3-9.最後までステップを踏むなら
騒がしい叱責と足音が聞こえた直後、ドアは無遠慮にノックもなく開かれた。
書類にサインを終えたウィリアムが顔を上げると、息を切らして飛び込んだ男が苛立ちも顕に歩み寄る。
慌てて駆け寄る護衛の兵に首を横に振り、下がるように手で指示した。少し迷ったが、命令に逆らえないのが軍人だ。一礼して室外に出ると、音もなくドアを閉めた。
「スタンリー伯爵、顔色が優れないようですが……」
理由を分かっているから、尋ねる声に白々しさが滲む。
普段はきっちり着こなす礼服を乱したまま、伯爵の地位に就く男は荒々しく近付いた。王宮に顔を出す手前、礼服を着込んだものの……余程慌てていたと見える。襟が片方倒れていた。
「どういうことですかな?」
「何を問われているのか、私には見当もつきません」
震える男の腕が振り翳されたが、パシッと軽い音でウィリアムが払った。椅子から立ち上がり、青紫の瞳で睨みつける。その眼差しの鋭さに思わず後退った男へ、嘲笑を浮べて机を回り込んだ。
「さすがに『これ以上』傷つけられる趣味はないので……」
その拳は遠慮しますよ。
丁寧な言い回しの中に、僅かに真実を潜ませた。思わせぶりに腹部の傷へ指を這わせ、口角を持ち上げて笑う様は、楽しくて堪らないと言外に匂わせている。
「……これ以上?」
眉を寄せた男は、心当たりに肩を揺らした。
襲撃させたことを気づかれている。その腹部を刺し貫いた刺客が、自分の雇った傭兵崩れだと知られてしまったのだ。それで、ようやく仕打ちの意味に思い至った。
「まさか……それで?」
「ああ、今思い出しました。先ほどのご質問ですが、返答はこうなります。『国家反逆罪と領地没収、どちらを選ばれますか?』と――」
思わせぶりに言葉を切り、微熱に乾きがちな唇を湿らせる。
「陛下は極刑をお望みだったのですが、さすがに私は気が咎めましてね」
オズボーンの使者が国王エリヤへ謁見を求めたのは、スタンリー伯爵の手回しによるものだ。その上で殺害を計画し、差し向けた刺客が執政にケガを負わせた。
領地没収程度の沙汰で済む筈がない。法に照らし慣習に従うなら、極刑を求めたエリヤが正しい。それを覆したのがウィリアムだった。
利用して捨てることに罪悪感はない。それはエリヤに説明した行動からも窺えた。ただ、すべて手回ししたのが自分自身だとは言わなかったけれど……。
大まかに事件の説明を受けたからこそ、エリヤもウィリアムの意見に渋々だが同意した。
まだ殺すのは早い、最後の使い道が残っている……。
物騒に眇めた青紫の瞳を見つめ返す男が、ぎこちなく視線を逸らす。その様を冷めた眼差しで確認したウィリアムの手は、無造作にベルトからナイフを取り出した。
騎士の礼装ならば剣を下げているが、普段は執政として国王の隣に立つが故に護身用ナイフ程度の武器しか持たない。それでも敵を排除するに十分すぎる腕前の持ち主だが、周囲はそう判断しない者が多かった。そして、彼らのその認識がウィリアムの凶行を手助けする。
ナイフを左手に持ち替え、うっそり笑みを深めた。俯いて身の処し方や言い訳を考えている男は気づかない。
肌に馴染む使い込んだナイフを一度放り投げ、落ちてきた刃を掴んで左手を一閃させた。指を傷つけることなく離れたナイフが、伯爵の胸元に刺さる。
「うぐっ……」
抜こうとする男が崩れ落ち、仰向けに倒れ込んだ姿を見下ろす。
歩み寄ったウィリアムの足が、ナイフの柄を踏んだことで深々と肉を貫いた。溢れだす血が、毛足の長い絨毯を染め替える。
「バカだな、オレを狙うだけなら見逃してやったのに……。計画が順調すぎておかしいと思わないところが、おまえの限界さ。あんなに手助けしてやっただろ?」
くつくつと喉の奥を震わせて笑う。
返り血を浴びることなく、ひどく楽しそうに……。
すっと踵を返したウィリアムの背で三つ編みが揺れる。水色のリボンが飾られた髪の穂先を指で弄り、溜め息をついて表情を引き締めた。
自らのシャツを破いて乱し、髪を指先で崩し、死体から拝借した血を服に散らす。わざわざ汚した姿を姿見で確認してから、立派な執務机の上から文鎮やペン、書類を落した。
ゴトン、カシャーン!
どうやら文鎮にインク瓶が当たって割れたらしい。派手にインクをぶちまけながら砕けたガラスの破片が絨毯に突き刺さった。
「どうされました?!」
「失礼します!!」
さすがに緊急事態だと判断したのか。護衛兵が飛び込んでくる。彼らの目に映ったのは、ウィリアムが作り上げた虚構の演出だった。
乱れた服と髪、血に濡れた執政が机に力なく寄りかかっている。その目前でナイフを胸に受けて絶命した伯爵、散らばった大量の書類と文具。さきほど部屋に駆け込んだ伯爵の剣幕を思い出せば、加害者と被害者は明らか――と思われた。
「……彼は…?」
まるで伯爵が生きていることを望むようなウィリアムの呟きに、慌てて兵が脈を取る。残りの兵に助けられて、応接用のソファに座りながら、ウィリアムは笑い出しそうになる自分を抑えるのに必死だった。
肩が震えるのを、痛みに呻いているのだと勘違いした兵が医者を手配する。
「死んでいます」
報告を、さもがっかりした様子で受け止めたウィリアムの憔悴した様子に、その場の誰もが騙されていた。自分を襲った暴漢すら気遣う人なのだと……その大いなる誤解は、今後の展開で役に立つだろう。
「失礼します。ああ、またケガをしたんですか」
丁寧な口調ながら、ひどく厭味を交えた声が響く。振り返った先で、金髪の青年が苦笑している。
エイデン・アレキシス。
侯爵家の嫡男ながら、まだ父親が元気なのを逆手に取り、趣味で取得した資格を生かした医者になった変わり者だ。すっかり王宮に馴染んでしまった友人へ、執政は意味ありげな視線を送った。
「エイデン……」
「診察をします。別の部屋へ移動しましょう、さすがにここでは……」
荒れた室内を見回し、さっさとウィリアムの腕を支えて隣室へ逃げてしまう。ぐったり身を任せていたくせに、ドアを閉めて密室になった途端、ウィリアムは自ら歩いて椅子に腰掛けた。
やっぱり……。
「新たなケガは?」
「見れば分かるだろ」
水色の瞳を細めて睨みつけるエイデンへ、ウィリアムは肩を竦めてみせた。新たなケガをしていないと知り、ほっとした反面苛立ちも募る。呼び出された時は、さすがにこれ以上のケガは危険だと肝を冷やしたというのに。
「でも包帯くらいは必要でしょう」
演技の小道具として――。
「頼むわ。その前に着替えてくる」
ひらひら手を振ってシャワーを浴びに行く友人を見送り、エイデンは呆れたと溜め息を吐いた。
国王エリヤが玉座に腰掛けるのを待って、ワルツが流れ始める。恒例の舞踏会最初の曲に、パートナーをエスコートして踊り始める紳士淑女を見やり、物憂げな眼差しを軽く伏せた。
「あれから、もう一ヶ月か」
襲撃事件、オズボーンとの緊迫した関係、ミシャ侯爵とスタンリー伯爵の死。様々な事件が脳裏を過ぎり、忙しかった時間を追いやるように首を横に振った。
「ウィリアム」
「はい、陛下」
すぐ脇に控えるウィリアムは、騎士として礼装している。相変わらずの黒衣は艶やかな絹糸で刺繍が施され、見た目のシンプルさと裏腹に正装として相応しい格を感じさせた。
一方、真っ白な光沢ある生地に金糸の縁と刺繍、飾りに鮮やかな宝石を縫いとめたエリヤの衣装は、まったく対を成す色使いで華やかだ。
王冠を頭上に頂き、さすがに重いのか。憂鬱そうに時折右手で位置を直している。足元へ蹲るマントは、斑の毛皮が飾られて豪奢だった。
軽く目を伏せたまま、エリヤは静かな声で命じる。
「ここにいろ」
「はい」
「その身を傷つけることも許さん」
「はい」
「あと……」
言い淀む幼い主が手招きする。素直に身を屈めて近付けば、ウィリアムの首に手を回して引き寄せたエリヤが耳元に囁いた。
「お前は俺の物だ。だから、俺をくれてやる」
少し迷いを残して耳を擽った誘いに、驚いたウィリアムが目を瞠る。しかし覗いた蒼い瞳に嘘はなく、すぐに微笑んでさりげなく頬に唇を掠めた。
「はい、ありがとうございます」
人目がある場所でなければ、すぐにでも抱き寄せてしまいそうな衝動を押し殺す。ウィリアムの嬉しそうな顔に、エリヤも頬を綻ばせた。
ワルツが終わり、次の円舞が始まる。響いてくる音楽をよそに、2人は互いを見つめたまま動かなかった。
「あと何曲だ?」
舞踏会が恒例である為、大抵10曲ほど過ぎたあたりでエリヤは退席することが多い。残り時間を尋ねる主の吐息が持つ熱を、自らの肌で感じながら甘い誘惑に拳を握った。
「5曲は我慢してください」
「……わかった」
拗ねたような主の返答に微笑を向け、ウィリアムは屈めていた身を起こした。
視線を廻らせた先で、ショーンが意味ありげにグラスを掲げて見せる。乾杯に似た仕草は、様々な意味を含んでいた。
「オズボーンを焚き付けて動かすには、獲物が小さすぎたか。だが……否、いい」
物騒な呟きを自ら打ち消すショーンの斜め後ろに控えるラユダが、何かを囁く。口元を歪めて笑み、鮮やかなチャイナ服を翻したショーンがホールに背を向けた。
策略、謀略は王宮の華――いつの世も……主役を変えながら回り続けるステージで、最後まで踊っていられるのは、誰?
……Next or ?
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