終末のエインヘリアル
黒陽 光
第一章:濡れる錆鉄の肩と戦女神の瞳
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天高くそびえ立つ摩天楼の合間、煌びやかなネオンが誘蛾灯のように誘う退廃的な雰囲気漂う街の中。ある男が独り項垂れたまま、雨に濡れた肩を揺らし孤独に彷徨い歩いていた。
降りしきる雨に濡れたオールバックの髪は、ほんのりと青みがかったような黒色をしていて。虚ろな瞳もまた同じような色をしていた。背丈は一七五センチぐらいだろうか。日本人の平均よりずっと肌は白っぽく、それなりに彫りの深い顔立ちには深い影色を差している。
そんな彼――ユウ・ガーランドはたった独りでゆらゆらと歩いていた。全てが機械任せに管理された、謂わば死んだ街の中を、たった独りで幽鬼のような足取りで。
行くアテなんて、何処にもない。行くアテなんて、あるはずもない。歩く足取りは重く、行く先もなく。こんな風に目的もなく孤独に街を歩き回ることは、ある意味でユウにとっての習慣のようなものだった。空虚な男にとっての、ささやかな暇潰しでもあった。
そうして歩いていると、ユウはふと、とある店に何気なく眼を留めた。彼の眼に留まったのは、大通りから少し離れた横丁の方にある、寂れたショット・バーの軒先だった。今のご時世には珍しい――それこそ非合法スレスレのグレーゾーンに近いような、そんなバーだったが。しかし一度こうして興味を持ってしまったからには、ユウの足は自然とその店の方へと向いてしまっていた。こんな雨模様だからだろうか。今日は不思議と、無性に酒が恋しい気分だった。
戸を潜ると、カランコロンと鳴る戸の鈴の音色に出迎えられる。客足も少なく閑散としたショット・バーの店内は、古びたジャズの漂う……それこそ、二〇世紀の幻影の中にあるような、そんなアンティークな雰囲気を漂わせていた。
寂れた店の中、肩で風を切って歩くユウはまっすぐにカウンター席の一番端に腰掛けた。マスターに何が欲しいかを問われたから、ユウはバーボンの水割りを注文する。これで煙草でも吹かせば格好もつくのだろうが、生憎とユウは非喫煙者だった。それに今の時代、少なくとも閉鎖的なこの国に於いては、喫煙者というのは絶滅危惧種の動物よりもレアな存在なのだ。
店の中に流れる静かなジャズの音色に耳を傾けながら、ユウは出されたバーボンのグラスを暫く傾けていた。客も少なく、静かな雰囲気の店だった。気に入りそうだ、とユウは思う。こういった雰囲気の空間は、嫌いじゃない。少なくとも、自宅で独り虚無の中に身を置くよりは、よほどいい。
そうして、何杯目のバーボンを傾けていた頃だろうか。いつまで経っても来客を告げなかった戸の鈴がカランコロンと鳴り、来客を出迎えるのが背中越しに聞こえてきた。コツコツという小さな足音が控えめな音色を立てて、端にユウが座るカウンター席に近づいてくる。
とすると、彼から数席分離れた席に腰掛けた新しい来客の横顔は、意外なことに少女のそれだった。こんな場末のショット・バーに来るには似つかわしくないぐらいに可憐な少女だったから、ユウはガラにもなく驚いてしまう。
その少女、黒いセミショート・ヘアを揺らす少女の背丈は……目測でおおよそ一五八センチ程度か。可憐という喩えがしっくりくる端正な顔立ちで、カウンター越しに小声で言葉を交わしながらマスターを見上げる瞳は、ぱっちりとした琥珀色。格好の方はといえば白いブラウスに上からジャケット、下は膝丈ぐらいのスカートで、ほっそりとした長い脚を包み込むのは黒いニーソックスだ。それがガーターベルトで腰と繋ぎ止められていることは明らかで、履き物の方は動きやすそうなブーツだった。
「…………」
そんな彼女の横顔が、何故だかユウは気になってしまう。確たる理由は分からないが、無性に彼女のことが気に掛かる。いつの間にか悪酔いでもしてしまっているのだろうか。そうユウ自身に思わせるほど、意味も分からず彼はその少女のことばかりを気に掛けていた。
「……どうしたの、お兄さん。私のことがそんなに気になる?」
彼女が店にやって来てから三〇分ほどした頃のことだった。どうやらユウは自分でも無意識の内に、グラスを傾けつつ彼女の方をチラチラと横目に見ていたらしく。そんなユウの視線に気付いた少女が、悪戯っぽい笑顔を浮かべながらそう話しかけてきたのだ。カウンターに肘を突き、幼さの残る顔に妖艶にも思える笑みを浮かべて、彼女はユウに話しかけてきた。
ユウはそんな彼女の問いかけに「何故だかな」と渋い色で答える。すると、少女はクスッと笑ってこう言った。
「自分でも理由が分からないって?」
「……かもな」
「ふふっ、面白いヒトだね、貴方」
どうしようもないユウの返しに、少女が楽しそうに微笑む。空調の風に揺れる黒いセミショートの髪が、そっと彼女自身の頬を撫でた。
「貴方、名前はなんていうの?」
と、少女は問うてくる。それにユウは最初「……ユウ」と少しだけ渋って、言い淀みつつも。しかし名乗らないのは彼女に対して失礼だと思い、横目に見つつ改めて彼女に名乗り直した。
「ユウ・ガーランド」
「へえ、変わった名前だね」
「生憎とな」わざとらしく肩を竦めて、ユウは言う。「そういう君は?」
「私? 私はリン・メイファ。堅苦しいのも嫌だから、リンでいいよ」
「外国人か」
「珍しい?」
首を傾げる彼女――リン・メイファに対し、ユウは「今のご時世じゃあな」と言い返す。すると彼女、リンは「そういう貴方だって、似たようなものじゃない」と更に言葉を返してきた。確かに、ユウ・ガーランドなんて名前は外国人のそれにしか聞こえないし、彼女に負けず劣らず珍しいだろう。今の、この閉じた国の中では特に。
「残念だが、俺の血の半分はこの国の血だよ。それに、国籍も持ってる」
だからユウは、敢えて丁寧すぎるほどに説明をした。嘘は言っていない、一から十まで全て事実なのだ。ユウ・ガーランドの中には半分ほど日本人の血が流れていて、それに正式な日本国籍も持っている。
「……そっか」
ユウが説明すると、リンはただそれだけを呟いた。何故だかそのとき、俯き気味の彼女が複雑そうな表情を浮かべていることを、ユウは別に気にも留めていなかった……いや、気付いてすらいなかった。
「こんな俺が言うのも何だが」
と、ユウはそんな彼女の顔色を知らずして、グラスを傾けながらボソリと言葉を続ける。
「人種も、国も、そんなのは関係ない。過去もだ。大事なのは今、俺たちが何処に居て、何をしているか。
……あくまで個人的な意見と信条だが。少なくとも俺はそう思う、そう思って生きてきた」
ああ、本当に今日はガラにもないことばかりをしてしまう日だ。
今更になってユウは自嘲し後悔するが、しかし一度こうして言葉の形で口に出してしまった以上、後戻りは出来ない。こんなことを他人に、しかもたった今知り合ったばかりの赤の他人に言うだなんて、本当にらしくもないことだ。それ以前に、こうしてフラッとバーに入ること自体、ユウにとっては珍しいことだった。
「もしかして、私への慰めかお詫びかのつもり?」
するとリンは彼の言ったことを聞いて、また悪戯っぽく微笑む。頬杖を突いたまま、ユウの横顔を琥珀色の瞳でじっと見つめたまま。
「好きに捉えてくれ。酔った勢いで、ちょっと口を滑らせただけだよ」
「ふふっ、やっぱり面白いね。えーと……」
「遠慮は無用だ。呼び方も君の好きにして構わない」
「なら、ユウ?」
「なんだ」
「貴方って、やっぱり面白いヒトだね。少し気に入り始めたかも、貴方のこと」
「そうか」
至極楽しそうに微笑むリンに対し、ユウはぶっきらぼうな応対をする。一見すると突き放しているような態度だったが、別にユウ自身そんなつもりはなかったし、彼女もそうであることを汲み取ってくれていた。
そんな風に言葉を交わしている内に、離れていたはずのリンはいつの間にか、ユウのすぐ隣の席まで近寄ってきていた。そうすれば彼女は「奢るよ、一杯」と言ってくれたから、そのままご相伴に与ることにしたりして。何だかんだと夜が更ける中、らしくないと思いつつも。ユウは夜が明けるまで、彼女と……リン・メイファと、酒の肴と言わんばかりに他愛のない話を延々と交わし続けていた。
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