第13話 10月27日(5)
夕方。帰り道。
「リトルルビィ、夢の内容、覚えてる?」
「ううん。メニーは?」
「私も覚えてないの」
「ソフィアは?」
「覚えてないよ。何もね」
窓が開く馬車からそんな声が聞こえてくる。
あたしは馬を操るじいじの隣で、じいじと一緒に傘に入って、体を揺らしていた。
「不思議なものね。中毒者として暴走したジャックの悪夢だけ、皆、忘れるなんて」
「そのうち思い出すんじゃないか?」
じいじが微笑む。
「お前は覚えてるのか?」
「覚えてないわ」
(そう言っておこう)
「この数日間の悪夢だけでいっぱいいっぱいよ」
「帰れなくてすまなかったな」
「しょうがないわよ。お仕事だったんだもの」
じいじもキッドも、王様もスノウ様も、皆がバタバタだった。
一気に悪夢を見て混乱した国民を落ち着かせるために、城下町から出て、各地を歩き回って、笑顔を見せた。混乱しないでください、大丈夫ですよ。これはジャックの悪戯ですからと声をかけ、パレード達は町から町へと笛の根を鳴らした。その合間に作戦会議もひそかに行われていたのだ。リトルルビィもソフィアも、兵士達も、キッドについていった。全てはこの国を守るため。
「朝ご飯を作ってくれた人にお礼を言いたいのだけど」
「ああ。言っておこう」
「あたしが言いたいの」
「そうかい? じゃあ、近いうちに家に呼ぼう」
「朝ご飯美味しかったわ。じいじの代わりに、温かいのを作ってくれてたのよ」
「そうかい」
「じいじ、今夜はいいの?」
じいじはあたしと帰る。
「仕事は終わった。私も年だしのう。連続の勤務は出来ないのだよ」
「そう」
キッドは病院に残った。まだ、調べがあるからと。
――テリー、気を付けて帰るんだよ。
頭を撫でられた。
――寂しくなったら、メッセージ送って。愛のあるやつを待ってるからさ。
いつものいやらしい笑顔で言われた。
いつものキッドだった。
(ただ)
それも嘘に見えた。
気持ちを隠すために、笑っているように見えた。
(……)
「じいじ」
「うん?」
「あのね」
ぽつりと、横にいるじいじに言葉が出る。
「キッドに、良くないことしたかもしれない」
「ほう? 良くないことかい?」
「ええ」
「そうかい」
「ほら、去年はあたし、……あいつが王子様ってことにびっくりして、逃げたでしょ? でも、それはあいつのやり方にも非があったと思うの」
「ああ、そうじゃのう」
「……今回は、あたしが悪いかも。あいつにとっての大切な思い出が、あたし、どうしても思い出せないの」
「ほう。思い出せない?」
「ええ」
「そうかい」
「二人で過ごしたはずなのよ」
「うむ……」
「でも、……そのひと時だけ、どうしても思い出せないの」
扉は緑の錠で固く閉ざされている。あたしにはどうしようもない。俯くだけ。
「流石に、……ちょっと胸が痛い」
「今思い出せないことは、無理に思い出す必要はないさ」
じいじがくすっと笑った。
「そのうち思い出す」
「思い出すかしら」
「ふとした時に、思い出すだろう」
「一生思い出さないかも」
「そうかもしれないな」
「でもキッドにとっては、大切だったみたい」
「だったら、思い出すさ」
「思い出せないかも」
「あの方と過ごした思い出なんだろう?」
「ええ」
「キッドにとっては大切な思い出なんだろう?」
「そうみたい」
「だったら、お前にとっても大切な思い出なんだろうさ」
大切な思い出は、頭の片隅のどこかに隠れている。
「隠れんぼをしているんだ」
飽きたら自分から出てくる。
「案外、何でもない普通の日に、思い出せるかもしれないぞ」
「……そうかしら」
「思い出した時にキッドに謝ればいい。それまでは、普通に接してあげなさい」
「……分かった」
「あまり深く考えてはいけないよ。キッドもそれは望んでない」
「……ん」
じいじは微笑む。馬車が揺れる
「さあ、今夜はお前の好きなものを作ろう。何がいい?」
「……何でもいい」
「何でもいい、が一番困るんじゃ。何がいい?」
「……ん……」
あたしは考える。
「じゃあ」
提案する。
「……林檎の焼いたやつ」
「ん? それでいいのかい?」
「ん」
「分かった。作ろう」
「……ん」
「これからソフィアを送って、リトルルビィを送って、それから、メニーを送って、家に帰ったら、二人で作ってみないか?」
「……ん」
こくりと頷く。じいじも静かに頷く。
「雨が激しくならないうちに帰ろう」
小雨は降り続く。
「いつ止むのかしらね。もうずっと降ってる」
馬車がまた揺れた。じいじと肩がぶつかった。体が揺れる。
「テリーや、一つ訊いてもいいかい?」
「ん?」
「リオンと出会ったパーティーとは」
雨が顔に当たる。
「城でのパーティーかな?」
「ええ」
あたしは頷く。
「何かのお祝いだったかしら。あたしのパパ、城のどこかで働いてて、その関係で招待されたのよ」
家族であの城に入った。
「綺麗だったな」
城の中は美しかった。
「何度か入ったことはあったけど、あの夜は、特にすごく輝いて見えたのよ」
6歳のあたしは、好き嫌いがはっきりしてきた頃だった。クマのぬいぐるみばかり抱えていたら、ママに怒られてた時期。
「昔、ぬいぐるみが好きだったの」
「ほう」
「テディベア。大きいのを買ってもらったのよ」
人形はアメリに取られてしまうから。
「姉さんは、ぬいぐるみじゃなくて人形が好きだったの。だから、ぬいぐるみなら姉さんは取ろうとしなかった。子供っぽいって笑って」
あたしはそれで良かった。
取られさえしなければ良かった。
アメリはママを取った。
だからあたしは自然とパパといるようになった。
パパがあたしに、大きなテディベアをくれた。
そのテディベアは、あたしの友達になった。
あたしの腕の中にいつもいた。
「あの夜は、そんなぬいぐるみもついてきてはいけなかった」
だからお留守番しててと言って、馬車に置いていった。
あたしはまだ慣れてなかった靴を履いて、きらきらした場所に行って、パパにぺとりとくっついて、ママにはアメリがぺとりとくっついて歩いてた。
「そしたら、リオンを見つけた」
あたしは思い返す。
「……キッド、いたかしら」
「お前が6才なら、既に城下に下りた頃じゃないか?」
「……そっか」
だから、あたしはキッドを知らなかった。
「じいじ」
「うん?」
「初恋だったわ」
「初恋のう」
「あたし、別に男の子を見るのは初めてじゃなかったし、パーティーだって初めてじゃなかった。貴族だもの。付き合いがあれば、パパとママがあたし達を連れて行ったわ」
かっこいい人だって、男の子だって、何人も関わってきた。
「だけど」
胸が高鳴ったのは、初めて。
「リオンに挨拶されたの」
ご機嫌よう。レディ。
「たった一言」
その微笑みが忘れられない。
「かっこよかった」
心から思った。かっこいい人。
「確かに、かっこよかった」
――リオン様。
大きなテディベアも、人形も、アメリも、どうでも良くなった。あたしの頭の中は、リオン様で埋め尽くされた。
――リオン様がいる。
子供のあたしは新聞記事を切り取った。たくさん切り取った。
――リオン様。
隣にいた大人も、子供も、ハサミで切って、リオン様だけを切り取った。パパは穴の開いた新聞に目を通した。
「全く、テリーはリオン様にお熱だな。文字まで切り取ってるぞ」
――リオン様。
あたしはリオン様のファンクラブに入った。
「リオン様!」
あたしは声をかけた。リオンは素通りした。
「あ」
リオンが声をかけたのは、美しい金髪の少女だった。
メニーだった。
「……はーあ」
あたしはうなだれた。
(忘れてもいい記憶は忘れないのに)
忘れたくないことは忘れていく。
「じいじ、この国の王子様はどうなってるの? 一人は構ってちゃん。一人は精神病の患者。メンタルがおかしいわ。心が貧弱だわ。女々しいわ」
「それでも、我々が愛すべき殿下達だ」
「じいじは二人とも好き?」
「可愛い孫達だ」
喧嘩はするし、仲は悪いし、放っておけない。
「兵士も同じ思いだ。彼らは愛されてるよ」
「……もう一人は?」
じいじがきょとんとした。
「ん?」
「スノウ様から聞いたの」
「もう一人?」
「クレア様」
じいじがきょとんとした。
「ああ」
じいじが声を出した。
「スノウが、なんと言ってた?」
「キッドの双子のお姉さんだって」
「ほう」
「病気で引きこもってるって」
「ふふふ」
じいじが笑う。
「そうじゃの。ああ。そうじゃ。引きこもってる」
「クレア様もメンタルがやられてるの?」
「あいつは……」
じいじがあたしをちらっと見る。
「気になるかい?」
「そうね。詮索するわけじゃないけど、キッドの双子って部分が気になるわ。訊いてもいい?」
「どうぞ」
「キッドに似てる?」
「似てるのう」
「女の子?」
「女の子だよ」
「キッドと同い年の?」
「ああ。双子、だからの」
「優しい?」
「人並みに」
「リオンとどっちが優しい?」
「どちらも優しい。だが、しっかりしてるのはクレアじゃないかな」
「しっかりしてるのね」
「長女だからのう」
「彼氏は?」
「いないよ」
「18歳になるのにいないの?」
「いないよ」
「ふーん」
あたしは馬達を見る。
「王子様とかお姫様って、若いうちに結婚するものだと思ったけど、そうじゃないのね」
「スノウは確かに若く結婚したが、子供達にそれを要求するつもりはないらしい。好きな人が出来れば結婚すればいい。出来なければ、王子として、姫として、国に尽くしてくれたら、あとは本人達に任せると言っていたな」
「優しいわね」
「スノウの意見に反対しなかった陛下もお優しいよ」
「王様は優しいわ」
スノウ様が死ななければ、だけど。
「ハロウィン祭のことも、王様が持ち出した話なんでしょう?」
「ああ。そうじゃ。どうもこの時期は陛下も落ち着かないらしい。祭があるからと思えば、頑張れるということで、提案したらしい」
「王様はお祭りが好きなの?」
「祭男じゃ。リオンも体調を崩す前は、よく連れていかれていたよ」
「キッドは?」
「キッドは断るんじゃ」
キッド、祭に行くぞ! ついてこい!!
行かないよ。祭に行くのはいいけどさ、父さん、最近加齢臭がするの自覚ないの? 俺に近づかないでくれる?
……リオン。
父上、僕行くよ!
リオン!
加齢臭なんて、気にしないよ!
リオン!!
「……あいつ、王様にも容赦ないのね」
「皆にとっては国の王でも、あいつにとってはただの父親だからのう」
「親は大切にしなさいって、一度しつけた方がいいわよ」
「ふふっ。大事にしているよ。キッドなりに、陛下のことも王妃のことも」
「甘いのよ、全く。王族ってどうなってるの。それに仕えるじいじはすごいわ。あたしなら一週間で逃げ出す」
「菓子屋と城、お前ならどちらを選ぶ?」
「決まってる。お菓子屋。お菓子屋しかないわ。接客は嫌だけど」
あそこには、
「アリスもいて、奥さんや社長もいて、社員さん達も皆優しい」
――アリス。
彼女の笑顔を思い出す。
「……じいじ、明日出かけるわ」
「ほう。日曜日なのに仕事かい?」
「ううん。アリスに会ってくる」
「ああ、そうかい」
「今日は朝から色々あって会えなかったから」
馬が馬車を引く。
「明日」
10月28日。
「出かけてくるわね」
アリーチェ・ラビッツ・クロックに会いに。
「遊びに出かけるのはいいが、門限を忘れないように」
「分かってる」
「私も果樹園に行かなくては」
「そうね。雨続きだもの。植物達も滅入ってるわ」
「そうじゃの。頭を撫でてやらんとな」
馬が走る。
あたしの体が揺れる。
じいじの体が揺れる。
小雨が降り続く。
傘が濡れる。あたしの肩が濡れる。
けれど、じいじの体が温かい。
「じいじ」
「ん?」
「帰ったら、暖炉をつけないと」
「そうじゃの」
「傘もびしょ濡れだわ」
「そうじゃの」
「お風呂にも入らないと」
「そうじゃの」
「あたしが火をつける」
「任せるよ」
「お腹空いてきた」
「留守の間、夜ご飯はどうしてたんだ?」
「勝手に作ってた」
「おや、何を作ったんだ? ぜひ味見がしたい」
「じいじ、あたしもメニーほどじゃないけど、あんまり料理上手くないのよ」
あたしとじいじの会話が続く。道は続く。城下町の道を走る。イルミネーションがきらきら光っている。
悪夢に怯えて家に隠れていた人々が、雨の中、外に出始めていた。
(*'ω'*)
「……それにしても、随分と可愛い猫だね」
ソフィアがじっとドロシーを見つめた。メニーがドロシーを隠した。
「……何ですか」
「緑の猫なんて、初めて見たよ」
ソフィアがじっと見る。
「……どこかで見た気がする」
緑の影を。
「んー……」
ソフィアは考える。過去を思い返す。どこで見たのだろうか。緑の影を。
ソフィアは考える。過去を思い返す。どこかで見たんだろう。緑の影を。
パストリルの時代を思い返す。そうそう。メニーを誘拐した時に、会いたかった影に会ったはずだ。
魔法、
「にゃあ」
ドロシーが鳴いた。
「くすす」
ソフィアがドロシーの頭を撫でた。
「なんでそんなに怯えてるの?」
「ふしゅー!!」
「くすすす! 可愛い猫だね」
黄金の目は光る。
「どこで会ったのかな……?」
「やめてください」
メニーがソフィアを睨んだ。
「ドロシーを虐めないでください」
「メニー、その猫貸してくれない? 図書館でしばらく面倒見るよ」
「嫌です」
「ソフィア、ドロシー虐めないで!」
「虐めないよ。可愛がるだけ」
二人の少女から睨まれる。
「くすす。これは困った」
ソフィアがにっこりと微笑んだ。ドロシーはそんなソフィアを見て、呑気に欠伸をした。
( ˘ω˘ )
夢は見ない。ただ、無が広がるだけ。
感情はない。ただ、無が広がるだけ。
そこに少女がいた。
奇妙なお茶会をしている少女がいた。
いつまで経っても来ない悪夢を待つ。
待つが、来ない。
少女は微笑んだ。
「もう来ないのね。ジャック」
少女は切なげに微笑んだ。
「そう」
少女は優しく微笑んだ。
「今まで、ありがとう」
少女は立ち上がった。
「私も、そろそろ」
少女は一歩、前へ出た。
「いかないと」
少女は、歩き出した。
白い道を、歩き出した。
ピナフォアドレスが揺れた。
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