第31話 グランドフィナーレに拍手喝采を
「なんでよ~。映画のことならハヤトくんが詳しいよね?」
「い、いや、それは……弥生さんにも話を伺いたくて。お願いします」
精神病院の中庭で、僕と葉月は鳴沢弥生さんに話を聞こうとしていた。
――10年前の呪いの映画、製作した映画同好会の唯一の生き証人。
だけど、彼女は風間隼人に、幻死病にも囚われたままで。
どうすれば良いのか、僕たちに何ができるのか、わからない状態だった。
「ハヤトくんがそう言うんだったら、仕方ないなぁ」
「……はい。お願いします」
唯一の救いは、僕を風間隼人と勘違いしていること。
彼女は僕に従ってくれるし、話をしてくれるようだ。良心は痛むけどさ。
「夏休みの初めにハヤトくんが言い出したんだ。“呪いの映画”を作るって」
「なるほど。映画の企画は、やはり彼の仕業だったと」
「ハヤトくんはスゴい、スゴいよ、スゴいよね!? 見た人を呪う映画だなんて!! 前代未聞、まさに天才がなせる業だよ!!!」
いや、そりゃ前代未聞だけど。いくらなんでも。
本当にこんなアイデアを彼が考え出したのか、不思議に思うくらいだ。
話を聞いている限り、考える可能性は否定できない人格みたいだけど。どうも異様に感じて仕方がない。確かめるためにも弥生さんに話を聞こう。
「こうして私たちは撮影を始めたんだ~。もちろん満場一致、」
「そ、そうなんですかそれで、あの廃村に向かったんですか?」
「ハヤトくんの提案なんだー。良いところだよね、すごいよハヤトくん!」
「そして、あなたはその村で……」
「うん、みんな死んじゃったけど。私がどうかしたわけじゃ、ないけど」
と、ここまでは葉月が話した内容に付け加えた程度と思いきや。
だけど、あれ。彼女が他の人を殺したんじゃないのか?
記憶を失ったのかと一度は考えたけど――それなら葉月が知らないはず。
葉月の話で出た通り、彼女は確かに弥生さんから“事実”を聞き出した。
と、なると弥生さんの記憶が曖昧になったか、嘘をついてるかだけど……。
「ほ、本当にそうなんですか」
「ご、ごめんね! ハヤトくん!」
「そ、それは良いですから!! とりあえず次の話をさせて!!」
この反応を見る限り、僕、風間隼人に嘘をつくことはなさそうだ。
やはり彼女の記憶が塞がれている。意図的か、そうでないかは不明だけど。
そして、どうやら今の彼女から聞き出せる情報はここまでみたいだ。
ここで話を切り上げて、今まで不十分だった他の話を切り出すとしよう。
「それでは、七星顯宗。この名前に聞き覚えはありませんか?」
――他の切り口。それは彼のことだ。
他の怪異の対処と七星さんの配慮で話題に出さなかったけど、今は違う。
葉月の話からも出なかった名前。当事者の弥生さんなら知っているはずだ。
「ああ……ななほし……ななほし……それは、アイツは」
だけど、僕が名前を告げた途端に弥生さんの眼の色が変わった。
今までは子どもみたいに甘えた、とろんとした表情なのに……もう一度何かに怯えて、恐怖しているかのように顔の筋肉が強張り、変化した。
「そうだ、そうだった、向かう前日にハヤトくんが、ハヤトくんがハヤトくんが、アイツを、訳の分からないアイツを、みんな止めたのに、アイツが、アイツが」
「ちょ、ちょっと、弥生さん!!?」
「なんでアイツが、ハヤトくんを、操って、呪って、誑かして、そうだ、アイツが、イヤだ、従うしか、逃れられない、イヤだ、怖い、怖い!!」
「お、落ち着いてよ、お姉ちゃん!!? ほら、これ飲んで!!!」
葉月が水を飲ませて、なんとか落ち着かせることができた、けど。
弥生さんは……何かに対する怯えと恐怖とで、憔悴しきった顔をしている。
名前を聞いただけでこの反応とは。やはり彼は何かしら関係しているのか?
「落ち着いて……ゆっくりで構いません。話したくないならそれで」
「そうだ、ハヤトくんは優しい、素晴らしい、私の救世主……うん、大丈夫」
「……そうですか」
「アイツだけど、撮影前日に急にやって来て。参加するって。私たちが何度もダメだと言ってもアイツは、ハヤトくんは聞かなかった!! ハヤトくんは、まるで操られていたみたいにアイツを信奉していたの!!! 私がいるのに!!!」
「し、信奉してたって?」
「アイツの指示なら何でも従ったの! 例え私に暴力を振るってでも!!」
加えて弥生さんが「撮影に支障をきたすからお腹とか目立たないところだけ」と、言ったけど……正直、驚きを隠せなかった。
風間隼人は、弥生さんをメインヒロインに抜擢する程には信頼していたはず。
それを急に出現した人間、七星顕造が塗り替えた。神林の名を持つ彼、だけど呪術に人を操るなんて代物があるのか? 彼女の思い込みなのか?
彼女の激高と相まって混乱してきたけど、話が続く限りは聞き続ける。
「アイツは撮影の時だって変なことを口出してきた。お地蔵様を壊せって、ナニカが見えても無視しろって、誰かが倒れても無視して撮影を続けろって!! そんなこと、みんなしたくない。おぞましいものを感じたから!! だけど、従うしかない。ハヤトくんが命令するから、そして、何より……」
「な、何より?」
「アイツに逆らった奴は呪われる。それで、みんな、死んじゃった……!」
何を、弥生さんは言っているんだ?
呪われた? 同好会のメンバーを殺したのは彼女じゃないのか?
彼女が錯乱する様子を見ると。どこまで信じて良いのかわからない。
だけど、否定する気にはなれない。彼女は絶対に嘘はつかないはずだ。
「の、呪われるとは……?」
「知らない、わからない、知りたくない、わかりたくもない。だけど……ううん、なんでもない。何か目的はあったはずだけどわからないの」
……そして、肝心なことは聞き出せないわけか。
弥生さんが口を閉じると、怯え切った表情で顔を俯かせていた。
「もう、アイツの話は終わり。これ以上、話せないの」
今にも消えそうな声で囁いた弥生さんに、僕は何もできそうにない。
「わかりました。弥生さん、お話ありがとうございました」
「終わった、話が終わった、終わったの。ハヤトくんは私から去ってしまう」
「……や、弥生さん?」
「去ったら私はどうするの、どうすれば良いの、誰が私を助けてくれるの、待ってるのに、助けてよ、ハヤトくん、ハヤトくん、ハヤトくん」
「弥生さん!! もう大丈夫ですから!! 止めてください!!!」
「もうイヤだ……! お姉ちゃんがこうなって、私を見れなくなって……!」
「……葉月」
再び弥生さんは何かに怯えて、恐怖して、狂い始めた。
だけど、わかった。彼女は狂っているんじゃない。狂ってしまった。
元々おかしかったわけじゃない。何かの拍子で誰かに利用され、狂ったんだ。
怪異とか、呪いとか。それ以前の問題だった。人はだれしもこうなりうる。
だから、だからこそ。僕は“明らかにしなければ”ならない。彼女の思いを。
「あ、ああ、私はどうすれば、私はどうしたら救われる――」
「――自分の人生を、生きるべきです」
彼女を破壊した男に向けた怒りと、悲しそうな葉月に向けた慰めと。
狂気に囚われた彼女に向けた憐れみと、助けたいという確かな思いで。
咄嗟にこんなことを言ってしまった。弥生さんの真っ直ぐな目が僕を捉える。
「先ほど、葉月にあなたが描いた絵を見せてもらいました。いい絵でした」
「ハヤトくん」
「あなたには素晴らしいものがあるはずなんです。自己を捨てなくても。誰かに支配されなくても。あなたが、あなただけが描ける絵が」
「…………」
繊細で、色鮮やかで絵心がない僕にも感動させるような絵。
そんな絵を製作できる彼女が誰かに囚われているなんて、おかしいし、もったいないし、何より……悲しいと感じてしまったから。
だから、僕はちゃんと言うことにした。恥ずかしかったけど、もうヤケクソだ。
僕の心を込めた言葉で、弥生さんが僕をじっと見つめる。
彼女の瞳は震えて、怯えていたけど……この目は確かに僕を見ていた。
「は、ハヤトくんは私を否定して、それで救ってくれるって、自分以外のことは何もしなくて良いって言って、なのにハヤトくんは、私を認めて、初対面の私を、認めてくれて、ハヤトくんはハヤトくんはハヤトくんは……だけど、この人は」
頭を抱えて、再び回り続ける言葉の羅列を連ねる弥生さん。
だけど、前よりも……あの鬼気迫ったような嫌な空気を感じなかった。
彼女の延々と回る物言いも、繰り返される毎に力をなくし、落ち着き始める。
「…………」
頭の中身を出し切ったように、彼女が急に言葉を止める。
しばしの沈黙。僕には希望が見えていただけに苦ではなかった。
そして、弥生さんは僕と葉月の顔を見据える。穏やかな表情をしていた。
「ねぇハヤトくん。あなたの名前を聞かせてもらえませんか?」
今までとは声色が違った、彼女の声が聞こえてきた。
彼女の瞳には……まるで雲に隠れた月の光ほどだけど、光が灯っていて。
どこか言動に不安定な部分はあったにしろ、僕は真っ直ぐ答えることに。
「青原誠也です」
「そうですか。葉月と……仲良くしてあげてね。私の代わりにも」
まるで今まで存在していない、そんな扱いだった葉月を呼んだ。
これが何を意味するのか、僕は理解できたし、葉月なら尚更なんだろう。
「うっ、お姉ちゃ……ぐすっ、ぐすっ、ふえぇ、お姉ちゃん……!」
「……ごめんね」
車椅子に座る姉に、泣きじゃくりながら葉月は抱き着いた。
未だに弥生さんは、完全に受け入れられないのか戸惑ってはいたけれど――ちゃんと葉月の体を受け止めて、柔らかな髪をそっと撫でていた。
どれくらい時間が経ったのか。ふと葉月が時計を確認して、顔を見上げた。
「……ぐすっ。そ、そろそろ時間みたいだから」
「ああ、頼むよ。それでは弥生さん。もっと時間が取れる時に」
「わかりました。今日はあなたと会えて良かったです。さようなら」
儚い笑みを互いに浮かべたのを最後に、僕は弥生さんと別れる。
未だに涙が止まらない葉月が彼女を連れて、2人は中庭を出た。ちょっとだけ帰ってくるのが遅かったのは……きっと戻ってきた姉と話をしていたからかな。
長きにわたるラストダンス、カーテンコールを経て。
――こうして、夕闇倶楽部の調査はグランドフィナーレを迎えたのだった。
「お姉ちゃん、これからどうなるのかな」
「あの人なら大丈夫だよ。まだ時間はかかりそうだけど、大丈夫」
土螺村に向かう前日に見たような、あの夕暮れが僕たちを包んだ。
夕立が流行る晩夏、こうして橙に染まる街を見られるのは奇跡に近いな。
「すごいね、誠也くん。お姉ちゃんを助けてあげるなんて」
「僕が助けたんじゃない。お姉さんが、葉月が頑張っていたから」
「それでも、ありがとう。誠也くんがいなかったら、このままだったから」
葉月には言われてるけど、僕自身が何かしたという気はなかった。
彼女が僕と話しただけで回復したのは、元々彼女もそれを望んでいたから。
そうじゃなきゃ明らかに呆気ない。10年の沈黙を破るのは大変なことなのに。
だけど、この日で葉月が救われたのなら。嬉しいという気持ちに嘘はない。
「これから、お姉ちゃんと話してみるよ。お父さんともお母さんとも」
「それが良いよ。きっと上手くいけるはずだ」
「誠也くんに言われると、できる気がするから不思議だね」
――今回の怪異、僕たちは何もできなかった。
土螺村にも、地籠病院にも、幻視病にも、呪いの映画にも。
謎を暴き出しただけで渦巻いた怪異を、怨嗟を払うことはできていない。
だけど、最後。葉月と弥生さんに希望が生まれたのは不幸中の幸いかもな。
「そろそろ僕の家だ、ここでお別れだ」
あれこれ話している内に。家のすぐ側までやって来ていた。
「……ちょっとだけ、待って」
手を振って、帰ろうとする僕を……葉月が引き留めた。
道の端で向かい合うように互いを見つめ合う。な、なんだろう?
「ねぇ誠也くん。こうして、こっち向いてくれるかな」
「あ、ああ」
不思議に思いつつ、言われた通りに従ってみる。
何故か葉月に近づき、何故か少し身を屈めて、何故か葉月の顔が紅い。
「これで、良いよ。後は目を瞑って」
これまた言われた通りに目を瞑った。何をするのかと
――唇に、柔らかな感触を感じた。
何が起きたのか、何があったのか、目を開けてもわからない。
柔らかい感触と、高揚感と。恥ずかしそうな葉月だけがすべてだった。
「またね、誠也くん。これからも、よろしく」
彼女はそれだけ告げると、逃げ出すようにこの場を立ち去った。
……今のは。体から溢れだしそうな暑さと一緒に、僕はそれを理解した。
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