第17話 ミッション遂行のために
数十分後、キッドに連れてこられたのは、古い木造で建てられた小さな二階建ての家だった。街の裏側、木に囲まれた人気のない外れた道の裏に、ひっそりと建っていた古臭い家に、キッドがあたしを招き入れた。
キッドがドアを開ける。
「ただいま、じいや」
キッドが声をあげる。あたしは家の中を見る。家にいたのはたった一人の老人。農家なのだろうか。動きやすいオーバーオールの作業服を着ており、暖炉の前の椅子にどっかりと座っていた。
老人がキッドを見て、あたしを見て、キッドがあたしの手を握っているのを見て、優しく微笑んだ。
「おお、キッドや。お友達かな?」
「じいや、俺の婚約者だ」
キッドがそう言うと、老人は――目を丸くし――笑い出す。
「ふぉっふぉっふぉっ! またお前は、冗談を……」
「テリー・ベックス。貴族のご令嬢だ」
「……ふぉっふぉっふぉっ」
老人がひとしきり笑うと、ぴたりと笑うのをやめた。キッドがあたしに顔を向ける。
「テリー、こっちは俺の付き人のビリー」
キッドに平然と紹介され、きょとんと瞬きをする。
「ビリーって呼んでもいいし、じいやって呼んでもいいよ」
「……」
あたしはとりあえず、マントの中に着るドレスをつまみ、貴族らしくお辞儀をする。それを見て、ビリーが黙り、ゆっくりと、視線をキッドに向けた。
「……どういうことかな? キッド」
「冗談でも嘘でもサプライズでもない。じいや、俺は約束を守った。期限までに婚約者を見つけたよ。さあ、これで怖いものはない」
「キッドや、少し二人で話をしようかのう」
「そんなのは後でいい。俺は約束を果たした。さあ、次はそっちが約束を果たす番だ。俺の権利を主張して、俺の指示に従ってくれるな?」
キッドが強気で、堂々と、ビリーに訊く。
(……なんの話かしら)
あたしには、さっぱりぽん。だが、特に話には興味もないし、二人の会話よりも、この狭い家を見回す方に興味が注がれる。
(狭くてじめじめしたところね……)
うわ、あんなところにクモの巣がある。
(最低)
せっかくお金持ちの貴族に戻ったのに、こんなところに居たくない。あたしはキッドを見上げる。
「ねえ、二人で話すなら、あたしいらないわよね? 外にいていい? ここ、じめじめしてて、嫌」
事情があるなら、そっちで解決すればいい。あたしを巻き込まないで。しかし、キッドはあたしの手を離さない。
「駄目だよ。テリー。ここにいて。君は俺の婚約者なんだから」
「ねえ、今すぐに姉さんを助けてくれるって言うから着いてきたのよ。お爺ちゃんにあたしを紹介するだけなら、あたし、帰る」
「ふふ。俺の婚約者はせっかちさんだな」
そう言うと、キッドがあたしの手を持ち上げる。
(え?)
あたしの手の甲に、ちゅ、と唇を押し付けてきた。
(あ)
手の甲に、キスされた。
あたしは悲鳴をあげた。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
キッドがぽかんとする。ビリーがぽかんとする。あたしはキッドから解放された手を胸に抱いて、縮こまる。
「お、おま、お前! お前! お前!!」
「え?」
「なにするのよ!」
「何って……」
キッドがぽかんとしながら、答える。
「手に、キスしただけ、だけど……」
「馬鹿野郎!! この破廉恥野郎!」
「え」
「すけべ! 不埒な奴! くたばれ!!」
「え?」
「あ、あた、あたし、まだ10歳なのよ!」
ぎゅっと握って、キスをされた手を守る。
「じゅ、じゅ、10歳の、いたいけな女の子に、き、きききききき、キスだなんて!!!」
あたし、家族にしかキスされたことないのに!!
「恥を知りやがれ!」
この――!
「ど助平っっっっっっっっっ!!!」
――あたしの渾身の声が響き渡り、クモの巣がふわんと揺れた。クモが一瞬起きた巨大な風に警戒心を持ち、別の場所に巣を作ろうと避難を開始した。キッドは黙って瞬きする。ビリーも黙って瞬きする。
「……どすけべって……」
あたしは体をぶるぶる震わせてキッドを睨みつける。
「キスしただけで、そんな……」
キッドがそんなあたしを見て、ぽかんとして、続ける。
「そ、そんな、ぶっ……」
突然、吹き出した。
「ぶっふっくくくくくく……!!」
キッドが笑いをこらえて、体を震わせる。
「え? だって、普通に手の甲にキスしただけ……」
ぶっ!
「あっはははははははははは!!!!!」
キッドが笑いながら、古いテーブルをばんばん叩いた。
「あー! そっか! そっか! そーだよねーーー!!」
キッドが笑いをこらえながら、にやけている。
「なんだかんだ言って、そういうところは照れちゃうよねーー!!」
「……っ!!」
「あはははははは! 駄目だ、じいや! あははははははははは! ぎゃははははははは! いやーーーー!」
キッドがテーブルをばんばん叩く。
「純粋だなーーー!!」
貴族のお嬢さまが、たかが手の甲に唇押し付けられただけで、
「助平だってさ!!」
だっはははははははははは!!!!!
「笑いが、あはは! じいや! はあ、駄目だ! はあ! 止まらない! お腹いてぇ! あはははははは! だっははははははぁ! ああ、いてぇ! 腹いてぇ!! あははははははははは!!」
キッドが大爆笑する。地面に膝を立てて、テーブルに突っ伏して、手でばんばん叩き続ける。ビリーがぱちぱちと瞬きする。あたしはキッドを睨む。
(このっ……!)
よくも、あたしの手にキスしておいて、大爆笑を……!!
「帰ります!!」
あたしは真っ赤な顔で怒鳴った。
「あたし、もう帰る!!」
笑い続けるキッドに背を向ける。
「あんたについていったあたしが馬鹿だった!!」
靴を見る。靴は赤い。
(なんの役にも立たないじゃない!)
導きの無い無能な靴。
(ここはあたしがいる必要のない場所なんだわ! ここにいたって、こいつにからかわれるだけ!)
あたしは歩き出す。
「さようなら!!」
「待って」
キッドがあたしの手を掴んだ。あたしはその手を睨む。
「離して!」
「気に入ったよ。テリー」
キッドがまだくすくす笑いながら、あたしの手を握り締める。
「俺、婚約者って、もっとクールなものかと思ってた。こんなに笑えるとは思わなかった」
「いい! もういい! 帰る!!」
「テリー、本当に貴族だよね? こういうこと慣れてないの? 10歳だっけ? 知り合いの人のパーティーとか、行ってないの? マナーの勉強、してないの? ああ、そっか、舞踏会デビューがまだか。ぶふっ!」
「うるさい! パーティーにも行ってるし、ご挨拶だってことくらい知ってるわよ! はん! なによ! キスの一つや二つ! 知ってるわよ! 慣れてるわよ! ふざけんな!!」
「へえ? 慣れてるんだ? じゃあ、色々試してみる?」
(え)
手を引っ張られる。
「へっ」
両手を掴まれる。
「えっ」
壁に押し込まれる。
「ん」
壁に押し付けられる。両手を掴まれる。掴むのはキッド。上からあたしを見下ろし、にっこりと、微笑む。
「せっかく、婚約者になったんだ。俺と色んなことして、楽しもうよ」
整った顔つきで、どこか圧のあるオーラに迫られ、あたしは思った。
(あ、こいつ、やばい)
キッドがにっこり笑う。
あたしもにっこり笑って、掴まれた手で指を差す。
「あ、クモだわ! 捕まえないと!」
「部屋グモはそっとしてあげないと駄目なんだよ。神さまだからね」
「あたしのこともそっとしてくれていいわ!」
「俺、テリーのことがもっと知りたい」
「あたしは知りたくない!」
「大丈夫。俺のことは時間をかけて、ゆっくり、俺という人間を教えてあげる」
「あたし、知りたくない!」
「色んなことを教えてあげる」
「おほほ! 知りたくないって言ってんだろうが! くたばれ!」
「ねえ、テリー、君さ、今までボーイフレンドはいたことある?」
「あたし10歳よ! いるわけないでしょう? このクソボケ野郎! そんなこともわからないの? くたばれ!」
「ああ、やっぱり俺が初めてか。そっか。わかった。いいよ。俺が全部教えてあげる」
「大丈夫! 時が経てば素敵な王子さまがあたしを迎えに来るから! あなたもあたしよりも素敵な人と出会えるわ! 今は確かにあたしが婚約者だけど! ほら、婚約って大人になってから解消することもあるでしょう?」
「うん。確かにそれはあるね」
「そうでしょう!? だったらその時のために準備しておかないと!」
「でも、今は俺と婚約してるから、俺が全部教えるよ」
「備えは大事よ! くたばれ!」
「備える必要なんてないよ」
「駄目よ! 言ってるでしょ! 時が経てば王子さまが迎えに来る……」
「俺が迎えに来た」
だから、
「お前が他の男のために準備をすることなんて、何もないよ」
キッドが美しく微笑んで、あたしの手を取る。
「大丈夫」
キッドが、あたしに悪魔の微笑みを浮かべる。
「お前の全て、俺が奪ってあげるよ」
その笑みに、あたしの血の気が下がる。ぞわぞわする。
(へへっ)
寒気がする。
(なんだろう。顔は超好みのイケメンのはずなのに)
喋ってみると、理想とは随分かけ離れている気がする。
(えーと)
あたしは手に力を入れてみる。動かない。
「……」
あたしはキッドを見上げる。キッドがにこにこ微笑む。
「……」
逃げられない。
「ふえええええええええええん!!」
あたしは必殺、泣き声をあげた。
「助けてぇ! このお兄ちゃん、怖いよぉーーー!!」
「キッドや」
ビリーが声をあげた。キッドが不満そうにビリーに振り向く。
「じいや、この泣き落としに騙されたら駄目だよ。これ、この子がわざとやってるんだ」
「何を言っとるんじゃ。年下のレディには優しくしなさいと、いつも言ってるだろう」
「失礼だなあ。じいや、見てわからない? 俺、すごーく優しくしてるよ」
ビリーがあたしを見る。
「びええええええええええん!!」
ビリーがキッドを睨む。
「キッド」
「違うってば」
「離してあげなさい」
「やだ」
「離しなさい」
「だって、離したら、この子逃げるもん」
キッドがあたしの両手を掴んで離さない。
「だから駄目」
「ふえええええええええええええん!!!」
「キッド!」
「わかった、わかった」
キッドがうんざりした顔であたしの片手を離す。片手は繋いだまま。
「これでいい?」
「ふえええええええええええん!!!」
「キッド!!」
ビリーに再び怒鳴られ、キッドが苦い顔をする。
「じいや、絶対逃げるから駄目だってば!」
「泣いてるじゃないか」
「びえええええええええええええん!!!」
「演技だって! この子、絶対10歳なんて嘘だよ!」
「10歳だもんんんん……!」
「キッド!!」
「あー……はいはい……」
キッドがあたしから手を離す。
(きたーーーーーーーー!!)
逃げるチャンス到来!! あたしの目が希望に光り輝く。
(あたし、これで逃げずにいつ逃げるの!?)
今でしょ!
あたしは扉に全力疾走する。キッドが大声を上げた。
「ほら、言わんこっちゃない!!」
そう言うと、キッドがドアに向けて何かを投げた。
(え)
花瓶。
「きゃっ!」
花瓶がドアに当たって粉々に割れる。
「ひえ!」
ぎりぎりであたしの足が止まる。花瓶の破片が飛んでくる。
「わ、」
あたしは後ずさる。足が滑る。
「ひぎゃ!」
その場に尻餅をつく。足音が近づく。あたしのマントを掴んで、上に上げる。
「ふぎゃ!」
キッドがあたしを無理矢理立たせる。マントの襟を掴まれ、あたしは暴れて抵抗する。
「離せ! その手を離せ! このクズ! クソガキ!!」
「どうだ。じいや、見たか。これがこの子の本性だ」
ビリーがキッドに眉を下げた。
「お前が怒らせることをしたのではないか?」
「じいや!」
キッドが目を見開いて、ビリーを睨む。
「ねえ、見てなかったの? 俺、何もしてないでしょ?」
「おじいさん! こいつ、脅迫してきました!」
「脅迫なんて失礼な! テリーってば、言い方が悪いよ。俺はただ、君が俺にメロメロに惚れてしまったから、じゃあ結婚を約束しようかって、話になったんじゃないかー!」
「違う!!!!」
「ね、じいや、見た通りだよ」
キッドがビリーに微笑む。
「この子は、立派な俺の婚約者」
キッドがにやける。
「今すぐ、人を集めて」
ビリーがキッドをじっと見る。
「集まり次第、作戦Cを実行する。場所は特定済み。ここにいる、俺の愛しいテリーのお陰で家の中の状況、誘拐された子供たちの状況を把握できた。じいや、もう時間はない。作戦Aでいく予定だったが変更された。作戦Cだ。収集をかけろ。今すぐにだ。これは命令だ。今すぐに集めるんだ」
「……御意」
ビリーが静かに言い、すくっと立ち上がり、ドアの向こうの部屋に入った。数秒もしないうちに家の中に誰か入ってくる。
ビリーと同じ、農作業の格好をしている人が数人。テーブルの側で立ち止まる。
また誰か入ってきた。今度はどこかの店の従業員。
また誰か入ってきた。今度はバスケットを持った女性。
また誰か入ってきた。使用人の格好をする男性。
その数秒後も、また数秒後も、どこにでもありそうな格好をした「誰か」が何人もこの家に入ってきた。
気づけば、家の中には大勢の人が集まっていた。五、六人どころではない。二十人三十人の規模だ。
この小さな家の中に、入れるだけ人が入ってくる。
人が、あっという間に集まる。ビリーがドアを開けて、部屋から出てきた。
キッドがその光景に笑みを漏らし、あたしの肩を抱きながら、その三十人近くの人々に伝える。
「これより、例の事件においての作戦をCに変更する。直ちに現場に向かい、子供たちを救出する」
「キッドさま」
一人が声をあげる。
「作戦Cは、危険かと……」
また一人が頷いた。
「ええ。キッドさま、我々はAでいくべきかと……」
「そんな時間はない」
キッドがあたしの肩を強く抱く。
「俺はこの大切な人のお陰で、権力を手に入れた。命令だ。作戦はCに切り替える。皆、準備を」
「御意」
家の中にいる全員が声を揃えて、キッドに敬礼をした。あたしは眉間に皺を寄せる。
「ああ、ちなみに」
キッドがあたしに頬をこすりつけた。
「婚約者のテリーだよ。みんな、よろしくね!」
「キッドさま!」
「おめでとうございます! にこっ!」
「流石です!」
「やりますねぇ!」
「おいくつですか!」
「10歳だって!」
「やりますねぇ!」
「4歳下か」
「萌えますねぇ!」
「ふっ! 素晴らしい! 流石キッドさま! お目が高い! 俺にはわかる! あのリトルハニーフラワーベリーちゃんは絶対に将来、美人になるぞ!」
「楽しみですねぇ!」
あたしは眉をひそめる。
「さ、みんな、準備を。頼んだよ」
キッドが手を叩く。人々が一斉に外へ出て行く。家からいなくなる。残ったのは、あたしと、キッドと、ビリーだけ。
あたしは肩を抱くキッドを見上げる。それをわかっていたようにキッドがあたしを見つめていた。目が合うと、キッドがあたしに微笑む。
「さあ、俺も行かないと。テリーはどうする? ビリーとここにいてもいいよ」
「……あんた」
何者なの?
――訊く前に、あたしは口を閉じた。それを訊くのは、この契約上のルール違反な気がした。
「ん?」
キッドが微笑んで訊き返す。あたしは首を横に振った。
「なんでもない」
「訊きたいことがあったんじゃないの?」
「……」
あたしは黙って首を振った。
「なんでもない」
「そう?」
「ええ」
キッドがにこりと微笑み、あたしの頭に手を置いた。
「良い子だね」
キッドが口角を上げる。
「そうやって詮索してこない子、大好き」
あたしの頭をゆっくり撫でる。あたしはその気持ち悪い手の感触を感じながら、目を逸らして、違う質問をする。
「……一つだけ、いい?」
「どうぞ」
「作戦Cって、危ないの?」
キッドが微妙な顔をする。
「まあ、一か八かの作戦だからね。俺が囮になるんだ」
「……囮?」
その単語に、引っかかる。
「犯人が狙っているのは10代前半の小さな子供。大人の少し手前の子供、かな。俺は14歳だけど、ま、同じ子供さ。俺が犯人の前に出向いて、わざと誘拐されて、隙を見て子供たちの脱出を試みる」
「それが作戦C?」
「そうだよ。今すぐに出来る作戦だ」
「作戦Aは?」
「今は作戦Cになった。それは忘れて」
「……」
――ある日、突然、監禁生活に終止符が打たれた。
――誰かが助けに来た。扉を乱暴に蹴って開けてきた。
――君たちを助けに来た! 上には応援がいる! 早くここから出るんだ!
――そんな言葉を高らかに声をあげて言って、閉じ込められていた子供たちは我先にと逃げ出した。
「子供が、パニックになって逃げ遅れたら、どうするの?」
「なんとかするさ」
「なんとか出来なかったらどうするの」
――あたし、足がすくんじゃって、動けなくて、その人が、あたしの手を掴んだの。引っ張ったの。
――もう大丈夫って言って、一緒に逃げて、あたし、逃げ遅れた。
――足がすくんでて、転んだ。
――あたしを引っ張ってた人と、手が離れた。
「例えば、もしも、その、すごく怯えてる子がいて、あんたが手を引っ張って連れ出したとしても、フローリングに足を滑らせて、転んで、あんたの手も滑って、その子が逃げ遅れるかもしれないでしょう」
――そしたら、犯人の追いかけてくる叫び声が聞こえたの。
――包丁を持ってたわ。犯人があたしを狙った。
――犯人があたしにめがけて包丁を振り下ろした時、それを見た、あたしを引っ張ってた人が、その間に入って、
――あたしの代わりに刺されたのよ。
あたしは見ていた。
その人が包丁を体から離さないよう掴んだまま、やがて動かなくなったのを見ていた。
あれは、確か、子供だった。
青い目だった。
あたしを見ていた。
あたしはその目を見ていた。
子供ながら、思った。
この人、死んでるって。
あたしの目を見ながら、死んでいったって。
充血した青い瞳。
綺麗な顔立ち。
その顔は覚えてない。
ただ、すごく綺麗な顔の死体だったことは、なんとなく覚えてる。
あたしは目の前のキッドを見る。
青い目。青い髪。綺麗な顔立ち。やんちゃそうな表情。子供。
その顔は覚えてない。
ただ、すごく綺麗な顔の死体だったことは、なんとなく覚えてる。
帽子が、血の広がるフローリングに、転がっていたことを、覚えている。
キッドの帽子は、どこかで見たことがあった。
「キッド」
あたしは提案する。
「作戦Dでどう?」
「うん?」
キッドがきょとんと目を見開く。あたしは唾を飲み込んで、ゆっくりと言葉を吐いた。
「……囮を変えるの」
「囮を変える?」
「そうすれば、いざって時、あんたが動けるでしょ」
「でも、囮は誰になってもらうの?」
「あたし」
聞いてたビリーがあたしを見た。キッドも驚いたように目を丸くさせて、途端に口角を下げた。
「……なあに? それ。どういうつもり?」
「あたしが囮になって隙を作る。その間に、あなたがあの大勢の人たちと子供たちを逃がして、犯人を捕まえる」
「ね、テリー、自分の言ってることわかってる? それ、君も危険な目に遭うよ。リスクを背負いすぎてる。俺、テリーにもしものことがあったら嫌だなあ」
「なーんだ」
あたしは笑う。
「結局、口約束ね」
皮肉めいた声にキッドが顔をしかめた。あたしは微笑む。
「どんな状況でも、あたしを守ってくれるって約束したくせに。あたしの騎士になってくれるって、愛を誓い合った場所で、約束したのに。ほら、全部嘘だった」
あたしは微笑む。
「あたしへの愛って、その程度だったのね」
言うと、キッドが口角を上げた。
「何を言ってるの。テリー」
くくっ。
「そんなわけないだろ?」
キッドがあたしの手を握り、跪いた。
「テリーは俺の大切な人。俺はテリーを愛してる。愛する人の騎士になると俺は確かに誓った。愛するあなたのためならば、火の中でも水の底でも、あなたを守りぬくと。ああ、そうだった。君を愛するあまり、馬鹿な心配をしたよ。ごめんね、テリー」
キッドがにんまりと、微笑む。
「愛する俺のために頑張ってくれる?」
「そうすれば、あなたも頑張ってくれる?」
「もちろん」
キッドが、あたしの手を優しく持ち上げる。
「命に代えても、お前を守ると誓おう」
そして、あたしの手の甲に、再び唇を押し付けた。キッドがすぐに離れて、あたしを見上げて、微笑む。あたしも微笑む。
利用し合う二人が微笑み合う。
そこに愛はない。
ただの契約上のキスが、手の甲に押し付けられただけ。
あたしとキッドが、にんまりと、いやらしく、微笑み合う。
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