温かなご飯を今日も

胡蝶蘭

優しさの親子丼

開店は10時。そのお店はひっそりと街の中に建っていた。名前は”宵”。店主は若い女性で店の名前と同じ”宵”。さあ、ドアを開けたら今日も優しい匂いがお客を連れ込む。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。」


長く後ろで高く結んだ色素の薄い髪は優しく揺れる。背の高い店主宵は1人のお客に微笑んだ。

5つのカウンターしかない狭く小さい店内だけど、

落ち着いた木のテーブルや椅子でとても綺麗だ。

その上美人な店主にお客も思わず頬が緩む。


「おススメはあるのかい?」


スーツを着崩してネクタイを緩ませたお客は30後半の優しい目をした人だった。

宵に来たことが無いのかキョロキョロと店内をくまなくチェックする。

店主は微笑んでお冷をテーブルへ置く。


「どれも心を込めているので美味しいですよ。」


メニューにずらりと並ぶ品数は多くお客は唸る。

手を動かす店主をちらりと見てはまた悩む。


「親子丼、にしようかな。」


メニューを戻しながら注文したお客に店主は微笑んで頷いた。


「かしこまりました。」


冷蔵庫から野菜や肉が目の前のキッチンに並べられてみるみる姿を変えてゆく。

テンポのいい包丁とまな板の音と空腹を誘うフライパンの音にお客は釘付けだ。


「1人で経営してるのかい?」


ふと疑問に思ったお客は店主に問う。


「えぇ、元々は知り合いのバーだったんですが店を畳むと言うので改装したんです。」


お客を見ずとも丁寧な答えにお客も話が止まらない。卵を解く手を見つめふと気がつく。


「旦那いるんだ。」


店主は卵を解く手を止めキョトンとお客を見るとお客は店主の左手の薬指を指した。


「えぇ、まあ、家庭はありますよ。」


左にはめられたシルバーの指輪を見せて店主は

少し困ったように笑った。


「いいねいいね。うちも子供がいるんだけどね、出勤が遅い日だと朝飯と昼飯の間が空くから適当に外で済ませてくれって言われるんだ。」

「そうだったんですか。」

「だけどこの時間まだ店はやってないだろう?ちょうどここらを探してたら空いていたもんで、どんなもんか来たんだよ。」

「それは、運命的な出会いですね。」


卵が野菜と肉を取り囲みふつふつと踊りだすと食欲をそそる調味料の匂いが鼻をかすめお客は機嫌よく笑った。


「随分なべっぴんさんに会えたからなあ!」


炊飯器を開けると湯気が上がりツヤツヤな白い米が丼に盛られるところを望むように立っていた。


「それは嬉しい限りです。」


米の上にとろっと鍋の具を装い緑を散らして

お客の前に料理を置く。

味噌汁も隣に置いて店主はお冷を注ぎ直した。


「お待たせしました。親子丼です。さあ、冷めないうちに召し上がれ。」

「いただきます。」


箸でこんもり口に入れたお客の口に見る見る親子丼は流れ込んで行く。湯気で顔が熱くなり何度も汗をタオルで拭いてはかきこむ。熱々の味噌汁もズズズと流し込むとお客は思わずため息をついた。


「いやあ、美味しい美味しい。びっくりだ。」


にっこりお礼を言った店主は洗い物をする。

ご飯をかきこむ音、水の音、食器の当たる音はお客にとって実家のような安心感を与えた。

15分と経たないうちにお客は米粒一つ残さず満足した顔でお会計を済ませた。


「いやあ、今日は頑張れそうだ。うまい飯をどうもありがとう。また来るよ。」


手を振るお客に店主は長い髪を揺らしてた。


「またのお越しお待ちしております。」


お客は帰りに取った爪楊枝を加え上機嫌に笑った。


「あんな美人な”女性”久しぶりに見たなあ。飲み屋行くよりよっぽど楽しい。むしろ飯も上手くて最高だ。今度はいつ遅出だったかなあ。」


そう言ってカバンの中から手帳を出して仕事の予定を確認していた。

お客が帰った店内では店主が食器を洗う音が響いて、しばらくすると二階から人が降りて来た。


「宵、おはよう。」


髪が短く後ろを借り上げすいている髪は少し外に跳ねていて、背が高い人は目をこすり店主に問いかけた。店主は振り返って挨拶をする。


「おはよう、和歌。ご飯食べる?」


頷いた和歌と呼ばれる人物はカウンターの1番奥に座った。


「お客さん朝イチで来たの?」


洗っている食器を見てご飯を盛る店主に問うと

残った親子丼を味噌汁と共に出した。


「うん、和歌の好きな親子丼だったから多めに作ったんだ。正解だったよ。どうぞ召し上がれ。」

「ありがとう、いただきます。」


黙々と食べる和歌を店主は頬杖をついて見つめながら何か思い出したように言った。


「今日のお客さんに”旦那いるんだ”って言われたよ、びっくりしちゃった。」


米を飲み込んだ和歌は小さく笑った。


「まあ、周りから見たらモデル並みの美人な女性に見えるよね、宵は。」

「そうかなあ。普通だよ。」

「いいんじゃない?お客さんが喜ぶなら。」

「うーん、まあそう思って特に言わなかったけど…

きっとお客さん、”僕”の事女性だと思ってるよ。」


困ったように笑った店主は頬をぽりぽりとかくと

宵はまた米を飲み込んでから笑った。


「大丈夫、私も男に間違われるから。」

「じゃあいっか?」

「それより宵、髪お団子にしないと料理に入る。」

「お団子、出来ないんだよ。和歌寝てたし。」

「食べ終わったらやってあげる。」


ここはご飯屋”宵”。

背の高く髪の長い美人でよく女性と間違えられる店主”宵”と、その妻である背が高く髪が短い男性によく間違えられる”和歌”の幸せなご飯屋さん。

ひっそりと街の中に建っていて今日も優しい匂いがお客を連れ込む。開店は10時から。

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