第12話 10月26日(2)


( ˘ω˘ )




 あたしは歩く。アリスの部屋から出る。エターナル・ティー・パーティーから出る。雨は止んでいた。太陽が見える。風が心地いい。歩く。公園へ歩く。サッカーで遊んでいる子供達がいる。あたしは歩く。ヤギの帽子を被った七人の子供達が笑っている。あたしは歩く。ピグとポークが笑いながら走っている。その後ろを弟のピグレットが呆れ笑いをしながらついてきていた。あたしは歩く。首と腕のない女性と普通の男性が歩いている。男性が女性を見て笑い、襟のチャックを下げた。頭が出てきて、袖からは腕が出てきた。二人が笑った。いちゃいちゃくっつきながら、二人が歩く。あたしも歩く。白蛇を腕に巻き付けて両肩と頭に鴉を乗せている男が動物たちに語り掛けている。仲が良さげだ。あたしは歩く。ハロルドとエスメラルダが長靴を見つめていた。長靴からは小さな子猫が出てきて、にゃあと鳴いてみせる。二人は笑い合い、エスメラルダが子猫を抱え、ハロルドは腕時計を光らせて、二人で歩いていく。あたしも歩く。ガゼボに歩く。ガゼボにレオが隠れていた。あたしは指を差した。


「レオ、みーっけ」

「ちえ。見つかったか」


 レオが声を出して笑い、椅子に座り直した。


「ニコラも座って」

「疲れたわ」


 あたしは座った。レオが笑う。


「お疲れ様」

「疲れた」

「どこ行ってたの?」

「街中探し回ったのよ」

「そいつは、くくっ。ありがとう」

「もう隠れんぼなんて嫌よ」

「悪かったよ。探してくれてありがとう。ご褒美あげる」


 レオが優しく微笑み、拳を差し出した。


「はい」

「何? それ」

「あげる」


 あたしは手を広げた。レオがあたしの掌に拳を緩めた。その瞬間、レオの手から血の塊が破裂した。爆発したようにそこら中に飛び散り、あたしの顔に黒に近い赤が引っ付いた。レオの顔にも黒に近い赤が引っ付いた。あたしは目を見開いた。あたしの掌には、赤く濡れる中、小さな飴が転がっていた。

 ガゼボが血だらけになる。赤と黒に染まる。

 あたしが血だらけになる。赤と黒に染まる。

 レオが血だらけになる。赤と黒に染まる。

 太陽が黒く染まる。月が赤く染まる。

 空が赤くなる。地面が黒くなる。

 世界がぐるぐる回る。世界が歪む。歪んでいく。


「さあ、行こう」


 血だらけのレオが血だらけのあたしの手を握った。あたしはついていく。レオが優しく引っ張る。二人でお揃いの帽子を被り直す。てくてく歩いていく。二人で道を歩く。ミックスマックス本店に歩く。

 扉を開ければ、店長が頭を下げた。レオも頭を下げる。店長がレオに訊く。


「部下の方々は?」

「どこかで見てるだろ。何かあったら、すぐに呼んでくれ」

「はい」

「いつもありがとう。頼むよ」

「はい」


 レオが歩く。あたしを引っ張って歩く。ピグと試合をしたテーブルに向かって歩く。


 そこに、一人の少女がいた。


 紫の髪、紫の瞳、紫の服。闇に近い紫。見ているだけでぞっと背筋が凍り付くような紫。紫を身にまとう少女。レオは微笑んでいる。少女も微笑んでいる。


「やあ。ウリンダ」

「遅かったじゃない。レオ」


 レオがあたしと一緒に椅子に座った。


「さあ、試合だ。昨日言ったことを忘れてないだろうな?」

「当然だわ。今日は何のために来たと思ってるのよ」


 ウリンダが微笑んだ。


「親友のレオが困ってるみたいだから、助けにきてあげたんじゃない」

「なあ、僕の病気は治るのかい?」

「もちろん」

「どうやって?」

「試合に勝ったら教えてあげる」


 ウリンダはカードをテーブルに出した。


「私に勝てたら、レオの精神疾患を治す術を教えてあげるわ」

「よっしゃ! 絶対勝つぞ!」

「んふふ! 手加減は無しよ?」


 ウリンダは笑う。真剣なレオを見てくすくす笑う。レオは笑顔でウリンダを見る。


「病気が治ったら、王子の仕事にも戻れる。もう馬鹿王子なんて言われないぞ」

「そうそう。頑張って。レオ」


 ウリンダは笑う。


「貴方は素敵な王子様よ。だから絶対大丈夫」


 負けたウリンダは差し出す。


「これを舐めてみて」


 ウリンダの手には、飴がある。


「不思議な飴だ」


 あたしの隣にいるレオがポケットから取り出した。じっと、綺麗な飴を見つめる。


「力が湧いてくるんだ。勇気とやる気が出てくる。希望が見えてくる。この飴を舐めれば舐めるほど、不思議な力がみなぎってくる。これで僕は病気が治る。これでキッドの代わりになる。死んだキッド以上の王子になれる。僕は王子になる。この国を守る。キッドを超える存在になる。その一心だった」


 レオが後ろを向いた。あたしも後ろを向いた。


「キッドを越えるためには、手柄が必要だった」

「だけど、ニコラ、手柄って、簡単に見つからないんだ」

「この国って、平和なんだよ。意外と、本当に平和だ」

「だから、誰かが何かをしないと、事件って起きないんだ」


 例えば、弱虫とからかわれる子供に、湖で泳げる夢を見せるとか。

 例えば、帽子のコレクションを集めれば、女の子にモテる夢を見せるとか。

 例えば、彼氏との親睦を深めるために、おばけ屋敷のロマンチックな夢を見せるとか。

 例えば、白い蛇に、お腹が空いて餓死してしまう夢を見せるとか。

 例えば、長靴の履いた猫の看板の夢を、探し求める人物に見せるとか。


「誰かが、何かをすれば、事件は起きる」


 事件が起きれば手柄になる。


「必要だった」


 壊れた僕には必要だった。


「困る人が必要だった」


 犠牲が必要だった。


「解決出来ない事件はない」


 僕が解決できるんだ。


「だって全ては」


 ジャックのせいだから。


「事件を引き起こすんだ」


 手柄と名声を手に入れた。地位を手に入れた。父上は、出来た息子だと褒めてくれた。母上も、ほっとしていた。僕によく言っていた。


「流石我が子だわ。本当にいつもありがとう」


 母上は微笑んだ。


「キッド」

「違う!!!!!!!」


 リオンが叫んだ。


「僕はリオンだ!!!!!!」


 リオンが台をひっくり返した。


「キッドは死んだ!!!!!」


 リオンが椅子を蹴飛ばした。


「キッドは死んだんだ!!!!!」


 リオンがガラスを割った。


「自ら馬鹿な真似をして、自分で刺されて、勝手に死んだんだ!!」


 もうキッドはいない。リオンしかいない。


「僕がこの国を救うんだ!!!!」


 リオンが頭を押さえた。


「キッドの残したものを、僕が全部片づけるんだ!!!」


 リオンが棚を蹴飛ばした。


「僕こそ、リオン、第一王子、リオンだ! 僕がリオンだ!! この国の王だ!!」



 キ ッ ド は 死 ん だ 。



「僕は、キッドがいない悪夢を彷徨うことになった」



 少しでも、力になりたくて、



「キッドの代わりと分かっていたけど」



 やりたいこと、好きなこと、全部我慢して、



「王子様になったのに」



 リオンの右腕がぼとりと落ちた。



「なんで僕の体が、僕の言うことを聞かないんだ」



 リオンの左足がぼとりと落ちた。



「なんで」



 リオンの左腕がぼとりと落ちた。



「どうして」



 リオンの右足がぼとりと落ちた。



「僕が何をしたって言うんだ」



 リオンが地面に崩れる。



「僕の人生は何だったんだ」



 リオンの体が切り刻まれていく。



「キッド」



 リオンの体から血が飛び散る。



「クレア」



 リオンの頭から血が流れる。



「助けて」



 リオンが血に染まっていく。



「助けて」



 リオンには頭だけが残される。



「体が動かないんだ」



 頭だけのリオンが唸った。



「クレア姉さん」



 リオンが呼んだ。



「姉さん、助けて、助けて」



 リオンが涙が赤く染まった。



「助けて」



 リオンが笑った。頭だけになったレオを見て笑った。

 リオンが切り裂いたナイフを舐めた。愛おしそうに舐めた。

 レオが目を閉じる。涙が血に染まる。



「タスケテ」



 リオンが、レオにナイフを振り下ろした。





 ――その前に、あたしはレオの頭を抱き上げた。





 ナイフが地面に刺さった。あたしはレオの頭を抱きしめる。リオンがあたしを睨む。


「ちょっと」


 あたしはリオンを睨んだ。


「あたしのお兄ちゃんに何するのよ」


 あたしはリオンを睨んだ。


「あんたなんか王子様じゃない」


 王子様っていうのは、もっと輝いてて、もっとさわやかで、もっとフレッシュで、もっと美しくて、


「てめえなんか、ただのいじめっ子じゃない!」


 人を怖がらせて喜んで、人を恐怖に追い込んで喜んで、


「純粋な心を切り裂く、ただの切り裂き魔じゃない!」


 あたしは腕を動かす。


「いじめっ子が!!」


 叫んで、振りかぶった。


「これでもくらえ!」


 手に持っていたアイスをリオンに投げた。リオンの服に抹茶のアイスがべちゃりと付着した。緑の水滴が流れる。落ちる。ぽたぽたと、血のように落ちていく。赤と緑が入り混じる。あたしの髪の毛のように濁った色になっていく。


 濁った色が、どんどん混じり合っていく。


 リオンがあたしを睨む。


 あたしは後ずさる。


 レオの頭を胸に抱えて、後ずさる。


 レオが、赤い涙を流しながら、青い瞳を開いた。







( ˘ω˘ )


(*'ω'*)






 目を覚ます。照明の光に、視界がちかりと光る。目を細めて天井を見る。笑顔のキッドと目が合う。あたしの眉間に皺が寄る。しかしキッドは動かない。キッドではなく、キッドの写真だ。天井に貼られている。


(……?)


 すらすらと紙の音が聞こえる。顔を音に向ける。ベッドに寄っかかるアリスが何か描いてた。すらすらと、何か描いていた。


「……」


 ベッドからそれを見る。アリスの手が動く。アリスの持つ鉛筆がすらすらと絵を描いていく。奇抜な形の何かを描いている。あたしはじっと眺める。アリスは描く。ずっと描く。鉛筆の炭が紙に反映される。


(あ)


 見たことのない、奇抜な帽子が出来上がる。


(可愛い)


 ドレスに似合いそう。


「ん?」


 アリスが振り向く。あたしと目が合う。アリスがはっとして、慌ててノートを胸に隠した。


「きゃっ!! 覗き!! えっち!!」

「今の帽子?」

「ふふっ!」


 アリスがもう一度帽子の絵を見せた。


「ニコラの寝顔を見てたら、思いついたのよ。ほら、この形とか、このとがった部分とか、ニコラそっくりでしょう?」

「……よく分かんない」

「えー? そうかなあ? 似てると思うんだけどなあ」


 ぷー、とアリスが頬を膨らませた。あたしは起き上がり、窓を見る。外は薄暗い。


「……今、何時?」

「18時」

「え」

「18時」


 あたしは黙った。アリスが肩をすくめた。


「すごく安らかに眠っちゃってさ、起こすのも可哀想だから、お昼寝させておきました」

「……ごめんなさい」

「いいのよ。よく眠れた?」


 こくりと頷く。


「そう。それは良かった」


 アリスが微笑む。


「ねえ、今日泊まっていけば?」

「……流石に悪いわ」

「お爺ちゃんもお兄さんも、家にいないんでしょ? 一人ってこと?」


 こくりと頷く。アリスが息を吐く。


「いいわよ。一緒にベッドで寝ましょう。悪夢を見たらどっちかが起こして、お互いの顔を見て落ち着くの。それからまた寝るのよ! ふふっ! どうせ明日もお休みなんだから、誰も怒らないわよ。私、姉さんと父さんに頼んでみる」

「でも」


 あたしはぽつりと言う。


「……お爺ちゃんが帰ってきてたら、心配するわ」

「それは、そうだけど」

「……大丈夫。帰る」

「じゃあ、送っていく」

「大丈夫。一人で帰れる」

「それなら噴水前まで送る。いい?」


 アリスは首を傾げて訊いてくる。あたしは頷く。


「分かった。お願いできる?」

「任せて」


 アリスがコートを着る。あたしもジャケットを着てリュックを背負う。ダサい帽子を被ってから立ち上がり、アリスと一緒に部屋から出る。階段を下りると、カトレアが売り場の掃除をしていた。あたしから声をかける。


「お邪魔しました」

「こちらこそ、来てくれてありがとう」

「姉さん、ちょっと送っていくね」

「アリス、長靴履いていきなさい。それと、暗いからランプも」


 カトレアがアリスにランプを渡した。アリスが長靴を履き、傘を持った。


「じゃ、行ってきます」

「気を付けてね」

「お邪魔しました」


 あたしが外に出て、傘を広げる。アリスも外に出て、傘を広げる。手にはランプ。雨はまだ降り続く。二人でてくてく歩いていく。


「この雨、いつまで続くのかしらね?」


 ランプを持ったアリスが空を見上げる。空はもう暗い。


「気味が悪くて仕方ないわ」


 アリスの肩があたしの肩にぶつかった。


「ああ、ごめんなさい」

「ううん」

「私ね、一緒に歩いてたら肩がぶつかっちゃうのよ。距離感が分かってないんだわ」


 アリスとレンガの道を歩いていく。


「ねえ、夜ご飯は?」

「……最近は一人で作ってる」

「食材は大丈夫?」

「それは大丈夫」

「お店が一気に閉まっちゃったでしょう? うちは比較的置いてあったから、近所の人に分けたりしてるの」

「大変ね」

「月曜日になったらお店が開くわ。それまでの我慢ね」


 アリスとあたしの足が揃う。


「アリス」

「ん?」

「28日、会えるのよね?」

「体調が良ければね」

「体調、そんなに悪いの?」

「秋だから」

「秋は、悪くなりやすいの?」

「気圧で、気持ち悪くなるのよ」

「じゃあ……」


 あたしは俯く。


「……28日、あの、体調悪かったら、無理しないで」

「そんな残念そうな顔しないでよ。ニコラ、多分大丈夫よ」

「遊んでくれる?」

「もう!」


 アリスがくすっと笑った。


「いいわよ。体調が良かったら遊びましょう。絶対ね」

「ん……。ありがとう」

「こちらこそありがとう。ニコラといると胸があったかくなるわ」


 アリスがあたしに手を伸ばした。


「手、繋がない?」

「……ん」


 あたしとアリスが手を繋いだ。


「うふふ!」


 アリスが嬉しそうに笑った。


「ニコラの手、冷たいわね!」

「……アリスはあったかい」

「心のぬくもりを表してるのかも」

「どういう意味よ」

「ふふふ!」


 お互いの手を握る。


「ニコラ、ジャックが怖くなったら、明日も来ていいからね」

「……ありがとう」

「お爺ちゃん、帰ってくるといいわね」

「ん」

「お兄さんも」

「……ん」


 あたしとアリスが歩く。雨の中、人気のない道を歩く。


「28日、遊べたら、今日の分も遊びましょう」

「アリス、唄遊びって好き?」

「唄遊び? ふふっ! ニコラ、私のセンスに勝負しようっての? いいわよ。唄遊びして、それから、あと、そうね、ニコラ、手遊びもしましょうよ」

「アリス出来るの?」

「手遊びくらい出来るわよ」

「雨も止むかしら」

「そうね。雨が止んでたら、外でお散歩も出来るわ! そうだ。てるてる坊主を作りましょうよ! 顔を描いて。ニコラは私の顔よ。私はニコラの顔のてるてる坊主を作るわ。そうすれば、雨も止むわよ!」

「子供みたい」

「何言ってるのよ。私達まだ子供じゃない。子供は子供らしく遊ぶのも仕事なのよ」


 他愛のない話で、アリスがクスクス笑う。

 それはそれは楽しそうに、とても殺人なんて犯すように思えない笑みで、笑っている。

 二人の繋ぐ手が揺れる。ランプの灯が揺れる。

 雨は降り続く。霧は一日中街を包む。

 濡れる地面を、二人の足が踏みつけて、歩いて、繰り返される。


 しばらくして、噴水前に到着する。あたしはアリスに伝える。


「アリス、ここでいい」

「大丈夫?」

「大丈夫」


 お互いの目を見合う。見て、アリスが微笑んで、手がどちらともなく離れていく。あたしはお礼を言う。


「ありがとう」

「こちらこそ」


 アリスがあたしの顔を覗き込んだ。


「ニコラ、寂しくなったらいつでも来てね。お店は開いてるから、お茶でも飲んで、入り浸っていいから」

「……本当にありがとう」

「悪夢を見る日が続くんだもの。それでも毎日ニコラに会えて、私も嬉しいの」


 アリスが手を振った。


「じゃあね。ニコラ」

「アリス、また、28日に」

「ええ。体調管理に気を付けて。待ってるから!」


 アリスが手を振る。あたしも手を降る。あたしとアリスが別れた。あたしは帰り道を歩く。

 時計台に背を向け、街に背を向ける。人気のない広い道を歩いて、水溜まりの多い道を歩いて、広場を抜けて、森に向かって歩いていく。建物が見えなくなってくる。木がたくさん。一本道を進む。雨は降り続ける。畑が沢山見える。道を進む。しばらく森の道を進む。歩く。てくてく歩く。木が沢山並んでいる。家が見えてくる。あたしは歩く。明かりはついていない。じいじはいないのだろう。


 今夜も一人だ。


「にゃー」


(うん?)


 がさがさと、音が聞こえる。


「にゃー」

「え」


 立ち止まる。家の方向から、緑の猫が駆けてきた。


「え?」


 あたしは見下ろす。緑の猫が雨に濡れて、あたしを見上げる。


「ドロシー?」

「にゃー」


 ドロシーがあたしに鳴いて、家の方に駆けていく。


「え?」


 あたしは小走りでドロシーを追いかける。家の前の階段で、金髪の少女がうずくまり、膝を抱えて座っていた。ドロシーがメニーの横に歩いていく。あたしはぽかんとして、見下ろす。


「……メニー?」

「にゃー」


 ドロシーがメニーの周りをうろうろしだす。あたしは手を伸ばし、メニーの肩を掴んで、華奢な体を揺らした。


「メニー」

「ふぁっ」


 メニーの寝ぼけた顔が上げられた。呑気に欠伸をする。


「ふわああ……」

「ちょっと」


 あたしは呆然とメニーを見つめる。


「あんた、なんでここにいるのよ」

「う……寒い……」

「当たり前でしょ。雨降ってるんだから」

「……お姉ちゃん、何その帽子……」

「……深い事情があるのよ。触れないで」

「ん……」


 メニーが眉を寄せて、黙る。雨の音が周辺から響く。あたしは白い息を吐いた。


「……中入って。流石に夜は冷えるでしょ」


 リュックからポーチを取り出し、キッドのストラップがついた鍵を鍵穴に挿す。鍵を抜き、ドアノブを捻って、扉を開ける。


「早く入りなさい」

「はい……」


 メニーが入り、ドロシーも中へ入る。あたしは照明をつけ、扉を閉める。ドロシーがきょろきょろしている。


 メニーが傘入れに傘を入れ、マットで靴を拭ってからリビングへ入る。あたしも傘入れに傘を入れ、長靴からスリッパに履き替える。メニーがリビングの電気をつけた。あたしは玄関の電気を消し、リビングに入る。


「メニー、ソファーに座って」

「はい」


 メニーが座る。

 あたしは暖炉の側にあったマッチに火をつけて、薪の中へ放り投げる。暖炉に火が広がる。温かくなってくる。メニーに振り向く。ドロシーがちゃっかりソファーの上に座り、メニーにすりすりしている。


 あたしは腕を組み、じとっとメニーを睨んだ。


「……で? メニー。なんでここにいるわけ?」


 メニーが申し訳なさそうな顔であたしを見上げてくる。


「……ごめんなさい。……どうしても気味が悪くて、屋敷にいられなかったの」

「……気味が悪いって……」

「私だけ悪夢を見ないの」


 ドロシーの魔法が裏目に出てしまったようだ。ドロシーがメニーの膝の上に乗っかった。


「屋敷にいる人、全員、悪夢を見てるんだよ? それに、街の人達も、国内にいる人達、皆、悪夢を見てるのに、私だけ見ないの」


 メニーが顔を青くする。


「……すごく気持ち悪い……」

「にゃー」

「ドロシーも怖いって……」


(余計なことするからよ)


 ドロシーを睨むと、ドロシーが目を逸らした。


「にゃ」

「お姉ちゃん、許可は貰ってきたから、一晩だけ泊まっちゃ駄目?」


 あたしはメニーを睨む。


「……怖いの……」


 メニーが震える声で呟く。手が震えている。体が震えている。泣きそうな目であたしを見てくる。


(……てめえなんか知るか)


 そんな目で見るな。


(勝手に怯えて、恐怖に怯えたらいい)


 メニーを睨む。


(そう言って、追い払いたい)


 だけど、


「運が良かったわね」


 あたしはため息を出しながら、ジャケットを脱いだ。


「じいじもキッドも出かけてて、帰ってきてないの。だからここにいるのはあたしだけだし、……今日くらいなら、泊まってもいいと思うわよ」

「本当?」

「今日だけよ」

「今日だけでいいの」


 メニーが嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう」

「別に」


 あたしはリュックを椅子に置く。


「手洗ってきなさい」

「はい」


 メニーが洗面所に向かう。あたしはキッチンに行く。ドロシーがついてくる。しゃがんで、冷蔵庫の扉を開き、中を覗くとドロシーも一緒に中を覗いてくる。あたしはドロシーを睨んだ。


「邪魔」

「にゃあ」


 ドロシーを横に避けて、あたしは中から食材を掴む。


「あんた、ずっとメニーを守ってたわけ?」

「僕じゃないよ」


 魔法使いの姿のドロシーが、しゃがむあたしの頭に顎を乗せた。


「ちょっと、退いて。重い」

「何作るの?」

「シチュー」

「味のないシチュー?」

「濃厚な味付けで作ってやるのよ。退いて」

「僕にもちょうだいね」


 ドロシーが退いた。あたしは食材を抱えて、立ち上がる。


「あんた、なんでメニーを止めなかったの?」

「止めるって?」

「ここに来ること」

「別にいいじゃないか。前も泊まったんだろ?」

「そうよ。あんたがメニーを迎えに来てくれなかったから、一晩泊めることになったのよ」

「それ、僕のせいなの?」

「あたしは頭の中でずっとあんたを呼んでたわ」

「知らないよ。君の頭の中なんて。テレパシーですか? 僕、魔法使いだけど、テレパシーは使えないかなあ」

「いんちきが」

「全く、理不尽だよ。なんで僕が怒られるのさ。相変わらず言いたいこと遠慮なく言っちゃってくれるよね」


 あたしは食材をキッチン台に置いた。蛇口をひねって、自分の手を洗う。


「あんたが毎日メニーを守るからこうなったのよ。一度だけでもジャックに会わせれば良かったのに」

「だから、僕じゃないってば」

「何が」

「あのね、ある日を境にジャックの奴、メニーに近づかなくなったんだ」

「……何それ? どういうこと?」


 手をタオルで拭きながらドロシーに振り向く。ドロシーも不思議そうな顔をしていた。


「僕が聞きたいよ。だからメニーを守る必要もなくなった。僕は僕なりにジャックの正体を探そうと頑張ってたんだよ」

「で、正体は?」

「分からない」

「無能め」

「しょうがないだろ。掴もうとしたら消えてしまうんだから」

「……なんでメニーには近づかないわけ?」

「さあね? メニーに惚れたのかとも考えたんだけど、だとしたらもっとおかしい。好きになったのなら、もっと悪夢を見せて、悪夢に引きずり込んで、自分だけのものにしようとするはずだ。でも、それをしようとしない。メニーだけは例外だとでも言うように、避けてた」

「……ふん。美人はいいわね。お化けにも譲歩されて」


 ドロシーのお腹がぐう、と鳴った。


「ああ、お腹空いた……。君、どこに行ってたの? 僕ら随分と待ってたんだよ?」

「知らないわよ。そんなこと」


(アリスの家に泊まってたら、二人ともどうしてたのかしら)

(メニーは体を冷やしたことでしょうね)


「……」


 泊まればよかった。


「お姉ちゃん」


 振り向くと、メニーがキッチンを覗いていた。ドロシーは猫の姿でメニーにすり寄る。


「にゃー」

「手洗ってきた」

「そう。じゃあお風呂入りなさい」

「……何か作るの?」


 食材を見て、メニーが首を傾げる。あたしは頷き、包丁を掴む。


「シチュー」

「あ、作りたい」

「駄目」


 メニーがきょとんとした。


「なんで?」

「味を失くすから」


 言うと、メニーがむくれた。


「勉強してるもん!」

「あんたのお弁当を食べてて思ったわ。あんたに料理は向いてない。分かったらさっさとお風呂に行ってきなさい」

「じゃあ二人で作ろうよ。私、野菜切るから」


 メニーがきょろきょろと辺りを見回す。


「ほら、エプロンもある」

「あ」


 スノウ様のエプロン。


(ま、いいか)


 メニーがエプロンをつけた。


「お姉ちゃん、私もだいぶ成長したんだよ!」

「はいはい」

「本当だよ!」

「はいはい。もう一回手洗って」

「はい!」


 メニーが流し台で手を洗った。


「何から切る?」

「人参」

「はい!」


 メニーに包丁を渡す。水で洗った人参をメニーに渡す。メニーが器用に切っていく。あたしはボウルに切られた人参を入れていく。


「次、ジャガイモ」

「はい!」


 水で洗ったジャガイモをメニーに渡す。メニーが器用に切っていく。あたしはボウルに切られたジャガイモを入れていく。


「次、玉ねぎ」

「はい!」


 水で洗った玉ねぎをメニーに渡す。メニーが器用に切っていく。メニーが涙を浮かべた。


「うっ……!」

「手を止めない」

「ふううう……! 理不尽だ……!」


 メニーが涙をぼろぼろ流しながら玉ねぎを切る。あたしはバターの溶けた鍋の中に玉ねぎを入れていく。


「次、お肉」

「はい!」


 メニーが器用に切っていく。その間に玉ねぎを鍋で炒めていく。玉ねぎの色が変わっていく。顔を上げる頃には、メニーが肉を切り終わってた。


「入れて」

「はい」


 メニーが鍋の中に肉を入れて、あたしが炒める。メニーが横から見る。あたしは炒める。


「水」

「はい」


 メニーがコップを出して、水を鍋に入れていく。入れたら人参とジャガイモを入れて、煮込む。


「メニー、時間かかるからシャワー入ってきなさい」

「はい」

「着替えは上。あたしの部屋よ」

「分かった」

「自分の荷物も置いてきなさい」

「はい」


 メニーが自分の上着と鞄を持って階段を上る。あたしの横で、ドロシーが魔法使いの姿で鍋を覗く。


「君、料理できたんだね」

「何年工場の給食係をしたと思ってるのよ」

「さあね? 君のことなんて興味ないし、把握してないよ」


 鍋がぐつぐつ煮込まれる。


「ねえ、テリー」

「ん?」

「君、よく無事だったね」

「何が?」

「リオンのこと」


 ドロシーを横目で見る。ドロシーは表情を曇らせていた。


「……調べはついてるだろ?」

「……知ってたの?」

「一度目の世界でも、そうだったからね」

「……知ってて近づけさせたわけ?」

「テリー、これは完全に僕のミスだ。記憶違いだよ。本当に申し訳ない。まだ大丈夫だと思ってたんだ。だって、水晶に映ってた彼はすごく元気そうだったから」

「13歳からだって」

「……そうか。いや、……そうだったかも。……本当にごめん。何もなくて良かったよ」

「一度目ではどうだったの?」

「カウンセリングをしてたよ。毎晩、メニーが」

「メニー?」

「ああ」

「メニーがリオンのカウンセリングをしてたの?」

「そうだよ。話を聞いてもらってたんだ」


 あたしはおたまでシチューをゆっくりとかき回す。


「……そう。ま、夫婦だものね」

「そうさ。リオンとメニーは離れられない関係だった」

「でも子供は産まなかった」

「そうだよ」

「体に異常はなかったはずなのに、おかしな夫婦ね」

「理由があったんだ」

「理由?」

「ああ」

「……あたしが知らなくていい情報?」

「ああ」

「そう」


 あたしは黙って、おたまを回す。


「彼の病気は治らなかったの?」

「治らなかった」

「……そう」

「彼の毎日は、ストレスとプレッシャーの板挟みだった。当然だろうね」

「子供を作ればよかったのよ。で、さっさと王子様にして、引退すればよかったんだわ」

「それは出来ない」

「なんで」

「あの二人に子供は作れない」

「……なんでよ。夫婦なのに」

「……テリー」


 ドロシーが、息を吸った。


「リオンを恨んでるかい?」

「ええ」

「メニーを恨んでるかい?」

「ええ」

「覚えてるかい?」

「覚えてるわよ」

「本当に?」

「死刑の日を忘れるほど、幸せに暮らしてないわ」

「前日は?」


 あたしは眉をひそめた。


「前日?」


 工場でいつも通り働いていた、前日。


「覚えてるわよ」


 いつも通りだった。


「頭に来るくらい、工場で普通の生活をしてたわ」


 ただ、そうね。最後の晩餐は、少しだけ豪華だったかも。


「それが何?」

「いや」


 ドロシーが首を振った。


「何でもないよ」


 知らなくていい情報は、取り入れないべきだ。


「テリー、明日、情報を共有しようか」

「……そうね。今夜はメニーがいるもの。都合のいいお姉ちゃんにならないと」


 呟くと、メニーが階段から下りてくる音が聞こえた。


「お姉ちゃん、着替え、これでいい?」


 前に着た寝巻を持ってきたメニーがあたしに確認する。あたしは振り向き、それを見て、にこりと微笑んで頷く。猫のドロシーがにゃあ、と一声、鳴いた。




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