8. 花火に夜空を

8. 花火に夜空を



 灯は二年前のことを思い出し、体を震わせる。時々、思い出しては抗いきれない恐怖に支配されることが灯にはあった。

 こうなっては勉強も手につかず、灯は気持ちを落ち着かせようと大きく息を吸い、勢いよく吐き出す。けれども未だ恐怖は抜けきらず、心臓の鼓動は苦しく脈打つ。心臓が鳴るたびに灯は苦しみに顔を歪めた。

「まだ、二年前、なのか」

 灯は恐怖に抗おうと何かを探すことにした。過去を忘れられる何かが灯には必要だった。

 自室から出て、妹の夜空の部屋に向かおうとして、電灯がついていないことに気がつく。いつも夜空が部屋にいる時は光が扉から漏れていたためである。

「寝ちゃったのかな。夜空ちゃん」

 仕方なく、母親とともにドラマでも見ようかと灯は階下に降りた。

 階段を降りて真っ直ぐのところに玄関がある。灯は階段を降りたところで妹の夜空に出くわした。その妹が玄関から出ようとしているのを見て、灯は一瞬顔をしかめた。今は深夜とはいかないまでも、陽は落ち、外には夜の帳が降りている。そんな時間に6才の女子が外に出ようというのだ。

 夜空はまだ灯に気がついていないようだった。灯はさりげなく夜空に尋ねることにした。

「夜空ちゃん、どこか行くの?」

 びくり、と夜空は大きく肩を震わせる。そして、おずおずと灯の方へと振り返った。

「女の子が夜遊びとは感心しないぞ?」

 灯は自然とできるようになった笑顔を夜空に向ける。だが、心の中は恐怖でいっぱいだった。それを悟られないために灯は平静を保とうとする。

「その……これは……」

 夜空は大きく息を吐いた。そして、灯を見つめる。自分を見つめる夜空の眼差しを見て、灯ははっとさせられる。その瞳はいつになく決意に満ちたものだったからだ。そんな瞳をした人間を灯は知っていた。それ故に、その人物の末路を知るがゆえに灯は言いようのない恐怖に心を支配されてしまった。

「私、ともだちと花火を見に行く。お父さんたちには内緒にしててくれないかな」

 灯は久々に夜空がお父さんと父親を呼ぶのを聞いた。それは実に二年ぶりのことであった。

 そして、ただ遊びに行くというだけではない気迫を感じ取って、灯は夜空に何らかの事情があるのだろうと考えた。

「夜空ちゃん……」

 灯は夜空を引き留めようとして、それではいけないと考え直した。

 夜空の決意に満ちた眼差しはもう、姉に守られるだけの存在ではなくなったのだと灯に感じさせたのだ。

 ただ一つ、灯には夜空に聞いておきたいことがあった。

「2年前、夜空ちゃんが4歳だった時のこと、覚えてる?」

 夜空は首をかしげる。

「2年前、一度夜空ちゃんは少しの間私と一緒に別のお家で暮らしてたんだけど」

「あんまり覚えてないかな……」

 灯も4歳の時のことを覚えてはいないので、安心する。

「そっか。このことは秘密にしておいてあげる。けれど、夜空ちゃん。危ないことだけはしないでね」

 灯は泣き出しそうになる心を必死で抑える。そして、純粋に妹の成長を喜んだ

「うん。なるべく早く帰ってくる」

「わたしもバレないようにしておくね。帰りは裏口から入って来た方がいいかも。なにか合図してくれたら、中から鍵を開けるよ?」

「ありがとう!」

 夜空は灯に笑顔を見せて、玄関から外に飛び出していった。

 灯は夜空が変わったのを見て、複雑な気持ちだった。


 2年前、灯が6才の時だった。

 あの日、あの時のことを灯は思い出したくなくても思い出してしまう。

 夏の暑い昼のこと。道場で灯は師範と稽古をしていた。その時に夜空も見学をしていた。その頃から夜空は真面目な子どもで、灯のなぎなたさばきを食い入るように見つめていた。

 灯が練習をしていた途中に灯の目には異様なものが映った。

 道場の縁側で見学をしている夜空に向かって巨大な怪物が歩みを進めていた。その姿は芋虫そのもので灯は思わず滑稽に思ってしまった。

「夜空ちゃん!」

 灯は夜空を急いで抱きかかえて道場から去っていく。4才の妹は6才の灯からすればまだまだ重い。しかし、目に映った異形は夜空に危険を及ぼすものだと灯は確信したのだった。故に、必死で走った。

 どこまでも異形は灯を追ってくる。運動による疲労と得も言われぬ恐怖で灯の心臓は張り裂けそうだった。知らないうちに知らない場所に灯は来ていた。

 石に躓きその場に倒れる。必死に灯は離れてしまった夜空に手を伸ばす。けれど、もう灯は少しも動けない状況だった。

 何も守れない自分の弱さに灯は泣いた。強くても恐怖にひれ伏してしまう己の弱さを嘲った。灯は全てを諦めてしまった。

 けれど、灯と夜空の前に一人の少女が現れた。夜空はその少女のことを今でも鮮明に覚えている。何故か上半身が薄いシャツの小学校高学年ほどの少女だった。

 その少女は異形と灯たちの間に割って入ると大きく腕を広げた。足は震えている。肩も震えている。けれど、決して少女は逃げ出すことがなかった。

 灯には少女が灯以上に怖がりだと分かった。けれど、見ず知らずの人のためにどうして命を投げ出せるのか灯には理解できなかった。自分以上に何もできない人間がどうしてそこまで強いのか――

 少女に異形が襲いかかる瞬間、灯は目を閉じた。

 だが、少女の悲鳴が聞こえることもなく、灯はそっと目を開ける。そこにはもう一人少女が立っていた。異形が存在していた場所には炎の海ができている。その海に漂うように黒く長い髪が風になびいていた。

 その後、灯と夜空はともにとある一家に保護された。

 後に、それが自分の家と関りがある家であることが判明し、異形を退けた存在が魔法少女であることも知った。そして、あの異形が魔法少女の敵であり、自分はそれと戦う運命にあることを――

 だが、それ以降、灯は異形を目にすることはなかった。

 一件の後、灯は家に戻った。そして、死ぬ物狂いで強くなろうとした。けれど、強くなるための意味を灯は失うことになる。医師から魔法少女にはなれないことくを言い渡されたためであった。

 灯は救われた気持ちになりながらも未だ異形に襲われたときのことを思い出す。

 そして、夜空が魔法少女になるということにも口にはしなかったものの反対であった。両親もまた、口にはしないものの、夜空が魔法少女になるということには否定的なようだった。

 けれども、夜空は魔法少女になる道をしきたりや義務感ではなく自分の意思で決めたのだった。

「お願い、夜空ちゃん。無茶だけはなしないで」

 灯は悲嘆を隠すために笑顔を手に入れた。


 花火は風呂から上がり、そろそろ寝る準備をしようと思っていた。夏の夜は涼しく、寝やすい。けれども、大抵こういう時はテレビを見てしまって、寝ようと思っていた時間をゆうに超えてしまったりもする。それでも花火は21時には床に就くようにしていた。

「魔法少女ねぇ」

 花火はバラエティ番組に出ている少女を見て、他人事のように呟く。

「ガキのくせに働けるたぁ、いい身分だな」

 ふと、魔法少女になった後の少女たちはどうなるのだろうか、と花火は疑問を抱く。大人になって芸能界デビューという話はまだ聞いたことがない。

「つっても、魔法少女とやらが出てきて2年だしな」

 魔法少女が出てきたころに少女だった女の子もまだ早くて高校生くらいだろう。なら、まだそういう話は早いのか、と花火は途端に興味を無くす。

「ま、魔法少女ってのがなにをしてるのか俺には詳しいことは分からねえんだがな」

 人類の敵と戦っているらしいが、その人類の敵を花火は見たことがなかったので、花火は信じてはいなかった。花火が信じるのは目の前の真実しかない。

「そう言えば、ちょっと前、俺は誰かに助けられたような気がするな」

 幼い記憶を花火は絞り出す。大きな虫に空を飛ぶ少女。そんな夢を見ていた気が花火にはしていた。そして、その頃、ちょうど誰かに大きな屋敷に連れられて多くの子どもと一緒に生活していた記憶が花火にはあった。

「それもまた夢か」

 この現実が夢でない確証もないしな、と夜空は考えることを辞めて、テレビを見始める。司会者が無理矢理に笑いをとったところで、家の外から声が聞こえてくる。

花火ファイアーアーツ!出て来なさい!」

「下の名前で呼ぶな!」

 花火の大声は静かな夜によく響いた。そして、外から聞こえてきた大声もまた、夏の夜に響いていく。

「しもの名前?」

「シタ、だ!した!ルビでも振っとけ!」

 反射的に言ってしまった後、花火は近所迷惑ではなかったか、と心配になる。静かな夜に隣家から笑い声が聞こえることはなかった。

「なんだよ、夜空」

 花火は縁側に立ち、夜空を探す。すると、夜空は門をくぐって猫の墓のある縁側に面した庭に姿を現した。

「テメェ、家の外から叫んだのかよ!外に丸聞こえじゃねえか!」

「花火を見に行こう」

「人の話を聞けよ」

 花火は夜空に背を向け、テレビのある居間に戻ろうとした。

「待ちなさいよ!」

 夜空は庭から縁側に乗り出し、花火の足を捕まえる。

「なんだよ。離せよ」

「花火を見に行きましょう?」

「やだね」

 花火は足を軽く払って夜空の手を振りほどく。そして、居間の畳に腰をおろしてテレビを見始めた。

「知ってる?地デジが終わると今のテレビは見れなくなるんだ」

「お前は地デ鹿の親戚か?」

「むしろ生みの親」

「言ってろ」

 夜空は靴を脱ぎ棄て花火の傍に寄る。

「花火を見に行きましょう?」

「だから、なんで俺が行かなきゃなんねえんだよ。家族と行けよ」

「なんで行きたくないの?」

 夜空は花火と一緒に花火を見に行きたかった。家族と一緒に花火大会に行っても、そこに花火がいないと話にならない。

 夜空が花火と一緒に花火を見たいと思っているのだから、花火もまた、夜空と花火を見に行きたいものだとばかり思っていた。

「行く必要があるかよ。一銭にもなりゃしねぇ」

「花火、見たことある?」

「嫌いだから、見たことはねぇ」

「食わず嫌いじゃん」

「食わねえだろ?花火は」

「じゃあ、見ず嫌いだ。ダっサ」

「なんで花火を見ねえだけでダサいって言われねえとなんねえんだ。わけわかんねえ」

「どうして嫌なの?嫌いなの?」

 花火は冷たい溜息を吐く。

「俺はこの名前で喧嘩を売られることが多いんだよ。ったく、その語源になった花火なんか見るわけねえだろ」

「光は嫌いなの?花火が」

「嫌いだ」

「じゃあ、花火ファイアーアーツは?」

「大嫌いだ」

「恵子ちゃんのことは?」

「ひとのママを名前で呼ぶなよ。それもちゃん付けで」

「恵子ちゃんにつけてもらった名前は嫌い?大嫌い?」

「大好きだよ、バカやろー!」

 言ってしまって、花火は自分の顔が火照ってしまっていることに気がつく。

「じゃあ、花火を見に行こう」

「すまん。どうしてそんな話になるんだ?」

「いいじゃない」

 花火はどうするべきかと考え始める。

「なあ、どうしてお前は花火を見たいんだ?夜空」

「それは……」

 夜空は『恵子ちゃんが花火を見せてあげたいと言ったから』と言おうとしてやめる。

 恵子が望んだから花火に花火を見せたいわけではなかった。

「私が花火ファイアーアーツと一緒に花火を見たいから」

「俺は嫌がってるぞ」

「アンタが嫌がっても、私はアンタと一緒に花火を見たい。ううん。一緒じゃなきゃ嫌だ!」

 花火は夜空の瞳を覗く。そのなによりも真剣な目を見て花火はふっと軽く笑った。

「そういうことなんだよ」

「は?」

「何でもない」

 夜空はテレビの電源を消した。

「テメェが望むものはどんな手段を使っても手に入れろ。他人のことなんか考えるな。それが人間ってもんだ」

「そう。じゃあ、無理矢理にでも連れて行っていいってことね」

「テメェがそれを望むならな」

 夜空は花火の手を引いて、花火の家を出た。そして、走って花火の見える場所まで移動した。


「なあ、夜空。一言いいか?」

「なに?急いでるんだけど」

「どこで花火をやるのか知ってるのか?」

「海でしょ?普通は」

「そうだな。海には来たな。立派な防波堤もある。だが、ここはどこだ?」

「知らないけど」

 花火は夜空を殴る。だが、夜空は華麗に花火の拳をよけた。

「もうかれこれ海について一時間は歩いてるぞ。今日、花火が打ちあがるんだろうな?」

「やっぱり、光も花火を見たかったんじゃない」

「一言も言ってねえ!」

 夜空と花火はバスに揺られて適当に海に向かった。夜空はどこで花火大会があるのか知らなかったが、どのバスに乗れば海に行けるかだけは知っていたのだ。

「きっと屋台の光とかが見える場所よ。ほら、あそこ。いっぱい光がある」

「あそこまでどれだけかかると思ってるんだ」

 夜空には大きな月が光っていた。満月だった。その光に照らされて灯がなくとも足元は見えるのだが、遠くまではよく分からない。故に花火にはどれほど遠くに屋台があるのか分からなかった。

(コイツ、俺以上に大雑把だ。屋台のこととかあんまり考えてねえに違いない。脳筋か)

「ま、疲れたことだし、ここに座りましょう」

「マイペースだな!」

 花火は夜空の調子に呆れてしまうものの、それが楽しいと感じていることに気がついた。

「ったく、仕方ねえ。でも、帰りはどうするんだ?」

「なんとかなるでしょ」

 その言葉を聞いて夜空は大いに呆れる。あの優等生はどこに行ってしまったのだ、と笑顔を見せて花火は思った。

「綺麗な月だな」

 花火は防波堤に腰かけて言った。夜空も花火に寄り添うように防波堤に腰かける。

 夜空にぽっかりと浮かぶ月は波を美しく照らし出していた。

 それだけで花火は来てよかったと満足した。

「それ、プロポーズ?」

「なんでそうなるんだよ」

 花火は夜空が恵子にツキと呼ばれていたことを思い出す。

「夜の空に月の光、か。いい名前じゃねえか」

 月の影とは、月の光を意味するのだと花火は知っていた。それ故に花火は夜空の名前が羨ましかった。

「アンタの名前もいい名前じゃない。花火の光は本当にきれいなんだから」

 その時であった。

 水平線から明るい線が暗いキャンバスに線を引いていった。

「あっ」

 花火が驚きのあまり漏らした声は大きな音によってかき消される。

 空間さえ揺るがすほどの大きな響き。

 音よりも早く夜空に花火が咲いたというのに、花火の心は花火の音に揺るがされていた。

「すごい音」

「もう。音だけじゃなくて、ほら。綺麗じゃない」

 そう。綺麗だと花火は思う。

 でも、花火の明かりに映える夜空の顔の方がもっと美しいとその時花火はは感じていた。

「ああ。すごく綺麗だ」

「でしょう?」

 夜空は花火を見上げながら花火に言った。

「私は、きっと、アンタに自分の名前を好きになってもらいたかったんだと思う」

「なんだよ、そりゃ。曖昧だな」

「だって、私には自分の気持ちがよく分からないから。でも、光のことを親友だと私は思ってる。それだけは絶対に変わらない」

 花火はそう言われたことが妙に恥ずかしく、どう返事をすればいいのか迷った。けれど、答えはすぐに出てくる。

「俺もお前のことを親友だと思ってる。夜空」

 打ちあがる花火は大きな音を立てて二人の少女を祝福しているようだった。星の光る夜空に浮かんだ月は波を美しく照らし出し、二人の少女を優しく見守っていた。

 ただ、この時がずっと続けばいいと二人の少女は思った。

 自然と手を重ねながら。願いを夜空と花火に託しながら。


「終わっちゃったね」

「終わっちまったな」

 重ねた手を離した後、二人は名残惜しそうな声で言った。花火はもう打ち終わったというのに花火が上がっていた虚空をずっと見つめ続けている。花火の跡地には花火が打ちあがった名残である白い煙が立っていた。薄い雲は月を隠していく。

「また……見に来ような」

「うん。また、きっと」

 二人はゆっくりとその場から立ち上がり、堤防の上を立てに並んで歩き出した。

「光は海に来たことある?」

「ないな」

 先頭にいる夜空には花火の表情は見えない。

「フナ虫って虫がいるの」

「ああ、これか」

「え?」

 夜空は振り向いた。夜空の眼前にはフナ虫の腹が見えている。鼻先に近い距離であり、フナ虫は足掻くように足を動かしているものだから、夜空は得も言われぬこの世で最も気持ち悪いものの一つを見てしまった。

「ぎゃー!」

「おい、危ないって」

 海に落ちそうになる夜空の手を花火は掴む。

「離して!というか、フナ虫を近づけるなぁ!」

「これ、多分虫じゃないぞ。一応あいつらも虫に入るのか?」

「だから!冷静に考えてないで!」

 花火はフナ虫を海の中に放り投げた。夜空は安堵の溜息を吐く。

「よくもあんなのを触れるわね」

「あん?触れねぇのか?」

 この世界にはおかしな人間がいるものだという顔をされて、夜空はお前の方が珍しいよという顔で返す。しかし、花火は夜空の表情の意図を読み取れず、首をかしげていた。

「それよか帰り道は分かってるのか?」

 花火は防波堤から降り立ち言った。

「それよか、じゃないわよ!まあ、帰り道は分からないんだけど」

「いや、お前こそ冷静になってるなよ!」

 花火はそう言われた瞬間、不安になった。夜空は花火の不安を見透かし、防波堤から飛び降りて、花火の手を握る。

「一緒にいれば大丈夫!」

「そっち、フナ虫を触った手だぞ」

「殺す!」

 夜空の拳を花火は受け止める。

 その時、夜空の後ろに何かが立っているのを花火は見つけた。

「なあ、あれはなんだ?」

「へ?」

 夜空は花火の視線を追い、後ろを振り向く。そこには白地の看板が立っていた。

「こんなの、来た時あったっけ?」

「さあ、気がつかなかったが……」

 看板には赤い字で帰り道、と書かれていた。書き立てたのか、字からペンキが垂れ落ち、ホラーチックな看板になっている。

「すごく怪しいんだが」

「あー、なるほど」

「なにがなるほどなんだ?」

「この看板に従って行ってみよう」

「お前、怖いもの知らずな所あるよな」

「多分、危険はないから」

「多分、ってなんだよ」

 夜空は看板を見て、確信めいたものを感じていた。

 そして、自分に残されたやるべきことがまだ残っていることを思い出していた。


 翌日、夜空は道場を訪れていた。

「久しぶりだね、夜空ちゃん」

 夜空は師範の顔を見るや否や、なぎなたを抜く。

「師範。いや、立花薫。私と戦ってください」

「そうか。もうこの時が来たんだね」

 時は満ちた、とばかりに師範は立ち上がる。そして、道場にかけてあるなぎなたを一つ手に取った。

「夜空ちゃんにはしんゆうができたんだね」

「名前をヒカリ花火ファイアーアーツと言います」

 師範は表情一つ変えず、夜空を見つめていた。否、睨んでいるのだと夜空は悟る。

「そして、アンタの子どもだろう。光は」

「ちょっと違うけどね」

 師範はなぎなたを軽く振り、足先に剣先を向ける。夜空もまた、なぎなたの先を足先に向けて構えた。

 どちらが合図するまでもなく、二人は同時に動き出す。

 心に武器を持たず、何かを守る意思を持って。

 師範の足払いの一撃を夜空はなぎなたを上に振るうことで阻止する。そして胴への突きを加えようとして、師範に阻まれた。師範はなぎなたの尻を使い夜空の突きを止めたのだ。

「僕は彼女の義理の父親だ。僕の本当の子は母親のお腹の中にいる」

 夜空は引かずに師範の体を袈裟斬りしようとかかる。師範は夜空のなぎなたを弾き、攻撃を防いだ。いつもならここで師範は間合いを取っている。しかし、今日の師範はそのまま攻撃を加えてきた。

 顔を狙った、俊足の一撃。夜空は床を転がることで攻撃をよけた。師範は転がった夜空に追い打ちをかけるべく、縦の強烈な一撃を放つ。

 夜空は師範のなぎなたを受け止める。成人男性の放つ本気の一撃は夜空の腕をしびれさせるには十分だった。

「じゃあ、どうして光にお金を渡してるんですか!」

 これは負けられない戦いだ、と夜空は師範のなぎなたを押し上げ、後ろに飛び、間合いをとる。腕の痺れが取れるまで休まなければならないと夜空は思うものの、師範がそのような余裕をもたせるとは考えづらかった。

「あの子は、見知らぬ男から母親が無理矢理植え付けられた子どもなんだ。だから、可哀想だろう」

 まだ腕がしびれているものの、夜空は師範に攻撃を加える。また重い一撃を食らえば、今度はなぎなたを落としてしまう危険があった。

「じゃあ!なんであの子の前に姿を現さない!一緒に暮らしてあげないんだぁあぁあぁあぁ!」

 夜空は縦の一撃を師範に食らわせる。師範はそれを軽く受け止める。夜空はなぎなたが弾かれた勢いを使って、素早くなぎなたを胴の位置に構える。

「あの子はずっと寂しがっていた!親の温もりを!人のぬくもりを求めていた!アンタはそれを知ってたはずだ!」

 怒りの一撃を師範は後ろに飛ぶことで躱す。

 夜空は師範に怒っていたのではない。花火をひとりぼっちにした世界に対し怒っていた。

「それはできない。僕の家は厳しい。どこの馬の骨とも知らない女と結婚することは許されなかった」

 夜空は息を整えながら言う。

「それは言い訳ですよね」

 師範の肩がびくりと動く。

「結局アンタには誰かを愛するほどの力はなかった。誰かを愛することを恐れた」

「それがどうしたって言うんだ!」

 師範は縮地で一瞬で夜空との間合いを詰める。そして、縦、横、突き、と三撃夜空に食らわせた。夜空はその剣筋を見極め、体をさばいて全ての攻撃を避けきる。

「この意気地なしが!二度と!私たちの前に現れるな!」

 夜空は師範の額に突きを食わらせる。師範は夜空の攻撃を防ごうとなぎなたを構える。

 師範は油断をしていた。

 夜空の腕の長さでは体には触れられないことを分かり、次の攻撃が来るものとばかり思い、軽く構えていたのだ。

 しかし――

(なんだって……)

 夜空の手からなぎなたは離れ、師範の額に直撃した。

 師範はそのまま、力を失ったように道場の床にあおむけで倒れた。

「まさか、なぎなたを投げるなんてね」

 武器を投げるということは死を意味する。それはとても勇気がいることだと師範は思った。そして、今の夜空には死を恐れぬほどに守りたいものがあることを師範は感じ取った。

「僕の負けだよ、夜空ちゃん。道場は君にあげよう。僕はこの町から出て行く」

「あ、別に私、道場とか要らないんで。責任もって管理してください」

「え!?」

 師範は飛び上がって驚きの声を上げる。飛び上がった瞬間に姿勢を整え、床に座った。

「いいのかい?でも、約束が……」

「私がもうこの道場に来なければいいんです。お世話になりました」

花火ファイアーアーツのことは――」

「話しかけるな!このどぐされチ×ポが!」

「またもこんな扱いに!?」

 師範は悲しそうに目を細めた。

「あと、あなたの子どもの名前はハチミツにします」

「それくらい僕が決めさせてくれても」

「ああん?」

「何でもありません。申し訳ございません!」

 夜空は少しも振り返ることはなかった。ずっと師範に背を向けて言っていた。

「親の七光りを超えた、自分自身の輝きを持って欲しい。だから、八光ハチミツ

 夜空は道場を去った。

 そして、二度と道場を訪れることはなかった。


「ということで、この子の名前は八光に決まりました!」

「やったぁ!」

 病室で夜空と恵子は騒いでいた。その様子を花火は冷めた目で見つめている。

「もっとちゃんと考えてやれよ。絶対プーさんとか呼ばれるぞ」

「じゃあ、いっそのこと、プーさんに――」

「ごめん、ママ。八光でいいから!」

「でも、この子がプーさんがいいって言ってるし」

 八光は恵子の腕の中で笑い声をあげる。

「せっかく夜空がつけてくれたんだ。俺も八光がいい!」

「そうなの?はちみつちゃん?」

 すると、八光は喜びの声をあげた。

「じゃあ、八光ってことで」

 夜空は色紙に筆ペンで『八光』と書き記した。


次回予告☆

「さて。そろそろ文字数的に打ち切りという感じ☆」

「オイオイ、最終話に文字数足りるのかよ」

「別に最終話だから足りなくても問題ないよね☆現時点で話数増しする予定もないし☆」

「いい加減だな」

「カクヨムの方で『死亡まほ』の方にレビュー書いてくれた人がいたんだけど、初めっから魔法少女がいるってのはとっつきにくいって話だったの☆」

「そう思うんならそうなんじゃねえの?魔法少女なんて俺たちにとっちゃ、非日常だろうが」

「それでも、二人とも6年後は魔法少女です☆」

「ネタ晴らしでいいのかよ」

「そう言えば、ワームとかの話がちょっとしか出てこなかったけれど、どうなんだろ。今から2年前は大分増えてたのにね」

「そそぎ灘以外にはちょくちょく発生しているらしいが、行動範囲を延ばしたおかげで頻度は低いってことらしい。あと、ピースメイカーがこの辺りに近寄らせないようにしているとか」

「はーん、魔女さまも気楽ね」

「本編で芋羊羹を買わされてた記憶しかないぞ。それと、あれ、俺の金だからな」


次回、『最終話 何よりも広いこの星空の下で君に話したいことがあるんだ』

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