第25話 幻死病の正体
――怪異の調査、最終日。
気温は、夏にしては涼しい。どんよりとした曇天だった。
僕たちを乗せた車の中は、嫌な重苦しい空気に包まれている。
今、僕たちは土螺村に向かっている。すべての決着をつけるために。
「シズ、大丈夫? その状態で運転させてるけど」
「う、うん。大丈夫。喉が渇いてしょうがないけど、みんなのためだから」
「無理はしないでくださいね。……本当は来させるべきじゃなかったんですけどね。雫先輩も、一秋も葵ちゃんも」
「私は大丈夫です。さっさと幻死病を何とかしましょう。楓を助けるために」
ここには夕闇倶楽部の面子、一秋くんに七星さんがいる。
他の人たち……雨宮さんと葉月ら映画同好会の皆さんは帰りの準備中だ。
これ以上、怪異を関わるべきじゃない。僕たちも彼らもそう考えたのだ。
「ねぇ、誠也が言ってた最後の鍵って本当にクソジジイのことなの?」
「クソジジイは失礼だけど……そうだよ。あの人が謎の答えを知っている」
「本当かしら。あんな胡散臭い奴、信じられないわよ」
「気持ちはわかるけど、他に情報が得られそうな手掛かりはないんだ」
それに、あの老人が廃病院に関係する可能性を示唆する証拠はある。
後は彼に話を聞きに行くだけ。村に到着すると、2日目に通った道を辿った。
雑草が踏み分けられた、文字通りの獣道を通ると……古い小屋が見つかる。複数人の足跡が聞こえたのか、小屋から老人が出てきた。
「何の用だ、餓鬼ども」
「話を聞きに来ました、あなたに」
僕が言い放ったそれに、老人はにやりと口元を歪ませる。
「ほう、面白いな。なら先にお前さんから話をしてもらおうか」
「話を聞きに来ましたって言ったの聞こえなかった?」
「最初に言ったはずだがな。俺は答え合わせをしてやるだけだと」
ただでは話してくれないらしい。まあ、これは覚悟の上だ。
意思表示として、僕は老人に向き合う。変な緊張感が込みあげてきた。
「……良いでしょう。何を話せば良いでしょうか」
「なら “幻死病”の正体はなんだ? 聞かせてもらおうか」
「その答えを知りたいから、アンタのところに来たんだけど」
「完全に理解してる必要はない。最低限、踏み入れるだけの知識と覚悟が備わってるか確かめたいだけだ。それすらできないなら立ち去れ」
偏屈な態度を崩さない老人。
だけど、僕の考えが正しいなら。僕たちをからかってるんじゃない。本当に、生半可な覚悟で触れるべきじゃない怪異だったんだ。幻死病は。
「“幻死病”の正体は――呪いだと考えてます」
「……ほう」
肯定とも否定とも言えない反応が返ってくる。僕は話を続けた。
「初めに“幻死病”は地籠病院で生まれたと推測しました。過去に、あの病院では、かつて入院患者が非人道的な扱いをされていたようですね」
「呪いが生まれるには十分ね。ただでさえこの村、相当イカれた儀式をしてたみたいだし。怪異を生み出しかねないわ、そりゃ」
「土螺村のことも調べてたのか。どうやら単なる馬鹿じゃないようだな」
遠乃からの援護射撃もあり、老人は感心したように頷く。
今回の幻死病には、やはりあの病院が関係している。僕はそう考えた。
そもそも一秋くんが幻死病に感染しているのだ。病院だけを訪れた彼がそうなったんだから、関係がないとは言い切れない。
「次に、もう1つ。僕たちの中に、幻死病に感染した人がいます」
「……お気の毒なこった。あんなものに関わらなきゃ良かったのにな」
「そうですね。だから僕たちは怪異を明らかにする必要があるんです」
「御託はいい。それで、どうなんだ?」
面倒そうに手を振った彼に、僕は語気を強めて話を続けた。
「その人たちは決まって、被害妄想、希死念慮に取り憑かれていました。幻覚や幻聴、被害妄想、その他の症状はそれに付随するものだった。呪事に精神を支配され、具現の象徴として症状が出てきたのではないでしょうか」
「…………」
正直、幻死病の情報は足りていない。ほとんどが憶測に留まるもの。
それに気になるのが雫の症状か。ただ、この推測に影響はないはず。
まるで病気のように精神を蝕み、他人に感染する怪異。
これが幻死病。この地に伝わる怪奇現象の総体だったんだ。
そして、葉月の姉を含む映画同好会、見た者を狂わせた正体でもあるはず。
「…………」
「以上が、僕が推理した幻死病の正体です。どうでしょうか」
異様な雰囲気の中、ここまで話してきたけれど。
今までの会話に対する老人の反応は、あまり良いものではなかった。
「あれこれ言ってくれたが、その根拠はあるのか? 今までのお前さんの発言はむちゃくちゃだし、言いがかりにすぎないぞ?」
予想できた答え。今こそ偶然にも手に入れた“あの情報”を使う時だ。
「根拠ならあります。あなたが執筆された小説です」
「……それは」
「えっ、こいつ、小説書いてたの? 頭悪そうな偏屈ジジイなのに?」
「お前みたいな餓鬼とは違って、俺は長く生きてんだ。それだけ書きたいこともあるもんだ。その通り、確かに俺が書いた代物だ。わざわざ東京に出てまでな」
だけど、この情報は奇跡としか思えないタイミングでの入手だった。
秋音が教えてくれた小説。この著者が彼だったのだ。本当に不思議な事に。
そして、その話の中に。今回の怪異に関わる情報が隠されていた。僕がこの人に話を聞こうと考えたのも、これが理由だった。
「小説に書かれてました。幻死病らしき怪奇現象と凄惨な病院の現状が」
「巻末に書いてあるはずなんだがな。この作品はフィクションだと」
「フィクションでも、現実の出来事を参考に執筆するケースはいくつもある。あなたは告発の意味も込めて、この作品を書いたかもしれないと、そう考えて――」
「――だろう、かもしれない、か。確証はないんだな」
「さすがに、そこまでは」
……だけど、老人の言う通りだった。
今までの僕の話は完全に憶測にすぎない。少ない情報から考えた。
いくら論理を尽くしたところで証明にはならない。確たる証拠には。
「ちょっと、ここまで誠也が話したんだから見返りくらいしなさいよ!」
「慌てるなよ、嬢ちゃん。刑事じゃないんだ、これくらいで良い。ここまで調べてきたんだ。覚悟があることは理解できた」
「ということは……?」
「約束通り話してやろう。お前らのお粗末な推測も形になるだろうよ」
だけど、彼はどうやら話してくれるみたいだ。
不敵で嬉しそうに笑う彼に疑問を浮かべつつ、話を聞くことにした。
「まず“幻死病”の正体だが、お前さんの言う通りだ。あれは単なる思い込みや精神病の類じゃない。絶望だ、死に至るほどのな」
「そんな絶望が、なぜ病気のように感染するんでしょうか」
「この土地で死んだ奴らが引きずり込もうとしてるんだよ。恨みを残した、な」
「恨みというと、やはり廃病院が、あそこの?」
「その通り。すべてじゃないが、あの病院が幻死病を生み出した原因だな」
「話を聞く限り、よほどあの病院を敵視してるみたいだけど。なんでよ?」
「んじゃ、自己紹介をしておこうか。俺は58年前、地籠病院に入れられた患者だった。お前らが知りたいことはすべて体験してきた」
……嘘だろ、怪異の謎に関わった人間に会えるとは。
まさか、ここまでうまく事が運ぶとは。だけど、これは非常に助かる情報だ。
今回の怪異を暴き出すためにも、幻死病に感染した彼女たちを助けるためにも。
「あの病院での生活だが……無残なものだ。人扱いすらされなかった。確かに患者共は狂っていた、病名が付いた奴も付かない奴も。だが、人として当たり前の感情はある。それをぶち壊したのが奴らだ」
「奴ら、とは?」
「病院の医者に看護師、縁を切った家族ども、こんな非常識を黙認していたお偉いさんだよ。世界の全てが連中を狂わせた。特にひどいのが“管理室”だ。もっと言えば、あれが幻死病の起源かもな」
「管理室、要領を得ませんね。どういうものでしょうか?」
千夏の質問に、老人は深刻そうな表情を強めて答えた。
「狭い部屋に何十個のベッドが用意された部屋だ。人はギリギリ通れるかどうかの通路を医者や看護師が通り抜けてたな」
「そんな部屋が、なぜ“管理室”なんでしょうか?」
「――簡単な話だ。鎖やベルトでぐるぐる巻きにして何か月も放置するんだよ」
頭を思いっきり鈍器で殴られたような、衝動が走った。
抱いていたのは“非人道的な行為をする病院”という漠然としたなイメージ。
それが、具体的なその行為を示されたことで……強烈に現実味が増してしまい。
僕も雫も千夏も高校生の2人も、遠乃すらも驚きを隠せない状況の中、老人はまだまだこれからだ、と言いたげな態度で話を続けた。
「もちろん点滴やら寝返りやらで動かしはするけどな。もっとも変な薬を一緒に投入してまともに口もきけない状態にするおまけ付きだが」
「疑問なんだけど。そんなことして患者さんは大丈夫なの?」
「大丈夫じゃねぇよ。半年も続いたら死んじまう。医者たちもその辺りは心得ているから、実際は数週間から数か月で止めるがな。気に食わない患者ならそのっまま放置して死なせることもあったな」
“病院の一室。だけど、部屋中にベッドが敷き詰められている”
“隙間がないほど。すべてに人が寝かされ、点滴のような何かを打たれていた”
“よく見てみれば、彼ら拘束具が付けられていた。……これは、なんなんだ”
こ……呪いの映画で挿入された映像と同じだった。
まさか、記憶から蘇るだけでおぞましいあの光景が現実のものとは。
「そんなことして、何になるんでしょうか?」
「金が入るんだよ。一部屋に何十人も詰めたら、それだけの医療費が入ってくる。あいつらは“資産”と呼んでたよ。俺たちを閉じ込めた地獄をな」
「そ、そんなこと、本当に? 何のためにするのよ?」
「いや、需要はありました。当時はライシャワー事件による社会防衛や、東京オリンピックに伴う浮浪者等の処理が必要でしたから」
「とにかく入れては殺して、入れては殺してを繰り返す。半年もすれば死ぬが、逆に半年は稼げる。その後は患者を他の場所に売り飛ばしたり、燃やすなり――昔は無数にあったその辺の湖に沈めたりすれば良い」
“湖には――思わず目を覆いたくなるほど、たくさんの死体が浮かんでいた”
更には、2日目の村で見た怪奇現象。この事実を示唆していたのか。
「そして、1回だけ俺も管理室に閉じ込められたことがある。ひどいもんだ。あらゆる不快感を感じさせられる、苦痛の世界に閉じ込められる。これが続けば、反抗する意志が消える。下手すりゃ思考すらできなくなる。“管理室”はまさに畏怖の象徴だった。あそこに行けば、大抵は死ぬ。帰ってこれてもまともな精神じゃない。幻死病に感染して、幻覚や幻聴に駆られて、絶望のまま自殺しちまうんだ」
「あなたの体験に加えて、これって……」
「ああ――これが、幻視病の正体だ。絶望に支配されて死を選ぶ。そして、次第に“管理室”を抜けて保護室、病室にまで感染した」
幻死病の正体。地籠病院で生まれた怪異、呪事の類だったのか。
今まで推測してきた謎が事実として立ちはだかり、現実味を帯びてくる。
こんなことが起きていたとは。背筋が凍りそうな、嫌な感情が伝わってきた。
「――そして、ある日。事件は起きたんだ」
しかも、老人の話は……ここで終わらないみたいだった。
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