第11話 10月25日(1)

( ˘ω˘ )




 怪盗パストリルがネックレスを盗む。あたしは止める。


「やめて」


 怪盗パストリルが宝石を盗む。あたしは止める。


「やめて」


 怪盗パストリルがドレスを盗む。あたしは止める。


「やめて」


 怪盗パストリルがメニーを盗む。あたしは止める。


「やめて」


 怪盗パストリルがヴァイオリンを盗む。あたしは止めた。


「やめて!!」


 あたしはヴァイオリンを必死に掴んだ。


「これは駄目!」

「どうして?」


 怪盗パストリルは微笑んだ。


「将来、これは取られてしまうんだよ? だったら私が盗んでもいいじゃないか」

「これは駄目! これはあたしのなの! だめ! 手を離して!」

「そう」


 怪盗パストリルは微笑んだ。


「では、お聞かせ願おう」

「え」


 あたしはヴァイオリンを持ったまま立ち尽くす。スポットライトが当たった。怪盗パストリルが椅子に座った。あたしは舞台の上に残された。観客が並ぶ。メニーがマイクに向かって言った。


「それでは! お姉様の演奏です!」

「え」


 あたしはヴァイオリンを持ったまま立ち尽くす。観客が拍手をした。怪盗パストリルも拍手した。


「さあ、弾いてごらん。私から盗まれたくないなら。素敵な演奏を」


 あたしは腕を動かした。下手な音しか出てこない。


「あ」

「あははははは!」


 怪盗パストリルが笑うと皆が笑った。

 あたしはもう一度腕を動かした。

 怪盗パストリルが笑った。皆が笑った。

 あたしはもう一度腕を動かした。

 ヴァイオリンは答えてくれない。下手な音しか出てこない。いかれた音しか出てこない。

 怪盗パストリルが笑う。観客が笑う。拍手が止まない。手を叩いて笑われる。


 あたしは俯いた。


「トリック・オア・トリート!」


 あたしはジャックを見た。ジャックはあたしの顔を覗き込んだ。


「オ菓子チョウダイ!」


 あたしは黙った。ジャックはなお、あたしの顔を覗き込んだ。


「ネエ! オ菓子!」


 ジャックが駄々をこねた。


「オ菓子クレ!」

「無いわよ」


 あたしは俯いた。


「そんなもの無いわよ……」


 あたしはうずくまった。


「お菓子なんか無いわよ!!」


 あたしは泣き叫んだ。


「うわあああああああああああああああああああああん!!!」


 ジャックが驚いたように硬直し、あたしを見下ろした。あたしは泣きじゃくった。


「こんなの楽しくない! 楽しくない! 楽しくない!!」


 あたしは立ち上がり、ヴァイオリンを投げた。


「こんなの楽しくない!!」


 あたしはヴァイオリンを叩いた。


「こんなの楽しくない!!」


 あたしはヴァイオリンを殴った。


「楽しくない! 楽しくない!! 楽しくない!!!」


 あたしはヴァイオリンを叩き割った。


「こんなのいらない!!!!!!」


 あたしはヴァイオリンを怪盗パストリルに投げた。


「持っていけばいいじゃない!!」


 怪盗パストリルが微笑んで、立ち上がり、舞台から去っていった。


「うわああああああああああああああん!!」


 あたしは座り込んだ。


「うわああああああああああああああん!!」


 悲しさのあまり、泣き叫んだ。


「うわああああああああああああああん!!」


 哀しさのあまり、泣き叫んだ。


「うわああああああああああああああん!!」


 あたしは泣いた。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」







「ニコラ、泣カナイデ」






 ジャックがあたしの頭を撫でた。


「ニコラ、泣カナイデ」


 ジャックがあたしに言った。


「オ菓子アゲルカラ」


 ジャックがあたしに手を差し出した。


「ニコラ、泣カナイデ」


 ジャックが手を開いた。


「コレ、貰ッタンダ」

「パーティーデ貰ッタンダ」

「ニコラ、コレアゲルヨ。ネ、泣カナイデ」



 パンプキンクッキーが、掌に置かれた。












 苦い顔をしたジャックが扉を閉める。そして、しっかりと、きつく、頑丈に鍵をかけた。






(*'ω'*)







 ぱちりと目を覚ました。目覚まし時計が鳴った痕跡はない。


(……あれ、今何時……?)


 あたしは腕を伸ばして、時計を顔の前に持ってくる。10時。


(えっ、遅刻!?)


 一瞬ぎょっとするが、すぐに思い出す。


(……あ、そうか。商店街が閉鎖されたから……お休みだ……)


 一気に力が抜ける。欠伸をしながらだるい体を起こした。


(……眠い……)


 休みだし、もう少し寝ようかな。


(……いや、出かけないと)


 レオに頼まれてるんだった。16時までに帽子だっけ?


(帽子なんて、自分で買いにいけばいいのに……)


 あたしはぼうっとしながらベッドから抜ける。カーテンを開けて、窓から外を見る。今日も薄暗い。雨が窓を濡らしている。


(……げっ、今日も雨……)


 もう雨はうんざりだ。


(雷が鳴ってないだけマシかしら)


 またぐうっと伸びをしながら歩き出し、クローゼットを開ける。スノウ様に買っていただいた服とパンツを取り出して、靴下をベッドに置いて、下着を取り出して、着替え始める。


(……うん?)


 足首の痣がなくなり、あたしの掌に痣がある。まるであたしが、何かを掴んで離さなかったような痕。


(……どんな悪夢だったのかしら)


 思い出せない。


(……キノコ)


 ぶるりとあたしの背中が震えた。


(いや、キノコはやめておこう。誰かに見せられた胸糞悪い夢なんて思い出さなくていいわ)


 それよりも、レオのお使いに行かないと。

 髪の毛をおさげに結んで部屋から出る。一階のリビングに下りると、朝食が並べられていた。


(……あ)


 皿に触れてみる。


(……冷たい)


 もう冷めてしまっている。テーブルの端には手紙が添えられていた。


『テリー様、おはようございます。ビリー様がこちらに戻れないため、本日も朝食を作らせていただきました。良い一日を』

「……ごめんなさい」


 冷めてしまったわ。


「……温めれば食べれるわね」


 あたしはキッチンのかまどに触れる。薪を入れて、マッチで火をつけ、中に放り投げる。蓋をして、かまどをじっと見て、皿を一枚入れて、蓋をして、しばらく待って、蓋を開けて、かまどから皿を取り出し、また皿を一枚入れて、その作業を繰り返す。


(……これでいいわ)


 温まったスープと、おかずを並べる。


「いただきます」


 握った手を離して、食事の時間。


(じいじ、昨日も帰ってこなかったのね)


 昨日の夜も、キッドのおやすみメッセージは無かった。


(……ジャックの仮装をした誰かのせいで、てんてこ舞いね)


 大人の階段を一段上ったあたしはもぐもぐ口を動かす。


(……ラジオ聞こう)


 ラジカセに手を伸ばす。スイッチを入れると、電波を拾った。


『本日の雨で土砂崩れが発生しております。お出かけになる際は気をつけて』


 チャンネルを変えた。


『大臣の発言には誠意がないように感じますね。悪夢を気にしないようになんて、我々もそれが出来れば苦労はしませんよ!』

『悪夢を見続ける四日間。警察はどのように動く方針なのでしょうか』


 チャンネルを変えた。


『諦めないで。勇気を持つのよ。さあ、私の歌を聴いて』


 少女の歌声が聞こえてきて、あたしはそのチャンネルのまま、ご飯を食べ勧めた。


(……なんか聞いたことある声ね)

(……どこで聞いたかしら……)

(……なんか、……すごく聞いたことある気が……)

(……暗くて……冷たい……どこかで……)


 ……。


 思い出せない。


「いいや」


 あたしは思い出すのをやめる。女の声なんて、どれも似たり寄ったりだ。


(これを食べたら、ミックスマックス本店に行こう)


 あたしはスープを飲んだ。とても美味しかった。






(*'ω'*)





 12時。ミックスマックス本店前。



 傘を広げ、ミックスマックス本店に向かって道を歩き出す。足には、使わないと思いながらもスノウ様に買っていただいた黒い長靴。


(こんなに雨が降るなら、買ってもらってて正解だったわ)


 以前レオに引きずられた道を自ら歩いていく。その道を進めば、ミックスマックスの本店がある。しかし、人気はあまりない。


(流石の変人達も、悪夢には敵わないみたいね)


 そう思って傘を閉じ、傘入れに入れ、静かな扉を開ける。すると、中からミックスマックスの曲と共に、大声で歌い出す人々の姿。


「ミックスミックス混ざるよミックス!」

「マックス!!」

「マックスマックス気分はマックス!」

「ミックス!!」

「ミックスマックスミックスマックス! 気分は上々!!」

「ジャックなんか! 怖くない!」

「僕らは仲間だ! ミックスマックス!」

「……」


 あたしは黙って固まる。

 店内にいる客と、店員が、皆で楽しそうに肩を組み、歌い、ここがまるでディスコのように踊っていた。


(……場所を間違えたみたい)


 あたしは頷いた。


(レオ、帽子なんてなかったわ。あたし、帰る)


 くるりと回れ後ろをすると、正面から二つの影。


「ん」


 二人と目が合う。


「「はっ!!!」」


 二人の兄弟が目をハートにさせた。


「「ニコラ!」」

「げっ」


 思わず顔を引き攣らせ、一歩二歩下がり、逃げるように店の中に入る。

 豚のようなピグとポーク兄弟が、あたしの真後ろに立っていたのだ。ああ、気持ち悪い。


 顔を青ざめるあたしを見て、ピグとポークが頬を緩ませた。


「ニコラ! 久しぶりだな! 俺様に会いにきてくれたのか!?」

「違うよ! 兄ちゃん! ニコラは俺に会いにきたんだよ! そうだよな! ニコラ!」

「退いて。帰る」


 あたしが再び店から出ようとすると、二人に阻まれる。


「ニコラ! 俺様達! これから試合するんだ! ニコラも見ていけよ! 俺様のかっこいいところ見せて、惚れ直させてやるぜ!」

「帰る」

「ニコラ、兄ちゃんはちょーかっこいいぜ! でも俺もちょーかっこいいぜ!」

「帰る」

「試合で俺様が勝ったら、付き合ってくれ!」

「帰る」

「ニコラ、兄ちゃんはちょーかっこいいぜ! でも俺も負けてないぜ!」

「帰る」

「こらこら」


 優しそうな中年の男が、あたし達の間に入った。


「困ってるじゃないか。そんなことするなら、ゲームさせないぞ」

「おい! 店長! 俺様を誰だと思ってる! 俺様はピグ……」

「出禁にするよ?」


 店長、と呼ばれた静かに男が言うと、ピグが黙った。あたしは男を見上げた。


(この男が店長?)


「……」


 あたしは男を見て、……思う。


(……普通だ……)


 すごく普通の人に見える。どこからどう見ても、普通の人に見える。そこら辺を歩いているモブに見える。とてもミックスマックスの変なアイテムを身につける変人には見えない。店員は元気に歌っているけれど、店長はそれをぼーっと遠くから眺めているようだった。


(……普通の人がいる……)


 店長があたしを見下ろし、出入口に手を差した。


「帰るんだろ? さ、どうぞ」

「あ、あの」


 あたしは店長に尋ねる。


「帽子を探してまして」

「帽子?」

「はい。兄から帽子を買ってきてくれって頼まれてるんです」

「残念だな。今、帽子は品切れ中だよ」

「え、無いんですか?」

「製作してる工場の馬車が土砂崩れに巻き込まれたそうでね。しばらく届かないよ」

「……そうですか」


(だって。レオ。あたし悪くないわよ。恨んで死刑になんかしたら訴えるから)


「次回までに取り寄せておくよ。お兄さんの名前は?」


 あたしは答える。


「レオ」

「……。……レオ?」


 その名前を聞くと、店長が眉をひそめた。


「……レオって……、……レオか?」

「え」

「あんた、レオの友達か?」

「え、あの……」

「ニコラはレオの妹なんだぜ!」


 ピグがなぜか胸を張り、威張った態度で店長に言った。ポークも胸を張り、加勢した。


「そうだそうだ! ニコラはあのレオの妹なんだぜ! ちょーいけてる女だぜ!」

「俺様の彼女だぜ!」

「違うよ、兄ちゃん! 俺の彼女だぜ!」


 店長は二人の会話を無視して、レオについて、二人に訊いた。


「レオって、青髪の奴か? うちの帽子被った、青い目の……」

「俺様と仲良しのレオは一人しかいないぜ! ほら、この間も昼に遊びに来て、俺様と勝負していっただろ! その後にイベントのチケットを買っていったレオの妹が、この可愛い子さ!」

「……なるほど」


 店長がにこっと微笑み、あたしを見下ろした。


「ニコラだったか。ちょっとおいで。お兄ちゃんから頼まれ事をされてるんだ」

「え? あ、はい」

「ニコラ! 終わったら俺様の試合を見にこいよ!」

「兄ちゃんのちょーかっこいいところ、俺と一緒に見ようぜ!」


 二人を無視して店長の後ろをついていく。後ろから、


「ニコラは照れてるんだぜ!」

「ニコラ、ちょー可愛いぜ!」


 と聞こえたが、あたしはそれすらも耳を遮断した。店長が売り場の隅の方に椅子を置き、手で差した。


「そこに座ってくれる?」

「はい」


 返事をして座る。店長も向かいに椅子を置いて座り、あたしと向かい合った。そして、声をひそめた。


「何? 君、リオン様のメイド?」

「……違います」


 あたしは声をひそめて、店長を見た。


「ご存知なのですね」

「あの方の顔を知らない大人はいないよ。スノウ様にも揉め事を起こさないよう頼まれてる」


(……話の通じる人がこんな所にいたのね……)


 あたしの会話が通じるわ。この人はレオみたいな変人じゃなさそう。


「……それで、君は誰? 友達?」

「ただの知り合いです。今月だけ妹と名乗って欲しいと言われているので、そうしてるだけです」

「事情がありそうだね」

「色々と」

「そうか。仲は良いの?」

「普通です」

「それは良かった」


 店長が薄く微笑む。


「最近、リオン様元気だったもんな。治療が上手くいってるようで安心したよ」


 あたしはきょとんとした。


「治療?」

「うん?」


 店長がきょとんとした。

 あたしはきょとんとした。

 店長が眉をひそめた。


「……あー、いや、何でもない」

「え?」

「気にしないで」


(治療?)


「体調悪いんですか?」

「ああ……」


 店長は口が滑ったとばかりに、顔を歪めた。


「何でもないよ。気にしないで」

「あの」

「うん。ごめん。何でもないんだ」


(あたしが何でもなくないのよ)


 気になる。


「あたしもスノウ様からレオを頼まれてるんです」


 あたしは賭けに出る。


「婚約してるんです」

「ん?」

「あの人の」


(兄の)


「婚約者なんです」

「えっ!?」


 店長が声を出す。だが、それ以上の声量で歌声を出している店員と客達はあたし達を見ない。店長が顔を青ざめ、ぶんぶんと首を振った。


「君、それはやめるべきだ!」

「え?」

「悪いことは言わない! 今のリオン様と婚約なんて、正気の沙汰じゃない!」


 あたしは眉をひそめる。


「……どうしてですか? とても素敵な人じゃないですか」


 店長が一瞬、周りを見た。周りは遠くで歌を歌い、踊っている。店長が前屈みになり、真剣な目つきであたしを見る。


「なあ、これは、極秘だ。いいか。王族と関わってるなら秘密にしなければいけないことも分かるな?」

「はい」

「絶対に私から聞いたと言わないでくれ」


 店長がもう一度周りを見る。挙動不審のように誰もいないことを確認して、さらに声をひそめた。


「君のために言うぞ。リオン様はやめておけ。彼は重度の病人だ」

「……どこか、体調悪いんですか?」

「見てて分からなかったか?」

「何ともなかったですよ。普通でした」

「スノウ様は承知の上か?」

「……彼と一緒に歩き回ってることは、あたしの口からは言ってません」

「一緒に歩き回ってる……!? 君、よく無事だったな!」


(え?)


 あたしの耳が、店長に向けられる。


「いいか。今から言うことは嘘じゃない。リオン様のことだ。いいか。絶対誰にも言うなよ」


 店長がもう一度周りを見た。そしてあたしに視線を戻す。


「13歳の時に彼はおかしくなった。中身だよ」

「中身?」

「精神に異常をきたして、今この瞬間も、療養を繰り返している」


 ……?

 あたしは困惑する。


「学校に行けば暴力事件が起きる。被害者はリオン様じゃない。彼は加害者だ。クラスメイトを理由もなく何人も殴って、蹴って、わめいて、叫んで、トラブルを起こす。第二王子が人を殴るなんてあっちゃいけない。学校は休学。精神病院に移された」


 彼の住んでいる所を、あたしは聞いたことがない。


「彼が生まれつきの頭脳で、閉鎖されてる病院を抜け出して問題を起こさないよう、兵士と警察が彼を見張ってくれている」


 キッドよりも付きっきりで、皆がリオンを見ている。


「ミックスマックスの店は、彼の遊び場所だ。悪影響なものがないと判断され、ここに遊びにくることは許されている。だから私も頼まれているんだ。何も問題が起きないように見てくれとな」


 ヘンゼは前よりもリオンが明るくなったと言っていた。


(病人?)


 リオンの精神に異常がある。


(……)


 学校は休学中。


(でも)


 彼は学校が終わるのは16時頃だと言っていた。だから待ち合わせはその時間帯で揃えようって。


(でも)


 彼は学校に行っていたと。


(でも)


 リオンはいつも制服を着ていた。


(でも)


 本当に学校に行っていたの?


(……)






 レオ?







「悪いことは言わない」


 店長が真剣にあたしに言った。


「よく考えて、よくリオン様を見てから恋愛をしても遅くはない。君はまだ若いんだから」

「……」

「……これは私達だけの秘密だよ。いいかい。誰にも言ってはいけないよ」

「分かってます」


 あたしは店長に頷き、質問する。


「……昼間は、彼、ここに来てたんですか?」

「毎日のように来てたよ。唯一許されてる場所だからね」


 店長が嘘のような話を、真面目に答える。そして近くの棚から座ったまま手を伸ばし、一冊のノートを取り出す。


「リオン様の試合記録もここにある。時間も日付も書いてある」

「試合記録?」

「リオン様がここにいたという証拠になるからな。リオン様も承知の上、私がつけていたんだ」

「見てもいいですか?」


 店長があたしに渡してきた。あたしはノートを開く。記録は今年からつけているようだった。

 対戦相手の名前は様々だった。見たことない名前ばかり。


(でも)


 これは彼の友達だろうか。


「この、『ウリンダ』って誰ですか」

「私はね、この子がリオン様の彼女だと思っていたんだよ」

「え?」

「安心して。多分友達だよ」


 リオン様も一緒に来る度にそう言っていた。


「ミックスマックス仲間だと言ってね、よく遊んでたよ。……そういえば、最近連れてこないな」

「最近って、いつからですか」

「……今月に入ってから……かな」


 店長がカレンダーを見て確認する。あたしはノートを見る。このウリンダという名前の人物と毎日試合をしている。試合記録には、この名前しかないページも多く存在した。あたしは顔を上げた。


「あの、ウリンダさんって、リオン様のお友達なんですよね? 同じ学校の人ですか?」

「そこまでは分からないよ。リオン様が連れてくるお客さんってだけさ。リオン様に訊けば分かると思うけど、同じ学校ではないと思うな」

「……」


 ヤキモチではない。嫉妬ではない。断じてない。そうではなくて、


(このウリンダという人物の素性が気になる)


 毎日リオンと遊んでる。なのに、今年の10月に入ってから、一度もその名前がない。


(誰?)


 そんな名前の友達がいたこと、彼はあたしに話さなかった。あたしも訊かなかった。


「……」


 あたしは店長に訊いた。


「今の話、全部事実なんですよね」

「ああ。残念ながら」

「ありがとうございます」


 あたしは微笑んだ。


「良い話が聞けました」


 あたしは立ち上がった。


「なあ、今の話、本当に秘密にしてくれよ。君のために話したんだから」

「分かってます」


 初めて会ったこの人は、嘘を言ってない気がした。


「ありがとうございました」


 あたしは記録のノートを店長に返した。





(*'ω'*)



 13時。



 あたしは乗合馬車の中で購入したサンドウィッチの入った袋を開けた。


(美味しそう。いただきます)


 手に掴んで、頬張る。


(パンの生地、悪くないわ)


 もぐもぐ噛む。体が揺れる。御者が馬を操る。秋風が当たる。少し肌寒いが、仕方ない。


(次は東区域)


 レオが言っていた。手無し娘に会いに行けと。


(ま、帽子はもう無いと思うけど)


 彼の帽子が落ちてるとすれば、もうあそこしかない。


(暇だし、行ってあげないこともないわ)


 交番に行けば、落とし物で管理されてるかもしれないと、ミックスマックスの本店から出た時にひらめいたのだ。


(ここまでするあたしに感謝してもらいたいわね)


 交通費は金貨からいただいたわ。別にいいでしょ。帽子買ったっておつりが来るんだから。


(……)


 あたしの頭の中で、本店の店長の言葉が離れない。


 ――今のリオン様と婚約なんて、正気の沙汰じゃない!


(リオンの心が病気? スノウ様じゃなくて?)


 スノウ様は元気いっぱい、キッドと街の見回りをしてた。

 リオンは元気いっぱい。街を歩いていた。


(……)


 あたしがヴァイオリンを弾いて、スノウ様から逃げた時、真っ先に追いかけてきたのはリオンだった。


(広場にいたのね)


 リオンは歩いてた。


(お菓子屋にも来た)


 全部昼間。本来なら、学校に行ってるはずの時間に。


(リオンは来てた)


「……」


(いや)


 真相は本人から確かめればいい。


(どちらにしても、16時に会える)


 彼が来れば。


(あたしは彼と話が出来る)


 嘘なのか事実なのか、事実であったとして、それをどう受け取るかは、あたし次第だ。


(彼はアリーチェを見つけられた)

(彼には正義感がある)


 心が病んでいるとはいえ、それは確かだ。


(話をしないと)

(帽子を持っていかないと)


 あたしはサンドウィッチを噛んだ。――途端に、頭の中で違和感を感じた。


「……」


(うん?)


 あたしはじっとした。


(あれ?)


 なんか、思い出せそう。


(あれ?)


 あたしは少し、深呼吸をした。


(うん?)


 頭の中にあったどこかの扉の鍵が開いた気がして、あたしはドアノブをひねってみた。その瞬間、一瞬にして、全ての記憶が脳裏を駆け巡った。





 怪盗パストリルがネックレスを盗む。あたしは止める。やめて。怪盗パストリルが宝石を盗む。あたしは止める。やめて。怪盗パストリルがドレスを盗む。あたしは止める。やめて。怪盗パストリルがメニーを盗む。あたしは止める。やめて。怪盗パストリルがヴァイオリンを盗む。あたしは止めた。やめて!! あたしはヴァイオリンを必死に掴んだ。これは駄目! どうして? 怪盗パストリルは微笑んだ。将来、これは取られてしまうんだよ? だったら私が盗んでもいいじゃないか。これは駄目! これはあたしのなの! だめ! 手を離して! そう。怪盗パストリルは微笑んだ。では、お聞かせ願おう。え。あたしはヴァイオリンを持ったまま立ち尽くす。スポットライトが当たった。怪盗パストリルが椅子に座った。あたしは舞台の上に残された。観客が並ぶ。メニーがマイクに向かって言った。それでは! お姉様の演奏です! え。あたしはヴァイオリンを持ったまま立ち尽くす。観客が拍手をした。怪盗パストリルも拍手した。さあ、弾いてごらん。私から盗まれたくないなら。素敵な演奏を。あたしは腕を動かした。下手な音しか出てこない。あ。あははははは! 怪盗パストリルが笑うと皆が笑った。あたしはもう一度腕を動かした。怪盗パストリルが笑った。皆が笑った。あたしはもう一度腕を動かした。ヴァイオリンは答えてくれない。下手な音しか出てこない。いかれた音しか出てこない。怪盗パストリルが笑う。観客が笑う。拍手が止まない。手を叩いて笑われる。あたしは俯いた。拍手が止まない。


 手を叩いて、笑われ続ける。


 拍手が、あたしを囲んで、笑い声と共に、あたしを包み込む。













 あたしは乗合馬車から下りた。









 壁に手をやり、しゃがみこむ。


「……っ」

「あら、大丈夫?」


 通りかかりの夫人二人に声をかけられる。一人は白い薔薇をつけた帽子を被り、一人は赤い薔薇の帽子を被っている。白い薔薇をつけた帽子の夫人があたしの上に傘を向けた。


「お嬢さん、しっかりおしな」

「どこか具合悪いの?」

「すみません……。少し休めば……大丈夫かと…….」

「大丈夫?」

「赤いハンカチはいかが?」

「大丈夫です……」

「ここは濡れるわ。どこかお店の中に」

「大丈夫です。すみません……」


 あたしは立って壁にもたれ、赤い薔薇の帽子の夫人が青い顔のあたしの手を握った。


「お嬢さん、お家はどこ?」

「……」

「私達ね、暇なのよ。悪夢ばかり見るからお散歩でもと思ってたの」

「良かったら送っていくわ。お家は?」

「あの……」


 あたしは首を振った。


「大丈夫です。あの、商店街に行きたくて……」

「商店街?」

「あら、行っても何もないわよ。皆、元気を失くして、閉まってるお店ばかりで」

「何も楽しくない」

「ほんとよねえ。お茶も出来ない」

「雨ばかり降ってて」

「ほんと嫌になっちゃうわよねえ」

「どっちですか?」


 夫人二人が指を差す。


「分かりました。ありがとうございます」

「あら、もういいの?」

「ゆっくりしていったら? どこか喫茶店にでも」

「そうよ。お金は出してあげるから。一緒に白いお茶でもいかが?」

「あら駄目よ。お茶は赤じゃないと」

「何言ってるのよ。白いお茶の方がいいわ」

「急いでて、すみません。もう大丈夫です」


 あたしは立ち上がり、無理矢理微笑んだ。


「ありがとうございます。少し、楽になりました」

「お大事に」

「お互い悪夢に負けないように」


 夫人二人が優しく微笑み、歩き出す。あたしも傘を掴み直し、指を差された方向に向かって歩き出す。


(ああ……最悪……)


 サンドウィッチに美味しいキノコを入れた奴、出てこい。


(吐きそう……。おえ……)


 顔を歪めながら道を歩いていくと、見覚えのある商店街に辿り着く。レオと二人で見た阿保みたいな看板は、無くなっていた。


「……」


 あたしは歩き出す。以前行列があった道に人気はなくなっていた。ゴーストタウンを一人で彷徨い歩いているような感覚。並んだ店にはシャッターが閉じられ、月曜日までお休みしますという紙が貼られているばかりだった。


(ここの道を歩いて……)


 レオと手を繋いでいた。


(ここでアイス屋に行こうとしたけど、行列で行けなくて)


 ゆっくり歩こうとレオと二人で歩いて、


(ここで)


 レオが指を差した。


「あそこだ」


 お化け屋敷。廃墟の建物はそのままだった。


「……」


 あたしは一人で中に入るような馬鹿な真似はしない。余計な時間を割かないように、必死に思い出す。


(建物の中にいる時、まだ彼は帽子を被ってたわ)


 どこかで帽子が脱げたのよ。


(まずは周りにないか確認を)


 無かったら、交番に行けばいい。


(まあ、既に数日経ってるし、無いだろうけど)


 あたしは建物の周りを歩き出した。廃墟の建物がなぜ取り壊されずに残されたままなのか、考えてもわからない。


(……まさか、毎年ここでお化け屋敷をやってるわけ?)


 商店街に廃墟だなんて気味が悪すぎる。


(ああ、あったあった)


 建物の裏に扉がある。ここからレオが出て行ったはず。


(あたしを背中に抱えて走ってた)


 悲鳴をあげてた。


(二人で悲鳴をあげて逃げた)


 走った道を歩く。


(うん?)


 あたしは見上げる。腰の曲がった木の枝に、汚れた布が引っ掛かってる。


「あ」


 思わず声が漏れた。雨に濡れて汚れたレオの帽子が、木の枝に引っかかってぶら下がっていた。


「……えー……」


 思わず声が出る。雨は降っている。木の枝に引っかかっている。


(よし)


 あたしは手を叩く。


「ドロシー!」


 空気は静かだ。誰も来ない。


「……」


 ――嘘でしょ?


(え、あたしが取るの?)


 無理無理無理。


(木登りなんて、はしたない)


 あたしは頷く。


(無理)


 ただ、木の腰が曲がっているのだから、取ろうと思えば取れなくもない。


(……)


 ……え、これ、あたしが取らないと駄目?


(レオのためにそこまでやる必要ある?)


 レオが言ってた。


「ニコラ、頼んだよ」

「……はあ」


 あたしは傘を高く持ち、木の枝に向かって上に投げた。


「えい」


 すか、と傘があと一歩で届かない。傘が地面に落ちる。あたしの体が一瞬で雨に濡れる。


「……」


 あたしはもう一度傘を持ち、上に投げた。


「えい」


 すか、と傘があと一歩で届かない。傘が地面に落ちる。あたしの体は既に濡れている。


「……」


 あたしはイラッとして、傘を閉じ、思い切り上に投げた。


「うら!!!!!」


 傘が帽子に当たった。しかし当たっただけ。傘は地面に落ちる。あたしの体は既に濡れている。


「チッ!!」


 あたしは舌打ちして、長靴を脱ぎ、ぶん投げた。


「おらあああ!!!!!!」


 木の枝に当たり、帽子がずれた。落ちてくる。


「あら」


 帽子と長靴が地面に落ちた。


「あたし、やるじゃない」


 あたしは長靴を履き、濡れて汚れた汚らしい帽子を拾った。見れば見るほど、間違いなくレオの帽子だった。ミックスマックスのダサいロゴ入りだ。


(……ずっと引っかかってたのね)


 思わずもう一度見上げる。汚れたものが取れて、腰の曲がった木も嬉しそうだこと。


(レオ、ここまでしてあげたんだから感謝しなさい)


 そう思って傘を広げると、――急に寒くなった。


(え)


 息が白くなる。


(え?)


 寒い風があたしを包む。


(え、何これ)


 寒すぎて、あたしはしゃがみこみ、縮こまる。


(寒い)


 あたしの体が震える。


(寒い)


 何これ。


(寒い)


 ぎゅっと帽子を握り、目を瞑り、体を強張らせると、耳元で声が聞こえた。


「友達に会いに行っておいで」


 誰かがあたしに言った。


「今日なら会えるよ」


 聞き覚えのある声が言った。


「それから会おう」


 あたしに言った。


「行っておいで」


 背中を叩かれた。あたしの足が一歩前に出た。


(ぎゃっ!)


 一歩前に出た。


(え?)


 しゃがんでいたはずなのに、一歩前に出た。


(え?)


 目を開ける。


「え」


 あたしの目の前にあったはずの木が無くなっていて、あるのは、一つの建物。


 エターナル・ティー・パーティー。


(えっ)


 あたしは周りを見る。


(え)


 あたしは東区域ではなく、西区域に移動していた。


(え?)


 いつの間に。


「……」


 黙っていると、店の扉が開いた。


「……あれ、ニコラちゃん?」


 声に反応して振り向くと、ダイアンがぽかんとした顔で、あたしを見ていた。


「そんな所で何やってるんだ?」

「……あの」

「アリスに会いに来たの?」

「……いや、あの……」

「ん?」


 きょとんとするダイアンに、あたしは瞬きして、呟く。


「……あの、あたし、今、東区域にいて……」

「東区域? ここ西区域だよ?」


 あ、とダイアンが声をあげた。


「ニコラちゃん、悪夢の四日間に乗っ取って、俺を怖がらせようって魂胆だな? ふふっ。なるほどな。東区域から西区域にワープしてきたのか? ああ、なんてこった。怖い怖い。はははっ」

「……」

「入って。そこにいても濡れるだけだろ」

「……はい」


 あたしはレオの帽子を持ったまま、傘を閉じ、店の中に入った。




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