第8話 10月3日(2)


 14時。


 午後から奥さんが出勤し、あたしは品出し要員となる。二階の品出しをアリスと行い、ぱんぱんに膨らんだふくろはぎを撫でた。


(痛い……。立ち仕事、辛い……)


「ねえ、お嬢ちゃん、ちょっといい?」


 声をかけられて振り向く。清爽なおばさんがいて、あたしは返事をした。


「はい」

「店員よね?」

「はい。そうです」

「人にあげたいんだけど、そういうお菓子ってどこかしら」

「ああ、一階になります。こちらです」


 客と一緒に歩き、品出ししていたアリスと一瞬目が合い、あたしが逸らし、アリスも逸らし、品出しに戻る。あたしの後ろには客がついてくる。初日にアリスに教わった棚まで、要望通り客を誘導する。


「こちらになります」

「これだけ?」

「はい。棚にあるものだけになります」

「あら、そうなの……」


 客がちらっとあたしを見る。


「取り寄せたり出来るのかしら?」

「……お取り寄せ、ですか?」

「ほら、私が注文してお店が取り寄せるのよ」

「……すみません。ちょっと確認しますね」


 カウンターにいる奥さんに小走りで訊きに行く。


「奥さん、あの、分からない対応がありまして……」

「ん?」

「お取り寄せ出来るのかって……」

「そういうサービスはやってないんだけどねえ……」


 奥さんが立ち上がり、あたしに訊く。


「お客さんは?」

「あちらの人です」


 奥さんが客の元へ行き、愛想笑いを浮かべる。


「ごめんなさいねえ。うち、そういうのやってないんですよ」

「いいじゃない。お金なら払うからお願いできない?」

「いえ、他のお客様にも遠慮してもらってるんで、すみませんね」

「お願いしてるのにやってくれないの? ねえ、どうして出来ないの?」

「ごめんなさい。そういうサービスはやってないんですよ」

「でも、他のお店ではやってくれたわよ?」

「あ、でしたらそっちでお願いしてもらっていいですか? うちはやってないんですよ」

「お金なら払うって言ってるでしょ。どうしてやってくれないのよ」

「いえ、ですから、うちはそういうサービスやってないんですよ。すみませんが……」

「ちょっと、何よ。その言い方」

「ああ……」


 奥さんが苦い顔で微笑み、あたしの体を押した。


「ニコラ、レジお願いしてもいい?」

「……はい」


 頷いてレジカウンターに行くと、だいぶ離れたレジ前でも、二人の会話が聞こえてくる。どんどん客の声が大きくなっていく。


「お客様に対してその言い方は何なのって言ってるのよ!」

「そんな虐めないでくださいよ。うちではそういうサービスやってないんですって」

「お金なら払うって言ってるでしょ!」

「他のお客様にもお断りさせてもらってるんで」

「だから、その言い方は何なのよ!」

「ええ、すみませんねえ。口が悪くて申し訳ないです」


 カウンターの中で、不思議に思う。


(なんで奥さんが謝ってるのかしら)


 出来ないことを頼んでいるのは客だ。この店ではそれはやっていない。奥さんは、この店ではやっていないから出来ませんと説明しているだけ。それだけで、なぜ奥さんがこんなに怒られてるのだろう。


 そんなことを思いながら、その会話を聞く。


「ねえ! 責任者呼んでよ!」

「ああ、一応ここの社長の嫁は私になりますね」

「貴女ね、本当にその言い方どうにかした方がいいわよ!」

「はあ。すみませんねえ」

「心がこもってない! ちゃんと謝ってよ!」


(謝ってるじゃない)


 奥さん、ちゃんと謝ってるじゃない。最初から、ごめんなさい。この店では貴女の求めるサービスはやってないって断ってるじゃない。


(心がこもってないって、何?)


 あれが客って言えるの?

 出来ないことをその店に強要してくるのは客なの?


 奥さんは出来ないって説明してる。それを、話を変えて、その言い方が気に入らないと怒ってる。論点がずれてるじゃない。なんでそんなこと言うの?


「すみませんねえ」


 なんで奥さんが謝ってるの?


「もういいわよ! ふんっ!」


 怒ったおばさんが店から出ていく。奥さんがはーあ、とため息を吐いて、カウンターに戻ってきた。


「あーあ、やっと出て行ってくれたよ。悪いね、ニコラ」

「いいえ」


 レジの担当を、奥さんと変わる。


「どうなりました?」

「なんかねえ、私もよく分かんないよ」

「よく分かんないのに、謝ってたんですか?」

「よく分かんないから、店から出てってもらうために謝るのさ。言葉だけね」


 奥さんがあたしに微笑む。


「あんなの客じゃないよ。今の顔忘れないでね。また来たら追い出してやる」


 がはは、と奥さんが笑った。


「うちの店はやれないことはやれないのさ。昔はそんなこと無かったんだけどね、最近は我儘な人が増えたもんだよ。全く! あのおばはん、きっと他でもやってるんだろうね。だからうちに来たのさ」

「そうなんですか?」

「だって他で頼めるなら、そっちでやってもらえばいいでしょ?」


 他で断られたから、うちで無理矢理頼もうとしたのさ。


「全く、出来ないもんは出来ないってば。それを言い方がどうだこうだで話をすり替えて馬鹿みたいだよ。あのばばあの首、思いきり絞めてやりたかった」

「それ、奥さんは何も悪くないですよね」

「悪いもんか。悪いのはあのばばあの方さ。いい年こいて呆れるね」

「なのに、謝ったんですか?」

「あのね、ニコラ。客ってのは、聞きたい言葉を聞ければ満足して出ていくのさ」


 まあ、あれは客じゃないけどね。


「なんかあったら、すぐに助けを求めなさいよ。私がいれば対応変わるから」

「はい」

「よしよし。じゃ、持ち場に戻って」

「ありがとうございました。奥さん」

「いいってことよ!」


 奥さんが笑って、雑誌を手に取った。あたしも持ち場に戻るために、階段を上る。


 ……そして、考える。


(あたしはどうだったかしら)


 一度目の世界で、どんな風に買い物をしていただろうか。


(変な注文して、文句ばかり言っていた気がする)


 でも思い出せない。


(思い出せない)


 思い出せないのだ。つまり、思い出せないくらい、くだらなくて、大したことのない内容なのだ。


(でも)


 さっき怒鳴られてた奥さんの姿は、よく覚えている。頭から離れない。

 あたしが理不尽なことを言って困らせた店員の顔はまるで覚えていないのに、怒られてた奥さんの顔は、鮮明に覚えている。


(変なの)


 胸がどこか、もやもやする。


(変なの)


 リトルルビィが、昨日言ってた。

 ――自分が経験してようやく周りが見えてくる。


(ああ)


 これか。


(ああ)


 なんか、やっぱり、


 ――お客さんって理不尽よ。本当に理不尽。ルールを破ってるのはあいつらなのに、そのルールを破ってる人達のせいで、ルールを守ってお買い物に来てくれてる人達までそういう目で見られるのよ。害悪反対!


(……胸が痛い)


 リトルルビィと、アリスの言葉と、奥さんの謝ってた姿を思い出して、あたしは品出しの作業を始める。その横に、アリスが箱を持ってきた。


「そこの棚やるなら、この商品お願いできる?」

「……ええ。やっとく」


 頷くと、アリスが微笑んだ。


「美味しいのよ。これ」

「甘いの?」

「すっごく甘いの。ニコラもお小遣いで買ってみたら?」

「美味しいなら買おうかしら」

「美味しいわよー? 嫌なことも忘れるくらい」


 アリスが微笑む。


「すっごく甘くて美味しいの」


 店内には、甘いお菓子の匂いが充満していた。





(*'ω'*)




 16時。



 出勤時間が終わる。三人で奥さんとジョージに挨拶をして、店から出た。


「わあい! 学校休みだー! 家帰ってごろごろしよっと!」


 アリスが満足そうに微笑みながら、あたし達に手を上げる。


「じゃあ、私こっちだから」

「うん! また明日ね! アリス」

「ばいばい!」


 微笑むリトルルビィと無表情のあたしに手を振って、ふと、アリスがあたしの顔を見て、にこっと笑って、あたしの頭をぽんぽんと撫でた。


「また明日ね! ニコラ!」

「……ええ。また明日」


 返事をすると、アリスの手があたしの頭から離れ、元気に帰り道を走り出す。その後ろ姿を見送り、リトルルビィがあたしを見上げる。


「私たちも帰ろう?」

「ええ」


 頷いて、噴水前に向かって歩き出す。


「なんか、今日は変なお客さんが多かったね」


 リトルルビィが不満そうな声を出した。


「ニコラ、午後は大丈夫だった?」

「あたしは大丈夫だったけど、奥さんが。出来ないことをやってって言う人がいて、対応が大変そうだった」

「あー……いるのよねえ。そういう人」


 リトルルビィが苦笑した。


「なんで出来ないのにさせようとするんだろう? 自分でやればいいのに」

「面倒なんでしょ」

「お金あるなら、もっと対応してくれるところあると思うんだけど……」

「何言ってるのよ。お金持ちがこんなちんけな商店街に来るわけないでしょ」

「ん?」


 リトルルビィが眉をひそめる。あたしはそれを見下ろす。


「文句言う奴に限ってエセ金持ちよ。わかる? 似非よ。似非。似て異なるものよ。貴族ならこんな安いところで、あんな安っぽい文句言わないわ。文句を言う時はね、当たり前のことが出来てないのに、失礼な態度で向かってきて、商品を売ってくるからこっちも文句が出るのよ」

「結局、お金が発生するから文句に繋がるのよね」

「当たり前のことが出来てない店に文句言うなら分かる。でも、奥さんはその人に当たり前に説明してた。細かく説明してたわ。それをその言い方がどうだこうだって怒ってた。何をそんなに怒る必要があるわけ?」

「イライラしてたのよ。きっと」

「二度と来なきゃいいのよ」

「でも来るのよね」

「なんで?」

「住んでる所が近いんじゃない?」

「また来るのに騒ぎを起こすわけ? いかれてるわ」

「ふふっ。ハロウィン前だもん。悪いことが起こりやすいのよ。ニコラ」


 人がイライラしたり、不機嫌になるのも、


「ぜーんぶ、ジャックの仕業かも!」


 リトルルビィがおどけたように、笑った。


「そう思えば、少しは気が晴れるって、前にキッドも言ってたよ」

「……どうかしらね」


 それがジャックのせいだと言うのなら、あたしは人の心を惑わすジャックを憎むわ。

 噴水前にたどり着き、リトルルビィが歩き出す。


「じゃあね、ニコラ、また明日」

「ええ」

「……あんまり、気にしないでね」


 リトルルビィがあたしに微笑んだ。


「しょうがないのよ。接客業だから」


 リトルルビィが、あたしに手を振った。


「明日も頑張ろうね!」

「……気をつけて帰りなさいよ」

「うん!」


 リトルルビィが帰り道を歩いていく。あたしはその背中を見つめる。あたしよりも仕事の大変さを知っているリトルルビィを見送る。


(涼しい顔なんか、出来ない)


 胸がもやもやする。


(あたし、どんな客だったかしら)


 思い出そうとするけれど、思い出せない。


 普段のことが思い出せない。

 普通だったことが思い出せない。

 迷惑をかけていたのか思い出せない。

 迷惑だと思われていたのか思い出せない。

 スノウ様はどんな買い物をしていたっけ。

 スノウ様は店員さんに笑顔でお礼を言っていた気がする。

 あたしはどうだったっけ?

 無視していなかったっけ?

 誰かの誕生日プレゼントを買う時はどうだったっけ?

 好きなものを買う時はどうだったっけ?


(あたし……)


 10歳で記憶が戻った時に、思ったわ。


 死なないために、死刑を回避するために、くだらないプライドは捨てて、ドレスを着るために、幸せになるために、どんなことをしてでも、


 人に嫌われないように、しようって。


(だから、ばらばらの家族の理解を得て、メニーを家族にしたんじゃない)

(だから、使用人を助けるために、紹介所を作ったんじゃない)


 今のあたしはどうだろう?


(ちゃんと、当たり前のことが出来ているのかしら)


 当たり前のことをしていれば、死刑になんてなったりしない。妹も虐めてない。でも、正直、アリスと話が噛み合ってない瞬間があった。


 ――まあ、でも……客は、お金払ってるわけだし…。

 ――甘いわ。ニコラ。私達がお金さえ貰えれば、何でも応えると思う?


「……」


 あたしだったら応えない。


(だって、店でやってないことは、出来ないもの)


 お菓子屋なのに、焼き肉は無いの? と訊かれても困る。どうして無いの? と怒られても困る。何とかしてよ! と言われてもどうにも出来ない。


(当たり前よ。店が違うのだから)


 当たり前なのに、当たり前が通じない客がベックス家だった。


「……」


(あたし、決めたわ)


 難しい注文をする時は、一度店の人に出来るか訊いてみましょう。出来るのであれば頼むし、出来ないのであれば諦める。


 それが当たり前のことだ。


(……裁判で話も聞いてもらえないわけよね……)


 ――さあ、仕事の話題はここまでだ。


(切り替えるわよ)


 無理矢理、スイッチを切り替える。


(本題よ)


 今日は、南区域を歩こう。


(住宅地なのよね)


 栄えている中央区域、北区域と比べて、南区域は少し寂れている。店が少なく、家賃も比較的安いため住んでいる人が多い。それと、学校も多い。専門の学校もあるため、そこに通う人達もいる。だから若い住民が多い区域だ。そうね。美術館や博物館もあるから、芸術家も住んでいる人が多い。ほら、芸術家って貧乏任が多いから。


 道を歩くと、仕事終わりなのか、学校帰りなのか、帰宅する人達とすれ違う。同じルートをたどり、逆のルートを行く。


(ここはどうだったかしら?)


 あまり来た記憶がない。お店も少ないし。


(確か、大きな公園がどこかにあったっけ……?)


 歩いていると、とある橋を見つける。


「ん」


 この橋はハロウィンの飾りが施されていた。まだ作業が続いており、小さな電球を大人達が設置している。端からじっと眺めていると、


「時間ある?」


 横から声をかけられ、驚いて振り返る。黒髪の、作業服を着ていた若い青年が、あたしに微笑んでいた。


「あと二分くらいだ。ここの橋が変身するよ」

「変身、ですか?」

「うん」


 にこりと微笑んだ青年が、わくわくしたようにあたしに腕時計を見せた。


「ほんのちょっと、もうちょっとここにいてごらん」


 青年に言われた通り、しばらくここに立って、橋の傍で何かを確認する大人達の様子を見る。


「時間だ」


 青年が声を出す。


「どうぞ!!」


 青年が大声で合図すると、橋に設置された小さな電球がぴかっと光った。


(わっ)


 寂れた区域に、輝く橋が出来上がる。


(イルミネーションだ。クリスマスみたい)


 うっとりしてしまうほど、綺麗な橋に変身した。


「どうだい? すごいもんだろ?」


 青年が誇らしげにあたしに言ってくる。あたしも頷き、青年を見上げた。


「ええ。あの、すごいです」

「どんどん飾りを施していくんだ。中央区域の噴水通り、あそこにも飾っていくよ。あと商店街もね。ハロウィンの夜は街灯をつけないんだ。だからこんな風に飾ったイルミネーションや、ランタンの光が、君達の命綱になるってわけさ」

「へえ。それは面白そう」

「ふふっ。初めてのハロウィンの祭りだからね。さて、俺達はそろそろ行くから、気が済むまで橋を見ていくといい。でも暗くなる前に帰るんだよ。君のような可愛い女の子は、切り裂きジャックに狙われてるかもしれないからね。気をつけて」

「ええ。ありがとう」

「どういたしまして」


 青年が微笑み、あたしの傍から離れ、作業していた大人達に向かって歩いていく。


(そういえば、そうだった)


 ハロウィン祭では、皆、おばけに仮装してランタンを持つ。確かに、今までは明かりが少なかった気がする。ランタンを持ってる大勢の人達から離れたら、自分が持ってるランタンが道しるべを見せる唯一の明かりとなる。


(なるほど)


 イルミネーションか。


「いいものが見れたわね」


 中央区域には、まだ設置されていないはず。


(今日、見つけた変化と言えば、これくらいかしら)


 橋のイルミネーション。


「まさか、アリーチェって、イルミネーションに爆弾を仕掛けたわけじゃないでしょうね」


 建物が損傷していたことを思い出す。爆弾があったとすれば、似た形で設置していたのかもしれない。


「……ま、ここには無いと思うけど……」


 そもそもアリーチェは、まだ何も考えていないのかも。何かをきっかけに、数日前に動くのかもしれない。


「異常なし」


 呟いて、


「もうちょっと歩いてから、帰ろうかな」


 あたしは光り輝く橋を、渡り始めた。




(*'ω'*)




 18時50分。


 がちゃりと、リビングの扉を開けた。

 中に入れば、テーブルに山のように積まれた葡萄から、実を一つずつ取っているじいじがいた。あたしの姿を見て、頬を緩ませた。


「お帰り、ニコラや」

「ただいま。じいじ」


 葡萄をじっと見る。


「……何やってるの?」

「サラダを作ろうと思ってのう。良かったら手伝ってくれんか?」


(この人、見て分からないの? あたし疲れてるんだけど……)


「ニコラや?」


 あたしは微笑んで、じいじに頷いた。


「じいじと葡萄の実取りなんて素敵」

「手を洗ってきなさい」

「はーい」


(……面倒くさいわね)


 リュックをソファーに置いてから、さっさと手を洗いに行き、リビングに戻り、良い子のニコラちゃんはじいじの正面の椅子に座って、作業を一緒に行う。葡萄の実を取って、お皿に移すだけの簡単な単純作業。


「これが終わったら食事にしよう」

「それを聞いてやる気が出た。早く終わらせましょう」

「今日の仕事はどうだった?」


 訊かれて、一瞬顔をしかめてじいじを見ると、じいじがきょとんとした。


「なんじゃ?」

「どこから話したらいいもんかと思って」

「ふぉふぉふぉ。ゆっくり話してごらん」

「そうね……」


 じゃあ、午前中の話から。


「貴方と同じこと言ってた人がいた」

「同じこと?」

「昨日、レジの練習したでしょ? あれで、じいじが怒りん坊でやった人が、今日いたの」

「ほう!」


 じいじが目を見開き、にやりと笑った。


「おったか! ふぉふぉふぉ!」

「笑い事じゃないわよ。その人、泥棒だったみたいで、リトルルビィがその現場を見つけて、キッドの部下に通報してたわ」

「お前がレジをやったのかい?」

「そうよ」

「私と同じことを言ったのか」

「怒鳴ってきたわ。いくらじゃ! って飴をカウンターに投げてきたのよ。あの時点でまだ買ってなかったのに。そこでもうイラっときた」

「それで?」

「びっくりして、じいじの言われた通り、冷静を装って対応した。そしたら同じこと言われたの。怒鳴りながら年齢を訊いてきて、答えたら『やめちまえ』。で、怒らせることしちゃったかしらって思ってたら」

「捕まったか」

「ええ。リトルルビィもよく見てたものね」

「あの子はよく連絡してくれるんじゃ。店のものを盗まないか、おかしな客をマークしとるようだ」

「あたしより小さいくせに、よくやるわよ」

「怒鳴られた感想は?」

「レジが嫌いになった」

「怒られるのも仕事じゃ」

「それ、なんだけど」


 じゃあ、午後の話。


「社長の奥さんがね、出来ない対応をしてくれって頼みこんでた人に怒られてたの」

「ほう」

「でも、出来ないものは出来ないから、出来ませんって説明したの。話をする前から謝ってた。ごめんなさい、そういうサービスは出来ません、って。そしたら急に話をすり替えてきて、その言い方は何なの。謝りなさいって言い出して」

「ほう」

「奥さんはずっと笑顔だったわ。説明も細かくしてた。でも、それが気に入らないって。出来るだけのことはしていたはずなのに」

「それで? その客はどうした?」

「奥さんが何度も謝って、出ていった」

「ほう」

「なんで謝ったか訊いたら、謝ったらその人が満足して店から出ていくだろうから謝ったって、奥さんが」

「そうじゃのう。従業員にニコラみたいに若い子達もいたことだろうし、いつまでもいられたら迷惑じゃ。その対応が正解かもな」

「でもじいじ、なんで奥さんが怒られるの? 出来ないことを出来ないって当たり前のことを説明しただけなのに、なんで怒られなくちゃいけないの?」

「不満だから怒ったんだろうさ」

「店に不満を持ったのなら、別の所に行けばいいじゃない」

「そういう輩は別の所でも似たようなことをしているのさ」

「迷惑よ」

「そうじゃのう」

「なんでやめないんだろ」

「迷惑だと自覚がないからじゃ」

「なんで?」

「注意してくれる人が周りにいないんじゃ」

「でも、お店の人が迷惑がってたら、分かるんじゃないの?」

「分からないのさ、ニコラ。考えてみなさい。店の人は物を売っている。客はその商品を求めて金を払う。金は生きるために必要なものじゃ。客というのは、その人達に生きるために必要な金を払ってくれる人。だから金を渡しさえすれば、必要以上のサービスをしてくれるだろうという考えを持っている阿呆がおるのさ」


 そうだよ。確かに、我儘を聞いてくれる所はあるだろうさ。でもそれは当たり前のことが出来てる客に限って。その人が『客』であればの話じゃ。客というのは大事なものだ。自分達の商品やサービスを求め、評価をしてくれる大切な存在じゃ。客が自分達を求めているのであれば、誠意を込めて応えてあげなさい。


 けれど、


「『客』じゃないのであれば」


 そうじゃな。


「店から酷い対応もされるさ」


 客じゃないからのう。


「それはただの迷惑人じゃ」


 客じゃない。


「でも本人は客だと思ってる。大切な客の自分にサービス以上のサービスをしろと」


 それをサービス出来ないと全員に言われたら、


「意味が分からないだろう」


 結局、


「気づかないのさ。自分が当たり前のことが出来ていない人間であることに」

「……」


 黙ると、じいじが葡萄の実を取って、皿に乗せた。


「それ、どっちも理不尽じゃない?」

「うん?」

「子供と一緒よ。悪いことはしちゃ駄目。人に理不尽な迷惑をかけちゃ駄目。そう言われて育って、大人になって、それが分かってる人がいて、駄目なことを駄目と教わらず育って、大人になった人は、駄目だと気づかないわ。誰かが言わないと」

「でも、誰もいないのさ」

「どうして?」

「そういう人間関係しか築けなかったのだろう」

「理不尽だわ」

「だとしても、そういう人もいるのさ」

「なんで言わないの?」

「言う人がいないからさ」

「なんで言われないの?」

「言う人がいないからさ」


 だから孤独になっていくのさ。


「……」

「友達を大切にのう。ニコラや」

「ええ」


 少なくとも、今のあたしには、間違えそうになったら正してくれるドロシーがいるわ。リトルルビィだって、ニクスだっている。


「ニコラや」


 じいじが葡萄の実を取りながら、口角を上げた。


「この一ヶ月、そういう輩はうんざりするほど来るぞ。客というのは我儘じゃからのう」

「口答えできない店員に酷いことを言うわけ?」

「口答えが出来ないからこそ言ってくるんじゃ」

「理不尽ね」

「理不尽さ」

「どうしたらいいかしら?」

「そういうことしか出来ない人間だと受け入れて、冷静な態度でいなさい。分からない対応であれば、すぐに確認しますと言って、分かる人に訊くんじゃ」

「じいじは仕事で、理不尽なことされた?」


 じいじがあたしに顔を上げて、


「嫌になるほどな」


 あたしにウインクした。


「会議での文句はすさまじいぞ。人と人が常に会話をするところじゃ。あいつがどうだこいつがどうだ。だから事がうまく進まないと人のせいにしたがる。うまくいかないと国民に怒られる。自分のせいじゃないのに、自分のせいにもされる。紹介所だってそうじゃ。ジェフのクレーム対応はすごいぞ。どんな理不尽なクレームであっても誠実に対応し機転を利かして臨機応変に動く。仕事を紹介するという例のない職場だからこそ色んなこともあるが、ジェフは責任者として、『社長』の代わりによくやっとる」

「……紹介所でも、そういうのはあるのね」

「今度ジェフに訊いてみるといい。こういう時はこういう対応という知識を学べるかもしれん」

「そうね。出来る対応があるなら、ぜひ学びたいわ」

「多かったかい? 客じゃない客は」


 あたしは考え、首を振った。


「その二人だけかしら。今日のところは」

「ああ。そうだ。所詮そんなものじゃ。一日に、たった一人、二人、いるかいないかじゃ。だったらそんな一人二人に構うよりも、他に買い物に来てくれた客に良い顔で帰ってもらうために、丁寧な接客を心掛けていた方が、有効な時間の使い方じゃぞ」

「……確かに」


 葡萄から、実をもぎとった。


「確かに、じいじの言う通り、大暴れしてくれたのはそのご老人と、清爽なおば様だけだったわ。思い出すのも時間の無駄って分かってる。でもね、嫌なことって頭から離れないものよ。じいじ」

「そうじゃな」

「そういう時、どうしたらいい?」

「そういう時はな」


 じいじが葡萄の実を、自分の口に入れた。


「こうやって、葡萄を食べてしまえ」


 にやりとして、じいじが葡萄を飲み込む。


「ほら、食べてみなさい」


 あたしに促す。あたしも取った葡萄の実を口に入れた。濃厚な甘みが、口に広がる。種はない。種がない種類の葡萄のようだ。皮のままもぐもぐ食べて、飲み込んで、ぽつりと、感想が出た。


「……美味」

「だろう?」


 じいじが微笑む。


「美味しいわ」

「だろう?」


 あたしはふっと微笑んだ。


「甘いわね」

「だろう?」


 あたしは葡萄を見下ろした。


「甘すぎて、そのことが記憶を埋め尽くしそう」

「だろう?」

「なるほどね」


 確かにそうかも。


「嫌なことがあったら、美味しいものを食べればいいのね」


 ちらっと、じいじを見る。


「これ、本当にサラダにするの?」

「サラダだけではないぞ。ゼリーにしたり、明日の朝のジュースにもしようと思ってた。ニコラ、明日の弁当は葡萄のジャムのパンじゃ」

「あら、美味しそう」

「美味いよ。キッドが好きなんじゃ」

「明日のお昼は期待出来るわね」


 ころん。


「あ」


 床に落ちた。


「洗う?」

「食べていいぞ」

「ふふっ」


 笑って、実を指でこすって、ほろって、床に落ちていたのに、気にせず食べる。


「甘い」

「そうじゃろう」


 お菓子屋って可愛いと思ってた自分を馬鹿だと思った。

 接客は接客だ。人と関わらなくてはいけない。そこに、可愛いもお洒落も関係ない。痛い目も見る。痛い目ばかりだ。リトルルビィも、アリスも、色んな痛い目を見て、仕事を行う。仕事をする。明日も、明後日も。愚痴も出る。涼しい顔なんて出来ない。また来るか? これは客か? 客じゃない客かと、目を見張らせる日々。でも、それだけじゃない。お礼を言われたら、対応して良かったと思えることもある。悪いことばかりじゃないけど、


「じいじ」


 あたしは、葡萄の実を取りながら呟いた。


「仕事って、やっぱり大変ね」

「楽な仕事なんかないさ。ニコラ」


 じいじが微笑んで、頷いた。


「今だって、手を動かす仕事をせんと、ご飯が食えんぞ?」

「そうね。このままじゃ、今夜は葡萄がご飯になりそう」


 くすっと笑って、あたしは手を動かした。


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