第10話 データ解析の解説をする俺

 データが出るまでの間、俺はこの工房の来客用の部屋に寝泊まりすることになった。ハルミとミヨシが交代で面倒を見てくれた。着るものはほぼ作務衣だ。なんだろ、この水曜どうでしょう感。軽くて涼しいから文句はないけど。


 双子姉妹は同じ顔だが、態度がつっけんどんなのがハルミで、やたら馴れ馴れしいのがミヨシである。おかげでふたりの区別はわりと簡単だ。だが俺は、違う理由でどちらの尻も乳も触っていない。それはここで断言しておこう。


 だって、怖いもん。すぐに怖いハルミ、後から怖いミヨシ。なんだかお預けを食った犬のよう。わんわんわん。


 最初に、じじいがそれを読んでめっき工程を立ち上げたという本(というよりほとんど小冊子だ)を読んだ。

 めっきとは、電極に電気を流すことで液中の金属イオンが析出する現象のことである……そして簡単な図が書いてある。

 これだけである。


 ……ほんとにこれだけか? これだけでめっき事業を始める気になったのか、あのじじいは。

 殺気だけで相手の位置が分かる座頭市か何かか。しかも外しまくりじゃねぇか。何もない空気を切ってから相手が違うところにいた、ってぐらいのなんちゃって座頭市じゃねぇかよ。


 アチラが意味もなく洗浄水に回復魔法をかけるわけだ。なんでもやれば良いってわけじゃないだろ。そんなでたらめが当たる確率で、宝くじ1等を100回当てられるぞ。


 それから魔法についても調べたが、魔法について書かれた本はないということだった。魔法はすべて師匠から弟子だけに伝えられる口伝であるらしい。

 お金持ちなら持っている可能性はあるようだが、それを庶民が見ることはほぼないそうだ。


 ただし、ごく初歩の魔法だけは教える学校があるという。アチラはそこの生徒だった。しかし、そこで教わるのは「覚醒魔法」の一部、「単純回復魔法」、「初級召喚魔法」だけだそうだ。


 召喚魔法があるだと? 今度見せてもらおうと興味津々な俺である。手のひらサイズのエロねーちゃんとか出せないものか。


 そんなわけで情報収集に注力しているうちに、この街のことがだんだん分かってきた。


 この街はハザマという。山と山との狭間になることから付いた名前だそうだ。魔物が攻めてくることはないらしく、堀も壁もない平和な街だ。そこには300世帯ほどの住居があり、人口は1,800人ぐらいだろうとのこと。


 世帯の割に人口がやけに多いと感じるのは、俺の世界が核家族化していたからだろうか。こちらではやたら孤児が多いのもその理由のひとつかもしれない。


 その人口密度の高さが、この工房を成り立たせている。職人が作る一点ものではなく、安価な量産品を多量に作るには、人口集約型の現場が必要だからである。


 タケウチ工房の立地は標高300mぐらいの山の中腹にある台地だ。その森を切り開いて建てたのがこの工房だ。2階の屋上からは海が見渡せるという。そこは湾となっていて、天気が良い日には湾を囲む半島が両方とも見えるそうだ。新鮮な魚がふんだんに手に入るわけである。


 そんなこんなで2日後の朝。


 めっきに関してはたいした情報を得られないままアイデアも出ないまま、アチラとコウセイさんによりデータが揃ったと連絡があった。


 では、さっそく解析をして皆に報告を……と思ってよくよく考えてみたら、ここにはデータ解析ソフトなど存在はしないのであった。パソコンはもちろんインターネットなんてものもない。


 ……


 ということはだ。


 げっ。げげげげげっ。あ、あ、あれを手計算でやるのか!?


 すっかり失念していた。あの面倒くさい分散分析を手計算だと!? どうすんだっけ、平方和を出して平均平方で分散比を求めて、p値を求めるんだっけ。どわぁぁぁぉわおわおわお、考えただけでもくっそ面倒くせぇぇぇぇぇぇぇ。


 せめて計算機はないかと聞いてみたら、そろばんならあるぞと言われた。


 ……絶対、ここ、日本だよな? 日本語が通じて日本の文化で彩られている異世界日本だよな? 文明は何十年か遅れているようだが文化はほとんどそのままだ。


 俺がいた日本の、平行世界(パラレルワールド)ならぬ、斜め上世界(ダイアゴナルワールド)というのが近い気がする。なんかうまいこと言ったな俺。


 しかし、そろばんがあってもあまり意味がない。俺は7桁の計算が暗算でできるのだから。そろばんの珠をはじくよりよほど早いし正確だ。


 ユウってやつは、そろばんの達人だったようだ。なぜかその能力を俺は引き継いでいる。ユウの持っていた能力に、俺の知識が足されている感じだ。


 それにしたって、相手は分散分析だぞ。ごわぁぁぁぁぁぁぁ。


 と叫んだみたところで、やれるのは俺しかないのである。試験をやらせてしまった以上、計算できませんでしたてへ、なんてわけにはいくまい。


 あれだけ格好つけておいて、それはいくら何でもみっともない。やるしかないのだ。


 やるしかないのかあぁぁぁぁ。


 ということで、まる1日かけて、ひーひー言いながらひたすら計算と検算に明け暮れたのであった。そして、ようやくその日の夕食である。


「おかわり!」

「そこから始めるのか!? 食べるシーンの描写はもういいだろ」

「なんか、この刺身がないと何もかもが始まらないような気がして」

「いいじゃないの、好きなだけ食べてね、たくさん食べる人、私好きよ」


 うんぐっが、ぐぐぐ。詰まった。ご飯が喉に詰まった。んががごご。


 どんどんどんと、詰まらせるようなことを言ったミヨシが俺の背中を叩く。ゆっくり食べなさいってば、はい、お茶。あ、ども。ぐびぐびぐび。はぁ、一息ついた。ご馳走さま。


「じゃあ、報告を聞こうか。あれだけ手間をかけさせたんだ、めっきができる条件は見つかったんだろうな」


 と、じじいが偉そうに言ったので、自分では何もできなかったくせに黙って聞いてろ、という顔をしてやった。ぐぬぬぬという顔をした。恒例となった予定調和である。


 テーブルの食器を片付けて、そこに俺は1日がかりで計算した紙を置いて皆に見せる。


「これが結果だ」


 し~ん。


 そりゃそうですよね? どれから説明しようかなと、思っていたら空気の読めないハルミがボソっとつぶやいた。


「なんて、下手くそな字」


 やかましわ。そっちを気にすんな、内容を気にしろよ、内容を!!


「そ、その内容が分からんのだよ、説明してくれ、ユウ」


 ほいほい。


「まず、右側にはコウセイさんが取ってくれたデータというか点数が書いてある。数字は間違いないな?」


 #下の添付画像を参照してね


「ああ、大丈夫だ。分からないのは、この表がなんでいきなり、この下のなんだかんだになるのかってことだが」


「計算についてはおいといて、まずは項目ごとに結論を述べていこう。まず、めっき浴の温度だ」

「ああ、これは常温じゃダメだってやつだな」

「そう、常温がダメなのは確信していたから、50度と60度でやってもらった。結果、60度のほうが良いことが判明した」


「高いほうが良いのか。ダクトとやらの設備は早急に入れる必要があるな」

「試験では、やっている間だけ温度を上げておけばよかったから健康には影響しないだろう。だが、量産でこれをするとなると長時間になる。ダクトはぜひ導入してもらいたいな」

「もう詳細は聞いて発注はしてある。近々工事に来るだろう。そのときはユウ、立ち会ってくれ」


 了解した。じじい、こういうことは素早いな。


「それから一応言っておくけど(通じないとは思うけど)、めっき浴の温度60度は、有意水準10%で棄却域に落ちている、のだよ?」

「なななな、何が、どこに落ちたって?」


 やっぱり通じないよね?


「言い方を変えると、めっき浴は50度より60度のほうがめっき品質が良くなるといって間違える確率は10%以下である、ということだ」

「えぇい、うっとぉしい! もっと分かりやすく言え!」


 じじいが言った。そうくると思った。


「分かりやすく言うと、めっき浴温度は50度より60度のほうが良いよ?」

「そ、それなら良い。最初にそれを言っていたような気がするが」


 一応、統計処理にはそれなりの構文ってのがあってだな……。もういいや、それは忘れよう。


「じゃあ次。めっき浴の浸漬時間だが、これは20分より40分のほうが良いという結果だ」

「そりゃ、そうだろ。時間が長いほうが厚みがつくからな」


「そうでもない。厚すぎるとめっきの内部応力が高くなって剥がれの原因となる。ほどほどのところってのがあるんだよ」

「なるほど。40分はまだほどほど、というところか。50分だとどうなんだろうな?」


「そこまでは分からない。分かるのは、20分より40分のほうが良いということだけだ。ただし、これが分かると、20分以下は今後検討する必要はないということだ。それだけでも条件がぐっと絞れるだろ?」


「あぁ、そうか! いままで5分とか7分とかの試験も何度もやりましたが、もうそんな短い時間の試験は必要ないってことですね!」


「アチラの言う通り。これは有効な因子と水準を見つけるための試験であるから、この水準が最適とは限らない。だからこの先最適条件を見つけるために試験をする必要がある。しかしその場合でも、20分以下の試験はする必要がないということだ。数字から見て、40分に近いところに最適時間が存在していると考えて良いだろう」


 ほぉぉぉ、という感心の声があがった。こんなところで感心してもらっても困るんだが、気分は良い。では次だ。

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