第9話 先生の信頼



 あたしは冷たい階段を上る。

 あたしは暗い階段を上る。

 あたしは足をそっと上らせる。

 上へ、上へ、上っていく。

 ランプを持って、上っていく。

 ばれてはいけない。誰もいないことを確認して、時間をかけて、一段一段、上っていく。


 クロシェ先生はもういない。

 彼女を守る存在は、もうギルエドしかいない。

 けれど、ギルエドもここまではしない。彼にも仕事がある。


 あたしは上る。一段上る。

 あたしは上る。一人で上る。

 寒い冬の石レンガの中。

 外では雪が降っているだろう。

 真夜中。

 赤い服の魔法使いなどは現れない。

 子供だけど、何となくわかっていた。

 だって魔法使いは全滅したと勉強したから。

 魔法使いは現れない。

 彼女に救世主は現れない。

 クロシェ先生が救世主だった。

 彼女を救えるのは先生しかいなかった。

 けれどその先生はもういない。


 あたしは上る。

 ばれないように、ゆっくりと上る。

 寒い。

 風邪をひいてしまうかもしれない。

 でも、上る。

 ばれないように。

 寒い。

 冷たい。

 でも上る。

 凍えてしまいそう。

 でも上る。


 あたし、何も間違えてない。


 そう信じて、あたしは上った。





(*'ω'*)





「うーん、困ったわ」


 困ったの言葉に、メニーが反応した。上を見上げると、階段の手摺に寄っかかるクロシェ先生の背中が見えた。


「お姉ちゃん、クロシェ先生が何か困ってるみたい」

「先生!」


 あたしが声をかける。するとクロシェ先生が振り向き、あたし達に笑顔で手を振った。


「あら、おはよう。テリー、メニー。二人そろって仲良しね」

「今からドロシーのお散歩に行くんです」


 メニーは腕に抱えたドロシーをクロシェ先生に見せる。クロシェ先生が階段から下り、あたし達の前まで歩いてきて、喋れるように屈んであたし達を見下ろした。


「ねえ、二人とも、これから街に行きたいのだけど、どうやって行ったらいい?」

「いつも家の馬車で出かけてます。歩いても行けるけど…」


 この間のように、動物が土地に忍び込んでるかもしれない。一応、馬の死体が発見されてから被害はなく、安全は確認されたけれど、まだ油断は出来ない。

 クロシェ先生の死亡予定日まで、しばらくあるけど、歴史はいつだって簡単に変わってしまうのだ。出かけるのなら、一緒について行った方がいいだろう。


「クロシェ先生、街まで行かれるんですか?」


 あたしが訊くと、クロシェ先生が頷いた。


「ええ。書店に用があって、ぜひ行きたいと思って」

「書店…」


 メニーが目をきらきらと輝かせる。あたしの袖をくいっと引っ張る。


「お姉ちゃん、最近、動物も忍び込んだし、危ないよね。私達も一緒について行った方がいいよね」

「あんたは本屋に行きたいだけでしょ」

「……違うもん」


 輝かしい目と言葉が反対の事を言った。


(ま、どっちにしても、ついて行くわよ)


 あたしは11歳の笑顔をクロシェ先生に見せる。


「クロシェ先生、あたし達もついて行っていいですか? クロシェ先生、こちらに来たばかりで、まだ街に慣れてないでしょうし、書店でしたら、案内します」

「それは心強いわ」


 クロシェ先生が美しい笑顔をあたし達に向ける。


「お願い出来る?」

「はい」

「ドロシーはお留守番ね」


 メニーが言うと、ドロシーが呑気に欠伸をした。





(*'ω'*)





 暖かい格好をして、三人で馬小屋に向かう。小屋の周りには、厳重に飼育係の使用人達が動物の面倒を見ていて、周りを見張っていた。

 飼い葉を腕に抱えていたデヴィッドが、ふらふらと歩いてきたのを見て、あたしが近づいた。


「デヴィッド」

「おや、ご機嫌よう。テリーお嬢ちゃま」


 あたしの後ろにいたクロシェ先生とメニーに気付き、視線を向ける。


「これはこれは、お揃いで。こんにちは、先生。それと、メニーお嬢ちゃま」

「こんにちは。デヴィッドさん」

「こんにちは」


 クロシェ先生とメニーが挨拶をして、デヴィッドに近づく。クロシェ先生が口を開く。


「突然のお願いなのですが、馬車を出していただけませんか?」

「お安いごようですぜ。先生。三人でお出かけですかい?」

「はい」

「そいつはいい。どちらまで?」

「街の書店に行きたくて」

「楽勝ですぜ。おすすめの場所に連れて行きますよ」


 デヴィッドが飼い場を籠に入れ、小屋に置かれていたコートを上から羽織る。奥にいる使用人に声をかけた。


「おい、ちょっと出かけてくるぜ!」

「おう」

「ロイ! ちゃんと見張っておけよ!」

「わかってますよ。デヴィッドさん…」


 ロイに釘を打ち、小屋に置かれたお出かけ用の馬車に馬を引き連れ、慣れた手つきで馬と馬車を道具で固定させる。


「これでいい。三人とも乗ってくだせえ」


 あたしが先に乗り、メニーが乗り込む。クロシェ先生が最後に乗り、扉を閉めた。デヴィッドが御者席に座り、馬を引く。


「よし、いくぜえ」


 デヴィッドが紐で合図を出すと、馬たちがゆっくりと走り出した。クロシェ先生が窓を眺める。


「動物は、もう大丈夫そうね」


 クロシェ先生がどこかほっとしたように、窓から顔を離した。


「城下町の広場って大きいのでしょう? 私、あまり行ったことがないのよ」

「本屋さん、すごく大きくて、色んな本が置かれてるんですよ」


 メニーがにこにこして、上機嫌で話す。その横で、あたしも揺られながらクロシェ先生を見る。


「デヴィッドが連れて行くなら、北区域だと思います」

「北区域?」

「お城が建っている区域です。お城があるから、お店もすごく並んでて、設備も良くて、道も綺麗です」

「それは楽しみ。私は田舎の人間だけど、歩いても大丈夫かしら?」

「城下町は田舎から出てきた人たちの集まりです。大丈夫です」

「そう言ってくれると安心するわ」


 馬車が城下町に向かって進んでいく。あっという間に街の中に入り、窓を見ると、道々を歩く人々が馬車を避けて歩いている。

 馬車がゆっくり進み、思った通り、北区域まで駆けていく。街に並ぶ店の通りで、馬車が止まった。

 

デヴィッドが御者席から下りて、扉を開けた。


「つきましたよ」

「ありがとうございます」


 クロシェ先生が先に下りて、次にあたし、最後はメニーが馬車から下りる。目の前には大きな書店。


「まあ、素敵」


 クロシェ先生がうっとりと呟き、あたしとメニーの手を取った。


「迷子になっちゃ駄目よ。二人とも」

「はい!」

「はーい」


 メニーとあたしが返事をすると、クロシェ先生が鼻を鳴らした。


「いざ! 本屋に!」


 三人で店の中に入る。大きな書店にメニーがいつもの如く目を光らせ、新刊コーナーに目を配る。


「…あ、面白そうなのがある…」

「こっちよ。メニー」

「あ」


 クロシェ先生に引っ張られ、メニーが引きずられる。クロシェ先生が求めていたジャンルの前に行き、手に持っていく。


「これね」


 メニーの手に持たせる。


「あとこれと」


 あたしの手に持たせる。


「これと」


 メニーの手に持たせる。


「ああ、これも必要ね」


 あたしの手に持たせる。


「これとあれとそれとこれもあれもそれも必要だから」


 ぽいぽいぽぽいと、あたしとメニーの手に本を置いていく。


(…本というより)


 参考書、ドリル、ドリル、ドリル、ドリル、ドリル、ドリル。


「「……………」」


 あたしとメニーが青い顔で黙りこくる。クロシェ先生は、とても笑顔だ。


「よし、こんなところかしら」


 満足したように息を吐き、クロシェ先生がお会計に行く。


「こちらを」

「はいよ」


 ギルエドから資金でも貰ったのだろうか。結構な額を簡単に差し出した。店員が会計をして、お辞儀する。


「ありがとうございます」

「メニー、これ持って」


 メニーがこれからやる事になるであろうドリルが入った袋を手に持った。


「テリーはこっちね」


 あたしはこれからやる事になるであろうドリルが入った袋を手に持った。


「行くわよ。二人とも」


 うんざりした顔のあたしとメニーをクロシェ先生が引っ張る。


「お買い物はまだ続くわよ。ほら、歩いて歩いて」


 結局メニーも欲しい本は買えず、クロシェ先生に黙ってついていく。


「次は…」


 お姫様の如くクロシェ先生が道を歩く。途中で薬屋を見つける。


(薬…)


 鎮痛剤。


「……………………」

「あら、テリー、駄目よ。はぐれちゃうから、隣にいて」

「はい…」


 あたしは先生の隣を再び歩き出す。次は文房具のお店に行く。クロシェ先生が選ぶ。お買い物をする。出て行く時には、クロシェ先生も袋を持っていた。


「次はね」


 次の本屋に足を運ぶ。出て行く。手荷物が増えている。


「次はね」


 次の本屋に足を運ぶ。出て行く。手荷物が更に増えていく。


「次は」

「先生」


 あたしは手を挙げた。


「はい、何でしょう。テリー」

「あたしを見てください。これからするであろう宿題の山に、手が震えています」

「あら、寒いの? いいわ。手を繋いで温めましょう」

「メニーを見てください。これからするであろう宿題の量に、青くなってます」

「二人とも、勉強に慣れてないだけよ」


 クロシェ先生が腕を組み、笑ってみせる。


「二人に質問します。二人はお人形遊びをしようとして、顔を青くして震えますか?」


 あたしとメニーが顔を見合わせる。クロシェ先生に顔を向けて、答える。


「震えません」

「青くなりません…」

「お人形遊びは楽しいものと思ってるから嫌じゃない。勉強だって同じよ。面白いと思えば、どんどん楽しくなっていくわよ。難しいところほど、深く勉強すれば、絶対分かるようになるから。理解が出来ないから楽しくないのよ」


 あたしはドリルの入った袋を見る。


「理解するまで、この量をやるということですか…?」

「一気にやれなんて言ってないでしょう。1日ずつ、少しずつ、やればいいのよ」

「でもすごく量が多い…」

「宿題だけじゃなくて、授業中でも出来るように買ってるだけよ。貴女達に勉強を教えるのが、私の仕事ですから」


 クロシェ先生がメニーを見る。


「メニー、字をより多く覚えれば、色んな本が読めるわよ。言葉の意味が分かれば、間違って使わずに済むわ。どうするの?貴族のパーティーで、間違った言葉を使って恥ずかしい思いをしたら」


 メニーが目線を落とす。


「嫌です…」

「そうよね」


 クロシェ先生があたしを見た。


「テリー、知的な女の子はモテるわよ。どうするの? 男の見分け方も分からないお嬢様になって、変な男に捕まったら」

「…………」


 もうすでに捕まってる、とは言えない。しかし、クロシェ先生があたしが求める答えを言った。


「考える力が身につけば、変な人にも捕まらない。捕まったとしても、言い負かせることの出来る力も持てるのよ」


 ―――え!?


 あたしはすかさず顔を上げる。クロシェ先生は微笑んでいる。


「本当ですか…?」

「言葉を誰よりも饒舌に。そうすれば、頭の回転が遅い人より、テリーが圧倒的に優位になれるわ」

「それ、勉強すれば身につくんですか!?」


 これよ! これだわ!


(クロシェ先生と勉強して、あたしが饒舌になったら…!)


「ギロチンくたばれ」

「わお! なんて頭のいい言葉なんだ! 死刑は無効だ!」


(さらに!)


「キッドくたばれ」

「ぐっ! 負けた! 完敗だ! なんて頭のいい言葉なんだ! 頭良すぎて、もうテリーに近づけない!」


 こ、こ、こ、これだーーーーー!!! あたしの求めていた答えは、これだったのよ!!


 あたしは目をきらきらきらと輝かせる。


「分かりました! あたし!」


 全ての者共を屈服させるために、


「勉強頑張ります!」

「その息よ! テリー!」


 メニーがチラッとあたしを見る。あたしはメニーを見る。


(クロシェ先生と勉強すれば、こいつを言い負かす事も出来る…!)


「メニーくたばれ」

「きゃっ! なんて頭のいい言葉なの! 言い返せない! こんなお姉ちゃんを、死刑になんて出来ないよ!」


 死刑絶対回避の未来が、実現する!!


「メニー、あたし、頭良くなるわ」

「が、頑張ってね…」


 メニーが顔をひきつらせる。クロシェ先生があたしに拍手をして、店に体を向ける。


「さ、そうと決まったら、次の問題集を買いに行きましょう」

「はい!!」


(頭良くなる! 頭良くなる! 頭良くなる!)


 あたしとクロシェ先生がるんるんで書店に向かう。メニーが一人ため息をついて、あたし達についていく。

 メニーの向かいから誰かが歩いてくる。

 メニーと誰かの肩が、とんと、ぶつかった。


「あっ」


 メニーがふらつく。ぶつかった相手もふらつく。ボロボロの布を羽織っている。泡栗色の長い髪の毛と、スカートを履いていることから、少女なのだと分かった。


「あ、ごめんなさい」


 メニーが謝ると、少女は無視して歩き出す。スカートから、何かが落ちた。


「あっ」


 ボロボロになった赤い布の切れ端。メニーが拾って、少女に近付いた。


「ねえ、落としたよ?」


 メニーの言葉に、ようやく少女が振り向いた。メニーの手の上に置かれた布の切れ端を見て、少女がはっとした。


「っ」


 乱暴にメニーから布の切れ端を奪い返し、顔をうつむかせ、走っていった。


「あ…」


 メニーが少女の背中を見つめ、少女が人混みに紛れて見えなくなる。それでもメニーがその方向を見詰め続ける。

 クロシェ先生がメニーに近づき、メニーの両肩を優しく掴んだ。


「落としたものを拾ってあげたのね。偉いわ。メニー」


 クロシェ先生がそう言って、あたし達に微笑む。


「さあ、行きましょう。お買い物の続きよ」


 メニーの肩を抱き、クロシェ先生がお店に歩いて行く。メニーと一緒に書店に入る。あたしも一度だけ、ちらっと振り向いた。


 しかし、少女はもうどこにもいなかった。



(*'ω'*)



 あたしは髪の毛を三つ編みをして、眼鏡をかける。

 ドロシーが眉をひそめた。


「テリー、今度はどうしたの」

「ドロシー、あたしはテリーじゃないわ。あたしは生まれ変わるの。頭良くなるの。いいこと? これからあたしを呼ぶ時は、スーパーエリートテリーちゃんとお呼びなさい」

「スーパーエリートテリーちゃん、一体また何に影響されたのさ。君、良い子のテリーちゃんになるって言ってから、二日で飽きたじゃない」

「飽きてないもん。ちゃんとトラブルバスターズは続けて、屋敷の平和を守ってるもの」

「お腹痛いって言って逃げて隠れたのは誰?」

「お腹痛かったのよ」

「どうだか」

「とにかく」


 あたしはドリルの山を机に置いた。


「あたしは頭良くなって饒舌になるのよ。相手を言い負かす能力を持つのよ。そのために勉強するから、邪魔しないで」

「はいはい。飽きないうちにやってな」


 ドロシーが呆れたように息を吐き、ぱっと気配を消した。いなくなったのだろう。今頃、メニーの部屋でなんでもない猫の顔でもして、呑気にくつろいでいるに違いない。


(あたしはね、チートを使える魔法使いとは違うのよ。なんてったって、あたしは努力家実力派のスーパーエリートテリーちゃん!)


 あたしはドリルを開く。


(毎日こつこつ!)


 あたしは鉛筆を握り、ドリルに向かって鉛筆を動かし始めた。





 その後、あたしは三日目でリタイアボタンを押すが、クロシェ先生からの宿題の山は止まらず、メニーは青い顔で、あたしは半泣きで宿題に追われる日々を過ごすことになる。


 授業が終わればトラブルバスターズ。メニーが唯一目を輝かせ、活き活きとする時間。屋敷の平和は私達が守ると馬鹿騒ぎして、メニーが疲れたあたしを引っ張って走り出す。


 それが終わればようやく自由時間。あたしはお風呂に入って、ふへ、と息を吐く。


 ギルエドも、ドリーも、リーゼも、サリアも、デヴィッドも、他の使用人達も、あたし達に特に恨みを見せる姿はない。トラブルバスターズは、今日もみんなのために働き、手伝う。たまに見つかって、ギルエドに怒られるけど。


 クロシェ先生は変わらず、あたし達に勉強を教え、また宿題を山のように出し、あたしとメニーがうんざりする事が日課になってきた頃、気がつけば、遅くも早く、時間が流れ、ママとアメリが帰ってこないまま、クロシェ先生が屋敷にやってきて、


 とうとう、一ヶ月の月日が経っていた。





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