第8話 10月3日(1)


 じりりりりりり、と、目覚まし時計が鳴った。


(うらぁ!!)


 一発で仕留める。目覚まし時計が止まった。


(あたしはね、やられっぱなしの女じゃないの。学んで、やる返せるのよ。覚えておきなさい。目覚まし時計め)


 ――ふああああ。


(はっ……。いけない……。あたしとしたことがだらしのない欠伸を……)


 ぱちぱちと瞬きして、一言。


「……眠い……」


 起き上がり、眠たい目をこする。目覚まし時計を見れば、針は8時。


(二度寝しそう……)


 目をもう一度瞑る前にベッドから抜けて、頭を掻きながらクローゼットを開けた。


(今日はどうしようかな……)


 スノウ様に買ってもらった服を着て、同じく買っていただいたスカートみたいなパンツを穿き、靴下、動きやすい靴を履いて、鏡を見れば、今日は少しだけ女の子っぽい格好だと思って、邪魔な髪の毛を二つのおさげにして、小指に指輪をはめて、部屋を出る。


 リビングに下りるとじいじがラジオをつけて、新聞を読んで、ソファーでくつろいでいた。階段から下りてくるあたしを見上げ、声をかけてくる。


「おはよう。ニコラや」

「おはよう。じいじ。……ふああ」

「眠そうじゃのう。昨日は何時に寝た?」

「0時」

「もっと早く寝なさい」

「そうする……」


 カードゲームで遊び過ぎた。


(足し算と引き算で出来るゲームだから、熱中してしまったわ……。あれ意外と楽しいわね……)


「顔を洗っておいで。ご飯にしよう」

「はぁい……」


 覇気のない返事をして、洗面所に行く。狭い洗面所でゆっくりと顔を洗い、棚に置いてあるタオルで顔を拭く。


(目覚めろ目覚めろ目覚めろ)


 暗示のように唱え、ぼうっとして、眠くて、こうなったらともう一度手に水を溜める。今度はゆっくりではなく、冷たい水を一気に顔に当てる。


(ひぇっ! 冷たい!)


 少し目が覚めて、またタオルで顔を拭き、タオルを元の場所に戻し、リビングに戻る。テーブルには朝食が用意されていた。


 今日はオムレツ。巨大なオムレツの隣にはマッシュポテト。別のカップにコーンスープ。


「牛乳は」

「飲む……」


 じいじがコップに牛乳が注ぎ、あたしの前に置いた。


「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」


 握った手を離してフォークとナイフを握る。オムレツを切り分けて口に入れた。


(おおっ……。……ふわふわ玉子……)


 口の中で、まるで卵が踊りながらとろけていくようだ。


「玉子は好きかい?」

「……嫌いじゃない」

「そうかい」


 じいじもオムレツをゆっくり食べ始める。


「今日はレジ打ちだったかの?」

「思い出させないで」


(……行きたくなくなってきた)


 一瞬、食べる手を止めると、じいじがふっと笑う。


「昨日一緒にやったことを思い出せば大丈夫じゃ。冷静にな」

「……分かってる……」

「リトルルビィもおるのだろう? 何かあったら相談しなさい」

「そうね。社長の奥さんも横にいてくれるだろうし、何かあったら、すぐに訊くことにする」


 むちゃむちゃとオムレツを噛み、――ふと、思い出した。


「じいじ、傘って余分なのあったりする?」

「ん?」

「昨日曇ってて、雨降ったらどうしようって思ったから」

「傘ならあるぞ。今日は大丈夫そうだが、必要なら言いなさい」

「ありがとう。そうする」


 スープを飲んで、お皿を空っぽにする。


「ご馳走様でした」


 皿をまとめ、キッチンの洗い場に置いて、洗面所に行って歯を磨く。


(ああ……思い出しちゃった。レジ打ち……。面倒くさい……)


 うがいした後に口の中を確認してから洗面所を出て、時計を確認する。


(行く時間)


 二階に上がり、部屋に入り、リュックの中身を確認する。ポーチ持った、鍵も入ってる。お財布も入ってる。メモ帳も忘れてない。


「……行こう」


 リュックを背負い、また部屋から出て、リビングに下りる。


「じいじ、行ってくる」

「弁当も忘れずにな。ほれ」

「……ありがとう」


 温かい包みと水筒をリュックに入れ、じいじに顔を向ける。


「行ってきます」

「馬車に気をつけてな」

「はい」


 頷き、リュックを背負い、家から出ていく。外に出れば秋の風が顔に当たる。今日はちょっと寒い。


(……明日は上着着よう)


 ゆっくりと歩き出す。足を動かして、道を進み、一本道を進み、建物が見えてきて、入って、建物を進み、人が歩いていて、道を進み、人とすれ違い、広場に入って、噴水前に行く。街から見える時計台の時計は、9時34分。


 少し待ってると、向かいからリトルルビィが歩いてきた。


「ニコラ! おはよう!」

「おはよう。リトルルビィ」


 手を振ると、リトルルビィも手を振り返した。そして、大きな欠伸をした。


「ふわあ。眠たい……。昨日ちょっと遅くまで本読んじゃって…」

「分かる。あたしも昨日夜遅くに寝ちゃって……」


 一緒に欠伸。


「今度ニコラも読んでみて。面白いの。女の子の夢の話でね?」

「夢の話?」

「そうよ。とんちんかんな世界で、猫が喋ったり、芋虫が喋ったり、トランプが国を持ってて、首をはねたがる女王様がいるの。でも、それは全部女の子の夢なの」

「へえ。メニーが好きそう」

「図書館で借りたの。今度一緒に行こう?」

「図書館ね……」


 金髪の美しい司書を思い出して、顔をしかめる。


「『あいつ』がいるから行く気失せるのよね……。からかってくるんだもん……」

「テリーをからかうなんて! 分かった! 今度行ったら私が怒ってあげる!」

「ニコラ」

「ニコラをからかうなんて! 分かった! 今度行ったら私が怒ってあげる!」

「ふふっ。頼もしいわね」


 くすっと笑うと、リトルルビィが息を呑み、ぼうっとあたしを見つめた。


「……ん? 何?」


 あたしの顔、なんかついてる?


「はっ! しまった!」

「え?」

「ごめんなさい!」


 リトルルビィが顔を背けた。


「ニコラに見惚れちゃった!」

「あんたまだ寝ぼけてるの?」


 顔をしかめると、リトルルビィがあたしを見上げた。


「だって! 今日も一段と可愛いんだもん!」

「何言ってるのよ。いつもと変わらないわよ。あんたね、お世辞はもう少しうまく言いなさい」

「お世辞じゃないもん!」

「はいはい」

「本当だもん! むう!」

「なんでむくれるのよ」


 両頬を手で押すと、ぷすう、とリトルルビィの口から空気が漏れる。


「風船ほっぺめ」


 鼻で笑うと、リトルルビィがまたじっとあたしを見つめて、ぽおっとする。どうやら今日は、ぼうっとしてぽおっとする日らしい。


(秋って眠いわよね。分かる。あたしもすごく眠いもの。ふわあ)


「ニコラ、手繋いでいい?」


 リトルルビィが訊いてくるや否や、あたしが返事をしていないのに手を握ってくる。


「……既に繋いでるんだけど」

「えへへ」


 リトルルビィがぽやっと笑って、手に力を込めた。


「ニコラって冷え性? すごく冷たい」

「うーん、やっぱり上着着てくるべきだったかしら。そうよね。ちょっと肌寒いと思ってた」

「私のマントいる?」

「いらない。もう着くし」

「欲しくなったら言ってね?」

「大丈夫よ」


 会話をしていると、横の道から見慣れた少女が歩いてきた。


「おー! 二人ともおはよう!」


 手を大きく振り、笑顔のアリスが駆けてくる。あたしとリトルルビィがアリスを見る。


「おはよう。アリス」

「おはよう!」

「おはよう。朝からお熱いわねえ!」


 手を繋いでいるところを見てアリスが笑う。リトルルビィがちらっと握り合う手を見て、


「……ふふ。でしょ?」


 アリスに笑って、あたしの手を離した。


「今日も頑張ろうね。アリス」

「うん! 今日は学校も休みだし、こっちに集中できそう! ニコラはどう? 慣れた?」


 あたしは首を振る。


「全然」

「まだ三日目だもんね!」


 ああ、そうだった。


「今日はレジかしらね? ぐふふ」

「ちょっと」


 顔をしかめると、アリスが吹いた。


「うふふふふ! 分からないことがあったらすぐに声かけてね!」

「ええ。お願いね。アリス」


 言うと、アリスが嬉しそうに今日もにこりと微笑んだ。

 三人で少しだけ歩けば、ドリーム・キャンディにたどり着く。アリスが先に歩き、シャッターが半分閉まった店の扉を開けた。


「おはようございまーす!」

「おはようございます!」

「……ます」


 元気に挨拶をして、アリスが入っていく。同じく挨拶をして、リトルルビィとあたしが入る。


「おはよー」


(ん?)


 見たことのない男がレジカウンターの中でレジの準備をしていた。目元が穏やかで、とても優しそうな紳士。アリスとリトルルビィの背後にいるあたしを見て、きょとんとした後、くすっと笑った。


「あれ、もしかして、その子が噂のニコラちゃん?」

「え」


 あたしがぱちぱちと瞬きすると、紳士は微笑んだ。


「初めまして。社員のジョージです。よろしくね」

「あ……」


 ぺこりとお辞儀。


「ニコラと申します。よろしくお願いします」

「奥さんにレジを教えてあげてって言われてるんだ。午前中だけ一緒にレジをやってみよっか」

「ああ、はい」


 口角を上げて頷く。内心は舌打ち。


(奥さんじゃないから品出しかと思ったら、あたしの考えが甘かったわ。チッ!)


「大丈夫。何かあっても僕が隣にいるから。ちょっと頑張ってみようね。算数は出来る?」

「足し算や引き算なら」

「結構結構。大丈夫だよ。僕は引き算が苦手でね。どっちも出来るなら安心だ」


 ジョージがそう言って笑うと、アリスがあたしを肘で小突いた。


「ニコラ、ジョージさんはね、すごいのよ。マダムキラーなんだから」

「マダムキラー?」

「おばさん受けがいいの。今日は50代のおば様のお客様が特に多いと思うわよ。ジョージさんと話したくて、皆、シフトいつか訊いてくるんだから」

「あはは。違うよ。僕がまだなったばかりの社員だから、常連さんが試したくて来てるだけさ。変なこと言ってないで、ほらほら、荷物置いておいで」

「はあい!」


 アリスが面白そうに返事をして、あたしとリトルルビィと一緒に鞄を置きに行く。厨房をちらっと横目で見れば、社長が人を殺すような目で、小麦粉を煉っていた。


「今日はパンケーキかしらね?」


 アリスが慣れたように言って、三人で売り場に戻っていく。ジョージがあたしたちに持ち場の指示を出し、アリスは二階の品出し、リトルルビィは一階の品出し、あたしはレジで、それぞれが持ち場につく。


「さあ、オープンするよ」


 ジョージが店の外の看板をめくり、OPENの文字を表に見せた。ジョージが店内に戻り、カウンターのあたしの横に来て、椅子に座った。


「ニコラちゃんも座っていいよ。立ってるとしんどいでしょ」

「座ってていいんですか?」

「いいよ、いいよ。昨日も座ってたでしょ」

「はい」

「じゃあいいよ。くつろいで」


 そう言われてあたしは座り、ポケットからメモを取り出して操作の確認をしていると、ジョージが声をかけてきた。


「ニコラちゃん、ここに来る前にアルバイトは?」

「いいえ。ここが初めてです」

「そっか。じゃあ丁度いいね。今のうちにレジ作業に慣れておけば、将来働く時に結構便利だよ。要領さえ分かればどんなレジ機でも扱えるし」


 そう言ってジョージがレジの端に置かれた雑誌に手を伸ばすと、店に客が入ってくる。顔が炭だらけのおばさん。


(あ、ホレおばさん……)


「いらっしゃいませー」


 ジョージが挨拶をする。一階で品出しをしていたリトルルビィも挨拶を同じようにして、ホレおばさんが棚を通過していく。そこからクッキーの袋を見つけて、手に取り、レジカウンターに持ってくる。正面から見ても、顔も服も炭だらけだ。


「ほら、ニコラちゃん」


 横でジョージが微笑む。あたしの背が自然にすっと伸び、ホレおばさんを見上げた。


「イラッシャイマセ」


 クッキーの値段を確認して、


「200ワドルデス」


 言うと、ホレおばさんがお財布から500ワドルを出す。


「500ワドル、えー……、……オ預カリシマス」


 レジで数字を売って、レバーを回して、ちゃりんと音が鳴る。


「300ワドルノオ返シデス」


 300ワドルをホレおばさんに返す。ホレおばさんが受け取った。


「アリガトウゴザイマス」


 頭を下げると、ホレおばさんも軽く会釈して店から出ていく。隣でジョージが拍手をした。


「すごいすごい、出来てるじゃない」

「大丈夫でした?」

「問題ないよ。レジやったのは昨日が初めてだっけ?」

「はい」

「へえ。こりゃあすごい。若いから覚えがいいのかな。期待の新人さんだ」


(当然よ。昨日の夜にじいじと練習したんだから。……ん?)


 視線を感じ、そちらをちらっと見ると、棚から顔を覗かせていたリトルルビィと目が合い、リトルルビィがにこりと微笑んだ。


(見てたみたいね。……ん?)


 視線を感じ、ちらっと上を見ると、二階にいたアリスと目が合った。アリスもぐっと親指を立てて、そんな自分が面白かったのか、またぶふっと吹き出して、品出しに戻っていく。


(……見守られている……)


 眉をひそめて、またお客さんを待つ。


「ニコラちゃん、なんか雑誌読む?」

「結構です」

「暇だったら読んでていいからね」


 ジョージがそう言って、情報誌を開く。あたしは黙ってぼうっと店内を眺める。しばらくしてまた客が入ってくる。50代ほどのおばさんだ。


「ジョージちゃんどうもぉ!」

「おっと」


 とても元気なおばさんだ。声を聞いたジョージが頭を上げた。


「こんにちは。レルベアさん」

「あら、新人さんの面倒見てるの? 偉いわねえ」


 そう言って店の奥に進んでいく。社長が昨日作っていたロールケーキが入った容器をレジカウンターに持ってくる。


「イラッシャイマセ」


 あたしが値段を打つ。その間に、ジョージがロールケーキを紙袋に入れる。


「600ワドルデス」

「はい、丁度ねえ!」


 600ワドル、丁度受け取る。


「600ワドル頂戴シマス」


 レバーを回して、レシートが出てくる。それを渡す。


「レシートデス」

「はい。ご苦労様!」

「レルベアさん、お品物です。いつもありがとうございます」


 ジョージがおばさんに袋を渡すと、おばさんが微笑んでそれを受け取った。


「はい、ありがとう! 頑張ってね! 新人さん!」

「はい」


 頷くと、おばさんがジョージに顔を向ける。


「ジョージちゃん、明日はいるの?」

「明日は午後からいますよ」

「あら! そうなの!? 明日はねえ、パン屋さんでセールがあるのよ。良かったらジョージちゃんにも何か持ってくるわ! お肉好き?」

「肉は好きですよ。大好物です」

「あら! じゃあカツサンド買ってくるわ! また明日ね!」


 にこっと笑い、おばさんが店から出ていく。


「ありがとうございますー!」


 ジョージが声をあげて扉が閉まる。あたしに振り向き、ひひっと笑った。


「あの人常連さんなんだ。パワフルでしょ」

「すごく元気な人ですね」


(若い男の子が大好きって感じのおばさん)


「なんかパンとか持ってきてくれるんだよね。暇なんだろうなあ」


 ジョージが軽く笑って椅子に座る。


「ニコラちゃんは食べ物、何が好き?」

「パンが好きです」

「何のパン?」

「友達が作るパンなら何でも」

「へえ。パンが作れる友達がいるの?」

「はい。ミセス・スノー・ベーカリーで働いてた子がいて」

「ああ、そうなんだ。そういえばあそこの店員は年齢層が上から下までいるよね。最近8歳の子が入ったらしいよ」

「8歳……ですか」

「紹介所から派遣されたんだって。この間買いに行ったら一生懸命品出しやってたよ」


 ジョージが雑誌をめくった。


「紹介所ってすごいよねぇ。今までは役所とか、人脈での紹介とか、広場の掲示板に雇用募集の紙を貼ってるだけだったのに、それを形にして無料で誰でも関係なく最速で仕事紹介してくれるんだから」

「……使ったことあります?」

「あるよ」


 ジョージが微笑んだ。


「それでここを紹介してもらったんだから」

「え、そうなんですか」

「そうそう。条件に合っててさ」


(ここ、登録会社の一つだったっけ……?)


 考えていると、店に客が入ってくる。


「いらっしゃいませー」

「イラッシャイマセ」


 ジョージが声を出し、その後にあたしも声を出す。また客が入ってくる。繰り返される。客がお菓子を持ってカウンターにやってくる。


「イラッシャイマセ」


 お菓子を見て、カウンターの下に貼られた値段表を見て、値段を確認する。


「ビスケット、100ワドルデス」


 客が100ワドルを取り出す間に、商品を紙袋に入れる。そして客が100ワドルをカウンターに置き、あたしが受け取る。


「100ワドル、頂戴シマス」


 数字を打つ。レバーを回して、レシートが出てくる。


「レシートデス」


 レシートを渡して、紙袋を渡す。


「アリガトウゴザイマス」


 それが繰り返される。またカウンターに客が来て、あたしがレジを打って、ひたすら同じ作業。それをジョージが見て、雑誌を見て、あたしはひたすらレジを打つ。また店に客が入ってきた。またカウンターに客が来る。


「イラッシャイマ……」


 巨人のように高い男がカウンターに来て、思わず声が止まった。


(うっ)


 鋭い目が、カウンターを見下ろしてきた。


(昨日、カリンさんが相手をしていた人)


 アリスが常連さん、と言っていた、巨体の強面の男。短い黒髪をなびかせ、社長が昨日作ったマフィンが入った容器を、そっとカウンターに置いた。


(マフィンいくらだっけ?)


 カウンターの下の値段表を確認して、男を見上げる。男もあたしを見る。


「マフィン、350ワドルデス」


 言うと、あたしと目を合わせた男が、一瞬、はっとしたように息を呑み、目を見開いた。


(ん?)


 あたしがぱちぱちと瞬きすると、男はあたしから目を逸らし、財布を取り出し、黙ったまま500ワドルを出した。


「500ワドル、オ預カリシマス」


 レバーを回して、ちゃりんと音が鳴り、レシートが出てくる。


「150ワドルノオ返シデス」


 男が受け取る。


「レシートデス」


 男が受け取る。


「アリガトウゴザイマス」


 頭を下げて、顔を上げると、


「こちらこそありがとう!」

「えっ」


 びくっと肩を揺らすと、男の口が全力で開かれた。


「頑張るんだぞ!! 少女!!」

「え、あ……、……は、はい……」


(何この人……)


 こくりと頷くと、男も頷き、満足そうに胸を張って店から出て行く。


「……」

「ぶふっ」


 あたしの横にいたジョージが、体を震わせて口を押さえていた。笑いをこらえている。


「あの人ね」


 ジョージがにやにやしながらあたしに顔を向けた。


「新人を全力で応援するんだよ」

「ああ……、……なるほど……」

「棒読みなの聞いて、新人って分かったんだろうな。ふふっ……! 面白かったのがさ、アリスちゃんの時。レジでテンパるアリスちゃんに、頑張れ! ゆっくりでいい! 俺はいつまでもここで待っているぞ! って全力のエールを送って、急に腕組んだと思ったら、男らしい仁王立ちして待ってたんだよ。僕ねえ、もう、笑いをこらえることに精一杯だったんだ。ぶふふううう!」

「……ちょっと変わった方なんですね」

「くっくっくっくっ……! お客さんなんて、変わった人ばかりだよ」


 ジョージが思い出し笑いをしていると、カウンターに老人がきた。投げつけるように飴を五個、カウンターに置く。


(飴は一つ10ワドルだったっけ)


「イラッシャイマセ」


 顔を上げると、突然、老人が怒鳴った。


「いくらだ!」

「え」

「いくらだって言ってるんじゃ!!」

「……」


 突然のことにぽかんとしていると、老人がカウンターを叩いた。


「何モタモタしてるんじゃ! 時間が無いんじゃよ!!」

「……50ワドルデス」


 言うと、老人がカウンターに50ワドルを投げつけた。


「チッ!」


 そして嫌味ったらしい舌打ち。


「50ワドル頂戴シマス」


 レバーを回して、レシートを出す。


「レシートデス」

「いらん!」

「えっ」

「お前さんいくつだ!?」

「え」

「何歳じゃ!!」

「……14です」

「子供のくせに働いてるのか! 仕事合ってないぞ!! やめちまえ!」

「は?」


 イラっとして、クソ老人を睨む。


「ふんっ!」


 あたしの目を見ず、理解の出来ない怒りを抱えたまま乱暴に飴の入った袋を掴み、そのまま店を出ていく。


「……」


 あたしが黙ったまま扉を睨んでいると、横で全て見ていたジョージがぶふっと笑い、くつくつと笑い、腹を抱えて、くすくすと笑った。


「乱暴な爺さんだったね」


 窓から店の外を覗き、あたしに振り返った。


「ああいう人もいるんだ。ごく稀にね」

「……」

「なんで怒ってたんだろ? 変な人。病気なのかな? ……頭の病院行けばいいのに」


 そう言って、また隣でくつろぎ始める。


(……昨日のじいじと全く同じこと言われた……)


 昨日の練習風景を思い出して、店内に視線を戻す。


(あたし何もしてないわよね? 何で怒ってたんだろ)


「……ん?」


 きょとんとする。リトルルビィが窓を睨み、無線機を出している。


「……取り押さえて」


 ぼそっと言うと、外から怒鳴り声が聞こえた。


「何なんじゃ! お前ら! 警察が何の用じゃ!」

「おお!? なんだなんだ!?」


 面白そうな顔でジョージが窓を開けて、外を覗く。


「わしは、何もしとらんぞ!」

「荷物を全て出せ!!」

「何もしとらんわ!」

「出せ!!」


 警察の怒鳴り声の後、あの老人がぐずる声が聞こえ、それが繰り返され、老人が鞄を開き、中身を出した。


「あ」


 それを見て、ジョージが目を見開く。


「ちょっとちょっと、あれうちの商品じゃん」


 ジョージが興奮したように声を出し、あたしの後ろを通り、カウンターから出ていく。


「何が飴五つだよ。あの爺、他の商品盗んでやがる!」


 ジョージが店から出ていき、騒いでいる老人の元へ早足で歩いて行った。呆然とそれを眺める客がいて、平然と品出しをするリトルルビィがいる。ふと、リトルルビィとあたしの目が合い、リトルルビィがふふっと笑って、人差し指を口元に当てて、唇を動かした。


 ――秘密よ?


(なるほど)


 頷く。


(通報したのね)


 外には、キッドの部下が町を見回っている。


(流石、殿下直属の部下ね)


「イラッシャイマセ」


 カウンターに来た客を見上げた。




(*'ω'*)



 12時。


 午前中にレジ業務を徹底して行い、だいぶ作業に慣れてきた頃、休憩時間となった。


「お疲れ様。そろそろ休憩入っていいよ」

「はい」

「ニコラちゃん覚え早いね。これなら次から一人で任せても大丈夫かも」

「……一人ですか」


 あたしの嫌そうな顔を見て、ジョージが笑った。


「あはは! 大丈夫! 何かあったら品出し要員達もいるから! 不安なところある?」

「値段が覚えられません。あ、でも飴は覚えました」

「飴は皆10ワドルだから覚えやすいよね。でも、値段は慣れてくるから。大丈夫」

「そうですか」

「お腹空いたでしょ。お疲れ様。休憩行っておいで」

「ニコラ行こう!」


 アリスがあたしを呼ぶ。ジョージに軽く頭を下げてからレジカウンターを出て、アリスと一緒に店の裏に行く。リトルルビィが既に鞄を持って待機していて、あたしもリュックを手に持つ。リトルルビィが眉をへこませて、あたしを見上げる。


「ニコラ、変なクソジジイに怒鳴られてたでしょ。大丈夫だった? 怖くなかった?」

「こら、汚い言葉を使わないの」


 ほっぺをぎゅっと掴むと、リトルルビィの顔の形が歪んだ。


「むう!」

「でも、あのお爺さん泥棒だったんでしょう? うちの商品だけじゃなかったみたいよ? 社長があのお爺さんに激おこぷんぷんだったんだから。もうね、顔がこうなってた!」


 アリスが社長の顔の真似をする。確かに、騒ぎに気付いた社長が店から飛び出し、殴りかかる勢いで老人に走っていったのは見ていて冷や汗が出た。表情を元に戻したアリスが歩きながらあたし達を見る。


「それにしても、警察もよく気づいたわよね。最近の警察ってすごいのね!」

「本当ね! すごいよね! ふふっ!」


 リトルルビィがにこにこ笑う。


「お仕事頑張ってるニコラに怒鳴ったりするから、罰が当たったんだよ」


 低い声で呟き、リトルルビィが微笑んだまま、あたしに振り向く。


「ね、ニコラ!」

「……さあ? どうかしらね。正義の味方が見張ってて、通報してくれたのかも」

「あはは! 正義の味方ねえ!」


 アリスがケラケラ笑い、売り場の扉を開けた。カウンターにいるジョージに声をかける。


「ジョージさん、休憩いただきます!」

「行ってらっしゃい」


 ジョージが手を振って、あたし達は店から出ていく。三人で噴水前のベンチに座り、噴水を横目にお弁当の包みを膝に乗せる。今日のお弁当は紫色の芋。


(……芋か)


 紫色の皮を剥いて、ぱくりと食べる。


(ん?)


 その味に、目を見開く。


(何これ、バナナみたいな風味がする。……美味)


 思ってた味と違い、意味不明なくらい甘い目の前の芋をじっと睨んでいると、アリスがパンを食べながら喋り始めた。


「変な客が来ると本当嫌になるわよねぇ……。私、あれもちょっと駄目なの。あの、唾つけてお金渡してくる人」

「あれは仕方ないんじゃない?」


 真ん中に座るリトルルビィがアリスを見た。


「年を取るとお肌も乾燥しやすくなるらしいし」

「だとしても知らない人の唾ついてるのよ? 触りたくない」

「それよりも、指揮者みたいにお金渡してくる人いない? あれ何なんだろうっていつも思うの」

「何それ?」


 アリスが眉間にしわを寄せて、リトルルビィを見る。


「ほら、お金を渡す際に、手をこう、跳ねるように上げる人」

「あーーーー」


 アリスが声をあげる。


「なんであんなに手を跳ねさせたがるのかしらね?」

「謎すぎる……」


 アリスとリトルルビィが眉間に皺を寄せて唸る。


「謎と言えば」


 アリスが言う。


「無理矢理外国語を使ってくる人って何なのかしら」

「何それ?」

「ありがとうっていう時に、サンキュー。とか、メルシー。って無理矢理使ってくる人」

「……ダサいことしてるって、気付いてないのよ」

「忙しい時に使われるとイラっとするのよ」

「忙しい時なら、商品についての詳細とか訊いて来る人やめてほしい……」

「ああ、いるいる。レジに持ってきてからこれはどんなものなの? って訊かれるのよね……」

「レジに持ってくる前に、品出ししてる人とか、もっと詳細が知りたいなら作った会社に訊いてって思うんだけど……」

「私達は売ってるだけなのよ!? 何なの!? 賞味期限とか、どういう味なのかは教えられるけど、この会社とこの会社の作るクッキーは何が違うのって訊かないでよ! 違うに決まってるでしょ! 作ってるところが違うんだから! バニラ味とチョコレート味並みに違うわよ! 馬鹿なの!?」


 アリスがぽこぽこと怒り、頬を膨らませた。


「よく分からない冗談言ってくる人もいるし」


 リトルルビィが面倒くさそうに呟き、


「機嫌が悪いまま店に入ってきて文句だけ言って帰る人もいるし」


 アリスが呆れたように呟き、


「他の店ではこうだったぞって文句言ってくる人もいるし」


 リトルルビィが愚痴を、


「食べたお菓子が不味かったから返品したいって言ってくる人もいるし」


 アリスが愚痴を、


「いつものって言って顔パスを求めてくる人もいるし」


 リトルルビィがうんざししたように、


「買いもしないくせに声だけかけてくる人もいるし」


 アリスがうんざりしたように、


「「レジは良いけど、接客が疲れるのよねぇ」」


 二人が声を揃えてため息を吐いた。


(……なんか大変そう)


 あたしの顔を見たアリスがにやりと笑った。


「ニコラ、涼しい顔してるのも今のうちだけよ」

「ん?」

「接客のしんどさが分かったら、愚痴しか出てこないわよ。ぐちぐち愚痴しか出てこないのよ」

「涼しい顔なんかしてないわ。午前中だけでも結構しんどいもの。客って口を開けば文句ばかり。文句言うならお店に来なきゃいいのに」

「それな!!」


 アリスがあたしに指を差した。


「それなのよ! そんなに文句言うなら使うなって思うのよ! ねえ、なんで文句しか言わないのに使いたがるの? お菓子屋なんていっぱいあるじゃない! 文句言うだけなら他の店に行けばいいと思わない? なんで使いたがるの!? 馬鹿なの!?」

「きっとそういう人達って、言いたいだけなのよ。私もこの間、40年近くこのお店に通ってるのに、なんで安くならないのって文句言われちゃった」


 リトルルビィがあたしの肩に頭をくっつけた。


「慰めて? ニコラ。私、頑張ったんだから。お値段調節は社長か奥さんにお願いしますって言ったら怒られたのよ。なんで? 私はアルバイトなのよ? 店員さんなのよ? 無理だよ……」

「お客さんって理不尽よ。本当に理不尽。ルールを破ってるのはあいつらなのに、そのルールを破ってる人達のせいで、ルールを守ってお買い物に来てくれてる人達までそういう目で見られるのよ。害悪反対!」


 アリスが声をあげた。


「私だってお買い物はするわよ? でも、理不尽な注文なんてしたりしないわ。商店街のお菓子屋なのよ? なんで出来るわけ? 頭おかしいわよ」


(……理不尽な注文ね……)


「まあ、でも……お客さんは、お金払ってるわけだし……」


 お金払えば何とかなる。お金払ってるんだから無理難題も何とかしてよ。


(皆そうやって買い物してるでしょう? 店側ってお金払えば、何とかするんでしょ?)


「甘いわ。ニコラ。私達がお金さえ貰えれば、何でも応えると思う?」


 アリスが拳を握った。


「ルール違反反対! 自分だけ特別だと思うな! 人類平等! お客さんだって平等なんだから!! 我儘言うな!!」


(うっ!!)


 あたしの胸にアリスが言葉の弓矢を撃ってくる。


「礼儀知らずな我儘客は消えてしまえばいいのよ! 年配の人ならともかく、若い人でもそういうのがいるのよ!? ありえない! きっと頭が老人なんだわ!」


(ぐっ!!)


「お金持ちだから? 貧乏だから? だから何? 人間は人間よ。傷つく言葉も分からないなんて、子供からやり直せばいいのよ!」


(ふぎっ!)


「あーあ、全く、そういう自分ルールで何でも物事進んでる奴らの親の顔が見てみたいわ! どういう教育受けたのよ!」


(ぐぐっ……!!)


「ねえ、リトルルビィ、この間も変なのあったわよね。ちゃんと表示されてたのに、自分で値段間違えて怒って電話してきた人」

「えっ?」

「あー。あれでしょ? 600ワドルのロールケーキを二つで600ワドルだと思い込んだ人」

「なんで支払いの時に気付かないのかしらね! しかも電話で返金対応だー! って怒鳴ってきてから、店に一切来てないらしいわよ」

「だって、自分で間違えたのよ? とんだ大間抜けなことして、恥ずかしくて来られないじゃない?」

「「あはははははは!!」」

「……」


 二人は笑う。

 あたしは黙る。俯いて、黙る。


(……ごめんなさい……)


 過去のあたし、やっぱり行かなくて正解だったわ。こうやってジュエリーショップの店員に笑われていたのよ。多分。


 アリスとリトルルビィの最もな声に、反発もできず、黙りこくり、あたしの胸は痛くなるばかりだった。


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