第267話 イッコウという魔ネコ

 いまから数100年ほど前のことだ。ヤケダケの噴火による火砕流と、それに伴う群発地震によって、ヒダ一帯は壊滅的打撃を受けた。


 燃料を取るための山が焼け、育てていた作物は火山灰で埋まり、水脈は地割れで分断され、多くの農民とあらゆる作物が焼け焦げた。


 生き残った人たちは、領主(当時のハクサン家)に援助を求めたが、ヒダ国も大きな損害を負っており、それだけの余裕がなかった。


 それでも、都市部にはある程度の復興資金が流れたのだが、それが限界であった。そのことがかえって不公平感を増した。


 つまり、一番被害を受け、最も援助が必要な人たちが放っておかれたのである。絶望した彼らがすがったのが、当時流行し始めていた一向宗であった。


 イッコウという魔物の話ではない。仏教から派生した歴とした宗教団体である。


 こんな非常時になにもしてくれない領主に、どうして税金を払わないといけないのか。と、一向宗は煽った。それぐらいなら、一向宗の寺に寄進したほうがずっとマシだろうと。


 さらに、被災者たちにクワやナタなどの農具を武器として持たせ、各所にあった蔵屋敷(年貢を貯めておく場所)を次々に襲わせた。それが一向一揆である。


 そのときに、あおりを食ったのはその近辺に逃げ込んでいた小型の魔物たちであった。焼き討ちにあった蔵は延焼し、近隣の森まで焼いたからである。

 暴動参加者の中には、逃げ出した魔物を捉えて食べようとするものまであった。


 人間の暴挙に対抗する術もなく、逃げ惑う魔物たちの中に、少しだけ知能の高いものがいた。


 彼は人間の言葉を注意深く聞いていた。そしてひとつのキーワードに気がついた。


 それが「イッコウ」である。一向宗の門徒たちが交わす会話の中で、頻繁にでてくるその単語。それだけを聞き取ったのである。


 暴動者たちは、例外なくこのフレーズを言っていた。


 それなら?


 それと同じことを言えば、ボクたちは襲われずに済むのではないか。


 彼はそう考えた。複雑な言葉を魔物がマネするのは無理である。南無阿弥陀仏、なんて唱えることはできない。


 だが、イッコウぐらいなら可能だ。少し声帯の使い方を覚えるだけでいい。そして彼はそのことを周りの魔物たちにも伝えた。


 しかし、それを受け入れた魔物はごく少数であった。そんなことぐらいで助かるはずがないという気持ちもあった。イッコウと鳴くことに自己のアイデンティティの崩壊を感じるという事情もあった。そもそも鳴けない魔物もいた。


 それを積極的に取り入れたのは、魔ネコたちであった。彼らはもともと人に近い生き物であり、ペットや眷属となるものも多かった。それに、器用でもあった。


 そのために、魔ネコだけはさほど抵抗を感じることなく、イッコウと鳴くことを学習した。


 後にイッコウと呼ばれ高額で取引されることになる魔物は、こうして誕生したでのある。


 効果は絶大であった。暴動に加わった人間は、あちこちでイッコウと鳴く魔物と出会った。

 普段なら無視する(か退治する)対象でしかない魔物たちの中に、イッコウと鳴く魔物がいることが話題になった。


 それを聞いた一向一揆を指揮する僧侶は喜んだ。


「なんとこれは縁起の良いことだ。我らの行動が正しいと、仏様がおっしゃっている証拠であるぞ!」と。


 それ以来、イッコウと鳴く魔物は、退治される側から縁起物へと立場が変わったのである。人々は先を争って彼らを保護し、裕福な者はペットとした。


 そうやって人と共に戦乱を生き延びた魔ネコたちは、人と過ごすことが普通となり、従来の魔ネコたちとは一線を画した進化を遂げた。


 人から見て、とても可愛らしく見える姿・性質になったのである。ボールにじゃれついてみたり、ときには主人に知らん顔をしてみたり。かと思うと急に主人にまとわりついてみたり、主人の仕事の邪魔をして気を引こうとしたり。


 それはあざといと言われることもあったが、そうやって生き延びた魔ネコの一種。それがイッコウなのである。


 やがて時代が平和になると、ペットとしてのイッコウの需要は高まったが、もともと魔ネコは繁殖力は強くない。そのため、需要に応えられるようにと作られたのが、専用の牧場なのである。


「ふぅむ。お主らは商品になっていたゾヨ」

「それは可哀想だわね」

「それは別にどうでもいいモん」


「「「あれ?」」」


「そんなことじゃなくて、イッコウは年に1度。どうしても集まらないといけない理由があるモん」

「どんな理由?」

「繁殖相手を探すモん」


 だから。だから年中行事なのか?! だからイッコウ一揆は毎年春に起こるのか。繁殖のために。


「それは大事だわね。だけど、牧場の中に相手がいるんじゃないの?」

「ダメだモん。魔ネコは自分の意に沿わない相手とは、絶対に繁殖しない魔物だモん。多くの仲間の中から選ぶんだモん。それにここでないとどうにもその気になれないらしいモん」


「だから数が増えないのかしら。それで脱走したと?」

「救出依頼があったモん」

「救出依頼?」


「牧場から逃げ出した1匹が、ここに来て窮状を訴えたモん。それでボクは助けようと思ったモん」


「なるほどね。でも、どうやって助けたの?」

「監視小屋の人たちに、じんましんを作ったモん」

「はあ?」

「あ、さっきの首元がチクチクする、の応用ね?」


「そう。痛いのとかゆいのとは同じものだモん。出力を弱くすればかゆくなるモん」

「でもそのぐらいで監視が緩むもの?」


「人間って、かゆいとそれ以外のことはどうでもよくなる生き物だモん。油断している隙に、魔ネコが鍵をサクっと盗んで、扉を少しだけ開けておくモん。それに気づかずに人が帰ったら、そこからこっそり逃げ出せたモん」


 なんていい加減な管理者だこと。それになんていい加減な脱走計画でしょう。しかし、そもそもが大人しい魔ネコだ。管理人も逃げるなんて考えてもいなかったのでしょうね。あれ?


「ネコウサが毎年逃がしてたの?」

「いや。ボクは今年が初めてだモん」

「あれ? そうだったの?」

「去年までは自力で逃げていたと聞いたモん」


 自力で?


「今年は自力では逃げられなかった?」

「モん」


 ん? なんかその話、おかしくないからしら? 毎年逃げることが分かっていて、どうしてそんないい加減な管理を? 逃げた魔ネコはどうしたのかしら?


「ちょっと待ってね。逃げ出したイッコウたちは、結局どうしたの?」

「毎年、ここに集まって大繁殖大会」


 あぁ、ここはそういう場所だったのか。だから入り口の石像がアレなのか。って激しくどうでもいいわ!


「その後は?」

「ん? そんなもん、繁殖が終わったら戻るに決まってるモん? あんな楽に暮らせるとこは他にないモん」


「「「はぁぁぁぁ!?」」」


 戻るのか。戻るのなら、なにも問題がないじゃないの。ということは。


「ナガタキ様?」

「あ、いや、わた、わた、私はなにも知らなかった、ぞよ?」

「イズナの口まねしてもダメですよ! どうりで、ここのこと詳しいと思ったら、シロトリさんも知ってたんでしょ!!」


「「はい、知ってました」」


 ふたりを問い詰めたところ次のようなことが分かった。


 イッコウ一揆はイッコウ――魔ネコだが――の特性であり、毎年起こる行事のようなものである。


 一揆というよりも脱走と言うべきであろう。それをやらないとイッコウは一向に増えないため(あははは)、いままでは容認していた。つまり、わざと逃がしていた。


 しかし脱走したイッコウは、そのすべてが帰ってくるわけではない。だいたい1割はそのまま行方不明になるのが常であった。それを帰還率と呼んでいた。


 今年は、その帰還率がハクサン家の重鎮会議で問題になったのである。

 理由は決算書の厳格化である(いままでがずさん過ぎたのをミノウ紙を使うことで正常化させたアレである)。


 重鎮たちはかなり焦った。それだけ不正行為をやっていたのであろう。それなら正しいものにして提出すればいいのだが、それでは去年度との整合性が取れなくなる。


 自分たちの不正行為が露呈するのである。だから、一計を案じた。イッコウ一揆を利用して、決算書提出を先延ばしにするという作戦である。


 先延ばししたところで結果はたいして変わらないのだが、そこはアホな重鎮どもである。それを認めたナガタキもシロトリも同罪であると言っていいだろう。


「つまり、イッコウが逃げ出したから決算書が出せない、という理由をつけて、提出期限を延ばそうとしたわけね」


「「……はい」」


「合意なき離脱など認められないわよ」

「「はい?」」

「あ、こっちの話。それで、どうするつもりだったのよ!!」


「イッコウが完全に戻ってくれば、少しはマシな決算書が書けるって、重鎮どもが言うものだから」

「それはおかしいでしょ?」


「「え?」」


 そんなことはあり得ない。まだ、このふたりは嘘をついている。と、ユウさんならそう言うだろう。

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