第20話 あなたに最高のプレゼントを


 エターナル・ティー・パーティー。



 サリアがあたしに手を差し出す。


「さあ、テリーお嬢様」


 あたしはサリアの手を掴んで馬車から下りる。大層なドレスを着て、いかにも、お金持ちなのよという顔で歩き出せば、店の周りを歩いていた人々から見られる。


 サリアが扉を開け、あたしが中に入る。


 店内では、マッドとアリスとカトレア、そしてガットが並んで立っていた。


「お待ちしておりました。ご令嬢様」


 ガットが頭を下げる。カトレアがお辞儀をする。マッドがお辞儀をする。それを見て、アリスがぺこりとお辞儀をした。マッドがあたしに椅子を差し出す。


「こちらへおかけに」

「ありがとう」


 あたしは奇妙な形の椅子に座る。マッドが箱を腕に持ち、アリスに渡した。


「これを」

「え、私が渡すの?」

「お前が作ったようなもんだ」

「ガットさんが渡せばいいのに」

「アリス」


 カトレアが声をひそめて、アリスに言った。


「打ち合わせ通りに」

「転んでも知らないからね」


 アリスが箱を持ってあたしの前に歩いてくる。ぴたりと止まる。


「えっと……」


 あたしに跪く。


「ご注文のお品です」


 アリスが微笑む。


「ご確認を」


 あたしに箱を渡す。あたしは受け取り、箱の蓋を開ける。その中に入っていたものを見て目を見開く。後ろから見ていたサリアが目を丸くする。


 箱の中には、見たことがないほど、それはそれは美しいヘッドドレスが入っていた。


「……」


 言葉が出ない。


(美しい)


 それ以上だ。


(美しい)


 目が奪われる。


(こんなの見たことない)


 アリスが悶々と空想の中で描き出していた帽子が形となった。


(美しすぎる)


 まるで置物。


(どう言えばいいの)


 まるで芸術。


「いかがですか?」

「素晴らしいわ」


 あたしが言うと、アリスはきょとんとして、首を傾げた。


「本当に思う?」

「貴女は満足じゃないの?」

「だって、絵と全然違うんだもの。もう少し可愛かったのよ」

「十分可愛い」

「ガットさんにもう少し抑えろって言われたの。帽子に着せられちゃうからって」

「ええ。これだけ美しいのだもの。着せられてしまうわ」

「そんなことないでしょ」


 アリスが頬をむくれさせた。


「ニ」


 呼ぼうとして、言葉を止めて、アリスが笑った。


「……ふふ! お客様は綺麗だもの。着せられたりなんてしない」

「そう思う?」

「私が保証する」

「今、つけてみてもいい?」

「私がつけてあげる」

「……いいの?」

「貸して」


 アリスがあたしからヘッドドレスを奪い取る。帽子の裏にあるピンで、あたしの髪の毛を挟んでいく。


「痛くありませんか?」

「大丈夫よ」


 本当は少し痛いけど、アリスがやってくれてると思えば痛くない気がした。きちんと固定される。ベールがなびく。アリスの手が離れた。アリスがあたしを見る。


「……うん」


 アリスが微笑んだ。


「可愛い」


 アリスが笑った。


「可愛い!」


 アリスがカトレアに振り向いた。


「姉さん、鏡取って!」


 カトレアが手鏡をアリスに渡した。


「ほら、ニコラ! 見てみて!」


 アリスがあたしに手鏡を渡す。あたしも自分の姿を見る。濁った赤髪に沿うように、美しいヘッドドレスが飾られている。


(……アリスの嘘つき。美しすぎて、完全に着せられてるじゃない)


 だけど、


(頼んで正解だった)


 あたしはアリスに顔を向ける。


「ありがとう。アリス」

「どう?」

「すごく気に入った」

「ふふふ! そうでしょうそうでしょう!」

「サリア、お礼を」


 サリアが袋をマッドに渡した。


「こちらがお嬢様からの報酬となります」

「ははっ。どうも」

「ご確認を」


 袋を開ける。中身をマッドが見て硬直する。カトレアが見て呆然とする。ガットが誇らしげに、にんまりと笑う。


「それと、アリス」


 あたしはアリスの手を握る。


「アルバイトの初日、喫茶店でランチをご馳走してくれたでしょう? その時のお礼があたし、まだちゃんと出来てなかったわよね?」

「やだ。ニコラったら! 気にしてたの? そんなのいいのよ。言ったでしょ。見返りなんて求めてない。私、したくてしたの。私が奢りたくて奢って、ニコラに喜んでもらいたくて勝手にやったの! ふふっ! だから、気にしないでちょうだい!」

「それだけじゃない。ドレスや可愛いカチューシャだってくれたわ」

「だって、ニコラに似合ってたから」

「仕事も丁寧に教えてくれた」

「雑な説明だったけどね」

「あたし、すごく助かったわ。アリスがいてくれたから、仕事も苦じゃなかった。だから……」


 指をぱちんと鳴らした。


「これはそのお礼」


 使用人のフレッドが包みの箱を持って店内に入る。


「どうぞ、お受け取り下さい」


 フレッドが箱を見せる。アリスが驚いたように目を丸くした。


「ああ、どうもどうも!」


 アリスが箱を受け取った。大きな箱をじっと眺める。


「あらあら、なんて大きい箱!」

「開けてみて」

「いいの?」

「ええ。ぜひ」


 あたしが言うと、アリスが床に箱を置き、唇を舐めた。


「えへへ! 何かしら? 私ね、プレゼントを開ける瞬間って好きなのよ。胸が弾むじゃない! えー? なんだろう? ふふ!」


 アリスが蓋を開ける。柔らかなでビニールで包まれており、アリスがビニールをかき分け、



 ――黙った。



 口角を下げ、じっと、それを見つめる。



 腕を震わせ、伸ばす。



 箱から、震える手で掴んで、持ち上げてみせた。



 光り輝く青のドレスを、アリスが見つめる。




「……」


 アリスがじっと見つめる。


「……」


 大好きなキッドの青髪に近い色のドレスを見つめる。


「……」


 黙って見つめる。


「靴もあるのよ」


 あたしが言うと、フレッドが箱を差し出す。


「それと、ネックレス。手袋。兎のイヤリングも、一応」


 あたしは微笑む。


「ねえ、アリス、明日、お城でパーティーがあるんですって。社交界とか、そんな感じだと思う。あたし、家族と行くんだけど、どうせ行ったところでつまらないだろうし、話し相手が欲しいの」


 あたしはアリスを見つめる。


「言ったわよね。あたしの話し相手になってくれるって」


 あたしは、アリスに首を傾げた。


「ねえ、一緒に来てくれない?」

「……パーティーに?」

「そうよ」

「パーティーに行けるの?」

「そうよ」

「私が、このドレスで?」

「そうよ。アリス!」


 あたしは椅子から下りて、アリスと一緒に地面に座り、微笑む。


「あたしと行きましょう。このドレスで、お城のパーティーに!」

「こんな素敵なドレス……」


 アリスの手が震える。


「私、なんて言ったらいいのか」


 アリスの体が震える。


「私に似合うかしら」


 アリスの目が揺らぐ。


「こんな、こんな綺麗な、青いドレス」


 アリスの瞳から涙がはらりと落ちる。


「お城に入れるの?」

「ええ。あたしと」

「ニコラと」

「そうよ」

「ニコラ、私、お城に」

「あたしと行きましょう。明日、一緒に」

「明日……」


 アリスがはっとする。


「明日?」

「ええ」


 アリスがカレンダーを見る。アリスの涙が一瞬で引っ込んだ。


「あ、駄目」


 え。


 硬直するあたしに、アリスが眉をへこませる。


「ごめんね。ニコラ」


 申し訳なさそうにあたしに言った。


「明後日は学校でテストがあるから、明日は徹夜で勉強しなきゃ」

「アリス!!」


 マッドが慌ててアリスの肩を掴み、カトレアが呆れたように頭を押さえ、ガットがげらげら笑い出す。


「あっはははははっ! こりゃ、まいった!」

「アリス! 全くお前という娘は!」

「え」


 アリスが困惑した顔でマッドを見る。


「せっかくのお誘いなんだぞ! テストで諦めるんじゃない!」

「えーー!? 父さんが言ってるんじゃない! 学校のテストは将来に関わるから大事にしなさいって!」

「昼間に勉強しなさい! それからパーティーに行けばいいだろう!」

「昼間はここの店番しないと」

「カトレアが変わる!」

「父さん! なんてこと言うのよ! 姉さんはまだ心の傷が癒えてないのよ! 私が働かないと、誰が働くのよ!」

「全く呆れた子ね!」


 カトレアがくすくす笑い、アリスの背中を撫でた。


「大事なお友達のお誘いなら、行ってあげなさい」

「行ってもいいの?」

「もちろん。でも昼間は勉強しなさいよ」

「店番は?」

「明日くらい私がするわ」

「大丈夫?」

「ん」

「行ってもいい?」

「ん」


 カトレアが頷くと、アリスがぱっと微笑んで、あたしに顔を向けた。


「ニコラ、行ってもいいって!」

「ふふっ。来てくれる?」

「もちろんよ!」


 アリスがあたしの手を握り、あたしを見つめる。


「ねえ、ニコラ、なんてお礼を言えばいいの? ドレスに、お城のパーティーまで」

「言ってるでしょ。ドレスはしてもらったことへのお礼。パーティーはあたしの暇つぶし」

「お城では名前で呼んだ方がいい?」

「どっちでもいいわよ。名前なんて」

「なんて名前だっけ?」

「テリーよ。テリー・ベックス」

「テリー? ふふっ。なんかメニーに似てるわね」

「全然違う」

「テリーって呼んだ方がいい?」

「アリスはどっちが呼びやすい?」

「私はニコラの方がしっくりするわ」

「だったら、ニコラで構わないわ。あたしもニコラって名前、気に入ってるのよ」

「そうなの? じゃあ、これからもニコラって呼んでいい?」

「それじゃあ、あたしもアリーチェのこと、アリスって呼んでもいい?」

「もちろんよ。私、アリーチェって名前が長いから、あんまり好きじゃないの」

「でも、いい名前よ」

「そうかしら」

「そう思う」

「テリーも素敵」

「ありがとう」

「お互い、名前じゃない名前で呼び合うなんて、ふふっ、なんかおかしいわね」

「ええ。おかしいわね」

「ニコラ、大好き」

「あたしもアリスが大好き」

「ヘッドドレス、気に入ってくれて良かった」

「ええ。本当に素敵」

「ニコラのこと考えて作ったんだもの。似合って当然だわ」

「……ありがとう」

「こちらこそ」


 アリスが眉をへこませて、微笑む。


「私に帽子の作る機会を与えてくれて、ありがとう。ニコラ」


 あたし達は手を握り合う。強く、強く、握り合う。


「明日、嬉しいけど不安だわ。本当に私なんかが行って、大丈夫?」

「大丈夫。手を握ってましょう」

「せっかくのパーティーなのに、手を握るの?」

「せっかくのパーティーだから、手を握るのよ」


 手を握って、城を歩きましょう。


「怖いことなんて何もないわ」


 あたしは手を繋ぐ。


「行きましょう。アリス」



 あたしと、悪夢の世界へ。



 アリスと一緒なら、トラウマと恐怖でいっぱいの城の中も、あたしは歩ける気がした。

 一緒に行きましょう。


 ジャックに、会いに行きましょう。




(*'ω'*)




 もう悪夢は見ない。


 あるのは現実だけ。




(*'ω'*)




 19時。宮殿。




 アリスが天井を見上げて、目を輝かせた。


「うわあ。見て見て。ニコラ、天井が高いわ!」


 アリスが指を差す。


「見て、あのシャンデリア! 図書館と比べ物にならないわ!」


 アリスがはっとして、口を押さえる。


「私、うるさい?」

「もう慣れた」

「ニコラを困らせたくないの。ね、変なことしてたら言ってね。私、本当に気付かないから……」

「大丈夫よ! アリス!」


 横にいたアメリがアリスに微笑んだ。


「テリーはね、困らせるくらいがちょうどいいのよ。気にせずぴたーっとくっついてればいいわ。付き人ってそういうものだから」

「……何だか不安になってきた…」


 アリスが顔を青ざめると、メニーがアリスの背中を撫でた。


「アリスちゃん、私も貴族じゃなかったから、最初はパーティーに慣れてなかったの。でもお姉ちゃんが傍にいてくれたから大丈夫だったよ」

「そうそう。困ったことがあったら私もいるし」

「……ありがとう……。アメリアヌ、メニー……」


 アリスがあたしの手をぎゅっと握りしめる。


「ニコラ、離さないでね?」

「大丈夫。離さないから」


 赤い廊下を歩いていくと、パーティー会場にたどり着く。広大な広間に、アリスが目を丸くする。ちかちかと瞬きさせて、辺りを見回した。


「……私の部屋の、百個分くらいあるかも…」

「人が踊ったりするんだもの。広くないと」

「ああ、やっぱり仮面舞踏会、行くべきだったわ。ここにキッドがいたのね」


 アリスが会場を眺める。


「素敵」


 アリスが歩き出す。あたしもついていく。アメリとメニーから離れる。二人で手を繋いで、テーブルの前に行く。アリスが目を留める。


「ニコラ! 見て! 美味しそうな料理の山よ!」

「食べてみたら?」

「いただきます!」


 アリスが皿に乗せて、料理を食べる。


「美味しいわ! ニコラ!」

「そう。良かった」

「ニコラ、あれ見て!」


 あたし達はテーブルの前に行く。


「素敵な茄子料理!」

「……。アリス、食べてみたら?」

「いただきます!」


 アリスが皿に乗せて、料理を食べる。


「美味しい! ニコラ、すっごく美味しいわよ!」

「良かったわね」

「ニコラも食べてみて! お茄子、とっても美味しいわよ!」

「アリス、こっちのパンも美味しそうだわ」


 話を誤魔化して、標的を茄子からパンに移す。


(茄子なんてくたばってしまえ)


 二人で美味しいパンを頬張っていると、輝かしい景色の向こう側から、怒鳴り声が聞こえた。


「お前! よくもやってくれたな!」


(ん?)


 どこかで聞いたことあるわね。この声。


 あたしとアリスが振り向く。周りの人々も怒鳴り声の主を見る。

 横暴そうな男が、メイドの少女を怒鳴っていた。


「どうするんだ! スーツが濡れたじゃないか!!」

「ああ、申し訳ございません。でも大丈夫ですよ。これくらいなら洗濯すれば綺麗に落ちますから」

「この野郎!」

「そんなに怒らないでくださいよ。大丈夫でごぜえますよ。それくらい何とかなりますから」

「クリーニング代を請求して、お前のような田舎人を雇わないよう、クレームをつけてやるからな!」

「えー! そんな、あんまりです! そもそも横から急に飛び出してきたのは、貴方様ではございませんか!」

「なんだと!? お前! 俺に文句を言うのか!? この……! 貧乏人が!!」


 男が手を上げる。少女が頭を抑え、体を強張らせる。


「ひぃ! ご容赦を! ご容赦を!」

「失礼」


 あたしがひょいとメイドの前に立つ。男は見下ろしている。あたしは微笑む。


「どうもこんばんは。ミスター」

「……こんばんは。お嬢さん。そこをおどきください」

「この子を殴ろうってことですか?」

「お嬢さん、これは躾なのです。悪いことをしたら、体で分からせないといけません」

「でしたら、貴方にも非があるのでは?」

「貴方には関係ないことかと。お嬢さん」


 あたしは少女に顔を向けた。


「横から突然歩いてきたの?」

「んだ!」


 少女が頷く。


「オラ、周り見ながらお水落っことさねえようにトレイ持ってたんです。したっけ、突然でごぜえますよ。このおっさんが体を押すように歩いてきたんですよ。そら吹っ飛ばされますわ! そんだら、水がスーツにかかってしまってさ。オラも悪いけど、このおっさんだって非があるべさ」

「言わせておけばこの娘! 使用人のくせに!!」

「なんという人……」


 あたしは眉をへこませ、相手を見上げる。


「自分にも非があるのに謝りもしないで、あたしと同じくらいの女の子を虐めるなんて、酷いお方」


 あたしはスーツを見る。バッジを見る。


(……ふーん。なるほど)



 ――あたしの勝ちよ。




 にこりと微笑む。


「それと、お前、このあたしに向かって、お嬢さんと言ったわね」

「……あ?」

「あたしを知らないの?」

「……何」

「おや、何事ですかな?」


 スーツを着た老人が歩いてくる。


「おお、これはテリーお嬢様!」

「こんにちは。トワドールさん」


 男の顔が引き攣る。


「うちの使用人が、どうか致しましたか?」

「それが、酷い話ですわ」


 男の顔が険しくなる。


「このメイドに、自分からぶつかってきたのに謝りもせず、悪いのは全てこのメイドだと。この子を叩こうともしておりましたわ」

「してません」


 男が否定した。


「私、そんなことはしておりません。周りの方にも聞いてください。私はこのメイドを叩いたりなどしてません。ただ、スーツに水がかかってしまったので、困ったと言っていただけです」


(そうくると思った)


 あたしを誰だと思ってるの。


(ただの14歳の女の子じゃないのよ)


 トワドールが眉をひそめた。


「……ふむ……。お嬢様、使用人はやってないと言っております」

「その方の態度が他の方々に厳しいことには、あたし、前々から困っておりましてよ」

「ん? どういうことですかな?」

「トワドールさん。その方、あたしの知ってるお店で働いてる従業員の方にも、無礼を働いたのです」

「うん?」

「アリス!」


 騒動を見てたアリスが、あたしに呼ばれてぽかんとする。


「ちょっとこっち来て」


 アリスが歩く。あたしの横に止まる。


「この人、見たことあるでしょ」

「……」

「ほら、レジで……」

「あ!!!」


 嫌なことを鮮明に覚えているアリスが、指を差した。


「私をレジで虐めた人!」

「そうよ。あたしの親友の貴女を虐めて、近くで見ていたお巡りさんに連れていかれたのよね」

「何!?」


 お巡りさん、という単語でトワドールの目が変わる。ぎろりと男を睨んだ。


「お前! 事故の冤罪で入っていたと言っていたではないか!」

「え、いや、あの……」


 男の顔が、ようやく青くなり始める。


「テリーお嬢様の親友様に、無礼を働いたのか! このたわけ!!」

「い、いえ、その、ご主人様、これは、その、私は、知らなくて」

「知らなくて!? この馬鹿! このお方はな!」


 私の大恩人の娘だぞ!!


「お前! この! よくも私の顔に泥を塗ってくれたな!」

「あ、その、私は、その」


 トワドールがあたしに振り向き、眉をへこませる。


「ああ、テリーお嬢様、どうかお許しを」

「軽い処罰にしてあげてください。きっとその人にも悪気はなかったのよ。どうかお願い」

「おお! なんとお優しいお嬢様! この度はご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません」

「謝らないで。貴方は悪くないんだから」

「ああ、まるで大佐のように温かいお方だ。あの者の処罰は、私の方でしておきましょう」


 トワドールがアリスを見た。


「貴女にもご迷惑をおかけしたようですな。大変申し訳ございませんでした」

「ああ、全然! とんでもないです!」


 トワドールがアリスに微笑み、男を睨み、スーツを引っ張った。


「来い」

「いや、あの、ご主人様……」

「来い!」

「は、はい!」


 男がトワドールと共に会場から出て行く。アリスがあたしを見る。あたしがアリスを見て、にぃんまりと笑う。アリスが眉をへこませて微笑む。


「ふふっ、悪い子ね。ニコラったら」


 アリスが笑うと、後ろから少女の声が聞こえた。


「あの、お嬢様方、すみません。本当に、ありがとうごぜぇました!」


 メイドがぺこりとお辞儀をする。今のあたしや、アリスと近い年齢だろう。そばかすの頰を上に持ち上げ、口角を上げる。


「いやあ、助がりました!」

「とんでもないです」


 少し訛って言葉を吐く少女に微笑む。


「お仕事にお戻りください。お気をつけて」

「はいです! ありがとうごぜぇました!」


 少女がお辞儀をして、辺りに散らばるグラスの破片を見下ろす。


「はあ。早く捨てに行かねえと」


 少女がしゃがみ、ガラスの破片をかけ集める。アリスがしゃがむ。


「私も手伝います」

「ああ、危ねえです。ドレスも汚れてしまいますよ。大丈夫ですよ。オラがやります。これが仕事ですから」

「大丈夫! 私、こういうことには慣れてるから!」


 アリスがガラスを拾う。


「全く、酷い人だわ。私もあの人に虐められたの」

「えー。貴女もですか。はーあ。やっぱりお金持ちってろくなもんじゃねえなあ」

「か弱き乙女に怒鳴るなんて最低よ。ニコラみたいにもっと心を広く持つべきだわ」


 アリスがガラスに手を伸ばす。ガラスが拾われる。


「あ」


 アリスが見上げる。リオンを見上げる。


「失礼。レディ」

「はっ!」


 アリスがびくっと肩を揺らす。リオンがガラスを拾い、少女のトレイに乗せる。少女も唖然とリオンを見つめる。周囲の人々も、わざわざしゃがんでガラスを拾った第二王子を見つめる。


「気付かず申し訳ございません。レディにガラスの破片を拾わせるなど、あってはならない」


 リオンがメイドの少女に手を差し出す。


「それをこちらへ」

「え?」

「僕が捨てに行きます」

「と、とんでもねぇ! リオン様! こんなもの、王子様に持たせられません! オラ、メイド長様に怒られちまいますよ!」


 少女がガラスの破片を全てトレイに入れ、速やかに会場から出て行った。リオンがきょとんと少女の背中を見届ける。


「ああ、行っちゃった」


 リオンがアリスに顔を向ける。


「やぁ、どうも。アリーチェ」

「こんにちは、リオン様!」


 その瞬間、会場内にいた全員がリオンとアリスに跪く。あたしもドレスをつまんで跪く。アリスがぎょっとする。


「ひゃ! な、何!?」

「ああ、その、王子様だから、ね。マナーとして」

「ああ、マナー、なるほど」


 アリスが跪く。


「こんにちは! リオン様!」


 アリスが元気に挨拶すると、リオンの影が一瞬ゆらりと揺れる。リオンが微笑む。


「アリーチェ、元気そうだね」

「はい! その節は、私の親友を助けていただき、ハロウィン祭の準備まで、何から何まで誠にありがとうございました!」

「とんでもない。当然のことをしたまでです」


 リオンが周囲の人々にお辞儀をする。


「改めまして、今宵おいでの皆様、パーティーへのご参加、誠にありがとうございます。私は第二王子、リオン・ミスティン・イル・ジ・オースティン・サミュエル・ロード・ウィリアム。父上と母上に代わり、挨拶をさせていただきます」


 リオンが周囲を見回す。


「楽しかったハロウィンも終わり、今宵もとても晴れやかな秋の夜。しかし、皆様、10月に起きた事件は、決して忘れてはならないものです」


 ハロウィン前の惨劇。


「多くの負傷者が出てしまいました。私は王子として、二度とこのような悲惨な事件が起きないよう、この美しい国を、兄と共に守る次第でございます」


 リオンの声が響き渡る。


「私は兄と違って、少し、不器用です」


 ふふっと、子供が笑った。親に小突かれ、笑った子供が黙った。リオンも笑う。


「ここは笑うところです。どうか笑ってください」


 子供がくすくす笑う。リオンが微笑む。


「不器用ですが、私は私なりに出来ることがあります。兄は、私には出来ないことを、私は、兄に出来ないことを。二人で協力すれば、国はもっと輝くことでしょう。どうか、皆様にもお力をお借りしたい。あのような事件が起きないように、この国をより良くするために、温かな手を。温かなお気持ちを。どうか、不器用な私達を、これからもお見守りください」


 リオンが手に胸を添えて、頭を下げた。

 人々がリオンを見つめる。黙る。ホールに静寂が訪れる。


 ――二階から一人が拍手する音が聞こえた。上を見上げる。


 キッドがリオンに拍手を送っていた。


(あ)


 リオンが顔を上げる。キッドがリオンを見ている。リオンが瞬きをした。キッドが微笑む。手を止めて、一階に集まる人々を見る。


「皆様、私達をお見守りいただけますか?」


 キッドが訊くと、一斉に会場内が拍手で包まれた。王家の兄弟が拍手喝采を受ける。王子として、キッドがお辞儀をする。リオンがお辞儀をする。アリスが大きく拍手をした。


 リオンが顔を上げ、微笑んだ。


「さて、拍手はそこまで。難しい話はさておきまして、今夜は無礼講です。皆様、大いにはしゃいで、笑って、踊って、楽しんでください!」


 リオンが無邪気ににかっと笑うと、人々が再び大きな拍手を送った。アリスは、何やら分からないが、とりあえず笑顔で拍手を続けた。それに反応したリオンの影が、完全にアリスの方へと動いた。


「っ」


 リオンが息を呑み、微かに足をずらした。影が止まった。リオンの方へ戻っていく。リオンが跪くアリスに近づき、手を差し出した。


「さ、アリーチェ、もういいよ。立って」

「え、もう大丈夫ですか?」

「うん」

「分かりました」


 アリスがリオンの手を掴んで立ち上がる。手を離したリオンが微笑んだ。


「アリーチェ、実は、君の友達から伝言を預かってるんだ」

「私の友達?」

「そう」

「誰ですか?」

「誰だろうね? でも、伝言を伝えて欲しいって言われてさ」


 リオンがそう言うと、影がリオンの体に移ったのが見えた。しかしリオンは体を委ねる。そして、ゆっくりと口を開く。


「アリーチェ」


 伝言を伝える。


「覚えてろ。来年こそ、怖がらせてやる」


 そして、


「今日の君は、誰よりも綺麗だ」


 影が影に戻る。リオンが微笑む。アリスがきょとんとする。リオンが微笑み続ける。アリスが考える。


「……私、誰かを怒らせたりしたかしら? それ、誰ですか?」

「さあ? でも、ま、とりあえず伝えたよ」

「誰かしら? でも、とりあえず、ありがとうございます。リオン様」


 アリスが頭を下げると、リオンが微笑み、ちらりと視線をあたしに向けた。


「さて、伝言も伝えたところで」


 あたしに近付く。あたしは瞼を閉じ、ぺこりとお辞儀をする。


「ご機嫌よう。リオン殿下」

「ご機嫌よう。レディ」


 瞼を上げる。顔を上げる。目の前には、16歳のリオンがいる。


「礼を言いたい。私達が普段世話になっている使用人を守っていただき、誠にありがとうございます。この感謝、ぜひ貴女にお伝えしたい」

「ああ、それはご丁寧に恐れ入ります」


 あたしはにこりと微笑む。


「殿下に感謝していただけるなんて、光栄ですわ」


 ちらっと上を見上げると、キッドと目が合った。キッドが微笑み、あたしに手を振る。自分が手を振られたと思ったレディが歓声をあげて、キッドに手を振る。あたしは黙る。


「……」


 なんだか、見張られてるみたい。


 ――リオンから離れて。離れないと悪戯するよ。


 そう言われてる気がして、あたしは一歩下がる。


「リオン殿下、キッド殿下がお待ちですわ」

「ああ、大丈夫です」


 リオンが軽く流した。あたしは目玉を上に動かす。


(お前、上! キッド! 上!)


 あたしを無視して、リオンが微笑む。


「テリー・ベックスご令嬢」


 リオンが胸に手を置く。


「これも何かの縁です。パーティーも始まったばかり」


 リオンが一歩、後ずさる。


「よろしければ」


 あたしは目を見開く。キッドが目を見開く。リオンがあたしに跪き、手を差し出した。




「この私と、一曲踊っていただけませんか?」




 思わず、固まる。


 リオンが微笑む。アリスが驚いて、はっと口を押さえて、三歩下がった。


 ――リオン様と舞踏会で踊るの!


 昔のあたしの声が聞こえる。


 ――リオン様! きゃー! リオン様!


 むじゃきだった頃の、あたしの声が聞こえる。


「リオン様」


 この恋は、もう終わった。

 あたしは目を背ける。


「残念ですが」

「ニコラ」


 ――静かにリオンに目を向ける。リオンがウインクして、ひそめた声で喋る。


「頼むよ。絶対誰かと踊らないといけないんだ。ウォーミングアップ。……付き合って」


 あたしはリオンを見下ろす。

 リオンがあたしを見上げる。

 ニコラはふっと笑う。

 レオがニコラを見つめる。

 ニコラのあたしは、ふふっと笑って、止めていた手を、簡単に前に差し出す。


「怒られても、あたしのせいじゃないわよ」


 ボソリと言って、可憐な乙女のように微笑んで、その手を掴んだ。


「喜んで。リオン殿下」


 レオがあたしの手を掴む。優しく引っ張る。あたしの腰を掴む。手を握る。距離が近くなる。あたしとレオの目が合った、と同時に、どこからかクラシックの音楽が流れ始めた。


 キッドのことを忘れ、

 メニーのことを忘れ、

 アメリのことを忘れ、

 アリスのことを忘れ、

 あたしの目の前には、レオだけが残る。


 あたし達の周りに、空間ができる。

 その空間で、レオの足が動き出す。あたしの足が動き出す。


 1、2、3、


 レオがあたしを見下ろす。


 1、2、3、


「ねえ、ステップ合ってる?」

「合ってる」


 1、2、3、


「でも少しぎこちないわ。緊張してると思われるわよ」


 1、2、3、


「練習したの?」

「した」


 1、2、3、


「病院で?」

「ああ。ヘンゼルとグレーテルに付き合ってもらった」

「うわっ」

「……大変だったよ……」


 1、2、3、


「精神は病む一方だ」

「今日は?」

「薬で抑えてる。お陰で気分はさわやかだ。……二時間が限界かな」

「……そう」

「頃合いを見て消える予定なんだ。気分が良ければ、それ以上いてもいいけど無理するなって、父上が言ってくれてる」


 1、2、3、


「……良いお父様ね」

「尊敬してるよ。キッドの次にね」


 1、2、3、


「っ」


 リオンが足を滑らせた。だけど、バレてない。影がゆらりと揺れた。


 1、2、3、


「……ジャック、やめろ」


 1、2、3、


「さっきからうるさいんだ」

「アリスと踊ればいいんじゃないの?」


 1、2、3、


「アリーチェと踊ったらジャックがあの子に悪夢を見せたがるよ。馬鹿なくらいプランを練ってるんだ」


 1、2、3、


「挨拶させただけ、感謝してもらいたいね」

「ねえ、メニーが向こうにいるの」

「メニー?」

「一緒に踊れば?」


 1、2、3、


 レオがにっと笑う。


「メニーと出会うのは僕が19歳の時だ。まだ三年先の未来だよ」

「少しくらい早くてもいいじゃない」

「メニーが嫌がるんじゃない?」

「リードしてあげなさいよ。旦那でしょ」

「うーん。どうかなぁ」


 1、2、3、


 あたしの体がくるりと回る。レオに体が戻る。


「あんた、怒られても知らないわよ」

「誰に」

「キッド」

「ああ」


 1、2、3、


 レオがうんざりしたように唸った。


「多分、この踊りが終われば颯爽と現れて、嫌味を言ってくるだろうな」

「分かってるなら、あたしを誘わなきゃ良かったのに」

「僕、最初のダンスの相手をどうしようかずっと悩んでたんだ。それで一日死にたくなるくらい。ニコラがいてくれて本当に助かった。これでキッドに嫌味を言われる程度なら、お安い御用だ」

「あたしは悪くないわよ」

「分かってるよ」


 1、2、3、


「アリーチェのあのドレス、君が用意したの?」

「そうよ。綺麗でしょ」

「ああ。すごく綺麗だ。ジャックが喜んでるよ。プランに取り入れたらしい。ドレスが台無しになる悪夢を見せてやるって、意気込んでる」


 あたしが離れる。リオンが引っ張る。あたしは戻ってくる。


「君も綺麗だよ」

「お褒めに預かり光栄ですわ」

「本当だよ」

「はいはい」

「今日は褒めたいところがいくつもある」

「何よ」

「まず、そうだな。ドレスが素敵」

「光栄ですわ」

「そして、その髪飾りもとても素敵だ」

「アリスが作ってくれたのよ。このヘッドドレス」

「へえ。すごいね」


 だけど、それ以上に、


「僕は他にも感心している。むしろ、そこだけに感心している」


 リオンがあたしを見つめる。


「もちろん、今日の君は美しいよ。本当に綺麗だ。その白いドレスも、そのヘッドドレスも、ピアスも、メイクも、素晴らしい。最高に綺麗だ」


 でも、それ以上に、


「君のつけている、そのピン。とても君に似合っている」


 リオンがヘアピンを見つめる。


「それは、誰かに買ってもらったんだろ?」


 いやいや、そのヘアピンを買った人は、実にセンスがいいな。


「買い物上手だ」


 リオンがにっ、と、満足そうに笑った。


「とても似合ってるよ。テリー。誰よりも綺麗だ」


 花のヘアピンを見て、まるで本物の兄のように微笑む。


「そうだ。今度ミックスマックスのイベントがあるんだ。二人で行こう」

「嫌よ」

「ああ、その前に、ラジオ局に行かないと。サインをもらうぞ」

「嫌よ」

「テリー、今度遊ぼう」

「嫌よ」

「病院に遊びにおいで。僕、また抜け出すから」

「てめぇいい加減にしなさいよ」

「はははは!」


 リオンが笑う。あたしをくるんと回して笑う。あたしはため息をつき、笑うリオンを見つめる。


 ――ご機嫌よう。レディ。


 あの時のリオンを思い出す。

 今のリオンが目の前にいる。

 リオンがあたしに笑っている。


 この心は確かに穴が空いた。しかし、それは違う何かで埋められたらしい。


「この後はどうするの? あんたのプランは?」

「適当に誰かの誘いに乗って、踊って、断って、乗って、話して、まぁ、いつも通りかな」

「そう」

「薬を飲んでまで参加して、お兄ちゃんは尊敬に値する人だろ?」

「……」


 ニコラはレオを睨んだ。


「薬を飲まないとやっていけないなんて」


 笑って、耳元で囁く。


「大変ね。お兄ちゃん」

「っ」


 レオが目を見開く。息を呑む。あたしを横目で見る。


「ニコラ、今」


 レオが驚きと喜びで、目を丸くする。


「僕を、お兄ちゃんって………!」



 曲が終わった。




 あたしは離れて、リオンにお辞儀をする。


「一緒に踊れて光栄でしたわ。殿下」


 にこりと微笑む。


「それでは、ご機嫌よう」

「まっ」


 リオンがあたしに手を伸ばすと同時に、横からレディ達が雪崩れ込む。


「ご機嫌よう! リオン様!」

「こんばんは! リオン様! 良い夜ですね!」

「あの! よろしければ! 私とダンスを」

「わたくしとダンスを!」

「ニコラ! ニコラ!」


 リオンがあたしに向かって手を伸ばす。あたしはリオンに背を向ける。


「今! 僕を! お兄ちゃんってぇええええええ!!」


 リオンがレディ達に押し潰される。あたしは無視して、とことこ歩き、アリスを探す。


(悪いことしたわ。アリスの元に戻らないと)


 あたしはきょろりと見回す。


(ん)


 アリスがいない。


(……こっちかしら)


 見回す。アリスがいない。


(……?)


 あたしは見回す。パーティー会場を見回す。


「……」


 あ。


(いた)


 アリスが扉に向かって歩いている。


(お手洗いかしら)


 あたしはアリスを追いかける。アリスが廊下に出る。あたしはアリスを追いかける。あたしは廊下に出る。


(あれ)


 辺りを見回す。アリスが廊下の奥に曲がる。


「……ん?」


 あたしは追いかける。


(アリス?)


 アリスは廊下の奥を曲がる。


(アリス?)


 アリスが、一人で、勝手にどこかに歩いていく。



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