第6話 10月20日(5)


 22時。リビング。



 あたしは顔をしかめる。

 キッドがにたにたにやけている。

 じいじが静かに白湯を飲む。

 あたしは鉛筆を動かす。数字を見て、すーっと瞼が重くなってきて、こくりこくりと頭を揺らすと、キッドにハリセンで頭を打たれた。


「はい! どーん!」

「ぶっ!!」


 ドリルとテーブルに顔をぶつけ、むくりと起き上がる。キッドが問題に指を差した。


「テリー、ここだけ頑張って。ほら、あと二問で終わるから」

「うう……。分かんない……。無理……。分かんない……」


 14歳の数学難しくない? ねえ、なんで数学って難しいの? なんで数字なんて存在するの? 数字なんて死ねばいいわ。答えは一つしかないなんて嘘よ。誰よ。そんなことを言った青スーツに蝶ネクタイした眼鏡のクソガキは。何が真実は一つよ。何が答えは一つよ。くたばれ。数字くたばれ。


 半べそになりながら唸ると、キッドがため息を吐きながら、ノートに指を差す。


「さっきこの公式使うって言っただろ?」

「ん……」

「応用して。この面積は?」

「んん……」


 キッドに引っ張られながら答えを探していく。


(なんでこんな問題があるの……? 公式に当てはめても出てこないじゃない……)


「面積はこれだから?」

「……56度……?」

「正解。ほら、出来るじゃん。次でおしまい。ラスト頑張ろう」


 背中を叩かれ、再び問題に指を差される。


(……面積問題嫌い……)


 あたしはうなだれながら本日最後の問題に向き合う。問題を見る。

 あたしは顔をしかめる。

 キッドがにたにたにやけている。

 じいじが静かに白湯を飲む。

 あたしは鉛筆を動かす。数字を見て、すーっと瞼が重くなってきて、こくこく頭を揺らすと、キッドにハリセンで頭を打たれた。


「はい! ばーん!」

「ぶっ!!」


 ドリルとテーブルに顔をぶつけ、むくりと起き上がる。キッドが問題に指を差した。


「テリー、公式に当てはめる」

「当てはめてるじゃない……。意味分かんないのよ……。出てこないんだもん……」

「いいか? さっきも言ったけど、この場合はまず、この角度を求めないといけないんだよ」


 キッドがすらすらすらーとノートに面積を書いて、どこの答えを考えるか的確に書いていく。


「ここは?」


 キッドの質問に、あたしは数字を書く。


「じゃあここは?」


 キッドの質問に、あたしは数字を書く。


「じゃあ、これは?」


 キッドの質問に。あたしは公式に当てはめて計算する。

 鉛筆で数字を書くと、キッドが微笑んだ。


「はい、正解! よく出来ました!」


 あたしはその瞬間、テーブルに突っ伏した。


「ああ……、もうだめ……。無理……。同じ問題もう一回やれって言われたらやれる自信がない……」

「でもお前、次のページ見てみな。もうしばらくその公式の問題の繰り返しだぞ」

「はっ!? クロシェ先生ったら、あたしにどんな問題集を渡したのよ!」


 ページを開いて、悲しい事実にあたしは数字を睨んだ。


「ぐぬぬぬぬ……!」

「次のページはまた明日だな。今日はここまで。時間も時間だし」

「もう22時よ。一時間もやってた。あたし頑張ったわ。……よし、遊ぼ」

「テリーや」


 じいじが静かにあたしを諭す。


「休みとはいえ、もう寝なさい」

「え、じいじ、でも、……まだ22時よ」

「眠そうだったじゃないか」

「もう平気」

「そんなことを言ってるから朝起きれなくなるんだぞ。明日も昼から出かけるのだろう?」

「いや、そうだけど……」

「寝坊して、友達を待たせてはいかん」

「でも……目覚まし時計もあるし……」

「眠たい顔して遊びに行くのかい?」

「いや……あの……」

「うん?」


 じいじの圧に、あたしはうなだれて、教材を片付ける。


「……寝ます……」

「うぬ」


 じいじがそれで良しと、頷く。


(畜生……。せっかく自由になれたのに……)


 むくれながらえんぴつや消しゴムをしまっていると、隣にいたキッドが声をあげた。


「じゃあ俺も寝よう」


 キッドが立ち上がり、あたしの腕を掴んだ。そしてじいじに、にこりと微笑む。


「じいや、テリーが今夜は俺と一緒に寝たいんだって」

「あ?」


 思いきり睨むと、じいじも呆れた目でキッドを見上げた。


「キッド、レディを虐めてはいかんぞ」

「一緒に寝るだけだよ。テリー、トイレ行っておいで」

「……はい」


 寝る前にトイレはお約束。

 便座に座り、眉をひそめる。


(……え、まじで一緒に寝るの?)


 リビングに戻るとキッドがじいじと世間話しながら、あたしに振り向く。


「寝るよ。じいやに挨拶」

「おやすみなさい。じいじ」

「おやすみ。じいや」

「ああ。二人ともお休み。良い夢を」


 じいじが頷き、キッドがあたしの手を引く。二人で階段を上って、二人でキッドの部屋に入り、あたしが先にベッドに入る。目覚まし時計を9時に設定する。電源も入っている。これで明日の目覚めはばっちりだ。


「電気消すよー」


 キッドが電気を消して、部屋が暗くなる。

 キッドがベッドの中に入ってくる。


「おやすみー」

「おやすみなさい」


 キッドがあたしを後ろから抱きしめるような姿勢となり、二人で11の数字になって眠る。すやぁ。


 ……。


(何もしてこない……?)


 ちらっと、瞳を動かす。


(大人しい)


 キッドの手が動き出すわけでもなく、ただあたしを抱きしめて眠るだけ。


(……よしよし、良い子だわ)


 今のうちに寝てしまおう。


(すやぁ)


 あたしは瞼を閉じる。

 深呼吸する。

 ふう、と息を吐く。

 キッドの体が背中にくっついている。

 キッドの吐息を感じる。

 合わせるように呼吸する。

 キッドの体が呼吸して動く。

 あたしの体が呼吸して動く。

 安らかに眠る。


 と思いきや、キッドの指がぴくりと動いた。


(……うん?)


 キッドの指があたしのお腹に触れた。


(……うん?)


 パーカー越しから、あたしのお腹を撫でる。


(おい)


 撫でていた手があたしのお腹の肉をつまむ。


(こら!)


 ドス、と肘を打つ。キッドの手が大人しくなる。


(チッ)


 あたしはまた瞼を閉じ、深呼吸をする。

 ふう、と息を吐く。

 キッドの吐息を感じる。

 キッドがふう、と息を吐いて、かすかに笑った気がした。

 キッドの手が再びあたしのお腹を触り始める。


(……)


 むに、とつまんでくる。


(こら。クソガキ)


 パーカー越しから、むに、とつまんでくる。


(おい)


 キッドの手が遊ぶ。

 あたしのお腹の肉をつまんで遊ぶ。

 あたしの筋肉のないお腹の肉で遊び始める。

 最近食べてばかりで出始めてる、あたしのお腹をつまむ。

 むにむにぷにぷに。むーにむに。


(レディの肉に触るな!!)


 イラッとして、キッドの手の肉をつねって応戦する。

 キッドの掠れた笑い声が耳元で聞こえる。

 キッドの手があたしのお腹の肉をつまむのをやめる。

 あたしはキッドの手をつねるのをやめる。

 キッドがあたしのお腹を撫でた。

 あたしは無視して瞼を下ろす。


(チッ)


 キッドがくくっと笑った。

 あたしは顔の半分を枕に沈ませ、瞼をきつく閉じる。

 黙って、ベッドに体を委ねて、枕に顔の半分を埋めて、じっとする。


(もう寝る。寝てやる)


「テリー」


 耳元で呼ばれる。あたしは無視する。


「くくっ」


 抱きしめられる。


「テリー」


 あたしは無視する。


「ね、まだ寝ないで」


 あたしは無視する。


「ちょっと話そう?」


 あたしは無視する。キッドの手がお腹を撫でる。


「テリーってば」

「もう寝る」

「うん。おやすみ」


 うなじに唇がくっつく。思わずぴくりと肩が揺れる。すると、もう一度唇がくっついた。


 ――ちゅ。


(ん、)


 包帯越しでも、柔らかな唇の感触が伝わる。キッドの手が伸びた。あたしの手に触れた。あたしの手の上に手を重ねて、あたしの手を握りしめる。耳元で、吐息。


「テリー……」


 一瞬、心臓が飛び跳ねるように、あたしの中で揺れた。ぎゅっと体を縮こませると、くすりと笑う声が聞こえる。


「寝ないの?」


 囁く。


「寝坊しちゃうよ?」


 囁く。


「ほら、眠って」


 つ、


(ひゃっ!)


 耳に、舌が伝う。


(眠れるかーーーーーー!!!)


 ぐーーーーーっと、キッドの体を肘で押した。


「お前、いい加減にしなさいよ!」

「あははは!」


 悪戯に成功して笑うキッドを睨み、体をキッドに向ける。むすっとすれば、キッドが上機嫌で微笑み、あたしを見てくる。


「あたしはもう寝るの。邪魔しないで」

「眠くないんだろ? 二人で眠くなるまで話そう」

「いい」


 またキッドに背中を向ける。


「寝る」

「テリー、こっち向いて。寝る顔が見たい」

「やだ」

「くくっ」

「最低」

「しょうがない。物語を聞かせてあげるよ」

「いい」

「むかーしむかし」


 なんか始まった。


(もう何でもいい)


 物語を聞かせてくれるなら、お前のその睡眠ボイスで眠ってやる。


「あるところに」


 キッドの物語が始まった。



 ――昔々、あるところに、一人のお姫様がいました。お姫様は生まれた時から皆に愛されていたお姫様でした。ですので彼女にとって、無償の愛が存在し、愛されて、大切にされるということは、当たり前のことだったのです。


 しかし、数年後、彼女に弟が出来ました。

 弟が生まれた途端、お姫様に向けられていた愛のほぼ全てが、弟に向けられるようになりました。愛だけではなく、個人の扱いも、弟が優先になりました。

 お姫様は不思議でした。そして分かりました。

 彼は王子様だから、男だから、将来の自分たちの国を背負う王として、大人たちは弟を愛し始めたのだと。


 無償の愛など、存在しなかった。


 その事実に、お姫様はショックを受けました。

 その事実に、お姫様は怒ってしまいました。

 その瞬間、彼女のお姫様としてのねじはどこかへ飛んでいってしまいました。


 お姫様は、自分が再び愛されるようになるために、どうしたらいいのか考えました。すると、魔法使いが現れて、お姫様が愛される魔法をかけてくれたのです。

 魔法にかかったお姫様は、王子様になりました。


 王子様になったお姫様は、今までにない以上、愛されるようになりました。

 そして、運命の人と巡り会えたのです。

 やがて二人は結婚し、王子様は王となり、運命の人は妃となり、地位も、愛も、好きな人も、全て自分のものになりました。


 めでたしめでたし。





 ――物語が終わった。

 あたしは一人で、感想を頭の中で巡らせた。


(つまり、お姫様が王子様になって、全部を取り戻した物語?)

(それは女差別よ。スノウ様に言ったら怒りそうな話)

(お姫様は考えすぎよ)


 確かに無償の愛なんて存在しない。


(だけど、男になる?)


 いかれてる。


(そのお姫様は、よっぽど悔しかったんでしょうね)


 あとから生まれた罪のない王子様に全てを取られて、怒るのも無理ない。


(でも、それは周りの人達のせいであって、王子様に罪はないわ)


 酷い人達。


(ああ、でも、確かにお姫様が生まれた、というより、王子様が生まれたって聞いた方が嬉しいかも)


 あたしが女だからかしら。


(……でも王になるために、女の子に恋したってこと?)

(妃になった女は、王が女であった事実をどう思ったわけ?)


 ああ、でも、リオンとメニーなら簡単に受け入れそう。それでもあなたを愛してるからいいの。って、メニーなら言いそう。


(チッ)


 舌打ちが出そうな物語。


(……所詮作り話。深く考えすぎたわ。寝よう)


「テリー」


 キッドがお腹を撫でてくる。


「テリー?」


 手をぎゅっと握ってくる。


「寝た?」


(そうよ。あたしは寝たのよ。見てみなさい。ちゃんと寝てるでしょう?)


 安らかに、息を吸って、吐いて、深呼吸して、

 安らかに、息を吸って、吐いて、深呼吸して、

 黙って、瞼を閉じて、後ろにある熱も無視して、眠る。

 息を吸って、吐いて、深呼吸して、

 息を吸って、吐いて、深呼吸して、

 整った呼吸を繰り返していると、キッドの小さな声が聞こえる。


「寝ちゃったの?」


 寂しそうな声が聞こえる。


「テリー」


 重ねられた手に、指が絡まる。


「……テリー……」


 キッドが体を起こした音が聞こえた。気配が近づく。あたしは変に構えず、寝てるふりを貫く。キッドの気配が近づく。近くなる。かなり近くなる。何かしてくる。


 と、思っていたら、


 ――そっと、優しく、頬にキスをされた。


 とても優しく、触れるか、触れてないか、分からないほど優しく、それでもきちんとキスであって、少しくすぐったいような、変な、おかしな、優しいキス。


(……)


「テリー」


 キッドがまた横になる。あたしの耳元で囁く。


「愛してるよ。テリー」


 あたしを抱きしめるように、背中にくっつく。


「……好き」


 切なそうな声に、

 泣きそうな声に、

 思わず、その体を抱きしめてしまいたくなるような、錯覚に陥る。


(何?)


 夜だから、メンタルが病んだ?


(寝なさい。眠いのよ。あんた)


 あたしは寝たふりをする。変に口でも聞いたら、変な話されそう。


(あたしは寝てるわよ。ほら、あんたも寝なさい)


 あたしはすやすや眠る姿をキッドに見せる。そうすれば、きっと眠るだろうから。


(早く寝なさい)


「……」


 キッドが黙る。

 あたしの背中に頭をくっつける。

 そのまま寝ればいいと思って、呼吸を繰り返す。

 キッドがまた動く気配がした。

 あたしの背中に体をくっつけさせる。

 キッドが体を起こし、あたしの耳元に近づく。


 また、ひそめられた声が響く。


「明日」


 キッドが、囁いた。


「寝坊しろ」


 キッドが囁いた。


「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」

「寝坊しろ」


 あたしに、呪いの言葉を唱える。

 あたしはそれを聞いて、瞼を固く閉じた。


「……」


 整った呼吸を繰り返すと、キッドが囁きを繰り返した。


「朝起きたら」


 キッドが囁く。


「キッドを好きになる」


 ぞわっ。


「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」

「キッドを好きになる」


「……」


 あたしは整った呼吸を繰り返す。黙って繰り返す。

 キッドが囁きを繰り返す。


「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」

「好きになれ」


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い!

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!


(暗示か!? 暗示ってか!? おうおうおうおう! やろうってか! 馬鹿が! あたしには魔法は効かないのよ! 暗示も効かないのよ!)


 眠ったふりを固く誓う。キッドは囁き続ける。


「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

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「キッドを愛してる」

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「キッドを愛してる」

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「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

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「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

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「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

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「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」

「キッドを愛してる」


「……」


 あたしは眠る。

 眠るふりをする。

 囁くキッドに絶対にばれてたまるかと、瞼を固く閉じる。


(無理……)


 あたしは思った。


(絶対無理……)


 背中と胸がぞわぞわぞわぁ!


(気持ち悪い!!)


 こんな奴と、誰が結婚なんてするものか!!


(これがお国から愛される王子!? 嘘でしょう!? 眠った相手の耳にこんなこと囁いてくる王子様がどこにいるのよ!)

(王子様って、愛を囁くものなのよ!! 何よ、これ!)

(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!)


 ぞくぞくぞくぞくぞく!


「……んっ……」


 あえて唸ってみせると、キッドがすっと息を吸い、黙った。

 あたしはまた呼吸を繰り返す。眠ったふりをする。

 キッドがくすっと笑った音が聞こえて、あたしの頬に、軽く指をつんと突かれる。

 あたしは眠るふりをする。

 キッドはあたしの頭を撫でる。

 そして、また耳に囁いてくる。


「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」

「俺を好きになれ」


(あ、なんか)


 キッドの言葉はともかく、キッドの低い声の囁きが、


(眠くなってきた……)


 本気で意識が遠くなっていく。


(……寝坊しない)


 あたしは自分に言い聞かせる。


(ステーキを食べるのよ)


 リオンとステーキ。


(リオンとステーキ)


 起きる時間は9時。


(9時に起きる)

(9時に起きる)

(9時に起きる)

(9時に起きる)

(9時に起きる)

(リオンとステーキ)

(リオンとステーキ)

(リオンとステーキ)

(リオンとステーキ)

(リオンとステーキ)


 自分に言い聞かせる。

 自分に言い聞かせながら、キッドの囁き声を聞く。

 聞いて、聴いて、どんどん、本当に眠くなってくる。


(……9時に起きる)

(……11時に……リオンとステーキ……)


 ステーキ……。


(リオン……)


 レオと、ステーキ。


(レオと……)


 キッドじゃなくて、


(レオと……)


「俺を好きになれ」


 キッドの声は続いている。

 あたしは意識を遠くに感じている。

 あたしは本当にうとうとしてくる。

 あたしは本当に眠くなってくる。


「俺を好きになれ」


 あたしは眠る。


 あたしは、本当に、眠る。













「あたくしを好きになれ」










 その声は、もう聞こえない。








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