第170話 ソロバンの珠
ソロバン普及連盟の創設だ、と意気込んでいたところへ、酔っ払ったユウコが帰ってきた。
「ひゅへほほほほ。ユウひゃんたたいまー。もうシジミ汁さいこー、ニホン最古の酒サイコー!! 貰ったお金、ありったけ飲んじゃったーあははは」
「スセリ、用意はいいか?」
「よろしくてよ」
「やれ」
「よいしょっと」
「ひゃひゃひ、へ? ひゃぁぁぁぁぁぁ??」
3分で上半身の縛りは完成した。タケのときと違ってずいぶん縄の量が多い。諸手上げ縛り? とかいう手を上げて頭の後ろから下に引っ張られるという羞恥のポーズである。
これはこれでなかなか良いものである。
「さて、下半身はどうしようかしら」
スセリさん、目がぎらついているのですが。
「あら、あなたもでしてよ?」
「いやぁ。俺も根が好きなものでえへへへ」
「ご同好の士ですのね。それなら、M字開脚などはどうでしょう?」
「いやぁぁぁ、そんなの恥ずかし過ぎるぅぅぅ」
「ああ、それは良いですな。ぜひそれで ご~ん 痛っっ」
「お主らはいい加減にせよ。ユウコは嫌がっておるではないか」
「いや、あれは、悦んでいる証拠 ご~ん 痛いん」
「だからいい加減にせいというに。話が進まないじゃろう」
「痛たたたたた。なんで俺ばっかり叩くんだよ!! 突っ込みにそんなぶっとい剣を使うな! あぁ痛かった、またこぶたんができたじゃないか」
「あの、私のほうがもっと痛いんですけどはぁはぁ」
「お前は酒飲んで遊んでいた罰だ。もうしばらくそうしいてろ」
「きゅぅぅぅ」
「魔王のマネをすんな!」
それから小1時間説教をした。
「ユウさん、これきついっす。もう、もういいでしょ」
「イズモ編はやたら縛られる描写が多いのが特徴だ。そういう編だと思え。読者も期待している」
「そういう編、じゃありませんよ! これじゃこの話、少年誌に載せられませんよ!」
「いや、そんなことないはありませんよ」
「え?」
「時代は変わっているのです、ユウコ殿」
「だれ? ねぇ。いま誰がしゃべったの? 誰のセリフ? 編集者とかいるの? それより私はこのままなの? あちこち縄が食い込んですごく気持ち良……痛いんですけど」
「いま、気持ち良いって言いかけなかった?」
「言ってません」
「言ったと思うのだが」
「言ってませんって。仕事を取ってきたのに、どうして縛られないといけないのよぉ」
なぬ? 遊んでいたんじゃないのか?
「どんな仕事だ?」
「えっと、シジミを売ってくれるって」
「ほほぉ。それは漁師さんがってことか?」
「うん、そう。そしたらご馳走になっちゃって、お酒もちょっぴりね」
それにしてえらく酔っていたようだったが。
「それで、どのくらいの量をいくらで売ると?」
「え?」
はい、あと1時間追加。
「ちょっと、待ってちょっと。もうそろそろ私、アッチの世界に行ってしまいそうなの。もう許してぇぇ」
「あっちってどっちだよ。反省したのか?」
「はい、しましたしました。それはもう、ものすごい勢いでしました」
「なにを反省した?」
「え? あ、それはもう。シジミがおいしかったです」
はい、あと2時間追加で。
「ぎゃぁぁぁぁぁ」
「もう、こんなアホは後回しにしよう。レンチョン、そのソロバンを作っているという工場に案内してくれないか。製造工程を見てみたい」
「はい、すでにアポは取ってあります。すぐに行きましょう」
仕事が早いな。こういうのが執事だよなぁ。それにひきかえ。
「あぁん、あと岩のりもご飯に乗せておいしくいただいてきましたぁぁぁぁ」
うちのはこれか。これだけはエースがうらやましい。
「岩のりもシジミも、たしかにここの名産ではあるのですが、それはもともとあるものです。つまり、既得権益者がいるわけです。そこに食い込むのは、一筋縄ではいかないですねぇ」
「無理して割り込んだとしても、利益率は低いと」
「はい、後発はそういうところで不利です」
「でもそうすると、ソロバンだって同じことが言えるのではないか?」
「そこはニーズというものがありまして」
「いまより、もっと需要があるということか」
「ええ、まだソロバンの優位性に気がついていない人が多いのです。そういうことを積極的に宣伝するということを、まだ誰もしてないようですね」
「たしかに、あれを使いなせるようになるまでは時間がかかるからな。シジミみたいに、見てすぐ買おうという商品ではない」
「そういう指導をする人もいませんし、販売ルートもほとんどないようです。それなら」
「俺たちに食い込む余地があると」
「はい、その通りです」
俺のいた世界では、ソロバンは廃れているといってもいいだろう。特にこれといった理由はないと思う。ソロバンがする計算力は、パソコンでは代用ができない。電卓よりもはるかに早いのにも関わらずである。
欠点としては、加減乗除しかできないというぐらいだ。その程度の理由でなぜか軽んじられているのが現状だ。
微分積分までできる電卓や、差の検定までできるパソコン(というか表計算ソフト)もすごいが、日常で使う計算など、ほとんどが加減乗除だけである。
加減乗除を電卓でするには、まず持ち歩かないといけない。そして電卓(スマホでもいいが)を取り出して起動し、数値を入力して間違えてやり直して(個人の感想です)、そして答えを見て、またしまう。その一連の動作をしないと答えが出ないのだ
暗算なら頭の中にあるのだから、手荷物にはならないし、答えなど一瞬で出せる。
買い物したときのお釣り計算、車の燃費計算、交通機関の運賃計算、決算書を見るときのPER(株価収益率)やPBR(株価純資産倍率)の計算、8個260円のリンゴを18個610円で売るスーパーのインチキを見破る計算(リアルに良くあることですよ?)、友達と飲みに行ったときの割り勘計算、などなど日常は計算のオンパレードである。
「私にはそういう難しいことは、良く分からないのでございますけれども?」
「すまなんだ。じゃ、視察に行こう」
「かしこまりました。それではまず、珠を作っているところに行きましょう」
「珠? ソロバンの珠のことか?」
「はい、そうです。どうかしましたか?」
思てんたんと違う。
「ソロバンって珠だけは別で作らないといけないのか?」
「いえ、それぞれ材質が違いますので、部品ごとに職人がいます。珠はカバノキ、枠は黒檀、珠を入れる部分には竹ひご。それぞれに専門の職人がいます。そして最終組み立ても専門職人がいます」
ソロバン製造って職人の塊か。部品点数は少ないのに、みんな職人がやってんのか。それじゃ安くならないよなぁ。あ?
「そういえば、ソロバンってのは通常1本いくらだ?」
「ソロバンは1挺と数えることが多いようです。ここでは800円ぐらいで売っていました。オワリで買ったら1,500円します」
「けっこうな差額だな。それだけでも儲かりそうだ」
「ええ、私もここでの売値を知ってびっくりしました。原価を考えれば、とてつもない利益率の商品になります」
「それで、目をつけたんだな。ユウコと違って目の付け所がシャープだな」
「お褒めいただきありがとうございます」
エースが重宝しているわけだ。それにひきかえ……いや、それは思うまい。
「着きました。ここが珠を作っている職人さんの家です」
「ここって、ごく普通のニホン家屋にしか見えないのだが」
「ええ、ここがこの地域では、珠生産の最大手です」
「うーむ。従業員はどのくらいいる?」
だいたい答えは分かっているけど、一応は聞いてみる。
「ふたりです」
「なんだってぇ!!?」
いかん、予想以上だった。最大手なのにたったふたりかよ。4、5人だろうとタカをくくった俺のタカを返せ。
「ご夫婦で経営してらっしゃいます」
「それ、ほとんど内職だろ?!」
「あ、さきほどはどうも。レクサスです」
「あ、どうも。ついさっき来たばかりなのにまた来たんですか。気が早いですね。それで、そちらの方は?」
「あ、ここここんにちわ。所ひょうのユウです」
いきなり初対面の挨拶とはハードルが高いぞ! どぎまぎどぎ。
「えっと? 坊やはソロバンを習いに来たのかな? それならこの裏に珠算塾が」
「ちげぇよ! ソロバンの珠を作っている現場を視察に来たんだ」
あ、一発突っ込み入れたら調子が戻った。
「視察って、え? まさか、レクサスさんがさっき言っていた所長ってのは?」
「はい、そうです。こちらがシキミ研究所・所長のユウさんです。さきほど見せていただいた工程ですが、もういちどじっくり見せていただけますか」
「え、ええ。それはかまいませんけど。こんな子供が所長??」
?の数の分だけ失礼だぞ、と言いたいとこだが、俺のオーラを感じ取れない人間にとっては、俺がただの12才の坊主にしか見えないのは仕方ない。我慢してやろう。
「オーラなんてどこも見えないノだ?」
「見てはならぬ、心で感じるのだ」
「それはなんてアニメのセリフなノだ?」
「オリジナルだよ! ほっとけ」
「これが原料のカバノキの角材です。固くて比較的重さがあるので、ソロバンの珠には適しています。これをまず、ノコギリで2cm角に切ります」
「ふむふむ」
「これをノミで丁寧に削ってゆきます」
「ふむふむ」
「次にキリで中央に穴を開けます」
「ふむふむ」
「次にムクノキの葉で磨いてワラで磨いて、最後は糠で照りを出して完成です」
「ふむふむ。なかなかに大変な作業ですこと」
「そのとき、ちゃんと中央に穴が開いたかどうかは、実際の竹ひごに入れて回して調べます」
「え? それを全数検査するか?」
「あ、いえ。それはその日の生産分の、最初50珠と最後の50珠ずつのみです。ただし出荷するときには、全体から抜き取りで100個検査します」
「それで規格から外れることは?」
「ベテラン作業者になれば、中央から外れることはまずありませんね」
「ベテランってふたりしかいないのでは?」
「ええ、いまはそうです」
「なるほど。それで抜き取り検査にしているということか。それでは人が増えたときには心配だな」
「でもこの商品の場合は、もうそんなに増える見込みは」
「とりあえず、いまの10倍くらいは作ろうと思ってるけど?」
はぁぁぁぁぁ??!!
「それにはちょっと工数がかかりすぎだなぁ」
「そりゃ、こんな小さなものをひとつひとつ作ってますからね」
「生産数は、日にどのくらいだ?」
「ふたりでだいたい2,000珠ですね。最大で3,000珠作ったことがあります」
「えーと。ソロバンはだいたい23列あるはずだから、17挺分ぐらいだな。すると月に500挺か」
「計算が速いですね。ソロバンやってますね。それもかなりの上級者と見た」
「まあね。それで、珠の売価はいくら?」
「1珠、50銭です」
なんか懐かしい単語が出てきた。もう銭の世界かよ。
「ということは月の売り上げは、約3万円か」
「だいだいそのくらいです」
「それを10倍にするとなると」
「そ、それは無理です。いまふたりでやっているので、あと18人も雇わないといけなくなります。ここにそんな人口ありません」
人口がないは言い過ぎだろうが、それでも雇うのが困難なのは分かる。
「よし、ふたりで日に2万個作れるようにしよう」
「はい?」
「俺がここの工程をカイゼンする。まかせておけ」
「はぁ?」
「なんか久しぶりにタイトルらしくなったノだ?」
「作者も気にしてたんだ、そっとしておいてやれ」
「ところでオウミ。ニホン最古の酒ってなんだ?
「ああ、スセリの父が、ヤマタノオロチを退治したときに使った酒ノことであろう。我も同じものをご相伴にあずかったことがあるノだ」
「ああ、伝説のあれか。うまかったか?」
「あれは、まあ、なんというか。ただのどぶろくなノだ。いまの酒に慣れるとちょっとノだ」
「なるほどね」
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