5-22.泥沼の魚は清流に憧れる
他国から黒の死神と恐れられる男から届いた短い文章を読み終えると、魔女は手紙を細かく千切った。こういった文書を残して後で脅迫に使う愚か者がいるけれど、夜の闇で行われた秘密を昼の明るい日差しの前に晒す行為ほど無粋なものはない。
封蝋のために用意されている火種を移して、手紙はあっという間に灰になった。この時期は綺麗に片付けられる暖炉だが、先日来の手紙のやりとりで灰が溜まっている。棒でかき回して燃え残りがないか確かめると、ひとつ溜め息を吐いた。
「本当に人は愚かなこと」
魔女と忌み名を付けられた美女は、その豊かな金の髪をかき上げて椅子に腰掛ける。窓の外から風が薔薇の香りを運んできた。
争い続け、裏切りを繰り返し、最後には滅びていく。人と云う種族の愚かさを示すように、
清流の魚は淀んだ沼に棲めないと聞く。逆に一度でも淀んだ水の中でもがいた者は、澄んだ美しい水だけでは呼吸が出来ない。魔女も死神も同じだった。
庇護してくれる親や世間から見捨てられ、己の命すら奪われかけた。だからこそ、美しい光の中だけしか知らない存在に憧れ、護り、縋りつく。たまたま聖女であり、少年王という名と地位を持っていただけのこと。彼と彼女の傍らに
少年王に取り入って操る黒い執政、聖女を騙し穢す愚かな魔女――そう呼ばれても構わない。覚悟はできていた。
「リリーアリス様を護る間は、死神でも悪魔でも協力してさしあげてよ」
くすくす笑い、ドロシアは紙に指示を書きこんだ。それを運ばせると、今度は青い薔薇の文様が美しい紙を手に取る。
「たまには
辛辣な言葉と裏腹に、美しい便箋に文字をしたためる魔女の表情は柔らかい笑みを浮かべていた。
その発表は突如行われた。
――オズボーン国を裏切った国賊を捕獲せよ。
国王の名をもって掲示された罪状は、ある意味自業自得だった。不正に税を徴収して着服し、身勝手な理由で国王から権限を奪った軍が起こした戦争責任と、国王と国民を裏切った国賊としての罪。彼らが国王を押さえ込んで行った行為は、すべて罪として告発された。
逃げ帰る将軍達は、自国の領土を踏んだ途端に囲まれる。ぼろぼろの状態で逃げ帰った兵は、肉体も精神も戦える状態ではなかった。
「陛下のご命令です。従っていただきましょう」
待ち構えていた騎士の槍が向けられ、憤慨するより諦めが彼らを支配した。将軍に付き従った貴族もともに捕縛され、罪人として連行される。みすぼらしい幌もない馬車に乗せられ、国境から王城まで運ばれる彼らは、予想外の敵に遭遇していた。
いままで黙って従うだけだった国民だ。沿道の群集からは野次や石が飛んできた。石が当たるたびに悲鳴をあげる貴族、罵られる言葉の痛みに顔を顰める将軍は見せしめのため、拘束されたまま運ばれる。
その後ろを歩く兵は、徐々に数を減らしていった。落ちぶれた彼らに従っても報奨は得られない。ましてや国王に背いた罪を一緒に背負う気はなかった。彼らもこの国の民であり、貴族の命令に逆らえずに出兵しただけだ。
徐々に隊列を離れて街に散っていく兵を、騎士は咎めなかった。強制的に徴収された兵の罪を問わないと国王が明言しており、彼らが自発的に民の立場に戻るならば見逃せと命じられている。
「なぜ我らだけ…」
呟いた貴族の声に答える騎士は誰もいなかった。
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