第114話 千枚漬けと言われると
そして次の日になって、俺はようやく気づいたのだ。もし、俺の時間統制魔法が1年しか持たないのだとしたら、大変なことになるということに。
この1年間に治療した全員のケガが、次々と復活してしまうではないか。
「そりゃ、なるわな」
1年分だぞ? 少なくとも計500人はいる。その人たちがすべてあのキュウリの浅漬けの夫と同じことになったら、どうすればいいのだ?
「いつの間にかキュウリの浅漬けが名前になっているのだヨ」
「1年で500人は多過ぎないか?」
多いのには理由があるが、それはあとで話す。
もし、そいつらが次々に死んだら、俺の名声はどうなる?
「いや、心配するとこはそこじゃないから」
あの、1行おきにツッコみ入れるのは止めてくれないか。話が進まんではないか。
「じゃあ、いちいちボケをはさまんでくれよ!」
そのことに気づいて俺は考えた。幸いカルテはきちんと書いていたから、時間統制魔法を施した日も、患者の住所氏名も分かっている。それを確認して1年になる前にもう一度魔法をかければいい。そう思ったのだ
それで治療後のアフターフォローという名目で患者のところを尋ねたのだが、それが困難の始まりだった。住所が間違っていたり、そもそも存在しない住所だったり、ひどいのになると名前さえデタラメだった。文盲率の高いこの世界で、カルテなんてあまり意味をなさないのだ。
「そういえば、ここって文章で記録するという文明がほとんど発達していないよな。貴族レベルはともかく、治療費をジャガイモで支払うような庶民には、自分の住んでいる場所に住所があるなんてことさえ分かっていないのだろう」
その通りだった。住所を聞かれても知らないことだったために、適当なことを言ったのだろうな。知らないとは言いにくかったのであろう。我の顔が怖いからほっとけや。
「文字が書けるなんて、クラークはたいしたもんだヨ」
「ミノウはもう少し読み書きできるようになれよ」
「無理なのだヨ!」
「なんでだよ!」
「時代が進むと勝手に文字が増えたり減ったりしているではないか。しかも、読みは変わる、形も変わる、種類は増える。ほんの100年ほどうっかりしているだけで、まるで別物になっているのだ。そんなもんやってられるかヨ」
100年? いまから100年前……。ああ、あのミミズの這いずった時代の文字か。
「ああ、それは確かに無理だ」
「俺は医者だったから最初から文字には馴染んでいた。少しずつ変化する分にはついて行けたな。確かにいきなり変わっては難しかろう」
「分かれば良いのだヨ」
帰ったらいまの時代の文字を教え込んでやろう。クラークがついて行けたのは文字の基礎があったからだ。ミノウやオウミだけじゃなく、タケウチの連中にはそれがない。モナカが先生をやってくれないかな?
「それで、見つからなかった連中はどうなったんだ?」
それから、街で奇病が流行するようになった。ある日突然、腕がちぎれて大出血したり、指が消えてなくなったり。爪が2枚になったりな。
「爪が2枚に?」
ああ、それは深爪を直してやったやつだな。ちゃんとした爪が生えているところに、半分ほど切れた爪が復活したのだろう。
「そんな程度のものに、貴重な魔法を使うなよ!」
「やがてそういう奇病が、かつて俺が治療した人々だけに発生しているということが分かったのだ」
「まあ、そりゃいつかは気づくだろう。イガなんてちっちゃな街だからヨ」
やつらは、最初はおっかなびっくりでやってきた。コワゴワこういう現象が出てますけどオロオロ、心当たりはありませんかねビクビク。とな。
「どんだけ恐がられてんだよ」
それで俺は説明した。あの魔法は1年しか持たないことを。
それからだった。俺は新規に来る患者ともども、魔法をかけてから1年経つ直前の患者にも魔法をかけまくることになったのは。
「それもあかんやつ」
「我にでも破綻が見えてるのだヨ。どうして気づかんのだ」
気づいたとして、いったいなにができるというのだ?
「新規の人にしたように、ちゃんと説明すればいいじゃないか」
その新規にしてもだ。いざ、1年という期限が近づくとまたやってきて、あと1回だけお願いします、と言うのだよ。
「ああ、そうか。なるほどな」
いろいろな理由を並び立ておったぞ。いまは大事なときなので。これから戦場に行かないといけないから。明日受験なんです。もうじき子供が生まれるのです。明日彼女の誕生日で。これから漬物を作らないといけないので。
「待てコラ。漬物ぐらいはいいだろ!」
「キュウリならかまわんが、千枚漬けと言われるとちょっとな」
「漬物にランクを付けるなよ」
「大根のぬか漬けが一番だと思うのだヨ」
なにをいう。千枚漬けの酸味と甘みのバランス、そして薄く切ったからこそ生まれる 痛っ。
「だれが漬物話で盛り上がれと」
痛たたた。冷静な口調で膝にチョップをするな。乱暴ものめ!
「さっき人を滅ぼす、とか言っていたのはだれだヨ」
「背が高くてそこにしか手が届かなかったんだよ! お前はそれにいちいち答えていたのか」
泣きつかれると俺は弱くてな。仕方なくもう一度だけだぞ! と脅して時間統制魔法をかけてやった。
そんなことがいつまでも続くはずはないと分かっていたが、次々に患者がやってくるものだから、考える暇もなかったのだ。忙しさは倍になり3倍になり4倍になった。
そして、あの日。百姓一気が起こったのだ。
「待て待て。それは字が違う。一揆、だろ」
いや、違ってはいない。こんなに平和を愛する(ビビりな)作者がそんな危険な物語を書くはずがなかろう。
「いや、作者とかどうでもいいが。じゃあ、なんだよ、一気って」
百姓たちによる、酒の一気飲み大会だよ。
「紛らわしい名前を付けるな!!」
「あ、それ。我も参加したいのだヨ!! 参加資格はいるのか、今度いつそれやるのだきゅうぅぅ」
「お前はひっこんでろ」
その一気大会で、続々と倒れるものが出たのだ。酒の飲み過ぎには注意しましょう。
「安っぽい標語みたいなのはいらないから。それは急性アルコール中毒ってやつだな」
その大会では、地元産のどぶろくが振る舞われるのが通常だ。だがそこに、梅酒を蒸留したものを持ち込んだ阿呆がいたのだ。
「うううぅぅ梅酒なら我も大好物なのだヨヨヨ。それで今度はいつやるのだ? 我も参加させるのだ。なんならオウミも誘うのだ。それにきゅうぅぅぅ」
「黙ってろっての!」
ユウなら知っていると思うが、蒸留酒ってのはアルコール度が高いのだ。
「ああ、俺のいた世界では常識だな。アルコール度は、ビールなら5%だがそれを蒸留したウイスキーは40%にもなる。ワインは12%ぐらいだがそれを蒸留してブランデーになると50%だ(俺が飲んで倒れたVSOPもこれである。げげっ)。梅酒はもともと20%ぐらいが普通のはずだ。それをわざわざ蒸留したのか」
それを会場に持ち込んだ阿呆が、オウミだよ。
「あらあら。オウミ、やっちまいましたな」
それで俺の元に大挙として酔っ払いが押し寄せた。運んだやつも酔っ払いで、患者も酔っ払いだ。
どいつもこいつも、意識があるんだかないんだか分からん。面倒なんで一気に全員に時間統制魔法をかけてやった。
「そんな無茶なことを」
それで500人にもなったんだよ。
「あー、なるほどね」
時間統制魔法は範囲魔法だ。だから集めれば一度に全員に施すことができる。
「ああ、そういえばオウミもそう言っていた。おかげで助かっているよ」
助かっている? まさか?! あの魔法を使っているのか?! それは止めたほうが良いぞ。
「大丈夫だ、人にではないから。それより続きを話してくれ」
結局1行おきになってしまうのだな。まあいい。そのときは数は多くても1回分だから大丈夫だと思ったのだが、そんなに多くのカルテまでは作っていられない。だから俺は皆にこう宣言した。
ここにいる人は、来年にはまたここに必ず集まるように」とな。それで大丈夫だと思っていたのだが。
「来なかったのか?」
来たよ。全員が酔い潰れてな。
「だぁぁぁ。それは一気イベントの一環にされたんじゃねぇか。そこでぐでぐでに酔っても飲み過ぎて死んでも、魔法でなかったことにしてもらえると。そういう便利アイテムにされたんだな」
「聞き覚えのある単語が出てたのだヨ?」
それだけならまだましだった。俺もそのとき初めて知ったのだが、あの魔法は病気の場合は行為と結果が1:1になってしまうのだ。つまり、かけた魔法が戻るまでが1セットなのだ。
「えっと。1セットってことは、あれか。前回かけた魔法が解ける前にもう一度かけても、それは上書きされずに別ってことか?」
「お前は賢いな。その通りだ。最初に魔法をかけてから1年後の一気大会で、また中毒になって死にかけている人がいたとする。その人に時間統制魔法をかけて元に戻しても、前回かけた魔法が解けるとアルコール中毒は復活してしまうということだ」
「でもそれなら、魔法が解けてから一気をやる……できるわけないか。じゃあ、患者に最初にかけた魔法が解けるまで待ってから魔法をかけ直す……その前に死んじゃうか? 魔法をかけておいて、中毒が発症したらまたかける……うむ、それはダメだ。無間地獄だ。無理ゲーだ。一気で蒸留酒を飲む以上は、その人たちのほとんどは死ぬしかない」
俺はそのことに気づかなかった。ケガのときは上書きで1年有効だったのだから、アルコール中毒だって同じだと思っていた。いま魔法をかけておけば、あと1年は大丈夫だろうと思っていたのだ。
ところが一旦正気に戻った人々に、お礼を言われたり謝礼をもらったりしているうちに、次々とアルコール中毒で倒れる人がでてきたのだ。
理由も分からないまま、焦った俺はもう一度魔法をかけた。しかし、今度はなんの変化も見られなかった。
「それはダメなのだ。あれは一定の時間をおかないといけないのだ。続けてかけてはいけないのだヨ」
あのときの俺はそれも知らなかったのだ。もうわけが分からなくなって、俺は時間統制魔法を連発した。
どうしてこんなにことになるのだ。足りないのか、なにかが足りないのか。足りないなら何度でもかけてやる。体力を削ってでも。
そして気を失った。目を覚ましたときには、俺は殺人罪で投獄されていた。
「そいうことか。それはそれは……ツッコむネタがない」
そんなこと考えてないで同情でもしやがれ!! そのとき、判決を下したのがオウミだ。
元はと言えばお前が持ち込んだ酒のせいだろうが!! と思ったが、どちらにしてもあの魔法は無理があるということは分かっていた。俺は無実ではない。俺は死罪を覚悟した、いや、むしろ望んだのだ。
だが、オウミはなにを考えたのか、自分の眷属になるなら罪を許すと言ったのだ。
「オウミ、いいやつじゃないか」
俺は断った
「なんでだよ!」
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