第16話 怪異を暴くは"人"の意志

「あの間抜けじじいに聞いて行ったら、先客がいたとはね」

「……遠乃、お前」

「ま、あんたが無事で、本当に良かったわ」


 思ってもみなかった遠乃の姿に、僕は驚きを隠せなかった。


「どうして、ここに」

「その話は後! 今はあれをどうにかするのが先決でしょ!」


 遠乃に言われ、僕も同じ視線の先へ顔を動かす。

 その先には――髪を苛立ちのまま毟り、こちらを睨みつける狂花月夜。

 もはや彼女に余裕は欠片もなく、完全に僕たちへの殺意を剥き出しにしていた。


「何で、お前がいるの? 私の登場人物になっていたのに!」

「いつ、あたしが、登場人物とやらになったのよ」

「冗談はやめろ!! ここは、あの気持ち悪い女以外、そうしたはず!!」

「……き、気持ち悪い女?」


 気持ち悪い女、と声を荒げた先には……目を丸くしている雫。

 なるほど。これが怪異の影響に個人差が出ている原因だったのか。

 自分が好きだと思った人間は洗脳の支配下に置いて、自身の偶像を崇拝させる。


「だから、この男を始末すれば、解決すると思ったのに……!!」


 そして、嫌いな奴、従わない奴を……物語の名の元に殺させる。

 そう、あの朝の事件のように。

 なんて綺麗で素晴らしい物語なんだろうか。改めて吐き気がした。


「もしかして、お前もその男と同じで効いてないの!?」

「こいつと一緒なのは心外よ! でも、まあ効いてないんじゃない?」

「嘘っ! 有りえない! 頭おかしいんじゃないの!!?」

「あんただけには言われたくないわ! っていうか、馬鹿にしすぎでしょ。あたしを意のままにしたいんだったら、その魔本とやらを三冊は用意しなさいっての」


 ふふん、と。小馬鹿にしたように、遠乃は小さく笑った。


「……はっ。ふ、ふふふふふざ、ふざけるなよぉぉぉ!!」


 そんな遠乃の態度に発狂した狂花月夜が、怒声を上げた。

 不気味に光る眼を怒りと狂気に歪ませて、遠乃の元に狂花月夜は向かう。


「遠乃!!」

「あたしよりも、あんたの足元にあるその本をどうにかして!」


 言われて足元を見ると、あの忌まわしき魔本があった。

 無意識の内にそれを拾い上げる。だが、そうしたところで疑問が浮かぶ。


「でも! どうにかって、どうするんだよ!!」

「魔本の呪いを解くにはページを切り離せ、だって!!」

「はぁ?」

「書いたものが現実になる。だから本から切り離せば、現実はなくなるの!!」


 本を開いてページを捲った。切り離せって言っても……。

 この物語、ほとんどのページに書かれてるぞ。

 それら全てを切り離す必要があるのか?


「だから早くしなさい! あんたなら気合と根性で――ぐっ!!?」


 軽いまばたきをする刹那、強烈な勢いで何かが遠乃に迫っていた。

……狂花月夜だった。彼女の手が、遠乃の首を強く絞めていた。


「あはっ、あははははははぁぁっ!! わっすれったのぉ~!!?」

「……ぐ、ぐぅっ!」

「私は全能なる神様の力を受け継いだ、とんでもない怪力だって!!」


 ……そうだ、こいつは"理想の主人公"なんだ!

 例え物語自体の出来は最低でも、魔本に書かれた設定は忠実に再現される。

 つまりあの女性の理想が赴くまま設定されたそれが、遠乃に襲いかかっている。


「……せいや、はやく……し、なさいって!」

「無駄、無駄無駄ぁ!! それよりも早くこいつを殺して、お前も殺すぅ!!」

「……ふっざけな、いで!」

「ほらほら本を離せぇ!! 書かれたページ全部を破くなんて出来ないんだからぁ!!!」


 ……確かに狂花月夜の言う通りだ。

 本の紙質は想像以上に厚く、それなりの力を使わないと破けそうにない。

 そして、全てを破こうとしている内に遠乃は殺されてしまうだろう。


「別に、全てを破く必要はない」

「……はぁ?」


 だが、それは全てのページを破かなければならないという前提で成り立つ。

 そして、その前提を完全に覆す手段はある。

 とある記憶を思い出して、それを応用することで辿り着けるその手段。

 物語の登場人物なんかではない、生きた“人”に教えてもらったのだから。


『冒頭で主人公の設定を羅列するのはどうかと思うわ』


 卯月による物語の批評。

 彼女を完璧足らしめているその設定は冒頭に集中している。

 ――だから、僕は冒頭部分の数枚を思いっきり引きちぎった。

 この瞬間、彼女から盛り込まれた全ての設定は消えていく。

 実際に殺そうと掴み掛かっていた狂花月夜の腕は、遠乃に引き離された。


「あ、あれ。あれ、あれ?」

「その設定の数々、物語の中で使われてなかったみたいだな」

「なにいってるの、わたしはまけないはずなのに」

 

 引き離された後も、事態が飲み込めずに呆然としている狂花月夜。

 それを見て、遠乃は苦しそうな表情ながら強気な笑みを無理やり浮かべていた。


「ゴミみたいな物語なのが災いしたわね。今のあんたは文字通り空っぽよ」

「あ、ああ、ああああああああああああ」

「……つまり、あんたの負け。さっさと諦めなさい」


 僕が続けてページを破り離していく度に狂花月夜の姿は薄く消えていく。

 そして、ついに最後のページを破り、遠乃が彼女の手を完全に振り払った瞬間。

 狂花月夜の姿は、灰のように分解されていき――空気に散っていった。


「…………」

「…………」

「終わった、の?」


 この空間に静寂が訪れる。

 そんな静寂の中、消えていく何かを眺めながら出た、遠乃の呟き。

 僕は無言で頷いた。そして、雫や千夏のことが次々に頭の中で浮かんできた。


「あ、そうだ。雫、千夏! 大丈夫か!?」

「うん、私たちは……それよりも二人は? 特にとおのんは……」

「あー、あたしは大丈夫だって!」


 手を振って、自分の元気をアピールしている遠乃。

 だが、彼女の疲れている表情からは、それが痩せ我慢にしか見えなかった。

 本当に大丈夫なのかと、底知れない心配でそちらに集中を向けていた。


「ウッギャアアアアァァァアアッッアアアアッ!!!!」


 だから油断していた。後ろから迫りくる巨体に気づかなかった。


「……がはっ!!?」


 背中からの、重量系の何かに激突されたかのような衝撃。

 そのまま為す術もなく吹き飛ばされ、本を手放してしまった。

 衝撃の主である女性は、そんな光景を目の当たりにした瞬間、先ほどまでの鈍い動きが嘘だったと錯覚させるような勢いと俊敏さで本を拾い上げる。


「魔本はぁ……、理想はぁ、……世界はぁ、私のものだァァァっ……!」


 息が絶え絶えながらも、粘々とした願望を口に出す女性。

 その執着は、まるで他人を蹴落としてでも蜘蛛糸を掴んで昇る罪人のよう。

 醜悪な顔を酔ったように歪ませて、足元の何かに躓きながら惨めに逃げていく。

 もはや何の言葉で表せば良いかわからない女性の姿に、僕たちは眺めているしかできなかった。


「ま、待ちな――げほっ、げほげほっ!」


 1人だけ遠乃は反応したが……立ち上がった瞬間、咳き込んだ。

 首を抑えていた遠乃の手の、指の隙間からは痛々しい紫色の跡が見える。

 やはり狂花月夜から受けた攻撃は、彼女に大きい爪痕を残していたらしい。


「と、とおのん、大丈夫!?」

「あたしは大丈夫。だから、あの女を」

「私が追いかけます。動物殺傷事件の真相は暴けてないですから!」

「……わかった、お願い」

 

 遠乃の介抱をする雫、勢い任せに女性を追いかけていく千夏。

 そんな皆の姿を見届けた後に――気がつけば、自分の体は地面に崩れていた。


「元通りになるんだよな、他の人たちも、世界も」


 うっかり僕の口から漏れた声。

 それは本音を如実に表したもの。未だに実感が湧いてこなかった。

 今は大丈夫でも、次の日になれば再びあの怪異に飲まれているかもしれない。

 日常と異常の境界線が曖昧だった世界にいたせいで、僕の認識も狂っていたのだろう。

 その認識を、僕は無条件に信じることができないでいた。


「終わった、と思うよ。……私は」


 そんな僕に、雫は低めの声量で告げる。

 か細くもはっきりとした口調のそれを聞いて、僕は無言で空を見上げた。

 濃緑に染まる樹木、雲から姿を表した太陽、ゆったりとした風を感じられた。

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