第18話 10月13日(2)
15時。西区域。レンガ通り。
「るんるん! るんるん!」
アリスがポーチを抱き締めて、肩にかけた手提げの紙袋にキッドのTシャツ二枚と、他のグッズを入れたまま、くるんくるんと回った。ステップを踏みながら、くるんと回って、鼻歌を奏でて、一歩前に進んで、またくるんと回る。
「キッド様のTシャツもポーチも、グッズが全部可愛い!!!」
あたしはがんがんと痛む頭を押さえたまま、はしゃいで回るアリスと共にレンガの道を歩く。
(頭が痛い……。……これが催眠……呪い……洗脳ってやつなのね……。あたしは……初めて呪いにかかったのね……)
頭がずきずきする……!!
「はあ……。……見て、ニコラ。私の戦利品の品々を! 素晴らしいグッズ達を!!」
アリスが目を輝かせて、あたしにそのグッズ達を見せつけてくる。あたしは頭を押さえながら、思いきり、ぎろりと、そのグッズ達を睨みつけた。
(キッド……絶対許さない……!)
(あたしにキッド殿下万歳を言わせるなんて、あいつ覚えてなさい……!)
(全部あいつのせいよ……! あいつが全部悪いのよ……!)
(この屈辱、恨み……晴らさないでいられようか……!!)
(何よ、あのグッズ達……!)
(妙にデザインが凝ってるのよ……)
(イラッとするのよ!! むかつくのよ! きいいいい!)
ぐうううっと歯を食いしばっていると、興奮で頬を赤らめたアリスが胸を押さえて、回るのを止める。きちんと前を歩き出し、あたしに微笑んできた。
「ねえ、ニコラ! 戦利品も手に入れたことだし、付き合ってくれたお礼として、この後、私の家でお茶でもしない?」
「ん?」
頭を押さえたままのあたしが、きょとんと、アリスに顔を上げた。
「アリスの家?」
「そう! ここから近いの!」
アリスがにこっと元気に笑う。
「せっかくだからおいでよ。売り場の帽子達も眺めていいわよ。もちろん、私の作業部屋も見せてあげる!」
「アリスの作業部屋なんてあるの?」
「私は自分の部屋を作業部屋って呼ぶのよ。遊ぶのだって寝るのだって作業でしょ?」
「何よ。それ」
くすっと笑って、アリスを見る。
「でも、そうね」
近くの喫茶店に誘おうと思ってたけど、それならお金もかからないし、アリスとも長い時間一緒にいられる。将来行く予定の帽子屋の下見も出来て、全てがパーフェクトだわ。素晴らしい。
頭から手を離して、あたしも薄く微笑んで、友達のアリスに頷いた。
「いいわ。行く」
「決まりね!」
さあ、そうと決まれば、
「行こう。ニコラ、こっち!」
アリスがあたしの手を握って、一歩踏み込むと、
――突然、音楽が道に響き、周りを歩いていた人々がざわついた。
「え?」
「ん?」
手が離れたアリスとあたしも、きょとんと顔を見合わせる。
「何だろう?」
「何かしら?」
アリスとあたしが、周りの人々が見る先に視線を動かした。
その先には、小さなパレード。
団体が固まって演奏しながら歩いていた。魔女がいて、吸血鬼がいて、ミイラがいて、ゾンビがいて、手錠をする囚人がいて、海賊がいて、修道院がいて、狼人間がいて、ピエロがいて、その他にも、仮装して歩く数人。中心には二匹のロバが引く大きなソリ。その周りを歩く数名で音楽が奏でられる。太鼓を叩き、シンバルを鳴らし、笛を吹き、踊り、舞い、愉快で小さなパレードが列を乱さず、決められた道のみで歩いてくる。
「あ」
「げっ」
アリスとあたしが先頭のソリに乗る人物を見て、アリスは頬を真っ赤に染めて、あたしはぎょっと苦い顔をして、周囲の人々は興奮した様に目をハートにさせた。
「キッド様ああああああああああ!!!」
赤と黒で統一されたトランプのような色のスーツ。赤いマント。黒のシルクハットを被り、ハートのステッキを持ったキッドが、にこにこと微笑みながらパレードの先頭のソリに乗り、皆に手を振っていた。目をハートにさせたアリスを含む人々が歓声をあげる。
「キッド殿下ああああ!」
「きゃーーー! キッド様あああ!」
「仮装姿だああああああ!!」
「誰か、誰か写真の許可を!」
「ああ、かっこいい……! じゅるり!」
「素敵すぎて胸の高鳴りが止まらない!」
「どうか、どうか一度だけ、この俺にキスをさせてください……!」
「どうか、どうか一度だけ、私の手にキスを……!!」
「美しい!!」
「麗しい!!」
「ああ!! 目が焼ける!!」
「ああ!! 溶けてしまう!!」
「とろけるプティング!!」
「すごいよなあ。最後までチョコクリームたっぷりだもん」
「特別な存在! ヘルタースオリジナル!!」
「特別な存在! それはキッド様!!」
「キッド様素敵いいいいい!!」
「キッド殿下万歳!!」
「キッド殿下万歳!!」
「キッド殿下万歳!!」
「キッド殿下万歳!!」
アリスも叫んだ。
「本物のキッド様ばんざぁぁぁああああい!!」
(見回りの仕事って、これのこと?)
遠目でその姿を見守る。まるでトランプの国の王子様。ハートのステッキが似合う王子様なんてどこか女々しい気もするが、お茶目っ気があって、その衣装にはよく似合っていた。
(別に驚いて叫ぶほどでもない)
やっぱりいつも通り、顔だけいい男。ハロウィン当日の仮装も、これなら賭けに勝ちそう。
(勝ったら一人寂しく広場を歩くあいつを遠目で観察してやろう。指差して笑ってやろう。……)
……ぐふふ。
(ぐふふふふふふふふ!)
あたしは確信した。今度こそ、あたしは勝てるわ!! 何もかも、リオンにも! キッドにも! 全部に! オールで! 勝てるわ!! あたし、勝てるのよ!! パーフェクトにエレガントにエクセレントに勝利を掴むのよ!!
きらりんと、あたしの目が輝く。
(キッドとの賭けに勝って、リオンに手柄を渡して、あたしは自由にハロウィンを楽しんでやる!)
(キッドと歩かなくて済むわ!)
(メニーは嫌だけど! 可愛い可愛いリトルルビィがいる! あたしはいつも通り、あの二人と出かけるわ!)
(ゆっくり三人で街を歩いて楽しんでやる!)
(やったやった! この勝負、あたしの勝ちだわ!!)
(やっぱり見慣れたキッドの仮装なんて、驚きもしない!)
(見たか! キッド! あたしの勝利よ!)
(ざまあみろ! キッド! あたしにキッド殿下万歳なんて叫ばせるからよ!)
(ばーか! ばーか! ざまあみろーーーー!!)
(おーーーほっほっほっほっほっほっほっ!!!)
にやにやと、いやらしい笑みを浮かべていると、あたしの視界に映った二人。
(……ん?)
よく見てみると、ソフィアとリトルルビィがいた。
ソフィアは仮面をかぶって、ぼろぼろのみすぼらしい旅人のような服を着て、細くて長い指で笛を奏でている。美しい音色だ。一方、リトルルビィも仮面を被り、赤いマントを羽織りながら、可愛い白と赤のドレスを着て、白い靴下に赤い革靴を身にまとい、演奏の音色に合わせてくるくると舞い、バスケットを腕にぶら下げ、花びらを風に任せて飛ばしていた。
(なるほど。リトルルビィ、このことを言ってたのね)
昨日の、西区域を歩けば? と妙にしつこく言われていたことを思い出す。
(あたしに見せたかったってこと?)
馬鹿な子。
(可愛いことしてくれるじゃない)
いちいち胸がどきどきするじゃない。リトルルビィったら罪な子ね。
(月曜日に会ったら頭撫でてあげようかしら。よく出来ましたって。お姉ちゃんみたいに。頑張ったことって、褒められると嬉しいもの)
優しく頭を撫でてあげよう。
(きっと飛び跳ねて喜ぶんでしょうね。あの子なら)
改めて、二人の姿を見る。
(ソフィアが笛吹きの旅人、リトルルビィが赤ずきんの吸血鬼ってところかしら?)
「ハロウィン仕様……!」
アリスが興奮したまま、キッドが引き連れる小さなパレードを見て、ソリに乗るキッドを見て、うっとりと見惚れた。
「ああ……素敵だわぁ……。さっきまでキッド様のグッズ販売会場にいたはずなのに……! 見ても見ても全然飽きない! 本当に素敵……! 美しい……! 麗しい……!!」
じっと帽子を観察して、
「あのシルクハットが衣装全体に合ってる。すごい。彩りも最高。キッド様って赤も黒も似合うのね。ニコラもそう思わない?」
「あー」
にこりと微笑む。
「思う思う。すごいすごい」
「そうよね! すごいわよね!!」
アリスが両手を握り締めた。
「キッド様ってばセンスいいんだからぁあああ!」
(アリス、キッドはね、やめた方がいいわよ。本当に)
興奮するアリスを見て、ため息を出す。
(……ま、パレードは見てあげるわ。リトルルビィが頑張ってるんだもの)
あたしはじっと見つめる。
あたしはじっと聴く。
パレードの演奏が辺りに響く。
お化けが躍る。
子供が歌った。
ジャック、ジャック、切り裂きジャック。
愉快に、楽しそうに、歌う。
皆、わくわくしたように、小さなパレードを見つめる。
皆、どきどきしたように、小さなパレードを見つめる。
皆、興奮する。
皆、盛り上がる。
あたしは思う。
――アリーチェは、これを見て何とも思わないの?
楽しいハロウィンは、もう少し。
あと、17日。
二週間と、三週間の間。ほんの先。
(アリーチェ)
何を考えている。
(アリーチェ)
お前は、誰だ。
(アリーチェ)
なんで人を殺すのよ。
(アリーチェ)
お前の目的は、一体何なの。
どうして、大量殺人事件なんて、起こすのよ。
音楽が奏でられる。
笛が吹かれる。
花が舞う。
お化けが踊る。
お化けが舞う。
お化けが演奏する。
お化けの集団が楽しむ。
見ている人々もうっとりと見惚れる。
ジャック、ジャック、切り裂きジャック。
キッド達を見ていた子供達が歌い続ける。
愉快に、楽しそうに、歌い続ける。
キッドが人々に手を振り続け、微笑み、ふと、あたしの目と、キッドの目が、ばちりとぶつかった。
(あ)
はっとする。
(目が合った)
キッドがあたしから目を逸らす。
(ん?)
団体に振り向き、キッドが小さく手を上げて、演奏が止まった。ロバの足も止まる。
(ん?)
キッドがソリから下りた。
「きゃあああああ!!」
「うおおおおおお!!」
キッドがこちらに向かって、歩いてきた。
(……西区域の皆様に挨拶でもするのかしら)
そう思ってぼうっと眺めていれば、アリスが、はっとした。
「ちょっと待って!?」
がしっと、アリスに手首を掴まれる。
(おっと)
その手を見下ろす。
(……急に掴んでくるなんて、不意打ちは卑怯よ。アリス。……もう、しょうがないんだから)
少しにぎにぎしてから、そっとアリスの手を掴み、掴まれた手を引っ張る。抜けない。……。……ぐぐっと引っ張る。……抜けない。……。……一歩下がって、ぐぐっと引っ張る。……抜けない。
「……」
はあ、とため息。もう一度、腰を入れて、ぐーーーーーーーーーーっと引っ張る。抜けない。アリスの手は解かれない。
(……抜けない……)
何これ。痛くないのに、硬い。
(……抜けない……)
ぐぐっと引っ張ると、
「……ニコラ……」
アリスが視線を向けたまま、声を震わせた。
「……キッド様がこっち来てる……」
「……んなわけないでしょ」
顔を上げると、キッドがあたし達に向かって、歩いてきていた。周囲の人々が、男女問わずピンク色の悲鳴をあげる。
(……ん?)
あたしの眉間に皺が寄る。何でこっちに来てるの?
(キッドがこっちに来る理由はない)
いや、近くで挨拶するだけかも。
(じゃあなんでこっちに向かって歩いてる?)
人々に微笑めば、人々が一歩引く。キッドに道が作られる。あたしも一歩引く。アリスの手は固い。抜けない。
「アリス」
あたしはアリスを、真剣な眼差しで見た。
「あたし、何だか頭が痛くなってきたわ。ね。いい子だからこの手を離してくれない?」
「あわわわわわわわ」
「アリス、聞こえる? アリス」
「あわわわわわわわ」
「アリス、お願い。この手を……」
「あわわわわわわわ」
ぎゅううううううううううううううう!
「アリス、意識を強く持つのよ!」
ぎゅううううううううううううううう!
「大丈夫! あたしがいなくても大丈夫! もう、お子様じゃないんだから!」
ぎゅううううううううううううううう!
「アリス! アリス! しっかりおし! アリス!」
キッドは確実に近づいている。
「手を離して! 大丈夫! アリスならやれるわ! 大丈夫!」
キッドは微笑んでいる。
「アリス! あたしは! ちょっと! あの! 急用が!!」
キッドの足が、確実にこちらに向かっている。
「アリスーーーーーーーー!!」
必死に引っ張って、必死に顔を青くして、必死に身を引っ張った。
「離して! 今すぐに! こら! 離せ!! アリスぅううううううう!!」
(抜けない! 抜けない! 抜けない!!)
「あわわわわわわわわ……! ニコラ、あの……! ……キッド様が……!」
(あばばばばばばばばばばばば)
一歩、また一歩、お国の第一王子が、あたしとアリスの方に近づいてくる。
(来るな来るな来るな来るな来るな!!)
テンパるアリスの横で、にこにこするキッドを睨んだ。
(止めろ止めろキッドを止めろすぐに止めんかい!!)
テンパるアリスの横で、遠くにいるソフィアを睨んだ。
(こらこらこらこらこらこらあんたの舞をあとでたーーーくさん褒めてあげるからキッドを止めてお願いだから!!)
テンパるアリスの横で、遠くにいるリトルルビィに助けを求める。
(来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな!!)
またキッドを睨んで、一歩下がって、手が抜けなくて、後ずさってもアリスの手が石のように固まってて動けない。再びキッドを睨んで、頭の中で、それはそれは、大きな声で叫んだ。
(こっちに来るなああああああああああ!!!!!)
「やぁ、こんにちは。また会ったね」
キッドがアリスに笑顔で声をかける。アリスがはっと息を呑み、さらにぎゅうううううっと、あたしの手を握った。
(ぐっ……! アリス、痛い。流石に痛い。うっ、手にダメージが……。手が! 手が! あたしの手が……!)
アリスが息を吸って、返事をする。
「は、は、はい! キッド、様! あの! この間は、あの! 助けて、いただき! あの! ありがとう! ございました!!」
上擦った声を発するアリスに、キッドがくすっと笑った。
「ふふっ。元気そうで良かった」
「は、はい! 私はいつでも! 元気です!」
「良いことだ。君のような可愛くて可憐なレディには、元気な笑顔がよく似合うよ」
キッドがにこりとさわやかな笑みを浮かべれば、ずきゅん!! とアリスのハートに愛の銃が撃たれる。そんなアリスを、横目でじとっと見る。
(アリス! そんな奴にときめく必要はないのよ! 目を覚まして! こいつね! 蓋を開ければ最低な奴なのよ! 今に分かるわ! だから騙されちゃ駄目! いい!? 気を強く持つのよ! あたしは友達のアリスを絶対に見捨てたりしない!)
「これからも素敵な笑顔でいてね。可憐なレディ」
「は、はいぃいい……!」
アリスの目からハートが飛び出している。そんなアリスが胸に抱えるポーチと肩にかけた手提げバッグに入ったグッズ達を見て、キッドがきょとんとした。
「……あれ? それ……」
「はっ!!」
アリスがカッと顔を赤くさせて、慌てて背中にポーチとバッグを隠す。
「あ、あの、恥ずかしながら、私、あの、キッド様のファンクラブに入ってまして……!」
さっき、グッズが販売されていたんです。
「その、買った、帰りで……」
「ええ、そうなの? わぁ……、ありがとう!」
キッドが無邪気な笑みを見せて、あたしの手首を掴むアリスの手に、自分の手を重ねた。
「ひぇっ!!」
(え?)
アリスの手がびくっと痙攣し、あたしの手を離した。
(はっ! 抜けた!)
思わず自分の胸に手を抱えて、見下ろすと、あたしの手に、アリスの手に握られていた痕がついていた。
(うっ)
ぞっと身の毛がよだつ。
(……あたしの美しい手に……アリスの手の痕が……。手の痕が……)
……。
(友達の熱い友情の痕だわ……)
あたしの目がきらきらと輝く。アリスの目がきらきらと輝く。キッドを見つめて、ぼんやりとその青い目に見惚れる。キッドがアリスの手を優しく握り、微笑んだ。
「応援してくれるの、すごく嬉しいよ。ありがとう。君達の期待に応えられる王子として頑張ります。これからもよろしくね。笑顔の素敵な、美しいレディ」
嬉しそうに微笑んだキッドが、アリスの手に近づいた。
(ん?)
あたしの目が横を見る。
(え)
キッドがアリスの手を持ち上げて、
(あ)
キッドの唇が近づいて、
(あっ)
アリスの手の甲にキスをした。
あ。
あたしの視界に映る。
アリスの手の甲にキスをするキッドがいる。
あたしの目に、キッドが映る。
あたしの目の前で、あたし以外にキスをしているキッドが映る。
「っ」
とうとうアリスの息の根が止まった。ぱたりとアリスが倒れた。目にはハートを浮かべている。
「おやおや、これは」
キッドが笑った。
「突然倒れてしまった。大丈夫かい? レディ」
アリスは目をハートにさせて、気絶している。
「ふふっ。気絶してしまうなんて、可愛いレディだ」
キッドがくすりと笑うと、周囲からうっとりした息が漏れた。
キッドは微笑む。アリスはうっとりして気絶している。キッドは微笑み続ける。周囲はうっとりしている。
あたしは、
……あたしは一人、その光景を、静かに見ている。
「君は?」
声に反応して、ちらっと視線を動かすと、微笑んだキッドがあたしを見ていた。天使のような笑みは、嘘にまみれている。
「この子の友達?」
「はい」
あたしは口角を上げた。その笑顔は嘘にまみれている。
「この子、貴方様のことが好きなんです。だから、喜んで、気絶しちゃったんだと思います」
「ふふっ。光栄です」
「ええ」
キッドがあたしを見つめる。
「君はどうですか?」
あたしはキッドを見つめる。
「この私のことを、好きでいてくれますか?」
あたしは一歩引いた。
「王子様を好きじゃないレディなど、おりません」
あたしは笑顔で答える。
「では、好きでいてくれますか?」
笑顔のキッドが訊いた。
「もちろんです」
あたしは笑顔で答えた。
「貴方様を求めていないレディなど、おりません。キッド殿下」
にこりと笑う。
「楽しいパレードを見せてくださって、ありがとうございます」
形だけの言葉を吐く。
「感動しました」
キッドを見つめる。
「どうぞ。この子のことは気にせず、パレードにお戻りください」
「それでは」
キッドが笑う。
「別れのキスを」
キッドがあたしの手に手を伸ばした。
あたしはまた一歩下がって、キッドの手を避けた。
キッドの手が空振る。
キッドがきょとんとして、あたしを見つめる。
あたしはキッドを笑顔で見つめた。
キッドがくすっと笑った。
「シャイなレディも、嫌いじゃありません」
そう言って、あたしに背を向けマントを翻す。歩き出す。一歩、また一歩歩いて、パレードのソリに戻っていく。足をかけて、ソリに乗ると、キッドの赤いマントが風でなびいた。手に握る杖を空に向けて掲げ、叫ぶ。
「トリック・オア・トリート!」
また演奏が始まる。
道に並んで眺める人々が、歓声をあげる。あたしは口角を下げた。
(……ああ、頬がぴくぴくする)
わざわざ人々に見せつけるようにこちらにやってきて、
見せつけるようにキスをしようとしてきて、
見せつけるように、
アリスの手に、キスをしやがって、
(……)
なんだろう。
なんか、
なんか、変。
(キッドがキス魔なのは、いつものことじゃない)
(キッドが人を魅了させるのは、いつものことじゃない)
(キッドが見せつける行動をするのは、いつものことじゃない)
思い出せば、思い出すほど、その光景が、アリスの嬉しそうな顔が、キッドの偽物の笑顔が、美しいその笑顔を、思い出せば、なぜか、どうしてか、
胸がもやもやする。
(生理、終わりかけなのに)
ホルモンバランスが崩れてるのだろうか。
(……ああ、やだやだ)
せっかくのアリスとの休日だというのに。
「アリス、行きましょう」
キッドに関係ない話をして、盛り上がりましょう。友達らしく。
「……ん?」
アリスを見下ろす。
アリスはうっとりしている。
アリスは脱力している。
アリスは気絶している。
「アリス?」
あたしは跪き、アリスの肩を叩いた。
「アリス?」
アリスの目はハートになっている。
「アリス?」
アリスの意識はない。
「アリス!?」
あたしはアリスの肩を揺らした。
「アリス! アリス! しっかりして! アリス!!」
アリスの魂が口から出てきた。
「駄目! アリス! 駄目よ! 死なないで!」
アリスは安らかに眠っている。
「誰か! 誰か助けてください!!」
世界の中心で、あたしが叫んだ。
「助けてくださいぃぃいい……!!」
意識のないアリスを抱えて、世界の中心で友を叫んだ。
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