5-6.聖女は薔薇を好み、魔女は棘を嫌う

「こまったこと」


 報告された書類を読み終えると、美しい指が蝋燭の火を紙に移した。一瞬で燃え上がる紙を、暖炉の中に放り込む。まだ火を入れる季節でないため、暖炉の中は薪すら用意されていなかった。


 燃えた紙を灰掻きで崩してから、紙を摘んだ美しい指を唇に押し当てる。綻んでしまう口元を戒めるような指は、やがて喉を滑って胸元のロザリオを握り締めた。


「私は馬鹿が嫌いなのにね」


 呟いただけだ。だが命令を受けたように、書類を届けた黒尽くめの男は一礼して去った。後姿が見えなくなった頃、彼女は部屋のカーテンを開く。蝋燭ひとつしかなく暗かった室内に、月光が差し込んだ。


「道化師が踊るのは本人の勝手だわ」


 それがピエロ自身の破滅に繋がっていても……判断して手を出すのは本人なのだ。責任転嫁するような言葉は、鈴を転がすような笑いと共に響いた。







 教会の奥庭は、新たな薔薇が花開こうとしていた。四季咲き、いつでも気温にあわせて気まぐれに花を咲かせる薔薇が、白い蕾を緩めていた。蕾の上部だけ紅色を滲ませており、開けば花びらの縁が赤く染まっているだろう。


「美しく咲きそうですわね、リリーアリス様」


 かつて魔女と呼ばれたすみれ色の瞳を微笑みに細めた美女が歩み寄る。薔薇の棘を器用に避けて、優雅な仕草でドレスの裾をさばく彼女の仕草は、王侯貴族のようだった。


「これはエリヤから頂いた私の名を持つ薔薇ですもの」


 淡い金髪を持つドロシアが近づいた先で、聖女であるリリーアリスは薔薇の蕾に手を添えていた。その手に小さな切り傷があることに気付き、ドロシアは眉を顰める。


「リリーアリス様、お怪我をなさっているわ」


「さっき棘に触れてしまったから」


 苦笑いした栗毛の美女の手を掬いあげ、傷をよく確認した。確かに棘に寄るひっかき傷であり、中に棘が残っている様子は無い。その事実にほっとしたドロシアは、傷の血に唇を寄せた。


 外の血を舐めてから唇をすぼめて血を吸い出す。わずかに苦い味の血を外に吐き捨てた。


「薔薇の棘は毒がありますのよ、リリーアリス様。もう少し御身を大切になさって下さいませ」


「ありがとう」


 頬を染めながら応じた姫は、エリヤの姉であり唯一の肉親だった。両親と上の姉を奪われた少年王の弱点であると同時に、この国の宗教上の聖女として崇められる存在なのだ。


 代わりがいないという意味では、エリヤと変わらない。美しい薄紫の瞳が瞬き、ドロシアへ微笑んだ。強い風が吹いて、ドロシアの長いストレートの髪を乱す。編みこんでいるリリーアリスも、軽く己の髪を押さえた。


 強い風はどこか生ぬるく、不吉な感じがした。


「……始まるのですか?」


「ええ、戦ですわ」


 政治と切り離された聖域の奥庭で、美女2人は誰よりも政治に近い言葉をかわす。乱れた髪をそのままに、ドロシアは胸元のロザリオを握り締めた。

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