第4話 怪異に惹かれて廃寺参り
僕たちの視界に広がってきたのは、今までの山道とは違う空間。
霧は完全に晴れていないため白い靄はうっすら立ち込めていたが、ぼんやりと見えた目の前の光景には、この世のものとは思えないほどの異様性を感じていた。
「どうやら私たちは、噂の寺に来ちゃったらしいわね」
目の前の、所々に深緑色の苔がこびり付いている階段。
その先に微かに見えるのは山門。もし噂が真実なら、それは廃寺の入り口。
……忌児の廃寺は、本当に存在していたのか。
だが、今の僕たちは未知の怪異を発見できた好奇心よりも。
――深淵的な空気に飲み込まれそうになる不安が、圧倒的に勝っていた。
「電波は……微量しかないようね。圏外すれすれみたい」
スマートフォンを見ながら、麻耶先輩がそう告げた。
確認してみると、確かにかろうじて電波があるという趣旨のマークが出ていた。
だが、この様子だと先の調査では頼りになることはないだろう。
「……ど、どうしようかな、とおのん」
「ふっふーん。そんなの決まってるじゃない! 行くわよ!」
「や、やっぱりぃ」
「当然よ! 良いですよね、麻耶先輩?」
「……良いけれど。でも、ここからは絶対に一人にならないようにね」
調査中には1人だけならない。というのは怪異の調査を行う時の常識だ。
この異常な雰囲気、道の先は怨霊たちが住む異界に繋がっている可能性がある。
もし彼らに取り込まれてしまえば、この世に帰ってこれなくなるかもしれない。
怪異の調査は、そんな人の常識なんて通用しない危険性を常に持っている。
だからこそ、出来る限り多人数で行動する必要があるのだ。
「わかってますって! さぁ、折角の怪異よ! 行きましょ、みんな!」
「……本当に、分かっているのかしら?」
しかし、そんなことは遠乃には通用しない。
威勢のいい掛け声と共に慌てふためく雫を連れて階段に踏み入れていった。
……雫は大丈夫だろうか? 見たところ、疲れてるみたいだけど。
「……こんな時にも元気がいいですね。遠乃先輩」
「ええ。色々と言ったけれど、この倶楽部を任せてよかったとは思うわ」
確かに遠乃にはリーダー力というか、人を引っ張っていく力はあるとは思う。
現にこの状況で突っ込むなんて真似、この馬鹿にしか成し得ないだろうし。
「そろそろ私たちも向かいましょう。二人に先を越されちゃうわ」
「あ、はい!」
先輩に言われて、僕たちも階段を上り始める。
何はともあれ、ここから調査開始だ。気を引き締めていかなければ。
底知れない不安もあるが、今は廃寺を調査することに専念しよう。
先が見えないほど長い階段は、質素な石造りになっていた。
あらゆるところが崩れていて、腐った落ち葉や花びらは無残に散乱している。
もちろん手すりなんてものはない。足を滑らせたら即落下だ。
そんな心許ない石段を、僕たちはひとつひとつゆっくりと登っていった。
「先輩。こういう場所での撮影って駄目なんですか?」
「駄目ではないけど、出来るなら控えてね。あちらの世界の者に失礼よ」
「そうですか、気をつけます」
「あと、ここの物は持ち帰らない。食べるなんて論外。二度と帰れなくなるかも」
「……わ、わかりました」
後列にいる先輩が、千夏に調査の心得を指南している。
もう駅や喫茶店にいた時のふざけた言動は、すっかり消え失せていた。
今は凛とした眼で調査に臨んでいる。それを見た千夏が僕の腕を突っつく。
「麻耶先輩、ここに来てから雰囲気が変わりましたね」
「言っただろう。こういう時は頼りになるって」
「その通りですね。疑って悪かったです」
まあ初対面で、あんな訳のわからない挨拶をされれば疑いたくもなる。
だから千夏の驚きは真っ当なものだろう。
そう思っていると、二人の様子がおかしいことに気づいた。
「おい、どうかしたか?」
気になったので、早足で彼女たちのもとに向かう。
心配に思った僕の問いかけに、力を失ったような表情で二人が答えた。
「……流石に疲れたわ」
「……あんなに走らされて、もう疲れたよ」
「…………」
まあ、雫は仕方がないか。隣の馬鹿に付き合わされたからだ。
――問題は遠乃、お前だ。
どうしてあんなに元気が良かったのかと思えば。
単に後先考えてないだけだったらしい。
そんな遠乃に怒りがこみ上げたが、怒っても何も解決しないのも事実だった。
「はぁ……。わかったよ、僕ができることなら手伝うぞ」
「おんぶー」
「ぶん殴るぞ」
「えー、ケチー。非力ー。童貞ー」
仲間として協力を申し出た僕に、こいつは散々な言いようだった。
仮にも女子大生の遠乃を背負いながら階段を上る、できるわけがない。
やっぱり前言撤回。こいつは放っておくことにする。自業自得だ。
「雫はどうだ? 何かやれることがあったら言ってくれ」
「わ、私は……手を貸してくれると、嬉しいかなって」
「そ、そんなことでいいのか?」
「うん。それだけで、いっぱい力をもらえるから!」
確かに転落防止にはなるだろうけど、本当にそれだけでいいのだろうか?
雫の真意があまりよく理解できないまま、言われたとおりに手を貸した。
「えへへ……」
……何というか、ちょっと恥ずかしい。
でも雫は嬉しそうだし、元気も出ているようだから良しとしよう。
羞恥心が迫っている自分に、そう繰り返し言い聞かせて進むことにした。
「ぜーはー、ぜーはー」
その時、息を荒くして辛そうな遠乃の姿が目に入る。
流石にあんな様子を見ると、僕だってミジンコの体重くらいの哀れみは感じる。
「おい、遠乃。片方開いてるぞ、どうだ?」
「別にいい。あんたと手を繋ぐぐらいなら、一人のほうがマシだわ」
しっしっしっと、そんな手振りで追い払われてしまった。
何だ、その態度は。人がせっかく気にしてやっているというのに。
「それにこんな空気が読めないほど、あたしも馬鹿じゃないわ」
「こんなところで、何やっているんですかねぇ…」
「あら、微笑ましくていいじゃないかしら。頑張ってね雫ちゃん」
にやにやと嫌な笑みを浮かべる遠乃。
そして、後ろにいる先輩と千夏も同じような表情であることに気づく。
おや、雫がやってほしいと頼んできただけだ! 別にそういう意図はないから!
場所に合わない変な雰囲気に染まりながら、僕たちは古寺に向けて歩を進めた。
「お、見えてきたわ! あの……お寺のなんかどでかい門!」
「山門、な」
そうしている内に、目的の場所に辿り着きそうになっていた。
疲労と、ある種の達成感を覚えていた僕たちを出迎えたのは、巨大な山門。
それ自体は先ほども見えていたが、やはり近距離だと感じられる迫力が違う。
僕たちのような人間を排除する、威圧的な雰囲気を帯びているように見えた。
「お、やっとついたわね。なかなか雰囲気のある場所じゃない」
僕が目を離した隙に、門をくぐった遠乃が感嘆の声を上げる。
そこには千里先まで続くかのように感じるほどの広い境内が広がっていた。
雲で太陽が隠れているため薄暗く、この空間はただならぬ空気が漂っている。
「……私たちが思っていた以上に広いですね。どうしましょうか」
「ここをくまなく探索するには骨が折れそうね。現在時刻は3時7分か。できれば夕暮れまでにはこの山を降りられるようにしたいのだけど」
僕たちが通ってきた道に灯りの類は見つけられなかった。
おそらく日が沈んでしまえば、あの道は暗闇に沈んでしまうだろう。
できることなら……色んな意味で、その状況だけは避けたい。
「どうします? あたしは二手に別れたほうがいいと思うんですけど」
「そうね。本当はしたくないのだけど」
先ほどのように、夕闇倶楽部の調査では人が分散することを避ける。
しかし、この場所においては、危険な方法を選ぶしか方法はなかった。
「なら、あの本堂に侵入するグループと周辺を探索するグループに分けるわね」
「メンバーはどうするんですか?」
「まず前者のグループが私と誠也くん。後者をそれ以外の三人にするわ」
「えー! あたしもあそこに行ってみたいんですけどー!」
「我儘言わない。あなたは皆の部長なんだから。記録には残すから我慢してね」
「……はーい、わかりました。さ、シズ、千夏、レッツゴーよ!」
「あ、待ってー! とおのーん!!」
「今回は麻耶先輩と一緒になりたかったのですが。ま、しょうがないですね」
僕もこのグループ分けに異論はなかった。
ただ心配が残るとするならば、遠乃のことだけだろうか。
ちゃんとリーダーとしての役目を果たしてくれればいいのだが。
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