第16話 サブミッション、スタート


 翌日になるとママが帰ってきた。一日経っただけで、顔色が全く違った。げっそりして、一気にやつれた気がした。顔は青い。


 部屋から出てこないママの部屋に無断で入って、ベッドで寝込むママに近づく。


「ママ」


 ママがあたしを見る。あたしはママを見下ろす。ママがあたしを見て、目を潤ませた。


「……ああ、テリー……」


 ママが涙を溢れさせた。


「ああ……、ああ……」


 あたしに腕を広げ、その勢いであたしをきつく抱き締める。


「ああ! なんてことなの!!」


 ママが叫んだ。


「一瞬、ほんの一瞬、目を離しただけだったのに!!」


 ママが腕に力をこめた。


「アメリアヌが、ああ、テリー、アメリアヌが……!」


 あたしはママの背中を撫でる。


「ああ、テリー! ああ、どうしましょう! テリー!! 私はどうしたらいいの!! ああ! アメリアヌ!! 私の可愛い娘!!」


 ママがあたしを強く抱きしめる。


「テリー……! テリー……!!」


 ママが鼻をすする。あたしの肩にママの涙が落ちる。あたしの肩が濡れる。あたしはママの背中をさすり、撫で、また撫でる。


「大丈夫よ。ママ」

「あああああ……! アメリィ……!」

「ママ、大丈夫。きっと見つかるわ」


 ママの背中を優しく叩いて撫でる。


「大丈夫よ。大丈夫。きっと見つかるから」


 あたしはママを撫でる。ママがあたしを強く抱きしめる。


「大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫」


 あたしは瞼を下ろす。ママの泣き叫ぶ声が聞こえる。あたしはママを撫でる。


(外出禁止だけど、この後すぐに出かけよう)


 街へ。


(必要であれば、この靴が導くわ)


 赤い靴は光に反射して、つるりと光る。


「ママ、大丈夫よ」


 うわ言のように、あたしは呟く。


「大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫」

「テリー……!」


 外から見れば、ママは確かに最低な人かもしれない。冷たい人かもしれない。


 でも、ママは――、


 ママは、あたしを愛している。

 ママは、アメリを愛している。

 ママは、あたしとアメリを愛してくれている。


 その事実が、あたしには痛いほど感じる。


「大丈夫よ」


 あたしが、なんとかする。


「大丈夫よ、ママ。大丈夫だから」



 罪滅ぼし活動サブミッション、アメリアヌを助け出す。



 人混みの多い街の中、一人マントを羽織り、深くフードを被り、じっと辺りを見回す。外出禁止の屋敷からこっそり抜け出して、歩いてここまで来た。


(さて、どうしようかな)


 広場の噴水前で、じっとする。


(靴、動かない)


 あたしは辺りを見回す。


(右)


 子どもがいる。側には親がいる。


(左)


 警察がいる。見回りをしている。


(歩くしかない)


 あたしはてくてく歩く。同じようなマントを着た人とすれ違う。


(情報収集よ)


 歩いていれば思い出すかもしれない。そこから、犯人の家の手掛かりが掴めるかもしれない。思い出すかもしれない。


(思い出したら、見つからないように現場まで行ってみて、犯人がいれば、警察に情報を渡せる)


 そして、アメリが助け出される。


(屋敷に戻ってきて、メニーと仲直りしてもらって)


 ミッションはコンプリート。


(パーフェクト)


 そうと決まれば、てくてく歩きだす。


(誘拐事件)


 子どもが誘拐された、ほんの小さな事件。あたしの記憶にも、微かにしか残っていない出来事。


(でも、誰かが死んだ)


 死人が出た。


(あの子供はなんだったの?)


 なぜ、あたしたちを助けに来れたの?

 あたしはてくてく歩く。


(どこに行こう)


 どこかに歩いていれば、この靴があたしを導くはず。


(必要であれば)


 あたしはてくてく歩く。


(そうだ。ママとアメリ、話を聞く限り、昨日は馬車で移動してたって言ってた)


 あたしはてくてく歩く。


(アメリが行く髪飾りのお店となると……)


 あたしは知ってる雑貨屋に向かう。てくてく歩く。お店に向かう。お店の周りには警察が立っていた。


(ビンゴ)


 あたしはその前を通り過ぎる。警察からの視線を感じるが、バスケットを持って、お使いのふりをする。視線が逸れる。


(ここだとすると)


 あたしはいつものルートを辿ってみる。てくてく歩いていくと、向かっていた店には警察が立っている。


(ここもビンゴ)


 いつもの道で買い物をしていたんだ。あたしはてくてく歩く。


(そうなると)


 あたしはてくてく歩く。


(もしかして)


 あたしはてくてく歩く。


(確か)


 この先だった。あたしはてくてく歩く。


(この先に)


 いつものお店。


(この先に)



 あたしが誘拐された場所。



「……」


 足が止まる。ジュエリーショップのショーウィンドウには、宝石が埋め込まれたアクセサリーが美しく並んでいた。


(これだ)


 あたし、これを見ていた。


(この美しさに見惚れていた)


 あたしは深く被るフードから、ショーウィンドウを眺める。


(覚えてる)

(ここで、声をかけられる)


「お嬢さん、それが欲しいのかい?」


 あたしは優しい紳士に頷いた。それを見て、紳士が微笑んだ。


「私の家にあるよ。良かったら、いくつか貰っていかないかい?」

「え? いいの?」

「ああ」

「でも、ママに怒られちゃう」

「すぐそこに家があるんだ。すぐに戻ればいい」

「すぐそこなの?」

「目の前さ」

「だったらすぐ戻ってこれるわね」

「そうだよ」

「いっぱいある?」

「いっぱいあるよ。好きなだけ持っていくと良い」

「行く!」

「おいで」


 紳士は最初に、あたしの肩を掴んだ。それから、にっこりと微笑んで、ついてくるあたしの手を握り、歩いて行った。


 あたしを監禁場所まで連れ去った。


(そうだ)


 肩を掴まれた。


(あたし、なんて優しい人なのって、馬鹿なこと思ってた)


 肩を掴まれた。


(あたし、その時に逃げれば良かったんだわ)


 肩を掴まれた。


(犯人は男だった。紳士だった)


 肩を掴まれた。


(片手には杖を持ってた。足を引きずって歩いてた)


 肩を掴まれた。


(それくらいだったら、ママの元へ走って逃げれたのに)


 肩を掴まれた。


(あたしは逃げなかった。ほいほい着いていったのよ)


 肩を掴まれた。


(怖い)


 肩を掴まれた。


(なんだか、すごく怖くなってきた)


 肩を掴まれた。


(その時のことが、鮮明に覚えてる)


 肩を掴まれた。


(あたし、覚えてる)


 肩を掴まれた。


(大きな手に)


 肩を掴まれた。





 ――今のように。




 ぽん、と肩を掴まれたあたしは、悲鳴をあげた。


「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 驚いたように肩から手が離れた。あたしは体を縮こませ、しゃがみこむ。体がぶるぶる震える。恐怖が一気に蘇る。


「あ、あた、あたし、い、行かない! どこにも行かない!!」


 必死に空のバスケットを腕に抱く。


「ち、近くにママがいるの! だから無駄よ! 放っておいて!!」

「ごめん、ごめん」


 相手がそう言うと、優しくあたしの両肩に触れてきた。


「驚かせるつもりはなかったんだ。ごめんね」


(うん?)


 子供の声。


(誰?)


 あたしは振り向く。顔を上げる。青い瞳と目が合う。


(あ?)


 帽子を深く被った、青い髪のイケメン少年が、あたしを見て、ぽかんとする。腰のベルトには剣と銃を装備していて(玩具?)、完全防備の素敵な少年。一瞬、あたしの頬が赤く染まる。


(え、誰これ。すごいイケメ……)


 その瞬間に、青髪のイケメン少年の記憶が蘇る。


 メニーへのプレゼントを買いに行った日に、嫌味を言ってきた嫌な奴。

 メニーのために猫のぬいぐるみを貰おうとして参加したゲームで、あたしの勝利を横取りしてきた嫌な奴。

 メニーの風邪を治す薬の材料を集めに行った時に、あたしの名前の花に心無いことを言ってきた嫌な奴。


 帽子を被った青髪のイケメン少年。


 途端に、あたしの口角が下がった。

 途端に、少年の口角が上がった。

 途端に、あたしの目がぴくりと引き攣った。

 途端に、少年がにっこりと微笑んだ。

 途端に、あたしはにっこりと微笑んだ。

 途端に、少年が素敵な笑顔で息を吸った。


「やあ。また会ったね」

「ふえええええええ?????」


 あたしは一気に、とぼけだす。


「かっこいいイケメンのお兄ちゃん、あたし、どこかで会ったっけぇーーー???」

「この間はお小遣いをありがとう」

「あたし、しーらない!」


 あたしはすくっと立ち上がり、てくてく歩き出す。


(関わりたくない関わりたくない関わりたくない関わりたくないこのクソガキに関わったらろくな目にあわないからもう二度と関わりたくない)


 てくてく歩いていると、少年があたしの手を掴んだ。


「ねえ、待ってよ」

「やぁ! さわらないで! へんしつしゃ!」


 ぶん! と強く腕を振る。少年の手が離れない。


(え?)


 ぶん! ともう一度腕を振る。少年の手が離れない。


(え? え?)


 ぶん!! と再び強く腕を振る。少年の手が離れない。


「ふええええええええええん!!」


 あたしは泣き声をあげた。


「このお兄ちゃんが、手、離してくれないぃ! うえええええん!!」

「ねえ、ここで何してたの?」

「いやぁ! 人のこと詮索してくるなんて気持ち悪い! 離れないよぉ! 気持ち悪いよぉ! あたしを誘拐するつもりね! この背だけ高い木偶の坊野郎! とっとと離れろって言ってるのが聞こえねえのかクソガキが! さっさとその汚い手離しなさいよ!!」

「あははははは! ねえ、その豹変ぶりはなんなの? そろそろ教えてくれないかな?」


 警察官が近くを歩いている。あたしははっとして、声を荒げる。


「お巡りさん! 助けて! お巡りさん!!」

「あはははは! 駄目だろ。お巡りさんに迷惑かけちゃ。わかったよ。あとでお菓子買ってあげるから。駄々こねるなよ」


 少年がそう言うと、警察官があたしたちから視線を外し、違う道を歩き出す。


「ちょっとおおおおおおお!!」


 あたしは警察官に手を伸ばす。


「ちょ、見えないの!? このガキが! 年下であろうあたしの腕を掴んで離さないのよ! どう見たって異常でしょ! 異常よ、異常! 病気よ、病気!! お前みたいな奴がいるから変人と病人と不審者が同じ扱いされるのよ! 病に伏せて悩んでる方々諸君に謝りやがれ! このブルーベリーボォイ!!」

「俺、君と二人で話がしたいんだ。お巡りさんなんか必要ないでしょう?」

「うるせえ! あたしはてめえなんかに話なんざないわよ!」

「ねえ、君いくつ?」

「見たらわかるでしょ! さ……!」


 ……、……、……。

 あたしは深呼吸して、落ち着いて、目をきりっとさせて、答える。


「10歳よ」

「そうだろ? 俺は14歳。ね、俺の方が年上」

「うるっさいわねぇ! だったら何よ!」

「あははは! とても10歳に見えないんだよなあ。その話し方。口調。態度。美しい俺をクソガキ呼ばわり。ね、君がすごく変わってるから、俺、君のことがすごく気になってたんだ」


 そしたら君がここにいた。


「これは何かの縁だよね。話そうよ」

「縁なんてあるものか!」


 あたしは少年をぎろりと睨みつけた。


「関わらないでと言ったはずよ!」

「おっと、怖い怖い。そんな目で見ないでよ。もっと甘い空気でいこう。楽しく、愉快に」

「お前なんかと話してる時間が勿体ないのよ! あたしは忙しいの! 邪魔しないで!」


 あたしは歩き出す。しかし、少年があたしの手を掴んで離さない。少年を睨む。少年は微笑む。あたしはもっと睨む。少年はもっと笑う。あたしはさらに睨みつける。


「離して!」

「話そう」

「離してよ!」

「話そうよ」

「離せって言ってるのよ!」

「いいよ。話そうか」


 少年があたしを引っ張る。あたしは引き寄せられる。


「っ」


 少年が受け止める。ワルツを踊るように、あたしの腰を手で押さえ、手を引く。離した際にあたしの腕から手に移動して、あたしの手に指を絡ませ、ぎゅっと握る。


「お嬢さん、この俺と、ゆっくりお話ししましょう」


 少年があたしを見下ろし、怪しく微笑む。あたしの顔が引き攣る。


「あ、あんた、なんなのよ……」

「何を怖がってるの?」


 少年がにこりと笑う。


「俺は正義の味方だよ」

「嘘つき」


 少年がきょとんとした。


「嘘じゃないよ」

「嘘よ。その笑顔は嘘だわ」

「見惚れちゃう?」

「怯えてるのよ!」

「俺が美しすぎて、怖いんだろ」

「気持ち悪い……。なんなのよ、あんた、なんなのよ…!」


 あたしは少年の腕を掴んで、前に押す。


「離れてよ! 気持ち悪いわね!」

「駄目。このまま話そうよ」

「大声出してやる!」

「どうぞ」

「誰か!! こいつ、変!!!!」


 あたしは大声をあげる。誰も来ない。


(え?)


 あたしは周りを見る。誰もいない。


(え?)


 周りの店がいつの間にか、全て『CLOSE』になっている。


(……え?)


「くくっ」


 少年がおかしそうに笑う。


「これで邪魔者はいない」


 あたしの腰に置く手に、ぐいと力が入る。抱き寄せられる。


「ひぃ!」


 あたしは悲鳴を出し、これ以上近づかないように、少年の腕を前に押す。


「いやああああああ! キモイキモイキモイ! お前、本気で無理!! 無理無理無理!!」

「ねえ、改めて自己紹介をし合おうか」

「結構よ! お前の素性なんか知りたくない!」

「俺はキッド。君は?」

「教えるわけないでしょ!」

「テリー。綺麗な花の名前だね」

「うるさい! そんなこと思ってないくせに! 嘘つき!」

「思ってるよ。ただ、あの時は君を求めるあまり、下手に言葉を選んでしまっただけ。不器用な俺を許してよ。テリー」

「あああああ! やめろ! あたしの名前を軽々しく呼ぶな! 呼ぶならもっと丁寧に敬いの心を持ち清く正しく発言なさい!」


 少年が一拍、置いた。


「テリー」

「やめろおおおおおお!!!」


 ムンクの叫び声をあげると、少年がげらげらと笑い出す。


「あははははは! はははははは! 結局そうなるんじゃないか!」


 だけど、それでいい。


「これで俺たちは知り合いだ。もう言い訳は聞かないよ。テリー」


 少年が――キッドが、胡散臭いほど美しく微笑む。あたしは苦い顔をして、キッドの腕を前に押し続ける。


「テリーに訊きたいことがいくつかあるんだ」

「なによ! 早くしてよ! 早く話してよ! 早く離してよ!!」

「君、ここらへんで人を見かけなかった?」

「ええ! 見たわ! 青い髪の変人なら、今、目の前に存在してるわ!!」

「見た目だけなら紳士。顎に髭が生えてる30代くらいのおじさん。青い杖をついて歩いてて、足を少し引きずらせている」


 ――あたしは黙った。キッドが、黙って自分を睨みつけるあたしに、微笑む。


「ねえ、知ってる?」


 あたしは黙る。


「捜してるんだ」


 あたしはキッドを睨む。キッドがあたしの耳元で囁く。


「子供の誘拐犯」


 あたしは眉をひそめる。キッドがあたしの耳元から離れる。その顔はにこにこ笑っている。


「ちょっとでも情報が欲しいんだ。ねえ、君さ、俺が肩を掴んだ時に、なんであんなに怖がってたの?」


 ――あ、あた、あたし、い、行かない! どこにも行かない!!


「その後にこう言ってた」


 ――ち、近くにママがいるの! だから無駄よ! 放っておいて!!


「まるで誘拐犯に言っているような言葉」


 キッドがあたしを見つめる。


「ねえ、なんで怖がってたの?」

「……」


 あたしはようやく口を開く。


「姉さんが誘拐されたのよ。そいつに」

「へえ?」


 キッドが微笑む。


「で、犯人を捜してたの?」

「手掛かりがないか、探してただけ」

「手掛かりを見つけたら、どうする気?」

「警察に情報を言って、調べてもらって、姉さんを助け出してもらうわ」

「なるほど。警察の手柄にさせるつもりか」


 キッドがくくっと、いやらしく笑う。


「もったいない」


 キッドがにやあ、とにやける。


「テリー、ここは俺に任せてほしい」

「……は?」

「警察じゃない。俺がこの事件を解決する」

「……あんた、なに言ってるの?」


 きょとんとすると、キッドが笑う。


「そうだよね。そういう顔になるよね。でもね、テリー。俺は本気で言ってるんだ。この事件は、俺が解決する。そうすれば、俺の手柄になる」


 手柄を手に入れたらどうなると思う?


「街の人気者になれる」

「馬鹿馬鹿しい」


 あたしは呆れた息を吐く。


「街の人気者? そんなことのために、どこの馬の骨ともわからないあんたに協力して、姉さんを助けてってお願いしろって言いたいの? ふざけないでくれる?」

「ふふ。俺は本気だよ」

「所詮は言葉だけよね。子供だけじゃどうにもならない。ねえ、離してくれる? 話は終わりよ」

「情報をくれたら報酬をあげる。なにがいい?」

「なにがいい?」

「そうだよ。なんでもあげる」


 小さなことでも、些細なことでもいい。


「ほんの少しでも、為になる情報があれば、君が欲しいものをなんでも、一つだけあげる」


 キッドがあたしに微笑む。


「なにがいい?」


 あたしはキッドに言う。


「幸せ」


 キッドがきょとんとした。あたしはむすっとする。


「無理でしょ」


 あたしは目をキッドから逸らす。


「あたしは幸せだけが欲しいの。毎日の幸福。絶対幸福」


 あとは何もいらない。


「お前みたいに、街の人気者なんか興味ない。名誉だって、手柄だってどうだっていい。宝石もドレスも、いくら着飾ったって幸せじゃないと意味がない」


 あたしの欲しいもの。


「幸せよ」


 それ以外はいらない。


「幸せのためには、姉さんが必要なの」


 死刑回避の未来は、アメリもいないと意味がない。


「だからこんなにも必死になってるんじゃない」


 お前に構ってる暇なんてない。


「わかった?」


 無理よ。


「お前には無理よ」


 あたしに報酬なんて、


「一般庶民のお前なんかに、あたしの欲しいものを与えられるはずがないわ」

「ああ、そうみたいだ」


 キッドが考える。キッドがちらっとあたしを見る。


「テリー、念のために訊くよ」


 テリーは、


「なにか、情報を持ってる?」


 例えば、


「誘拐されたのは、大人もいる? それとも、子供だけ?」

「……それ知ってどうするの?」

「必要な情報なんだ」


 あたしは目を逸らす。思い出してみる。


(……いいわ)


 どうせ警察に言うんだし。


(所詮、子供のお遊びよ)


 どうなっても知らないからね。


「……大人は……いないはずよ」

「子供だけ?」

「……10歳か、その辺の子どもが12人程度。大人はいない」

「どこにいるの?」

「地下」

「どこの部屋?」

「白い扉に階段がある。そこに通じる地下にいる」

「家はわかる?」

「……見ればわかる」

「なんで知ってるの?」


 あたしはキッドを睨む。


「ここまでよ」


 あたしはキッドの腕を押した。


「もう離して」


 キッドを鋭く睨む。


「お前なんかと関わりたくない」

「俺は関わりたい」


 キッドが微笑む。


「必要な情報、君が全部知ってた」


 もしかして、


「あの家から逃げてきたの?」

「違う」

「じゃあ、なんで知ってるの?」

「知ってることは教えてあげたじゃない。もういいでしょう」

「ねえ、テリー、お姉さんを助けたい?」

「ええ」


 あたしは頷く。


「今から警察に行くわ。さっさと行くべきだった」


 なんでこんなところに歩いて来たのかしら。


「この情報持って、警察に」

「それは駄目だよ」


 キッドがあたしを捕まえる。


「この情報、警察に教えたくない」


 俺のものにしたい。


「だから」


 キッドがあたしを捕まえる。


「君をここで、数日間俺が誘拐して」


 この情報を封印させることも出来る。


「つまり」


 警察に情報は与えられない。


「つまり」


 君のお姉さんがそれまでに無事かどうかもわからない。


「……」

「テリー、もう一度訊くよ?」


 キッドがあたしに訊いた。


「君が幸せを手に入れるために、お姉さんを助けたい?」


 こいつ、なに?


(なにがしたいの?)


 にこにこして、あたしがどんなに抵抗しても、全く離してくれない。こいつが疲れて力を緩めることも、全くしない。


(手の力は緩んでるのよ)


 でも、全く離れない。


(誘拐?)


 なに言ってるの?


「怖がらないで。テリー」


 キッドが笑う。


「姉さんを助けたいなら、提案があるんだ」


 キッドは笑う。


「テリーは幸せになるために、この事件を追っている」


 キッドは微笑む。


「俺は手柄が欲しくて、この事件を追っている」


 キッドはいやらしく笑う。


「考えは一致してる」


 キッドがあたしから視線を外さない。


「交換条件だ」


 キッドの手に、再び力が加わる。あたしの体が簡単にキッドの胸に閉じ込められる。


「ひっ! ちょ、なによ!」


 キッドがまた微笑み、あたしを抱きしめるように引き寄せ、あたしの耳元に口を近づけ、囁いた。


「テリー」


 どうかな? 提案なんだけど――。



「――俺の将来の、お嫁さんになる約束をしてくれないか?」

「……は?」



 素っ頓狂な声を出すと、キッドがまたくつくつ笑う。


「誰も本当に結婚してくれとは言ってない」

「……ど、どういうこと?」

「結婚の約束をしてくれるだけでいい。必要なんだ」

「婚約が、必要なの?」

「そうだよ。今の俺にとって、婚約って肩書きは、すごく、すごーく、すっごく、大事なことなんだ」

「……婚約が?」

「テリーが俺と婚約してくれるなら、俺もテリーを誘拐せず、この事件に向き合う。テリーのお姉さんを、今すぐにでも助けてあげる」


 キッドは微笑む。ニコニコ笑う。その笑みには、嘘があって、嘘はない。彼は本気で言っている。

 あたしはYESを言わなければ、本気であたしを誘拐して口封じすると。

 あたしがNOと言わなければ、本気で事件に向き合うと。


 キッドはふざけていない。これは真面目な交渉だ。


(脅迫じみているけど)


 これは嘘じゃない。


(これは脅迫だけど)


 これは嘘じゃない。だったら――、


 ――そっちがそうやって答えを譲らないなら、あたしにも提案があるわ。


「プラスアルファよ」

「ん?」


 キッドが首を傾げた。


「いいわ」


 あたしはキッドに頷いた。


「あたしを好きに利用するといい。でも、約束して。あたしを必ず守って。それこそ、あたしが国から死刑宣告を受けて群衆の前でギロチン刑にされそうになっても、必ずそこから助け出して」


 そこまでしてくれるなら、


「婚約者でも、結婚相手でも、なんだってなってあげる」


 キッドの口角が一気に上に上がる。


「……今の言葉、嘘じゃないね? テリー」

「そっちこそ」

「交渉成立」


 キッドがぎゅっとあたしを抱きしめた。


「今から君は俺の婚約者。そして、俺は君をどんな奴からも守る騎士だ」


 キッドがあたしに囁いた。


「たった今、俺は運命の人に出会った。愛してるよ。テリー」

「口説きは結構」


 あたしはキッドの胸を押した。


「いいこと? お前が脅迫するから乗ってやったのよ。必要なくなったら、こんな契約おじゃんよ。どぶに捨ててやるわよ」

「そんな冷たいこと言わないで」


 キッドが微笑む。あたしはけっ! と喉を鳴らす。


(どうせ、こんなの口約束よ)


 あたしが死刑になったって、ギロチンに固定されたって、キッドには何も出来ない。何からもあたしのことなんて守れやしない。


(いいわよね。子供って)


 出来もしないことをやってあげるって、言えるんだから。


(お前の言葉なんて、薄いのよ)

(何がどんな奴からも守る騎士よ)


 守る気なんか、ないくせに。


「テリー、君の名前を教えて」

「え?」

「フルネーム」

「……」


 あたしは目を逸らす。キッドが微笑む。あたしは項垂れる。


「……ベックス」

「ベックス?」

「テリー・ベックス」


 ため息が出る。


「街から離れたところに、でかい屋敷があるでしょ。あそこの娘よ」

「ベックス……」


 キッドが思い出したように、笑顔になる。


「ああ、あの貴族のお屋敷か!」


 へーえ!


「やっぱり貴族だった!」


 キッドが微笑む。


「貴族か」


 キッドがにやける。


「いいね」


 キッドがあたしの腰を掴んで離さない。


「とてもいいよ」


 そう言うと、キッドがあたしから離れて、手だけを引っ張り出し、歩き始めた。


「よし、それじゃあ行こうか!」

「え? どこに?」

「どこって、やだなあ。テリー」


 キッドがくすくす笑う。


「犯人を捕まえに行くんだよ」


 あたしは目を見開く。キッドが愉快げにステップを踏む。


「今日で事件は全部綺麗に解決する」


 にやけたキッドがあたしに振り向く。


「任せて。もう大丈夫。君の判断が正しかったお陰で、お姉さんは助かるよ。他の子供たちね」


 キッドがあたしを引っ張る。


「行こう」


 あたしの足が、キッドに引っ張られて、てくてく歩いていく。


 靴は、まだ赤く染まっている。


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