第9話 空虚な物語の始まり
狂花月夜が夕闇倶楽部に加入したと言われた、次の日。
部室には遠乃と千夏、そしていつもは雫がいる席に……それはいた。
「あ、誠也! おっはよ~!」
「……おはよう」
「ねぇ誠也、聞いてよ! この娘って気持ち悪いくらい怪異に詳しいのよ!」
「オカルトにも造詣が深いなんて……やっぱり、狂花さんは最高です!」
僕が入っても、三人は僕の方を見向きもしなかった。
強いて言うなら、遠乃が軽く挨拶を交わしてくれたくらいだろうか。
彼女とは、古くからの友人のように会話の花を咲かせているというのに。
「…………」
――この女は、本当に何者なんだ。
いきなり現れて、大学の人気者になって、あらゆる人間から賛美を受けて。
もちろん世の中にはあらゆる人間に好かれ、場に溶け込める人物は存在する。
しかし、それは類稀なる能力や人格があって初めて成り立つものである。
僕から見たら、彼女にそんな能力があるとは思えない。
ただの僕たちの日常の中に紛れた不純物。そうとしか見えなかった。
「あ、そういや昨日の箱のこと忘れてた。どうだったー?」
「誠也くん、何でそこに突っ立ってるの~? 早くここに来れば♪」
急に向けられる疑問の眼差し。
ああ、そうだったな。僕はやらなければいけないことがあったんだ。
「……箱はもう大丈夫だ。店長さんが処理してくれると」
「そうなの、ありがとね」
「ああ、ちなみに僕はこれで帰ることにするよ」
「えっ? せっかくなんだし、月ちゃんとも話してけば――」
「悪いが、用事がある。それじゃ」
本音を言うと、今の夕闇倶楽部には1秒たりとも居たくなかった。
え、ちょっと、待って、と何か言ってくる遠乃を無視して足早に去る。
ちなみに千夏と狂花さんから呼びかけられることはなかった。
……まあ、どうでもいいけど。別に気にしてない。
「あ、おはよう。誠くん」
「……雫か。おはよう」
外に出ると、目の前の廊下で雫と会った。
どうやら体調はすっかり良くなったようだ。……それは良かった。
しかし、労りの言葉をかける気力すら、今の僕には残っていなかった。
彼女をちらっと見ただけで、僕は無言のまま、立ち去っていく。
「……せ、誠くん?」
その時の僕は一体どんな顔をしていて、どんな様子だったんだろうな。
感傷に浸りながら、見慣れた廊下をひたすら歩いていった。
狭苦しい空間から出てから、どれくらい時間が経ったか。
僕はあれから無心で大学構内を徘徊していた。
そして、辿り着いたのは1号館の目の前にある中庭。
日陰にある小さなベンチを見つけた。そこにゆっくりと座った。
「…………」
何故だ。僕は何故、あんな感情的な行動をしたんだ?
あまり眠れず、正常に脳が動いていなかった……だけではない。
――やはり原因は、狂花月夜だろう。
彼女がいると心が落ち着かない。脳が拒否反応を起こしてしまう。
しかし、そうなる理由はまったく思いつかなかった。
心の中で考えが纏まらず、ため息を吐く。
気分を変えようと空を見上げようとする、その時だった。
「……何だ、あれ」
強い風で何かの紙が、僕の方に飛んで来ていることに気づく。
ほとんど反射的にそれを掴み上げる。……どうやら大学新聞のようだ。
『期待の転入生! 狂花月夜さん! その神秘に迫る!!』
新聞を開いた瞬間、彼女の口の端を吊り上げた笑顔が、一面に放たれた。
内容も読んでみたが……やはり彼女を褒め称えるものばかりだった。
というか大学新聞なのに、内容が彼女の話題以外書いていなかった。
唯一違うところは――端にある小動物連続行方不明事件くらいだろうか。
記者欄を見ると小山千夏と書かれている。確かに千夏らしい記事だな。
そう思うと、どこか懐かしさのようなものがこみ上げてきて笑みが溢れる。
おかしいな、先ほど会ったばかりなのに。
「…………」
時刻が気になったので時計を見る。30分しか経っていない。
次の講義が始まるまでは、時間は余りに余っている。
いつもは部室で暇をつぶしていたんだが、今日はできそうにない。
箱の件以外にも色々と話したいことはあったんだけどな。
……時間の流れは、こんなに遅いものだったか。
あれから何とか暇を潰して、2時限の講義を受け終えた、現在。
……まだ暇だった。しかし腹は減ってないし、話す相手も居なかった。
こんな状態の僕が行ける場所は、夕闇倶楽部の部室以外にはあそこだけだ。
「なるほど。それで私のところに来たというわけね」
「……そういうことだな」
すっかり常連になっている大学図書館。
そこで文芸同好会、卯月に出会ったので今日も仲間に入れてもらった。
夕闇倶楽部のことは……適当に遠乃と喧嘩したとか言ってある。
嘘をつくのは気が引けるが、本当の話をするのはそれ以上に憚られた。
「まったく。いつから駆け込み寺になったのかしら、ここは」
「そういうのじゃない。それに僕は男だぞ」
「まあ、気が済むまでここに居なさい。……あなたなら歓迎するわ」
どこか照れくさそうに告げると、卯月は読書の世界に入っていった。
僕も同じように本を読み始めた。関心のある哲学者の本だった。
「……はぁ」
集中できない。仕方がないので、気分転換で辺りを見渡す。
すると同好会の人たちが、パソコンに向かって文字を打ち込んでいた。
この文芸同好会は部長の意向もあって、本格的な活動をしてるんだったな。
自主的にコンクールに参加しているし、部でも文集を何回か出しているらしい。
……夕闇倶楽部とは正反対だな。
まあ活動量は負けてないと思うけど。いや、むしろ勝ったら駄目か。
そう自分の中で変なことを考えていると、ふとある疑問が僕を襲った。
「……なぁ、卯月」
「何かしら?」
「狂花月夜って女性を知っているか?」
僕の問いかけに、彼女は考えるような仕草の後、口を開いた。
「名前は聞いたことあるわ。話題になっている人みたいだけれども」
「……それだけか? 他に印象は?」
「それだけよ。印象も何も、会ったことないもの」
答えを聞く限りだと、どうやら秋音は彼女に染まっていないようだ。
その他の部員も、僕たちの会話に口を出してくる気配はなかった。
……良かった。ここでなら落ち着ける。
「というより、何で藪から棒に聞いてきたのよ」
「いや、特に理由はないさ――」
「たっのもぉー!!」
僕たちの会話を遮るような大声。
思わずこの場所が図書館ということを理解してない発生源を見た。
……そこには、今の僕が最も見たくなかった顔があった。
大勢の取り巻きを連れた、狂花月夜が気味の悪い笑顔で立っていた。
「あー! 誠也くんってこんなところにいたんだ~! 心配してたんだよ!」
「……何で、ここにいるんだ。夕闇倶楽部はどうした?」
「怖い顔しないでよ~♪ 私は誠也くんと仲良くなりたいだけだから!」
「…………」
僕の刺すような視線を、彼女はすんなりと躱していく。
鬼気迫る緊張感と風船のようなふわふわとした感覚が混じる、歪な会話。
そんな僕たちの会話を見ていた卯月は、それを遮るように割り込んできた。
「……静かにしてもらえないかしら。あと、あなた何の用なの?」
「あ、そういえば。忘れてたぁ~♪ 卯月さんってプロの小説家の娘でしょ!」
「え、ええ。その通りだけど」
「それなら、私が書いた小説を読んでくれな~い♪」
「……え?」
どさりと置かれる紙の束。原稿用紙……目測で100枚くらいだろうか。
考えもしなかった一言。様子を伺おうと僕は卯月に目を向ける。
当の彼女は訝しんではいたが、やがて諦めたように息を吐き、受け取った。
「構わないわ。読み終わるまで、静かに待ってなさい」
「ちなみにどれくらいかかるのかな? かな?」
「……これなら30分までには。細かいところは見れなくなるけど」
「ふーん、あっそ。じゃあ頼むねぇ~♪ 」
気の抜ける声と共に、何処かに行く狂花月夜とその集団。
人とは思えない五月蝿さだった。あの女も、取り巻きの連中も。
あの女はともかく……何故揃いも揃って常識が崩壊しているのだろうか?
「……はぁ」
未だに状況を把握しきれてない卯月が、ペンを片手に紙束を手に取った。
「…………!」
――それを読み始めた瞬間、卯月の顔が歪んだ。
それは驚きや感動というよりは、拒絶や忌避というもの。
もはや彼女の瞳は、もはや小説を読んでいる時のものではなかった。
まるで人智の及ばない何かに遭遇してしまったかのような、深淵に潜んでいる魔物を見てしまったかのような、慄然たる様子で凝視している。
見るからに、明らかに様子がおかしい。
あ、ペンが手から落ちた。急に手がアル中顔負けの勢いで震えだした……!?
……何だ? あれに何が秘められているというんだ!?
「う、卯月部長……!?」
文芸同好会の部員たちも部長の恐ろしき姿を見て、戦々恐々としている。
そんな中、狂花月夜とその取り巻きは、遠くの方で笑いながら話をしていた。
「……よ、読み終えたわ」
あれから長い時間を経て、卯月が弱々しく告げる。
読み終えた彼女は頭痛をこらえるように頭を抱えている。
僕は彼女に敬意を表するとともに、一刻も早くその原因を突きとめたかった。
……大方、どういったものかは予想できるが。
「どうだった? どうだった?」
対する狂花月夜は彼女の姿を見ても、自信に満ち溢れた目を輝かせていた。
周りの人間も期待で胸を膨らませているようで大いに盛り上がっている。
そんな呑気な姿に、彼女は鋭く目を吊り上げて――口を小さく開いた。
「……問題外ね」
そう、簡単な一言。その言葉に、場の空気は凍りついた。
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