第12話 とある男性の手記2

『それは“生きたい”という欲求。人間なら根底にある絶対的欲求だ。

 願いを叶えるだけの呪いを作るために、あの男はそれを最大限に利用した。

 まず誰かを苦しませて殺す。対象は自由だが、バレないよう身近な人を選ぶ。

 苦しみが長期間だと生きることへの欲求自体が損なわれるから、せいぜい1周間程度が目安だろうか。短い期間で尋常ではないほどの苦痛を与えていく。

 そして、殺せたら死体をバラバラに解体して、臓器を予め用意した人形に埋め込み、血は着物に使う染料に混ぜ込んで、用意された特別な土を人形の中に詰めて縫い合わせ、最後は参加者全員で何度も何度も地面に踏みつけていく。

 ……これが、あの人形の製造方法の全容だ。

 まともじゃない、まともじゃないんだ! こんな方法で作られる人形は!』


 あの人形、想像以上にとんでもない物だった。

 願いを叶えるために代償を要することは珍しい話ではない。そして、その代償を支払うことになっても叶えたい願いがあることも不思議なことではない。

 でも、本当に殺してしまえるというのか。人が、人を。

 そして、“人形”、“願いの成就”、“土”、“踏みつける”。記憶が蘇った。


人形神ひんながみ……」

「ひんな、がみ? 誠也さん、もしかして分かるんですか!?」

「いや、共通点があるだけだ。作り方はほとんど違っている」


 純粋な驚きの烏丸さんの声に、僕はゆっくりと伝えていった。

 ――人形神。

 願いを叶える、地方の伝承に伝わる憑き物の類。

 沢山の人々に踏まれた墓地の土を人の血で捏ねて、自分の信じる神の形に作り、それを祀り上げるとたちまちどんな願いも叶えてくれるという。

 しかし、この人形を作った者はそれ以上の代償を受けることになる。

 死ぬ時も人形神は離れず、そのため本人が死ぬ時は苦しんで逝くことになり、最終的に本人もろとも地獄に落ちていってしまう、そんな代物なのだ。


「……何故なんだ」


 頭に浮かんできた疑問は、それだった。

 常識で考えて、こんな物を人に作らせるなんて正気の沙汰ではない。

 住民の願いを叶えることで自身の異能力を証明することができれば、七星顯宗は失った人気を取り戻せるが、それにしても他に方法は考えられるはずだ。

 ……それとも、別の目的があったのだろうか?


『実際に人形を作ったと思われる住民は、狂気に染まっていた。

 101号室の男は飢餓の状態にあるらしく、目に入る食べ物、そうでないものに限らず食べている。私の贈った本も紙の部分が全て食いちぎられていた。

 おそらく込めた願いは“美味しいものを好きなだけ食べたい”だろう。

 常に空腹ならば好きなだけ食料を食べられるし、何でもかんでも口に運んでしまうほどの飢餓の状況下ならば、あらゆるものはご馳走だと感じられるはずだ。

 102号室の女性の願いは“誰かに評価されたい、注目されたい”。

 だからオーディションに合格したり、色々な人から賞賛されるようになったり、誰かに後を追われるようになり、人の目が怖くなって部屋に閉じこもった。

 103号室の家族は“病気がちの子どもが元気になってほしい”だろうか。

 上のお子さんは生まれつき体が弱かったらしい。親が子どもを想う、その願いは極めて健全だが、人形の呪いともう1人の子を犠牲にした行いがそれを破壊した。

 確かにお子さんは元気になっていた。しかし、元気になりすぎたのだ。

 昨日の夜のことだ。隣の部屋で、父親が何者かに殺されていた。

 死体は顔がぐちゃぐちゃで、両手両足がおもちゃみたいに引き千切られていた。

 犯行場所の部屋には到るところに子どもが書いた幼稚な落書きがされていて、足りなかった赤色の部分には父親の血液が使用されていたという。

 外で買った新聞によると、警察は外部から侵入した猟奇殺人者の線で捜査をしてるらしい。それはそうだ、まさか実の息子が父親を殺したとは思わないだろう。

 異常はこの人たちだけの話ではない。人形を作ったすべての住民を襲っていた。

 ……すべては人形を作ったから。込めた願いは暴走し、人を呪い殺していく』


 食べられたように物や床が抉れた部屋も、アルミホイルで覆い尽くされた部屋も、子供の落書きと大人が暴れたような部屋も。

 人形から生まれた願い。それが暴走し、怪異となった結果だったというのか。

 あれだけ真相を知りたかった僕だが、流石に嫌なものを見た気分になった。


『早くどうにかしないと取り返しがつかないことになる。

 ……しかし、私はどうすれば良い? 孤立無援のこの状況で?

 警察に通報するか? こんな馬鹿げた話、信じてもらえるのか?

 住民の監視はこの前以上に張り巡らされている。迂闊に動いたら殺される。

 とりあえず、今は記録を残すだけにする。この後を考える手がかりになるはずだ』


 8月1日はこの文章で終わっていた。随分と長かったな。

 息を呑んで読み進めていく。しかし、次の日、それまた次の日は白紙。

 次に纏まった内容が書かれていたのは、その四日後だった。


『8月5日

ここはもう終わりだ。もうじき私も死ぬことになる。

 この世の人間でなくなった彼らに殺されるか、私の気が狂ってしまうか。

 きっと最悪の状態は免れない。更には蓄積された呪いは私たちを、そして私たち以外の無関係な人にも及ぶ可能性も考えられることだろう。

 だから、幸か不幸か、この“異界団地”に迷い込んだ者が読んでいるのなら、今までの記録と、これから記す内容に目を通して欲しい。

 この四号棟は異界だ。そして、ここの人間は失われた。

 むしろ失われているからこそ、この異界が成り立っているといえる。

 非日常であるはずの出来事が日常となり、現実と空想の境界が曖昧となった。

 己の欲望で人を殺して人形を作り、そのために殺された人は恨みを残していく。

 さらに人形の製作者が殺されれば、呪いや負の感情は本人の魂を飲み込んで地獄に落とすだけでなく、周辺を巻き込むほどの現実に対する汚染を生んでしまう。

 1つだけならまだしも、それが何個も何十個も、多数に及べば強大なものとなる。

 それが繰り返されていくうちに、現実と乖離した異なる世界と変わったのだ。

もはや、この場所は黒羽団地ではないと思え。このまま自分を持たずに居続ければ、家族も友人も失われていって、最期には――』


 ここで日記は終わっている。

 次のページの何枚かは乱雑に破り捨てられた跡が残っていた。


「…………」


 覚悟はしていたが、嫌な読後感だった。

 今回の怪異。全ては人の手によって生み出されたというのか。

 団地、棟はある種の閉鎖空間だ。極めて狭い人の関係が構築されている。

 狭い空間では、例え外の世界では常識に外れていた行為でも、中の人間がそれを支持すれば、その中では正しい行為だと刻み込まれていく。

 加えて、郵便受けを封鎖してしまうことで外部の繋がりも絶っていた。電話やテレビからの情報もない。まともな判断基準が失われ、異常性に気づけなくなる。

 だからこそ、現世とは違う空間が生まれてしまったのだろう。そう推測できる。

 ……それにしても、この日記。所々妙な表現が出たような。

 やたら“失われる”を強調してくる。それに“自分を持たずして”とは?

 ダメだ。色々と思考が纏まらない。とりあえず日記を閉じることにした。


「読み終えましたか。変な話ですよね~。引っ越せばよかったのに」 

「気軽にできるものじゃないからな、それは」


 何も知らない他人がどうこう言える話でないだろうに。まったく。

 でも、男性からこの場所から出ようとしていないのは気になった。

 行動を起こさずとも、日記で愚痴を書いてるくらいのことはしそうなのだが。


「あと、何で最後の数ページだけを破られているのか」

「都合の悪い情報が書かれてたんじゃないんですかぁ~?」

「なら手帳ごと捨て去れば良いだろう。放置する理由にはならないはずだ」

「となると~どう推理するんでしょうか。名探偵青原さん!!」


 何でこの状況でふざけられるんだろうか、この少女は。

 ちょっとだけ感じた苛立ちを抑えつつ、冷静に言葉を続けた。


「おそらくだが、逆に読ませたかったんじゃないか?」

「なるほど。つまり304号室に謎のすべてが~とかで終わってるのは」

「もしかすると、罠の危険性があるな」

「かといって、このまま何もしないのもマズイですよねぇ~」

「そうだな。ところで、千夏はどう思うか?」


 ふと、途中から会話に参加してなかった千夏に声を掛けてみる。


「…………」


 ぼんやりと空を見つめていた。何だか千夏の様子がおかしい。


「ち、千夏。ど、どうしたんだ!?」

「あっ、すみません。ちょっとふらっとしていたもので」


 慌てて気を取り直しているが、彼女の眼はまだ覚束なかった。

 何だろう、今の彼女は、先ほどの烏丸さんとどこか様子が似てるような……。

 そう思ったと突如、鳴るなんて有り得ないはずの携帯が着信音を発した。


「えっ、電話ですか!? ここからは届かないんですけど?」

「それはそうだが……! 着信は、と、遠乃からか!!?」


 表示には確かにあの名前。おかしい、あれから反応はなかったというのに。

 しかし、現実として繋がっている。何故は知らないが、あいつなら何とかしたんだろうと思えてしまうんだから不思議だな。

 恐る恐る携帯を取ろうとした時だった。ぽかんと口を開けた千夏が見えた。


「あの」

「どうした、千夏?」

「……トオノさんって、どなたですか?」

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