第3話 10月18日(3)

 11時。商店街通り。



 皆で作業が続く。決まった配置に飾りを置いて、運んで、また置いて、サガンが指示を出して、その手伝いの人がまた指示を出して、また運んでいると、ミセス・スノー・ベーカリーから差し入れがあった。


「お疲れ様です! 良かったらどうぞ!」


 外に設置されたテーブルの上にバスケットが置かれる。8歳の従業員の少女も、重たいバスケットを持ち、笑顔でテーブルに置く。


 商店街の人々が喜びの声を上げ、一人ずつ手にもって食べていく。アリスも持ち、リトルルビィも持ち、あたしも手に取る。


(ベーコンチーズパン……)


 じいっと見て、ぱくりと食べる。


(……変わらず美味)


「お疲れ様です! これ社長からですー!」


 果物屋の従業員のベッキーが、果物を詰め合わせた皿をテーブルに置いた。

 商店街の人々が喜びの声を上げ、また一人ずつ手にもって食べていく。アリスも持ち、リトルルビィも持ち、あたしも手に取る。


(洋ナシ……美味……)


「お疲れ様っすー! これうちの親方からっすー!」


 精肉屋の従業員のブライアンが、串に刺さった豚肉の焼いたものが乗った皿をテーブルに置いた。

 紳士達が喜び手に取り、負けじとレディ達が大喜びし、紳士がいるにも関わらず焼肉に食いつく。あたしも然り。


(肉美味……)


「三人とも」


 振り返ると、笑顔の奥さんからロールケーキが盛られた皿を一人一枚、差し出される。


「頼むよ」

「はーい!」

「はい!」

「……はい」


 アリスとリトルルビィとあたしが返事をして、皿を受け取り、アリスが声を上げた。


「お疲れ様ですーーー! 社長がいつの間にかロールケーキ作ってくれましたーー! 食べて女子力上げるぞーーー!!」


 アリスがロールケーキの皿を置いた。

 少し遠くまで歩いて、リトルルビィが声を上げた。


「お疲れ様です! これ社長からです!」


 少し離れた場所のテーブルに、リトルルビィが皿を置いた。

 その近くの場所で、あたしが声を上げた。


「お疲れ様です。あの……こちら社長からです。……あの……よろしければどうぞ」


 あたしがテーブルに皿を置くと、ダイアンが近づく。


「ありがとう。社長さんにお礼を言っておいてよ」

「伝えておきます」

「そうだ。ニコラちゃん、時間あるかい? 良かったらアリスとお使いに行ってくれないか?」

「お使いですか?」


 ダイアンがメモをあたしに差し出した。


「エメラルド通りの店で買ってきてほしいんだ。俺達は残念ながらこの通り、手が離せない状態でね」


 ダイアン含め、関係者の大人達は工事で忙しそうだ。


(……まあ、アリスと一緒なら)


 あたしは可愛い笑顔を浮かべて頷いた。


「分かりました。この後も待機時間でしたし、大丈夫だと思います。アリスと行ってきます」

「悪いね。頼むよ。これは費用ね」


 ダイアンが封筒にお金を入れて、あたしに差し出す。


「頼んだよ。ニコラちゃん」

「はい。行ってきます」


 封筒を受け取って、テーブルの前で焼き肉を食べるアリスに歩み寄る。


「アリス」

「ん?」


 アリスが振り向く。口元にはソースがついてる。思わず顔をしかめて、ハンカチを取り出す。


「ちょっと、口についてる」

「あとで自分で拭くからいいもん」

「すぐに出発よ。ダイアンさんからお使いを頼まれた」

「お使い?」

「ん」


 アリスにメモを見せる。見ると、アリスが、ああ、と声をあげた。


「なるほどね。工具屋か」

「エメラルド通りだって」

「行きましょう!」


 アリスがエプロンからキッドの絵が描かれたハンカチを取り出し、口元に押しやる。


「……これ使うとね、キッド様とキスをしている気分になるのよ。ぐふふ」

「……行くわよ」


 アリスを連れて閉鎖された商店街通りを抜ける。エメラルド通りは五分程度で着くだろう。アリスと足を並べて、エメラルド通りを目指す。アリスが歌を歌いだす。


「ジャック、ジャック、切り裂きジャック、切り裂きジャックを知ってるかい?」


 あたしはちらっと、アリスを横目で見た。

 あたしはちらっと、『アリーチェ』を横目で見た。


「アリス」


 二人きりで話せるチャンスだ。殺人犯となるアリーチェに何が起きたか、調べなければ。

 あたしはアリーチェに笑顔を向ける。


「なんか、雰囲気変わった?」

「え? そう?」

「ええ。前髪切った?」

「特に切ってないわよ」

「あら、そう? でも、なんだか雰囲気がちょっと違う気がする。何かあった?」

「……何か?」


 アリーチェが唸って考える。


「あ!」


 思い出して、あたしを見た。


「ジャックに会った!」

「……それは知ってる」


 あたしが言うと、アリーチェがひひっと笑った。


「ニコラは会った?」

「会ってない。……ねえ、ジャックは悪夢を見せて、記憶を奪うんでしょう? だったらジャックに会ったことって覚えているの?」

「うーん。なんて言ったらいいのかしら。……ジャックに会ったことは覚えてるし、悪夢を見たことも覚えてる。でも、どんな風貌だったかっていうのは覚えてないの。どんな会話をしたのかっていうのも覚えてない。ただ、そうね。ジャックが歌ってたことは覚えてる」

「歌?」

「そうよ。ジャックの歌」


 切り裂きジャックを知ってるかい?


「ジャックが気に入ってるのね。その歌を歌ってたことだけは覚えてる。あとはすごく怖い悪夢を見たこと。それ以外はみーんな忘れちゃった」


 アリーチェが眉をひそめた。


「でもね、ニコラ。姉さんのことも父さんのことも覚えてたからって油断しちゃ駄目よ。私、学校で出された宿題の範囲をすっかり忘れてて、昨日、先生と教室の皆と会話が合わなかったの。分かりづらいところで記憶障害が起きてるんでしょうね」


 アリーチェは話を続ける。


「でも、それだけ。帽子の絵は描けるし、生活に支障はないし、まあ、痣はあるけど、そのうち消えるでしょ。ふふっ。私、この痣見せて学校で自慢したの。ジャックに会ったわって」

「……それ、自慢出来ること?」

「だって、学校にいっぱいいるんだもの。ジャックに会った人」


 あたしはきょとんと瞬きをした。


「……え?」

「ああ、そっか。ニコラ、自宅学習だっけ。あのね、最近多いのよ。ジャックに会って、記憶障害が起きてる人達。先生も教室の皆も、どこかで何かを忘れてる。10月だし、低気圧の関係でそういう現象が起きてるだけってジャックに会ってない人達は言ってるけど、痣が出来るのよ? ジャックに会った立派な証拠よ」

「……」

「ジャックはところ構わず現れるみたいね。毎晩、何人の夢に潜ってるんだろ。流石お化け様」


 アリスが笑いながら歩く。


「ニコラは怖いことってある?」

「怖いことなんて沢山あるわ」

「じゃあ気を付けて。怖いと思うことをジャックは見せてくるから」

「アリスの夢は怖かった?」

「めちゃくちゃ怖かったわよ。あんなもの、一回見たらもう二度と見たくない」

「追いかけられる夢だっけ?」

「そうよ。追いかけたと思ったら逃げて追われて隠れるの。逃げる夢って、すごく怖い。走って隠れて、挙句の果てに殺される」


 アリーチェが苦い顔をした。


「私、そういうの駄目なの」


 アリーチェがおどけた顔をした。


「人の死って怖いじゃない。自分の死も。他人の死も。それを見せてくるって、嫌な奴よ。ジャックって」


 ああ、嫌だ嫌だ。


「私ね、もう枕元に絶対クッキーを置くようにしたの! 虫が来ても構わないわ! 11月まで退かないんだから!」

「一週間程度に取り換えなさいよ」

「取り替えたいけど、忘れたらどうするの? また来ちゃうじゃない。腐っても置いておくわ。もう二度と見たくない」


 エメラルド通りに入り、工具屋に向かって二人で歩いていく。アリーチェが突然話題を変えた。


「そうだ。ニコラ、好きな人出来た?」

「突然すぎない?」

「突然思ったの。ねえねえ、なんか良い人いないの?」

「……特にいない」

「ニコラのタイプってどんな人?」


 あたしはうーんと考えて、口を動かす。


「イケメンで、ハンサムで、体つきが良くて、かっこよくて、身長が高くて、誠実で、謙虚で、気が利いて、マナーが良くて、礼儀正しくて、真面目で、浪費家じゃなくて、下品じゃなくて、でもとてもお洒落で、お金もそこそこ持ってて、借金がなくて、知的で、前向きで、明るくて、話が面白くて、一緒にいて楽しいと思えて、頼りがいがあって、思いやりがあって、笑顔が素敵で、悪い奴からあたしを守れる強さを持ってて、白馬が似合う人で、誰よりも優しくて、誰よりもあたしを愛してくれる人で、あと……」

「おぼぼぼぼぼぼぼぼ……!」


 アリーチェが思わず声を上げた。


「減らしなさい! ニコラ! 殿方ってのはね! そんな簡単にいかないのよ! 彼らも人間なのよ!」

「NOは言わない、美味しいパンが作れて、あたしの我儘聞いてくれて、あたしを優しく愛でてくれる人で……」

「ニコラ! それは本だけよ!」

「一途であたししか見えなくて」

「ニコラ!! ごめん!! 私が悪かった! ごめん!!」


 ようやくあたしの口が止まる頃、アリーチェと工具屋に入る。工具屋の従業員が声を上げる。


「いらっしゃいいらっしゃい! 工具なら取り扱ってるよ!」

「えっと……」


 アリーチェがメモを見て、従業員に見せる。


「これありますか?」

「あるよ!」

「これもありますか?」

「あるよ!」

「お会計を」

「あいよ!」


 お会計! ちゃりん!


「あざます!!」

「ありがとうございました!」

「ありがとうございました」


 アリーチェとあたしがお礼を言って、店から出ていく。また道を歩く。あたしがまた話題を切り替える。


「……三連休はダイアンさんの手伝いだっけ?」

「うん! 実家の手伝いと、兄さんのお手伝いが二日間。最終日は兄さんを混ぜて、ディナー」

「アリスはダイアンさん以外、良い人はいないの?」

「いないよ」


 アリーチェが微笑む。


「兄さん以外いない」


 アリーチェの眉がへこんだ。


「忘れようと何度も思ったんだけどね、心ってそんな簡単に変えられないの。諦めてはいるんだけど」


 それでも、


「一方的に、勝手に好きなら、誰にも迷惑かけないから。それなら、ずっとこのままでいい」


 アリーチェは微笑む。

 あたしはその笑顔を見る。

 その切なそうな笑みを見る。

 その切なそうなアリスを見る。


「アリス」

「なーに?」

「届かない片思いなんてするもんじゃないわ」

「分かってるわ」

「苦しいだけよ」

「でも楽しい」

「切ないだけよ」

「でも恋しい」

「悲しいだけよ」

「でも愛しい」


 あたしの言葉にアリスが否定する。

 リオンに届かない恋をしていたあたしの言葉を否定する。

 ダイアンに届かない恋をしているアリスが言葉を否定する。


「ニコラは心配性ね」


 アリスが優しく微笑む。


「私は大丈夫。でも悲しくなったら、話してもいい?」

「……いくらでも聞く」

「心強い。ありがとう! ふふっ!」


 商店街通りに戻ってくる。詮索はここまでだ。


(……異常無し)


 現状維持。アリスは、アリーチェは、今日も不毛な恋をして、不毛に笑う。


「にいさーん! 買ってきたわよー!」

「アリス! 止まれ!」

「へっ」


 ダイアンの言葉を聞き逃したアリスが、踏んづけた。


「にゃーーーー!!」

「ぎゃあああああ! カフェの猫ちゃん!! ごめん!!」

「にゃーーーー!!」

「ぎゃあああああ! 毛が逆立ってる! ごめんって! ごめんってばー!!」


 見てた商店街の人々がダイアンも含め、アリスと猫のやり取りに大笑いした。




(*'ω'*)



 13時。商店街通り。




 待機時間。果物屋のベッキーと、パン屋のフィオナと、カフェで働くエリサと、アリスとでチョコレートをつまみながら会話をする。


「昨日のオールナイト国家聞いた?」

「ねえ、キッド様のこと言ってたわよね! 土曜日だっけ? なんか西区の方でパレードやってたって」

「働いてた。見たかったわ」

「ふふふ! 私とニコラは見たもんね!」

「「えええええ!! まじ!!??」」

「どんな感じ? ねえ、アリス、どんな感じだったの?」

「もうね、素晴らしいわよ。感動よ。私、感動しすぎて気絶しちゃった……」

「分かる」

「キッド様に見つめられたら、もう駄目よね」

「とろけちゃう」

「私、手の甲にキスしてもらっちゃったの! ぐふふふ!」

「え!? アリス、本当に言ってる!?」

「ニコラちゃん、アリス、本当のこと言ってる!? 嘘じゃないの!?」

「……」

「あのね、キッド様があの看板でのこと覚えててくれたのよ。それで、久しぶりだねって……」

「「わお」」

「しかもね、それがキッド様のイベントの帰りでね!」

「アリス、行けたんでしょ!」

「いいなー!」

「私も行った!」

「あら、フィオナも行ったのね!」

「ふふっ! 予約取れたのよ……!」

「あれは時間との勝負よね……。私もニコラと一緒に行ったの」

「ニコラちゃんも行ったの!? いいなあ!」

「どんな感じだった?」

「……すごかった」


(主に、信者の熱気が……)


「また行こうね! ニコラ!」

「……ん……」

「ポーチも買えたの!」

「え! アリス買えたの!?」

「フィオナは?」

「私は無理だった……。人の多さに圧倒されたわ……」

「また次の機会があるわよ!」

「来月、リオン様のグッズイベントもあるのよ」

「魚屋のエマちゃん、あの子リオン様ファンですって」

「ハンサムだもんね! 気持ちは分かる」

「キッド様とは違う魅力を兼ね備えてるのよね……」

「二人が揃ったらきっと美しいんでしょうね……」

「月と太陽ってやつ……?」

「分かる。キッド様がクールなお月様で、リオン様がホットな太陽様……」

「はあ……考えただけでとろけちゃう……」

「……」


(見た目だけよ。どっちも)


 あたしはうんざりして、心の中で思う。


(キッドは顔だけ。蓋を開ければ腹黒ペテン師)

(リオンは顔だけ。蓋を開ければ正義感が強いだけのただの馬鹿)


 この国の王子は、ろくな人間ではない。


「ふっ! お国の王子様でとろけちゃうなんて、可愛いことを言うじゃないか。マドモワゼル達」


(ん?)


 あたしを含めた五人が顔を上げる。兵士のスーツを着こなしたヘンゼが涼しく微笑んでいた。


「やあ。まだ未熟の蕾ちゃん達」

「ヘンゼさん、こんにちは!」

「こんにちは」

「どうもです」

「ごきげんよう。ヘンゼさん」

「……こんにちは」

「見回りですか?」


 アリスが訊くと、ヘンゼが頷いた。


「ああ。お兄さんは街の安全を見張る兵士だからね。特に今日は、この商店街を見て回らないと」

「飾りがだいぶ進んできましたよ」


 フィオナが言うと、ベッキーが振り向き、驚いて指を差した。


「あれ見て! すごい!」

「「よいしょーーー!!」」


 大人数名が空気が入った巨大なお化けのバルーンを起こした。商店街通りの真ん中にそびえ立つ。


「おお、これはすごい」


 ヘンゼが拍手をすると、周りからも拍手が起きた。


「ずいぶんと飾りが進んだようでいるようだね」

「素晴らしいぞーーーーー!!」

「「きゃっ!?」」

「ぎゃっ!!」


 突然、ヘンゼの隣に現れたグレタに、あたし達が一歩下がった。グレタは大号泣し、大きな拍手をしている。それを呆れたようにヘンゼが見る。


「お前な、ちょっとは考えろ。見ろ。マドモワゼル達がお前のせいで引いているじゃないか!」

「素晴らしいバルーンだ! これを今感動せず、いつしろというのだ!! 素晴らしい!!」

「バルーンは確かに素晴らしいが、もっと素晴らしい子達が目の間にいる。どうだい、子猫ちゃん達、誰か三連休暇じゃないかい? お兄さんと遊ぼう。沢山愛でてあげるよ」


 ウインクするヘンゼに、四人が苦笑い。あたしはイラっと片目を痙攣させた。


(この双子は頭が痛くなる……)


 ぎいいっと双子を睨むと、ふと、アリスが顔を上げた。


「ん?」


 三人も顔をそっちに向ける。


「え?」


 四人がぽかんとしている。四人以外も、その方向にあるものに気付き、はっと動きを止めていた。


(ん?)


 あたしの後ろの先に視線が集まっている。商店街の出入口だ。あたしもつられるように振り返る。振り返ってそこにあるものを見る。


「……」


 大きな馬車を見て、黙る。


(……)


 眉をひそめる。

 ヘンゼとグレタがにやりとした。

 兵士が馬車の扉を開けた。

 中から、王子の姿のキッドが下りてきた。

 レディ全員が息を呑んだのが分かった。

 紳士全員が黙ったのが分かった。

 キッドが顔を上げて、さわやかな声を出す。


「お疲れ様です! 商店街の皆さん!」

「「キッド様ああああああああああああ!!」」


 レディと紳士の叫び声が入り混じった。あたしの周りの四人も大興奮で拳を握る。


「キッド様だわ!」

「きゃーーーー! 本物ーーーー!!」

「キッド様! かっこいい! キッド様あああああ!!」

「ニコラ、キッド様よ! キッド様だわ!!」


 アリスに肩を揺すられ、体を揺らしながら遠くにいるキッドを睨む。


(なんでいるのよ……)


 キッドが閉鎖された商店街の中へ入ってくる。外では人だかりが出来ている。中は絶叫の嵐。キッドの涼しい笑顔がレディと紳士の胸に矢を打ちまくる。

 三月の兎喫茶の前までキッドが歩き、屋根を見上げる。屋根にはサガンがいる。

 サガンが立ち上がり、メガホンを口の前に向けた。


『屋根の上から失礼致します。キッド殿下、見回りお疲れ様でございます』

「サガン・ティー・マァチ殿。どうもご苦労様です。無事に祭の準備が進んでいるようですね。皆さんの楽しそうな笑顔が見れて、私もハロウィン祭をとても楽しみに思います」

『有難いお言葉です』

「よろしければ、ご挨拶に回ってもよろしいですか?」


 あたしは無言で近くの看板の裏に隠れた。


『どうぞ。時間の許される限り。ご自由に』

「それでは、遠慮なく」


 くるりとキッドが振り返ると、目を輝かせた商店街の従業員だらけ。キッドが微笑んだ。


「皆さん、こんにちは」

「「こんにちはぁぁぁぁああああああ!!」」


 絶叫のような声を聞きながら、うなだれる。


(帰れ帰れ早く帰れ……)


「おや、挨拶しないのかい?」


 ヘンゼに看板を覗かれ、しゃがみこむあたしがヘンゼを見上げた。


「……見ないでくださる? ばれるでしょ」

「いいじゃないか。お兄さんと喋ろうよ」

「こっち見ないで」

「ふっ! 怒る君も可愛いよ。子猫ちゃん」


 ヘンゼがあたしに背を向け、あたしの隠れる看板に寄っかかる。


「『レオ君』の件についてお礼を言いに来た。ありがとう。会ってくれて」

「……別に」

「お陰であの方が元気になられた。またしばらく頼むよ」

「なんだか子守りみたい」

「何せ、結構繊細な方だから。ね? 仲良くしてあげてよ」

「あんたも相当な過保護ね」

「お兄さんは面倒見がいいんだ。ね? ニコラ、お兄さんとデートしよう」

「誰が」

「そろそろお礼をしてほしいな」

「何の」

「君を助けたお礼」

「いつ」

「三年前」


 ――きょとんとする。またヘンゼを見上げる。


「お兄さんはショックだよ。覚えてないなんて。ああ、ショックだ」

「……三年前?」

「随分みすぼらしい格好をしていたね。その前見た時はドレスを着ていたのに。お兄さんは何があったのかと思ってずっと見ていたんだよ」


 ヘンゼの口が動く。


「そしたら、君がお金持ちに目をつけて声をかけていた。働き口を探していると。急いで調べたけど、君の家が破産寸前なんて話も出ていない。だったら何故そんなことをしているのかを考えていた時に、君はとんでもない変態に遭遇した」


 小さな女の子に触るのが大好きな富豪のご老人に。


「覚えてなぁい?」


 ヘンゼがあたしを見た。


「お嬢様」


 口角を上げて見た。

 あたしもヘンゼを見た。

 その顔を見た。





 ――見つけましたよー!! お嬢様ああああああ!!!!


(……ん?)


 11歳のあたしが振り向いた先から、真っ青な顔で笑いながら全力疾走してくる知らない男が、老人に叫んだ。


「そこの紳士様! ちょっとお待ちを!」

「何ですかな?」


 男は老人の前で立ち止まり、老人の手からあたしの肩を掴み、自分の方へあたしを引き寄せた。


「失礼。貴方のような立派な方にお声をかけることをお許しください。私はサタラディアと申します」

「何っ、あの名家の? これは、また、おお、初めまして!」


(……サタラディア? 誰?)


 知らない若い男が『銀の髪の毛』を輝かせて、にこにこ微笑み続ける。


「こちらのお嬢様は、我々の親戚にあたるご令嬢殿でございまして、ご両親と喧嘩をされ、家を飛び出していたところなのです」

「ほう。なるほど、そうでしたか。いやぁ、……私はこのような恰好をされていたので、てっきり、お金のない可哀想な子かと……」

「ははっ! 全く、カモフラージュもいいところだ! この度はご迷惑をおかけして大変失礼致しました」


 銀の髪の男が、あたしを見下ろし、微笑む。


「さあ、お嬢様、帰りましょう」

「あんた、誰?」


 あたしが眉をひそめて訊けば、微笑んでいた男の顔が芝居がかかったように大袈裟に歪み、また芝居がかかったように大袈裟に頭を抱えて、ため息をついた。


「ああ、全く! お嬢様は困ったものですね! ご両親様ももう怒っておりませんので行きましょう! 紳士様、誠に申し訳ございませんでした」

「いえいえ、いいのですよ。では、私はこれで」


 老人がぺこりと頭を下げて、自分の馬車に乗りこんでしまった。


「え、ちょ、まっ……!」


 馬車が動き出す。あたしは必死に手を伸ばした。しかし男はあたしの手を離さない。


「ちょっと! あんた、何するのよ!」


 暴れてみても離れない。何度ももがいたが、男は絶対にあたしを離さなかった。


「……」


 あたしはそっと振り向いて男を見上げる。

 先ほどまで情けない顔をしていた男はまた何事もなかったかのように、にこにこと微笑み、じっとあたしを見下ろしていた。微笑む顔とは裏腹に持っている冷たい目を見た途端、あたしは悟った。


 ――こいつ、やばい!


 そう思ったあたしは、泣くことにした。


「びえええええええええええん!!! このおじちゃん怖いよぉー! ふええええええん!!」


 噴水前を歩く人々の視線があたしと男に向けられた瞬間、男が笑った。


「ふっ! 怖がらないでください! お嬢様! ほら! こんなところに苺ちゃん味の飴ちゃんが! 甘くてフルーティちゃんな飴ちゃんが! これを可憐な貴女に差し上げましょう!」


 その手を叩いて、あたしは男を睨んだ。


「うるさい! 触るな! 変態! このロリコン! あんた誰よ! 何者よ! よくも邪魔してくれたわね! 離してよ! 叫ぶわよ!!」

「ふっ! その豹変ぶり! 間違いない! テリー・ベックス様ですね!?」

「なんで名前知ってるのよ! いいこと!? 身元特定は犯罪なのよ! 警察、もしくは城の兵士に突き出してやるから!」

「はっはっはっ! 警察に兵士ですか。ほーう! それは、怖い怖い!」


 男は笑った。

 弟が警察だから笑った。

 自分が兵士だから笑った。

 あたしに笑った。


 今より若いヘンゼが、笑っていた。





「……」


 あたしは目を見開いた。

 ヘンゼがにんまりと微笑んでいた。

 あたしは思わず指をヘンゼに向ける。


「……あんた……あの時の……」

「ふっ!」


 ヘンゼが髪を梳いた。


「やっと思い出してくれたようだね」


 既に名乗っていた。

 ヘンゼル・サタラディアは、キッドの兵士だ。


「テリー・ベックスご令嬢、お綺麗になられて、私は嬉しいです。助けた甲斐がある」


 ヘンゼが看板の裏に入り、しゃがみこみ、あたしの指差す手を握った。


「キッド様の命令だったとは言え、見捨てず、貴女様を見つけられて良かった」


 ヘンゼは微笑む。


「三年ぶりの再会をとても嬉しく思います。ようやく俺は俺として声をかけれた」

「俺は貴女を見た瞬間に思いました」

「成長したら、きっと、それはそれは綺麗になるんだろうなと」

「蕾が芽吹き、花が咲き、テリーの花のように美しくなるのだと」

「だから見捨てず、助けておこうと」

「借りを作っておこうと」

「というわけで」

「ニコラ」

「14歳の未熟なリンゴの蕾ちゃん」

「お兄さんが全部教えてあげる」

「君を助けたお礼をいただこう!」

「お兄さんとデートしよう!!」


 あたしはその頬をぐーで殴った。ヘンゼが看板の裏から吹っ飛ばされる。あたしは立ち上がり、ぎろりとヘンゼを睨んだ。


「てめえが全ての元凶よ……! よくもあの時、あいつにあたしを突き出してくれたわね! 半年間あえて広場を避けていたのに! お前のせいで全部台無しになったのよ!!」


 ごきりと手を鳴らすと、ヘンゼが殴られた頬を撫でながら、涼しい笑顔で立ち上がった。


「ふっ! お陰で俺は出来る部下として、他の仕事を任された。それが今の役職というわけさ! そうさ。俺はヘンゼル。キッド様の部下であり、リオン様の部下でもある! 優秀な護衛兵とは俺のこと! ニコラ! 久しぶりだね! また会えてお兄さんは嬉しいよ! 成長した君はやはり美しい! きっともっと美しくなる! 今のうちにデートしよう!」

「ふざけんな! 全部お前のせいよ! お前なんかどっか行け! 顔も見たくない!!」

「兄さん! ニコラに何をしたんだ!」


 グレタが看板に近づいてヘンゼを怒鳴る。ヘンゼが嫌そうな顔をグレタに向けた。


「グレタ! お前には関係ないことだ! 今は子猫ちゃんを口説いている大切なひと時だ! どっか行け!」

「てめえが消えろ!」

「おっと、照れているんだね。子猫ちゃん。あの時と変わらず可愛いな。ふっ!」

「兄さん! ニコラが嫌がってる! 構ってほしいなら俺が相手になろう!」

「お前と話なんてしても何も楽しくないよ。俺はお気に入りのニコラの顔を眺めていたいんだ。さあ、行った行った」

「兄さん! そんなに寂しいなら俺と唄遊びでもして遊ぼう!」

「お前と唄遊びなんかしても何も楽しくないよ。どうせお前の唄にはお菓子の家が出てくるんだろ」

「お菓子の家が出てきて何が悪い! お菓子に罪はない!」

「うるさいんだよ! さっさとどっか行け!」

「兄さん!」

「グレタ!」


 グレタがヘンゼを見た。

 ヘンゼがグレタを見た。

 お互いが向き合って、ヘンゼの口から開いた。


「ゲットバイヘア!」

「ブラザー! カモン!」

「オーマイゴッド!」

「ノットオアシス!」

「ボンジュール!」

「ボンジュール!!」

「スィット!」

「トゥモロートゥモロー」

「「明日があるさ!!」」



「何やってるの?二人とも」



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