第5話 ドレス選び


 それは、夜の出来事。

 夕食後、突然、アメリが声をかけてきた。


「テリー、メニー、ちょっといい?」


 そう言うや否や、アメリが二人の妹の腕を引っ張り、部屋に連れ込んだ。アメリの部屋に並べられていたのは、三着のドレス。水色のドレス、ピンク色のドレス、白色のドレス。


「わたしに合ってるのは、どれだと思う?」


 メニーとあたしが顔を見合わせ、同時にアメリを見る。ついでにあたしは腕を組む。


「突然、なに?」

「よくぞ訊いてくれたわ! テリー! 今度、レイチェルの誕生日パーティーが開かれるじゃない? わたし、行ってくるの! だから、いつも以上に素敵で乙女で可憐な美しい恰好で行こうと思って!」

「好きなドレスで行けばいいでしょ」


 キッドのせいでお尻が痛くなったから、夕食後くらい部屋でゆっくりしようとしたらこれだもの。イライラしながら言うと、アメリが拳を握って、熱く燃え出す。


「テリー、わたしは本気なのよ。本気でレイチェルを超えるくらいの素敵で可憐で素晴らしくてエレガントでブラボーな格好がしたいのよ。そのためにはね、わたし一人の力では無理なの。うちには年頃の妹が二人いるんだから、今回は二人の評価を聞いてあげるわ」


 アメリがあたしに振り向いた。


「ほら、前にテリーがアドバイスくれたことあったじゃない。あんな感じで選んでよ」

「選んでよって、簡単に言ってくれるわね……」


 あたしの横にいるメニーが、あたしのドレスの裾をつまんだ。


「テリーお姉ちゃん、あの、レイチェルさんって……?」


 レイチェル。その名前を聞いて、あたしもアメリも黙っていない。


「アメリの幼馴染よ。超性格悪いから、あんたは付き合っちゃ駄目」

「そう! あいつ本当に性格悪いのよ! わたしの何倍も意地悪だから、メニーは会っちゃ駄目!」

「は、はい!」


 あたしとアメリにすさまじい剣幕で言われ、メニーがこくこくと頷く。しかし、その後に不思議そうに首を傾げた。


「でも、そんな、その、仲良くない人のパーティーに、どうしてアメリお姉さまが行くの?」

「それはね、メニー、行かなかったら、『わたくしの美しさを見たくないから来ないのね』って馬鹿にされるの」


 ぎりっと、アメリが歯をくいしばった。


「悔しいでしょ! そんなの!」

「変な意地張ってないで最初から行かなきゃいいのよ。そういう奴は自然と自滅していくんだから」

「なによ、テリーってば! 前までは、あんな奴ぶっつぶせって意気込んでたくせに!」

「……気が変わったのよ」


(記憶が蘇ってから、レイチェルどころじゃないわよ)


 だが、アメリの怒りはわからなくもない。レイチェルにいい思い出などない。彼女のパーティーに出席すれば、必ず令嬢同士の陰湿で醜い言い争いの大喧嘩が勃発する。特にアメリとレイチェルは同い年で、関わるのも長いのに、どうしてそんなに仲が悪いんだと言いたくなるくらい喧嘩をする。


(懐かしいわね……)


 あいつのドレスについていたブローチを、破り奪ってやったっけ。


(……招待状が来た時に、行かないって言ってよかった)


 余計な争いは避けるべきだ。


(レイチェルもそうよ。余計な争いは避けていくべきだわ)

(……アメリも断れば良かったのに)


 どうしてレイチェルのこととなると、燃えるのかしらね。


(そうと決まれば、さっさと決めるわよ)


 あたしは早く部屋に戻って、ゆっくりお尻を労わりたいのよ。苦労してるのよ。キッドのせいでひりひりするのよ。あいつ本当にやだ。くたばればいいのに。


 三着のドレスを見て、アメリを見て、ドレスに指を差す。


「白」

「ピンクは?」

「そのピンクのドレス、デザインも色も、アメリに合ってない。着せられてる気しかしないわよ。捨てたら?」

「そんな酷いこと言わないでよ。気に入ってるのよ、これ」

「その白のドレスなら、水玉模様のついてる黄色か緑のリボンを腰に巻いたらお洒落に見える。シンプル・イズ・ベスト。誕生日パーティーなら、これくらいでいいと思う」


 言えば、アメリの眉間に皺が出来た。


「そんな地味な色のリボンをわたしにしろっていうの?」

「見てよ。ドレスがシンプルでしょ。模様のついてるリボンを腰に巻くだけでも全然違うのよ。それにあんたの髪の色だと黄色か緑が合うのよ。髪型もどうせ派手めにいくんでしょ。だったらドレスくらい落ち着かせておかないと。ジャングルに出かけるわけでもあるまいし」

「ジャン……」


 アメリが言葉を詰まらせて硬直する。あたしは無視してアメリのクローゼットを開いた。


「靴は……」


 クローゼットの中にあるガラス製のシューズボックスを眺める。


「これね」


 アメリの足に似合う白のパンプス。


「鞄はこれ」


 アイテムを持って、クローゼットから出る。ぽかんとするアメリに渡す。


「はい」

「……黒の靴で行こうと思ったのに」

「白いドレスなのに、なんで黒い靴で行くのよ」


 デザインによっては似合うものもあるだろうけれど、


「これには、この靴が一番シンプルでいいわ」


 三着の中でなら、一番アメリに似合うコーディネートだ。


「んー……」


 アメリが靴を見て、鞄を見て、ドレスを見て、納得できないと言いたげな目であたしを見る。あたしはクローゼットに指を差す。


「着替えてみたら?」

「わかったわよ」


 アメリがドレスと小物を持ってクローゼットに入る。扉も閉める。ふー、と一息つくと、メニーがきらきらと目を輝かせて、あたしを見てきた。


「テリーお姉ちゃんすごい! どれも可愛いドレスだから、わたし、すごく困ってたの」

「そうね。ドレスだけなら可愛いわよね」


(お前なら全部似合うわよ。美人だから)


「人によって、似合うものとそうでないものがどうしてもあるのよ。アメリは似合わないものに手を付けてるから、一度クローゼットのドレスを全部整理した方がいいと思うんだけど」


 そう言うと、クローゼットの中から大声がした。


「失礼ね! 全部似合ってるわよ!」

「アメリ、また今度見てあげるから、一度ドレスの整理をしましょう。どうせ一度も着てないのもあるだろうし」

「そうね! また今度!」


(いつになることやら)


 アメリがレイチェルの誕生日パーティーに出席している間にでも、勝手にやっちゃおうかしら。


(流石に駄目か)


「着れたわよー!」


 アメリがクローゼットの扉を開けた。メニーが目を丸くする。


「うわあ!」


 メニーが目を輝かせ、アメリに拍手をした。


「すごい! お姉さま! すっごく似合ってる!」

「え? そ、そうかしら?」

「うん!!」


 思った以上のメニーの反応にアメリが戸惑う。しかし、メニーは純粋に目をきらきらきらと光らせ、両手を握る。


「ウエディングドレスみたい!」


(メニー、それは言い過ぎよ)


 心の中で突っ込んでいると、アメリがにやりと、頬を緩ませた。


「もー! それは言い過ぎよ! メニーったら! しょうがないわね!」


 アメリがパールのネックレスを首につけて、部屋に飾っていた花を花瓶から取り出し、手に持った。


「どう?」

「うわあ! 花嫁さんだー!」

「おっほほほほ! これでわたしも花嫁令嬢よー!」


(お前もノリノリかい)


 心の中で突っ込み、黙って二人を見守る。アメリとメニーはきゃっきゃっうふふと、ネックレスやイヤリングの箱を開けて取り出す。


「お姉さま、これは?」

「あら、可愛い! でも、これもいいわね!」

「わあ、素敵! お姉さま!」

「レイチェルの奴め! 素敵なわたしを見て驚くがいい!!」

「これだけ綺麗なんだもん! アメリお姉さま、みんなに嫉妬されちゃうね!」

「本当ね! メニー! 困ったわ! わたし、参加者全員のレディから、嫉妬されてしまうわね! わたしが! 美しすぎるから!!」


 アメリが腰に手を当て、口の前に手を置き、笑い出す。


「おーーーーっほっほっほっほっほーーーー!」


(平和な奴……)


 レイチェルに勝つことしか考えてない呑気なアメリ。


(呑気ね)


 アメリは知らないから。


(覚えてるのはあたしだけだもんね)


 レイチェルに言われたこと。





「アメリアヌ! ああ、なんてみすぼらしい姿なのかしら!」


 鉄格子の向こうで、レイチェルがにやにや笑って、座り込むアメリを見下ろしていた。


「いい気味だわ! 昔からお前は生意気だったものね! おほほほ! ああ、実に愉快ですってよ!」


 アメリがレイチェルを睨む。けれど、レイチェルは続ける。


「リンゴを盗んで捕まったんですって? ふふっ。そんなにお金に困っていたのなら、うちで使用人として働けばよかったのに!」


 そして、にやりと笑うのだ。


「まあ、あんたみたいな汚い女、絶対に雇ったりしないけど」


 きゃはははは!!


「ベックス家も墜ちたものね!!!」


 ざまあみろ!!


「おーーーーーほっほっほっほっほっほっ!!!!」


 わざわざ、それだけを言いたいがために、あいつはあたしたちに会いに来た。アメリは悔しさで唇を噛んでいた。ママは、黙って俯いていた。あたしは、ただ、じっと動かず、その光景を眺めていた。


 レイチェルは、その後もアメリを罵倒した。募った憎しみを発散するように、逃げ場のないアメリにぶつけた。吐き捨てた。そして笑った。アメリは黙った。黙って、レイチェルを睨んだ。


「ああ、嫌だわ。こんなところにいては、わたくしまで泥臭くなってしまいそう。さようなら。ベックス家の皆さま。わたくしはこれより、新しくオープンされた喫茶店で、ケーキでもいただこうかしら。おほほほほ!」


 レイチェルが牢獄から出ていき、足音が聞こえなくなり、もう戻ってこないだろうと確信した途端、アメリが大声で泣き始めるのだ。地面を叩いて、畜生と怒鳴って、泣きわめくのだ。


 アメリは相当悔しかっただろう。

 アメリは相当後悔しただろう。

 アメリは相当悔やんだだろう。


 あたしは、その背中を、ただ、その光景を、膝を抱えて見つめることしか出来なかった。





(……断ればよかったのに)


 燃えているアメリを見て、ため息を吐く。


(レイチェルと関わったって、いいことなんかないわよ)


 嫌味な悪口を言われるだけよ。


(あたしは、もう御免だわ)


 レイチェルの顔など、二度と見たくない。


「どう? テリー!」


 アメリに声をかけられて、ぼうっとしていた自分に意識を戻す。アメリを見る。あたしは眉を寄せた。


「あ?」


 ぎらぎらに装飾されたアメリを見て、口角を上げて興奮するメニーを見て、あたしのプッチンするプリンが脳内に置かれた皿に飛び出た。


「てめえ! なにやってるのよ!」

「ふぁ!?」


 アメリの手を掴み、迅速に小物を取っていく。


「ちょ! なにするのよ! テリー!」

「うるせえ! ギラギラ光りやがって! それで星のついたティアラでもつけてみなさいよ! てめえはクリスマスツリーになりてえのか!!」


 あたしは小物をぽぽぽいと箱に戻していく。パールを首につけるだけのシンプルなアメリに戻った。


「えーーーー!」


 アメリが鏡を見て、不満そうな声を出す。


「地味ぃー」

「うん。少し寂しい気がする」


 メニーが頷くと、アメリも頷いた。


「そうよね! メニーもそう思うわよね!」


 アメリが不満いっぱいの目をあたしに向けてくる。


「ほら、寂しい感じがするって。ほら、テリー、どうする気よ。ほら」

「うるさいわね……。ドレスにリボンを巻いてないから寂しく見えるのよ……。明日にでも買いに行けばいいじゃない……!」


 ぎぎぎ、と睨むと、アメリがメニーの横に立った。


「うわ、見て、メニー。あのテリーの顔。実のお姉さまを睨んでくるわ。貴族令嬢のくせに、はしたない。みっともない。メニー、覚えておきなさい。あれが嫉妬の顔よ」

「あの、テリーお姉ちゃん、そういうの良くないよ。みんな、仲良くしないと!」


(黙ってろ! 裏切り者!!)


 チッ! と舌打ちして、腕を組む。


「リボンつければ終わりよ。ほら、もういい? 満足?」

「ふふ! わかったわ。言われた通り、明日ドレスのリボンを探してみる」

「柄のついたやつよ。水玉模様じゃなくても、派手な模様ならなんでもいいと思う」

「わかった!」

「以上。解散」


 あたしはうんざりした声を出して、とっととアメリの部屋から出て行く。メニーも一度アメリに微笑み、あたしの後ろをついてくる。メニーがアメリの部屋のドアを閉め、あたしは歩き出す。


「はあ……。……疲れた……」

「でも、お姉ちゃんの言った通り、お姉さまにぴったりだった」


 メニーが胸の前で両手を握り、にやける。


「お嫁さんみたいだったね!」

「そうかしら……?」


(ドレスが白いだけじゃない……?)


 だるそうなあたしと、にこにこするメニーが廊下を歩く。


「アメリお姉さま、すごく意気込んでたし、いいパーティーになるといいね」

「それはないんじゃない?」

「え?」

「レイチェルのパーティーだもん」

「……そんなに怖い人なの?」

「怖いというか……」


 子どもなのよね。


「レイチェルって、昔から人と自分を比べたがるのよ。お金持ちには多い性格。特に、アメリに対してはレイチェルも幼馴染で、風当たりが強いのよ。アメリだってそう。レイチェルには特に態度が悪くなる」


 二人が会った途端、間にばちばち火花が飛ぶ。


「二人とも小さい時からお互いを知ってるから余計に燃えてるんじゃない? 全く、くだらない」

「幼馴染かあ。いいなあ。わたし、憧れてるんだ。幼馴染。わたしには、そんな友達いないから」


(友達か)


 あたしも、そんな人いなかったな。


(……)




 いや、



 一人だけ、



 雪の中で、



 手袋を――。




(……)



 ――なんか、モヤモヤする。



「お姉ちゃん?」


 目を向ける。きょとんと、メニーがあたしを見つめてくる。

 目を合わせる。なにも知らない無垢な目があたしを見つめる。


(その目)


 見れば見るほど、視線を合わせれば合わせるほど、足のつま先から頭のてっぺんにかけて、憎しみと恨みと妬みが、あたしを覆いつくしていく。


 だってお前は、その時も、王子さまと、幸せに暮らしていたんでしょ?

 物語の終わりにあるめでたしめでたしの後を、気兼ねなくメニーは過ごしていたんでしょ?

 醜かったあたしたちが苦しんで、美しいお前は幸せになった。


 これを、憎まずにいられようか。


 メニーがあたしを見てくる。

 あたしはメニーを見る。

 メニーが不思議そうな顔をした。

 あたしはメニーに手を伸ばした。

 メニーの無防備な手がそこにある。

 あたしは爪を立てる。

 メニーの手が動かない。

 あたしは爪を向けて、手を伸ばして、



 笑顔で、メニーの手を握り締めた。



「良い友達、出来るといいわね」


 言うと、メニーが口角を上げて、薄く微笑み、頷いた。


「城下町に来てから、お友達って誰もいないの。わたしは街にも行かないし」

「そのうち出来るわよ。これから沢山パーティーにだって参加していくわけだし、そこで気の合う子とも知り合える機会も出来るわ」

「お友達、出来るかな」

「出来るわよ」


 あたしは優しくメニーの手を握り締める。


「メニーは優しい子だもん。きっとメニーみたいに思いやりがあって、優しい子が、メニーの友達になってくれる」

「……そうかな?」

「そうよ」


 メニーが俯いて、照れたように笑う。


「……だと、いいな」


 ――これで満足? メニー。


 あたしはメニーににこにこ笑い続ける。


「大丈夫よ。パーティーではあたしもアメリもいるんだから。喋れる子が出来るまで、あたしたちと一緒にいればいいわ」

「お姉ちゃん、わたし、パーティーって、あまり参加したことないんだ。だから行くとすっごく緊張しちゃうの。体がね、動かくなるの」

「この間もがちがちだったものね」

「言わないでよ」


 メニーが少しむすっとして、眉を下げる。


「やっぱり貴族ってパーティーに参加するものなの?」

「ええ。沢山ね。交流会だもの」

「嫌だな……」

「悪いことばかりじゃないのよ。舞踏会デビューの前に、沢山のお金持ちの人たちと知り合えるし、友達も出来る。かっこいい男の子も多いのよ」

「……まだ、そういうの興味ないもん」


 メニーが視線を逸らす。あたしは微笑み続ける。


「そんなこと言わないの」


 いいじゃない。なにを着ても、お前は綺麗なんだから。

 いいじゃない。なにを着ても、お前は輝いて見えるのだから。


 今は、まだ小さくて可愛いお嬢さま。だが、時が経てば経つほど、美しくなっていくメニーを、あたしは想像出来る。令嬢たちから、紳士から、人々からちやほやされるメニーを想像できる。一部はメニーの存在で嫉妬に明け暮れるだろう。メニーばっかりと怒り出すだろう。あたしもそれを胸に抱えながら、メニーの側に居続けるのだろう。どんなにはらわたが煮えくり返っても、胸の内をメニーに知られるわけにはいかない。


 あたしは、メニーに死刑にされないためなら、笑顔の仮面をつけるのだって躊躇しない。そうすれば、あたしの未来は救われるはずだ。


 嫌なことは見なければいい。

 嫌なことは聞かなければいい。


 情報さえあたしの中に入ってこなければ、あたしはこの嫉妬という醜い感情に支配されることはない。あたしの中で、唯一嫉妬から逃げられる方法だ。


 あたしは目を閉じる。

 あたしは耳を塞ぐ。


 年月が経てば、自然とメニーは人気者になるだろう。美人で気さくで優しいメニー。誰もが憧れる存在になって、参加するパーティーでは人々に囲まれることになるのだろう。そうなれば、もうあたしの出番はない。一人でぼけーと、月でも眺めて、パーティーが終わる時間まで月と会話でもして暇を潰せる。そうすることで、あたしはこの憎しみという苦しみから、解放される。少しでもこのどろどろした感情に振り回されずに済む。


 メニーが素敵な紳士と踊っている間、あたしは一人で、目を閉じて、耳を塞いで、この苦しみから逃げられる。


(そのためには、こいつにパーティー慣れしてもらわないと)


「メニー、パーティーには参加するべきよ」


 あたしは笑顔で勧める。


「友達も知り合いも出来て、良いこと尽くしじゃない。愚痴だって言っていいのよ。ダンスだって楽しいわよ。美味しいものも食べれる。それで、いつか、そうね。メニーがもう少し大人になったら、おとぎ話のお姫さまみたいに、運命の王子さまと巡り会えるかもしれないわよ」


 あたしがにっこりして言うと、メニーは俯いて、口を開く。


「わたし」


 青い瞳が薄く開かれる。


「王子さまなんて、会わなくていい」


 あたしは、きょとんとする。

 メニーの手が、あたしの手を握り締める。


「メニー?」


 顔を覗き込むと、青い目があたしから逸れた。あたしは微笑む。


「ちょっと、急にどうしたの?」


 メニーが黙る。あたしの手を握ったまま口を閉ざす。あたしは優しく笑ってあげる。


「メニーは王子さまと結婚して、幸せになりたくないの?」

「結婚したら、それで幸せなの?」


 可愛いメニーが眉間に皺を寄せて、表情を曇らせた。


「わたしは、それが幸せだなんて思えない。運命の相手でも、それが好きな人じゃなかったら、幸せになんてなれるはずない」

「……あー、なるほどね」


 あたしは声を出して笑い出す。


「ふふ。あんた、また変な本でも読んだんでしょ」


 大人の本を読んだんでしょ。


「難しい本を読んで、男というものに不信感を持ってる。そうでしょう」

「……」

「もう、なんでそう頭でっかちになるのかしらね。あんたは」


 あたしはメニーの手を引っ張り、歩き出す。引っ張られたメニーは目を丸くして、顔を上げる。あたしは自分の部屋を通り過ぎ、メニーの部屋まで歩き、勝手にドアを開けた。


「邪魔するわよ」


 一言言って、メニーと部屋に入る。メニーがぽかんとする。メニーから手を離し、部屋の本棚に近づき、あたしがプレゼントした本を掴む。


「ほら、メニー、見てみなさい」


 本を開いて、ページをメニーに見せる。


「リンゴに入れられた毒の呪いからお姫さまを助ける王子さま」


 ページを開く。


「眠りの呪いからお姫さまを助け出す王子さま」


 ページを開く。


「勇敢な王子さま」


 ページを開く。


「お姫さまを守り、愛し、恋し、大切にしてくれる王子さま」


 ページを開く。

 お姫さまの手を取る王子さまの絵を見せる。


「素敵じゃない」


 メニーを見る。青い瞳が本を見て、あたしを見上げる。


「でも、それは、本の中の話でしょう?」

「なによ。王子さまに嫌な思い出でもあるの?」


 そんなものないでしょ。


「わからないのに、王子さまなんていらないとか、言わないの」


 結婚するくせに。幸せになるくせに。


「かっこいいじゃない。ほら、王子さま」

「お姉ちゃん、そんなお話より、もっと面白いのがあるよ」


 メニーが他のページを開いた。


「ほら」


 赤い頭巾をかぶった少女の絵。


「この物語の方が面白いよ」


(子どもね)


 確かに子どもの頃ってそうよね。色恋沙汰なんて興味ない。あたちは自由に好きに生きるのよって思うのよ。


(でもね、生き物って脳みそが変わってくるのよ。メニー)


 お前もいずれわかるわよ。王子さまと好き合って結婚するお前にも、わかる時が来るわよ。


(もう、あんな光景見せないでね)


 あたしの目の前で、ガラスの靴を履くなんて。それを頼りに王子さまが追いかけてくるなんて。


(そんな、愛溢れる光景)


 二度と、あたしに見せないで。


「そうだ。お姉ちゃん、せっかくだから、あのね、お姉ちゃんに見せたいものがあるの!」

「……見せたいもの?」


(なにそれ)


 メニーが机に歩いていく。そこからノートを取り出し、あたしに見せるように広げた。


「じゃーん」


 書かれていたのは、田舎でのスローライフ計画表。


(……)


 なに、こいつ。


(前に言ったこと、本気にしてるわけ?)


 うわ、気持ち悪い。


「へーえ。なにこれ。メニーが考えたの?」

「うん!」

「見てもいい?」

「うん!」


 ノートを開く。メニーの綺麗な字で書かれた夢物語の落書きが、沢山書かれていた。横からメニーがノートを覗き込んで、喋り出す。


「あのね、広い牧場を持つの」

「へー」

「そこで、色んな果物を育てるの! リンゴとか、ブドウとか、サクランボとか、色々!」

「へー」

「動物も飼うの! 牛も馬も鶏もいて、ペットもいるの。仲良しな、犬と猫」

「へー」

「近くには教会があって、わたしたちは牛のミルクを神父さまに届けるのが日課なんだ」

「へー」

「それでね、近くの森にはオオカミがいて、いつも牧場を狙ってるから、気をつけないといけないの」

「へー」

「たまにお母さまとアメリお姉さまが遊びに来て、一緒に新鮮なミルクとパンを味わうの。チーズもあるよ!」

「へー」

「ね。楽しそうでしょ?」

「本当ねー。すごいわねー」


 にこにこして、返事を返す。


「こんな生活、憧れるわねー」

「いつか出来るよ! わたし、お小遣い貯めるんだ」

「そうね。牧場代も馬鹿にならないでしょうし」


 にこにこして、馬鹿げた話を続ける。


「貯金しなくちゃね」

「うん」


 さっきまで曇らせていた表情はどこかに消えて、メニーに笑顔が戻った。


(単純なガキ)


 お前の言葉一つ一つに気分を左右されるあたしも、大層なガキだろうけど。


(仕方ないじゃない)


 嫌いなのよ。お前のこと。大嫌いなのよ。


「そうだ。メニー。少しだけお人形で遊びましょうよ」

「え?」

「牧場ごっこしましょう」


 それで満足でしょ。あたしは人形を掴む。


「あたしはこの子」


 あたしは人形を差し出す。


「この子はメニーね」

「あ、じゃあ、だったら」


 メニーが目を輝かせて、人形の家の前に座り込んだ。


「これがお家ね! で」


 メニーが人形の家の近くに小屋を置いた。


「これが動物小屋! それと……」


 メニーが人形とぬいぐるみを追加する。


「ここにオオカミ。これが木こりさん。いつも斧を持ってるの。で、こっちにお婆さん」


 メニーが人形を設置していく。


「お婆さんはね、病気がちだから寝込んでるの。わたしとお姉ちゃんは、新鮮なミルクをお婆さんに届けるの!」

「へー」

「テリー、メニー、今日もミルクをありがとね! いいえ! お婆さん! いつものことですから! 早く元気になってね!」


 メニーが人形を使って小芝居をしていく。あたしは人形を持ったまま、にこにこ笑う。


(いいわ。付き合ってあげる)


 でも、今回だけよ。


(お前と二人暮らしの田舎生活なんて、冗談じゃない)


「お姉ちゃん、オオカミさんには、気をつけないと」

「ええ、そうね。めにー」


 片言で、メニーとの遊びに付き合う。


(これで満足しなさいよ)

(あたしはね)


 お前と離れられるなら、なんだって良いのよ。お願いだから、大人しく目を閉じさせて。耳を塞がせて。


 お前の余計な情報を、あたしに伝えないで。



 黙 っ て い ろ 。



「お姉ちゃん、木こりさんやって?」

「やあ、めにー。こんにちはー」

「こんにちは。きこりさん!」


 この世界は理不尽だ。

 憎しみ妬む人間を悪と決めつけるんだ。

 あたしは悪で、メニーは善。


 その裏で、どんな想いがあったかも知らないくせに。

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