第20話 10月15日(3)

 12時。噴水前。



 休憩に入り、リトルルビィと噴水前に向かうと、そこでシートを広げて、サガンを含める商店街で働く人たちがイベントを開催していた。


『ハロウィンまでもう少し! ハロウィン祭応援部、手作り楽器の試し弾き』と書かれた看板を立てて、手作り楽器を子供達に持たせて遊ばせていた。三月の兎喫茶に置いてあったものや、見たことのない手作り楽器がいくつか用意されていて、あたしより年下の子供や、あたしと同じ年齢くらいの子達が触っている。今日は午前で終わる学校が多いようだ。学生が多い。それとお昼ご飯を買いに歩く人も多いことから、いつもよりも噴水通りが賑やかになっていた。


 子供達の中に、メニーも紛れ込んでいる。嫌でもその美しさは目に留まった。メニーが腕を動かす。


 ぎーーーこーーー。


「うっ!」


 メニーが顔を引き攣らせると、メニーに楽器を持たせた男が笑った。


「いいよ、お嬢ちゃん! いい音色奏でてるよ!」

「……いい音色じゃない……」


 メニーがむうっとして、ヴァイオリンを男に返し、シートの上に置かれている楽器達を眺める。そのメニーの肩をリトルルビィが叩いた。


「メニー、お待たせ!」

「ん!」


 メニーが振り向き、リトルルビィに微笑み、その後ろで楽器を眺めるあたしを見て、メニーが楽器に指を差す。


「お姉ちゃん、私、今、ヴァイオリンを弾いたの! お姉ちゃんもやってみる?」

「いい」

「……そう」


 メニーが残念そうに頷く。そして、きょろきょろと辺りを見渡し、首を傾げた。


「あれ? アリスちゃんは?」

「学校の用事で今日はお休み」

「……そっか。アリスちゃん、学校なんだ……」


 メニーがまた残念そうに呟いた。


「アリスちゃんだったら、このイベント喜んでたよね」

「全部の楽器を試し弾きしたと思うわよ」


 ついでに広場を盛り上げるために一肌脱いで、アリスの周りが大盛り上がりになっていたことでしょうよ。


(……本当に残念だわ)


 アリスがいるだけで空気が変わる。きっと今頃、学校でその効果を発揮させているに違いない。


「メニー、お弁当。お腹すいたわ」

「今日は美味しいと思う!」

「はいはい」


 メニーがバスケットをあたしに差し出す。

 噴水の縁に座って、三人でパンを食べながら楽器を弾く子供達を眺める。


「……今日、アメリが来たわよ」

「え?」


 メニーがきょとんとした。


「いつ頃?」

「11時くらい」

「ああ、なんか楽譜買いに行くって言ってた」

「買っていった物のお釣りを、お小遣いで貰ったわ」


 あたしの財布に入ったお小遣いを思い出して、チッと舌打ちする。


「……悔しい……。このあたしが、アメリからお小遣いを貰うなんて……!」

「良かったね。美味しいものでも買えば?」

「ふん。あんたはいいわよね。いつでもお金があって……」

「お姉ちゃん、言えば持ってくるよ?」

「結構よ!」

「なんで怒ってるの……」


(これだから金持ちは! ふん!!)


 心が庶民のあたしはお金を大事にするのよ。お前達金持ちとは違ってね!


「……アメリが来た時にも話題になったんだけど」


 あたしはメニーに首を傾げた。


「課題曲ってどうなったの?」

「はは」


 メニーがメニーらしくない笑い声を出した。


「……その話題……触れないで……」


 ずーーーーんと、メニーが暗いオーラを放って俯く。リトルルビィが心配そうな顔を浮かべて、メニーの背中を撫でた。


「メニー、大丈夫?」

「大丈夫じゃない……」


 メニーが掠れる声で、ちらっと、あたしを見上げた。


「ねえ、姉ちゃん……。ジャックって本当にいるんじゃないかな……?」

「あんた、まだそんなこと言ってるの?」


 メニーがうんざりしたように表情を曇らせる。


「いや、お姉ちゃん、私、割と本気でまともなこと言ってる気がする」

「ん?」

「だって、屋敷に行けば」


 だ れ も お ぼ え て な い 。


 リトルルビィが不思議そうな顔をし、メニーは眉をひそめた。


「お姉ちゃんがいなくなった頃から、屋敷がちょっとおかしくなったの。日を重ねるごとに、皆が色んなことを忘れ始めてる。アメリお姉様は課題を。ピアノの先生はレッスンの内容を。ギルエドはお仕事の書類を。クロシェ先生は授業の内容を。……私、あまりにも不思議で、サリアにも相談したんだよ? そしたら」


 ――メニーお嬢様、忘れていることは思い出せません。

 ――ハロウィン前ですもの。季節の分かれ目ということもあり、皆さんの体が追い付かず、知らないうちに脳が疲れているのかもしれません。

 ――11月になって、ハロウィンが終わって、ジャックがいなくなったら、また元に戻るでしょう。それまで待ちましょう。


「ちなみに」


 ――メニー様は、ジャックを信じてますか?


「サリアは」


 ――私は会いましたよ。ふふ。良いでしょう。いえい。


「すごく嬉しそうに自慢していたけど、その後、客室の掃除を忘れてて、ギルエドに声をかけられてたよ」


 サリアはジャックに会った。だから忘れた。


「おかしいでしょう?」

「私は何も忘れてないよ」

「でも、何か忘れているのかも」


 まるで疑心暗鬼な屋敷の中。


「私……正直、息が詰まりそうなの」


 メニーが胸の内を明かした。


「何かを誰かが忘れてて、私は覚えてるのに、まるで覚えている私が馬鹿みたいなの。……何か、変なの」

「……だから、ジャックが屋敷を徘徊してるとでも言いたいの?」

「その通り。お姉ちゃん、ジャックが大暴れしてるんだよ」


 リトルルビィが横から訊いた。


「メニーは会ってないの?」

「……うん。ジャックには会ってない。悪夢も見てない。でも、いつ会うか分からないから、ベッドにお菓子置いてるの。毎晩、悪夢をみるかもしれないって思いながら眠るの。もう、怖いんだから」

「一緒に寝る?」

「ふふっ。ありがとう。リトルルビィ」


 メニーの視線が再び、あたしに向けられる。


「お姉ちゃん、……その、毎年、『変なこと』が起きるでしょう?」


 メニーが不安そうに、あたしを見てくる。


「ジャックって、今までこんなに騒がれたことあったっけ……?」


 私ね、思うの。


「今年のジャックって、もしかして、その『変なこと』に関わってるんじゃないかな……? リトルルビィや、ソフィアさんの時みたいに……」

「……」


(ジャックが中毒者、とでも言いたいの?)


 メニーに中毒者のことは教えていない。だが、メニーもあたしと同じ。リトルルビィの時から必ず何らかの形で巻き込まれている。……何かが起きている、という違和感は、感じているのだろう。


(でも)


 中毒者ならキッドが動くはずよ。リトルルビィだって動くはずじゃない。チラッと見れば、リトルルビィは不思議そうな顔で、メニーの背中を撫でているじゃない。ということは、違うってことよ。


「メニー、本の読みすぎよ」


 パンをかじる。もぐもぐ。


「あんた、ジャックの本読んだんだっけ? あのね、そんな本読むから不安になるのよ。身近でちょっと物忘れが多い人が現れて、余計に不安に感じてるだけ。それだけよ」

「違うよ。お姉ちゃん。本当なの。本当におかしいの」

「課題曲が見つかれば、そんな不安も無くなるわ」


 子供が楽しそうに楽器を弾いてる姿を見て思う。


(課題曲が見つからない不安や、アメリが授業内容を忘れてる不安から、ジャックに結び付いたのね)


 やっぱり、お前も子供ね。あたしは立ち上がり、メニーに食べかけのパンを渡す。


「ちょっと持ってて」

「え」

「ちょっと待ってて」

「お姉ちゃん?」

「テリー、どこ行くの?」


 きょとんとするメニーと、きょとんとするリトルルビィを置いて、あたしは目の前で行われている『ハロウィン祭応援部』の場所に向かう。サガンを見つけ、声をかける。


「サガンさん」


 呼ぶと、パイプをふかすサガンがあたしに振り向いた。


「ん?」

「試し弾きさせてください」


 指を差して、


「それ」


 言うと、サガンが楽器を持ち上げる。


「これか?」


 ヴァイオリン。


「喫茶店に置いてあったやつですか?」

「ああ」

「いいですか?」

「壊すなよ」

「気を付けます」


 受け取って、手に持ち、構え、音を鳴らしてみる。


 でーえーえふーげーあー。


(昨日聞いた通り、本物より劣るけど、それなりの音は出る)


「ちょっとお借りしていいですか?」

「壊すなよ」

「気を付けます」


 そう言って、また数歩歩いて、メニーとリトルルビィのいる噴水の前に戻ってくる。二人とも、きょとんと、ヴァイオリンを持ったあたしを見上げた。

 あたしとメニーの目が合う。


「言ったでしょう? 課題曲なんてね、簡単なものでいいのよ」

「簡単なもの?」

「そうよ」


 例えば、


「こんなの」


 あたしはヴァイオリンを構えて、ふぅっと息を吐いて、すっと息を吸って、腕を動かした。



 ド、はドーナッツのド。

 レ、はレチェ・フリータ。

 ミ、はミンスパイのミ。

 ファ、はファッジのファ。

 ソ、はソルベのソ。

 ラ、はラスクのラ。

 シ、はシャルロット。

 さあ、復唱しましょ。



「あ」

「わあ!」


 メニーが瞬き三回。リトルルビィは拍手。メニーが気が付いたように、声を上げた。


「それ、知ってる」

「そうよ。知ってるでしょ」

「ミュージカルの曲」

「そうよ」

「有名なやつ」

「そう。誰でも知ってる有名なやつ。これなら練習してても、曲が分かるから、楽しく練習出来るでしょう? はい、決定。おしまい」


 ヴァイオリンを下げようとすると、


「でも」


 メニーが声をあげた。


「お姉様がなんて言うか……」

「……あいつ、覚えてる時はなんて言ってたんだっけ?」

「貴族令嬢らしい、美しい曲を探しましょう」

「はあ……」


 何を言ってるんだか。あたしはまたヴァイオリンを構えた。


「あいつにはこれがいいわ」


 長女のくせに、まるで次女みたいな子供っぽいアメリにお似合いの曲。あたしはふぅっと息を吐いて、すっと息を吸って、腕を動かした。



 ポケットの中には クッキーが一つ。

 ポケットを叩くと クッキーが二つ。

 もうひとつ叩くと クッキーが三つ。

 叩いてみるたび クッキーが増える。

 皆で食べよう 魔法のクッキー。

 皆で食べよう おかしなクッキー。



「あー、それ私も知ってる!」


 リトルルビィが目をきらきら輝かせながら、声をあげた。


「あのね、それ、お兄ちゃんが歌ってくれてたの! 懐かしい!」

「それも有名だよね」


 メニーが首を傾げた。


「お姉ちゃん、他にもそういうのってある? 誰にでも分かりそうな曲」

「沢山あるわよ。あんたも楽譜探して来れば?」

「他にも何か教えてくれない?」

「どんなの?」

「アメリお姉様が好きそうな、可愛いやつとか」

「可愛い……」


 確かにアメリが好きそうだ。


「こんなのは?」


 あたしはふぅっと息を吐いて、すっと息を吸って、腕を動かした。



 おとぎ話の王女でも 昔はとても食べられない

 チョコアイスクリーム ミルクアイスクリーム

 わたしは王女ではないけれど

 簡単にアイスを召し上がる

 スプーンですくって ひやひやひや

 舌にのせると とろとろりん

 忘れられない 甘いアイスクリーム 



「テリー! すごい! テリー! すごい!」

「ニコラ」

「ニコラ、すごい!!」


 リトルルビィが拍手する。メニーがあたしを見つめた。


「……お姉ちゃん、ヴァイオリン弾けたんだね。すごく上手」

「音外したの聞こえなかった? ぎいいって鳴ったでしょ」

「……気にならなかったけど」

「ニコラ、習ってるの?」


 わくわくした目のリトルルビィに肩をすくめる。


「昔、ちょっと触ったことがあるだけ」


 だから、何も上手くないのよ。


「さ、おしまい。あとは楽譜を探して」

「お姉ちゃん」


 メニーが注文してきた。


「もし、発表会に出るとすれば、どんな曲がいいと思う?」


 発表会と聞いて、あたしの指がぴくりと揺れた。


「発表会向きの曲ってあるでしょう? ピアノと、歌。それで大人の人にでも聴かせられる曲って、どんなのがいいかな?」


 メニーがあたしを見つめる。


「ねえ、そういう曲、知ってる?」


 一曲だけなら、知ってる。


「……そうね」


 ヴァイオリンを構える。


「あんたも、アメリも、リトルルビィも、何があっても、これなら歌えるんじゃない?」


 誰にでも分かる簡単で有名な曲。だから選んだのよ。ママが、初心者の二人にはこれがいいわって、言ったから。簡単な曲だけど、ママが言うならって二人で練習して、二人で舞台に自信満々に立って、


 痛い思いをした。


(あたしは、立派な演奏者じゃない)

(あくまで、趣味でやってただけ)

(ヴァイオリンってかっこいいから)

(ヴァイオリンって持ってるだけで絵になるから)


 練習したところで、つまらないのに。


(結果なんて、生まれない)


 今は、ただ、


(メニーに曲を教えるために、弾くだけ)


 あたしはふぅっと息を吐いて、すっと息を吸って、腕を動かした。

 前奏を弾く。メロディを奏でると、リトルルビィの目がぱっと開いて、メニーの目もぱっと開いて、呟いた。


「あ、知ってる」

「私も知ってる」


 メニーとリトルルビィが顔を見合わせて笑う。


「有名だもんね」

「ね!」


 メニーが音を聴いて、


「えっと」


 メニーが前奏を聴いて、


「ふふっ!」


 メニーが息を吸って――歌った。



 お菓子はいかが? ナイチンゲール

 お歌はいかが? ナイチンゲール

 ダンスはいかが? ナイチンゲール

 一緒に歌い踊りましょう



 あたしは知らない。

 あたしの後ろで、歩いていた人々がこちらを見たことに。

 サガンがちらっと、あたし達を見ていたことに。

 サッカーの練習をしていた子供達が、足を止めて振り向いたことに。



 さあ 歌って ナイチンゲール お前が歌えば 朝に月

 さあ 踊って ナイチンゲール お前が踊れば 夜に日



 あたしは知らない。

 あたしの後ろで、一人が足を止めたことに。

 二人、三人、四人が、足を止めたことに。

 ピグとポークとピグレットが、こちらを見ていたことに。

 ヘンゼとグレタが、きょとんとあたし達を見ていたことに。



 ララララ ララララ 歌うの ナイチンゲール

 楽しい愉快な お菓子のワルツ

 ララララ ララララ 踊るの ナイチンゲール

 お菓子を食べた あの子が はにかんだ



 あたしは知らない。

 昼食を買いに歩いていたソフィアが、足を止めたことに。

 グレタとヘンゼが、顔を見合わせたことに。

 喫茶店の外で休憩していたジェフが社員の一人と共に、珈琲を飲まずにこちらを見ていたことに。



 お菓子は食べたの? ナイチンゲール

 お歌は歌った? ナイチンゲール

 ダンスは踊った? ナイチンゲール

 クッキーは まだ残ってる



 あたしは知らない。

 サガンがサックスフォンを持ち上げて、メロディを奏でていることに。

 グレタがシートの上からコントラバスを持ち上げて、低音を出してくれていたことに。

 ヘンゼがシートの上からタンバリンを持ち上げて、リズムを刻んでいることに。

 それをヤギの帽子をかぶった七人の子供達が、はしゃいで見ていることに。



 さあ 遠慮なく ナイチンゲール あなたの音色は 太陽で

 さあ 胸を張って ナイチンゲール あなたの舞は お月様



 あたしは知らない。

 お使いにきたサリアが、口元を押さえていたことに。

 キッドとスノウ様が、馬車から見ていたことに。

 帽子を深くかぶったリオンが、足を止めて見ていたことに。



 ララララ ララララ 歌うの ナイチンゲール

 おかしの国の お菓子なワルツ

 ララララ ララララ 踊るの ナイチンゲール

 お菓子を食べた あの子が くしゃみした



 メニーが息を吸った。



 ララララ ララララ 歌うの ナイチンゲール

 楽しい愉快な お菓子のワルツ

 ララララ ララララ 踊るの ナイチンゲール

 お菓子を食べた あの子が 微笑んだ





 あたしの演奏と、メニーの歌声が、終わった。






「ね?」



 あたしは首を傾げた。



「歌と楽器が混じれば、意外と凄い感じに聞こえるでしょう? だから、こんなもんでいいのよ。最初の課題曲なんて」



 肩をすくめた途端、



 ――広場が歓声と拍手に包まれた。



(ん?)


 きょとんとして、振り向くと、

 とんでもない量の人々が噴水前に集まり、拍手を、歓声を、盛大な盛り上がりを見せていた。


「……っ!?」


 何が起きているか分からない。驚きのあまり、目を見開く。呆然と固まっていると、


「ブラボー!!」


 いつの間にか、タンバリンを持ってはしゃぐヘンゼが、拍手代わりにタンバリンを叩いた。


「素晴らしいぞおおおおお!!」


 いつの間にか、コントラバスを両手で掲げたグレタが叫んだ。


「くすす」


 いつの間にか、人々の中にいたソフィアが笑いながら拍手をしていた。


「なんて素晴らしい演奏でしょう!! エクセレントォ!!」


 近くの喫茶店の前で、ぶわっと泣き出したジェフが立ち上がって猛烈な拍手をしていた。ジェフだけじゃない。広場に集まった人々で、噴水前が拍手喝采の嵐となる。


「素晴らしいよ! お嬢さん方!」

「聴き惚れてしまった!」

「すごいな! マイク! 聴いたか!」

「うん!!」

「ポーク!! やっぱりニコラは最高の女だぜ!」

「そうだね兄ちゃん!! ちょーかっこいいぜ! ピグレットもそう思うだろ!?」

「ああ。そうだね。兄さん。素晴らしい演奏だった!」

「ハニー! 素晴らしい演奏だったね! まるで僕達のようだ!」

「ダーリン! 素晴らしい演奏だったわね! まるで私達のようだわ!」

「「カー」」

「シュー!」

「おお、よしよし、お前達。全く、はしゃいでしまってしょうがないな。ははは」

「すごいすごい!」

「きっと狼さんも大喜びだ!」

「狼が来たら俺達も歌えばいいんだな!」

「そうだね!」

「次から歌おう!」

「ジャックの歌しか歌えないよ!」

「じゃあまた挙手で決めよう!」

「……奥様には黙っておきますね。テリー」

「社長! 素晴らしいですううううう! にこっ!!」

「テリー様! ジェフは……! ジェフはああああ……!!」

「くすす。いい場面に出くわした。流石だ。私の恋しい子」

「メニー! すごい! 拍手の嵐! すごい! すごい!」

「あ、ありがとう……。リトルルビィ……」

「なあ、あの歌ってた子は誰だ?」

「かなりのべっぴんさんじゃないか!」

「見たことがないぞ!」

「おい、あれはメニーお嬢様じゃないか! ベックス家の美しいご令嬢様だぞ!」

「ご令嬢ですって!?」

「道理で歌が上手いわけだ」

「美しい子だ……!」

「よし、俺はあの子の彼氏になるぞ!」

「兄貴! 頑張るでやんす!」

「ヴァイオリンを持ってる方は誰だ?」

「見たことがない」

「なんて素晴らしい音色だ……」

「ブラボー!!」


 拍手に包まれる。皆が拍手をする。口笛を吹く。歓声が起きる。


 ――あたしの体が硬直している。


「テリー! メニー! ぶらぼー!」

「え、えっと……、お姉ちゃん……」


 人の多さに興奮するリトルルビィと戸惑ったようなメニーの声が聞こえる。……あたしは動かない。


「お姉ちゃん……?」


 動けない。


「テリー! すごい!」

「……お姉ちゃん?」


 リトルルビィとメニーの声が聞こえるが、


 動けない。



 ――とんでもなく、いかれた演奏だったな。

 ――ああ。耳がおかしくなると思ったよ。

 ――ベックス家のご令嬢達だ。良い顔しておけ。



 動けない。



 ――素晴らしい演奏でしたぞ。マダム。

 ――いやいや、素晴らしいお嬢さん方ですなあ!



 ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち。



 手が震える。

 ヴァイオリンを落としてしまいそう。

 足が震える。

 呼吸が少し、荒くなった気がする。

 拍手喝采。

 前から、後ろから、横から、東西南北の周りから、拍手が聞こえてくる。

 感動の歓声が聞こえてくる。



 それが、その気持ちが、拍手が、全部嘘だと思ってしまう。




「……お姉ちゃん……?」


 メニーが立ち上がり、一歩前に歩く。


「テリーお姉ちゃん」


 あたしの手を握ると、


「素晴らしいわ」


 凛とした、その声が聞こえた。あたしは目を見開く。メニーがはっと顔を上げる。リトルルビィも慌てて立ち上がる。周りがその声に振り向き、慌てて一歩下がった。


「王妃様だ!!」


 誰かが叫び、


「王妃様!」


 誰かがその名を呼び、


「スノウ様!!」


 人々が、速やかに、一歩、二歩後ろに下がり、道を開ける。

 噴水前まで出来た一本道から、毅然と立つ、美しい王妃のスノウ様が現れる。

 美しい笑顔で立つスノウ様が、言葉を並べた。


「何ということでしょう。皆様、お聴きになられましたか? 平日の昼時に流れた、言葉に出来ないくらい素晴らしい音色の演奏を。実に、誠に、見事に、はるかに、美しいものでした」


 人々が開けた道をゆっくり歩き、あたしと、その傍であたしの手を握って隠れるメニーに近づく。


「感動しました。私は心から感動致しました。そうでないと、わざわざこのような場所で、注目を集めることなど致しません」


 スノウ様の足が止まる。俯くあたしと、見上げるメニーの前に、微笑むスノウ様がいた。あたしはスノウ様の美しい銀の靴を、じっと見つめる。

 スノウ様の夜のような青い瞳が、メニーを見下ろした。


「歌ったのは、貴女?」


 メニーがこくりと頷き、スノウがうっとりとメニーを見つめる。


「なんて美しい歌声でしょう。まるで天使の歌声だわ。美しく可憐なレディ、お名前は?」

「あ……あの……」


 メニーがちらっと、俯くあたしを見て、あたしの手を離し、スノウ様を見上げ、ドレスをつまみ、お辞儀する。


「メニー・ベックスと申します。王妃様」

「ベックス……」


 スノウ様が呟いた。


「なるほど」


 ちらっと、あたしを見た気がした。


「メニー・ベックス」


 ふわりと、メニーに微笑んだ。


「今日、噴水通りを通ったのは、運がいいことでした。素晴らしい演奏に、素晴らしい歌。私の胸がときめきました。美しい歌をどうもありがとう。メニー」

「……光栄です。王妃様」


 ぺこりと、メニーが頭を下げる。それをスノウ様が、メニーの肩に触れて止める。


「頭をお上げに。メニー」

「……はい……」


 メニーが戸惑いと困惑の表情で、またスノウ様を見上げる。天使のようなメニーの美しさに、スノウ様もうっとりと見惚れる。


「本当に天使みたいな子ね。こんなに綺麗な子を、私は見たことがありません。メニー、今日は貴女の歌声を聴けて、私は心から感動しております」

「……身に余るお言葉、光栄です」

「本当に素晴らしかったわ」


 スノウ様が微笑む。


「歌声も」


 スノウ様が微笑む。


「ヴァイオリンの音色も」


 うっとりと微笑んで、


「演奏したのは、貴女?」

「っ」


 あたしの肩にその手が触れた途端、とうとう、あたしはヴァイオリンを地面に落とした。


「あら」


 スノウ様が声をあげた。


「だいじょ……」


 あたしの足が、しびれを切らして駆け出した。


「あっ……」


 スノウ様が思わず声をあげる。


「え……」

「お姉ちゃんっ!?」

「え? テリー?」


 メニーとリトルルビィが驚きの声をあげる。あたしはそれを無視して走る。


 全速力で駆け出す。


「お姉ちゃん! 待って!」

「あっ、メニ……」


 止めるリトルルビィを無視して、メニーが走った。あたしは走った。人々が作った一本道を駆けだして、逃げる。


「お姉ちゃん!」


 あたしは歯をくいしばって走る。腕を振って、全力で走る。


「お、お姉ちゃん!」


 メニーが追いかけてくる。あたしは逃げる。人々の集まる噴水前から走っていく。


「待って! お姉ちゃん! お姉ちゃん!!」


 あたしの足は止まらない。狭い道を渡り、歩く人達を避けて、目の前の道を走る。


「お姉ちゃん!」


 路地裏に駆け出す。走る。笑い声が聞こえた気がした。


 ――ベックス家の娘だ。良い顔しておけ。

 ――ああ、なんて音色だ。


 下手くそ。


 いかれてる。


 下手くそ。


 下手くそ。


 なんだね? あの演奏は?


 ベックス家の愛娘達さ!


 いかれた演奏会だったな!


 ははははははははははははははは!!


(やめて)


 あたしは走る。


(やめろ)


 あたしは走る。


(やめろ)


 誰にも聴かせない。


(やめろ)


 曲が完成するまでは。


(やめろ……!)


 完璧に弾けるようになるまでは。


(やめろ!!)





「出来るわ。だって、あたし、天才のテリーだもん!」





 出来なかったじゃない!!!!!



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