第16話 未だ怪異の中、見えてきた光

「……トオノさんって、どなたですか?」


 不自然なほどに、ぼんやりとしている千夏から放たれた言葉。

 それは余りにも思いがけないことで、驚きの衝撃が僕を襲ってきた。


「えっ? いや、どなたって、あの遠乃だぞ。比良坂遠乃」

「ヒラサカ、トオノ。2人なんですか、その人は?」

「いや、違うぞ。間違われやすいが、1人の名前で……」


 千夏が、遠乃のことを忘れている?

 何でこんなことを起きたんだ。……もしかして、僕たちのことも?


「ちょっと聞くが。八百姫雫という人物には覚えがあるか?」

「ヤオヒメシズク。なんとなく覚えてます。穏やかな先輩でしたね」

「なら、青原誠也は?」

「アオハラセイヤ。思い出せないです。でも、あなたのことですよね」

「……そ、そうだが。嘘だろ」


 有り得ない。でも嘘や冗談を言っているようではなかった。

 どこか浮いているような千夏を見て、僕はあることを思い出した。

 そういえば、烏丸さんも僕たちが来た時には自分の名前を忘れていたような。そう思うと、今の千夏とも様子が似通っていたようにも見える。――まさか?


「電話、かかってきてるんですけど。良いんですかぁ?」

「あ、ああ。もちろん出るさ」


 烏丸さんから言われて、着信音が再び耳に入ってきた。

 声が震えてしまうのを感じながら、ゆっくりと電話に出てみる。


「も、もしもし……?」

『あっ! やっと繋がった!!』


 すると、聞き慣れた、そして待ち遠しかった声が電話越しで届いてきた。


「その声は遠乃か!?」

『それ以外に誰がいるのよ、このバカ誠也!』


 劈くような叫びが耳の中で木霊する。

 うるさい。だけど、そんな遠乃の憎まれ口も今は救いだった。


『ま、あんたは大丈夫そうね。千夏もそんな感じ?』

「千夏なら僕と一緒に居るさ。……だが」

『だが?』

「いや、何でもないさ。今のところは大丈夫だ」


 この時点では、千夏に起きている現象には口をつぐむことにした。

 ただでさえ鬼気迫っているこの状況。起きた理由が判明してないことを伝えてしまうのは、余計な混乱を招くと考えたからだ。

 そんな僕に、遠乃はこちらの心情を察したのか、それとも言葉通りに受け取ったのか、ふぅんと腹に何かを潜ませているように呟いて、言葉を続けた。


『ま、わかったわ。あたしからは以上。交代するわ』

「交代するって、誰にだ?」

『神林からよ。呪いのゲームを送りつけた、張本人である』

「か、神林!!?」

 

 出るとは思いもしなかった名前に、素っ頓狂な声を上げてしまう。

 “神林”。もちろん、あの呪いのゲームに関係しているのもそうだった。しかし、それに加えて異界に来る前に見た夢で、神林という名前が出ていた。

 その名前が出てくるんだ? そう思った僕に「誰が張本人よ!」という少女の声が聞こえてから数秒後、相手が出てきた。


『もしもし。電話を変わったわ』


 声を聞いた瞬間に前の記憶が蘇る。電話越しでも分かった。

“あなたに迫る怪異、あなたの周り全てを覆う怪異、それは激しく重い……”

 留守だったハピネス・ナイトメアから出てきた少女。彼女から言われた言葉。それと酷似している。不思議な、あの少女こそが神林だったというのか。


「君が、神林なのか?」

『まあ、そうね。自己紹介をしておくと、私は七星葵よ』

「青原誠也だ。……それに、七星か」


 更には、今回の怪異の重要関係者の七星顯宗と同じ名字。

 今までがあったから、頭が入ってくる情報に追いつけてなかった。


『積もる話はあるでしょうけど、時間がないの。本題に入るわ』

「あ、ああ」


 だが、彼女の言う通りで今は問題を解決することに専念しよう。

 生憎と言うべきか、この葵という少女は協力してくれるみたいだし。


『まず、そちらが置かれている状況を教えてもらえるかしら?』

「今、僕たちは有るはずのない4号棟にいる。1階の四号室の部屋で住民の日記を見つけた他、烏丸茜という女子高校生と遭遇した」

「ふんふん、日記ね。てがかりになりそ――って、烏丸ぁ!? あんの馬鹿、あれだけ忠告してやったのに行きやがったの……!?」

「知り合いなのか、彼女とは」

『知り合いじゃないわよ、あんな奴! ……とにかく、あなたたちはそこにいるのね。それで、異界で何か奇妙だと感じる場所や現象はなかった?』


 彼女にそう言われて、思い出してみることにする。

 といっても、この異界の空間自体が奇妙なのだから答えるのに困った。

 だけど、その中でも一際奇妙だったのは、やはり。


「最もおかしかったのは、大体の部屋に玄関に飾られていた人形だ」

『人形?』

「おそらく人形神だ。人の臓器を用いるなど、とんでもない改悪がされていたが」

『なるほど、そういうこと。よく知ってたわね、そんなの』

「一応、オカルトサークルだからな。それで、多分だが、きっとこの異界は人形のせいでこうなってしまったんだと思われる」

『ええ、あなたの推測通りでしょうね。そんなものが各地にあって、呪術に心得がある人間が細工をすれば――異界を作り出すなんて造作ないわ』

「……そうか」


 異界を作り出す、だなんて、僕にはどうも信じられない。

 だが、彼女には不思議とそれを信じ込ませるような説得力があった。

 

『それを踏まえて、現時点であなたたちに任せることがあるわ』

「そんなことが分かるのか?」

『100%ではないけれど、やる価値が十分にあるのは私が保証しましょう』


 一呼吸を置くと、彼女はゆっくりと内容を語り始めた。


『まず、あいつ……七星顯宗が住民の中で入れ込んでいた人がいたの。そいつが住んでいた部屋が鍵を握っているはず。その検討はつくかしら?』

「そういえば、あったはずだ」


 日記の途中で、どこかの部屋に滞在すると書かれていたな……。

 電話を片手にページを捲る。あった、どうやら404号室のようだ。


「住民が残した日記に、404号室に彼が滞在すると書かれていた」

『それよ。そこに行って呪術の元である、すなわち人形神を壊すの』

「こ、壊すのか……?」

『そうすれば、一時的に異界と現実世界との境界線が揺らぐ。それなら何とかあなたたちをこちら側に引っ張り出すことができるわ』


 仮にも怪異の元凶を物理的に排除しろと、そう指示されたことに驚く。

 そんなことをやって、もし失敗したらどうなるだろうか……。

 しかし、少なくとも打つ手なしの状況だ。やる価値はありそうに思えた。


「分かった。やってみることにしよう」

『話が早くて助かるわ。あと最後に確認だけど』

「……何だ?」

『もしかして、自身の記憶を失いかけている人が存在する?』


 頭を強く殴られた、そんな錯覚を覚えた。

 沈黙して、後ろの千夏に目を向ける。彼女はぽかんとしていた。

 この正体を知ってそうな彼女になら、話しても良いのかもしれない。


「実は、居るんだ」

『やっぱりね。その人はね、異界に溶け込み始めているの』

「何だって」

『初めに外の繋がりを忘れ、徐々に人の関係を失って、最後には魂を縛り付けている自己すらも失ってしまう。そうなれば、異界の一部になって二度と帰れない』

「……そうなのか。でも、どうすればいいんだ」

「だから、よく聞いて。――を、――して、――するの』

「えっ?」


突如として、何かを隠すかのように一部分だけノイズが妨害してきた。


「ちょっと待ってくれ。雑音で聞こえなかった」

『……もう一度言うわ。――だから、――を持って、――を――するのよ』

「申し訳ない。やっぱり特定の部分だけ聞き取れないんだ」

『そんな、まさか。直接、答えは言わせてもらえないようね!』 


 電話越しに吐き捨てるように叫ぶ少女。

 僕は何とか聞き出そうと違う方法を考えようとしてみることに。

 しかし、今度はザザザ……という耳障りな雑音が全体に混じり始めた。


『それに、もう時間切れなの! と、とにかく自分を明らかにし続けなさい! 決してその異界には取り込まれないように、絶対に――』


 それを最後に電話は途切れて、静寂がこの部屋を支配する。

 神林を名乗る少女から、いきなり舞い込んで来た電話。

 どれもこれも大量で不可解な情報が錯綜し、僕も未だに飲み込めてない状態だ。

 一方で、やるべきことは分かった。404号室の人形を破壊する。

 付随して、千夏に起きていた異常な現象にも説明ができるようになった。

 この異界団地に取り込まれたものは記憶を失ってしまうのだ。友人や家族、外の世界のあらゆるものを、そして最終的には自分の名前でさえもだ。

 そして、自分を忘れてしまうことが異界に取り込まれたことを意味する。

 日記の最後に書かれた呪われる、とは、このことを示していたのだろう。

 ……しかし、だ。それが分かったところで対処する方法が判明していない。

 おそらくノイズで隠されたのは、彼女がその辺りを言っていた部分だろう。

 だから、分からない。唯一聞き取れたヒントは、最後の方に言われた“自分を明らかにし続ける”。これだけだ。それも、どうすればできるのか――


「お電話の方はどうでしたか!? ちゃんと繋がったんですか!!? 相手は誰だったんでしょうか!!!?」


 そう僕が考えている横から、烏丸さんが矢継ぎ早に質問をしてきた。


「……少しの間だが、繋がったよ。七星葵という少女が協力してくれるらしい」

「葵ちゃん!? 葵ちゃんが私を助けに来てくれたんですかぁ!!?」

「その様子だと、君は葵という少女のことを覚えているようだな」

「はい! あんなに弄りがいのある娘、なかなか居ませんからね! ま、でも、さっきまで記憶の彼方にすっ飛んでたんですけども!!」


 こんな状況でも元気なことに苦笑いしつつ。あることが気になった。


「気になったんだが……君は僕たちが来るまで大丈夫だったのか?」

「大丈夫、じゃないに決まってるじゃないですか!!! 私がどれだけ飲まず食わずで誰とも会わずじまいだったか、寂しかったんですよぉ!!」

「そ、それも、そうだよな」

「それに頭がふわふわしてて、自分じゃなくなるような感覚が来ましたし! だ・け・ど。完全にそうはならなかったんです。お守りがありましたから!」

「……お守り?」

「正確にはお守りが入ってた財布を持ってたんです。あっ、これですよ!」


 何故か自信満々に目を輝かせている烏丸さんから手渡された財布の中を見てみると、カードなどを入れるスペースにそれらしいものが入れられていた。

 手に取ると布の感触。多少の薄さがあるが、確かによく見るお守りのようだ。

 僕が見た感じだと、怪異から守ってくれるようには見えないが……。

 また他には彼女自身のものだろう学生証と、変な写真が挟まれていた。

 な、なんだ、これ。誰かは知らないが、女子生徒の盗撮写真だろうか……。


「あっ。お金や私のコレクションを取らないでくださいよ!?」

「……しないよ、そんなこと」

「まっ、金額は213円しか入ってませんけどね!」

「えらくスリムな財布だな」


 もっとも、問題になりそうなのはコレクションだと思うけど。


「あの、行かないんですか?」

「ああ、そうだな」


 大体の話が終わったところで目的の場所へ向かうことにする。

 もちろん目的地は404号室。七星顯宗が居たという部屋に、だ。

 だが、その前に。僕は相変わらず変な千夏が心配でしょうがなかった。


「大丈夫か、千夏。辛いなら今はここで楽にしていても」

「いえ、私も行きます。2人と離れたら自分が自分でなくなりそうなので」

「……そうか。無理はしないでくれよ」

「はい」


 意味深なことを呟く千夏に不安を抱きつつ、僕たちは部屋から出た。

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