第8話 日常が壊れていく

 文芸同好会の活動も終わって、大学からの帰り道。

 頭を使うのも疲れるんだということを実感しながら、夕暮れの道を歩いていた。

 案の定、僕の書いた物語は卯月からは猛烈に批判された。

 まあ時間不足による手抜き作品だから当然だろうな。

 むしろ僕の作品に対して丁寧に推敲してくれた卯月に感謝したいくらいだ。

 ……だが、もう一度彼女に見せることを考えると、憂鬱になるのも事実だった。


「あ、そうだ」


 ふと皆に連絡をしたことを思い出す。流石に返信が来てるはずだ。

 携帯を見ると、予想通り、連絡が来ていることを示すアイコンが出ていた。

 それに加えて、遠乃から個人的に連絡が来ている。

 まずはそちらを見てみることにした。


『お疲れ様。詳しいことは明日お願いね』


 そんな内容で来ていた。質素で簡潔なメール。ただ下の方に追伸があった。


『あと狂花月夜って娘がいたでしょ? 夕闇倶楽部に入ったから、よろしく』


「……え?」


 考えもしなかった、突拍子もない一文。

 ほぼ反射的に、夕闇倶楽部のグループトークの連絡を見た。

 初めは報告に、三人からの『お疲れ様』の意味が込められた返事が来ている。

 そして、流れるように下へスクロールをしていくと、その続きには。


 ――狂花月夜が参加しました


 ただただ機械的なメッセージが、平然と存在していた。

 ……何でだ? 何で、この女がこのグループトークにいる?


『よろしくね♪』


 その文章に続いて、彼女からの簡潔な挨拶が続いている。

 それに遠乃と千夏から返事をして、そこから色々と質問攻めをしていた。

 内容は特殊なものはない。二人の簡単な質問に、狂花さんが簡単に答えていく。

 特に千夏は普通の時の倍以上、トークに参加していた。

 何というか、千夏はこの人に相当入れ込んでいるようにも見えた。


「…………」


 そんな光景に、思わず僕は黙り込んだ。歩くのも止めていた。

 色々な思考がせめぎ合って、体が動かなくなっていたのだろうか。

 ……数秒くらい、この場でじっとしていた。

 その後、体の感覚を取り戻した僕は、渦巻く思いを抑えて指を動かす。


『何で狂花さんが夕闇倶楽部に入ったんだ?』


 唐突すぎないかとは打ってから思った。でも純粋な疑問だった。

 彼女の異常なまでの人気を考えれば、他のところでも引っ張りだこだろう。

 わざわざ夕闇倶楽部というサークルを選ぶ理由が、彼女にあるのか。


『私ってオカルト大好きなの~♡』

『それにこういったチンケな弱小サークルの方がやりやすいし~♪』


 オカルト好き、それなら有り得る話ではある。しかしかなり意外だ。

 それにチンケ、弱小とは……。間違ってないが、他に言い方はなかったのか?

 呪いの箱を持ちながらお店に向かうために大学構内に出た時、そこら中から聞こえてきた噂みたいに、人から優しいだとか、そう噂される人間の言動と思えない。

 納得がいかない腹立ちを感じつつ、彼女にどう返そうか考えていると。


『それとも何か問題でもあるのかな?』


 心を見透かされたような回答に、心臓を強く打たれた。

 ああ、確かに問題はない。問題はないはず。彼女の言う通りだ。

 ――だが僕は、直感的に生理的に受け付けない何かを感じ取っていた。

 彼女が夕闇倶楽部に、僕の近くに居たら大変なことになる。

 そんな予感にも思えた。

 しかし、自分の直感だけで突っ走るなんて、”あいつ”でもないのにできない。


『何でもない。これからよろしくお願いするよ』

『うん! よろしくね、誠也くん!!』


 今の僕には、当たり障りのない返答で誤魔化すしか方法はなかった。

 その後は遠乃と千夏、そして狂花月夜たちの会話一色に染まっていた。

 ……まったく入れない。活発なその会話の輪に見えない壁を感じる。

 僕は参加しなかった。雫もそうしていたが、彼女は寝てるのだろう。

 端から見ると楽しそうに見える三人の会話を、尾を引かれる思いで眺める。

 そんな光景に上手く言い表せないが――心を掻き毟りたくなる感覚に襲われた。


「……大丈夫、だよな」


 気分と裏腹な僕の呟きは、暗く暑さの残る住宅街に消えた。




「ただいま」

「……おかえり。……お兄ちゃん、元気ないね」


 家に帰ると、昨日と同じように依未が出迎えてくれる。

 相変わらず無表情だが、その表情から垣間見える柔らかい笑みに救われた。


「文学同好会の方で色々あってな」

「……ふーん、そう」


 だが、悩みを打ち明けるまではいかない。うまく誤魔化しておく。

 大切な妹を不安にしたくないし、怪異に巻きこませたくなかったからだ。

 しかし、そんな僕の態度に依未は不審そうな視線を向けて、体を近づけてきた。


「……箱の匂いがなくなった」


 ぼそりと呟かれた言葉に僕は改めて安心した。

 でも、これで僕たちに迫る怪異が完全に終わったわけではなさそうだ。

 僕を見上げた依未の表情が、深淵の絶望を垣間見たようなものだったからだ。


「でも、もう1つの方が……。もっと強くなってる……」


 ……強くなってる。

 依未は恐怖で震えてたが、僕はどこか納得した感覚を覚えていた。

 ここまで来ると、匂いの正体は簡単に推測できる。――狂花月夜、あの女だ。

 おおよそ真っ当な人間とは思えないくらいの異様な外見と雰囲気。

 大学で多くの人に認知されるだけでなく……多大な人気を集める力。

 加えて、まるで元々その場にいたかのように集団を錯覚させて溶け込んでいく。

 それに僕たちの身近な怪異だと考えられるものとして、彼女以外にいないのだ。


「……そうか」


 だが、僕は依未に弱々しく頷くしかできなかった。

何故ならばあれこれ決めつけたところで結局の所は消去法だったからだ。

 依未の力という僕が最も信頼できる根拠が元とはいえ、別の確たる証拠はない。

 それに自分や周りに怪異が迫っているなんて信じたくなかった。

 ……とりあえず現状は様子見だ。

 今すぐ行動するのは無駄、それどころか藪の中の蛇を出してしまう。


「……ねぇ、お兄ちゃん、本当に大丈夫?」


 そう自分の中で結論付けた時。

 僕の様子を心配そうに伺っている妹の存在に気づいた。


「大丈夫。それよりも今日は僕が夕飯を作る番だったよな」

「……え、うん。……そうだけど」

「これから作るよ。依未は自分の部屋でゆっくりしていてくれ」

「……うん」


 強引に話を終わらせて、台所に向かった。

 依未は僕なんかよりも鋭い。これ以上話していたら見透かされるかもしれない。


「今日はカレーにするか」


 冷蔵庫の野菜室に残った人参や玉ねぎを取り出しながら、今晩の料理を決める。

 ……といっても、僕が台所に立つ時はカレーみたいな簡単のしか作らないけど。

 理由は面倒臭いというのもあるが、一番は単に実力の問題だ。

 逆に依未は凝った料理を作ってくれる。そんな妹が羨ましく、好きでもあった。


「…………」


 こう料理していると、単純作業の連続になるためか……色々と考えてしまう。

 狂花月夜のこと、夕闇倶楽部のこと、そして皆や僕の周りの人のこと。

 僕があれを怪異だと信じたくないのは、何も怪異が怖いという理由ではない。

 周りの人たちが異様なものに取り込まれるような、そんな感覚に陥るからだ。

 噂話をしていた人たちのように、狂花月夜一色に世界が塗り変えられていく。

 そんな時、講義の中で考えていたとあることを不意に思い出した。


 見ている日常の風景が消えたら、信じている周りの全てが壊されたら。

 ――僕たちは、どうなってしまうのだろうか。


 霧のかかった不安に押しつぶされながら、僕は目の前の野菜を切っていく。

 聞こえる音は、野菜を刻む音と妹が見ているニュース番組のものだけだった。

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