第12話 10月7日(2)


 道を進んでいるとリオンが出店を見て、あたしに声をかけた。


「あ、アイスクリーム売ってるよ。そうだ。君に買ってあげる」

「いらない」

「お詫びだよ」

「いらない」

「何味がいい?」

「いらない」

「抹茶がある。やった。僕、抹茶味が好きなんだ。ニコラは何味が好き?」


 黙って歩くと、リオンが言った。


「……君のお財布で買っちゃおうかなー?」


 振り向くと、リオンがおどけた顔で、じいじの財布を持っている。


「返して!」

「おっと」


 手を伸ばすと、リオンが微笑んで手を上に伸ばした。あたしから財布を遠ざける。


「この……!」


 ぎろっと、リオンを睨む。


「わけ分かんないのよ! お前! さっきから何なの!」

「お詫びをしたいだけさ。アイス、何がいい?」

「いらないって言ってるでしょ! 人参も弁償してもらった。もういいわ! 満足よ! お詫びもそれでいい!」

「駄目。僕が納得しない」

「いい加減に……!」


 言い返そうとした瞬間、遠くから歓声があがった。


「きゃあああああああああああ!!」

「キッド様ああああああああ!!」


(えっ)


 慌てて振り向くと、そこに人だかりが出来ている。


(あの先に、キッドがいる!?)


 あたしの顔が青くなり、慌ててリオンに振り向く。


「ちょっと! 早くお財布かえし…」


 振り向くと、リオンがあたしと同じ顔をしていた。


(あ?)


「き、キッド兄さん……?」


 上擦った声で呟き、人だかりになっていくその場所を見て、あたしの腕を掴んだ。


「いっ!? ちょ! 何するのよ!」

「逃げるぞ!!」

「は!?」

「早く!!」

「は!?」


 リオンがあたしをぐいっと引っ張る。そしてまた青い顔で、全力疾走で道を走り出す。


(なななななななななななな!!!)


 早い早い早い早い早い早い早い!!


(足が追い付かない! 転ぶ!!)


「こっちだ!」

「ひっ!」


 リオンに引っ張られ、草の中に転がる。


「てめっ……!」

「しっ!」

「んっ!」


 リオンがあたしの口を塞ぎ、青い顔で草の中から道を眺める。あたしも一緒に眺める。遠くから悲鳴と歓声が聞こえる。道を兵士が歩く。その中心に、皆に手を振るキッドが歩く。


「キッド様ああああああああああ!!」

「きゃああああああ!! こっち向いてーーーー!!」


(……うわああ……)


 にこにこと嘘の笑顔を浮かべるキッドが手を振れば、皆がメロメロになる。すると、3歳くらいの女の子が母親の手から離れ、キッドに向かって走っていく。それをキッドが笑顔で抱き上げ、母親に歩いていく。


「元気で素敵なレディですね。将来が楽しみです」


 ふわり、と天使のように微笑むと、赤面した母親が倒れた。女の子はきょとんとした。母親の周りにいたレディと紳士も、ぶっ倒れた。女の子が拍手して、キッドが女の子を地面に下ろす。


「じゃあね。小さなレディ」


 くすっと笑ってまた道を歩き出す。キッドが笑えば、皆、目をハートにさせて倒れてしまう。それが繰り返される。キッドが兵士に囲まれながら、公園の道を歩いていく。やがて通り過ぎ、気配が無くなる。


(……行ったか?)


「……行ったか?」


 あたしが思ったことと同じことをリオンが呟いた。

 その声を聞いて、あたしははっとする。後ろから口を押さえてきて、肩を掴んでくるリオンを睨む。


(こいつ!!)


 リオンの手をがぶっと噛むと、リオンが情けない悲鳴をあげた。


「いてっ!」


 睨むあたしを見下ろし、はっとする。


「おっと、これはこれは」


 リオンがあたしの口からようやく手を離し、ぷはっと息を吐いた。そして、またリオンを睨む。


「……レディの口を二度も塞ぐなんて、どういう神経してるわけ……?」

「仕方ないだろ。兄さんがいたんだから……」


 その顔は青い。


(……ん?)


 あたしの眉間に皺が寄った。


「何よ。自分のお兄さんのこと嫌いなの?」

「あの人のことは心から尊敬してるよ。……尊敬、してる……けど……」


 リオンがうんざりげにため息をついた。


「会いたくないんだよ……」

「え?」

「ねえ、ニコラ」


 リオンがあたしを見下ろす。


「君もキッド兄さんが、白馬に乗った笑顔の素敵な王子様だと思ってる?」

「え?」

「キッド兄さんが好き?」


 あたしはリオンを見上げる。


「王子様を嫌いな女はいません。リオン様」

「ああ。言えてる。確かに君の言う通り、王子様を嫌いな女の子はいない」


 リオンが表情を曇らせて、眉をひそめる。


「ただ、これだけは言える。皆、勘違いしてるよ。あの人のこと」

「あ?」

「騙されてるよ。あの笑顔に」


 リオンがげっそりした声で呟く。


「兄さんのこと知らないからメロメロになれるんだよ」


 リオンが呟く。


「兄さんが、理想の王子様に見えるだろうけど」


 リオンが、


「違うよ?」


 目を見開いた。


「あの人は、笑顔の素敵な王子様なんかじゃないよ?」


 リオンの目の色が変わった。


「悪魔だよ?」


 恐怖の色に変わった。


「魔王だよ?」


 皆、何を騙されているの?


「あの人はさ」

「人を馬に見立てて乗っかって」

「笑顔で僕の脇腹を蹴ってきて」

「行け進めリオン! その火で囲われた輪っこに突っ込むんだ! さあ! 行け!」

「……って、笑顔で容赦なく言ってくる悪魔の一種だよ?」

「なんで、皆、あの悪魔の笑顔に騙されてるの?」

「おかしいよ」

「なんでだよ」

「この国の人達、皆、おかしい」

「キッド様万歳?」

「おかしいだろ!」

「あの人こそ世界を治めたら駄目な魔王だ!」

「なんで支持するわけ!?」

「しかも、兄さんが王子って名乗ってから一年しか経ってないのに!」

「なんでこんなに大人気なわけ!?」

「おかしいだろ!」

「本当におかしい!」

「皆、狂ってる!!」

「いかれてる!!」

「しかも兄さんのグッズ、なんであんなに微妙に可愛く出来てるんだ!?」

「ちょっとだけイラっとするんだよ!」

「嫉妬とかじゃなくて!」

「そうじゃなくて!」

「微妙に可愛くてデザイン性に溢れているのがイラっとするんだよ!」

「ああ……ストレス溜まる……」

「帰ってきやがった……」

「ああ……帰りたくない……」

「あいつの顔……見たくない……」


 人を馬鹿にするのが生きがいのあの天才の本性。


「なんで誰も気づかないんだよぅ!!!」


 よぅ。よぅ。よぅ……。


 リオンの声が空に消えていく。あたしはきょとんと瞬きをする。リオンが深い息を吐いて、あたしを見下ろした。


「というわけで、駄目だよ。ニコラ。騙されたら。あいつの正体は正真正銘の悪魔だ」

「……心から尊敬してるんじゃないの?」

「これとそれとは話が別だ」


 リオンがあたしを見つめる。


「ニコラ」


 リオンがあたしに鋭い視線を送る。


「提案があるんだ」

「……何?」

「お詫びにお詫びとお礼を重ねて、報酬はたんまり渡そう」

「な、何よ? どういうこと?」

「協力してほしい」


 リオンがあたしに顔を近づける。


「交換条件だ」

「は?」

「ニコラ」


 どうかな? 提案なんだけど。




「僕の妹にならないか?」

「……は?」




 眉を全力でひそめると、リオンがくすっと微笑んだ。


「何も、本当の妹になれなんて言ってない」


 名前だけ。


「あくまで、名前だけの兄妹に」

「お、お前、何が目的よ!?」

「聞いてくれる?」


 長い長い物語の始まり始まり。


 昔々、とある王族の兄弟がおりました。一人はキッド。一人はリオン。

 ……。

 キッドは何でも出来る器用な天才王子。リオンは何も出来ない不器用な馬鹿王子。

 え?

 ある日、キッドが城から出ていった。城下町に住むと言って出ていった。リオンは残った。お陰で王子としての仕事は全部リオンに回ってきた。

 ……。

 リオンが王子としての仕事をしている間、キッドは城下町で知り合いを増やしていった。街の事件を一から百まで解決していった。街の事件解決はキッドのお陰だ。その間、馬鹿なリオンは父の言いなりになって書類整理を手伝い、謁見の相手をし、各国の舞踏会を歩き回った。

 ……。

 キッドが17歳になり、ようやく王子としての仕事をするようになった。リオンに与えられたのは時間。時間を手に入れたリオンは考えた。このままではいけない。ああ、そうだ。今まで僕に仕事を押し付けてきた兄さんと同じことをしよう。あの人以上に事件を解決して、僕を馬鹿にしてる人達に一泡吹かせてやろう。


「つまり」


 リオンが真剣な顔であたしを見つめた。


「キッド兄さんと同じように、街を歩き回って、小さな事件を解決していき、キッド兄さん以上の結果を出して、城に持ち帰る」


 リオンがにんまりとにやけた。


「そうすれば、僕は馬鹿王子という評価を消すことが可能になる」

「……そんな評価、初めて聞いた」

「誰も表で言うわけないだろ。僕は王子様なんだから」


 リオンが瞼を閉じた。


「でも、僕は気づいてる。皆、そう思ってる。兄さんは何でもできる。そして、努力をする。父さんの言われているがままにしていた僕と違って、自分で考えて、行動することが、兄さんには出来る」


 僕にはそれが出来ない。


「だから、協力者が必要だ」


 僕を導いてくれる『案内役』。


「ニコラ」


 瞼を上げたリオンがあたしをしっかりと見つめる。


「僕の妹になってよ」


 リオンがいやらしく微笑む。


「僕、下に兄弟が欲しかったんだ。弟でも妹でも、誰でもいい」


 リオンが笑った。


「言っただろ? 僕は人見知りなんだ。なぜこんなに君をしつこく追いかけたと思う?」


 ここまで話し相手になってくれた子が、初めてだからさ!


「報酬はあげる」

「何でもあげる」

「だから僕の妹に」

「妹役となって協力してほしい」

「僕の印象を変えるために」

「僕から馬鹿王子という評価を消すために」

「頼むよ。ミス・ニコラ」


 リオンの青い目があたしを見つめる。あたしはリオンを見て固まる。


(何が起こっている?)

(一体、なんでこんなことになってるの?)


 あたしは慎重にリオンに訊く。


「あたし以外にも、誰かいるんじゃないの?」

「いないよ」

「風の噂で聞いてるわよ。リオン様、学校に行ってらっしゃるそうで?」

「ああ。行ってるよ。でもね、こんなこと頼める子はいないんだ。皆、あくまで国の王子様として扱ってくるから」


 リオンが誇らしげに指を一本立てた。


「実はね、あの噴水で君にぶつかった瞬間に、ピンときたんだ。僕の勘って当たるんだよ。きっとニコラこそ、間違った道に行きそうになったら違うと言って僕を導いてくれる人なんだ。そうに違いない」

「何? 謝罪するって言ったのはそのためだって言いたいの?」

「ねえ、初めて会った人にこんなにしつこくすると思う? しかも二回も会えた。これはもう、僕らを女神アメリアヌが会わせたがっているに違いない。僕はこの運命に、この縁に、そのまま従うよ」

「勘違いじゃない?」

「11月に城でパーティーがある。ハロウィン祭の後に。そこで自信をつけた僕はキッドよりも輝くことになるだろう。絶対胸を張ってこの国の王子だって言ってやるんだ。……というわけさ」


 にこりと笑う。


「ね? 協力してよ。ニコラ」

「誰が」


 協力なんてするもんか。


 そう言って断ろうと口を開いたら、リオンがあたしに財布を見せた。あたしが黙る。リオンが微笑む。


「この中に入ってるお金、今この草の中でばらばらに落としてもいいよ。落としたらどうなるかな? こんな草の中で、全部見つかるかな? お使いを頼まれて渡されたお財布なんだろ? お爺ちゃんに頼まれたんだっけ? へーえ。じゃあ、大切なお金なんだろうね?」

「……」

「さぁ、どうする?」


 リオンが笑う。あたしは睨む。

 この男から離れる方法を頭の中で探す。

 関わりたくないリオンから離れる方法を探す。

 探した時に、昨日のドロシーとの会話を思い出す。


 ――テリー、リオンに近づく方法を考えるんだ。

 ――冗談じゃないわよ! あんな奴! あたしを死刑にした男よ? 仲良しこよしな顔をして近寄れって言うの?

 ――少しでも歴史の変化を食い止めるためだ。


 この話に乗れば、リオンを見張れる。だけど、あたしはリオンといたくない。


(こいつに媚を売るなんて願い下げよ)


 ……媚を売る?


(……)




 ――ひらめいた。




「……そうね」


 あたしは一つ、提案する。


「プラスアルファよ」

「ん?」


 きょとんとするリオンに言う。


「10月28日」


 その真実を告白する。


「ハロウィンの前の日に、この国にとって、良くないことが起きる」

「え?」

「人が死んで、怪我人も大勢出る」


 リオンが眉をひそめた。


「そうならないように、貴方もあたしに協力してくれるなら、あたしも協力してあげる」

「……それは、何の物語かな?」


 リオンがおどけた顔であたしに訊く。けれど、あたしは確信している。


「嘘だと思うでしょう? でもね、事は突然やってくるのよ」


 いいこと?


「あたしに協力するならあたしも協力する。協力してくれないならしない。交換条件に合ってるわ」

「……10月28日。今年のってこと?」

「ええ」

「ハロウィン祭の前に、一体何が起きるんだ?」

「良くないことよ」

「どこの情報?」

「詮索するならこの話は無し」

「……分かった」


 リオンが頷く。


「腑に落ちないが、とにかく、10月28日に良くないことが起きる。君はそれを……止めようとしている?」

「ええ。そうよ」

「僕は11月のパーティーに向けて、この町で小さな事件を解決していく。そのための協力者が欲しい」

「ええ。そうよ」

「なるほど」


 条件は満たしている。


「それで協力してくれるんだね?」

「貴方次第よ」

「いいよ」


 リオンが微笑む。


「分かった。協力しよう。それで君は協力する?」

「ええ」

「交渉成立」


 リオンが財布をあたしに手渡す。


「ニコラ、君は今から僕の妹だ。僕は君のお兄ちゃん。レオだ」

「レオね」

「レオお兄ちゃんと呼ぶといい」

「レオ、さっさとあたしを放してくれない?」

「レオお兄ちゃんって呼んでよ。そうだ。それがいい。お兄ちゃん」

「早く退きなさい。殴るわよ」

「お兄ちゃんは?」

「……」


『レオ』を睨んで、重い口を開ける。


「オニイチャン、早く退いて」

「はい。よく出来ました」


 レオが微笑み、あたしから手を離す。あたしは立ち上がり、体についた草を取る。そんなあたしを見上げて、レオが訊いてくる。


「ニコラ、学校は?」

「行ってない。昼は働いてる」

「どこで?」

「お菓子屋」

「どこの?」

「中央区域」

「商店街?」


 頷く。


「そう。何時まで?」

「16時」

「僕、基本的に学校が15時に終わるんだ。迎えに行くよ」

「あんた馬鹿じゃないの?」


 じろりとレオを睨んだ。


「顔が知られてるのよ。それで来られたらあたしが迷惑よ」

「じゃあ、待ち合わせ場所を決めよう」


 時計台を見上げて、レオが指を差す。


「17時。17時までにこの公園で待ち合わせだ。過ぎてもいなかったら、相手の都合が悪くて来れなかったと考えて、一人で街を歩くことにする」

「この公園広いのよ。どこ?」

「……そうだな」


 レオが見回し、湖の側の寂れたガゼボを指差した。


「あそこだ。あそこで待ち合わせ」

「あのガゼボ?」

「うん。明日から待ってるよ」

「明日からどこを歩くの?」

「そこら辺を散歩しようよ。散歩してたら、どこかで困ってる人が出てくるかもしれない。僕はそれを助けて、手柄を少しずつ取っていく」

「何時間?」

「最近暗くなるのが早いから、そうだな。18時前後くらい?」


(18時までこいつと歩くの……?)


 門限は20時まで。その後一人で街を見回るにしても、余裕はある。


「……まあ、いいわ」


 頷くと、レオが微笑む。


「そう。じゃあ、そうしよう」


 立ち上がった。キッドと同じくらい身長の高いレオが、あたしを見下ろす。


「噴水前まで送っていくよ」

「結構。一人で帰れる」

「そう言わず」


 黙って歩き出すと、レオが肩をすくめた。


「君はとてもクールな子だね」


 そう言って、あたしの横をついてきた。


「ねえ、実際お兄ちゃんはいる?」

「なんであんたに言わなきゃいけないの?」

「教えてよ。僕の妹なんだから」

「必要ない情報でしょ」

「必要だよ。知りたいんだ」

「結構」

「ふふっ。まだ警戒が解けないのかな?」

「はあ? あたしがあんたにびびってるって思ってるの?」


 レオを横目でじろっと見る。


「びびってなんかない。なめないで」

「はいはい」


 レオが鞄から何かを取り出し、あたしに差し出した。


「ニコラ、これをあげるよ」

「……ん。何それ」


 ちらっと、レオの手を見る。


「兄妹の証だよ。遠慮なく受け取って」

「……ふーん。いいわ。貰っておく」


 手を差し出すと、レオが手の上にそれを置く。


 変なキャラクターのへんてこなストラップ。


 思わずきょとんとして、それをまじまじと見つめる。


「……何これ」

「えっ、ニコラ、知らないのか……?」


 まさかと言いたげな、レオの目。


「ならば!」


 レオの目がきらーん! と輝く。


「教えてあげよう!」


 ニコラ!


「そうさ!」


 ニコラ!


「これこそ!」


 ニコラ!


「今、若者と城下町で話題沸騰中の、超超超超すげえブランドのアイテム!」


 レオが、自分の鞄につけているそれらを、胸を張って、堂々と、あたしに見せびらかしてきた。


「ミックスマックスのストラップさ!!」

「いらんわあああああああ!!!」


 超超超超ダサいブランド、ミックスマックスのストラップを思いきり湖に投げる。


「ああああああああああああああああ!!」


 レオが悲鳴をあげ、帽子と鞄を放り投げる。


「ニコラ! 君! このっ! 人の親切をよくも! この! 僕のミックスマックスが!!」


 レオが慌てて湖に飛び込んだ。


「うおおおおおお! 僕のミックスマックスー!!」


(その執着心はどこから来てるのよ……)


 兄弟揃って、何かに執着していないと、気が済まないらしい。


「はあ。帰ろう」


 歩き出すと、公園を歩いていた人達が、湖で泳ぐレオに視線を向けた。


「あら!? ねえ、あれ、リオン様じゃなくって!?」

「あらまあ!」

「うおおおおおおおお! ミックスマックスーーー!」

「きゃあ! リオン様だわ!」

「華麗に泳いでいらっしゃるわ!」

「なんて素敵なの!」

「どこだ!? 僕のミックスマックス! あれ、春季イベントの限定品なんだぞ! 畜生!」


 レオの華麗に潜ってストラップを探す姿に人々がうっとりと見惚れだす頃、あたしは既に公園を抜けていた。




(*'ω'*)





(ああ……。……疲れた……)


 バスケットをぶら下げて中央区域に戻ってくる。公園ではレオがリオン様と騒がれていることだろう。


(もうどうでもいい……。あたしは帰るのよ……)


 近道の路地裏に入る。


(ああ、そういえば、この路地裏でキッドと追いかけっこしたわね)


 ニクスが中毒者だと疑われて、キッドからニクスに近づくなと言われたあたしは、この道に逃げ込んだ。キッドはそれを追いかけた。ドロシーを呼んで、あたしは逃げて、


(……協力してもらえば? って言われた)


 でも、その通り。協力者って必要よね。……にやりと口角が上がる。


(リオン)


 あの男を許したわけじゃない。だけれど、なんてことかしら。あたし、ひらめいてしまったのよ。


(あえてリオンに手柄を取らせる)

(手柄を取ったリオンは王子として名を馳せる)

(リオンに一本取られたキッドは、王になるためにまた慌てるだろう。あたしのようなチンケな女など忘れて、王の隣にふさわしい、もっと位のいい器用な女の方へいくだろう)


 つまり、


(今、あたしが感情を我慢してあいつらに一本取らせれば、全てに解放されるというわけよ!)

(婚約解消! 死刑回避!)

(リオンとメニーは結婚してお幸せにどうぞ! グッバイさよなら!)

(キッドはもっと良い女と結婚してお幸せにどうぞ! グッバイさよなら!)

(リオンに協力し、キッドに協力し、メニーの良きお姉ちゃんを演じてきたあたしは、全員と仲良しこよしでグッバイさよなら! 死刑回避の実現可能!)

(あたしは今度こそ自由になれる!!)

(そのためには、リオンに手柄を取らせる必要がある! キッドが王子として城にいる今がチャンスの時! 今が堪え時!)


「くくくっ……」


 まさか、こんなすごいことを思いついてしまうだなんて!


(あたしこそ、絶対無敵のテリー・ベックス!)

(お国の第二馬鹿王子め! あたしの掌に転がされてしまえ!!)

(利用してやる! 思いっきり! あたしが自由になるために! キッドから離れるために! 婚約解消! 契約解消! 死刑絶対回避の成立!!)


「ふふふふふ……!」


 ああ! 笑いが止まらない!


「くくくくくくく!」


 あたしは、大満足に笑った。


「おーーーーーっほっほっほっほっ!! 勝つのはあたしよ!! 今度こそ! いける! いけるわ!! あたしは自由の身よーーーー! おーーーーーほっほっほっほっほっほおおおおおお!!」


 路地裏の道から抜け出す一歩を踏み込んだ瞬間、


「ご苦労様ですぅううう!」

「ぎゃーーーーー!!」


 びっくりして悲鳴をあげると、横の建物の陰から急に出てきた男がげらげらと笑った。


「はっはっはっはっ! 王子の付き添い、誠にありがとうございました! ご協力感謝いたしますよ。可憐なマドモワゼル」

「は、はあ?」


 一歩下がって、不審な目で男を見る。男はにんまりと口角を上げた。


「お二人の時間を邪魔するなんて実に失礼なことだと思いましたが、これも仕事なもんで。あの方を見つけてから、ずっと見てましたよ。そうだな、公園に入ったくらいからだろうか? キッド殿下がお見えになられてからお二人で隠れてたことも把握済みです。ああ、悪く思わないで。君のような可愛い女の子が俺を睨むなんてあってはいけない。一応、リオン殿下の護衛兵なもんで。守るべき第二王子の行方くらい知れてないと」


 銀色の髪をなびかせて、あたしよりも背の高い大人の男が、きちっと姿勢良く立ち、兵士のスーツを着こなし、あたしに敬礼して、微笑んでみせた。


「ヘンゼル・サタラディアと申します。護衛兵、もとい、リオン殿下の部下にあたります。以後、お見知り置きを。マドモワゼル」

「……そうですか。それはお疲れ様です。さようなら」


 その横を通り過ぎると、ヘンゼルが笑いながらあたしを呼び止める。


「ふっ! マドモワゼル、ちょっと待ちたまえ」

「……なんでしょう?」


 わざわざ止まってあげて、振り向く。


「あたし、家に帰るんです。貴方、護衛兵ならあの王子様の面倒見てあげたら?」

「あの方なら既に他の者が保護している。お兄さんが行かなくても大丈夫さ」

「あら、そうですか。じゃ、さようなら」

「いやいや、待ちたまえ。マドモワゼル。せっかくの感動の再会を、そんな冷たくあしらうレディがどこにいるんだい?」

「再会?」


 あたしは顔をしかめて、ヘンゼルを見る。


「再会って、何のこと?」

「え?」


 ヘンゼルがきょとんとする。あたしの眉間の皺がますます増える。


「あ、分かった」

「え?」


 あたしは一歩下がった。


「不審者」

「えっ」

「不審者」


 あたしはもう一歩下がり、叫んだ。


「きゃーーーー! 不審者ーーーーー!」

「えっ、ちょ!」


 街を歩く人々が、あたしとヘンゼルを見た。


「い、いや! あのね、お兄さんは!」

「お尻触られたーーーー!」

「えっ! あ、ちがっ……!」

「きゃーーーーーー!!」


 あたしが悲鳴をあげると、どこからともなく筋肉質の男がヘンゼルに体当たりしてきた。


「この!」

「ふがっ!」


 ヘンゼルが倒れる。男がヘンゼルの上に乗り、あたしを見つめる。


「お嬢ちゃん! 怪我はないかい!」

「ふええええん! 怖かったぁ……!」

「もう大丈夫だからな!」


 男は歯をきらりんと輝かせて、もう一度ヘンゼルを見下ろし、怒鳴る。


「この下種野郎! 女の子になんて破廉恥なことを!」

「違う! 誤解だ! 冤罪だ!!」

「警察に突き出してやる!」

「誤解だ! 誤解です! 違うんです! あの子悪い子です!!」


 一瞬、ヘンゼルと目が合う。


(ふん。ざまあみろ)


 あたし知ってるのよ。お前、兵士のふりした泥棒でしょ? いい感じに近づいて、じいじの財布を盗もうとしたんでしょ。


(もう盗ませないわ)


 鼻を鳴らして笑うと、ヘンゼルの眉間に皺が寄った。そして、くるりと回って、あたしは帰り道へ歩いていく。後ろからはヘンゼルの暴れる声が聞こえた。


「見て! あの子! あの子に話を聞いてくれ! 知り合いなんだ!」

「うるせえ! 署でたっぷりお巡りさんと話しな!」

「いや、だから、俺は……!」


 ひひーん! ぱからぱからぱから!


「不審者はどこだあああああああああ!!」

「おらよ! お巡りさんが来たぜ!」

「逮捕すっ……」


 黒馬を走らせてきたグレーテルが、『不審者』を見下ろし、きょとんとした。


「……兄さん、何やってるんだ」

「ふっ……。……悪い子にはめられたのさ……」


 ヘンゼルが笑いながら、グレーテルに顔を引き攣らせた。


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