


 ママが怒鳴って、これ以上無いほど叫んだ。

 あたしは歓喜し、これ以上無いほど笑った。

 アメリが頭を押さえて、やれやれと首を振った。

 メニーは何を思ったのか、自らの手で猫の目を隠した。

 猫が、にゃ、と鳴いた。

 クロシェ先生は頬に手を添えて呆れ顔を浮かべた。


 あたしは勢いのままハサミを地面に投げつける。からん、とハサミの音が響いてから、また怒鳴った。


「いいのよ! あたしはお城なんかに行かなくても、将来はベックス家の全ての責任を請け負う女になるんだから関係ないの! アメリとメニーに行かせればいいじゃない!」

「いいえ! お前も行くんです! テリー!!」

「10年に一度王様が城の門を開けて一般人を招待する仮面舞踏会? はっ! 興味無いわよ! そんなもの! 行きたくない!!」

「貴女、13歳になったのよ! わがままを言うんじゃありません! レディとしての振る舞いを見せに行きなさい!」

「やーなこったっ! 絶対に行かない!!」

「テリー! お母様の言うことを聞きなさい!!」

「他のことなら聞くけど、ママ、こればっかりは聞けないわ! あたしは華やかで豪華で落ち着けないお城なんて、大嫌いなの! 家の中で引きこもってゴロゴロしたいのよ!!」

「ベックスの名を継ぎたいと仰るのなら、行く方が賢明です。テリーお嬢様」


 ギルエドが静かに言い放った。皆黙りこみ、扉の前にいたギルエドに視線が移る。ギルエドは毅然と、あたしを見つめている。


「テリーお嬢様がどこまで把握していらっしゃるかは存じませんが、我がベックス家は、アンナ様が起業されて以来、多くの会社を受け持つ頭となっております。会社の経営を続ける為にはどうすればいいか、それは、顔を広くし、多くの人と交流することです」

「………」

「舞踏会では結婚相手を探すように、確かに奥様から指示があったかもしれませんが、何より、舞踏会は社交界。貴族の交流場でもございます。しかも今回は貴族以外の一般人もいる。様々な人が宮殿に集まることでしょう。お嬢様達が舞踏会に参加することによって、家の地位も含めて、我がベックス家は安泰だと示すことが出来るのです。……ここまで聞いても、テリーお嬢様は、行かないと仰りますか?」

「……………………」


 背筋を伸ばして姿勢よく立つギルエドを鋭く睨み、睨んで、あたしは唇を噛み、―――ため息を吐いて、髪の毛を弄る。


「これでも行けっての…?」

「髪飾りをつければ、髪型はどうにでもなります。美容師を早急に呼びますので、いつものお部屋でお待ちを」


 ギルエドが扉を開けて、遠回しに出ていけとあたしに示す。無表情のサリアがあたしに手を差し出した。


「さ、テリーお嬢様」


 クロシェ先生も頷いた。


「そうね、部屋へ」


 むすっとして、あたしはサリアの元へ歩いていく。クロシェ先生があたしの背中に手を添え廊下へ連れ出し、しばらくすると、ママの泣き声がめそめそと廊下に漏れ始めた。


「ああ、一体、どうして…!? 何があの子を反抗的にさせているの…! あの子、前から本当におかしいのよ…! 医者に診せても何ともなかった! 心の病もない! いたって健康そのもの! 可愛い私の娘のテリーが、あの子が、反抗に反抗を重ねて、こんな反抗までするなんて!! 貴族の娘が、髪の毛を切るなんて! せっかく綺麗に整えてきた赤い髪の毛が台無しよ!!」

「大丈夫よ、ママ。テリーの髪の毛はすぐに伸びるから」


 アメリが呆れたように、発狂し、泣き喚くママを慰めにかかる。メニーはママから離れ、廊下を歩くあたし達を追いかけてきた。


「ばっさりいったね。お姉ちゃん」


 二年前に比べ、ずいぶんと髪の毛が伸びたメニーが、眉をひそめて、複雑げに呟いた。


「お母様、相当キてるよ…? ちょっとやりすぎたんじゃないかな?」

「ふん! これで舞踏会に行かなくていいなら、髪の毛くらい安いものよ」

「テリー、自分の母親を泣かすなんて、良くないわね」


 クロシェ先生が眉を吊り上げて、あたしを見下ろす。


「確かに、短髪のお嬢様なんてなかなかいないわ。そこを狙ったのかもしれないけど、結局行くんでしょ?」

「………………はい」

「もう、貴女って子は」


 クロシェ先生が頭を押さえた。


「もう少し物事を考える癖をつけた方がいいわね。今度、癖付けるための課題を考えておきます」

「……」

「美容師の方が来られたら、短髪でも出来る素敵な髪型を訊いてみたら?」

「…うう…」


(クロシェ先生はこう言うけれど…)


 行きたくないのだ。純粋に。あの城に入りたくない。あの赤い絨毯を見たくない。あの豪華でシャンデリアだらけのきらきらした景色を見たくない。


 あそこは、地獄だ。

 あたしの死刑が決まった後に、見せ物にされた場所だ。


(あそこでのことは思い出したくない。不快になるだけだもの)


「お姉ちゃんの髪、綺麗になりますか?」


 メニーがあたしのぼさぼさな髪型を見て、不安そうにクロシェ先生に訊けば、クロシェ先生が微笑んで頷いた。


「美容師さんはプロよ。大丈夫。これまで以上に綺麗になるわ」

「良かった」

「……」

「テリー、むくれないの。今回は貴女が悪いのよ」

「…分かってます」

「いいえ。分かってない。分かってたらむくれたりなんてしない。いい? 貴族のルールは、私には分からないけれど、少なくとも、女としておめかしをする際に髪型は大事よ。ましてや舞踏会でしょう? 行かないつもりであったとしても、もう二度とこんなことしちゃ駄目よ」


(だって、行きたくないんだもん)


 クロシェ先生はいいわよね。貴族じゃないから、行きたくないパーティーには行かなくていいんだから。


(あたしは違う)


 城からの行事には、参加必須だ。


(……なんで行きたくないのに、行かなきゃいけないの? 不公平よ)


 むすっとして、納得出来なくて、クロシェ先生から視線を逸らし、サリアの方に寄る。


「…ごめんなさい。反省します」

「テリー、何を反省するの?」

「……反抗して、髪の毛を切ったことです」

「ほら、分かってない」


(え?)


 顔をしかめると、クロシェ先生が、あたしの短くなった髪の毛に優しく触れた。


「駄目じゃない。自分を傷つけちゃ」


 クロシェ先生が真剣にあたしを叱る。


「『行きたくない』でいいのよ。貴女の髪の毛を犠牲にしなくたって良かったの。それなのに、自分の髪の毛を自分自身で傷つけた。駄目じゃない。自分を自分で傷つけて、悪い子ね」

「…………」


(ああ、そうだった)


 この人はクロシェ先生だった。

 サリアの手を握り締めながら、クロシェ先生に顔を上げる。


「………クロシェ先生、自分を傷つけてごめんさい。…反省します」

「そうよ。後できちんと奥様にも謝るのよ?」

「…はい」

「よろしい。それじゃあ」


 クロシェ先生の手が、あたしの髪の毛から離れて、一度、ぽん、とあたしの頭を撫でて、微笑んだ。


「短髪デビューといきましょうか。テリー」


 クロシェ先生が可愛らしく、あたしにウインクした。




(*'ω'*)




 顔なじみの美容師が散髪室に入ってくる。あたしを見て、目を丸くさせて、その髪型に驚きの声をあげた。


「これはこれは、一体、何があったと言うのですか」

「気分です」

「はらま…。しかしこれは、まあ、また派手にやられましたね。どういたしましょう。パーマをかけますか? この長さならまだパーマで誤魔化せられるかと」


 パーマ? メニーみたいにくりんくりんになれっての? お断りよ。メニーとお揃いなんて。

 あたしは首を振る。


「エクステはいかがですか? ご存じでしょうか? 髪の毛を付ける方法なのですが、元の長さにも出来ますよ」


 最新技術? どこの馬の骨とも分からない髪の毛をあたしに植え付けるわけ? お断りよ。

 あたしは首を振る。


「それでは…」

「シンプル・イズ・ベスト。切ってもらって構いません」

「はら、お切りするだけですか?」

「長さを整えるだけで結構です」

「そうなると、とても短くなりますよ。顎の位置くらいになるかと」


(……ま、言うほど切られないでしょ)


「構いません」


 承諾すると、美容師が道具を取り出した。


「それでは始めます。楽な状態でお待ちください」


 美容師があたしの顔にタオルを乗せ、髪の毛を濡らし、シャンプーしていく。


(あら、気持ちいい。貴方の腕はいつもいいわね。ミスター)


 彼に任せてあたしはすやすや眠る。髪を切る音が心地いい。まあ、そんなに切られてないでしょ。だって長さを整えるだけだもの。


(短髪になんてしたことがないから、少し楽しみかも)


 どんな風になってるのかしら。大人っぽい感じ? 影のある感じ? ミステリアスな感じ? ばりばりお仕事出来る感じ? 運動が出来る感じ? ひょっとして、ニクスみたいに男の子っぽい感じ?


(あ、それ面白そう)


 男の子みたいな髪型。ニクスとお揃いの髪型。


(……ニクスと、お揃い……)


 あら、嫌だわ。口角が上がってしまいそう。


(ニクスとお揃いだなんて、なんて素敵なの。ニクスの髪型を注文すればよかったわ)


 元気かしら。ニクス。


「テリーお嬢様、終わりましたよ」

「……ん」


 閉じていた瞼を上げる。その後きょとんと、瞬きする。鏡にはいつものあたしが映ってなかった。


「お疲れ様でございます。テリーお嬢様」


(………ふへ?)


 鏡を見た途端、あたしは目が点になる。


「とてもキュートになられましたよ!」


(キュート…?)


 想像はしていた。イメージは出来ていたのだ。髪の長さを整えてもらうだけだから、そんなに切られることは無いと思った。


 でも、これは……。






 ……おかっぱ……。







 あたしの顔がどんどん青くなっていく。


「カチューシャをどうぞ」


 可愛いカチューシャがあたしにつけられる。


「はら、可愛い! キュートでございます! テリーお嬢様!」


(………おかっぱ………)


「終わりましたよ! さあ、メニーお嬢様の番です!」

「あ、わ、私、大丈夫です!」

「はら、でも、せっかくですから、トリートメントくらいしておきましょう!」

「そうよ。メニー。せっかくミスターに来てもらったんだから、一緒にしてもらいましょうよ」

「はら! アメリアヌお嬢様。まー、またお美しくなられましたね!」

「おっほっほっほっ! 褒めても何も出なくってよ」

「準備をしてまいりますので、お二人とも、少々お待ちを!」

「なら、私、着替えて来るわ。メニーは?」

「私、ここにいる」

「そう。じゃ、また後でね」


(……おかっぱ……)


 イメージと全く違う姿に、ショックを受ける。


(……おかっぱ……)


 髪の毛はいつも長くしていた。その方が大人っぽいから。髪型を盛り盛りに飾ることが出来るから。それを出来なくするために、あたしは髪の毛を切ったのよ。舞踏会に行かないために。


 しかし、反抗は水の泡。結局舞踏会には行くことになった。


(……これで行くの?)


 おかっぱで?


(これで外に出るの?)


 おかっぱで?


 あたしは顔を隠して、叫んだ。


「嫌あああああああああああああああああああ!!!!!」

「テリーお姉ちゃん!?」


 メニーが急いで駆け寄ってきた。


「どうしたの!? お姉ちゃん!」

「メニー! 鏡をあたしに見せないで! こんな髪型で、あたし、人前に出られないわ!」

「可愛い髪型にしてもらえなかったの!?」


 メニーが顔を隠すあたしをまじまじと見つめる。そして、きょとんとして、にこりと笑った。


「……ん。…お姉ちゃん。大丈夫。可愛いよ」

「っ」


 お前はいいわよね! 美人だから!!


(………そうよ)


 結局、どんな髪型をしたって、醜いことには変わりない。メニーが隣に立ってしまえば、誰の目にも、あたしなんか映らない。


(誰も見ない)


 髪型よりもドレスよりも、相手は好みで選ぶ。髪が短いだろうが長いだろうが、関係ない。どんな髪型をしたって、どんなものを着飾ったって、それが美人でなければ意味がない。


 ―――だから、あの人はあたしを見なかったんじゃない。


「髪の短いお姉ちゃん、初めて見た」


 諦めたあたしは手を膝の上に置き、鏡に映る自分を見て、またため息をついた。


「ええ。あたしもこの長さは初めてよ」

「そうだよね。お姉ちゃんが短髪って、小さかった時のアルバムでしか見たことないもん」


 メニーが両手を握り締めて、微笑む。


「なんだか、お姉ちゃんが綺麗から可愛いになった感じがする!」

「……メニー、言いたいことは分かるわ」


 つまり、こう言いたいんでしょ?


「顔が、子供っぽくなったって」

「え」

「うっ……!」


 あたしはやっぱり目を潤ませ、両手で顔を隠した。


「もう嫌ああああああああああああああああああああ!!!!」

「お姉ちゃん! 大丈夫! 似合ってるよ! 元気出して!」

「似合ってる!?」


 そもそものあたしが、子供っぽいって言いたいの!?


「もう嫌ああああああああああああああああああああ!!!!」

「大丈夫! 大丈夫! 大丈夫! お姉ちゃん! すごく綺麗になったよ! すごく大人っぽく見えるよ!」


 メニーがあたしの髪の毛を弄り始める。


「ほらほら、すごい! 毛先もちゃんと整ってる! ほら! 真っ直ぐぴんと整ってるよ! お姉ちゃん!」

「ぐす! …どうせただのおかっぱって思ってるんでしょ…! おかっぱの河童女って、思ってるんでしょう! ぐすん! ぐすん! ぐすん!!」

「そんなこと思ってないよ! お姉ちゃん! 短髪のお姉ちゃん素敵! 本当に! 大人っぽい影が見えて素敵!」

「あたしだって…! こんなに切られると思ってなかったんだもん…!」


 長さを整えてって言ったら、


「おかっぱにされたの…! ぐすんっ!」

「や、やり直してもらえば? ほら、お姉様が前やってた、エクステってやつで…」

「どこの馬の骨とも分からない他人の髪をつけろっての!? あたし、自分の髪の毛が好きなの!」

「あー! そうだ! お姉ちゃん! サリアに訊いてみよう! ね! サリアは正直に言ってくれるだろうから!」


 メニーが部屋から出て、急いでサリアを連れてきた。


「サリア!」


 メニーがあたしが座る椅子を回した。


「どう思う!?」


 サリアと目が合う。サリアがぱちぱち瞬きして、にこりと微笑んだ。


「まあ」


 サリアが言った。


「幼くなりましたね。テリーお嬢様」

「びゃあああああああああああ!!!!!」


 あたしは泣き叫び、散髪室から飛び出した。


「びえええええええええええええん!!」

「お姉ちゃん!」

「あらあら」


 あたしは廊下を走る。ロイとすれ違う。


「おや、テリーお嬢様、髪切られたんですか?」

「うびゃああああああああああああああ!!」


 あたしは廊下を走る。リーゼとすれ違う。


「まあ! テリーお嬢様! 蕾のように可憐になられましたね!」

「うびゃああああああああああああああ!!」


 あたしは廊下を走る。メイド達とすれ違う。


「まあ、テリーお嬢様!」

「髪をお切りに!」

「「すごく幼くなられましたね!!」」

「うびゃああああああああああああああ!!!!」


 あたしは部屋に辿り着く。思いきり扉を閉め、泣きながらベッドにダイブする。


「うえええええええん!!」


 ベッドで寝ていた猫を蹴飛ばす。


「にゃっ!」

「びええええええええええん!!」


 あたしはシーツに包まる。


「うわあああああああああああん!!」

「ちょっと!」


 とんがり帽子をくいと上げたドロシーがベッドに潜ったあたしを睨んできた。


「人を蹴飛ばすなんて、どういう神経してるの!? ああ、痛い! 青タンになったかもしれない! 骨まで軋む! なんて事だ! ぎっくり腰になったら君のせいだからね!」

「最悪よ…! こんなに犠牲を払ったのに、あたし、結局舞踏会に行かないといけないなんて…!」

「うん? なんでそんなに泣いてるの? 君らしくない」


 あたしがぐすりと鼻をすすり、枕に涙を湿らせて、むくりと起き上がる。ドロシーからぽかんとした間抜けな声が漏れた。


「え」


 あたしはドロシーに振り向く。ドロシーが丸い目をぱちぱちと瞬きさせて、眉をひそめた。


「……………どうしたの。その髪型………」

「切ったの」


 ぐすっと鼻をすする。


「舞踏会に行きたくなくて…切ったの…」

「ああ、またやらかしたんだね。君」

「ドロシー…」


 あたしは涙をほろほろ流しながらドロシーに頭を下げる。


「お願い…。この髪型何とかして…。何でも言うこと聞くから…。お願い…」

「何? 元に戻せって? それは無理な相談だね」

「……なんでよ」

「急に髪が元に戻ったら、皆驚くだろ」

「エクステつけたって言うわよ」

「まず、君と同じ髪の色をしている人って、なかなかいないと思うよ。君の髪の毛はいい意味でも悪い意味でも珍しい色してるからね」

「伸ばすだけでいいから……」

「駄目」

「なんでよ…」

「魔法使いのルールだ」


 チッ!!!!!!


「何が魔法使いのルールよ!!」


 怒りで涙が乾いたあたしはベッドの上に立ち、右足を枕に乗せ、マイクを握り締め、ドロシーに指を差して見下ろした。


「役立たずの魔法使いめ! お前なんか、いつもいつもごろにゃん猫にゃんしやがって! いざって時はよくも分からないミーティングに行きやがって! たまにはあたしの役に立ちなさいよ!!」


 ドロシーがメガホンをあたしに向けた。


「あのさあー、僕、いっつも君の事助けてあげてると思うんだー。ねー。君の耳はどうなってるの? 君の目はどうなってるの? 君の罪滅ぼし活動の協力をして支えてあげてるのは、まぎれもなく僕だと思うんだー」

「お黙り! 口だけ達者のキャットライフ! 見なさいよ! このあたしの絶望的な髪型! あたしはね! 舞踏会に行きたくないから、覚悟を決めて髪を切ったのよ! なのに、結局出た答えは髪型どうでもいいから舞踏会に行け! ああ! なんてこと! これほど貴族に生まれたことを後悔した日は無いわ! あたし、なんて可哀想なの! 悲劇のヒロインだわ!」

「覚悟決めてたならいいじゃないか…。その髪型、君にしては可愛いよ。大丈夫。大丈夫。似合ってる」

「似合ってないから嫌だって言ってるんでしょ!!」

「わがまま言うな! 嫌なら切ってもらった美容師にやり直してもらったらいいじゃないか!」

「あたしに知らない奴の髪の毛つけて元通りになれっての!? お断りよ!」

「じゃあ文句言うな!」

「なんでそういうこと言うの!? 酷い!」


 あたしはマイクをベッドに落として、膝から崩れ落ちた。


「おかっぱ令嬢なんてやだぁぁああ……! うわあああああん…!!」

「舞踏会って大事な催しなんだろ?」


 ドロシーがメガホンをぽいっと放り投げる。


「今一度自分の覚えてることを確認して、その髪、どうするか決めるんだね」

「………ん」


 あたしは片手を伸ばす。ドロシーがあたしに手渡してきた。


「はい」

「ん」


 あたしは顔を上げながら鼻をすする。ベッドの上で『覚えている範囲で出来事を書き綴ったノート』を広げた。横からドロシーも覗いてくる。


 この緑の魔法使いの言う通り、13歳での出来事をもう一度整理して、この髪型をどうするか考える事にしよう。大丈夫。美容師はまだ屋敷にいるのだから。


 あたし 13歳 

 メニー 10歳


 ・様々なパーティーに招待される。彼氏は出来ない。

 ・唄遊びが流行りだす。

 ・図書館が新しく建てられる。

 ・怪盗パストリル事件。事件が100件を超えた時に現れなくなる。

 ・仮面舞踏会が開催される。


 指でノートをなぞる。


(様々なパーティーに招待される)


 ベックス家は名の知れる名家。ママの知り合いからパーティーに誘われ、アメリの友人からパーティーに誘われ、あたしの13歳の思い出は、もう色んな所にパーティーに連れ回された記憶でいっぱいだ。

 でも、パーティーは毎回喧嘩が起きる。嫉妬と妬みが入り混じったようなものばかりで、行ってもムカムカとモヤモヤが残るだけだった。


 だから、今回も、この世界でも、パーティーには呼ばれている。…ただ、状況が違う。あたし達には、メニーがいる。

 メニーが元々貴族じゃなかったという事もあり、ママは慎重にパーティーの参加を選ぶようになった。家族全員で相談して、パーティーに出席するか否かを決めることが多くなった。いかにメニーの容姿が美しいからといって、礼儀がなってないとただの恥さらしである。メニーが行っても大丈夫なパーティーには参加して、その他は蹴ることにした。


 ただ、ムカつくことに、腹立たしいことに、メニーは本当によくモテる。


 まだ10歳であるのに関わらず、少しパーティーに連れていけば、近い年齢の殿方の目はハートに変わり、メニーを囲んで並んでダンスの誘いをする始末。

 それを妬んで攻撃をしてくる令嬢たちは少なくない。むしろ多い。だからそのたびにあたしがメニーを引っ張って、アメリが前に出て、仲良さげに令嬢達に話しかけて、それが繰り返される。


 お姫様、もううんざりです。いい加減にしてください。


 挙句の果てには、メニーを目的で相手側から些細なパーティーへの招待状が送られるまでだ。ママにとっては都合がいい。会社の話も出来るだろうし。でも、当のメニーは乗り気ではなく、また部屋で本が読みたい気分とでも言って招待を断るのだ。

 メニーと仲の良いアメリは、メニーから断りたいという相談も受けているからこそ能天気に笑ってるが、それを見るあたしの心は、決して気持ちのいいものではない。自覚している。嫉妬がどんどん大きく成長していくのを。


(唄遊び)


 唄を作る遊びが流行り出す。

 パーティーではいかに上手な唄を作れるか競い合って遊ぶのだ。


 例えば、


 愛しの我が君

 私は想い続ける

 君が私を見てくれなくても

 君が私を知らなくても

 君が私を選んでくれなくても

 私は想い続ける

 私の想いは全て君へ

 リオン様

 私の想いは、全て貴方に


(我ながら、幼稚な唄)


 当時、唄遊びが流行り出した時に、真っ先に思いついた唄。


(なんで覚えてるんだろう)


 リオン様。


「…………」


 次よ。


(図書館)


 図書館が新しく改築される。小さなこじんまりした図書館が、まるで神殿のような建物に変わるのだ。当時、素敵だと思って一回だけ行って、また来ようと思ったけど、面倒くさくなって二度と行かなかった。


(怪盗パストリル)


 いわゆる、恋泥棒。顔の半分が仮面に覆われた謎の怪盗。その瞳を見てしまった令嬢達は彼に心を盗まれ、身に付ける宝石を盗まれてしまうという。


(あたしのパストリル様!!)


 ついつい、この可愛いおめめがキラキラ光ってしまうほど名前の文字を見つめてしまう。怪盗パストリル。というのも、あたしは彼のファンなのだ。だって彼って素敵。他の泥棒なんかとは比べものにならないほど素敵なの。何より、なんとも言えないあの色気。美貌。あたしのアイドル。あたしのヒーロー。癒し。目の保養。素敵。ああ、一度でいいから会ってみたい。


 しかし、彼は犯罪者。

 

 当時はとても大騒動になっていたが、パストリル様は100件も事件を起こした後、姿を消してしまうのだ。ベックス家には何も被害はなかった。だから憎くもないし、恨めしくもない。むしろウェルカムだわ。


(あたしがなぜこんなにも彼のファンだと思う?)


 一度目の世界で、パストリル様がいなくなった後に、彼の写真集が発売されて、その時に心を奪われたからよ!!


(予約しなきゃ!!)


 あたしの心は既に怪盗パストリル様のもの。


(写真集、買わなきゃ!!)


 気にするのは、写真集発売日だけ。これだけは見逃せないわ。カレンダーをチェックしておかないと。


 ……もっと、気にするべきは、


(仮面舞踏会)


 指を止める。


(とうとう、来たか…)


 あたしは表情を曇らせた。


 10年に一度開かれる仮面舞踏会。

 参加するためには、

 ・舞踏会が終わるまで仮面を装着する。

 ・舞踏会が終わるまで礼装を身に着ける。

 ・舞踏会が終わるまでは、名前を呼ばない。女はレディ。男はミスターと呼ぶ。

 以上が参加必須項目となる。これさえ守れば、何をやっても無礼講。一般人でも貴族でも参加自由。飲んだり食ったり、踊ったり踊らなかったり、交流したりしなかったり。


 会場は、城の中にあるダンスホールである。


「つまり」


 あたしは顔を上げる。


「メニーの夫の王子様もいるのよ」

「まあ、いるだろうね」


 ドロシーが金平糖をぽりぽり食べていた。


「リオンだろ」

「そう。…リオン殿下よ」


 リオン殿下。

 リオン・ミスティン・イル・ジ・オースティン・サミュエル・ロード・ウィリアム。

 この国の第一王子。


(メニーの夫となる人)


「ドロシー、あたしは慎重に物事を考えているわけ。歴史は確実に変わってる。この時点で、メニーがあたし達と一緒にパーティーの準備をしているだなんて、あり得ない事が起きてるの」


 そして、


「舞台は宮殿。ねえ、ここでもし、メニーとリオン殿下が鉢合わせちゃったら、どうなると思う?」


 どうもならないかもしれない。

 でもリオン殿下が仮面をつけているのに関わらず、メニーに一目惚れしたら?

 時間が早まれば、その分歴史も大きく変わるなんてことは無いの?

 現状維持のまま進むことは出来るの?

 あたしは本当に死刑にならないの?

 ねえ、どうなのよ。ねえ、大丈夫だと思うのは、確実に大丈夫と思っての答えなんでしょうね。


「あたしはね、怖いのよ」


 死にたくないのよ。


「人生を謳歌したいの」


 幸せになりたいの。


「よくも分からないまま歴史を変える可能性がある道に行くくらいなら、あたしはその道を避けるわ」


 舞踏会に行かない。


「だから髪だって切ったんじゃない」


 あたしはため息をついた。


「あー、やる気失せる。なんで行かなきゃいけないの? 王様は理不尽だわ。嫌だって言ってる娘を無理矢理城に連れ出すなんて」

「何言ってるのさ。国王が地位関係なく招待してるから、町中大盛り上がりだよ」


 ドロシーが窓の縁に座った。


「ほら、見てごらん。町のレディが歩く姿を。嬉しそうにスキップしてるよ」

「らんらんらん♪」

「歌まで歌ってる」


 ドロシーが窓の縁から下りた。


「仮面舞踏会くらいなんて事ないさ。心配なら、いつもの優しいお姉様を君が演じ切ればいいだろ」

「一日中笑顔を浮かべてろっての!? ああ、最悪! 仮面舞踏会に仮面令嬢! あたし、本来の素顔で出席したいの! あたしという人間は、あたしだけのものなの!」

「またそうやってわがまま勃発なんだから…。君さ、ちょっとは成長しないの?」

「何よ。あたしちゃんと成長してるじゃない」


 とっても良い子ちゃんじゃない。


「メニーにすごく優しくしてやってるじゃない。何よ。これ以上何を求めるのよ」

「もうひと段落成長を見せようか。テリー」


 ドロシーが星のついた杖をくるんと回した。


「さあ、今回の罪滅ぼし活動のミッションは?」

「………またそれ?」

「君、忘れてやいないかい?」


 一度目の世界で、何をしたか。

 ドロシーの言葉に、あたしは視線を逸らす。


「………………何よ。ちょっと仮面を破壊しちゃって、ドレス破っただけじゃない…」

「そのおかげでメニーは仮面舞踏会に行けなくなった」

「あたしだけじゃないわ! アメリだってやったわよ! 仮面の損傷は、ほぼアメリだわ! アメリが悪いのよ! あたしは悪くない!」

「君はドレスをハサミで切り刻んだじゃないか」


 滑稽だね。


「君が楽しんだハサミによって、君は今とても苦しんでいる。ドレスを切った君が髪を切られて、おかっぱ令嬢」


 ぶっくく!


「ざまあみろ!」

「ドロシー!!」


 その瞬間、扉が叩かれた。


「っ」


 慌てて振り向くと、小さな音。


「お姉ちゃん」

「……………」

「お姉ちゃん、開けて。仮面が届いたって」

「……………」


 あたしは深く息を吐いて、吸って、また吐いて、ゆっくりと歩き出す。部屋の扉を開ければ、



 さっきよりも美くなったメニーが、そこに立っていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る