第206話 裸になれ

 俺に胸を掴まれたことで、ソリをコントロールするための手段を失ったハルミは狼狽した。


 腕を上から押さえられて、ソリの舵(下面に張られた板の摩擦抵抗を上げたり下げたりするためのものと思われる)を切ることができなくなったのだ。


 そのことを運動音痴の俺は理解できていなかった。これだけの幅と重量のあるソリを、体重移動だけでコントロールできるはずがなかったのである。

 俺だって伸ばせない腕で精一杯ハルミのおっぱいを掴んだので、それどころではなかったのである。もにもに。あれ、以前よりちょっと大きくなってないかな、もに。


「精一杯なわりにはずいぶんと余裕かましているではないか!」


 目前に迫った湖のことなどすっかり失念して俺にツッコんだハルミは、その手を振りほどこうと腕を思い切り上に上げた。


 舵から手を離したのである。


 まったくのアホである。


 その結果、俺の腕を振り払うことには成功した。しかし、その次の瞬間、上げた手になにかが当たったのだ。


 それがなにかを確認することもなく、反射的にその手に力を入れて握ってしまった。それがやや太めの木の枝であったことが、次のコントを……悲劇を生んだ。


 どわわわわわわわぁぁぁぁぁぁん。


 これは、操縦士を失ったソリが、コケてすっ飛んで行った音である。


 そして俺たちはといえば。


 ハルミが握った枝を中心にぐるりぐるりんと回転した。さすがのハルミの握力も、俺をおっぱいにぶら下げたまま2回転半させたあと、限度に達した。これは、さすがである。


 2回転半。つまりは、ふたりとも進行方向とは逆に、ふっとんだのであった。


 湖はもう目の前であったため、前方にふっとんでいたら、ハルミはともかく俺の命はなかったところであろう。


 さらに幸いなことに、着地した場所は深い雪の中であった。雪がクッションとなり、俺は左足を骨折しただけで済んだ。


「だけで済んだ。じゃねぇよ!! 痛い痛い痛い。じわぁっと激痛が走る。どうしてくれるんだよ!」

「どうしてって言われても、私には回復呪文は使えないし、薬なんて持ってないし」


「そうか、じゃあ、俺はまたあまりの痛みのために気を失うことにする。あとは頼んだ。くてっ」


「お、おいおい! そんな簡単に気を失えるなんて、便利なやつだな。まあ、こちらもそのほうが助かるか。こいつをおんぶして運ぶのに、いちいち痛がられると面倒くさい」


 しかし、どっちに行けばいいのか、ハルミにも分からない。闇雲に歩いて人里に出る確率はとても低いだろう。

 しかし、じっといしているわけにも行かない(その場にとどまって助けを待つという忍耐力はハルミにはない)。


「よし! 闇雲に歩こう!」


 ……ハルミらしい決断である。雪の深さは膝くらいまでである。そんな中、ユウを背負ってハルミは歩き出した。


「あ、魔ユキネズミみっけ!! どどどどどど、えいやぁ!」


 とニホン刀で切りつけ、ちゃっかり経験値1を獲得するのであった。


 ユウを背負ったまま。


「ああっ、あんなところにシラユキもいるな。待てぇぇぇっ。えいっやぁぁ!!」


 と、走り回ってシラユキを退治して、経験値2を獲得するのであった。


 ユウを背負ったまま。


 余計に体力を消耗しているのである。第1話から登場しているこの女。この非常時にほんとにアホである。


「はぁはぁ。今日は10ポイントぐらいは稼いだな、はぁはぁ。さすがにちょっと疲れた。お腹も空いた。どこか休めるとこはないものか」


 しかし、見渡す限りの雪原。ときおり、雪ウサギが前を行き過ぎるぐらいである。こいつは魔物ではないので狩っても経験値は得られない。ハルミの獲物にはならないようだ。


 食料にはなるのだが。


「はぁはぁ。しまった。体力を使いすぎた。雪の中で歩くことがこんな疲弊するとは知らなかった。たいした重さもないユウが、重く感じてしまう」


 何度も言うけど、この女はアホである。


 都合の悪いときに悪いことは重なるもので、それまで快晴であった天候が崩れ始めた。

 はらはらと粉雪が舞い始めたのだ。それは次第に本降りとなり、それにつれて風も強くなった。強風は遠慮なくふたりの体温を奪って行く。そして視界も遮る。


「だめだ。どこか休める場所はないか」


 もうハルミの心の中はそれ一色である。動いているハルミはまだしも、足を骨折して気を失っているユウは、死亡率が50%あるといわれる低体温症になりかねない。


 そのことに気づいたハルミは、いまさらながらに焦るのである。しかし焦ったところで、なにもないところには、なにもないのである。厳しい現実があるだけである。


 ハルミは一計を案じた。


「おぉぉぉぉい。誰かいないかぁぁぁぁぁ!!」


 もう使えるものは声ぐらいであった。ダメ元で声を張り上げたのである。声量豊かなハルミの声は知らぬまに通りかかっていた谷にコダマした。


 しかし、答えるものは誰もいない。ハルミは歩き続けながら、また叫んだ。


「誰かいないかぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 それを何度繰り返したことであろう。しかし、強くなり始めた風の音がハルミの声さえも遮っていた。


「だめだ、これでは声も届かない。もう、どこでもいいから、岩陰にでも隠れてこの雪をやり過ごすそう。しかし、ユウは」


 身体を温められる場所がなければ、このまま凍死してしまいかねない。さらに骨折は敗血症を引き起こすことも多いのだ。ユウにとっては一刻を争う事態である。


 そのときになってハルミはようやく崖の下にある凹みを見つけた。


「あそこなら、とりあえず雪や風は防ぐことはできそうだ。この吹雪ではもう前も見えない。ひとまずあそこに避難しよう」


 少し遅すぎるぐらいの決断であったが、その崖の凹み部分にたどり着いた。


「これは、洞窟か?」


 凹みと思われたいた部分は、近づくと洞窟のようであった。中がどこまであるのかは分からないが、風を防ぐことができて好都合である。


 燃やすものがあれば、暖を取ることもできる。ハルミはユウをおぶったままその中に入っていった。


 ハルミの所属する治安維持課では、隊員に最低限のサバイバル技術を身につけさせる訓練をしている。初心者ながらハルミにはその知識があった。


 ユウを外からの光が届くぎりぎりの辺りに置いて、洞窟に吹き込んでいた枯れ葉をかき集める。そして小枝と小枝をこすり合わせて、その摩擦熱で火を起こした。


 冬の枯れ葉が多量に吹き込んでいたのは幸いであった。そして、ハルミの馬鹿力によって、火も簡単についた。そういうところはできる女である。


 ……ハルミの評価が七転八倒(違)である。


 パチパチと燃え始めたたき火の音で、ユウは目を覚ました。


「あ、あ、あ。ここは、痛いっ寒いっ痛寒っ超寒い!!」

「あ、ユウ。目が覚めたか。いま、お湯をやるからちょっと待ってくれ」


 ハルミは自前のサバイバルカップで雪を溶かし、ユウに与えた。


「ここは、洞窟なのか?」

「ああ、そうだ。雪が酷くなって来たのでここに避難した。私のせいですまなかった」


 かくして204話の冒頭に戻るのである。


「ああ、全くだ。このあんぽんたんめ!」

「す、すまない。私だってこんなことになるとは思ってなかったのだ」

「思っててやられてたまるか。しかし寒い寒い。それに足が冷たくて感覚が全然ない」


「火は起こしたから、洞窟か暖まるまでもう少し待て」

「確かに火は起きているようだが、燃やすものはそこにあるだけか?」


 ……。


 なんだそのバレてしまったか、って顔は。


「外は吹雪いていて、とても薪を探しに行けないのだ。この中にあった落ち葉と小枝だけが頼りだ」

「それも、ほとんどなくなっているようなのだが」


「すまん、どうしようもないんだ」

「よし、分かった。ないものは仕方ない。ハルミ」

「ん? なんだ?」


「裸になれ」

「え?」

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