燃える水

 ニールを正式に引き取った日から、オーランドは不思議な空間にいる夢を見るようになった。夢は起きれば忘れてしまうのが普通だが、奇妙きみょうな夢は何度も繰り返した。最初のうちは何が何だかわからなかったが、だんだんと状況がつかめてきた。

 その日の夜、見慣れない部屋の中にオーランドはいた。オーランドはどうやら草で編まれた絨毯じゅうたんの上にひざまずいていると、足と腕の感覚から推測した。



「――参りました。――に行ってまいります。お父様」



 オーランドの意志と関係なく口が動く。高い女の声だった。どこかで聞いたことがあるような気がした。



「来たか。お前は――家の跡取りだ。先祖代々の財産で勉強させて頂いていることをゆめゆめ忘れるな。――の身で学問をする以上は、かいこに無害な、桑に使える肥料や農薬を開発し、特許を取って来い。並みの男に負けることは、許さぬ」



 しぶい男の声が聞こえた。どうやら自分は家長の前にひざまずいているらしい。



「はい。お父様。実家を離れても、お家のため努力いたします」



「あれには挨拶せずに発て。あれは――の癖に、わし楯突たてつきおった。お前が発つとなれば、座敷牢ざしきろうにお前を入れかねん。行け」

「はい。お父様。行ってまいります」



 オーランドは頭を上げ、奥にいる人物と顔を合わせないように立ち上がる。すり足で部屋を退出し、白い引き戸を閉める。


 そして廊下を数歩歩いた先にある急な階段を上り、その先の部屋の戸を開ける。雨が降っているようなざわざわという音がする。天井から床までびっしりと棚が取り付けられ、その一つ一つに引き出しのような箱が置かれている。オーランドは手近の一つを覗こうとして――。



「次期領主様? 次期領主様?」

「……ああ。もう朝、か」



 ニールがオーランドに紅茶を差し出す。この数ヶ月で、オーランドの身の回りの世話が板についてきた。



「次期領主様、お茶です。最近根を詰めていらっしゃいますし、今日は休まれてはいかがですか」

「ああ、まあ、少し……少しな」



 暖炉で暖められた部屋とはいえ、木々が色づき、雪の気配がするこの頃にはありがたい。オーランドは紅茶をすすった。ズーデン産の黒糖の甘みが、疲れた体に染み渡った。



「その、次期領主様は最近いっそうお仕事に励まれていますが、どうしたのですか?」



 オーランドは言いよどんだ。



「その、なんというか……この領地を少しでも価値のある、取引のしがいがあるものにしておきたいんだ」



「取引? オステンやウェステンの領主様と何かするのですか?」



 ニールは、ノーデンと接している領地の名を挙げた。



「そういうわけではないんだが……」

「え、じゃあまさかゼントラム……王様と!?」

「いや、だからそういう次元の話じゃない」


 首を傾げるニールに、オーランドは言った。



「まあ、手始めに領地同士の貿易を考えるのも良いかもな。何か珍しい物を見聞きしたら教えてくれ、意外と価値があるかもしれん」

「珍しいもの……あっ」

「何だ?」



 オーランドが促すと、ニールは堰を切ったように話し始めた。



「あの、ハーヴィ……パーキンスのこと覚えてらっしゃいますか」

「お前の友達だったな、どうした?」

「この間、手紙をもらいまして、燃える水の泉を見たそうなんです、パーソン異端審問官様のお付きでオステンに行く途中に」

『石油!』



 カーラの声を聞くと同時に、オーランドは椅子から立ち上がりかけた。



 資源のうちの一つ。船の燃料とやらになるもの。……特に重要だとカーラが言ったもの。



「どこだ? その泉は、どこにあると書いてあった?」



 目の色を変えたオーランドを見て、ニールは慌てだした。



「あ、あの、ちゃんとした場所が書いてあったわけじゃなくて、パーソン様も臭いだけだから触るなとおっしゃっていたそうで、それに……」

「大体の場所がわかれば、人をやって探す。どこだ」



 ニールは目を泳がせていたが、やがて言った。



「オステンとノーデンの、ちょうど境の所、だそうです……だから、次期領主様と言っても、自由にすることは難しいかも……」

「……そうか」



 オーランドは額に手を当てた。



 国の外との取引を考える前に、どうやら国の中での取引を考えなくてはならないらしい。



 しかし、成功すれば……。



「……カレー、コーヒー、チョコレート、か」



 ……食べさせてやることは、出来ないけれど。


 オーランドの物思いは、ニールの心配そうな声で終わりを告げた。



「次期領主様? やっぱりお休みになった方がよろしいのでは? あと、手紙にウェステンで糸が高騰しているって書いてありました。布の早織りができる織り機が発明されて、ウェステン領主の命令で布を量産して、あちこちに売っていたら、糸が足りなくなったそうです」

「本当か?!」



 オーランドは色めきだった。糸の取引がうまくいき、富を得られたならばオステンの領主との取引成功の可能性が高まる。オステンの領主は猫と音楽にしか興味がない――裏返せば、その二つに対しては、聖書の聖人や賢者も真っ青なほどの知識と、経験がある。つまり、珍しい毛色や鳴き声かつ、血統のいい猫を送るか、ゼントラム帝の楽団に勝るとも劣らない超一流の楽師を紹介しなければ、交渉のテーブルにすらやってこないのだ。そのためには言うまでもないが――金が要る。



「そうか。それなら、糸商人に話を通さねばな。あと、ウェステンの早織り機も取り寄せねば」

「しかし……次期領主様、商人は男ですが、糸をつむいで織るのは女です。どこかで職工と話をしなければならないことになると思いますが、大丈夫ですか?」


 オーランドは額に右のてのひらをたたきつけた。しまった。考えていなかった。




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