第3話 雨と月の文学少女

 見渡す限りの無数の本棚。

 年季の入った湿っぽい本の匂いは、僕の鼻孔をくすぐっていた。

 そこは大学図書館。夕闇倶楽部の部室と同じくらい訪れてる場所だ。

 僕たちは呪いの本を調査すべく、遠乃に連れてこられたのがここだった。

 ……確かに『普通』の本を探すのなら正しい。

 しかし。しかし、だ。


「本、本、本! いつ来ても頭が痛くなるわね……」

「……なぁ、遠乃」

「何よ」

「大学図書館に呪いの本なんて代物、あるわけないだろ……」


 ここは学問を志している者が必要な知識を得るための学術的な場所。

 幾多の年月から積み重なった叡智の集合体、神聖な空間なのだ。

 学問性がない、存在するか判明しない呪いの本を求めるのは場違いである。


「ふっふーん。可能性はあるわよ」

「……どうしてそう思うんだよ」

「こーゆー薄暗い図書館の地下って、いかにも何かある感じがするから!」


 いや、断言する。絶対にないから。

 司書さんに顔を覚えられるくらい、ここに訪れている僕が保証する。

 ……ということは、来る前に何度も何度も伝えた。

 だが、こいつは耳を傾けてくれない。少しは人の話を聞いてくれ。

 ちなみに宮守さんは用事があるようで、昼ごはんを食べた後は僕たちと別れた。

 こんな阿呆なことに付き合わせるのも何だし、それは良かったと心底思う。


「でも探すのは苦労しそうよね。あー、こんな時に、あの文系根暗女がいれば」

「こんなところで珍しいわね、夕闇倶楽部のチンパンジーさん」


 遠乃の言葉を遮るように入ってきた、ちょっと尖った低めの声。

 僕はこの主に覚えがあった。


「やはり、卯月か」

「青原くんもいたのね。あと、あなたは……やお……八百屋さん?」

「や、八百姫です」

「そうだったの。ごめんなさい」


 いかにも文学少女といった、落ち着いた雰囲気の女性。

 卯月秋音うづきあきね。僕と同じ専攻に属している数少ない友人だ。


「誰がチンパンジーよ!? 何でどいつもあたしを霊長類に例えたがるの!?」

「あなたが人間未満だからじゃない? そして文系根暗女って何よ」

「あたしほど賢くて人間ができている人はいないと思うのだけどねぇ」

「…………」


 本気で言っているか、冗談で言っているかは僕でも判断しかねるが。

 もし前者ならば「汝自身を知れ」と言いたい。


「……あなたたち、何の用件で図書館に来たの?」

「そういえば、あんたを探していたの! 呪いの本って知らない!?」

「はぁ?」


 ただでさえ険しかった卯月の表情が見る見るうちに悪化していく。

 そして僕に「この馬鹿が言っていることを翻訳しろ」という視線を送ってきた。


「えっと、だな……」


 とりあえず、要望に答えるとしよう。

 夕闇倶楽部が呪いの本に興味を持っていること。

 その調査のために(この馬鹿主導で)来たこと。

 なるべく誤解を生まないように、わかりやすく伝わるよう努力はした。

 なのだが肝心の卯月は――やはりと言うべきか、頭を抱えていた。


「……青原くん」

「うん、何だ」

「大学図書館に、そんなものあるわけないでしょ」


 いや、可哀想なものを見る目で言われなくてもわかっている。

 おそらく一般的な常識を兼ね備えた大学生なら知っていて当然だろう。

 しかしそんな常識なんて、我らが夕闇倶楽部の部長には通用しない。


「なら他の場所はどうなの? あんた、本には詳しそうよね」

「私は、この図書館や近辺の本屋にある大体の本を把握している自信があるわ」

「本当!? じゃあ何か知ってるでしょ、教えなさい!!」

「さっきから静かになさい、阿呆女。そんな噂を聞いたことはないわね」

「人をディスる割には使えないわね! 根暗女!!」

「……むむっ」

「……ぬぬっ」


 二人の間に火花が見える。嫌な険悪なムードが立ち込めていた。

 遠乃は相変わらず敵意丸出しだし、卯月も図書館の中だから冷静さを守っているが、その我慢がいつ爆発するかわかったものじゃなかった。


「とりあえず、私に頼るのは諦めなさい」

「はぁ……。どうやら自力で探すしかないようねー」

「それじゃあここから手分けって感じで大丈夫かな?」

「そうね。じゃあ調査開始! 50分くらいに入口で会いましょ」


 そう言って手を振った遠乃が地下二階に、雫が上の階に向かった。

 さて。無駄だと思うけど、僕もそろそろ行くか。そうしようとした時。

 卯月が僕をじっと見ていることに気づいた。


「……あなたも大変ね。まだ、あんなのと一緒にいるの?」

「まあな」

「時間の無駄ね。私たちの方がまだ有益なことをしているわ」

「そうだな。でも、こういうのも悪くないぞ」


 端から見たら無駄に思えることだろうが、僕は嫌いじゃない。

 無駄を楽しむなんて真似ができるのが、大学生の特権だろう。

 それに、こういった無駄にこそ普通では味わえない何かが潜んでいる。

 だからこそ僕は夕闇倶楽部にいて、文句を言いながらも活動をしてるのだ。


「ふーん、そう」


 そんな僕に対して、どこか寂しそうに見える感じで呟く秋音。

 しかし、すぐに口元を釣り上げて、嫌な笑みを浮かべた。


「でも、締切はちゃんと覚えているわよね?」

「うぐっ」

「文芸同好会の部長として改めてお願いするわ。……締め切り以内にね」


 ……痛いところを突かれた。

 卯月の言う締切とは、1週間後に文芸同好会に寄稿する短編小説のこと。

 文集のテーマがホラーのため、夕闇倶楽部の僕にも依頼が届いたのだ。

 初めは、創作活動に精を出すのもいいだろうという実に愚直な考えだった。

 しかし、そんな考えは、遠乃に押し付けられた脚本と一緒に打ち破られた。


「締切ってあんなに重圧があるんだなぁ……」

「そうよ。プロの小説家はそれに日々苦しんでいるの。私の父も締め切り前になると毎晩のように発狂して、騒ぎ出して……その度に母からドロップキックを食らっているわ」


 随分と逞しい女性なんだな、卯月の母親さんは。

 ちなみに彼女の父親は本一筋で食べていけるくらい著名な作家だ。

 その血を引いているためかどうかは分からないが、彼女も中々良い文章を書く。

 だから大学二年で部長という役職を任されてるのだろう。


「まあ、行き詰まったら私のところに来なさい。あなたには期待しているし」

「……今のところは遠慮しておきたいな」


 卯月の性格から考えると、ものすごくしごかれそうだ。

 それにあまり期待されたような目で見られるのも気が進まなかった。


「というより、大丈夫か? 僕に卯月の目に適うものを作れるとは思えないが」

「青々とした春の柳を庭に植えないように、私は軽薄の人と約束は交わさないわ」

「そ、そうか。……なら、信頼に答える努力は約束するよ」


 後ろ向きな僕に、雨月物語の一文を交えて背中を押してくれる卯月。

 そんな姿は先ほどの寂しそうなものと変わって、嬉しそうに見えた。


「まあ、頑張りなさい」

「ああ、ありがとう」


 その後は簡単な会話を交わして、僕は別の場所へ向かった。




「はー、結局見つからなかったわね」


 あれから数十分は経った頃。

 結果は遠乃の言葉通り。まあ当然だろう。


「ま、まだ諦めないけどね。もう少し調べてみるべきだわ!」

「それなら僕はパスだな。講義がある」

「えー。サボりなさいよ、そんなもん」

「お前じゃないんだから……」


 何と言われてもここは絶対に譲れない。

 そもそも大学生の本分は興味・関心の分野の学を深めることである。

 卯月に威勢よく言ったものの、無駄を楽しむのはやるべきことをやってからだ。


「はぁ。しょうがないわね。じゃあ今日はシズと二人っきりかー」

「とおのんと二人は久々だね。ところで、何をする予定なの?」

「とりあえず今はここで探索して、なかったら明日に回して、あの木箱に挑戦!」

「えぇ……」


 何というかご愁傷様だ。

 ……でも、雫は満更でもなさそうだが。

 強引に突っ走っていく遠乃に、受け身で優しい雫。

 それこそ変な噂が立ち兼ねないほど、二人の相性はいいんだろう。


「あ、それでとおのん。木箱のことで、ちょっといいかな」

「何かしら?」

「あの木箱を見ていると……何か変な感じがしない?」

「そうなの? あたしは大丈夫だけどね~」


 どこか引っかかるような会話を交わして、二人は去っていった。

 さて僕もこっそり見つけた良い本を借りてから、教室に向かおう。


「うわぁ……」


 本の海から出てきた僕を迎えたのは、人の海だった。

 人数は……ざっと40人前後といったところか。

 大学でこんなに多くの人数が集まるなんて見たことがない。

 眺めていると、人と人との隙間から集団の中心にいる女性の姿を見た。


「――、――」


 髪は腰まで伸びた艶やかな銀色。顔立ちは西洋の人形のように整っている。

 服装は豪華絢爛だが、かなり特徴的なものでもあった。可愛い飾りが幾つも付いている、ドレスのような服。見たことあるが……何という名前の服だろうか。

 そして、個性的の塊な彼女で何より目立つのは、遠くから明瞭に見えるほど存在感を放つ"オッドアイ"。

 右は蒼色で、左は紅色。どちらも宝石のような煌めきを放っている。

 彼女を簡単にまとめるなら異常。非日常。非現実的。それを本能的に感じた。


「……あっ」


 不意に彼女の目と、僕の目が合ってしまう。

 彼女はにこりと笑って、僕に向かって手を降ってきた。

 突如して元々騒がしかった集団が、更に大きく騒ぎ出し始める。

 今のあれは俺にした、いや私がという取り巻きの声が否応なく聞こえてくる。

 僕は厄介なことに巻き込まれる前に、駆け足でこの場を去ることにした。


「何だったんだ……?」


 ――彼女はこの大学の生徒なのか? 

 ――そうなら今まで彼女の存在が出てこなかったのは何でだ? 


 そんな疑問が僕の中にふつふつと湧いてくる。

 あの出来事の記憶は講義中も思考の片隅に残り続けていた。

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