第3話 10月18日(2)


 じりりりりりりと、目覚まし時計が鳴った。


(……)


 じりりりりりりと、目覚まし時計が鳴る。


「……ん……」


 あたしの腕の中にいた奴が唸りながら起き上がる。ぱこ、と叩くように時計を止める。


「ん」


 ぐーーーっと伸びをして、脱力。ふああ、と大きな欠伸までして、口を閉じる。しばらくぼうっとして、あたしの体に手を置いて、揺らした。


「お姉ちゃん」

「……」

「朝だよ。お姉ちゃん」

「……るさい」


 寝返って背中を向けると、そいつが大きく溜め込んだ息を吐いて、あたしの体を揺らした。


「お姉ちゃん、朝」

「……」

「8時! お仕事遅刻しちゃうよ」

「……ん……」


 ゆっくりと瞼を上げる。ゆっくりと起き上がる。欠伸をする。


「ふああ」


 口を閉じる。頭を掻いて、ぼうっとすると、メニーに背中を叩かれた。


「起きる」

「分かってる……」


(眠い……)


 ぼうっとしながら髪を耳にかけると、メニーがきょとんと瞬きをした。


「ん? お姉ちゃん」

「何?」

「それどうしたの? 昨日あったっけ?」


 首元に貼った絆創膏を見て、メニーが訊いてくる。


「ああ」


 そっと触れて、あたしは忌々しげに俯く。


「夜中にふと起きて気づいたのよ。小さい虫に噛まれたみたいで……」

「……小さい虫に……」

「その後、巨大な虫に噛まれて……」

「……巨大な虫……?」

「仕方ないからこれで隠してるの。最悪。あたしの美しい肌が……」


 キッドとのやり取りを思い出して、ため息を吐き、目をメニーに向ける。


「……おはよう。メニー」

「おはよう。お姉ちゃん」


 寝起きのメニーがふにゃあと微笑んだ。あたしはメニーに訊く。


「寝れた?」

「うん」

「そう」


 あたしはベッドから抜けて、スリッパを履き、かけられたリュックに歩み寄った。チャックを開け、手を突っ込ませ、奥に入ったハンカチに包まれたそれを掴む。


「メニー」

「ん?」

「昨日、あんたが昼間に来なかったら忘れてたんだけど」


 あたしは腕を引っ込めた。


「これ、出来たわよ」


 ハンカチを広げて、メニーに差し出す。


「ん」


 掌にあるそれを見て、寝起きのメニーが瞬きする。


「……ん? 何これ」

「壊れたブローチのアレンジ」


 リサイクル。


「チョーカーにしてみたんだけどどう?」

「チョーカー?」

「貸して」


 チョーカーをメニーの首に巻く。小さなクローバーの石がぶらんと下がり、揺れ、それを軸にリボンを巻いて、うなじ辺りで金具同士を止める。手を離すと、メニーの首にクローバーの石が垂れたチョーカーが目立った。


「鏡見てみなさい」

「うん」


 メニーが鏡を見る。

 首元を見る。

 じっと見る。

 メニーの口角が上がった。


「可愛い」


 微笑んだまま、あたしに振り向く。


「なんか首輪みたい!」

「変な言い方しないの」

「ふふっ! 可愛い! リボンバージョンのネックレスだね!」


 メニーが再び鏡を見る。自分の首を見て目を輝かせた。


(……気に入ったみたいね)


 一旦、死刑への道は遠のいた気がする。


「メニー、朝ご飯にしましょう」

「お姉ちゃん、私の服、乾いてるかな」

「じいじが昨日洗濯してくれてたわね。暖炉の前にかけてくれてたし、大丈夫じゃない? 乾いてなかったらあたしの服でも着ていきなさい」

「うん。そうする」


 二人で部屋から出る。一階に下りるとテーブルに既にサラダが置かれており、じいじがキッチンから出てきて、あたし達を見た。


「おはよう。テリー、メニー」

「じいじ、おはよう」

「おはようございます」

「バタートーストを作った。朝からくどいか?」

「食べる」

「顔を洗っておいで」

「メニー。こっち」


 メニーの手を引っ張り洗面所に行く。狭い洗面所で二人で顔を洗い、棚に置いてあるタオルで顔を拭く。


「タオルは置いといて大丈夫?」

「ええ。あとでじいじが取り換えに来るから大丈夫」


 タオルを元の場所に戻してリビングに戻ると、テーブルに朝食が用意されていた。先に座ってるように促すとメニーが座る。あたしは立ったままメニーに顔を向けた。


「メニー、牛乳と果物のジュース、どっちがいい?」

「果物って何があるの?」


 訊かれて、あたしはじいじを見る。


「何あるの?」

「バナナ、リンゴ、ブドウもあるぞ」

「バナナミルクでも飲む?」

「飲みたい!」


 メニーがどこかわくわくしたように頷く。

 あたしはキッチンに行き、冷蔵庫からバナナと牛乳を出して、メニーの分とあたしの分を考えて、多めにミキサーに入れた。ボタンを押すとミキサーが動きだす。


「テリーや、持っていきなさい」

「はい」


 じいじからバタートーストが乗った皿を渡され、テーブルに持っていく。メニーとあたしの分を置いて、またキッチンに戻る。ミキサーの中で出来上がったジュースをグラスへ注いでいく。


「じいじは水?」

「ああ」

「分かった」


 冷蔵庫から水の入った容器を取り、グラスに注ぎ、また冷蔵庫に戻す。じいじにまた振り向く。


「キッドは?」

「11時から仕事と言っていた。まだ寝てるだろうさ」

「ならいいわ」


 トレイにグラスを置いて、三人分運ぶ。メニーはそれまでにサラダを三人分盛り付けていた。


「メニー」

「はい」


 メニーがグラスを受け取って自分の分とあたしの分を置いていく。あたしはトレイを端に置いてようやく座る。

 じいじが自分の分のパンを持ってリビングに戻り、椅子に座る。

 三人で食卓を囲み、手を握る。あたしが挨拶。


「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」

「いただきます」


 あたしとメニーがサラダから食べる。次はバタートースト。朝からバターも悪くない。あたしとメニーが一緒にもぐもぐ噛んで、飲み込む。あたしがバナナミルクを飲むと、メニーもバナナミルクを飲む。息を吐くと、メニーも息を吐く。

 じいじが微笑ましそうにあたし達を見つめた。


「メニーの迎えは?」

「リトルルビィと待ち合わせする時間帯に来るよう言ってある」

「そうか」

「今日は早めに出た方がいいかも。メニー、着替えて歯磨いたらすぐに行くわよ」


 メニーがもぐもぐしながら頷く。


「じいじ、メニーの着替えって乾いてる?」

「確認しておいた。乾いてるぞ」

「乾いてるって」

「……」


 メニーがごくりとトーストを飲み込んだ。じいじに微笑む。


「ありがとうございます」

「うむ」


(そういえば)


 ふと、思う。


(リオンと結婚してから、メニーはビリーに会ってたはずよね)


 キッドが14歳で亡くなったとして、その後ビリーはあの小さなログハウスから城に戻ったはずだ。この家に引っ越すことは無かった。


(もし関わっていたとして)

(メニーとビリーはどんな会話をしたのかしら)

(メニーはあたしのように悪いことはしないと思うけど、同じようにビリーの怖い説教を受けたのかしら)


 少し気になる。

 戻ることのない時間だけど、

 ありもしない記憶だろうけど、


(あたしが牢屋にいる時、じいじはどうしていたんだろう)


 キッドがいないこの世界で、スノウ様が亡くなった世界で、


(じいじはどうしていたんだろう)


 少し気になる。


「ご馳走様でした」

「ご馳走様でした」


 あたしとメニーが声を揃えて立ち上がる。


「お皿、どこに置いたらいい?」

「こっち」


 洗面台の中にお皿とグラスを入れる。


「私、洗う?」

「すぐ出るわよ。じいじ、お願いできる?」

「ああ。支度しなさい」


 メニーを連れて再び洗面所に行く。二人で歯を磨く。


「へひぃ、ひほくへいほうほひへ、はひはひははいひほ。ひっはひひはひははい」


 メニー、貴族令嬢として、歯磨きは大事よ。しっかり磨きなさい。


「はひ!」


 メニーが返事をして、しっかり磨く。あたしも磨く。

 コップで口の中をうがいして、ぺっと吐き出す。今日もあたしの口の中は美しく輝くのよ。


 二人で洗面所を出て、暖炉の前に干してあったメニーの服を持ち、二階に上がり、部屋に戻る。あたしがクローゼットを開き、その中に入ってたメニーのブラジャーのかかったハンガーを渡す。


「はい」

「ありがとう」


 メニーが受け取り、ベッドにワンピースドレスを置いて、着替えだす。

 あたしもクローゼットを覗き、考える。


(今日はどうしようか……)


 スノウ様に買っていただいたシャツと、パンツを穿いて、靴下、歩きやすい靴を履いて、鏡を見れば男の子のような格好だと思って、邪魔な髪の毛を二つのおさげにして、小指に指輪をはめて、少し女の子っぽくなって、ジャケットを着て、ミックスマックスのストラップが揺れるリュックを背負う。


 振り向けば、メニーも上着を着終わっていた。


「寝巻、どうしたらいい?」

「ベッドの上に置いておきなさい。帰ってきてからじいじに洗濯をお願いするから」

「分かった」

「お礼だけしっかりね」

「はい」


 メニーと二人で部屋から出て、一階に下りる。

 じいじがまだサラダを食べていた。

 メニーがじいじに頭を下げる。


「ビリーさん、一晩、お世話になりました」

「とんでもない。楽しい夜だった」

「服もありがとうございました」

「またおいで。いつでも歓迎しよう。だが、この家のことはどうかご内密に」

「はい。……あの、キッドさんにもお礼を」

「伝えておこう。行きなさい」

「……ありがとうございました」


 またぺこりとお辞儀して、メニーがあたしを見上げる。


「帰る」

「じいじ、行ってくる」

「馬車に気を付けての」

「はい」

「お邪魔しました。失礼します」


 お辞儀したメニーと一緒に歩き出し、リビングから出て、廊下を歩いて、玄関に行き、扉を開く。秋風があたし達に吹いた。前髪が上がる。


(……また風が冷たくなった気がする……)


「お姉ちゃん、今日のお昼なんだけど」

「サガンさんの所で食べるからいい。あんたは屋敷に戻って、ドロシーと遊んでなさい」

「……うん。お願い」

「行くわよ」


 扉を閉めて、二人で歩き出す。メニーがあたしの横を歩く。


「お姉ちゃん」

「ん」

「チョーカー、だっけ? ありがとう」

「別に」

「怖くなったら、これつけて寝るね」

「それつけて寝るのはやめなさい。寝づらいわよ」

「なんか本当に首輪みたい。ドロシーにもつけてあげようかな」

「あいつに首輪はやめなさい。大暴れするわよ」

「ふふっ。ドロシーね、ブローチのこと気にして隠れてたんだよ。可愛いの」


 僕は逃げたよ。と真剣な顔で言っていたドロシーを思い出した。


「きっとこれ見たら、ドロシーも安心すると思う。お姉ちゃん、ありがとう」

「もう壊すなって言っておきなさい」

「あ、裁縫のポーチ、持って帰れば良かったね」

「あたしがトランクに入れて持って帰るわ。どうせあと二週間くらいでこの生活も終わるんだから」

「そっか。分かった」


 メニーが歩きながら、あたしの服を見る。


「……それ、キッドさんのお下がり?」

「これは買ってもらったやつ」

「買ってもらったの?」

「スノウ様に」

「……あー」

「あたしは断ったのよ。……でもスノウ様がお買い物したいからって……」

「……あの、スノウ様、……優しいね」

「……」

「それ、汚して大丈夫なやつ?」

「……あたしは断ったのよ……」


 はあ、とため息をついて、メニーを横目で見る。


「メニー、枕にお菓子、忘れちゃ駄目よ」

「うん」

「ジャックはどこにいるか分からないわ」


 例えドロシーが守っているとはいえ、


「襲われたらお菓子を渡すのよ。いいわね」

「うん」

「今日は見た?」

「見てない」

「そう」


 キッドの家には、まだ来てないようだ。

 メニーはこれから、ジャックが暴れまわってるベックス家の屋敷に帰ることになる。


「メニー」

「ん」

「怖くなったら、歌いなさい」

「ふふっ。うん」

「大丈夫だから」

「うん」

「近いうちに解決するわ」


 それでも、会ってしまったら、


「キッドに会うことだけ伝えるのよ」

「分かった」


 メニーが微笑む。


「ありがとう」

「どういたしまして」

「お姉ちゃん、三連休のうちにお仕事ある?」

「いや、店の人が休みにしてくれた」

「じゃあ、三連休が終わったら、またお弁当渡しに来るね」

「……好きにおし」


 メニーが横でふふっと笑う。あたしは無表情で歩く。メニーも歩く。一本道を進み、建物が見えてきて、入って、建物を進み、人が歩いていて、道を進み、人とすれ違い、広場に入って、噴水前に行く。街から見える時計台の時計は、9時24分。リトルルビィはまだいない。代わりに、二人、見慣れた女性と少女が立っていた。


「メニー! テリー!」


 ドレスを着たアメリが手を振る。その横で、クロシェ先生があたし達を見て、微笑んだ。


「テリー」

「先生、お久しぶりです」

「トラブルがあったんですってね。メニー、大丈夫だった?」

「大丈夫です。……心配かけてごめんなさい」

「いいのよ。貴女が無事なら」


 クロシェ先生が微笑み、メニーの頭を優しく撫で、あたしを見た。


「どう? テリー。お仕事は順調?」

「色々学べてますが、ついていくのがやっとです」

「ふふっ。問題集も忘れずにね」

「……二冊残しちゃ駄目ですか……」

「評価によって今後の貴女の勉強法を考えます」

「……メニー、帰りなさい」


 メニーをクロシェ先生に引き渡す。メニーがあたしに振り向く。


「お姉ちゃん、本当にありがとう」

「ん」

「あら、メニー、これどうしたの?」


 アメリがじっとメニーの首を見下ろす。メニーが嬉しそうに微笑み、アメリにチョーカーを見せた。


「テリーお姉ちゃんがアレンジしてくれたの。ほら、壊れたブローチの……」

「え、これがあのブローチのクローバー?」

「うん」

「へえ。やるじゃない。テリー」


 アメリがにやっとした。


「何だったら私のリボンもアレンジして素敵なものにしてもいいのよ? 持ってこようか?」

「調子に乗るな」

「ふふふ! 良かったわね。メニー」


 アメリがメニーの背中を撫でた。


「ブローチ、テリーから買ってもらったものだったんだものね。何とかなって良かったわ」

「うん」


 メニーが嬉しそうに頷き、チョーカーに触れ、また微笑む。


「……お姉ちゃん、ありがとう」

「もう分かったから」

「テリーはこの後お仕事?」


 クロシェ先生に訊かれて頷く。


「はい」

「頑張ってね」

「ありがとうございます。頑張ります」


 クロシェ先生が一度あたしに微笑み、アメリとメニーを見下ろす。


「さあ、私達は帰りましょう」

「はーい!」


 アメリが元気よく返事をして、あたしに振り向く。


「じゃーね。テリー。また今度お店に行ってあげる」

「ん」

「お姉ちゃん」


 メニーも振り向き、あたしに手を振る。


「また、来週」

「ん」


 頷いて手を振ると、メニーがほっとしたように微笑み、前を向く。クロシェ先生もそれを見て、あたしに振り向き、再び微笑んで、三人で歩き出した。

 三人の背中を見送る。時計の針が動く。9時30分。教会の鐘が鳴った。見上げると、協会の鐘付近で子供たちが笑っている。教会の中からシスターが出てきて、上を見上げる。こら! まだ10時ではありませんよ! そんな声が聞こえると、子供たちが笑いながら鐘から離れた。シスターも呆れたように中に戻っていく。


「また悪戯してるんだね。あの子達」


 振り向くと、あたしの隣にリトルルビィが立っていた。にこりとあたしに微笑む。


「おはよう! ニコラ!」

「おはよう」

「今日は商店街の一部が閉鎖されるね」

「ん? そうだっけ?」

「そうよ。ほら、ハロウィンの飾りつけするって、奥さんが言ってたでしょ」

「……そうだっけ」

「ニコラ?」


 リトルルビィがずいっと顔を近づけさせる。


「……何よ」

「もしかして、ジャックに記憶を取られちゃった?」

「なわけないでしょう」


 はあ、と息を吐いて、


「色々あったのよ。んで、それが終わったところ」

「え? でも、今日はまだ一日が始まったばかりだよ?」

「……ええ、そうよ」


 あたしはうなだれる。


「始まって、終わったのよ」


 朝から疲れた。

 そして、これから仕事が始まる。


(第二ラウンド、開始)


 あたしの中で、鐘が鳴った。


「ところで、ニコラ。……なんでメニーの匂いがするの? いたの?」

「……どこから説明すればいいかしら」


 第二ラウンドが終わり、急に第三ラウンドの鐘が鳴った。



(*'ω'*)



 10時。商店街通り。



 ドリーム・キャンディを含む商店街が閉鎖され、店の従業員同士で道の飾りつけを行う。

 役員のサガンがメガホンを持って、三月の兎喫茶の屋根の上から、下にいる人々に指示を出していた。


『……右』

「サガン、右ってどっちだ!?」

『そこ』

「ここか!」


 飾り付ける。


『……左』

「サガンさん! 左ってどっち!?」

『そこ』

「ここね!」


 飾り付ける。


「サガンさーん! 私達はまだー!?」

『うるせえ。誰かアリスを黙らせろ』

「ひどーい!! もう手が痛いよー!」


 大きな垂れ幕を飾るらしい。アリスとリトルルビィとあたしは巨大な垂れ幕を頭上に持って待機していた。首に可愛いリボンを巻いたアリスが唇を尖らせて、あたしとリトルルビィに振り向いた。


「ねえ、これ一回下ろしちゃ駄目かしら? 腕がぷるぷるよ。見てこれ、ぷるぷる」

「……同じく」


 あたしの腕がぷるぷるぷるぷる。

 アリスの腕もぷるぷるぷるぷる。


「地面に下ろしたらサガンさんに怒られちゃうかも。もうちょっと頑張ろう?」


 そう言うリトルルビィは自らの腕を下ろして、義手だけで垂れ幕を持っていた。


(リトルルビィ……! あんた時々ずる賢いわね! 裏切り者!)


 チッと心の中で舌打ちをして、サガンの指示を待つ。サガンが口の前にメガホンを当てた。


『ジョージ、こっちじゃない。そっちだ、そっち』

「サガンさーん! そっちってどっちですかー! 貴方の左と僕の左は違うんですよー!」

「ジョージ君、そっちじゃなぁい?」

「あっ、こっちか!」

『違う』

「え? あ、そうか。分かった。こっちだな!」

「違うわよぉ。ジョージ君。こっちじゃなぁい?」

『違う』

「カリン、違うとさ」

「あらぁ、違ったのねぇ」

『おい、誰か説明してやってくれ。菓子屋の社員は皆、馬鹿すぎて駄目だ』

「ちょっとちょっと、サガンさんってば! 僕はともかく! 天然馬鹿なのはカリンの方ですよ!」

「あらぁ、私、天然馬鹿なんて初めて言われたわぁ。今までずっと天然ちゃんって呼ばれてきたのぉ。うふふ。『馬鹿』がついたってことは、ちょっとは人として成長出来たってことかしらぁ?」

「カリン、馬鹿の意味分かってる? 大丈夫?」

『はあ……。疲れる……。今日も頭痛がするのはお前達のせいだ。……おい、お前ら』

「僕ですか?」

「私ですかぁ?」

『とりあえずそっちに行け』

「右ですか?」

「左ですかぁ?」

『……はあ……』


 ため息を吐くサガンの顔を見て、アリスが眉をへこませた。


「サガンさん、大変そう……」

「ジョージさんとカリンさんが上手い具合にコントしちゃってるね。ああ、大変そう……」


 アリスとリトルルビィが哀れみの目をサガンに向け、アリスの目玉がふらふらと周辺に動きだす。


「ここの飾りが終われば、ダイアン兄さん達がイルミネーションの準備するんだって! ほら、あそこで待機してる!」


 アリスが遠くにいるダイアンと、その他の関係者達に顔を向ける。ダイアンがアリスに気付き、手を振った。アリスが微笑み、あたし達に振り向く。


「ふふっ! 楽しみね!」

「時計台もイルミネーションの電球ついてたよ!」

「おお! 時計台まで!? きっと綺麗なんだろうなぁ!」


 リトルルビィの情報に、アリスが目を輝かせる。


「お化けのためのハロウィンが、まるで光り輝く明るいものになるのね。ああ! きっとキッド様も大喜びよ! 街がキラキラ光って、感動されるに違いないわ!」


 イルミネーションで街がキラキラ。お化けの目もキラキラ。人の目もキラキラ。キラキラ光るハロウィン祭の絵が、あたし達三人の頭に思い描かれた。


 アリスがあたしに声をかける。


「ニコラは知り合いと歩くんだっけ?」

「……ええ」

「リトルルビィはメニーと?」

「うん!」

「仮装は決まった?」

「あたしは決まった」

「えっ!」


 リトルルビィが振り返り、大きな目をあたしに向けた。


「ニコラ、何着るの?」

「秘密」

「リトルルビィは?」


 アリスが訊くと、リトルルビィが口ごもった。


「ひ、秘密!」

「アリスは?」


 あたしが訊くと、アリスがにやりとした。


「ひ・み・つ」

「三人とも、当日を待てってことね」

「皆の仮装楽しみ!」


 リトルルビィがふふっと笑うと、アリスも笑った。


「私の仮装を見て、度肝を抜かすなよ。二人とも。ジャックもびっくりしちゃうんだから。馬子にも衣裳よ」

「アリス、難しい言葉使えば頭がいい子に見えると思ってない? 理解して使わないと意味が無いって、私の先生が言ってたよ?」

「リトルルビィ、それは遠回しに私が頭悪い子って言ってない?」

「うん!」

「この小娘!」


 アリスが土を蹴飛ばし、リトルルビィに砂をかけた。


「何するのよ!」


 リトルルビィが土を蹴飛ばし、アリスに砂をかけた。アリスもまた土を蹴飛ばしリトルルビィに。リトルルビィもまた土を蹴飛ばしアリスに。


「このこのこのこの!」

「このこのこのこの!」

「リトルルビィ! 頭がいいと思ってるのなんてね、今のうちだけよ! 15歳のお勉強はそれはそれは本当に難しいんだからね!」

「アリスは授業中寝てるからでしょう!」

「なんで私が居眠りこいてるって知ってるのよ! 覗きか! 覗いてるんだな! そんなに私が好きか!! 好きなのか!!」

「ちょっと二人とも……」


 あたしがようやく声をかける頃、砂埃が大きくなった。


「やめ……げほげほっ」

「きゃっ! 砂に目が入ったわ! げほげほっ」

「アリス、それを言うなら『目に砂が入った』じゃない? げほげほっ」

「いたた! ニコラ、目が痛いわ! ちょっとたんま! げほげほっ」

「ちょ、アリス! 手を離すんじゃないの!」

「え、わっ!!」


 巨大な垂れ幕が一気に三人にのしかかる。


「ぎゃあああ!!」

「わああああ!!」

「ひゃあああ!!」


 あたしとアリスとリトルルビィが悲鳴をあげて地面に倒れた。垂れ幕の中にて、三人でもがく。


「で、出口はどこ! ニコラ! リトルルビィ! 出口がないわ! 真っ暗だわ!」

「あるってば! げほげほっ!」

「ちょっと待って! 閉じ込められて砂埃が! げほげほっ!」

「ニコラは私がまもっ……げほげほっ!」

「リトルルビィ! 無理するんじゃ……げほげほっ!」

「こっちかな? いたっ! げほげほっ!」

「いたっ! げほげほっ!」

「きゃっ! ニコラにお尻触られちゃった! げほげほっ!」

「リトルルビィ、不可抗力よ。げほげほっ!」

「閉じ込められたー! サガンさん! 閉じ込められちゃったー!! げほげほっ!」


 垂れ幕の中でもがくあたし達を見て、周りから笑う声が聞こえる。サガンが静かに口の前にメガホンを当てて喋った。


『小娘三人、ここは預かり施設じゃねえぞ』

「げほげほっ!」

「げほげほっ!」

「げほげほっ!」

「はっはっはっ! 全くしょうがないね!」


 奥さんの笑い声が聞こえたと思ったら、ぴらっと布が開かれた。一筋の光が見える。


「三人とも、出ておいで」

「ああ、奥さん、助かりました……!」


 アリスが出て、リトルルビィが出て、あたしが出てくる。

 三人でげっそりと、地面に広がった垂れ幕を見つめる。

 アリスが咳払いしながら呟いた。


「とりあえず……ぐふんっ! 垂れ幕持たないと。ニコラ、そっち行って、端持って」

「分かった」

「リトルルビィ、そっちの端持って」

「御意!」

「私はこっち」


 三人で垂れ幕の端を持って地面から浮かせる。サガンが辺りを見て、あたし達にメガホンで声をかけた。


『おら、動け。三人。その垂れ幕はあっちだ』

「サガンさんってば、人遣い荒いんだから!」


 初めて指示を出したサガンに、アリスが文句を言った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る