第6話 10月20日(4)


 ――夕日の沈む頃。



 馬車の前で、ボロボロのソフィアが輝かしい笑顔をあたしに向けてくる。


「テリー、今日はありがとう。後半から野次馬達が混じったけど、なかなか楽しかったよ」

「野次馬って何よ! むう!」


 ソフィアの隣に立ってるボロボロのリトルルビィが、むうっとむくれた。それを見て、リトルルビィの隣に立っているメニーがくすりと笑う。


「リトルルビィ、そんな顔したら、お姉ちゃんに嫌われちゃうよ」

「えっ……」


 リトルルビィがしゅんとした顔であたしを見上げてきた。


「テリー……嫌いになっちゃやだ……」

「お馬鹿。あたしがあんたを嫌いになるわけないでしょう?」


 窓からリトルルビィの頭を撫でれば、リトルルビィが嬉しそうに微笑む。


「えへへ……」

「気をつけて帰りなさいよ」

「はーい!」

「メニーも」

「私は大丈夫だけど……お姉ちゃん、大丈夫そう?」


 メニーに訊かれ、あたしは後ろを振り向く。鬼の形相で足を組み、ご機嫌斜めなオーラを出して座るボロボロのキッドを見て、メニーに視線を戻す。


「……どうかな」

「出して」

「はい!」


 キッドの声で、部下が操る馬車が動き出す。ソフィアが笑顔で手を振る。


「じゃあね、テリー。あとは任せたよ。くすす」


 リトルルビィが大きく手を振る。


「テリー! また月曜日ねー!」


 メニーがおしとやかに手を振る。


「お姉ちゃん、また月曜日に!」


 あたしも手を振り、馬車の中を歩く人々に見られないように、早めに窓を閉めた。カーテンをして、大人しく座る。


「はあ」


 息を吐いて、手を膝の上に。隣には不機嫌MAXモードのキッド。揺れる馬車内。ずーんとした空気。息が吸えない。


(空気重た……)


 王子様がいるから窓の景色も見られない。

 窓も開けられない。

 見られたらキッドが乗ってる馬車だと気づかれる。

 あたしの顔も知られる。

 だからじっとしてるだけ。


(つまんない……)


 鞄から美術館のチラシを出して、改めて見てみる。


(美術学校選抜生徒による絵画展)

(ま、悪くなかった)


 パン職人と貴族娘の絵は美しかった。


 ――おやおや、ずいぶん可愛い魔法使いだ。


 ソフィアの言葉を思い出す。


 ――会ったはずなのに、覚えてない。覚えているのに覚えていない。ぼんやりしてるんだよ。


 ソフィアが言っていた。


 ――治療して毒を抜いた瞬間、毒と一緒に記憶までも抜かれたようにぼんやりしてるんだ。


 ソフィアは本気で言っていた。彼女は何も覚えてない。


 ――これは私の独り言。


 優しい目が言ってた。


 ――もう何もしないで。

 ――そうすれば危険はない。


 ソフィアの言葉を思い出す。


 ――お願い。やめて。君が怖い思いをする前に。


「罪人だ」


 あたしの視線が隣を見る。

 キッドが怒りの眼をまっすぐ向けたまま、口だけ動かした。


「俺と婚約しておいて、軽々と浮気。絶対許されることじゃない。テリー、分かってる?」

「……ねえ、ソフィアと出かけただけよ? なんでそこまで怒られないといけないわけ?」

「お前さ」


 キッドがようやくあたしを見る。そして睨んでくる。


「俺がアリスとデートしたら、どう思う?」

「アリスを汚すお前をぶっ殺すわ」

「嫌だろ?」

「嫌よ。お前がアリスを口説く姿を考えただけで寒気がする。絶対アリスには近づかないで」

「ああ、そうか。お前、友達馬鹿だったね」

「あ!?」

「別の例えにしよう」


 キッドがあたしを睨んだまま姿勢を直す。


「俺がお前以外のレディと出かけたら、どう思う?」


 キッドがレディをエスコートする姿を思い浮かべる。

 そのままレディと運命を感じるキッド。

 そのままあたしと婚約を破棄する。

 あたしは万歳。キッド殿下万歳。


「素晴らしいわ。あんた、やっぱりあたし以外とも遊んだほうがいいわよ。リトルルビィと遊びに行って思ったわ。友達と出掛けての他愛の無い話をする事ってリフレッシュになるのよ。あんた仕事のしすぎで視野が狭くなってるんだわ。可愛いレディと遊んでらっしゃい」


 ブチッ。


「あーーーーーーー!! もう!!」


 キッドが大声を出して前の椅子を蹴りあげた。派手な音が馬車の中に響き渡る。その行動にカチンときて、キッドを睨みつける。


「ちょっと、物に当たらないで! 最低! そうやってでかい音出して人を脅すの?」

「テリーのせいだろ! テリーが悪いんだ! この不幸者! この罪人! 俺と婚約しておいて、俺以外と休日を過ごすなんて、どうかしてる! いかれてる!」

「いかれてるのはあんたの頭よ! 脳みそがお花畑の馬鹿王子! 国のための仕事してたんじゃないの? なんで今日ソフィアに変なメッセージ送ってたわけ? 自分のやってることいい加減自覚したら? 本当、最低!」

「仕事はほんの一瞬で終わったんだ! だからお前のために時間を割いたのに、最低なのはお前だ!」

「お前のために時間を割いた!? 上から目線も程々にしてよ! 先に入れた予定をキャンセルしてあんたを優先しろっての!? ちょっと、っ、本気でふざけないでくれる? 婚約者になっても本当に結婚しなくていいって言ったのは、そっちじゃない! しつこいのよ!!」

「テリー!」

「いい加減にして!」


 お互いが黙る。お互いが睨み合う。自分の正義を貫いて睨み合う。


「……そういうこと言う?」


 キッドが、ぎろりと、冷たくあたしを睨み、唸るような低い声を出す。


「ねえ、貴族のくせに、王子様の命令は絶対だって知らないの?」


 キッドの暗い目が、あたしを見つめる。


「命令しようか? お前の人権、奪えって」

「……本当、最低」


 ぎりぎりとキッドを睨む。


「じいじに今のこと、言ってやるから」

「あのさ、じいやは付き人ってだけ。前まではともかく、今は俺が命令すれば、皆、動くよ。今の俺は皆が求めてる王子様だ。仕事もこなして、着々と信頼も増えてる。王位継承者として優先的に候補に名前も挙がってる。俺に媚を売りたい奴らは城に山ほどいるんだ」


 キッドがいやらしい笑みを浮かべた。


「テリー、分かんないかなあ? 王室の人間でも、お金で何でもしてくれる奴らって沢山いるんだよ」


 あたしはキッドを睨む。

 キッドはあたしに近づく。


「本当に奴隷にしようか? お前」


 キッドがあたしの手首を掴んだ。


「お前の人権を奪って、俺だけの奴隷にしてやろうか?」


 ぐっと、手の力が強まる。


「俺のものになったら、ベックス夫人も喜ぶんじゃない?」


 キッドがママのことを言ってくる。


「皆、喜ぶよ。お前の周りの人間は皆、間違いなく喜ぶ。お前は運がいいことに貴族の血が流れてるし、王子と結婚して反対する者はいない。それに、名誉も地位も今以上のものを手に入れることが出来る。ベックスの血も続く。一族も安泰する。デメリットは何も無い」


 キッドがあたしの顔を覗き込む。


「奴隷ってことは隠しておいてあげる。俺は優しいから。でも、お前の人権が俺のものになれば、どんな命令だって従ってもらうぞ。どんな要求だって、どんなことだって、俺に絶対服従。絶対忠実。テリー、今の俺にはそれが出来る。嘘だと思うことを実現できる力、権力、俺はもう手に入れてるんだ」


 それを手に入れるために、長年ずっと、地味に手間暇かけて手柄と実績を立てていたんだよ。


「ねえ」

「テリー」

「どんなに睨んでも」

「俺が本気を出せば」

「お前なんてすぐに手に入るんだよ」

「貴族の末裔でしかないお前なんて、庶民と同じ」

「王子の命令ですぐに人権なんて奪える」

「お前が望んでなくてもね」

「俺に良い顔してた方がお前のためだよ?」

「いいよ。沢山媚売ってぶりっこして猫被ればいいよ」

「そっちの方が可愛い」

「テリー」

「にゃーって鳴いてごらん」


 あたしはキッドを睨む。

 キッドはあたしに笑う。

 あたしは顔を歪めた。

 キッドの手に力がどんどん強まっていく。

 あたしは顔をしかめさせた。

 キッドに掴まれる手首が痛い。

 あたしが眉間に皺が増えていく。

 キッドがあたしを冷たく笑った。


 ――瞬間、馬車が大きく揺れた。


「っ」


 目を見開いたキッドが瞬時にあたしを胸に抱き寄せ、馬車の壁に背と手をつけた。

 馬車が突然止まる。外から部下の声が聞こえた。


「申し訳ございません! 猫です!」


 にゃー。


「猫の親子です!」


 にゃー。


「はあ。可愛い……」


 にゃー。


「こらこら。馬に戯れるんじゃない。はははっ。可愛いな。野良猫かい?」


 にゃー。


「申し訳ございません! 通り過ぎたら出発します!」


 キッドが手を伸ばし、カーテン越しから、窓をこんこんと鳴らす。音で返事をして、その手を戻し、あたしの背中に置く。抱きしめるあたしの背中をゆっくりと撫で、体を屈ませ、あたしの耳元で囁く。


「……痛いところは?」

「……平気」

「……そう」


 ぎゅ、と、キッドの手があたしを締め付ける。

 苦しくない程度に、慎重に、繊細に、優しく、強く、あたしを抱きしめる。

 あたしは黙る。

 キッドは黙る。

 何を考えているか分からない。

 キッドの胸をそっと押す。

 キッドが離れない。

 諦めて、大人しく抱きしめられる。

 キッドが抱きしめる。

 腕を下ろして、キッドに身を委ねる。

 キッドがあたしの背中を撫でた。

 あたしは黙る。

 キッドが深呼吸した。

 あたしは黙る。

 キッドが黙る。

 あたしは深呼吸した。

 キッドは黙る。

 馬車内が沈黙に包まれる。

 馬車内が静寂に包まれる。

 キッドの手があたしの頭に移る。

 あたしは瞼を下ろした。

 キッドの手があたしの頭を撫でた。

 あたしはキッドの胸の中でじっとした。

 馬車は動かない。

 キッドは黙る。

 あたしは黙る。

 キッドの撫でてくる手の音が響く。

 服同士がこすれ合う音が聞こえる。

 呼吸をする音が聞こえる。


(……)


 あたしの手が、そっと、伸びた。

 キッドの背中に伸びる。

 あたしの手がキッドの背中を撫でた。

 キッドの体が一瞬揺れた。

 あたしの手がキッドの背中を撫で続ける。

 キッドの手が止まった。

 あたしの手がキッドの服の上で動く。

 キッドがあたしを抱きしめたまま、じっとした。

 あたしの手がキッドの背中を撫でる。

 キッドがじっとする。

 あたしの手がキッドをなだめる。

 キッドが大人しくなる。

 あたしが子供をなだめる。

 キッドが黙る。

 あたしも黙る。

 キッドが呼吸する。

 あたしは合わせて背中を撫でる。

 キッドが息を吸った。

 あたしの手が膨らむ背中を撫でる。

 キッドが息を吐いた。

 あたしの手がへこんだ背中を撫でる。

 キッドがあたしを抱きしめ続ける。

 あたしは黙る。

 キッドも黙る。


「……テリー」


 キッドがあたしの耳に、吐息と声を出した。


「……もっと触って……」


 あたしの手がキッドの背中を撫でる。


「……もっと、触って」


 少女のような声に、女々しい奴と思いながら、頭を撫でる。


「……もっと、……もっと触って」


 優しく撫でる。頭を、背中を、キッドを撫でる。


「……」


 キッドが黙って、大人しくなって、じっとして、あたしにすりすりと、頭を寄せる。


「……ごめん。頭に血が上ってた」

「知ってる」

「……お前が相手だと、ほんとに思考がおかしくなる……」


 キッドの掠れた声が、耳元で静かに聞こえてくる。


「……ごめん。言い過ぎた」

「……奴隷は駄目」

「うん。……ごめん」

「……ごめんなさい。あたしも怒鳴ることなかった。言い過ぎた」

「……」

「でも、先に入れてた予定をキャンセルするのは違うでしょ? 思わない?」

「……」

「思わないの?」

「……思う、けど」


 キッドがあたしの体を締め付ける。


「やだ」

「やだじゃないでしょ」

「やだ」

「キッド」

「やだ」

「世の中は『やだ』で通用しないのよ」

「やだ」


 キッドが腕の力を強くする。少し苦しくなる。


「キッド」

「テリーはやだ」


 キッドがあたしに頭をすりつけた。


「俺がテリーといたい」

「昨日、一緒にお昼食べたじゃない」

「足りない」

「昨日一緒に出かけてたとして、あんた仕事入ってたんでしょ」

「書類の確認の連絡。本当に一瞬で終わるやつ」

「王子様として仕事が出来たならいいじゃない」

「その間、お前は誰といるの」


 キッドがあたしの肩に顔を埋めた。


「ほんと、やだ。前は俺だけだったのに」


 我儘で傲慢で暴れん坊のテリーの相手が出来るの、


「俺だけだったのに」


 キッドの背中を撫でる。キッドが息を吐いた。


「……明日、出かけるの?」

「……あんたが思ってるようなこと、何もないと思うわよ」

「リオンだろ」

「……分かった。白状する。リオンよ」

「ほら、やっぱり」

「ねえ、あたしとリオンはそんな関係じゃないし、絶対にならない」


 だって彼はメニーと結婚する。


「リオンと出かけるなんて、どうかしてるよ」


 キッドの手があたしから離れない。


「……なんであいつなんだよ。ほんと、やだ……」


 外から、楽しそうな部下の声と猫の親子の鳴き声が聞こえる。


「ねえ、あいつに何を脅されてるの? どうしても行かないと駄目なの?」

「リオンがそんな人に見える? 普通に遊びましょうって約束してるの」

「お前、リオンのこと知らないからそんな風に言えるんだよ。いいよ。俺が言っておくから、明日は俺と遊ぼう? ね?」

「子供みたいなこと言わないの」

「まだ子供だよ」

「もう少しで18歳になるのよ。あんた」

「年齢とか関係ある?」

「あのね、自覚して。あんたがあたしに執着してるのは、あたしがあんたにデレデレに懐かないから、一緒に居て懐かせたいって思ってるだけよ。ペットが自分に懐かなかったら、懐くまで遊びたいと思うじゃない。同じよ」

「お前はペットじゃないだろ。テリーは俺の将来のお嫁さん」

「結婚しなくていいって言った」

「言葉は撤回した」

「キッド」

「一緒にいたい」


 キッドが腕の力を強めた。


「やだ。駄目。俺といて」

「キッド」

「やだ」


 離れない。


「お前がリオンと出かけるのをやめて俺と遊ぶって言うまで、離すもんか」

「子供か!」

「子供だよ」


 俺はまだ我儘な子供。


「お前がいないと寂しくて泣いてしまうような子供だよ」


 あたしの手がキッドの背中を撫でると、頭を肩に擦り付けてくる。


「明日は俺といて」

「駄目」

「やだ」

「駄目」

「やだ」

「駄目」

「やだ」

「キッド」

「やだ」

「あ、空に魔法使いが」

「……」

「キッド」

「やだ」

「11月に遊び相手になるから」

「やだ」

「約束を破るのは悪いことよ」

「リオンはいいって」

「駄目」

「リオンは平気だよ」

「じゃあ、あんたは約束されてたのに破られたらどんな気持ち? 嫌じゃないの?」

「リオンは大丈夫」

「大丈夫じゃないわよ。先に約束してたんだから、そっちを優先にする義理があるわ」

「そんな義理は感じなくていい」

「そもそも横入りしてきたのはあんたでしょ。前もってスケジュール確認しないあんたが悪いのよ」

「前もって言ってたら出掛けたの?」

「少なくとも、リオンの用事は断ってたでしょうね」

「……」


 ようやくキッドがあたしの肩から離れる。見えた顔はむくれている。


「今回はあんたが悪いのよ。あたしだって付き合いがあるの」


 キッドがむくれている。


「ねえ、頭の良いあんたなら分かるでしょ? 先に遊ぼうって言ってきたのは紛れもなくリオンよ。順番は守らないと。人として大事なことよ」


 キッドが首を振った。


「やだ」

「やだじゃない」

「やだ」

「駄々っ子みたいなことしないの」

「やだ」

「あんたにとっていい機会よ。我慢することを覚えなさい」

「我慢なら散々してる」

「なら今回もその一つと思えばいい」

「やだ」

「……はあ……」

「……婚約者よりも、婚約者の弟と出かけることを優先するの?」

「そうよ」


 あたしは頷く。


「先に約束したのはリオンだもの」

「……」

「ねえ、自分の言葉を忘れたの? ハロウィン祭回ろうって誘ってきて、あたしが断った時に、あんた言ってたじゃない」


 ――俺が先に誘った。つまり、この先誰に誘われても、俺と行くのが筋だ。


「だったら、リオンとの約束を通すのが筋よ」


 キッドが黙る。あたしの両手を強く握ってくる。


「キッド、そんなに遊び相手が欲しいなら、また今度あんたの暇つぶしに付き合うわ。だから、明日はリオンと出かけさせて」

「……なんでリオンなの?」

「誘われたから」

「誰か止めなかったの?」

「ええ」

「おかしいよ。そんなの」


 キッドが目を逸らした。


「なんで止めないの?」

「止める必要がないじゃない」

「だってあいつ……」

「ねえ、あたしにも付き合いがあるって言ったでしょう? やましいこともあんたが思うようなことも何もない。あんたといたってそれは変わらない」


 初恋はとうの昔に散ってしまった。


「知り合った人と遊びに行くだけ。それの何が悪いの?」

「……胸がもやもやする」

「しなくていい」

「むかつく」

「むかつかない」

「いらつく」

「いらつかない」

「今まではこんなの無かった」

「あ、そう」

「分かってないだろ」


 キッドがあたしを小さく睨んでくる。


「苦しいんだぞ」


 胸がもやもやするんだ。


「お前が俺以外の誰かと楽しそうにしてるところを見るだけで」


 イライラしてもやもやして、どこに発散していいか分からない。


「でも、不思議なことにテリーが傍にいればそんなの無くなる」


 醜い感情は美しい俺から出て行ってしまう。


 キッドがまっすぐあたしを見つめる。

 あたしはまっすぐキッドを見つめ返す。


「……どうしても行くの?」

「行く」

「行くの?」

「行く」

「俺がこんなに頼んでるのに?」

「ええ」

「馬鹿」

「ガキ」

「テリーの馬鹿」


 むくれて、リトルルビィのように頬を膨らませて、眉間に皺を寄せて、不機嫌な子供の表情を浮かべる。


(今までなら自分の思い通りにいったんでしょうね……)


 つくづく思う。やっぱりこいつは王族だ。


(すごい我儘……。……駄々っ子……)


 そう思っていると、再び抱きしめられ、キッドがあたしの肩に顔を埋める。


「テリー、背中撫でて」

「はいはい」


 ぽんぽん。


「もっと」

「はいはい」


 ぽんぽん。


「テリー」

「何よ」

「今夜、一緒に寝て」

「やだ」

「やだ」

「『嫌だ』に『嫌だ』を返すな」

「今夜一緒に寝てくれるなら、いいよ。リオンと出かけても、文句言わない」

「リオンと出かけるためにお前と寝ろっての?」

「一緒に寝るだけ。別に初めてじゃないだろ?」

「……」

「ね」

「……」

「ね?」


 くすくす笑いながら、にやけながら、肩に埋めた顔を上げて、あたしを見てくる。あたしはそれを呆れた目で見返す。


「文句言わないのね?」

「文句は言わない」

「うるさくしない?」

「うん」

「大人しくする?」

「うん」

「……はあ」


 正直、これ以上暴れられても困る。


(それで大人しくなるならいいか)


 あたしは瞼を閉じて、こくりと頷いた。


「わかった。寝る。今夜だけ」

「ん。素直でよろしい」


 キッドがあたしの頭を撫でた。あたしはキッドを睨む。


「これでこの話題は無しよ。いい?」

「うん。リオンのことに関して、何も言わないよ」

「今日のことも、ちゃんとソフィアに謝っておいて」

「うん。もちろん。そのつもり」


 キッドがあたしの肩にすりすりと頭を揺らした。


「ごめんね。テリー。好きだよ」

「はいはい」

「手が止まってる」

「はいはい」


 ぽんぽん。


「テリー、好き」

「はいはい」

「愛してる」

「はいはい」

「もっと触って」

「はいはい」

「……テリー……」

「はいはい」

「キッドって呼んで」

「キッド」

「ふふっ」


 楽しそうにキッドが笑う。ふと、キッドの手が伸びて、あたしの頬に触れてきた。


「こっち向いて」


 目だけ向ける。少し、薄く頬を赤らめて微笑むキッドがいる。


「テリー」


 黙ってキッドの背中を撫でる。


「ああ、もう。その目がたまんないくらい好き」


 キッドがうっとりと見てくる。


「テリー、俺、今触れてるこのぬくもりがお前の体温だと思ったら、なんていうか、……すごく幸せに感じるんだ」


(何言ってるんだ、こいつ)


「何言ってるんだこいつって思っただろ」


 キッドがにやける。


「俺も思ってるよ。何言ってるんだ俺って」


 でもね、


「しょうがないよ。本当にそう感じるんだから」


 もやもやしてた胸がすっきりする。


「テリー」

「……馬車、まだかしら」

「動くまでこうしてよう?」


 キッドがとても幸せそうに微笑み、あたしを絶対に離さない。


「テリー、絶対今夜寝るだろ?」

「……ん」

「ケビンも連れてきていいよ」

「……そこまで子供じゃないわ」

「気に入ってる?」

「……ん」

「良かった。嬉しい。他の預かってるプレゼントは11月に全部渡すから」

「結構」

「大丈夫。差出人の名義は書かないで送るから」

「いや、大丈夫よ」

「ドレスも靴もあるよ。お前にうんと似合うやつ用意してあるから、楽しみに待ってて」

「いや、あの……」

「それを着て11月のパーティーにおいで。城で開催されるから」

「……」

「ふふ。テリー。こっち見て、テリーってば」


 くくっ。


「テリー……」


 キッドはあたしに微笑む。

 キッドはあたしにくすくす笑う。


「大好き、テリー。……テリー……」


 キッドがあたしに微笑む頃、外では、猫の親子と戯れる部下の笑い声で溢れていた。





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