第10話 仮面で奏でし恋の唄(1)
――拝啓、愛しい我が姫、テリー・ベックス
三日月によるプロポーズの夜からだいぶ日が経ちますが、いかがお過ごしでしょうか。
今思い出しても、夢のようなひと時でしたね。
愛しい君が逃げ出し、私が追いかける。まるでどこかの恋愛演劇のようなシーン。
君が逃げるというのなら、私は薔薇の花束を持って君を追いかけよう。
追いかけて、追いかけて、君が疲れて息をきらした頃に、その体を抱き締めましょう。
君はきっと暴れるだろうけど、私は君を離さない。そうすれば、二人の距離はまた近くなる。
テリー、もう逃げないで。
愛しい君が私の家に来てくれることを願っているよ。
愛しているよ。
追伸
来ないと役所に届ける。
キッド
(何が愛しい君よ。何が愛してるよ)
愛してるなら相手の嫌がることしないのよ。
(来ないと役所に届けるっていうのは、もう脅し文句の何者でもない)
あたしは脅迫されてるんだわ。間違いない。そう思いながら手紙に書かれた住所に向かって歩いていく。地図を見て、住所の番号を確認して、人気のない道を進んでいく。
(あれかしら)
森に囲まれた二階建ての家。
(戦闘の準備はいいわ)
ノックをする。
(尋常に勝負!)
あたしは叫んだ。
「たのもーーーー!」
「はい! はい! はーい!」
がちゃりと扉を開けたのは、見覚えのある美人。キッドの母親。
王妃様。
「……………」
あたしは即座に白旗を上げた。
「も、申し訳ございません……。失礼いたしました………」
「まあ! テリー!」
王妃様がにぱっと笑い、あたしの両手を掴んだ。
「あらあら! お久しぶりね! その後どうなの? お元気?」
「あの、すみません…。あの…、帰ります…」
「あらあら駄目よ! せっかく来たんだから!」
中へ引っ張られる。
「ぐっ!?」
「さあさあ入って」
「いや、あの」
「さあさあお茶でもいかが?」
「あ、あの」
「さあさあさあさあ」
「あのあのあのあの…」
人気のない家の扉がバタンと閉められた。
(*'ω'*)
ゴーテル国王の妃、スノウ王妃があたしにアップルティーを差し出し、向かいに座る。
「ごめんなさいね。貴女を驚かせてしまったみたいで」
「……いえ」
首を振る。
「よく考えてみたら、すぐに分かることでした。今までの数々のご無礼、どうかお許しください」
「まあ、いいのよ。テリー。他人行儀な挨拶なんて、どうかしないでちょうだいな」
今はプライベートなんだもの。
「王妃は仕事なの。でも今は、キッドのただのお母さんだから」
にこりと笑う。
「さあ、楽な姿勢で話しましょう。女同士でね」
「……ありがとうございます」
「喉乾いたでしょう? お飲みになって」
「……いただきます」
アップルティーを飲んで、一息つく。
「あいつ、やっぱりテリーに何も言ってなかったのね」
スノウ様が頰を膨らませて腕を組んだ。
「キッドの口振りからして、違和感はあったの。でも、まさか本当に何も聞いてなかったなんて。ある程度の事情を話しているとばかり…」
王家の者だと知りながら裏表の無い会話にスノウ様は感激し、それはそれはにこにこしていた。しかしそれが一切知らないからなのではと思ったスノウ様は顔をしかめたのだ。
だから、キッドに訊いた。言ってないの? と。
「あいつ変なところで馬鹿なのよ。本当に。怒っていいわよ。殴っていいわよ。叩いていいわよ。ちょっと痛い目見ないと分からないのよ。あいつ。本当我が子ながら馬と鹿よりも馬鹿なんだから。親として情けないわ」
スノウ様が呆れた顔をした。
「キッドがテリーを喜ばせたくてのサプライズだったんでしょうけど、あれは逃げて当然だと思うの。でもね、馬鹿よね。うちの旦那ったら感動して。キッド、素晴らしいぞ! 感動したぞって、拍手なんかしだすもんだから、耳をつまんで引っ張り出してやったの。私がテリーの立場で、旦那がキッドだったらね、私は殴ってるどころじゃなくて、リンゴを大砲で撃ちまくってるわ。ああ、そうだわ。今のうちにリオンにも教えておかないと。女の子を口説く時には、慎重に、人気のない所でやれって」
テリー、安心して。
「キッドが宮殿に戻ってきた時に、説教しておいたから」
あんたね! だから言ったのよ! 婚約者のくせに、なんでテリーに黙ってたの! あんな大々的に目の前で発表したら、驚いて逃げるに決まってるでしょ! この馬鹿!! 王族として恥を知れ! 貴様に毒リンゴを食わしたろか!!
「あいつね、悪い子じゃないのよ。馬鹿なのよ。天才と馬鹿は紙一重と言うけれど、キッドがそれね。キッドってね、昔から人に気を遣える優しい子なの。困ってる人がいたら放っておけないの。で、顔もあれでしょう? モテるのよ。それはそれは、もう、若い頃のパパそっくり。我が子ながら見ててほれぼれするほど、胸がきゅんってすることするのよ」
でもねー、
「馬鹿なのよねぇ」
大きなため息一回。
「鈍感なのよ。大切になればなるほど、相手の気持ちに鈍感になってしまうのよ」
キッドには、今までそんな相手がいなかったから。
「もちろん、お友達は沢山いるのよ。キッドって本当にモテるの。我が子ながら素晴らしい。レディからもミスターからもまるで好かれる人間たらし。だから相手の喜ぶことや怒ることを自然と覚えたのね」
レディには花をあげよう。
ミスターとは友情を固めよう。
「皆が喜ぶものだから、大切な相手にはもっと喜ぶものをと思ったんでしょうね」
馬鹿な子。
「テリーはテリーよ。他の誰でもない。人は一人一人好き嫌いがあって、好みも違う。テリーが人よりも驚くタイプかもしれないし、テリーが人よりちょっと怖がりかもしれない」
キッドは見えてなかった。いつもなら見えてるはずなのに、見えなかった。
「ねえ、テリー、あのね、こんなこと言ったら、馬鹿親だと思われるんだろうけど」
キッドの母親として言わせてね。
「悪気は無かったのよ。あいつも」
ただ、テリーを喜ばせてあげたかっただけなのよ。
「キッドね、テリーの話をする時、すごく楽しそうなのよ」
まるで妹が出来たみたいに。まるで親友が出来たみたいに。まるで分身が出来たみたいに。大好きだった玩具を全部捨てて、テリー一人を選ぶくらい。
「きっと、王子様の自分が大怪盗を捕まえるかっこいいところを見せたら、お気に入りのテリーが喜んでくれるって考えたんでしょうね」
馬鹿ね。
「テリー、何も気にする必要はないわ。テリーは何も悪くないし、私達の教育が上手く行き届いてなかったのよ。私達、キッドのことはあまり叱ったことがないの」
優秀すぎて、叱れないの。
「課題を出せば難なくこなす。婚約者を見つけろって言ったら多少大人しくなるかと思えば、本当に見つけてくるし……」
スノウ様があたしを見つめた。
「ごめんなさいね。テリー。私達の教育に、貴女を巻き込んでしまって」
「…あの、婚約者を見つけられないと、王位継承権を剥奪されるところだったと聞いてます」
「まあ、それもあながち嘘ではないけど、ただね、それでもなりたければ、私も旦那も、別の方法で王位継承権を与えるつもりだったのよ」
そしたら、
「……テリーを見つけてしまったものだから」
ため息。
「あー。もう。余計なことしなければよかった。後悔しても遅いのだけど、本当、もう、あいつ、なんであんなに器用なのかしら。我が子ながらむかつく奴ね」
スノウ様があたしの手を両手で掴んだ。
「テリー、いい? 無理はしちゃ駄目よ。あいつが嫌だと思ったら、いつでも別れていいんだからね!」
「………」
「もちろん、私はね、テリーのこと好きよ! あのね、すっっっっっごく気に入ったの! テリーのおかっぱちゃんとか、テリーの睨む目つきとか、テリーのキッドに対する横暴な態度だとか、私はね、すっごく、すっごく、すっっっっっっっっっ」
息継ぎ。
「っっっっっっっっごく、気に入ってるの!」
あたしの手をにぎにぎ。
「テリーといつかお出かけしたいわ。ショッピングに行きたいわ。私のことママって呼んでくれていいのよ。私もテリーのこと娘だと思うことにするから」
あたしの手をすりすり。
「はあ。女の子のおててだわ」
すりすり。
「女の子だわ」
すりすり。
「ああ! 女の子だわ!!」
テーブルをばんばん。
「野郎じゃないわ! 女の子! ああ! 女の子らしい女の子!」
テーブルをいじいじ。
「何を間違えてしまったのかしら…。……リンゴを与えすぎてしまったのかしら……」
「……」
この反応、あいつ、スノウ様に契約のこと言ってないみたいね。
(あのくそ坊や…)
そういうことなら、あたしから言ってあげてもいいのよ? キッドもいないみたいだし。
(無理して付き合わなくていいって、王妃様が言ってくれてるわけだし)
お言葉に甘えて、婚約届けで脅されてます。だから別れたいです。ってチクってしまおう。そうしよう。あたしは13歳のスイッチを押す。
「あの、スノウ様…」
「ん?」
「実は、お話ししたいことが…」
「あら、どうしたの?」
スノウ様に見つめられ、あたしは手をもじもじさせる。
「実は、婚約のことで…」
「そうそう!」
スノウ様が手を叩いた。
「私ね、聞きたかったの。ねえ、テリー。なんであいつと婚約なんかしてくれたの? なんだかんだ言って、テリーもあいつのこと好きなの? ねえ、今はどう? 今はどう思ってるの? キッドは王族よ? ねえ、どうなの? どこがかっこよくてどこが好きでどこがポイントでどこがよくて、あ、なんかお腹空いたわね」
スノウ様がお腹を撫でた。
「それで? 婚約がどうしたの?」
「実は、あたし…キッドにおど……」
その瞬間、リビングの扉が開く。あたしの目が鋭く光った。
(誰よ! いい所だったのに!)
「あら」
スノウ様と同時に振り向くと、ビリーが籠いっぱいにリンゴを乗せ、ドアノブを握っていた。その姿を見てスノウ様が微笑む。
「まあ、お帰りなさい。怒りん坊」
「いらっしゃっていたのですか」
ビリーが言った。
「王妃様」
――途端に、
スノウ様の目が鋭くなり、テーブルを叩きながら立ち上がり、怒鳴った。
「王妃様って言うなああああああああああああああ!!!」
(王妃もかーーーーい!!)
ビリーが白い目でスノウ様を見た。
「王妃を王妃と呼ばずなんと呼べと?」
「名前で呼べば良いじゃない! いつもみたいに! 色々呼び方あるでしょう! 奥様とか、奥さんとか、キッドのお母さんとか、スノウとか、お前とか!!」
「私も最近頭がボケてきましてな」
「もー! またそうやって誤魔化す! あのね、言ってるでしょ! いいのよ! 怒りん坊は! 私に敬語使わなくたって!!」
「マナーです」
「怒りん坊と私の仲でしょう! もう! テリー! どう思う!? あいつ! 昔からの仲なのに! 家族以上なのに! 何なの!? 腹立つ! むかつく! もう絶対許さない! 王妃命令で奴隷にしてやるからね!! 奴隷よ! 奴隷! お前なんて奴隷よ!! 私としか会話しちゃいけないんだからね!! そして孤独になってしまえばいいのよ!」
「はいはい」
(……どこかで聞いた内容の会話ね)
呆れるビリーに怒り狂うスノウ様。
(この絵、どこかで見たわね)
(……ああ、そうか)
キッドがスノウ様に似てるんだ。
「うるさいよー。また喧嘩?」
階段から足音が聞こえて、顔を向ける。
そこには王子様ではなく、いつもの寝ぼけた目のキッドがリビングを覗き込んでいた。ビリーと、自分の母親と、……あたしを見て、目を見開く。
「おっと、これはこれは」
キッドがにやりと笑い、階段を下りきって、あたしの隣の椅子に座ってきた。
「待たせちゃったかな? お姫様」
「イラっとする。肩に手を乗せないで」
また髪の毛跳ねてるし。
「ほら、ここ寝ぐせ」
手を伸ばして髪の毛を押さえると、……一瞬、キッドがびくっと体を揺らした―――、
(ん?)
―――気がした。
あたしの手に、自分の手を重ねて、冷静な声で訊いてくる。
「ここ?」
……いつものキッドだ。
(……気のせいか)
あたしの手が離れる。
「あんたって寝ぐせつきやすいわよね」
「ん。なんでだろうね? 天然パーマってわけでもないんだけど」
「シャワー入ってくれば?」
「いいよ。今日はどこにも出かける予定ないし」
「人を呼んでおいて、身だしなみも整えないわけ?」
「だって、テリーだよ? 別にいいじゃん」
じっと睨むと、キッドがにししと笑う。
「久しぶりだね。会うの何日ぶりかな?」
「……約一ヶ月」
「その後どう?」
「メニーは落ち着いた。あんたはどうなの?」
訊けば、キッドがくすっと、笑う。
「何言ってるの。テリー。俺は元気だよ」
そう言っていつものように、むかつく笑顔であたしを見下ろす。
「手紙はどうだった?」
「うざい。気持ち悪い。虫唾が走った」
「あはは! ああいう方がお前好きだろ?」
「呼びたいならもう少しマシな手紙出せないの?」
「でも来てくれた」
「あんたね」
じろりと睨む。
「あれは脅迫よ」
「ん?」
スノウ様が振り向いた。
「キッド、テリーに脅迫文なんて送ったの?」
「うん。愛おしすぎて、君を棺桶に入れて閉じ込めてしまいたいって書いた」
「あら、何その素敵な文章。我が子ながら素晴らしい」
スノウ様がビリーを見た。
「ねえ、怒りん坊もそう思うでしょ?」
「そういうことには疎くて」
「ねえ、怒りん坊。リンゴ飴を作っても良い?」
「どうぞ」
「やった! テリー、美味しいの作ってあげるわ!」
「………」
あたしは立ち上がる。
「さて、そろそろ帰らないと…」
「待って。テリー」
肩を掴まれる。
「『答え』をまだ聞いてない」
笑うキッドがあたしの顔を覗き見る。
「運命の相手は?」
「………………」
黙ってむくれると、キッドが微笑んで、あたしの左手を掴んだ。
「テリー、俺の部屋を紹介するよ。前よりも広くなったんだ」
すごろくでもして遊ぼうよ。
「遊びながら、答え合わせしよう」
「……いいわ」
頷く。
「一回戦だけよ」
「よし、きた。おいで」
「キッド、待って」
キッドがあたしの手を引いた途端、スノウ様がキッドを引き止めた。
「お菓子持っていく?」
「いいね! 食べたい」
キッドがあたしを見下ろす。
「テリーも食べる?」
「チョコレートある?」
「母さん、ある?」
「あるわよ。袋でね」
「……食べたいです」
「よし、持っていこう」
で、
「遊ぼう」
キッドと手を繋いで、お菓子を持って、階段を上った。
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